TARI TARI +TARA
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飛び出したり 誘ったり 飛びかかったら その2
前書き
最近忙しくてまともに執筆が進みません
原作が小説でない作品を書くのは初めてですが、ちょっとずつでも書いて行きたいと思います
それでは本編を、どうぞ!!
夏休みを目の前に控えた時期。
こういう日の朝は、起きるのが面倒だ。
毎朝起きて汗に濡れた寝巻きから制服に着替えるたびに彼ーー津川衛太郎(つがわ えいたろう)はそう思う。
着こんだ半袖のYシャツの上のボタンを全て閉じると、ネクタイとショルダーバッグを持って自室のドアから廊下へ出た。
そこから向かいにある父親の部屋のドアには、見慣れた貼り紙がある。
『仕事中 静かに!』と書かれているが、本当に仕事をしているのかどうかは怪しいものだ。
名残惜しく欠伸をひとつすると、階段を降って一階のリビングへ向かう。
すると廊下の途中から、美味そうな味噌の匂いが鼻腔をくすぐりだす。一歩進むごとに、食欲をそそるその匂いだんだんと濃くなってきた。
リビングから台所を覗き込むと、その発生源であろう鍋の前に高齢者特有の小さく丸い背中があった。
その小柄な人物が、ゆっくりと振り向く。顔を向けた祖母の邦江は、衛太郎を認めると味噌汁の鍋を回している手を止めた。
「あら、おはよう衛太郎」
衛太郎も「おはよ」と短く返すと、台所の戸棚から自分の分の茶碗を取り出す。
そのまま炊飯器の蓋を開け、湯気の立つご飯を盛っていく。
続いて箸を用意すると、邦江が木製のお椀に味噌汁をついでくれていた。
「先生の送別、今日だったよねぇ。花谷さんに昨日電話しといたから、学校行くときにちゃんと花を取りに行きなさいよ」
「ああ。ありがとばあちゃん」
お礼を言いながら味噌汁とついでに目玉焼きの乗った皿を受け取ると、ご飯と一緒にリビングのテーブルへと並べる。
それから椅子につき、合掌。
「いただきます」
短く告げて、朝食に手を付ける。
目玉焼きを自分好みの半熟に焼いてくれているのが、ちょっぴり嬉しい。
最初はゆっくりと口に運んでいくが、徐々にかきこむようにして食べていく。ご飯と味噌汁が減ると、目玉焼きを白身から箸で切り分けて食べる。そして最後に、残ったとろとろの黄身を味噌汁と一緒に胃に流す。
この食べ方が、衛太郎にとっての小さなこだわりであった。
所要時間、十分と少し。高校生活の三年間で、当たり前となった朝食のスタイルだ。というか、邦江がほとんど和食しか作らないので自然とこうなっていた。
再度合掌して、今度は「ごちそうさま」と言って食器を台所のシンクへ持っていく。椅子に掛けてあった赤いネクタイを手に、そのまま廊下から脱衣所へ向かう。
のろのろした歩調で脱衣所に備えてある洗面台に立つと、冷たい水で顔を洗い、やっと眠気の残っていた意識を覚ました。
タオル掛けから取ったタオルで顔を拭きながら、目の前の鏡を見てみる。
目元が隠れるほど長い前髪と、童顔だが無表情なせいでそれがわかりづらい顔。まさに根暗、という言葉がぴったりと当てはまる。
間違いなく、衛太郎本人の顔だ。
簡単に寝癖をなおすと、手早く歯を磨いてネクタイを占める。
それが終われば、いよいよ登校だ。
玄関にしゃがみこんで履き古したスニーカーに足をいれ、緩んだ靴紐を結ぶ。
それを確認すると、ショルダーバッグを肩に掛けて下足棚の上の鍵を取った。
「んじゃ、行ってきます」
「行ってらっしゃーい」
返って来た邦江の声を背中で聞いて玄関から外へ出る。
登りかかった朝日が目に刺さり、目を細めながら車庫へ。
そこに、衛太郎を呼び止めるかのように犬の鳴き声がとびこんできた。
車庫の裏手の犬小屋につながれていたのは、津川家の愛犬。その名も定吉(祖母命名)だ。
こげ茶の毛並みにはかなり目立つ真っ白な眉毛がチャームポイントで、近所のちびっ子からは可愛がられている。
器の中にドッグフードを半分残したまま、今日も見送りをしてくれるようだ。
「よしよし、定吉。今日も行ってくるぞー」
頭を撫でてそう言うと、まるで応えるかのようにワンと一声鳴く。
それを聞くと、衛太郎も車庫へと入り込む。
自家用のワゴン車の隣に停めてある原付二輪車を見つけると、ハンドルに掛けてあったハーフヘルメットを被って留め具をつけた。続いてなれた手つきで鍵を原付きに差し込み、エンジンがかかったのを確認して車庫から押し出す。
日の下に出てバイクにまたがると、そこからようやく出発した。
中古車の軽いエンジン音をかき鳴らしながら、坂を下って行く。
衛太郎の通う白浜坂高校では自転車通学か電車通学が主だが、あいにく自宅近くに駅が無い上に坂も多いので、特別にバイク通学を許可されている生徒もいた。
体力に自信のない衛太郎には、都合のいい乗り物だ。
いつもと同じ風を感じながら、黒い原付きバイクは第一目標である商店街に向かって走って行った。
邦江ご用達の花屋『花は花谷』(この店名はギャグでないと思いたい)は、商店街の入り口近くにある。原付きなら十分ほどで着くのだが、今日は運良く信号に引っかかることもなかったので、いつもより早く着くことができた。
そして、衛太郎はそれを幸運だったと、今まさに思っている。
