| 携帯サイト  | 感想  | レビュー  | 縦書きで読む [PDF/明朝]版 / [PDF/ゴシック]版 | 全話表示 | 挿絵表示しない | 誤字脱字報告する | 誤字脱字報告一覧 | 

乱世の確率事象改変

しおりを利用するにはログインしてください。会員登録がまだの場合はこちらから。 ページ下へ移動
 

彼女の家は何処か

 追撃を逃れた先、夜を徹しての行軍にも兵達は愚痴ひとつ零さず、全ての者達が目を爛々と輝かせてついて来てくれていた。
 血に飢えた獣ではなく、誇りを掲げる全ての兵が一騎当千の武人の如し。
 先の戦場を思い出せば私ですら血が滾る。
 身震いを一つして高まった感情を追い払い、各所に救援依頼に向かわせた伝令は行き着いただろうかと先ほどの事を思い出す。
 屈する事をしないと決めたからには最後まで戦い切らなければならない。
 情報では今回の主だった者は総大将である麗羽を筆頭に、軍師郭図、二枚看板である顔良と文醜、星と同等の実力を誇る張コウとのこと。
 大抵の相手との戦であれば敵の総大将を討ち取れば引き返していくモノだが……袁家が相手ではそうも言ってられない。
 奴らの目的はこの幽州の地の掌握であるのだから、どんな事が起ころうともあらゆる理由をこじつけて奪いきるだろう。
 結果として起こるのは顔良と文醜の士気低下ではなく、逆に士気高く捨て身でこちらに向かってくるはず。
 ふいにかつての友の命を奪う算段を立てる自身の心が少しだけ軋む。胸に手を当ててまた一つ覚悟を高める。
 分かっている。これは戦だ。甘えた事は考えるな。私の手で麗羽の命に幕を降ろし、あいつの代わりに腐れた者を出さないようにすべきなんだ。
 それに、もはやこの戦力差では捕えて三人の仲の良さを利用し、離間計を使う事も望みが薄いだろう。私の所に総大将を捕える為に敵本陣に特攻してくれる将が一人しかいないのが悔やまれる。
 先の戦いが一番の好機であったが……さすがに罠と分かっていた時点でそれをさせる訳にはいかなかった。張コウが来るモノとばかり思っていたのも悪かったか。
 冴えた頭で先の戦を思い出す内に一つの懸念が頭を掠め、さらに思考に潜る。
 籠城戦はしてはならない。
 私は忘れていた。秋斗がどの軍師も考えつかなかった攻城戦での有効な策を私達に示した事を。あの策を用いられたら士気は落ちずとも兵の疲れが跳ね上がる。
 あの時は単純に敵の士気低下により決戦を促す事だけに目をつけていたが、今考えると効果が凄まじい。
 睡眠不足による疲労困憊、連続的な戦による思考の束縛や焦燥、周囲の味方への情報遮断、他にももっとあるだろう。
 ならば、これを袁家が使わないはずはない。
 奴らはやはり時機を見計らっていた。思えば糧食の消費は念入りに計算していたから張純がその情報を流せば容易に日にちを推察出来るだろう。
 毒が行き渡る時機と同時に心を揺さぶり、不和の兆しを齎した状態であの攻城戦策を用いて心を叩き潰す。
 確かにそんな状態では、普通の軍ならば脱走や混乱が起こっていた事は予想に難くない。足並みの揃わない軍となって容易に打ち破られていたことだろう。
 だが、敵は見誤ったな。私達の軍は揺るぎなく、一つの想いで繋がっている。たった一人の離脱者も出る事無くここまで来ている。
 しかし……籠城せずに救援を待ち、勝機を得るためにはどうする? どうすればいい?
 ずっと考えるも答えは出ず、そういえば私には頼りになる優秀な臣が居たと考えて、振り向いて星と牡丹の二人に話しかける。
「二人にこれからの戦の事を聞きたい。多分だけど籠城戦はもう出来ない、いや、しちゃダメだと思うんだ」
「どうしてですか?」
 不思議そうに聞き返す牡丹。対して星は疑問に少し眉を寄せたが直ぐに目を見開いた。
「……そうですな。あの状況に似すぎております。牡丹よ、思い出してみろ。洛陽で長い攻城戦を決戦に切り替えさせたのは誰の策であったかをな」
 牡丹は星に説明されて思い出したようで不機嫌に顔を顰め、
「……あのバカの出した策をあいつらが使うなんて……許せません」
 ぼそっと呟いて俯く。その言葉の真意は友の考案した策で追い詰められそうな私を気遣っての事なのか、それとも……どっちもだろう。
「他の策にしろ過去の偉人達が考案したモノだ。なら誰かがそれを使ったとしても何も問題など無いさ」
 軽く言って牡丹を宥めたが、それでもまだ彼女の機嫌は直らなかった。
 いつものようなやり取りをしているのもいいのだが、それでは時間が勿体ないのでもう触れずに一番聞きたい事を聞く事にした。
「えっとな……お前達にも少し考えて欲しい。私達の一番の武器を殺してしまう籠城戦では無く、救援を待ちつつ勝機を見定めるにはどうすればいいかを」
 救援の依頼の為に方々に伝令を走らせては要るが……小隊が着くのに良くて二日。大きな部隊が着くには、どんなに急いでも後五日は必要だ。
 二人はそれぞれ思考に潜るが答えは出そうにないようだった。
 そのまま暗がりの行軍を続ける中、目指している城の影が目に入る。
「まあ、とりあえずあの城に着いてからゆっくり煮詰めようか。腰を据えて考えた方がいい案も浮かぶだろう」
 後ろの部隊の兵達もやはり夜を徹しての行軍に疲れがあるようで城の影を見てほっと息をつく音が複数聞こえた。
 私達の軍が近付くまで到着しても開かない城門を不思議に思ったが、警戒の為だろうと考え、城の前に馬を進めて城門を開けて貰う為に大きな声を張り上げる。
「我らは公孫軍である! この城にてしばしの休息を行いたいので城門を開けてくれ!」
 声に反応して動く影が幾人。直ぐにでも城門が開くだろうと思ったその時――――突如、矢が何本か放たれて私の馬の前方に突き刺さった。
「なっ! 何故だ! 何故私達に矢を放つ!?」
 急いで馬を下がらせ、兵達のどよめきを背に、尚も声を張り上げると、下卑た笑い声が夜の空に響き渡った。
「クカカ! 夜を徹しての無駄な行軍お疲れ様です、公孫伯珪殿! 初めましてになるでしょうねぇ! 我が名は郭図、袁家の筆頭軍師である!」
 名乗りと同時に城壁の上に松明が掲げられ、突き刺さる旗の文字を映し出した。少しの風に翻る旗には郭の字が紅く照らし出されている。
 瞬時にその意味を悟った。この城は奴らの手に落ちたのだ。ここまで考えてのあの策だったんだな、と。
 悔しさに自然と拳が握られ、自身の読みの浅さに激情が胸を焦がす中、郭図はさらに声を上げた。
「ここはもうお前らの持つ城じゃねぇんだ! 無駄な希望を持った事、後悔しながら死んでいきな! 銅鑼を鳴らせ!」
 激しい金属音が響き渡り、左右から雄叫びと共に黒い波が押し寄せてくるのが見えた。
 動揺が兵達を支配しはじめるが、舌打ちを一つ行い頭を切り替えて指示を出し始める。
「ちっ! 全軍、囲まれる前にこの場から離脱する! 北へ駆けるぞ! 星……すまない、また無茶を頼む」
「なんのことはござらん。白馬を守るは我らが務め。趙雲隊! 最後方を守り抜け! なに、この私がいるのだ、臆することは無い!」
 言うが早くそれぞれが全速力で行動を開始したが――――また私達はその数を減らしてしまった。


