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IS 〈インフィニット・ストラトス〉~可能性の翼~

作者:龍使い
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第二章『凰鈴音』
  第三十話『泣きだしそうな空の下で』

 
前書き
今回のIBGM~

○試合開始前の出来事
つわものどもが夢のあと(Xenogears)
ttp://www.nicovideo.jp/watch/nm3232267

○白き西方の少女
全ての人の魂の詩(Persona3&4)
ttp://www.nicovideo.jp/watch/sm21946733

○試合開始直前・修夜の意思
クリスター・マイマイン・ステージBGM(ロックマンX2)
ttp://www.nicovideo.jp/watch/sm13465005

○試合開始直前・鈴の独白
紅蓮の騎士(Xenogears)
ttp://www.nicovideo.jp/watch/nm3138038

○篠ノ之箒の想い
神無月の人魚(Xenogears)
ttp://www.nicovideo.jp/watch/nm3138894

○セシリア・オルコットの在り方
夢の卵の孵るところ(Xenogears)
ttp://www.nicovideo.jp/watch/nm3137780

改めて思う。Xenogearsは万能すぎる! 

 
襲撃事件から数日後の、第二アリーナとは学び舎を挟んで線対称の位置にある“第一アリーナ”に、見慣れた顔が並んでいた。
フィールドにはエアリオルをまとった真行寺修夜と、甲龍(シェンロン)をまとった凰鈴音の二人。
観客席の最前列には、修夜のクラスメイトである織斑一夏をはじめとしたいつものメンバーと、一週間前に鈴によってその座から引きずり下ろされた元クラス代表の少女、彼女に付き添う2組の担任の女性教師、そして無関係な観戦客がちらほらと。
Aモニタールームには、織斑千冬と山田真耶の一組の担当教師が二人。そしてもう一人、エッジの眼鏡に黒いスーツで身を固めたキャリアウーマン風の女性の姿があった。
「珍しいですね、(ヤン)候補生管理官。わざわざこちらにお越しになるとは……」
楊麗々(ヤン・レイレイ)、中国の代表候補生たちと本国を繋ぐ『候補生管理官』である。
候補生管理官とは、各国の代表候補生たちの動向を観察・報告し、本国と候補生たちの意思を中継し、ときに出身国の代弁者として、ときに候補生の相談者として働く者たちである。
いわば候補生たちのマネージャーであり監察官でもあり、候補生とはまた違う国家からの使者であり、生徒と学園関係者に次ぐ“第三の立場”に立つ役職なのだ。
ゆえに、彼らには専用の宿泊施設が用意され、同時に学園内で不審な行動を起こさないよう、厳しい監視体制も敷かれている。
「先日では完遂できなかった、男性操縦者との貴重な戦闘データの回収ですから」
抑揚なく事務的に話す楊。その視線の先は、千冬ではなく画面の向こうを捉えていた。
管理官たちのもう一つの仕事、それが【他国の代表候補生との戦闘データの回収】である。
IS学園は世界大会(モンド・グロッソ)を除けば、他国のISと大手を振って戦闘ができる唯一の場所でもある。国家間の共同軍事演習でも可能ではあるが、そこには少なからず政治的な思惑が絡み、IS対ISの戦闘も戦術・戦略が重視されて不完全燃焼で終わりがちである。
だが、IS学園にはそれが無い。むしろ『訓練』や『試合』いったかたちで、外界では不可能な回数の戦闘を経験できる。
そのたびに操縦者たちは全力でぶつかり合い、皆で切磋琢磨することで共に高みへと上っていく。その過程で得られる膨大なデータは、国家側にとっては一等の価値がある“情報の鉱脈”なのだ。
欲しがられる情報とは、貴重かつ希少なほど競争率が高く、新鮮かつ正確なほど力を持つものである。
今回、鈴が短期間に世界に二人の男性操縦者と試合ができたことは、中国側からしてみれば他国を出し抜く千載一遇の好機なのだ。
「しかし幸運でした。凰鈴音が男性操縦者の二人と、そしてあなたとも旧知いうことは」
表情には出さないが、楊が自分の優位性を少しばかり自慢しているのを、千冬は察した。
(わざとらしい……)
心中で悪態をつきつつも、千冬も黙って画面に映るフィールドを見つめ続ける。
室内を徐々に、重苦しい雰囲気が支配しはじめる。それに対して真耶のほうは、二人のあいだにある剣呑なものを察知しつつも、対処法が分からずうろたえていた。
「……一ついいですか、楊管理官?」
少しの沈黙ののち、先に口を開いたのは千冬のほうだった。
「なんでしょう?」
それに対して、楊は変わらず事務的に返答する。
「凰の本国帰還中のことは、どこまでご存知で……?」
弟の幼馴染で、自分との縁の深い少女。勝ち気で強気、己を押し通すことでは年上の自分に食い下がるほど頑固だが、そのくせ打たれ弱く気が小さい。そして人の目をよく気にし、よく観察する繊細さと、そこから来る優しさもあった。
ところが一夏や修夜から聞いた帰国後の鈴は、以前の“我の強さ”が増幅されて逆に繊細さに欠けた、粗野な人間になっていた。
千冬もまた、鈴の変貌ぶりが気にかかっていたのだ。
「……それは、今ここで知るべきことなのですか?」
「質問を質問で返さないでいただきたい、どうなのです?」
とぼけて逃げようとした楊を、千冬はすかさず鋭い眼差しで牽制する。これには鉄面皮を装っていた楊も、一瞬だが眉をひそめた。
こういうときの千冬の眼光は、拳銃での威嚇射撃よりも強い効果を発揮する。
「……本国での凰鈴音の動向を、直接には見ていません」
しぶる様子を見せながらも、あくまで冷静でいようとする楊。
「我々管理官のもとには、“報告書”というかたちで、学園に入学した候補生たちのデータが転送されてきます。ですので、その仔細な経緯までは把握できていません」
淡々と語る楊を、千冬はまだその視線で釘付けにする。
『吐けるものは全部吐け』――、無言の圧力がまだ楊へと向けられている。
楊も管理官としての意地があるのか、たやすくそれには屈しない。
互いに顔を画面に向けたままだが、あいだで二人を見ている真耶からすれば、横目で交差する視線に鋭い刃がついているように思えた。二つの刃が鍔競り合っているように見えて、真耶は不安と息苦しさで身を縮めていく。
部屋の空気は徐々に、静電気のようなものを帯びはじめていた。
(誰か、助けてください……)
泣きべそをかきそうになりながら、真耶はただ雷雲の立ちこめるモニタールームで、余計な雷に当たらないよう身を低くするのであった。

