渦巻く滄海 紅き空 【上】
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十七 駆け引き
里内でも辺鄙な場所にある一軒の宿屋。
その一室の中央には燭台がひとつ、ぽつんと置かれている。燭台上でちらちらと燃える灯火は、薄暗い部屋全体を照らすには些か心許無い。それでもぼんやり畳に落とすのは部屋に居座る人影ふたつ。
ふっと、炎が揺らめく。
部屋の片隅で、片膝立てて瞳を閉じていた者が薄く目を開いた。
独特の模様が施された格子窓。その窓の隙間から、そよ風が吹き抜ける。質素にも程がある無愛想な室内を、月の斜光が冴え冴えと彩った。
隙間風と共に小柄な影がするりと滑り込んで来たのだ。わざと気配を露にしているその存在に、部屋にいた者は双方共に気を緩める。
「―――首尾は?」
「誰に物言ってんだ?」
訪問者のだしぬけな発言に臆する事もなく、部屋の片隅で座っていた者が逆に問い返す。
唐突な問い掛けを即カブトの件だと察し、再不斬はにやりと口角を吊り上げた。
一方訪問者の姿を瞳に映した途端、顔を綻ばせる白。喜びを露に話し掛けるその様は、会うのを心待ちにしていたと言外に匂わせている。
「中忍試験はもうよろしいのですか?」
「ああ」
窓枠に腰を下ろしながら、後ろ手で窓を閉めたナルトが白の言葉に頷く。ふと窓の外に目をやった再不斬に、彼は「気にするな」と身振りで示した。
依然として外を気にする白の隣にて、再不斬がふんと鼻を鳴らす。何の気もなしに手を懐にやった彼は、はたと思い当った。
「―――ああ、忘れるところだったぜ。ミズキがお前にだとよ」
今思い出した風情で懐から取り出したモノをピッと指で弾く。鋭い刃の如く空を切るそれを、造作も無くナルトは受け取った。
「そんな紙切れ、何の役に立つんだか…。白紙じゃねえか。なんも書いてねぇ」
再不斬の言う通りミズキが渡してきたそれは白紙であった。何か書いてあるならともかく、真っ白な一枚の紙切れなど話にならない。
普通ならば再不斬のように気にもかけないその紙を、ナルトは暫し興味深そうに眺めた。そして指先でくるりと紙を回したかと思うと、おもむろに口を開く。
「これはただの紙じゃない―――チャクラ紙だな。再不斬のチャクラ性質は水、だったか」
「それがどうし……ああ。そういう事か」
普通の紙ではなく、チャクラに反応する材質で作られた感応紙。チャクラを流し込む事で自身の性質変化を知り得るその特殊な紙は、水の性質に当て嵌まる再不斬がチャクラを流せば濡れる仕組みになっている。
「チャクラの性質変化による水で濡らす事で、書いた字が浮かび上がるってカラクリか…。あん?」
「どうしたんですか?」
ナルトから受け取った紙にチャクラを流した再不斬が怪訝な顔をする。白の問い掛けにも答えず、彼は訝しげに濡れた紙をぴらぴらと振った。
「どう見たってこりゃあ遺書だぜ。どこの誰かは知らねえが…。ミズキの野郎、ナルトなら解るなんてホラ吹きやがって…」
ナルトの読み通り濡らす事で文字が浮き出たには浮き出たが、どうにも妙な文章がつらつらと並んでいるのだ。どう見ても死後のために書き残したと思われる文面である。
再びナルトに紙を投げ返した再不斬が腕を組む。既に興味を失ったらしい彼をよそに、紙の一面にざっと目を通したナルトが不敵な笑みを浮かべた。
「ふぅん…?なるほどね…」
「解んのか?」
どこか含みのある言葉を発したナルトに再不斬が訊く。だがナルトは涼しい顔で「何れ解るよ」と一言口にした。
「チッ、お前はいつもそれだ」
