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Cross Ballade

作者:SPIRIT
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第2部:学祭1日目
  第10話『岐路』

「なあ! ムギに何があったんだよ!!」
 世界を壁にぶつけて、律は問い詰めた。
 根負けしたような表情で、世界は口を開き始めた。
「実は……ムギさんが桂さんに、何かしようとしてるみたいなんです……」
「え……?」
 皆、唖然。
 言葉の体が凍る。世界は続ける。
「一応まだ計画の段階。それにあの人が言い出したことではなくて、どうも……七海に何かされたらしくて……」
「甘露寺さん……?」
 言葉が顔をしかめる。実を言うとある程度予想はついていた。
「知り合いか?」
「はい。中学生からの同級生でしたけど、そのころから意地悪でした……」
 澪の問いかけに、言葉は低い声で答える。
「私も」唯は世界に、「以前貴方とマコちゃんが付き合ってた時、マコちゃんにもう付きまとうなって、あの人に言われたことがあった」
「……」
 世界は唯を見て、やや後ろめたげな表情になる。話を続ける。
「それに……秋山さんもターゲットになってるらしくて……」
 凍りつく放課後ティータイム一同。
「え……」
「やっぱり」律の表情が険しくなる。「たぶん、澪が桂をかばっていることがばれたんだな」
「……」
 図星かもしれない。澪は声も出せない。
 誠は何も答えないまま、世界の瞳を見る。
 彼女は、思わず目をそらした。
 ガララ、ガチャッ。
 玄関の鍵が解除される音。
「あ、とりあえず母さんが帰ってきたみたいだから、ちょっと行くよ」
 声だけかけて誠は、玄関の方へ急いだ。


 黒い、重いドアが開く音。
 玄関にいたのは、案の定、母。
 母に連れ添っている男の顔を見て、急に誠の背に、寒気が走った。
 肩までかかる長髪、筋骨隆々。
 だがその目は、どす黒く濁っているように見えた。
 沢越止であった。
「親父……?」
「久しぶりだな」
 ニヤッと気味の悪い笑顔を、父は浮かべる。横で母は、後ろめたい顔つき。
「何だよその目は」止はすぐに気分を悪くして、「いたるを連れ戻したら、すぐ帰るからさ」
「マコちゃーん、どしたのー」
 廊下から、唯の声。
「あ、唯ちゃん、ちょっと……」
 誠が止めるのも聞かず、唯は彼の隣に来てしまう。
「……」
 止の目が、かすかに唯に向く。
「君、なかなかかわいいじゃんか」
 思わぬ止の声。
「え……」
 戸惑う唯の前に、
「萌子なんかより、ずっと……」
 止は、両手を広げて急に近寄って、唯に触れようとした。

 ばっ!!
 誠が止の手を払いのけ、仁王立ちになって、彼女を守るように立ちはだかる。
「何のつもりだ……?」
「こっちのセリフだ」
 睨みあう、親子の目と目。
「……あんたのすることはよくわかってる……。また同じことをするつもりか……」
「うるさいな……」
 詰る誠と、はぐらかす止。
 しばらく、沈黙。
 その中で誠の母は、息子の目の変わりようを冷徹に見ていた。
(あの子……)
「唯、どうした!?」
 律・澪・世界・言葉・憂・いたるが玄関にやってきた。
「! おとーさん……!!」
 いたるの顔が、恐怖と嫌悪の表情に変わった。
「いたる、迎えに来てやったぞ」
 いやがるいたるの手をぐいと引っ張り、止は自分の隣に引き寄せる。
「いたる……」
 思わず誠は、いたるを気にして唯から離れてしまう。
 唯はふと、慣れない感触にぞくっとなった。
「あ……」
 止の手が、唯の太ももをさすっている。
「く、貴方……!!」
 憂が出るより早く、誠が止の手を弾き飛ばす。
「手を出すんじゃないよ……!!」
 彼の声は、自分でも信じられないぐらい、荒い。
 鋭い目から出る威圧が周りに広がる……。
 逃げ出そうとする澪を、律は驚愕と焦燥の表情のまま抑えた。
 止は、誠の手を乱暴に払いのけ、
「いつまでそんなことを言ってられるかな?」
 嫌がるいたるの手を引いて、さっさと踵を返す。
 一瞬、その濁った目が、ちらりと唯を見た。
 それを感じ取り、誠は唯を守るように、さらに体を密着させる。
 それに気づいたときには、唯の鼓動はトクトクと速くなっていた。
 さりげなく、彼の腕に自分の腕を回す。
 ぬくもりが自分に、伝わってくる。
 それに気を取られ、言葉の嫉妬でいっぱいの眼光も、世界の悲しげな表情にも、気づかなかった。
 もちろん、「おにーちゃんと、はなれたくないー!」という、いたるの泣き声にも。