――――

元をただせば、事件後の保健室での会話から、今回の試合は成立した。
もっといえば、無人機が攻め入ってきた折に、鈴が取り付けた約束が発端であった。
その場にいた一夏は、鈴が神妙な顔で切りだしたその話題に、真っ先に反応した。もちろんこの少年の場合、これを疑問視する方向でだが。
仲間との平穏を好む一夏にとって、よく知る二人が意地でいがみ合う状況は、決して楽しいものではない。まして数年来の幼馴染、しかもケンカの絶えない二人が、いつになく重い雰囲気で睨みあっているとなれば、その動揺も大きかった。
「いまさらそれを掘り起こさなくても」と二人を宥める一夏だったが、そこで修夜が唐突に“諾”と返したから、一夏はより困惑した。
いつもなら、率先して鈴からの厄介事を避けたがる修夜が、この日このときに限っては、あっさりと彼女からの厄介事を引き受けたのだ。
「約束は約束、こっちもお前に用がある」と、やる気まで見せて。
こうなると、一夏が泣き付く先は拓海しかいない。
神様・仏様・拓海様と必死で助力を請うべく、頼みの綱に泣きそうな顔を向けて訴えかける。
一夏の様子を見て、嘆息しながらも拓海様は、まずは宥めすかすように二人に割って入る。
いつもの穏やかな口ぶりで、二人の意思の確認をおこなう拓海に、一夏はどうにかなるかと期待を膨らませた。
だがそれは、見当違いな希望だった。

「もしやるっていうのなら、せめて週末まで待った方がいいかもしれないよ」

まったく止めようとしなかった。
それどころか日取りや、対決をおこなうに当たっての諸問題とその解決法などを、次々と提示。とどめに会場の予約と交渉など、生徒ではややこしい手続きを拓海自身が買って出たものだから、一夏はもうベッドで力無くうなだれるしかなかった。
こうして、修夜と鈴の対決は土曜の午後からに決まり、詳細を鈴に伝えるために鈴はメールアドレスを拓海と交換した。そして約束通り、拓海は千冬という強力なコネを利用して、第一アリーナの借用と面倒な手続きの処理に成功し、予定通りに今日の対決にこぎ着けさせたのだった。