不貞腐れつつも馴れた様子で、再不斬はどっかりと胡坐をかく。彼とは対照的に整然と正座していた白が「ところであのミズキって人、放っておいても大丈夫なんですか?」と眉根を寄せてナルトに尋ねた。
「僕はあの人、いまいち信用出来ないのですが…」
「ま、どっちみちミズキの野郎の面(つら)なんざ二度と見たくねえけどな」
ミズキに対する白・再不斬の散々な言い草に苦笑しつつ、ナルトは意味深な言葉を呟く。
「そうだね。彼の顔はもう二度と見れないだろうな」
「どういう意味ですか?」
すぐさま白が問うが、またしても「それも後(のち)に解るよ」とだけナルトは返した。
「けっ!またかよ」
そう吐き捨てた再不斬がとうとう畳の上に寝そべる。その様子を気にも留めず、ナルトは白に紙を手渡した。
「白。この紙、渇いたら白紙に戻る仕掛けだから、氷遁で凍らせてくれる?その後、巻物の中に丁重に保管しといて」
「わかりました」
風と水、二つの性質変化を持つ白が、快く了承する。血継限界の能力を宿す故、氷遁を扱える彼は欣然として紙に術を施した。君麻呂同様彼もまた、ナルトの期待に応える事が至上の喜びなのだ。本人達は心底否定するだろうが、似た者同士である。
凍った紙を巻物に収納している白を目の端で捉えながら、再不斬はナルトに本題を切り出した。
「―――で?窓の外で隠れてるガキ共は一体なんなんだ?」
畳の上で寝ながらも、再不斬は外部の者目掛けて器用に殺気を放つ。殺気に中てられ、外にいる者がビクリと身を強張らせる気配がした。
「そう苛めないでやってくれ。俺が連れて来たんだ」
「ナルト君が…?」
先程からずっと外を気に掛けていた白が眉を顰める。懐疑的な態度を崩さない二人に気を使いながらも、ナルトは窓を開けた。
「待たせてすまない。入ってくれ」
ナルトに促され、おずおずと彼らは部屋に足を踏み入れる。
身構える再不斬と白の視線の先には、音忍として中忍試験を受けていたドス・キヌタとキン・ツチの姿があった。
長く続く回廊。
赤い円柱が立ち並び、二重彫りになった天蓋には点々と燈籠が吊るされている。燈籠の照明が、がらんとした板の間にうっすらと朱色の陰影を落とした。
社の如し神聖さを漂わせるその列柱廊は、唐紅一色に染められている。梁までもが赤く彩られ、柱の影がいくつも細長く伸びていた。
その内の一本の柱に、すらりとした体躯を寄り掛からせていた男が、かさついた唇をぺろりと舐める。
「……なにか御用かしら?」
肩越しに振り返った彼の瞳に映るのは、赤の調和を織り成す内装。吹き放ちとした柱廊の周囲には、擬宝珠勾欄が設けられている。匂欄の柱頭に縁取られた宝珠が月光に注がれ、艶やかな光沢を放った。
だがそれ以上に光彩を放つのは、勾欄に腰掛けている人物の髪の色。
一瞬射し込む月明かり。月光を浴び、月以上に輝く黄金の髪。光を背にしながら勾欄に鎮座している者の表情は、逆光でよく窺えない。
「気づいていたのか」
「よく言うわ。わざと気配を漏らしていた癖に…」
コツ、と柔らかな足音が床板を踏み鳴らす。
突如として現れ、空々しい言葉を述べるナルトに、大蛇丸は片眉を上げてみせた。
「ドスとキンは俺の許にいる」
勾欄から降りて早々、ナルトは本題に入る。彼の思いもよらない一言に一瞬言葉を失った大蛇丸は、内心の動揺を押し殺し、辛くも返答を返した。
「……あら。あの子達、貴方のとこにいたの?迷惑かけたわね」
「いいや?それよりお前が釘を刺さなかったおかげで、カブトがうちはサスケを殺そうとしたぞ」
ちょっとした世間話をするかのようにナルトは淡々と言葉を続ける。しかしながらその淡白な会話には、ドスとキンに用があるなら自分を通せという言外の意味が込められている。
