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楽しみ

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第二章


第二章

「そや。あれもええ男やったが」
 急に俯いた。
「死んだからなあ」
「戦争ですか」
「あの戦争についてはな。仕方なかった」
 中沢さんはあの戦争については運命だったといったふうに言う。皆が皆戦争を指示してそれに入っていった。そこで今度は太宰治の親が負けるのをわかっていて戦っているのに子供がそれを支持しないではいられないではないか、といったふうの言葉を思い出した。太宰については今も色々言われているが少なくとも卑劣ではなかった。そのことだけはこの言葉からもわかる。
「けれど惜しい男やった」
「そうですか」
「さっきあんたが言うたダイナマイト打線な」
 僕に顔を向けてきた。
「あれももっとよおなってた筈なんや」
「ダイナマイト打線も」
「わからんやろな」
 首を捻って苦笑いを見せてきた。
「あの頃のダイナマイト打線は。戦争が終わってすぐの何も食べ物がない時代やった」
 苦しい時代のことを述べている筈なのにどうしてか言葉は明るかった。
「空きっ腹でここも歩いたんや」
「ここもですか」
「この道をな。周りが空襲で何ものうなってたけれど」
 それを聞いてまたわからなくなった。僕はやはりその時代のことを知らないのだ。今多くの家やビルが建っているここに何もなかったとは。やはり夢のような話だった。
「そこを歩いて阪神の試合見てな」
「ダイナマイト打線が暴れていましたか」
「バース、掛布、岡田」
 優勝した時のクリーンアップだ。三人のことは僕も覚えている。
「凄かった。けどあの頃のダイナマイト打線はもっと迫力があったんや」
「そんなにですか」
「藤村がおった」
 まずはまた彼の名前が出た。
「別当と土井垣も後藤もおった。皆アホ程打ってくれた」
「そうらしいですね」
「カイザー田中の後の土井垣がなあ。ホンマに凄い奴やったんや」
 甲子園が見えてきた。しかし話は続く。
「それからも色々凄い打線は見てきた。バースにしろ」
 僕が知っているのはいてまえ打線やビッグバン打線、ダイハード打線等だ。マシンガン打線も凄いものがあった。まあ何処かの『自称』球界の盟主の『史上』最強打線は看板倒れだったが、あれは『自称』最強打線だったと今では思っている。名前だけだった。監督も口だけだった。
「それでもあれが一番やったな」
「バースよりもですか」
「まだ凄かった」
 そう言うのだ。
「藤村は絵になった。ええ男やったで」
「らしいですね。あの人の背番号は永久欠番ですし」
 背番号一〇は阪神では最初に藤村がつけ、そして最後まで彼がつけていた。他の者がつけたことはない。そうした意味で真の永久欠番であるのだ。
「永久欠番に相応しかったわ」
「ですね」
「まあ永久欠番はな。あの男も凄かった」
「吉田義男ですか」
 牛若丸こと吉田を出した。彼の背番号は二三である。
「守備がな。凄かったんや」
 急に左右に動いてグラブ捌きの動作を見せてきた。
「速かったし華麗でなあ。ええショートやったで」
「何かビデオで見ましたけれど」
「それだけではわからへん」
 こう言われた。
「実際に見いへんとな。わかるもんやあらへん」
「実際に、ですか」
「凄かったんや。あかんと思うボールも普通に捕ってな」
 それが吉田だった。その守備を越える人間は少なくともショートではいないとさえ言われている。小柄だからこそ注目もされた程なのだ。
「さっと捌いて弓矢みたいな送球や」
 投げる動作をしてみせてきた。
「それがよかったんや」
「はあ」
「わからんかな。その守備と打つ時の粘り強さ」
 打撃ではそれで有名だった。とにかく三振が少なかった。
「それがあって最高のショートになってたんや」
「ですか」
「守備や、野球は」
 中沢さんは元に戻って歩きながら言ってきた。
「昔の巨人は王や長嶋の打つのだけやなかった。その守備も凄かったんや」
 こう主張する。
「ピッチャーもよかったしな」
「ですね。別所とか」
「あいつか」
 急に嫌そうな顔になるのはやはり移籍のことだろう。別所は南海にいたのを巨人に引き抜かれたのだ。巨人はこの時から巨人だったのだ。
「あいつもおったし城之内もおったしな。宮田もおった」
 堀内が出ないのは嫌いだからだろう。
「けどピッチャーでは阪神は負けてないで」
「ピッチャーですか」
 実は阪神は伝統的にピッチャー主体のチームであったりする。先程話に出たダイナマイト打線の活躍は案外短くずっとピッチャーが活躍してきたのだ。
「小山な。抜群のコントロールで」
 精密機械と呼ばれていた。それ程までのコントロールだった。
「バッキーも凄かった。ほあ、これでや」
 手の平を僕に見せてきた。パームの握りだ。
「小山もバッキーも投げたな。それで巨人をキリキリ舞いさせとった」
「巨人をですか」
「もう三振の山やった。三振してスゴスゴ引き揚げてく連中を三塁側から野次ってやるんや」
 甲子園では何処もかしこも阪神ファンだ。ここが違うのだ。
「それがえらい楽しい。わかるやろ」
「はい、それは」
 僕も笑顔で頷く。
「わかります」
「今もやしな」
 甲子園名物だ。野次もまた甲子園の華だ。阪神ファンのこの気質は昔からである。かつては球場で暴動すら起こしたことも一度や二度ではない。
「巨人が甲子園で負けるのを見るのは最高や」
「はい」
 僕はまたその言葉に頷いた。
「あれなくして野球やないからな」
「巨人が負けるのが野球ですか」
「やっぱり娯楽やで」
 笑いながらの言葉にまたなっていた。もう甲子園の蔦が見えてきた。
「勧善懲悪でいかなな」
 つまり巨人は東映の時代劇や特撮ものの悪役なのである。そうしたところも実に北朝鮮に似ている。実際にやっていることはそのまま悪代官や悪徳商人、悪の幹部そのままであろう。
 
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