――――

その拓海はと言うと、Bモニタールームで試合の記録とデータ測定の準備に勤しんでいた。
修夜の飛び出したカタパルトをあとにした拓海は、エアリオルと二人目の代表候補生との戦いを記録すべく、あらかじめこの部屋の使用許可を取っていたのだ。
もっとも最初の仕事は、修夜のエアリオルのフィッティングと調整なので、鈴が飛び出したAカタパルトと逆の位置にいるわけだが。
部屋の中には、弟子の試合を今や遅しと待ちわびる白夜の姿もあった。
「せっかくですから、観客席で観戦してきたらどうです?」
コンソールを叩きつつ、特等席での見物を勧める拓海に、白夜は「人気のない方が気楽だ」という理由で断った。
断ったはいいが、モニタールームの中央にある机に堂々と重箱の弁当を広げ、オマケに昼間から酒まで持ち込んでいた。
これでも『飲食厳禁』の旨とそのポスターの存在を拓海は説明してるのだが、説明を受けた方は「ばれなければ大丈夫だろう」の気楽な返事で、まったく意に介していなかった。
なお弁当の中身はと言うと、定番の骨付きチキンと出汁巻き卵にはじまり、俵型おにぎりにいなり寿司、きんぴらごぼうに煮豆、焼き鮭にからしレンコン、マカロニサラダに(たら)のフライにイカリングフライ、さらに梅酢漬け大根とわさび茄子、甘味に大福とようかんを添えてある。すべて修夜のお手製である。
(まぁ、言って大人しく言うことを聞く人ではないからね)
正直、説明も注意も、拓海はあくまで“やったという事実を得るためだけ”におこなっている。この事実のあるなしで、万一の際にかかる拓海への責任は、多少なりとも変化するからである。
その証人として、部活動棟の管理を任されている学園の教員・榊原(さかきばら)菜月(なつき)の姿があった。
拓海が第一アリーナを借りるための条件として、学園側は彼女を拓海の監視に付けることを提示し、拓海も想定内の条件としてあっさりと承認している。
そして肝心の監視員は現在、非常に渋い表情を浮かべていた。
理由は言うまい。
「あの、ここのポスター、ちゃんと見えていますか……?!」
とうとう業を煮やした菜月は、白夜に対して注意を喚起した。
当の本人はというと、赤い漆の大杯に持ち込んだ一升の酒瓶の中身を注いで、さっそく一杯煽ろうとしている。
「細かいことを気にするでない、精密機械からは程遠いであろうに」
「そういう問題ではありません!
 そもそも、この部屋の使用は相沢主任さんに許可したのであって、あなたのことは聞いてませんよ……!?」
「やれやれ、固いやつよのぅ……」
あくまでここで呑む気満々な洒落っ気の塊に対し、真面目さの塊も学園から監視を仰せつかった身として一歩も引いていない。
机とその上の弁当群を挟んで睨みあう二人。
そこに――
「……はい」
一人の少女が菜月に、出汁巻き卵がのった紙の取り皿と、割りばしを差し出してきた。
年頃は十二、三歳ほどだろうか、小柄で背丈も菜月が見降ろせるぐらいである。
だがそれ以上に目を引くのが、その容姿だ。
腰まで届く白銀の髪、目は赤い宝石を連想させるような紅茶色、顔は西洋人形を思わせるほどに端正で愛らしいが、肝心の表情も人形のようにほとんど動いていない。
だが少女の持つ雰囲気は、菜月の視線を引き付けて離さない不可思議な力を内包していた。
「あ……、あなたは……?」
それまでまるで気配のなかった少女が、突然自分の前に現れたことに驚く菜月。
「おや、【くー】かえ。手洗いの場所は分かったのか?」
「……うん、すぐそこだったです」
白夜が“くー”と呼んだ少女は、やはり表情を動かさずに頷き、小さな声で白夜に返答する。
「白夜先生、その子は一体……?」
騒動の異変に気付いて振り返った拓海も、今さらながらにくーの存在を認識する。
それに対する白夜の返答はと言うと――
「拾った」
一言であった。
「ひ……、拾ったって……、親御さんの確認もせずに……!?」
その非常識なまでのフリーダムっぷりに、菜月は思わず目を白黒させる。
すると菜月は意を決したように、白夜に対して抗議しようと口を開こうとした。

「親も縁者もおらんよ、そやつは天涯孤独じゃ。だから拾った」

しかしそれを読んでいたかのように、白夜が先んじて言葉を放った。
あっけらかんと言ってみせた白夜とは逆に、部屋の雰囲気は一気に凍りつく。
一方で素性を明かされたくーは、白夜と同様に一切の動揺は見られない。
「詳しくは、まぁ修夜が一戦終えた後にでも話すかの。そのために連れてきたわけじゃし」
そう言うと杯の中身を一気にあおり、中身を干してしまった。
(ずいぶんとまた、急な話だな……)
拓海にとっては、こうした白夜の唐突な言動は今さらな出来事であり、それ自体にさしたる驚きはない。だがそこに見知らぬ少女がいて、あまつさえ“拾ってきた”というのは、どこか腑に落ちない。
拓海にとっては、彼女は自分の親同然の存在であり、自分もくーという少女も身の上は似ている。だから白夜が彼女の身の上を知り、何かしらの気まぐれが重なったのなら、それはそれである。
それでも、たったそれだけでそんな大それた行動を起こすほど、夜都衣白夜という仁は前後不覚なお人好しではない。
まして無関係な場に連れ歩くような、猫可愛がりなどしない。
(これはひょっとして……)
奔放な養親のやることには、何かしらオチがある。
長年の経験から、拓海はなんとなく“オチの落とし先”がぼんやりと見えてしまった。