彼らの捜索を打ち止めざるを得なくなったと大蛇丸は瞬時に悟った。その一方で、大蛇丸の動きをたった一言で抑制したナルトは、何事も無かったかのように泰然と構えている。
部屋の奥で焚いているお香の芳しい香りが、大蛇丸の鼻腔を擽った。真鍮の金具をあしらっている香炉から立ち上る甘い香り。自身が愛好しているその馥郁たる香気を深く吸い込んで、彼はようやく平静を取り戻す。
そして話の主導権を握ろうと、改めて大蛇丸はナルトの様子をじっと窺った。
「それを知ってるって事は…貴方が事前に止めてくれたってことかしら?」
どのようにして話を己が有利な方向へ誘導しようかと思考を巡らしながら、大蛇丸は偽りの笑顔を顔に貼り付ける。虎視耽々と機会を狙っている彼の心情を察して、ナルトは謎めいた微笑を口許に湛えた。
「余計なお世話だったか?うちはサスケに死なれるとお前が困るんじゃないかと思ったが…」
ナルトと目が合う。底知れぬ青い瞳が大蛇丸を静かに射抜いた。
瞬間、ぞっとしたナニカが大蛇丸の全身を駆け巡る。
変に落ちつき払い静かに笑むその様からは、子どもには到底持ち得ない大才を秘めていた。姿形こそあどけないものの、その根底には凄みすら感じ取れる。
息が、出来ない。酸素を求めて天井を仰ぐが、あるのは室内一杯に芬々と広がる香気のみ。自分が好む名香のはずなのに、その芳烈にかえって噎せ返りそうになる。
堪らず柱に身を委ね、大蛇丸はナルトから目を背けた。
これ以上踏み込んではいけない。真意を探ろうと瞳を覗き込めば、逆にこちらがあの青に引き摺りこまれる。
混乱した大蛇丸の脳裏に、取り留めの無い考えが次々と浮かび上がった。だが直後ハッと正気に返った彼は、気を持ち直そうと頭を振る。
(私としたことが……)
ほんの僅かでも気を緩めれば、ナルトという存在に魅入られる。あの人智の及ばぬところまで沈んでいる滄海の如し瞳に惹きつけられるのだ。
数秒目を合わせただけでこれだ。やはり欲しい。傍で一生仕えてもらいたい。そして出来る事ならば器に…。
熱に浮かされたかのような目つきで、大蛇丸は再度ナルトを見る。だがナルトはもう、大蛇丸と目を合わせようとはしなかった。
「……ええ。その通りよ。ナルトくんには感謝するわ」
もう一度彼の瞳の青を見たくて、大蛇丸は愛想笑いを浮かべる。彼の熱っぽく舐めるような視線にナルトは気づかないふりをした。
「ドスとキンの事なら心配するな――――ああ。それと暫く君麻呂を借りたいのだが?」
またしても重大な事柄をさらっと付け加えるナルト。彼の附言を聞き流しそうになって、大蛇丸は思わず口を尖らせた。
「…どういう事?」
「なに、ちょっとした散歩さ。すぐ戻る」
素知らぬ顔で言葉を返すナルトを、大蛇丸は凝視する。そして中忍の忍びでも耐え切れないであろう殺気をわざとチラつかせて、彼は尋ねた。
「散歩の付き添いに、わざわざ君麻呂を連れて行くって事かしら?」
「君麻呂の病気を抑える薬を作れるのは今のところ俺だけだ。俺が彼の傍にいたほうが都合がいいと思うが?それに君麻呂はまだ、器候補から外れてないんだろ。今動かなくなると不味いんじゃないのか?」
下忍ならば確実に気絶してしまう程の威圧感を物ともせず、それどころか大蛇丸の反論を許さないとばかりの一言一句がナルトの口を衝いて出る。更に彼の言葉には一切の濁りがない。
口を挟む暇さえ無かった大蛇丸は、押し黙る他なかった。
閉ざされた窓から月明かりだけが仄かに射し込む。
窓を背に二つ、その二つと向き合うように二つ…、そして一つ。合計五つの人影が格子窓にぼんやり映っている。