 †


 公孫軍は逃亡中にさらなる伏兵による奇襲を受ける事となった。
 幸い、数が少なかった為に甚大な被害を受けたわけではなかったが、それでも連続的な戦によって軍の疲労は無視できるものでは無くなった。
 白蓮はさらに本城に近い一つの城にて一時の休息を取ろうとしたが門は固く閉ざされ、開かれる事はなかった。
 その城を任せていたモノは白蓮の城外からの必死の懇願に対して、己が家族を守る為に公孫軍を一時でも受け入れる事は出来ない、反旗を翻す事はこれまでの恩もあるので絶対にしないが静観に伏す事を許して欲しい、と涙ながらに語った。
 僅かな休息で構わない、と必死に説き伏せようとする白蓮であったが、追撃に動いたようで郭図隊が後方に現れたとの斥候の報告によって彼女らはまた戦線を下げて行った。
 一つが続けば二つ三つと同じようなモノが続いていく。中には門を開いてくれるモノもいたが、やはり白蓮達は少しの休息を取るだけですぐに出て行かざるを得なかった。
 白蓮はもはや救援の望みは無いと考え、絶望を噛みしめて本城へと引き返していく。
 対して袁紹軍は本城へ引き返したとの報告が入ると行軍をさらに遅め、ゆっくりと本城への道を進んで行った。
 遅める他なかったのだ。行く先々の街にて憎しみに染まった民や兵達からの暴動が相次ぎ、それを治めるのに余計な時間と兵力が掛かった為に。
 本城への撤退を行い、残しておいた兵も烏丸の防衛に駆り出された事を知った白蓮は思考を重ね、連合時の袁家の策を考えて籠城を選ばずに陣を築いて最後まで戦う事を決める。
 それに対して臣下の文官達は挙って反対の意を唱えた。
 もういい。もう我らは十分戦った。せめてあなただけでも逃げて欲しい、と。
 しかし白蓮にはその時逃げるという選択が出来なかった。もう自分はこの地を死地と決めている、侵略に屈して逃げ出すような者でありたくない、最後まで幽州の公孫賛でいさせてくれ、と。
 文官達は覚悟の籠った瞳に圧されて何も言えず、ただ涙を流しながら沈黙した。出立の前夜、牡丹は文官達から一括りの書簡を渡される。最後の戦に出る前に開き、己が主にあなたから渡して欲しいと言われて。
 追加の兵と合流しながらゆっくりと進む袁紹軍が陣に着くまで後二日と迫った時、兵力の差が大きな事も考えて白蓮は覚悟を決めた。
 全ての兵を集め、翌日の夕方に敵総大将に全兵力を以って三方向から奇襲を仕掛けると伝え、最後の戦を心置きなく過ごせるよう腹を満たせと糧食と酒の多くを兵に与える。
 その夜、白蓮は星と牡丹の二人を自身の天幕に呼び、店長の店から贈られた酒を明くる日の戦に支障を来さぬ程度に飲んでいた。