『試合開始まで残り一分です。ルールを説明いたします』

そこに試合開始前の場内アナウンスが、モニター越しの音声から聞こえてくる。
一同がその声に引き付けられ、一様にモニターの方を振り返った。
(とうとうはじまるな、鈴と修夜の【初めての本気のケンカ】が……)
去来した気持ちはIS技術者としてではなく、相沢拓海“個人”としての感慨であった。

――ピピピッ

不意にモニター前のコンソールから、通信を告げるアラームが鳴った。
「私だ、相沢主任」
応じてみれば、発信者は千冬だった。
「どうしたんですが、織斑先生?」
少し眉間にしわを寄せる千冬に対して、いつもの柔らかい調子で応じる拓海。
「天候のことで、少しな……」
いつもの凛々しくも厳しい顔で千冬が振ってきたのは、天気の話だった。
一見、厳しい表情には似つかわしくないような話題だが、実際はそんな呑気な内容でもない。
「正午前からの雲の動きからして、十中八九“降る”でしょうね」
先読みするように、拓海が会話を先に進める。
雨が降る。
学園内にあるアリーナはどれも全天候対応であり、観客席に冷暖房が完備された最新式である。
多少の雨などどうにでもなるが、それはあくまで観客席の話だ。
学園内のアリーナの中で、第一・第二アリーナは解放式であり、雨をよけるための開閉式の天井が存在しない。
ゆえに試合中に雨に降られると、その程度によっては中止を検討しなくてならないのだ。
「どうする主任、一応は外部フィールドである程度の雨避けは可能だが……?」
この千冬の提案に対し、拓海は――

「よほどの豪雨にならない限り、大丈夫だと思いますよ」

その気遣いが“無粋”とでも言いたげに、穏やかながら素っ気なく返答した。
「……それもそうか。まあ二人には、雨天時の戦闘を経験するいい機会かもしれんな」
千冬もまた、拓海の言わんとするところを汲み取ったのか、それ以上は言わなかった。

雨が降る。
その雨がこの試合に、何をもたらすのだろうか。

――――

アリーナの低空、そのど真ん中。
少年と少女は、試合の始まる瞬間を緊張とともに待ち続けていた。
昨日の予報では五月晴れと謳っていたのだが、今の空は泣き出しそうな顔をしていた。
(さすがは海の上だな、天気予報も当てになりゃしねぇ……)
科学技術が進歩した現在でも、山と海の機嫌だけはお伺いを立てづらいものらしく、こと洋上の人工島であるIS学園にとって、世間の天気予報は希望的観測の足しぐらいにしかなっていない。
その空の顔と同様に、決して晴れているとは言えない表情の少女が一人。
「……よう、鈴」
名前を呼ばれた愛らしい小柄な少女は、整った顔立ちに似つかわしくない二本の線を眉間に引き、修夜をじっと見つめていた。
「準備は万全か、こっちはいつでもイケるぜ?」
コアネットワークの開放回線(オープン・チャンネル)を介して語りかける修夜だが、鈴の方はだんまりを決め込んで返答がない。
「なぁ、思えばこうやって“ガチのケンカ”をやるのは、今日が初めてだよな……」
だが修夜の方も、そんなことはお構いなしに鈴に語りかけ続ける。
「やれジロジロ見ていただの、給食のおかずの余りの取り合いだの、ポテチの食べた枚数だの、字の上手い下手だの、性格がどうだの……。よくもまぁ、あれだけ罵り合ったもんだよ」
懐かしむように、修夜は一言ごとにその光景を脳裏に甦らせていた。
ケンカ仲とはいっても、男と女。修夜は無暗に女性に手を上げるのを()しとしないし、鈴も他人を無神経に叩けるほど図々しくはない。
ゆえに二人のケンカは、常に口先での勝負であり、それでも収まらなければ、代わりに徒競争やカードゲームなど勝負事を催して決着をつけていた。