窓側にいるドスとキン。彼らを目に捉えた途端、すぐさま距離を取った再不斬と白。特に白はナルトを庇うかのような位置にて、二人を警戒している。
「どういう事か、説明はあるんだろうな?ナルト」
「ちょっと再不斬と白に鍛えてもらおうと思って」
再不斬に詰問されたにも拘らず、要点だけを口にするナルト。それでは要領を得ないだろうと思うドスとキンの懸念は、しかしながら杞憂に終わった。
「ハッ!また拾ってきやがったな。その拾い癖、なんとかしろよ」
ナルトの読めない行動にいい加減馴れているかのような言葉を発し、再不斬は呆れ果てたとばかりに肩を竦めた。その一方でナルトの身を案じているのか、白は疑惑の目でドス達を睨んでいる。
未だ己の傍から離れない白を、ナルトはドスとキンに紹介した。同様に紹介されても、ぞんざいな受け答えをしていた再不斬が横目でナルトを見遣る。
「で?さっきありえない事聞いた気がするんだが、気のせいか?このガキ共を鍛えろだと?」
「聞こえてるじゃないか」
「はぐらかすのは止めろ。使えるかどうかの前に信用出来るかが問題だろ」
「そ、そうですよ!!素性も解らない者をナルト君の傍に近づけるわけにはいきません!!」
読めない笑みを浮かべるナルトを胡散臭げに見る再不斬と、あくまでもナルトを気遣う白。
埒が明かない三人の口論に終止符を打ったのは、議論対象の一人であるドスの一言だった。
「確かにそう簡単に信じてはいただけないでしょうね。なんせ僕達は大蛇丸様――いや、大蛇丸の部下だったんだから」
「ド、ドス!!」
素直に以前自らが仕えていた相手の名を露見するドスに、キンが慌てて口を挟む。だがそれより早く白が動いた。
人体の急所を寸分違わず狙い、白はドスに千本を投擲する。咄嗟にキンが白と同じく千本を投げ打った。互いの千本が空中にて搗ち合う。
「なッ、なにすんのよ!?このクソ女!!」
両手に千本を構え、キンが怒鳴った。彼女の怒号に含まれた一つの単語に、白はぴくりと反応する。
「僕は男ですよ…」
全身に威圧感を滲ませた白が、小さく、しかし鋭い声で囁く。
彼の言葉を耳にして、ドスは思わず目を見開いた。同様に驚愕したキンだが、彼女はすぐ気を取り直して猶も言い募る。
「ハッ!男の癖に女みたいな顔だな」
実際のところ、キンは綺麗な顔をしている白に嫉妬していた。男だと知って益々妬み、わざと皮肉を言い放ったのだ。
彼女の言い草がカチンときたのか、白が無言で一歩前に進み出た。
その場に立ち込める険悪な空気。
それを物ともせず、再不斬は愉快げにくくっと低く笑った。不遜な振舞いをする再不斬と悠然と構えるナルトを交互に見遣りながら、ドスがはらはらと固唾を呑む。再不斬とドスの態度が真逆であるのに対し、白とキンの表情は疑似していた。
ドスの視線の先にいるのは、相手の鼻に噛みつかんとばかりにいがみ合う二人の姿。
重く気まずい沈黙が暫し続く。だがその静寂を意図も簡単に破ったのは、他でもないナルトだった。目線で火花を散らす二人を、いつもの穏やかな表情で彼は仲介する。
「白。キンも千本を使うんだよ。だから色々手解きしてやってくれないか」
「しかし、あの大蛇丸の部下なんですよ!?」
戸惑って瞳を瞬かせた白が、ナルトに対して珍しく声を荒げた。だが彼は白を安心させるような笑みを浮かべ、ぽつりと、しかしきっぱりと「今は違うよ」と否定する。
「やけに断言するが、根拠はあるんだろうな?」
白とキンの争いを人事のように眺めていた再不斬が聞き質す。彼の質問に、ナルトはすっと目を細めた。