 小さな酒宴の席を始めてからもうすぐ二刻が経とうとしていた。
 持ってきた酒も後少し。と言っても、初めから大小の二瓶程しかないので酒好きの星を交えて飲んでは酔う事もない。
「すまないな。本当は潰れるくらい呑ませてやりたいけどそうもいかないし」
「クク、酒宴というのは量があればいいというモノでは無いでしょう。それに酔って絡みだす面倒くさいあなたの相手をしなくて良いのも幸いかと」
 いつもの如く私にいじわるを言う星はずっと穏やかな表情で、ここが戦場で明日決死の覚悟で奇襲を仕掛けるのが嘘のよう。
 四角い小さな机で左隣に座る牡丹は杯を合わせてから沈んだ表情のまま軽く受け答えをするだけだった。
「いい加減、そんなに沈んでいてはせっかくの酒も不味くなるぞ牡丹」
 星の不満げな言葉にも少しだけ目線を合わせるだけで彼女は俯く。その肩はわずかに震えていた。
 突然、嗚咽を漏らし始め彼女の目からは涙が零れ出す。
「う……うぅ……私が……私がもっと、ちゃんと交渉出来てたら、こんな無茶な戦に、ならなかったのに……私が張純を止めていたら……」
 ぽつぽつと語り出すのは懺悔の気持ち。牡丹はずっと悔いて自身を責めていたんだ。圧倒的に敗色が濃い戦が目の前に来て、自責の念に耐えきれなくて弱さを零してしまった。
 曹操との交渉も、張純との出来事も、全て自分の責任であると、その気持ちが重く圧し掛かっていたのか。
 自身を責めている様が私と被って見えてしまい、ふっと息を漏らして微笑み、彼女の頭をゆっくりと撫でつける。
「なぁ、牡丹。お前のせいじゃない。これは私のせいなんだよ。この地を治めているのは間違いなく公孫伯珪で、お前の言う事の責を背負うのは私なんだ。だからお前には背負わせてやらない」
 ぼろぼろと涙がさらに零れはじめる。星は目を瞑り私の話に耳を傾けていた。
「お前にはずっと世話になってきた。感謝こそすれ、どうして責められる? 自責に心を沈めるのは分かるが、こんな時だ。私の好きな、元気なお前の明るい笑顔が見たい」
 そんな言葉しか出てこない自分を少し残念に思う。私は秋斗のように泣いてる者に対して上手く語れないようだ。
「ぐすっ……白蓮様ぁ!」
「おっと! ……ふふ、ありがとうな、牡丹。私の代わりに背負おうとしてくれて」
 私なんかの言葉で感極まってくれたのか抱きついて来たので膝の上に乗せてやり、抱き合う形で背中を撫でる。
 その様子を見て星はやれやれと言う様に苦笑し、何故か酒瓶を手に取って耳を当て、
「何々? ほうほう、こう湿っぽい雰囲気の中で飲まれる事は嫌だ、と。ふむ……お目が高い、私に寝酒として飲まれる事こそが本望とそう言うのか」
 おどけた調子で一人芝居を始めてしまった。
「そこまで望まれては致し方ない。白蓮殿、戦の前夜でありますし酒宴の続きは勝ってからゆっくり店長の店で、として頂けるとありがたい」
 言うや私ににやりと笑った星は立ち上がり、すたすたと天幕の入り口まで酒瓶を持って歩いて行き、ピタリと足を止めて、
「……我らが家はどこにあるのでしょうな?」
 背を向けたまま一つの問いかけを放った。何を言っている。答えなんか分かりきってるじゃないか。
「私達が守る幽州の地に」
「……クク、まさしくその通りでしょう。ではおやすみ。……牡丹よ、戦の前に心も体もすっきりとしておけ。白蓮殿も王ならば受け入れてくれるだろうし、暴走せずに落ち着いたままで素直になるがいい」
 ゆっくりと歩みを進めて星は出て行く。牡丹に気を使ったのか。さすがに鈍感な秋斗じゃないからその意味する所は分かる。
 分かったと同時に私の頬が熱くなった。星の奴め、覚えておけよ?
「星の……バカ」
 泣きながら照れるという器用な事をしている牡丹の背を撫でつけ、この後どうしたらいいのかと頭を悩ませながら異様な空気の中で時間は流れて行った。