だから二人にとって、これが正真正銘の、【初めてのぶつかり合い】になる。

「鈴、お前が向こうで一体何を見てきて、どうやって過ごしたかは分からない」
穏やかだった修夜の語気に、力強さと鋭さが宿る。
「だから、鈴。俺はお前に勝って、お前の口から全部聞くことにした」
これが修夜の用事である。
どれだけ問いただそうと煙に巻いて逃げてしまう鈴から、事情を得るには単純だがこれが“最良”だと修夜は考えた。
何も構える必要はない。昔のように、ただ自分を押し通すために勝負に出ればいい。
二人にとって勝負事とは、お互いの純粋な“()の通し合い”なのだから。
修夜からの一方的な問答の中で、徐々に雲行きはさらに怪しくなり、空は黒くなっていく。
「もう一度言う、俺はお前から“全部聞きだす”。鈴、お前は俺に何をさせる……?」
問いに答えはなく、しばらくの沈黙が続く。
「……ホント、あんたって図々しいヤツよね」
回答は呟くような声で返ってきた。
「やれあぁしろとか、女らしくないだとか、バカだのなんだのってさ……」
呆れ返っているような、どこかけだるく力ない言葉が続く。
「前までのあたしならさ、いい加減なところで諦めてたけどさ……」
修夜と同じように、それはどこか昔を懐かしむようであった。
だがその言葉の最後で、小さく生気の火が灯る。
「今のあたしには、あるのよ、“力”が……」
噛みしめるように、言い聞かせるように、言葉は低く放たれる。
「この力で……、あたしはあの地獄みたいな場所から……、一夏のところに帰ってきた……」
返答は独語となり、独語は徐々に鈴自身の雰囲気を変えていく。
「やること? ……決まってるじゃない、あの夜にあたしにやったことを謝らせる」
少女のまとう雰囲気に、はっきりと生気が滲み出てくる。
「そしてもう一度、ちゃんと一夏と戦って……、あたしが一夏と一緒になる」
弱かった声はさらに力を得ていき、そこに確かな“覇気”が宿っていく。
「もう、誰にも邪魔させない……。一夏の隣は……私の“指定席”なんだから……!」
だが覇気は、その言葉とともに“淀んだ殺気”を帯びていく。
「負けない……、絶対に……、死んでも負けてやるもんか……」
一言一語、重ねるごとに闘志は黒く淀み、殺気へと変わっていく。
「土下座させて、その頭を踏んづけながら、泣いて謝らせてやる……!」
もはやそれは回答ではなく、憎悪に満ちた怨嗟と化していた。
かつての鈴には決してなかったものが、異常なまでの“勝利への執念”が、彼女を繊細な少女から“戦鬼”へと変貌させていく。
「……なるほど、それがお前の“闇”か、鈴」
修夜の前に、少女の“闇”の一端が顔をのぞかせる。
彼にはそれが、執念と殺気という雷雨を溜めこんだ“黒い雲”のように思えた。

『試合開始まで残り一分です。ルールを説明いたします』

『試合形式は1000ポイントマッチ、制限時間は40分の一本勝負です』

再び訪れた沈黙を、スピーカーで音割れしたアナウンスが破る。
それを聞いて修夜の精神も鈴の精神も、一気に緊張の色に支配されていく。
呼応するように、空も一層重たい色へと変化しはじめる。
フィールド全体を、窒息しそうなほどの緊迫感が支配しようとしていた。

