科学と魔術の交差
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2章
あの男… エミヤシロウと名乗った男を集中治療室から独房、いや、観察房と名のついた部屋に移してから早くも一月経った。
エミヤは特に行動を起こすこともなく部屋でおとなしくしている。
ドイツ軍は最初こそ奴がスパイではないのかと勘ぐっていたが、質問をする時に脈を測ってはみたものの全く異常はなし。むしろこちらが質問を返されるぐらいだ。
世間知らずのただの阿呆と思えば気が楽かもしれんが、奴はどこまでも得体のしれない奴だった。
ISを知らない。
現在の西暦を知らない。
女尊男卑の今を知らない。
常識の範囲を一部ではあるが奴は知らなかった。
嘘を言っているようには見えない。逆に情報を求めているようにも思えた。
奴の所持品をどんなに調べても、奴が落ちてきたと思われる地点を調べても怪しい点は見つかることはなかった。
どうやってあの高所から無事に着地できたと尋ねてもなんともおかしい。
「少々、身体が丈夫でね」
丈夫で済むならこの世に病院はいらないだろう。
だが事実として奴の身体は鍛え抜かれていた。見たことがないほどに無駄がなく、見たほどがないほどに傷だらけ。
刺し傷、銃痕、抉られたような痕… とてもではないがこいつが現代人だという認識を私はしばらく信じなかった。
時代が違う。生きている時代が中世かとでもいう様な… いや、例え中世の時代にこいつがいたとしても奴は異端だっただろう。
「奴はどうしている」
「はっ。奴は観察房にて本を読んでいます」
「…歴史か?」
「はい。歴史書だけではなく様々なジャンルに手を出して読み漁っています」
最初こそIS関連の本を見ませてくれないかと言っていたが今では新聞や歴史など『今の世界』を調べるかのように一日本を読んでいる。
怪しい。しかし、これ以上は奴の情報がない。エミヤシロウ… 衛宮士郎は日本に存在しない。
奴はいない。世界にいない。いるのは同姓同名の他人の空似。
二か月もすればドイツ軍も奴を警戒こそすれ大きな注意を置くことは無かった。
もう釈放して密入国でもなんでも罪をつけて追い出してしまえば簡単なんだろうが、奴はどんな理由があってもドイツ軍の基地内に侵入している。それがどこからか漏れれば無駄に神経をすり減らさないといけなくなる。それは面倒だと、いまだに保留となっている。
ふむ、ならば私が有効に利用してやろう。
「組み手?」
「そうだ。武術の心得はあるのだろう? ならば付き合え」
最近はラウラ達の相手しかしていない。それも手を抜いてだ。
本気で動いたのはこいつを相手にした二か月前。ドイツに来てからすでに半年は経ているが、これ以上は私の身体が錆びてしまう。
「…私は一応、侵入者なんだが」
「侵入して何か利があったわけでもないだろう。
それに、貴様は国籍不明。どこに行くこともできず、どうすることもできないここのお荷物だ。どうせなら私が有効に利用してやろうというわけだ。
貴様もそろそろ身体を動かしたくて仕方ないだろう」
部屋の中で筋トレのように身体を動かしているのは知っている。
「…私が君を人質に逃げるという可能性は考慮しないのかね」
「そんなことができるなら貴様はすでにここにいないだろうさ」
過大評価出なければこいつは私と同等の実力はある。もしくはそれ以上。
ISを生身で倒せる何かを持っている何かを持っていることは確かだ。それがどんなものにしろ、こいつほど今の私に必要なものはない。
「わかった。引き受けよう」
「よし。ならばついてこい。監視はつくが問題は無いだろう」
「…」
「…」
お互いに袴姿。
動きは無く、お互いを見定めるように自然体。
こいつ… 本当に何者だ。
対峙して改めてわかる威圧感、存在感は普通ではない。
隙がない。迂闊に踏み出せない。私を見定めるその眼がこちらの命を掴んでいるようなそんな錯覚。
しかし、隙がないなら作り出すまでだ。
踏み出し、組にかかる。
その手を奴は払い、こちらはすぐに次の手に移る。
当て身、組、合気。