「もし大蛇丸と未だ繋がっているならば、この宿をすぐさま密告するんじゃないか?時間はたっぷりあったんだから」
「窓の外でわざわざ待機させていたのはそれを確かめるためか。相変わらず食えない野郎だ」
ナルトと再不斬のやり取り。特にナルトの発言に、キンは一瞬ショックを受けたような表情を浮かべる。反してドスは至極当然といった顔をした。
「もっともな判断ですね。それぐらいは誰だって試すでしょう」
「なるほど?自分の立場をよく理解してるじゃねえか、ガキ」
「ドス・キヌタです」
内心怯みながらも自身の名をドスは堂々と主張する。少々生意気な態度にも見える彼を、いい度胸だ、と再不斬は笑った。
「ドスか…。なかなか気に入ったぜ。ビシバシ鍛えてやるから覚悟しな」
「再不斬さんッ!!」
咎めるように申し立てる白を片手であしらって、ドスの鍛錬を引き受ける再不斬。彼の様子から一先ず胸を撫で下ろしたナルトが、今度は白と目を合わせる。青い瞳に見つめられた白は一瞬言葉に詰まった。
「で、ですが…。大蛇丸が黙ってはいないでしょう…!?」
目を泳がせつつも白はなかなか引き下がらない。
異常なまでに彼はナルトに傾倒している。依存と言っても過言ではない。要するに不穏分子をなるべくナルトに近づけたくないというのが白の本心である。
故に同族嫌悪からか、同じくナルトを心酔する君麻呂と犬猿の仲なのだ。
長年のつき合いから白の心情を把握した再不斬が深々と嘆息を漏らす。そしていい加減不毛な反論を聞くに忍びないと思ったのか、不意に声を上げた。
「どうせ抜け目のないお前の事だ。手は打ってあるんだろ?」
問いというより確認の言葉を再不斬はナルトに投げ掛ける。蝋燭の仄かな薄明かりによって、ナルトの顔がぼんやり浮かびあがった。
その横顔をじっと見つめていた白が観念したかのように頭を垂れる。結局彼は昔から、ナルトに頼まれては嫌とは言えないのだ。
「わかりました…。ですが、もしナルト君を裏切るような素振りを少しでもしたら――」
いっそ純粋なほどの殺気を纏い、白は鋭い視線でドスとキンを見据える。射抜くかのような彼の眼光に一瞬面食らった当人達だが、すぐさま口を一文字に結ぶと白を真正面から見つめ返した。
「―――僕が、貴方がたを殺します」
「望むところだよ……」
まじりけの無い正真正銘の殺意。特に白とキンは視線を激しくぶつからせる。彼らが互いに敵意を抱いているのは明白である。
顕著な敵対に、先が思いやられるとナルトは頭を抱えた。憐れみの目で見てくる再不斬に向かって、彼は額を押さえながら再度頼み込む。
「とにかく。ドスとキンのこと、よろしく頼むよ」
「…こいつらのお守だけで終わるなんて御免だぜ?」
横目で再不斬がナルトの様子をさり気なく窺った。明らかに何か期待している風情を彼から感じ取ったナルトは、困ったように目尻を下げる。
「悪いけど用事があってね。それが終わるまでは、四人で、ここで待機していてほしいんだが…」
『四人』を強調して言うナルトに眉を顰めつつも、白がすぐさま申し出た。
「用事、ですか…。何かお手伝い出来るならば――」
「いや、二人の手を煩わせるほどのものじゃないよ。それに、用事と言ってもちょっとした野暮用だから」
何一つ変わらぬ表情で、ナルトは白の申し出をやんわりと断る。だが彼のあっさりすぎる受け答えに、白と再不斬はほんの僅かな違和感を感じた。彼らの何か言いたげな表情を正確に読み取って、やはり、と感じ入ったかのような風情をナルトが珍しく顔に出す。
「俺の仕事はここまでかな?――――詳細は、本人が散歩から帰って来たら聞いてくれ」
「え?」
「おい、まさか…」
