誰が為に球は飛ぶ
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焦がれる夏
弐拾四 揺さぶり
第二十四話
苦しい時に発揮される力こそが真価だぞ。
父さんがよく、僕にそう言っていたような気がする。
別に、野球の事を言ってたんじゃないというのは分かってる。父さんは一度も野球の試合を見に来てくれた事はないし、多分ルールもよく分かってなかったし。もっと大きな意味で、人生の全ての場面に適用するように、父さんはそう僕に言っていたのだと思う。
まだ17歳の僕は、この言葉を、野球というスポーツの中で実感するしかない。
ーーーーーーーーーーーーーー
「カン!」
鋭い地を這うようなゴロが飛ぶ。
内野安打を防ぐ為浅めに守っていた青葉の横っ飛びも届かず、打球は外野まで転がっていく。
一死から、6番の大多和がセンター前へ。
6回の裏、これで武蔵野も3イニング続けてランナーを出す。ジワジワと攻め立てる。
真司はマウンドで大きく息をついた。
大チャンスを逃した後の守り。
ここで取られるのは痛い。
(武蔵野は足を使った攻めも仕掛けてくる。そろそろ何かありそうだね……)
打席に七番の柳井を迎え、薫は武蔵野ベンチの時田の様子に目をやる。柳井は背番号12の控え捕手だが、打撃を買われて外野でのスタメンが続いている。今日もポテンヒットを打っていた。打順は下位。思い切った攻めをしてきてもおかしくはない。
慎重に牽制も交えながら、様子を見るような配球が続く。柳井はバントの構えから二球見送った。二つとも外に外れ、カウント2-0となる。
「荒れてきたー!」
「ボール先行だぞぉー!」
ベンチの選手の声を聞いて、時田はフッと笑った。
(いや、碇はここまで四死球殆どなし。ストライクくらい、いつでもとれる制球力があるから、ボール先行の配球だってできるんだ。)
サインを出し終えた時田は、ネクストに居る8番打者の大西を呼んだ。
「大西、この回に回ってきたら、すまんが代打を出す。回ってこなきゃそのままだ。」
「ハイ!」
大西に代わって、前の回の途中から素振りを続けていた選手がネクストに向かう。
薫はその一連の様子を見ていた。
(次のバッターに代打を出すのに、リスキーな攻めをするかな?チャンスで代打を送りたいはず…)
薫はここで一つストライクをとる事にした。
そのサインに、真司は頷く。
セットポジションに入り、一塁ランナーにジーッと視線をやり、そして投げた。
一塁ランナーの大多和が、瞬間、二塁に向かってスタートを切る。
(走ってきた!)
薫は不意をつかれる。
腰を浮かせて二塁への送球に備える。
打者の柳井はバントの構えから、スイングの構え。そして、バットを振る。
バスターエンドランだ。
「キン!」
ストライクを取りにきた外の真っ直ぐを柳井は狙い打つ。鋭い当たりがファースト多摩の正面に飛び、多摩はその打球を大きく弾く。
弾いた打球は幸いにも、セカンド健介の方へ転がる。
(まだ間に合う!)
健介は一塁側へダッシュしてその打球を拾い、一塁に強くトスした。
柳井がヘッドスライディングを敢行するが、間一髪のタイミングで、審判の手が上がる。
「サード、サード!!」
一塁はアウトになるが、サードの敬太が大声でボールを呼んでいた。スタートを切っていた一塁ランナー大多和が打球の処理の間に、三塁にまで走っていた。多摩は三塁に送球するが、大多和の足は速い。悠々セーフとなる。
相手を揺さぶるような攻めに、武蔵野の応援席が湧き上がる。「これが武蔵野野球だぁ!」と叫ぶOBの声も聞こえる。二死になったが、三塁にランナーを背負う。ミスをしたら即一点。ゴロを叩いてくる武蔵野打線相手に、ランナー三塁の状況は大きくプレッシャーがかかる。
「真司、すまん」
ネルフの内野陣が、マウンドに集まる。打球を弾いたファーストの多摩が真司に謝った。作戦を読み切れなかった薫も唇を噛み締めている。
「いえ、しっかり一つアウトとれましたし、まだ点は入ってませんよ。落ち着いて、次のバッターをしっかり討ち取りましょう。」
真司はあくまでも泰然自若としていた。
その中性的な顔には笑みも見える。
「そうだな。打順は下位だし、普通に打っても打てないから、こんな細かい作戦を仕掛けてきたんだ。これに動揺したら、相手の思うつぼだよ。」
健介がメガネ越しに武蔵野ベンチを睨む。
「みんな、大丈夫だよ。とにかく次の一つアウトをとる事に集中しよう!」
最後に真司が締めて、ネルフ内野陣がそれぞれのポジションに散った。
<8番センター大西君に代わりまして、ピンチヒッター、坂垣くん。バッターは、坂垣くん。>
アナウンスと共に、代打の2年生・坂垣が打席に入った。大会序盤は5番を打っていた打者である。スタメン落ちしているとはいえ、侮れない。
「「打て打て打て打て さっかがき!