 一人天幕を出た星は重苦しい気持ちを抱えて、自身の寝台に腰かけていた。
 白蓮と酒宴の約束を取り付けた時、ふいにあの鈍感男の言葉が頭に甦ったから。

『絶対に生き残ってくれ。幽州は、家はそこにあるんだから』

――洛陽での酒宴の夜、彼はそういったのだ。なのに私達は……。
 沈んでいく気持ちを無理やり抑え、思考に潜り始める。
 全ての者が明日の奇襲は望みが薄いどころか絶望的なのは分かりきっている。三人の誰かが欠けるだけという考えですら甘い。
 倍以上どころか今や三倍近い兵に対して籠城も出来ず、方々に放った斥候はほとんどが帰って来ない。救援の手立ても全く無い。
 張コウは彼女達の狙い、袁紹を討ち取る事を必ず阻止するように動くだろう。それに敵はただ時間を浪費するだけでも勝てる。
 普通の戦ならば籠城による兵糧の枯渇を狙えるが、たった一つの裏切りで大きな集積所の全てが看破されているため、米の一粒残さず奪われているだろうからまずありえない。本城での籠城戦もあの洛陽大火がちらついて出来るはずもない。
 命を賭して戦を行う気概は持っている。武人としての矜持であり、乱世で戦い人を救う事を望んだ時に死への恐怖は呑み込んでいる。この命果てようとも守り抜きたいモノが確かにある。
 白蓮もその気持ちが同じである事は星も理解しているし誇らしく思っていた。
 同時に、白蓮が本城に籠ったまま、兵力を少しでも増やしてから籠城するという選択を行わないのは騎馬が潰れる事や一つの策を恐れての事ではない、と星は気付いていた。
 民への被害、兵への莫大な負担を考えて。そんな理由も確かにあるだろう。しかしずっと、最初から白蓮は無意識の内に一つの事を恐れていた。だから本城への帰還だけは頭に浮かばずに苦渋の選択で最後に行った。
 彼女は自分が治めている街を、一から作り上げてきた街を、星や牡丹や秋斗との思い出がたくさん詰まった街を、洛陽のような戦火に沈めたくないのだ。
 幽州全てが彼女の家である事は変わりない。しかしそれでも特別な場所というのは存在する。誰であってもその場所を壊される事は耐えられないモノだろう。戦略的に見てどちらを選んでも絶望が突きつけられていた中での判断の底には、白蓮個人の想いも隠されていた。
 星にとっても、初めて白蓮と出会った場所であり、想い人と出会った場所であり、戦友と出会った場所。行きつけのラーメン屋も、呑んだくれた酒屋も、武を磨いた練兵場も、子供たちとの遊び場も、願いを祈った店長の店も……その場所にあるたった一つのモノ。
 ふいに走馬灯のように楽しく暮らしていた思い出が甦って来て、彼女の頬には気付かぬ内に涙が流れていた。顎に達する前にそれに気付き、そっと手を持って行き涙の雫を指に乗せ、小さく笑う。
「……ふふ、幽州すら守れぬモノが……どうして大陸を救えよう、か」
 いつか彼に話した言葉を繰り返すと、彼女の涙は幾つも自身の揃えた膝に落ちて行く。
「……っ」
 声が漏れそうになるのを口に手を当てて止めると、嗚咽だけが天幕内に響き始める。
 悔しかった。初めての主が追い詰められている事が。守り抜けないかもしれないという事が。
 哀しかった。迷い子のようにふらふらと旅をしてきた自分にとっての大切な地が奪われてしまう、穢されてしまうと思うと。
 そして彼女は初めて現実の予想として襲い来る敗北に恐怖した。自分の死は割り切れていても、大切なモノが消え去る事の恐怖には耐えられなかった。
 洛陽で一人の男が無茶をした時は激情が心を支配した。それは責める相手が他人であったからだ。
 今、彼女が責めているのは自身の無力。誇りに思ってきた自身の存在がちっぽけなモノに思えたから。
 星は孤独の中、先程の白蓮とのやり取りで確かめた事を思い出す。
――我らが家はどこにある。
 はらはらと涙が落ちるのもそのままに、自身の考えを深めて行く。
――私達の家は……ここであると同時に……。
 思考を止めた所で涙をグイと拭い、力無く笑った。
「そうだ。私の、白蓮殿の、牡丹の、秋斗殿の、皆の愛する家は……」