 皆皆気を取り直し、明かりがぼんやりとともるリビングで、手前勝手に座る。
「何、あの人……?」つややかな檜のテーブルに座った唯は、さっぱり状況が分からない。「マコちゃんの知り合い……?」
「沢越止。私の元夫」
 唯の斜向かいに座った誠の母は、冷めた声でため息をついた。
「止……?」
 ソファーに座った世界がふと、思案顔になる。
「おばさんの旦那さんってことは……」
「伊藤の親父さんか……」
「はい……」唯の隣にいる誠の表情は、暗い。「でも浮気症で、しかもやたら外で子供を作ることに熱心で……。ほとんどごろつき同然ですよ」
 ぎろっとソファーから、梓の冷たい視線。
 二股も三股もかけたあんたが言うな、という目つきである。
「私も口説かれて、ついつい結婚しちゃったけど……あんな人とは思わなかった」
 乾いた目で、天井を見上げる母。
「まあよ」立っている律が間に入り、「唯を変な目で見てやがったけど、唯がひとりっきりじゃなくて良かったぜ。持つべきものはダチだよな」
「自分で言うか」隣で澪は呆れて、「まあ、とりあえず良かったですよ」
「そうね。不快な思いをさせて、ごめんなさいね」
 誠の母は、落ち着いた声で言う。
「そう言えば貴方達は、どうしてうちに来たの?」
「「あの「ですね」、実はこの憂「さん」が……」」
 言葉と唯の声が重なった。
 誠はそれを抑えて、端的にこう答える。
「今日の学祭の時、いろいろあって、桜ケ丘軽音部の人たちと仲良くなってね、皆で食事を取ろうということになったんだ」
「そうなの」母は半信半疑の状態になりつつも、唯の方を向いて、「ああ、貴方が誠の言ってた、平沢さんね」
「え……? なんで分かるんですか……?」
「驚かなくてもいいじゃない。ぽーっとしてる感じで分かるわよ。成程、誠が特別な思いを抱いてるというわけね」
「い、いや、そういうわけじゃないよ、母さん……」
 顔を赤らめて誤魔化す誠。
「ただの友達です」
 ぶっきらぼうに答える言葉。
 2人を見て、母はくすくすと笑った。
 すると誠の携帯から、音のしない振動。
「ちょっと電話みたいなんで、行ってきますね」
「あ、ちょっと……」
 自分の部屋に行く誠を、澪は気になるといった表情で、見ていた。