『それでは両者、試合を開始してください』

「「!」」

試合開始のブザーとともに、二人は武器を呼び出し(コール)してその手に握り、弾かれたように激突した。

――――

AカタパルトとBカタパルトのあいだにある、アリーナのメインモニターを正面から望める観客席で、いつものメンバーは二人の試合が始まるのを待っていた。
「今日は晴れだと聞いていたが……」
篠ノ之箒は灰色を濃くしていく空を見上げながら、少し不安げな表情を浮かべていた。
「この様子でしたら、おそらくは降るでしょうねぇ……」
箒の言葉に応じてセシリア・オルコットも、空模様からこれから先のことを予測した。
その二人を余所に、試合に出る人間よりもよっぽど緊張した顔の一夏が、落ち着きのない様子で試合の開始を待っている。
なにぶん、幼馴染たちのガチゲンカである。一夏にとって、この試合は親兄弟同士のいがみ合いを見せられることとイコールであり、気分の良いものではなかった。
――最悪、鈴と修夜が修復不可能なほど、悪い関係になってしまうのではないか。
そんな不安が心の岸辺に、波のように寄せては返していた。
「おりむー、なんか顔色悪いよ?」
一夏のそばで布仏本音が、その顔を覗き込んで気遣う。
「……あ、悪ぃのほほんさん。ただの、考え事だ」
思っていた以上に不安が顔に出ていたことに、一夏は本音からの指摘で気がつく。
「大丈夫ですか、一夏さん?」
「あ、うん。平気へーき! 元気なのが俺の取り柄だし」
一夏の隠し切れていない動揺を察してか、セシリアも声をかける。それを一夏はいつもの調子で笑ってみせて、大丈夫だとアピールする。
その様子を、箒は複雑な気持ちで見ていた。
一夏が元気が無いのは、箒もよく分かっていた。その原因も理由も、すべて承知している。
その上で、箒の心の内には(もや)がかかっていた。
(なんでこんなときに……)
修夜、一夏、鈴。この三人は、自分よりもお互いに過ごした時間が長かった。
ゆえに三人が生む独特の縁の中に、箒はいま一歩、踏み込めずに立ち尽している。
(言えない、“大丈夫だ”なんて軽々しいことなんて……)
木刀を振りまわしていた頃の自分なら、雰囲気も考えずに一夏に喝を入れて、修夜の勝利を信じさせようとしただろう。
しかし今は、分かってしまうのだ。今から目の前で起きる戦いが、一夏にとっては“人間関係の分岐点”であるということが。
単純な勝ち負けじゃない、三人の築き上げてきた宝物が、今日この場で壊れるか否かの、ここがその瀬戸際であることも。
歯がゆい。
自分には手出しのできない、不可侵の領域。
そこで苦しむ一夏に対して、何の言葉もかけられない自分が悔しい。