あまりにも不可解な発言をナルトが言い放つのと、白と再不斬が身を乗り出すのは同時だった。捉えどころの無い笑みを浮かべたまま、ぽんっという軽快な音と共に彼は掻き消える。
もくもくと上がる白煙。本人ではなく影分身であった事実に、再不斬は思わず悪態を吐いた。
「影分身かよッ!本人寄越せってんだ!!」
「ナルト君もお忙しい身なんですよ…」
同様に一瞬渋い顔をした白だったが、彼はすぐナルトを庇うような口調で再不斬を宥める。その一方では、ドスとキンが未だ呆然と立ちつくしていた。
蝋燭の蝋がぼとりと溶ける。
燭台から棚引く細い煙がナルトの術の名残である白煙と雑じり合い、天井へと高く立ち上っていった。
星空を覆う厚い雲。月をも隠す叢雲が小夜嵐に吹かれ、速く速く流れてゆく。
風は雲だけではなく、回廊をも吹き抜けた。その嵐の如し強風で、燈籠の灯火全てがふっと消え入る。
完全な闇。赤の調和を織り成していた内装が一瞬で闇黒に塗り潰される。幽暗に閉ざされた唐紅の回廊。
つつ闇の世界で、今まで黙していた大蛇丸がぽつりと呟く。
「……一つ、方法があるわ」
「へえ。どんな?」
唐突な相手の発言に、幾分かおどけた笑いをナルトは返した。
雲の合間から月光が漏れる。月明かりに照らされながら、大蛇丸は妖しい微笑を浮かべた。
「貴方を、散歩に行かせないようにするのよ」
刹那、回廊に並ぶ柱の影から幾人もの忍びが姿を現す。叢雲が再び月を隠したために闇と化したその場で、音忍達にナルトは取り囲まれた。黒を身に纏っている忍び達の中で、彼の見事な金髪が妙に浮いている。
「俺一人に大層な事だな」
四方八方から飛び出してきた大蛇丸の部下達を見ても、ナルトは自若として顔色も変えない。それどころか悠々と音忍の数を数え始める。その様は、まるで彼らが潜んでいたのを最初から知っていたかのような風情であった。
危機的状況に陥っても相変わらず綽然たる態度を崩さないナルト。
そんな彼をうっとりと眺めながら、大蛇丸は甘い毒を孕んだような声で告げた。
「貴方相手じゃ、まだ足りないくらいよ」
「買い被り過ぎだ。なぜなら俺は――――」
突如として、雲が完全に途切れた。あれだけ空一面を覆っていた叢雲が、今は一つたりとも見当たらない。
天高く煌々と輝く月の光が、ナルトの全身を鮮やかに浮かび上がらせた。
「影分身、だからな」
そう言うなり、月光を背負う人物が忽然と消え失せる。
雲が散り、霧が消えていくように跡形も無く。
月明かりに照らされた回廊には、静謐と微かに棚引く白煙だけが残された。
大蛇丸は勿論、彼の周囲を取り囲んでいた音忍達が皆呆気にとられた顔をする。逸早く我に返った大蛇丸が肩を震わせた。
怒りによるものかと部下達が彼の様子を恐々と窺う。しかしながら大蛇丸は、おかしくてならぬとばかりにくつくつと喉を震わせ、先程までナルトが立っていた場所を驚嘆の眼差しで見つめていた。
「流石だわ…ッ!!私の行動を読んだ上での影分身…。完全にしてやられたわね…!」
「す、すぐに追手を差し向けます!!」
「無駄よ。影分身でさえあれだけ優秀なのよ?追い駆けたところで返り討ちに遭うだけ…。それに、おそらく彼本人は既に里から遠く離れた場所にいるわ…。意味無いわよ」
部下の進言を適当に却下して、大蛇丸は空を仰ぐ。夜空にて浮かぶ、冷たく澄んだ月を見る彼の瞳には憧憬の色があった。
真円を描いた月は、今や雲一つ無い空で煌々とした輝きを放っている。闇によく映える、近くて遠い存在。
黄金色に輝く月を掴むように手を伸ばす。空を切って握られた拳を見上げながら、大蛇丸は口角を吊り上げた。
「ナルトくん…。やっぱり私は君が欲しい……」