 小ぢんまりとしているが、整理整頓されている自分の部屋。
 青いベッドに座り、誠は携帯の通話ボタンを押す。
「はい、伊藤ですけど」
「あ、誠。俺だ。泰介だ!! 実は大変なんだよ!!」
 親友の、いつものハイテンションな声である。
「……大変って何だ? ガチャガチャでベジータのフィギュアが当たったなんて言わせないぞ」
「馬鹿、ドラゴンボールの話じゃない!! まあ、うちにハチャメチャが押し寄せてきてるのは確かなんだけど」
「それはこっちもだよ。大体お前はたいていのことにはHEAD-CHA-LAって言ってなかったか?」
「それがそうはいかんのよ。実は放課後ティータイムのさわ子先生を、うちに連れてきてしまったんだ!!」
「ええっ!?」思わず面喰ってしまった。「ど、どうして……?」
「さあ……」電話の奥の声が、自信なさげになる。「喫茶店の掃除を終えて廊下に出たら、さわちゃんがふらふらしながらやってきたんだよ。なんだか服が乱れてたから、アレの後なんだとは思うけれど」
「……なるほど」誠は苦笑いしながら、「見事、弱みに付け込んでお持ち帰り、といったところか。でもよかったじゃねえか。大好きなさわちゃんを手に入れることができてさ」
「よくねえよ……。今は姉ちゃんに取られて、どうする事も出来ねえし」
「シスコンだしなお前は。ドジータのフィギュアも、全部取られてもどうすることもできなかったって言ってたしな」
 冗談半分に言って、自分の気持ちを和ませる。
「冷やかすなよお……」
「あははは……」
「まあ、さわちゃんの奴、『止さん、よすぎる』って呟いてばっかりなんだけどよ……」
 穏やかになりかけた誠だったが、『止さん』と聞いて、急に背筋に悪寒が走った。
 右こぶしに、力が入り、ガタガタ震えだしていく……。
「そう言えば誠、お前の親父の名前も『止』なんだっけ。
止って、俺が赤ん坊の時に家にいた父ちゃんの名前だって、姉ちゃんから聞かされたことがあるんだけど、これって偶然かなあ」
 泰介の言葉も、全く耳に入らず、
「悪い……泰介……ちょっと気分が悪くなったんで……切るな……」
「ちょっと待て! 質問に答え……!!」
 一方的に切断ボタンを押した。
 上がっていく息と、湧き上がる怒り……。
 どうすることもできない。
「親父の野郎おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!!」
どおおおんっ!!
 力任せに、壁を叩いた。
 それでもムシャクシャが収まらず、また拳に力を入れると、びりっと壁が破れる。
「親父め……俺はあんたとは違う……唯ちゃんはあんたなんかに渡さない……」
 震える声で……。
 外に、聞いている人間がいるとも知らぬまま……。


「伊藤……」
 澪は、誠の部屋の茶色いドアの前で、耳をそばだてて聞いていた。
 いつもの彼女なら、怖がって逃げだすはずなのだが、なぜか恐怖はなく、代わりに悲しさと重い気持ちでいっぱいになっていた。
「秋山さん」
 言葉が、そばに来る。
「桂……。伊藤、つらそうだなと思って……どうも沢越止が、何かしたらしいんだ」
「そうですか……。私も誠君に、家族のことについて聞いたことがありましたけど、お父さんのことは、話したくなさそうでした。
その理由が、分かる気がします」誠の部屋のドアを見ながら、言葉は言う。「秋山さん達で、平沢さんを守ってやったらどうですか? 交代で平沢さんの家にいて、様子を見るとか」
 何だか他人事のようなアドバイス。まあ桂は、彼とのデートがあるから、しょうがないか。
「文字通り隔離ということか……。だけど明日は学祭最終日だし、唯は伊藤が好きだしな。本人が納得するといいんだけど」
 むすっとなった言葉。澪の中に焦りが広がる。
「……誠君の彼女は、私です」低い声で言葉は答え、「まあ、今夜は誠くんちに泊るつもりですよ。2人きりになったところで……」
 急に顔を赤らめた。
「……いや、その先は話さなくていいから。察しはつくし」澪も頬を染めて、「そのまま、外に出ないほうがいいかもしれないな。甘露寺達も狙ってるって話だしな……」
「もちろん、そのつもりです。平沢さんだって近づけたくないですし」
 急に言葉は、ニッコリした。
 澪は、その顔をみて、さらに気持ちが重くなり、唯のことを思い浮かべながら、
「少なくとも、伊藤がどちらを選んでも、あいつの気持ちを大事にしてくれ。
あいつが親父のことで、どれだけ苦しんでいるかも、分かってくれ……」


「止は浮気性なうえに、相手を妊娠させることに異様な執着を抱いているから……」
 皆、どん引き。
 母もさすがに、顔を赤らめているようだ。
「オイオイ、んなヤリチンに、あんたもなぜ引っかかったんすかねえ」
 腕枕をしながら、律は呆れた表情で問いかける。
 母は苦笑いしながら、
「誰にでもあるでしょう? 不良が雨の中子犬を拾ってるのを見て、惹かれるパターンは」
「私も……小さいころあった気がする」
 唯は、思わず遠い目をしてしまう。
「おいおい……唯まで同調すんなよ。まあプロセスはおいといて、私たちが唯を守るつもりだからさ。警察(サツ)にも言っておこうかねえ」
「……無理」きっぱりとした母の答え。「あの男には、警察にコネがあるし」
「うわっちゃー……」
 こめかみを押さえながら、ぼやく律。
「まさか……!」
 小声だが世界の声がしたので、唯はちらりと見る。
 世界は、何かを思い出したらしく、目をぐっと見開いていた。
「……西園寺さん……?」
 唯は、気になった。