 彼女は初めて自分の掲げる一つの矜持を曲げる事を決心した。


 †


 明くる日、朝の光が目に眩しい時刻のこと。
 公孫賛軍は全ての兵が整列していた。湛えた瞳は力強く、命の篝火を煌々と燃やし、鋭い光には決死の想いが見て取れた。
 腕を組み、厳めしく眉を顰めて全ての兵をぐるりと見渡し、次いで白蓮は表情を崩した。
――皆の想いが伝わってくるようだ。
 自身と同じように守る事に命を賭けてくれる全てに感謝して、一つ目を瞑って自身の想いも確かめ始める――――
「牡丹、昨夜はお楽しみでしたね」
「……星、ちょっと黙っていて下さい。私は白蓮様の凛々しいお姿をこの目に焼き付けるのに忙しいんですそうですこの戦でもそれはもう数多く見て来たし何時如何なる時も美しく凛々しく気高いのは分かりきっている事ですがこの時のこの瞬間の白蓮様は今しか見れないんですならどんな白蓮様も私の脳髄に保存しておかなければいけません後々白蓮様に出会えた事を感謝しその奇跡を噛みしめてみればああもう私はなんて幸せなんでしょうそうです白蓮様がいれば世界が幸せに包まれるのは当たり前の事でしたねそれなら全ての者が白蓮様に跪けばいいんですそうですねそうしましょうそれが一番の方法で「もう! 何も! 喋るな!」あぅ! ありがとうございます!」
――――事など出来はしなかった。
 振り返って怒鳴ると最前列の兵達の苦笑が背中越しに聞こえ、白蓮は恥ずかしさに顔が少し火照った。
――人が感慨に耽っている時にこいつらと来たら。
 白蓮が恨みがましい目でじろりと二人を睨むと、
「クク、よいではないですか。いつも通りの我らのいつも通りの出撃。気負う必要も、特別な事もいりませぬ」
 手で口を塞ぎ続ける牡丹の頭をぐしぐしと撫でた星はにやりと笑う。
「普段通りの、我らの好きな白蓮殿のままでいればよいかと」
「お前は全く……一理あるか。堅苦しくてもいけないな」
 ふっと微笑みと言葉を返して白蓮は前を向く。星なりの心遣いに感謝しながら。しかし後ろで表情の変わった者が一人。少しでも心を緩めたことによって己が意見は通り易くなっただろうとみて星が口を開こうとしたが……突如、牡丹が声を上げる。
「あ! 白蓮様、少しお待ちください!」
 兵に出撃の為に語りを行おうとしたが急な牡丹の声に止められてしまい、白蓮は今度はなんだとため息が漏れる。
 何故か一つの書簡を取り出し、するするとひも解いて牡丹はじっと読み始める。待つこと幾分、彼女は急に目に涙を湛えた。
「白蓮様……これは……この書簡は……街の者からです」
「何だと!?」
 読み終えた牡丹が持っていた書簡を取り上げて、白蓮はそれに目を通した。
 綴られていたのは街の長老の文字であった。

 我らの主は白馬の王ただ一人であり、これは街の者全ての総意である。
 誇り高き我らが王ならば命尽き果てるまで戦うは詮無きこと。
 しかし我らはそれを望まず。命繋ぎてまた主となる事を望む。
 憂慮はいらず、民草が心は手折れる事も無し。
 白馬の王、仁徳の君の元へ駆けるべし。大陸に平穏が作られるその時まで。
 我らが家は白馬の王の御座す場所にこそあり。