「でかっ!?」
というのは、邦江から言われていた花を受け取ろうとした衛太郎の第一声である。
柄にもなく大声を出してしまい、気恥ずかしさに襲われた。
「あ、やっぱり? いやぁ、電話もらったときに思ったんだけどねぇ。衛太郎君が持って行くって言うから、少なくていいんじゃないかって言ったんだけど、邦江さんは大丈夫だって」
花谷さんは差し出す花束を見て、さらに苦笑い。
無理もない。ほんのに三本程度の花をと頼んでいたはずなのに、用意されていたのが一抱え分はあろうかという巨大な蓮の花束だったのだから。
これを原付きで運べと言うのは、流石に無理がある。
おのればあちゃんめ。また大げさに考えたな。
注文を祖母任せにしていたのは自分だが、それにしたってやりすぎである。
花谷さんもそれを察したのか、蓮の花束を引き戻す。
「それじゃあウチで少し切り分けるかい? 残りは、帰りにでも取りに来てくれればいいから」
なんともありがたいことである。開店前だというのに商品を出してくれたこともそうだが、ここまでしてくれるとは。
それに今日は土曜日で学校も早くに終わるので、取りにくる時間は充分にある。
これは深々と頭を下げざるをえない。
「すいません。……お願いします」
「衛太郎君のところはお得意さまだからね。これくらいは気にしないでよ」
花谷さんは笑いながらそう言い、花と一緒に開きかけのシャッターをくぐって店内に戻って行った。
そのうちに、ケータイを取り出して時間を確かめる。
今から出発しても充分間に合う時刻であることを確認すると、ホッと息を吐いた。
「あれ、津川君……?」
不意に、声をかけられた。
そちらに目をやると、そこには自分と同じくらいの歳の少女がひとり、自転車を押している。
少女が着ている青灰色のワンピース形をした制服は、間違いなく白浜坂高校の音楽科のものだ。
「あ。坂井さん……」
クラスメイトの坂井和奏(さかい わかな)は、花屋の前で自転車を停めた。
ここで、衛太郎の特徴をひとつ挙げておこう。
そのシャッターのような前髪から根暗を自覚する通り、衛太郎は人付き合いが得意ではない。特に、女性で同い年というのは一番苦手だ。正面から目を見ることができないし、会話も尻切れとんぼになってしまうことがほとんどだ。
だからといって、別に女が嫌いなわけではない。ただ、苦手なだけ。
女性慣れしていない上に会話のボキャブラリーも多いわけではない。年頃の女子からすれば、つまらない奴とカテゴライズされても仕方がない。
和奏と話すのはこれが初めてではないが、すれ違いざまに軽い挨拶を交わした程度の仲でしかない。
つまり、衛太郎にとっては接しづらい人物の一人だということだ。
「おはよう。津川君もここで花買うんだ」
「あ、いや。俺がっていうか、俺のばあちゃんがよく来るから……」
ぼそぼそ声で言ってしまったので伝わったかどうか不安だったが、和奏からは「そうなんだ」という短い言葉が返って来た。
そのとき、シャッターの向こう側から花谷さんが姿を現した。
その手には、三本ほどにカットされた先ほどの蓮の花がある。
「はい、お待たせ。それじゃあ残りは後でねーーあれ、和奏ちゃん、どうしたの? こんな朝から?」
「おはようございます。すいません。昨日いただいた鉢って、まだありますか? もう一度もらいたいんですけれど……」
「そりゃあいいけど……昨日のはどうしたの?」
「それが、お父さんがなにを間違えたのか庭に植えちゃって。ほんっと、信じらんない……」
呆れたようにため息を吐いた和奏に、花谷さんはいつもの人のいい笑顔を彼女に向けた。
「ははは。まあ、圭介さんもどこか天然なところがあるからねぇ。仕方ないよ」
(植えたって、おいおい……)
和奏は衛太郎と同じクラスメイトだ。ならば当然、学校での予定はほとんど同じ内容となる。
今日は担任教師である高橋先生の送別のために各自で贈り物を用意するように決めていたのだが、どうやら和奏は父親がダメにしてしまったプレゼントを買い直しに来たようだ。
そこまで察すると、衛太郎は受け取った花を原付きの台座に備えた。
「それじゃあ、俺はこれで……ありがとうございました」
代金はすでに払い終えたので、後は挨拶をしていつもの登校にもどるだけだ。
「ああ、うん。また午後に、よろしくね」
にこやかに送り出してくれる花谷さんに軽く頭を下げてから座席に腰掛けると、差し込んだままのキーを回しどこか抜けるようなエンジン音を確認した。
「津川君。また後でね」
和奏に言われ、そのまま振り返る。
見れば、和奏がこちらに向かって小さく手を振っていた。
しかし、やはり衛太郎は目を合わせない。
「うん。また、後で……」
少しだけ手を上げただけで、逃げるようにアクセルをかけて発進した。
だんだんとシャッターを開いていく商店街に並ぶ店舗を通り過ぎ、湘南の長い坂道を下って行く。
学校に着くまで、あと少し。
(高校生でいられるのも、あと半年もないか……)
不意にそんなことを考えるが、安全運転を第一とする衛太郎はすぐに頭を切り替える。
湘南に来て三年目の朝は、今日も穏やかだった。
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