 目薬をさして平静を装い、誠は唯達を送ることにした。
 食事を終えて、放課後ティータイムと憂・世界は、外の入口近くまで行く。
 誠と母、それに言葉と心が、それを見送る形である。
「ほんと、ご馳走様でした」
 澪が誠に、声をかけた。
「いやいや……不快な思いをさせて、申し訳なかったです……」
 誠はにこっと笑う。
「ううん、こちらこそ、憂にまでご馳走してくれて、ありがとう。ほら、憂も頭下げて」
 包丁はユニパックに入れたまま、唯が回収し、持ち帰ることにしていた。
 憂は姉の隣で、頭を下げさせられ、
「……ゴチソウサマデシタ……」
 多少棒読みに、言う。
「心こもってないなあ」
 ごねる唯の携帯から、メールの着信音が流れる。メッセージを見てみる。
「唯ちゃん?」
「お父さんからだよ。『今日は早めに帰るから、ご飯一緒に食べよう』だって」
「唯の両親は、ラブラブ夫婦だもんな」
 律の話を聞いて、胸がチクリと痛んだが、誠は、
「いいお父さんだね」
 と、無理に笑顔を作る。
「普通だよ」
 唯はにっこりと答え、父親にメールをする。
 部長の律が前に進み出て、
「唯のことは気にすんな。あたしらであの止って野郎から、唯を守るからさ。それと、澪、桂」
「ん?」「はい?」
「お前達はずっと家にいたほうがいいかもしれない。すでに甘露寺たちから目えつけられてるみてえだし」
「ごめんなさい……」
 冷静な表情の律の隣で、世界は頭を下げた。
「私は嫌です!」言葉は首を横に振り、「私は……誠君と一緒に、いたいですから!」
「言葉……」
 唯と世界の目の前で、誠の腕に抱きつく。
「ちょ……桂さん……!」
 不快に言う唯だが、何故か世界は無言で、目をそむけている。
「マコちゃんっ!」
 唯は耐え切れず、誠の目を見据えて、大声を上げた。
「……唯ちゃん……」
「私、やっぱりマコちゃんのこと、好きだから!
憂のしたことも含めて、マコちゃんに償いをしたいの……!!」
 心の底から、絞り出すように言っていた。
 誠は、哀しげな微笑みを浮かべ、
「償いたいのは、俺の方だよ。
親父のしようとしていることも含めて」
 言葉の抱きついていない側の手を、差し伸べる。
 唯はそれを、包み込むように両手で握った。
 その中で、不安な表情の澪と、不満げな言葉を察知し、律はきょろきょろと目玉を動かす。
「ん? 西園寺、怒らないの?」
 腕枕をしている律が、世界に問う。
「……田井中さんも、言ってたじゃないですか。望み薄だって」世界の憮然とした声。背を向ける。「私、少し街をぶらついてから帰ります」
「世界……」
 誠は不安と疑問に満ちた表情。
「……もう、桂さんでも平沢さんでも誰でもいいけど、楽しんできなさいね……」
 憮然とした顔、憮然とした声で、世界は誠に声をかけると、そのまま速足で去って行った。
 …………。
 皆、沈黙。
「世界……どうしたんだ……」
「つーかね」律がお手上げのポーズで、「なーんでお前ら、そんなに伊藤にこだわるんだよ」
「私は……」言葉は、「誠君がいないと、またひとりぼっちになってしまうんです」
「はー?」
「私、ずっとクラスで、友達いなくて、いじめられてるというか……孤立してて……」
 言葉は続ける。
「でも、誠君に会えて……はじめて……1人じゃないって、こんなにいいことなんだって、嬉しいことなんだって、教えてもらえた気がするんです」
「1人、か……」
 つぶやく澪。
「誠君といると、ドキドキするんですけど……それだけじゃなくて、嬉しいというか……温かい気持ちになるんです。
もし、誠君に嫌われたりしたら……また、元のさびしい私に戻っちゃう。ううん、もっとですよね」
「……」
 皆、視線を言葉に集中させる。
「2人でいることの楽しさを知っちゃったから、もし1人になったら、きっと……もっとつらいです。
つらくて、きっと死んじゃうかもしれないです……。
私にとって、誠君は自分の命と同じくらい大切な存在です……」
「言葉……」
 複雑な思いで、誠は言葉のうつむいた視線を見る。
「私は……いや、私達は、桂の友達だよ」
 澪が、不安と微笑みが半々の表情で、でも言葉の目をまっすぐ見て、答えた。
「秋山さん……」
「唯だって、伊藤のことで妥協できないだけで、貴方に悪い感情を持ってるわけじゃないし」
「……」
「でなければあの時、貴方のために泣くことはなかっただろう」
「……」
 唯も、思い出していた。
 あの時、本当に桂さんを案じていたと。
 屋上で、桂さんが澪ちゃんの隣で、元気そうでいた時は、本当にうれしかったと。
 思わず涙ぐみ、この人の豊満な胸の中で泣いていたこと……。
「ま、そう言うことにしとくわ」
「私も、貴方のことが嫌いなわけじゃないし」
 律があきらめたような口調で、梓がため息をつきながら、澪に同調する。
「貴方には、どうしてもあきらめられないワケがあるのですか、平沢さん?」
「……」
 言葉に問われても、唯は反論できなかった。
 確かに、自分にはそれほど、背負い込んでいるものなんて、ないんだ。
「桂さん……」唯はひきつった笑いを彼女に向け、「それなら、あまりマコちゃんにべたつくのもよくないんじゃない? マコちゃん嫌がると思うし……」
「それはこちらのセリフです」
 そっけない答え。引き寄せた腕も、放そうとしない。
 唯の胸が、誠の心が、痛くなる。
「ほら、唯先輩、行きますよ!!」
「あ……。じゃあお休み、マコちゃん。」
 梓に腕を引っ張られ、唯は誠と別れた。
「おやすみなさい」
 彼は笑顔で、答える。
 澪が彼を、心配げな目で見ていることに、唯は一瞬、感づいた。
 そして、自分に向けられた、誠の複雑な視線も。