 昔、短い間ではあるが店長の店で一人の男が行っていた事はなんであったか。各村の長老を集め、全ての民を繋いでいなかったか。
 それを男がこの地から離れたからといって無くしてしまうのが白蓮だろうか。
 否。努力し、積み上げ、力と為す白蓮は継続を怠る事は無い。積み上げた信頼と絆は民にすら浸透し、やはり影響を与えていた。
 そして今、白蓮はその想いを、全ての想いを受け取ってしまった。
 白蓮は書簡を持ったまま悩みに悩んでいた。自身の誇りも、生き様も、想いも、簡単に投げ捨てられるモノでは無い。だからこそ臣下の言も跳ね除けた。
「……民も、あなたに生きて欲しいと願っているんです! 臣下も、あなたに生きて欲しいと願っていたんです! そして私も……昨日の夜に言った通りです……」
 星は白蓮が手に開いたままの書簡を覗き見て驚愕していたが、気を引き締めて兵達と白蓮の間に膝を付く。
 倣って、牡丹も、牡丹の言葉を聞いた全ての兵も膝を付いた。
「我が主。どうか生き永らえてくださいませ。あなたは民の希望なのです。袁家に大陸を渡す事が義でありましょうか。侵略を行う輩が跋扈する世を抑える為には、あなたのような方が死するは今では無いでしょう? どうか、どうか生き抜いて我らが幽州を確実に取り戻して頂きたい」
 昨夜、彼女は心を固めていた。主の誇りに唾する事を。己が矜持である主への忠を曲げてまで白蓮の生存の為に異を唱える事を決めていた。
 最初から逃走する方が生存率は高い。袁家の斥候の幅は尋常では無い為対応が速く、そして行軍も方々に広がっている為に抜けにくい……というより、それでも足りないかもしれない事を理解してしまっていた。
 彼女の明晰な頭脳は主を生き残らせる為にどうすればいいかを既に弾き出していた。
 敗走という程度では遅い。奇襲による混乱によって大将首を狙うなど、広がった陣形には対して期待が出来ないのだ。ましてや袁家、一部の隊が乱れても物量と斥候による早期予測でなんとかしてくるだろう。その隙に誰が動くか。決まっている。一番厄介な張コウが必ず白蓮を狙いにくる。
 それを止めるのが星自身でも尚遅い。膨大な兵による肉壁による時間稼ぎの後、顔良と文醜の二枚看板にぶつかられてしまうと、血路を開き切る力が白蓮や牡丹には残されるはずもないのだから。例え死兵となった隊の者でも、この疲労困憊の状態では長くは持たないのだから。
「私に……今も侵略者と戦っている者達を見捨てろと、そう言うのか」
 ギリと噛みしめた歯の隙間から引き絞られた言葉に兵も、牡丹も、星もハッと気づいた。
 どこまでも白蓮は仲間思いで、優しい人である事を忘れていた。だが、
「……白蓮様、私達は死んで行ったあいつらになんと答えればいいのですか。今もこの地を守る者になんと言えばいいのですか。あの世で主を、家を守れなかったと懺悔すればいいのですか」
 牡丹の返答に白蓮の顔が苦悶に歪む。
――もうこいつらは梃子でも動かないだろう。
 白蓮も頭では理解しているが、心が未だに拒絶している。堪らず、一人の兵士が声を上げる。
「公孫賛様、俺はこの地を守る為にある部隊から戻ってきた者です」
 その場にいる全ての者が何を語り出しているのかと疑問に思った。何故、この時機でそんな話をするのだろうか、と。しかし続けられた言葉によって全てを理解する事になった。
「その隊の名は劉備義勇軍徐晃隊。公孫賛様もあのお方の想いを知っているはずです。全ての想いを引き連れて、誰もが望んでいた平穏を作り出す為に戦う、と。公孫賛様……今戦っているあいつらのも、俺達のも、全ての想いを平穏な世に連れて行ってください」
 徐公明の隊の者は例え離脱しようともその心を引き継いでいる。彼はそんな一人。己が家を守る事を決して袂を分かった者であった。
 白蓮はその言葉を聞いて、少しだけ笑みが零れた。昨日の星の言葉も、牡丹が語った本心も、長老からの書簡も、兵の言葉にすら一人の影がちらついているのだと気付いて。
――ああ、秋斗。お前は距離が離れていようと、私をこんなにも助けようとしてくれるんだな。
 屈辱に塗れる心も、悔しさにのた打ち回る想いも、彼女を未だに苦しめている。幽州を守ると決め、その為に散って行った兵士達の無念を知っているからこそ、自分だけのうのうと生き残るなどと……責任の糸は彼女を締め付けている。
 それでも、仲間全てから突きつけられた優しい裏切りは彼女の心を挫き、一つの責の糸を解き、新たな責の糸で縛る事によって、
「……お前達の想いは……確かに受け取った……全軍に告ぐ!……っ……私はっ……この、幽州の地を……離れるっ!」
 誇り高き生き様を泥濘の中で足掻こうする生へと変えた。
 兵達は主の苦渋の決断に涙を流す。事実上の敗北宣言。その悔しさから、己が不甲斐無さから、主の心を読み取ってしまったから。
 対して白蓮は悔しさを噛みしめながらも涙を流す事は無かった。彼女はこの先の機会に必ずこの地を取り戻す決意を固めていた。
「しかしだ……この地を守る者も必要だ。兵の三割は国境付近の防衛に向かって貰う。現状、あちらの戦況は一進一退。お前達の救援があれば押し返せるだろう。……すまないが私が帰ってくるまで……代わりに守ってくれ」
 一人、また一人と拳を包み、兵達は白蓮の想いを受け取った。星も、牡丹も同じように拳を包み、主のせめてもの妥協点なのだと理解し異を唱える事は無かった。
「私の決定は以上だ。国境へ向かう兵はそれぞれの部隊から三割ずつ、残りは私と共に徐州へと向かう。後……これだけは心に留めておけ。一人でも多く生き残るんだ」
 続けて指示を出し、全ての兵は主の命に従い動き始める。
 その場に残ったのは三人。風が吹き抜ける中で誰が喋るでもなく佇んでいた。
「……必ず、ここに帰って来よう。大陸に平穏を作り出して私達の安息の地を取り戻そう」
 沈黙を打ち破った白蓮は二人が頷くのを見て振り返り、最後の戦の準備に取り掛かる。
 見送る二人は主の姿が見えなくなってから互いに瞳を合わせた。
「……我らに出来る事をしなければな」
「ええ。分かってると思いますがどんな事が起ころうと足を止めちゃダメです」
「どんな事が起ころうとも、必ず白蓮殿だけは守り抜こう」
 彼女達は微笑み合い、拳を合わせてから己が部隊の準備に取り掛かった。



 †



 今日の行軍が終わろうかという時にその報告は入った。
 公孫賛の軍は西へと迂回、この地から逃走する動きあり。
 まず初めに報せを聞いて驚愕したのは違う陣で待機していた麗羽と郭図の二人。どちらも白蓮が逃げる選択をするとは露にも思っていなかった。
 決死の覚悟を以って最後まで抗い続けるのが彼女の性格のはず。驚愕の先、すぐに指示に移ったのは麗羽であった。
「逃走予測地点の兵との合流、そして三将軍の部隊を散開して向かわせますわ。今のままでは突破されて逃げられる事でしょう。追撃を仕掛け、必ずわたくしの元まで引きずってきなさい!」
 郭図は既に告げられた命に舌打ちを一つ。そして己が兵士にある指示を放った。
「――――って事だ。必ず殺さなければ袁家の未来の障害になるだろう。袁紹様の意思とは反するが、これは上層部の決定でもある。お前ら、やり遂げたら死んでも家族には大きな恩賞をくれてやる」
 命を聞いた兵達はすぐに動き出す。それを見て郭図は面倒くさそうにため息をついた。
「こんなめんどくせぇ事させやがって……大人しく特攻して来いよなぁ」