かっとばっせかっとばっせ さっかがき!」」
武蔵野応援団が「コンバットマーチ」に揺れる。追加点の期待が膨らむ。
「「がんばれがんばれネルフ!
がんばれがんばれ碇!!」」
ネルフ応援団から、ピンチを迎える守備陣にエールが送られる。
マウンドで、真司はまた大きく息をついた。
セットポジションから、初球を投げ込む。
坂垣は初球から打ってでた。
ボールは手元でストンと落ちる。
バットが空を切った。
(……ランナー三塁で、何のためらいもなくスプリッターなんて投げてきやがるかよ)
空振りした坂垣は、このピンチにきても穏やかな表情を崩さない真司を睨む。
二球目も何とスプリッター。今度は坂垣、何とかついていきファールにする。
(スプリッターを連投してきたか。ワイルドピッチを全く怖がる様子が無いな。)
武蔵野ベンチの時田も、真司に対して憎らしげな視線を送る。奇襲を仕掛けても、真司には動じる様子が見られない。
このピンチ、追い込んでからもネルフバッテリーは慎重に攻める。二球ボール球を挟んで、坂垣の目先を逸らす。
(初球から投げてくるくらいだ、碇の中でこの球は相当信頼度が高いはずだ)
坂垣の狙いはスプリッター。狙っていれば、当たらない変化の球ではない。打つ自信があった。
セットポジションに入った真司は、フォームを始動しながらゆっくり息を吸う。ステップアウトと同時に、一気に吐き出す。
「ふっ!」
集中を込めて投げ込んだ真っ直ぐは、坂垣の懐近くに鋭く飛び込んだ。バットの根っこに球は食い込み、そして真司の下へコロコロと帰ってくる。
どん詰まりのピッチャーゴロを悠々と捌き、真司はこのピンチを切り抜けた。
「ナイピッチ!」
「結局俺らんトコへ打たさなかったな!」
「くぅー憎いねェーー!」
ネルフナインの快哉に、真司は笑顔で応える。
(真っ直ぐかよ……)
坂垣は天を仰いだ。
緻密な制球と多彩な球種を持っていながら、最後に選んだのはストレート。
バットをかわすのではなく、バットを押し込んだ。強気だった。
ーーーーーーーーーーーーー
「真司が頑張ってる。守備もよく粘ってる。攻撃もチャンスは作ってるんだ。あと一押し、気持ちで押していくぞ!チャンスでは初球からがっつけ!結果恐れず真っ直ぐを上から叩くんだ!」
「「「オウ!」」」
攻撃前の円陣で、日向が檄を飛ばす。
試合は終盤に入る。
ビハインドは僅か一点。
その一点を守り抜いてきている武蔵野のエース・小暮。ネルフナインの前に大きく立ちはだかる。打倒・小暮に、ネルフナインは気合いを入れた。
ーーーーーーーーーーーー
<7回の表、ネルフ学園の攻撃は、6番キャッチャー渚君>
この回の先頭は薫。6番打者ながら、打撃センスは5番の藤次より高い。ムラはあるものの、期待できる打者だ。
(何とか追いつきたいね。ここで追いつければ、流れはこちらに来る。)
この回から武蔵野守備陣のシートが変わり、レフトの柳井とライトの大野に守備固めの選手が送られていた。スタメンは全員背番号二桁だったが、今外野を守っているのは背番号通りの外野手だ。この交代を、薫は武蔵野が守りに入ったと見た。
(守りに入って、身を屈めるほど……揺さぶりには弱い!)
初球、薫はスイングするかに見せかけ、バットを横に倒した。
セーフティバント。
キン!
まるでソフトボールのスラップのようなタイミングでバットを出し、一塁へ走りながらバットに当てた。少し強めの打球だが、三塁側に転がる。
サードの大多和が前進してゴロをすくい上げ、一塁へワンステップ踏んで投げた。
薫は頭から滑り込む。
「セーーーフ!」
審判の手は横に広がる。
薫がユニフォームの裾で、真っ白な顔に付いた土を拭いながら立ち上がった。
薫のバントヒットで、3イニング続けての先頭打者出塁となる。
「薫がヘッドスライディング……」
「初めて見た……」
武蔵野サイドだけでなく、ネルフベンチもびっくりのセーフティバント。
薫は涼しい顔で微笑んでいた。
(少し打球は強かったけど、送球の強さを見る限りランニングスローはしなかったようだね。リスキーな打球処理を避けたんだ。)
日向のサインを見て、薫はリードをとる。
いつもより一歩分、その幅を広げた。
広めのリードを見て、小暮が執拗に牽制球を投げる。薫は頭から一塁に戻り、しかしそのリードの幅を狭める気はない。
(相手が受け身になってる分、こちらは強気に、思い切って!)