  少し一夏と幼なじみになったのが長いからって
   一夏のこと全部分かってる気になってんじゃないわよ

部屋替え説得事件で鈴に言われた言葉が、箒から三人の輪に踏み込む勇気を奪っていた。
(修夜には勝って欲しい、一夏にも元気になって欲しい。でも……)
それが単純な願いではないのが、分かってしまった。
単純に勝つだけでは、どちらにも必ずしこりが残るだろう。それは一夏や修夜が望む結末とは、恐らく違うもののはずだ。
(……また、何も出来ない)
目の前で大切な人が苦しんでいるのに、そこに立ち入れない歯がゆさ。
自分だけが部外者に思えてしまう、やりきれない感覚。割って入れたとしても、鈴が目を釣り上げて詰め寄ってくるのは想定するに易い。
(ここでも私は、何も出来ないまま……)
先日の無人機との戦いでも、箒は自分の戦い方に満足ができなかった。
途中、謎のパワーアップがあって戦力的な価値は上がったものの、終わってみれば地味な活躍しかできず、戦友たちに貢献できたという達成感がいま一つ湧かずにいた。
箒はそんな自分が、情けなく思えて仕方なかった。
そして今も、同じ思いに苦しんでいる。
「……箒さん?」
「え……、あっ、すまない、セシリア……」
一人で重苦しい空気に沈んでいた箒に、セシリアは声をかける。
「ご気分の方がすぐれないようですが……?」
「いや、大丈夫だ。少し考え事を、していただけだから……」
そういって笑いかける箒だが、肝心の笑顔はどことなくぎこちない。
(あぁ、また私は……)
ただでさえ滅入っている気分が、セシリアに余計な心配をかけさせたという思うで加速する。
「……大丈夫ではございませんね」
ため息交じりに、セシリアがそう言い放つ。
「い…いや、私は大丈夫だ……! 本当に変な気遣いは無用だから……」
これ以上、周りの負担になるのは御免だ。これ以上の迷惑を仲間にかけては、本当に呆れられてしまう。必死に箒はセシリアに対して、自分は平静だと訴えかける。
「そうやって“自分は大丈夫です”と言う人は、往々にして大丈夫ではありませんわ。特に“以前のわたくし”という人間などは……」
セシリアの一言に、箒は反論のための言葉を失くしてしまった。
今でこそ淑女の見本のようなセシリアだが、ついひと月前までは鼻もちならないほどに高飛車なお嬢様であり、まして男という生き物を頭から見下していた。
その裏には、名家たるオルコット一門の命運を背負い、代表候補生になるべくがむしゃらに努力し続けてきたがゆえの矜持があった。同時にその矜持は、独りよがりの焦りによって曲げられ、彼女の人格に傲慢さを与えていた。
「何かお悩みのようですが、そうやってお独りで抱えていては、わたくしたちには量りかねてしまいます。真面目な箒さんのことですから、周りに余計な心配をかけまいとしていらっしゃるのでしょう。……それでも、少しはわたくしたちに、そのお気持ちを肩代わりさせてくださいな」
返す言葉もなかった。
平気なふりをして我慢しようとする自分より、少しでも相手を理解しようと向き合ってくるセシリアの姿が、箒にはとても立派に見えた。
同時に“焦りのるつぼ”に、また性懲りもなくはまっていた自分を恥じた。
無人機に対して無茶な攻め方で押し切ろうしたときと、今の自分に大差がないことに気付く。
情けなくて、泣きたくなった。
「すまない、また……私は……」
「いいですよ、少しずつ慣れていけば良いのですから」
空模様と同じ顔の箒に、セシリアは柔らかい日差しのような笑みを向けた。
(このところ本当に、セシリアに助けられてばかりだ……)
一夏の特訓中に始めた空中戦の訓練、部屋替え事件での立ち回り、無人機戦でのフォロー、そして今し方のやりとり……。
セシリアと仲を深めていく中で、いつの間にか箒は彼女の世話になることが増えていた。
それに対して、自分が彼女に報いることが出来たか。
自分の不甲斐なさで、箒は膝を屈してしまいそうになる。
「……セシリアは――」
「はい、何でしょう?」
「……セシリアはどうして、真っ直ぐ立っていられるんだ?」
気が付けば、箒はそんな問いを発していた。
「国家代表候補に、自分の家の命運に、ご両親のことだって……。
 どうしてそんなたくさんの荷物を背負って、そんなに堂々と立っていられるんだ……?」
箒には今のセシリアが、とても強く美しい少女に見えた。
付きまとう現実から逃げるため、一心不乱に剣の道に没頭してきた自分の在り方に比べ、自分の現実と正面から向き合うことを選んだセシリアの在り方が、箒にはとても眩しく、自分の理解の及ばない崇高なものに思えた。
だからどうしても、訊かずにはいられなくなった。
「……そうですわね、箒さんたちとこうしていられるお陰でしょうか」
寸の間の沈黙ののち、返ってきたのは箒の不意を突く答えだった。
「以前のわたくしは、箒さんがおっしゃったものすべてを、自分一人で背負っている気になっていました。ですが、先日のお鍋のあとでチェルシーさんと語り合って気付けたんです。『自分は本当に多くの方々の支えで今ここにいる』と……」
一夏のわがままに端を発した鍋会の夜、会場となった自室から修夜たちが去ったあとに、セシリアは自身の世話役であるメイドのチェルシー・ブランケットと久方ぶりに語らいの場を持った。
そこで二人は、互いの心の内を明かし、友として、主従として、何より幼馴染として、互いを支え合いながらこの先を進んでいくことを改めて誓い合った。
「チェルシーさんには皆さんと出会うまでを支えてもいましたし、修夜さんはわたくしのボタンの掛け違いを直していただきました。そして一夏さんや本音さんたちからは、親交を深めながら時間を共有することの喜びを教えていただきました。……特に箒さん、あなたには本当に色々と感謝していますのよ?」
「……え?」
箒にとって、予想だにしない言葉が聞こえてきた。
「私に……?」
セシリアの思いがけない一言に、箒は思わず戸惑う。
「先日の無人機での戦いでは、箒さんの奮戦と閃きがなければ、さらなる苦戦は必至でした。その前にも、一夏さんの特訓中には、わたくしに格闘戦での剣捌きを教えて下さいましたし。それに、クラス代表決定戦の後のことでは、特に……」