 唯達が去って、マンションは静かになる。
 虫の音が、聞こえ始めた。
「誠君……。今日は誠君のおうちに泊まっていいですか?」
「え……無断外泊はまずくないか?」
「大丈夫です。お父さんもお母さんも仕事でいないし、このまま明日も、ずーっと誠君と一緒に過ごしたいですから。学祭はさぼっても大丈夫でしょう」
「……そうなるか……」
 泰介に怒られそうなんだが。
 ともあれ、正直、言葉と一緒に昼まで寝過ごすのも悪くないかもしれない。
 その時、アメ車のように大きい、黒いベンツの車が、誠のマンションの前で停車する。
「うわっちゃー……うちの車だ……」
 言葉の隣で、心が頭をかきながら苦笑い。
「何でここが分かったんだろう……」
「実はお父さんに、今日は誠くんちで食事を取るって言ってたんだよね……。お父さんもお母さんも、今日は仕事で帰れないって言ってたけど、まさか早く終わるなんて……」
 残念な表情の心。言葉もがっかりした表情である。
 彼は、無言でいた。
 言葉も、唯ちゃんも、危機に陥っている。
 なのに自分は……何もできずにいる。
「しょうがないですね。明日早く起きて、学祭に行くことにします。本当はずっと誠君と一緒に過ごしたいんですけど。8時に校庭で、待っていますね」
 なんとなく、言葉との約束を守れるかわからなくて、誠は、
「……行けたらね……約束はできないけど……」
とだけ、答えた。
「誠君……」疑心的な、心の目。「もしかして、平沢さんって人に未練がある? お姉ちゃん、こんなに一生懸命なのに」
「それは、その……」
 答えられない。
「ま、あんな妹さんがいるから、愛想尽かしてるよね。それにお姉ちゃん、平沢さんと今のうちに差をつけたいと言ってたし」
「ちょ……心……!!」
 歯に衣着せぬ心を、言葉はリンゴのような顔で叱る。
「もう少し、考えてみるから、じゃ、おやすみ」
「おやすみなさい……」
 言葉と心は、笑顔で挨拶をして帰っていく。
 約束は出来ないというのは、本当である。
 唯のことも、気になっているから。
「あ……」後ろ姿の言葉に、彼は声をかけた。「もしつらくなったら、秋山さんに相談した方がいいと思うよ」
「え……?」
 振り向いた彼女の表情は、怪訝。
「屋上に行った時、秋山さんと言葉、とってもいい雰囲気だったしさ」
 にっこりと、誠は懸命に笑顔を作った。
 が、なぜか言葉の表情が、曇り……そのまま背を向けて、歩きだした。
「やはり、容赦しないほうがいいわね……」
 言葉の呟きは、彼には聞こえなかった。