やっと小暮が打者に向かって投げる。
小暮の球の軌道はストライクゾーンの高さ。
薫はスタートを切った。
キン!
7番の多摩がバントする。
打球はやや強めだが、ゴロを拾った小暮は2塁を諦め、一塁に送った。
一死二塁。またチャンスができあがる。
(ずっとこのパターン…バントで塁を進めてくる正攻法だが、今度はランナーが早めにスタートを切ってきた。次のバッターが例え8番打者でも、絶対に二塁へランナーを進めるという執念だ。この回は何かが違う)
二塁へと進んだ薫を睨み、梅本はネルフ打線の雰囲気の変化を察知した。
初球からのセーフティバントといい、今のリスキーなスタートといい、薫の流れを変えようという意図が伝わってくる。
(しかし、打順は8番、9番だ。一つずつアウトをとればこの回もしのげる。)
ーーーーーーーーーーーーー
<8番ピッチャー碇君>
ネルフの応援席にも、アナウンスが聞こえる。
また迎えた同点のチャンス、今度こそ、今度こそ……その期待をひたすらに声援に乗せる。
「シンちゃんー!自分助けろー!」
「わんこ先輩ー!打つしかないよー!」
美里が、真理が声を張り上げる。
(碇君……みんなの気持ち、受け取って)
玲が大きく息を吸い込み、トランペットの音色に思いを乗せる。
パッパッパパーパ
パッパッパパーパ
パッパッパパーパラッ♩
「「「かっとばせーシンジ!!」」」
軽快なチャンステーマ「5,6,7,8」が三度、県営球場に響き渡る。真紅に染まった応援席が、揺れる。
「「それゆけチャンスだ ここで一発
レフトスタンドにホームラン!
(シ ン ジー!)シ ン ジー!
ホームランホームラン
かっとばせーーシンジ!」」
ーーーーーーーーーーーーー
(追い込まれたら気迫で負ける!初球からいく!)
応援に後押しされた真司は腹を決めた。
何でもいいから、初球から叩く。
打撃は投球ほど得意ではないが、だからといって消極的になってなんかいられない。
小暮が初球を投げ込む。
真司はその初球に食らいついた。
食らいついた真司をあざ笑うかのように、その球は外にスッと流れていった。
(スライダー!?)
真司は腰が砕けたスイングになった。
が、何とかバットの先っぽで球を拾う。
ガッ!
鈍い音を立てた打球は、小フライとなってショートの頭上にフラフラと上がった。
(落ちる!)
薫は猛然とスタートを切る。
(捕れる!ゲッツーだ!)
打球と、スタートを切ったランナーを振り返り、小暮は確信した。
ショートの中林が半身の姿勢で後退する。
その爪先が、芝生と土の切れ目の部分に引っかかった。
体勢を崩しながら、グラブを頭上に白球へと伸ばす。そのグラブの先をかすめ、白球は芝生に弾んだ。
大歓声と、そして大きなため息が球場を満たした。スタートを早めに切っていた薫は悠々ホームへ帰ってくる。
1-1。ついにネルフ、同点に追いついた。
「「抱き締めた命の形
その夢に目覚めた時
誰よりも光を放つ
少年よ神話になれ!」」
学園歌に揺れる真紅のスタンドに、真司は右手を突き上げた。それに呼応して、万歳三唱が起こる。
(薫君が作った勢いのおかげだ。こうなったら、どんな打ち方したって上手くいくもんな)
ベンチの中でもみくちゃにされ、やや困った顔を見せている薫を真司は見た。
(ありがとう)
その視線に気づいた薫が、真司にフッと微笑んだ。
「切り替えろよ。」
マウンド上で短く言われた小暮は、黙って梅本に頷いた。噛み付いてくるような顔はちっとも変わっていない。梅本はその顔を見て、まだ大丈夫だと安心する。
(まだまだ、これからだ)
同点になったスコアボードを振り返り、小暮は大きく深呼吸した。
後書き
十年以上野球してても、中々上手く野球を描くことも、
野球で妄想する事もままならない。
何度も出てくるチャンステーマ「5,6,7,8」は王子製紙の応援曲です。
とてもノリが良く、私は大好きです。
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