 どれだけ走っただろうか。どれだけ逃げただろうか。
 幾度の戦闘を繰り返し、幾重もの追撃を跳ね除け、もう既に朝が近い。
 私達の兵は半分にまで減ってしまった。
 しつこく追いすがってくる敵はじわりじわりとこちらの力を削いで来る。休息を行いながらではあるが馬の疲労も多大なるモノで、このままでは全滅も考えられるだろう。
 星への負担が一番酷かった。追撃の度にその武をあらん限り示し、敵の怯えを煽り、私達を守っていたから。
 自身の力の無さが悔やまれる。何故、私には星や秋斗のような力が無いのだ。
 どうすればいい。この連続追撃を確実に逃れるためには……
 牡丹と星の二人も同じことを考えているようで、真剣な表情で悩んでいた。
 もうすぐこの林道での短い休息も追えてまた駆け出さなければいけない。
 私の頭では……全くいい案が思い浮かんで来なかったが、ふいに牡丹が微笑んでこちらを見た。
 何故、お前はそんなに安らかな表情をしている。
 何故、お前を見ているとこんなに、今にも消えてしまいそうだと思うんだ。
 微笑みに疑問が浮かぶも私の口は開かず、代わりに牡丹が言葉を放つ。
「聞いてください白蓮様。このまま一所に纏まったままでの逃走では全滅もあり得るでしょう。星の負担も大きすぎます。昔、あのバカから一つの策を聞いた事があるんです。それを使えば生存率は格段に上がります」
 あいつからの策であるのならば、きっと有用なモノだろう。
 奇抜な発想から来る策はいつも誰かの助けになっているし。
「どんな策なんだ?」
「秋斗の部隊はそれをある程度為す事が出来ると哀しい眼で言ってました。そして、今の私達の軍の兵士でも可能でしょうし、この林道での状況ならより有意義に使えます。その策の名は捨て奸。部隊を囮として分散配置し、本隊を逃がす為に死ぬまで追撃の防御に当てる策です。私達第二師団の命をお使い下さい」
 唖然。私はしばらくその意味を理解出来なかった。
 こいつは今なんて言った?
「クク、秋斗殿はいつもえげつない策を考える事だ。だがな牡丹、その役は私に譲って貰おう」
「いいえ。この策は弓の腕も必要なんです。命中率の高い射撃後の突撃こそがこの策の最大の肝です。我らの馬は他の歩兵に渡せばより速い行軍が可能になるでしょう。張コウが来たとしても容易に抜く事は出来ません。林道に点々と配置する何重もの兵の壁になるので迅速な突破など呂布と呂布隊くらいしか出来ないでしょうね。それに、私が残ればある程度の時間も稼げますし、その後の追撃に対して星がいなければ白蓮様を守るのに不安が残ります」
「しかし――――」
 星と牡丹のやりとりを聞いていて漸く意味する所を理解した。
「ふざけるなよ……そんなトカゲのしっぽを切り捨てるような事が出来るか! せめて一人でも多く生き残らせる事が――――」
 怒鳴る途中で牡丹が私を抱きしめてきて、温もりが伝わり、私の言葉が止まる。
「あなたは優しいです。その優しさは本当に嬉しいのですがもう私達はあなたの為に命を捨てる覚悟は出来ています。命じてください。あなたの為に私の命を捨てろと」
 綺麗な笑顔で哀しい事を告げる牡丹であったが、私の心がそれを拒絶していた。
 いつだったか、ああ、洛陽での戦の時だ。私は桃香に怒ったんだったな。
 そして今の状況は間違いなく自分達が全滅しそうでそれしか手が無い状況だった。
 しかしこんなにも……苦渋の決断を私にしろというのか。
 私を愛してくれるこの大切な者を切り捨てろというのか。
 王としては、決断を下すべきだという事を分かっている。
 戦の経験からも、全滅を避ける事が出来るのはこの策くらいだというのも分かっている。
 牡丹が残ればより確実に将に対して時間稼ぎが出来る事も分かっている。
 それでも私は……