「あ! 財布落としちゃった」
 原巳浜駅の階段で、唯はあわてて引き返す。
「馬鹿! なにやってんだよ!!」
「もうすぐ次の電車来るぞ!!」
 文句を言う律と澪を無視しながら、唯は階段を駆け降りて改札口へ向かう。
 3つの自動改札の右隣に、白い改札窓があり、そこで1人の少女が駅員に、何かを手渡している。
 唯はその少女に、目が止った。
「西園寺さん……あ!」
 世界の手元にあるのは、まぎれもなく自分の財布。
「ちょっとそれ、私の財布!!」唯は改札口まで走って行って「ごめんなさい! その財布私のです!! ありがとうございます!!」
 笑って駅員から、財布を受け取った。
「よかった」世界は安堵の表情。「ほんとに……いい笑顔してますね……平沢さん」
「ほんと! ダブルでありがとう!!」
 唯の頬は、さらに緩んだ。
 それを見た世界の顔が、急に沈む。
「今まで、気づかなかったなんて……私って、ばかよね」
「え……」
 唯は、わけがわからない。
 世界はうつむき、静かな口調で話し始めた。
「誠のことが好きで、誠と他の女の子が付き合うのを横目で見ながら、歯がゆい思いして、挙句内緒で手を出した。
貴方は、私と同じだったのに……」
「西園寺さん……」
「なのに、貴方と誠が浮気してると思いこんで、貴方をあいつに近づけないようにして、あいつの気持ちを踏みにじって……」
 ぶつぶつと呟きながら、彼女は顔を上げる。
 涙がにじんでいた。
「おねがい、誠のそばにいてやってください……」
「え、でも……」唯は、戸惑った。「貴方だって、マコちゃんのことが好きなんでしょ。
それに、そんなことをしたら、桂さんが……」
「そうだよ。私も、まだあいつをあきらめてない……」
「だったら!」
「でも……あいつのことを嫌いって言っちゃったし……もう無理だと思う……。
だから、代わりに貴方が願いをかなえてほしい! 桂さんに勝ってほしいんです!!」
「西園寺……さん……」
「今、誠はつらい思いをしてるの……。
貴方の笑顔が、一番いい薬だと思う。
貴方がそばにいて、笑ってくれれば、いつでも一緒に笑えると思う。
そして、その笑顔を見られたら……きっと私も、笑えるかな、と思って……」
「……」
「約束……してくれますか……?」
「……うん……」
 誠に近づける嬉しさと、後ろめたさを半々に持つ形で、唯は、答えた。
「じゃあね」
 世界はぼそりと言って、唯と別れる。
 唯も急いでプラットホームへ戻ろうとすると、そばに 
 

 
後書き
てなわけで、誰も待っていないけれど、誠の父・沢越止の登場回です。
沢越止はSchoolDaysのキャラではないけど、姉妹作の『Summer ラディッシュへようこそ』『Summerバケーションへようこそ』の主人公です。
裕福な医師の家の実家に生まれ、海の家のオーナーになります。
が、性格は悪く、女を軽く見る上に性欲が強く、相手を妊娠させることに異様な執着を抱いていたため、ラストで去勢されるそうな。
この物語の最大の敵役にしてジョーカー的存在の登場で、誠の決断と唯との恋愛に次なる展開が待っています。
というわけで学祭1日目終了、2日目の始まりです。 
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