それは修夜・一夏・セシリアが、1組のクラス代表の座を競って戦ったのちのことだ。翌日にセシリアはクラス中を巻き込んだことを詫び、頭を下げたことでクラスメイトからの誹謗や中傷は起きなかった。またその試合内容も、非難できるレベルの代物ではなく、むしろ観戦していたクラスの女子たち自身がそのレベルの高さに舌を巻いていた。
だがこれはあくまでも1組での話であり、それが他の三つのクラスに波及するには時間が必要だった。特にセシリアへの風当たりは一部で強く、ときとして容赦のない陰口が聞こえてくることもあった。
「他人に避難されてしかるべきことを、わたくしはおこない、その代償として当然の報いと思って、どんな非難も甘んじて受けようと思っていました。
 ……ですが箒さんは、そんなわたくしを見つけては手を引いて遠ざけてくださったり、ときに自分が非難されるのも構わずにわたくしを弁護してくださったではありませんか。わたくしは、あなたのそのおこないに、とても救われた気がしたのです」
思ってもみないことだった。
箒にとってセシリアが挙げたことは、箒には友人として当然の行動だった。彼女の役に立とうとも、まして恩を売ろうなど考えて行動を起こしたわけではなかった。
友として、人として、出来る行動を起こしただけのことだ。自分の友人を卑下されて、怒り心頭に発して抗議したまでのことだ。出過ぎた真似だとさえ思っていた。
「箒さんや修夜さんをはじめ、皆さんが何の迷いもなく、わたくしを一人の友人としてくれていることが、今のわたくしには大きな支えなんです。ですからわたくしにも、箒さんのことを支えさせて欲しいんです」
セシリアの言葉には、世辞も見栄もありはしなかった。
ただ友人であるという事実、その友を救いたいと思う気持ち。セシリアを動かす原動力を知り、改めて人を信じることで生まれる力の大きさを、箒は感じずにはいられなかった。
(友達……か……)
修夜たちと再会するまで、箒は諸事情から転校をひたすら繰り返し、まともな友人を作ることが出来なかった。出会っては別れてを、早ければ半月というサイクルで繰り返したこともあった。そうするうちに、自分から友達を持つことを彼女は遠ざけていた。
だがIS学園になかば強制的に入学させられたことで、彼女は旧知と再会し、安定した学生生活を取り戻すことが出来た。思えば本音とセシリアは、長らく得らなかった安定の中で得た、最初の新しい友情だった。
「セシリア……」
「はい」
「この戦いはセシリアなら、どう終わったらいいと思う……?」
セシリアの友情に報いるなら、まず自分から心を開こう。箒はそう思い、自分の内に秘めた迷いを彼女に吐露した。
「きっとこの戦いは、修夜と一夏と、そして凰の絆を左右する戦いになると思う。もちろん、修夜には勝って欲しい。……でもきっと、それだけじゃ駄目だと思う。それだけじゃきっと、何かが足りない気がする」
箒の顔を見つめながら、セシリアは静かに彼女の言葉に耳を傾ける。
それから少し、俯き加減になって悩むような表情を浮かべると、また箒に向き直った。
「……それは、難しい問題だと思いますわ」
前置きを述べたうえで、セシリアは言葉を続けた。
「一番の収まり方は、修夜さんと凰さんが互いに悔いなく戦い抜かれて、それが少しでも凰さんがわたくしたちに、その(かたく)ななお心を開いてくださるきっかけになることだと思いますわ。
 今のあの方は、自分以外の何者も信じきれない、とてもお辛い状態にあるのだと思います」
かつてのセシリア自身がそうだった。
彼女の両親の死後、オルコットの財閥はその遺産と会社運営の利権を巡り、親族縁者が骨肉の争いを起こした。その最終決定権は幼いセシリアに委ねられたが、セシリアは親類たちの醜さに嫌悪し、自らにその権利を行使して財閥の代表となった。そしてそんな親類たちを黙らせるべく、代表候補生への狭き門をくぐり、イギリス本国からの絶大な庇護を得て現在に至っている。
だがその過程で彼女は心をすり減らし、気が付けば自分のことしか見えていない、かつて嫌悪した親族の同類になり下がっていた。もっとも彼女の場合、その先で修夜と出会い、互いに全力で戦い、その末に気がつくことが出来たのだが。
「修夜と全力でぶつかることが、解決の糸口……?」
不可思議な論法ではあるが、修夜と鈴の関係を考えれば、あるいはそもそも修夜自身が鈴にそれを吐かせるために、この試合を仕掛けたとするなら、この強引な理論も一つ説得力を持ちはじめる。
現実、箒もセシリアも窺い知ることは出来ていないが、修夜の本懐はまさにこれである。
「あれだけケンカをなさっていても、あのように一緒にいられるということは、それだけお二人に根本的に通じている部分がお在りからだと、わたくしは踏んでいますの。なにより、見ず知らずだったわたくしの心さえも、その太刀筋で開いて見せた方ですもの」
箒もセシリアの言わんとすることが、なんとなく見えてきた。
たとえば一夏と鈴で同じ状況になったとして、鈴が一夏に素直になるかと言えば、一夏の温厚な性格や押しの弱さを考えると、それは“ノー”である。しかし鈴と正面からぶつかり合い、一歩も引かない修夜ならば、鈴を本気にさせることが出来る彼ならば、頑なな鈴から何かを引き出せるかもしれない。
「凰は、修夜に心を開くだろうか……?」
「……信じましょう、修夜さんを」
箒の問いに、セシリアはただ静かに願いを込めながら、修夜の名を口にした。

『試合形式は1000ポイントマッチ、制限時間は40分の一本勝負です』

試合を告げるアナウンスが場内に響く。
一夏も、箒も、セシリアも、また本音や観戦者たちも皆、固唾を飲んでその瞬間を待つ。

『それでは両者、試合を開始してください』

試合開始のブザーが響く中、箒はフィールド上空で激突しようとする二人を見上げながら、ただ強く願った。

(修夜、負けるな……!)
 
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