暁光の空に鳥の囀りが吸い込まれてゆく。火影岩の上で座っていた彼は、東から昇る朝日に目を細めた。
「こんな所でグズグズしてていいのかよ?大蛇丸様に見つかったら…」
彼の背後に近寄った多由也がそっと囁く。気配を消しての接近だったが、ナルトは事も無げに返事を返した。
「おそらく里外にいると思っているよ。まさかまだ里内にいるとは考えてもないんじゃないかな?」
昨晩同時刻に派遣しておいた影分身ニ体。その内の一人が白・再不斬とドス・キンを引き合わせ、片一方が大蛇丸と対面した。彼らが体験した記憶と自身が昨夜収集した情報を照らし合せる。
大蛇丸の考えに反し、影分身の術者であるナルト本人は未だ木ノ葉の里に滞在していたのだ。
「…テメエの度胸には恐れ入るぜ」
大蛇丸の裏を読むナルトの優れた見識に、多由也は感心を通り越した、どこか呆れ返った表情を浮かべる。逆に感服の嘆息を漏らすのは、ナルトの後方で控えていた君麻呂だった。
「―――ところで、なんでウチはついて行っちゃ駄目なんだよ!?」
いっそ暢気にも見えるナルトの態度に流されそうになって、多由也は慌てて眉を吊り上げる。怒っているのだが、実際のところ彼女は拗ねていた。
「多由也は木ノ葉崩しのための布石を担ってるだろう?【四紫炎陣】を張るタイミングを三人と合わせる訓練をしないといけないんじゃないのか?」
ナルトに正論を返されたものの、むっつりと唇を尖らせる多由也。彼女の不機嫌をひしひしと感じたナルトが微苦笑を浮かべる。
「木ノ葉崩しまでには戻って来るから」
子どもを諭すかのような物言いが気に食わなかったのか、多由也はわざと昂然たる態度をとった。
「…一ヶ月もかかるなんて甘いぜ。二週間でケリつけろよ」
彼女の辛辣な言い草に、ナルトではなく君麻呂が即座に反応する。
「多由也!!ナルト様に対してそんな口の利き方…ッ!!」
「うっせ~な。君麻呂には言ってねえだろ…。大体テメエはナルトと同行するんだろうが…。―――で、どうなんだ?」
君麻呂を恨みがましく見遣った後、多由也はナルトの顔を覗き込んだ。それはやや押しの強すぎる、だが反論を許さない口調であった。
君麻呂には、今の多由也の心情が手に取るようによくわかる。彼とてナルトが白と共に任務へ赴く度に、苛立ちを募らせていたのだから。
だからと言ってナルトに挑発的な態度をとるのはいただけないと、君麻呂は苦々しげに多由也を睨みつける。対してナルトは多由也の挑発にわざと乗り、「わかったよ」と答えた。
ちらりと中忍第二試験の舞台であった『死の森』がある方向へ目を向ける。そして多由也と顔を合わせ、ナルトはしっかりと言い切ってみせた。
「十日で片付けてくる」
一先ず満足げな顔つきをした多由也と別れた後、ようやく木ノ葉の里を出たナルトと君麻呂。
高まる高揚感を抑え、君麻呂はやっとのことでナルトに「どちらへ行かれるんですか?」と問い掛けた。ナルトと同行出来ると舞い上がってしまい、今の今まで行き先すら聞いていなかったのだ。
里外へと続く道。目的地までの最短経路を頭の中で割り出しながら、ナルトは君麻呂に目を向ける。
旭光を仰ぎつつ、彼は率直に一言返した。
「神農に会いに行く」
後書き
白・再不斬の場面と大蛇丸の場面が同時進行で行われるので、今回読みにくいかもしれません。ごめんなさい。
そして次回から映画ネタ入ります。しかも疾風伝のほうです。
外伝ではなく本編に関係あるので、すみませんがお付き合い願います!!
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