それらを奴は防ぎきる。なるほど、優れた防御だ。だが、ずっとそれでは…
隙ができる。
が、私はそこに手を出さない。
すぐに手を出してはいけないと、勘に似た何かが警告を発する。
奴の一瞬の驚き、しかし、一瞬だ。叩き伏せるほどのものではない。
五分もすると、息が上がり始めたのは私の方だった。
思った以上にこいつの威圧が精神的に来たということだろうか。まだ余力はあるが、奴はまだまだだろう。
だが、それに油断するがいい。その時が私の勝利に繋がるのだから。
そしてその時が来た。
大きくつきだされた左手。重心が前に出すぎだ。
これに合わせて投げる――――はずだった。
投げの体制に入った身体が固まる。いや、止まる。
この動揺に奴は左手を回し、私の手を掴み投げる。投げられ、体制を崩した時にはすでに関節は極められていた。
「…私の負けか」
「いや、素晴らしい動きだった。油断をすれば負けていたのは私だろう」
大きく息を吐く。
私が思って以上に奴も消耗していたようだった。汗は流れていないが、身体に熱は生まれた。
「まだ続けるか?」
「いや… 私の方が限界だ。傷が痛む」
そんな感じを一切出さずに、壁際にもたれ掛かる。
組み手は日を置いて何度も行われたが、7割負け越していた。
そして、その光景を見つめる瞳があることを私達は見逃してはいなかった。
エミヤシロウの眠る部屋に一つの影が現れる。
暗がりに見える微かな光はナイフ。それを足音、気配を悟られぬように静かにベットに近付く。
ベッドの横に立ち、片手を振りあげ――――下ろした。
「――――!?」
「動くな」
声は―――男のものではなかった。
そして唐突に部屋に明かりが灯される。
「…ラウラ、何をしている」
「…」
ラウラ・ボーデヴィッヒ。
シュヴァルツェ・ハーゼ隊長。
その顔はエミヤシロウに向けて憎悪を向けていた。
尊敬する織斑千冬が負けた。男に… 教官の弟と同じ男に。
泥を塗られた。教官が私を見なくなった。興味の対象がエミヤシロウに向いた。
ラウラの心は全く余裕がないほど、エミヤシロウを排除するということしか考えられなかった。
後のことは考えず、ただこの男を排除することだけ。
その様子に千冬は呆れたように溜息をつく。
「ラウラ、お前…」
その声が耳にはいった。
ようやく、ラウラはナイフを離し、悔し気に俯く。
ラウラは思う。これで私も用無しの道具かと。
「何故気配を部屋の前から消さない」
「…?」
千冬が言った意味を良く理解できなかったのか、珍しく困ったような表情をする。
「殺すまで行かなくとも奇襲をするというのであれば気配はするときに消すのではない。始めた時から消しておくものだ。
わざわざ監視カメラを押さえてまでやったのだ。やるなら徹底的にやれ」
まさかの千冬からの許可にますます意味がわからなくなってきた。
「そうだな。部屋の前からでは意味がない。
加えて、スライド式の扉とはいえ音が出る。奇襲を企てるならもう少し場所を選ぶべきだったな。視界を確保するのなら暗闇に目を慣らすのに時間が短い」
なにもなかったかのようにエミヤシロウが壁際にいた。
ラウラはエミヤシロウが嫌いだが、その顔にはもっと嫌いになるようなニヤニヤとした笑みが貼り付けられていた。
「ベットの中身もよく考えた方がいい。いや、私をどうにかすることで頭がいっぱいだったか。冷静になればベットの中に誰もいないことは訓練中の君であればわかっただろうに。
今度は場所と状況を見定めて奇襲をするといい。成功率が上がる」
今度は襲われた本人が助言。いよいよラウラは本気で困ってきた。
「ラウラ、お前に一つ課題を出してやろう。
これがクリアできれば… そうだな、お前の望むことを私ができる範囲で叶えてやろう。まぁ、できればの話だが」
そう言って千冬は混乱したラウラにさらなる混乱を加える。
「一週間、この間にISと銃以外を使用してエミヤシロウに一本入れろ」
不意打ち、夜討ち、袋叩きなど時間と手段は問わん、と。
ラウラは本気で意味が分からなくなった。
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