「ダメだ! 今後の為にもお前を失う訳にはいかない! 他にも方法があるはずだ! 認めない、絶対に認めないぞ!」

 牡丹を睨みつけて言い放つと――――私の唇に牡丹の唇が重なった。
 突然の行動に思考が止まり、茫然と少し離れた牡丹を見ると私の好きな元気な笑顔を向けてくれる。

「ふふ、絶対にそう言ってくれると思ってました。でも知ってるでしょう? 私は白蓮様が――――大好きなんですよ。お願いします白蓮様。あなたの命令で、あなたを救わせてください」
 続けて膝を付いて言われて気付いてしまった。
 こいつは私が命じなくてもそれをするだろうと。兵も同じ覚悟を持っているのだから彼らが牡丹を止める事は無い。
 星の方を見ると、苦い顔をしながら目を瞑って耐えていた。牡丹の言う策には今の星よりも適している事を理解しているから、そして何よりも牡丹の心を守りたいが為にだろう。
 もはや私には選択肢が残されていないのだ。
 今、私に出来る事はたった一つだけなのだ。
 涙が零れそうになる。足が震えて膝を付きそうになる。気を抜けば喚き散らしてしまいそうになる。
 でも、それら全てを抑え付けて表情を引き締めて牡丹の方を向く。せめてこいつの好きだと言ってくれた凛々しい私でありたいから。
「我が忠臣関靖とその部隊に告げる。本隊の逃走時間の確保の為に捨て奸の実行を命ず。命を賭して成功させよ」
 御意、の一声の後に牡丹が寄り、耳元で囁いてきた。
「ありがとうございます白蓮様、愛しています」
「生きて私に会いに来い。死ぬなんて絶対に許さないからな」
 無茶な事であるのは分かりきっている事を囁くと、身体を離し、笑顔だけを返して牡丹は星に近付く。
「任せましたよ、星」
「ふふ、お前の帰る家は守り抜くさ。秋斗殿も一緒だからお前にとっても嬉しい事だろう?」
「そうですね。腹立たしい事ですが私はあいつの事も好きなようです。ふふ、その時は覚悟してくださいね」
「欲張りな奴め。ではな牡丹。武運を」
 いつも通りの雰囲気で会話を行う二人であったが、星が後ろを向いてひらひらと手を振った事でそれもすぐに終わる。手を振る片手とは別に、もう一方は震えているのが分かる程に固く拳が握られ、血の雫が滴っていた。
「では白蓮様、行ってまいります」
「ああ、また後でな牡丹」
 私にはもう、そんな言葉を返す事しか出来なかった。
 牡丹は笑顔のまま振りむいて、自身の隊のまとめに向かっていく。
 呼びかけそうになる。声が喉元から舌の上まで上がって来たが、生唾を呑み込んで無理やり言葉ごと飲み下した。
 牡丹の小さな背が見えなくなってから、私は残りの部隊に対して声を上げる。
「全軍、行軍を再会せよ。振り返る事を禁ずる。我らは前だけを向いて進め」
 指示を出している時も、その場から離れていく時も、私の眼からは涙が零れる事は無かった。

 ぽっかりと胸に穴が開いたような感覚の中、私の頭の中では牡丹の笑顔だけがずっと映されていた。







 徐州へ向けての行軍を開始した公孫賛軍は国境付近で一度だけ追撃を受ける事となった。
 顔良と文醜の二人の将が現れたのだが、その意味する所を理解した公孫賛と趙雲の怒りは凄まじく、逆撃によって両将軍の部隊は多大な損害を受けて撤退していった。その報を聞いた袁紹はこれ以上の民の反感と軍の被害を恐れて追撃を中止し、幽州の掌握の為に動き始める。
 心を痛めたまま徐州への歩みを進める公孫賛の軍であったが、白蓮と星の元に一人の兵が追いついてきた。
 白馬義従第二師団の一人であるその兵は張コウに見逃されて一つの届け物を持っていた。
 渡されたモノは白蓮の片腕である牡丹が愛用していた髪留め。それを受け取った白蓮は泣かず、ただ無言で空を見上げ、星は目を瞑り、一雫だけ涙を零した。
 追撃を警戒しながら尚も軍を進めること幾日。彼女達は遂に徐州へ辿り着く事に成功する。
 突如、満身創痍の軍が現れた事に驚いた関所の兵は州牧たる仁徳の君に早馬を送り、劉備は受け入れるとの返答と共に自身が付近の城まで出向いて手厚く労った。
 河北での動乱は公孫賛の敗北で幕を閉じ、袁紹は河北四州の覇者となった。
 幾多の人々の心に傷を残した戦であったが、未だ大陸は野心渦巻く乱世の最中。
 人々は不安に駆られ、兵士は先の戦に恐怖し、為政者達はそれぞれの想いの元に思考を巡らせていく。

 そんな中、一人の男は未だ彼女達の一つの結末を知らず、己が願う平穏の為にと戦い続けていた。

 
 

 
後書き
読んで頂きありがとうございます。

幽州の戦はここで終わりです。
牡丹ちゃんの戦前夜と捨て奸の様子はこの話を含め二万文字強と長くなりすぎるのが予想されたので次の話にします。すみません。
私自身カットしながらなのにここまで長くなるとは思わなかったのですが、
白蓮さんが好きなので書き始めると止まらなかったようです。
白蓮さんが逃走するにあたっての心情をうまく描けていたら幸いです。

牡丹ちゃんについてはオリキャラですが、一人でも好きになってくれる人がいれば嬉しいです。


ではまた 
ページ上へ戻る
ツイートする
 

感想を書く

この話の感想を書きましょう!




 
 
全て感想を見る:感想一覧