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真・恋姫無双 矛盾の真実 最強の矛と無敵の盾

作者:遊佐
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反董卓の章
  第16話 「大丈夫――行ってくるよ」

 
前書き
都合二週間も空いてしまいました。ゴメンナサイ。
おかげで骨休めできました。 

 




  ―― 張遼 side 虎牢関 ――




 ――話は少し遡る。

「……敵が、くる」
「……そかぁ。やっとか」

 うちは虎牢関の城門の上から汜水関へと続く荒野を見て、恋に答える。
 その眼下には、虎牢関に残った董卓軍の全軍である十万の大軍が陣取っていた。

「思ったよりかは遅かったな。あの勢いで汜水関を抜けるのに数日かかったとも思えへんし……なんぞ策でも拵えたんやろか」
「……くる」
「ん……そやな。考えたってしゃあないな。もうこうなったらぶつかるだけや」

 ふっ、と自重して城門の塁に足を掛ける・

「おまえらぁ! もうすぐ敵が来るで! 準備しいや!」

「「「 オオオオッ! 」」」

 眼下に広がる十万の大軍勢が声を張り上げる。
 それは連鎖的に広がり、大音響となった。

 これで恐らくは敵の偵察にはバレたやろな。

「せやけど、この一戦……士気がなければウチラの負けや。どうあっても勝たなきゃあかんねん」

 そう。
 汜水関を撤退したウチは、虎牢関にいた賈駆っちに連合軍の戦力を報告した。
 その上で、その常軌を逸した関落としの方法を伝えると、賈駆っちはすぐに月の洛陽脱出を決めた。
 月はそれに反対するだろうと思うが……それは月に恨まれても自分がすると言った。

 そしてウチらには……少しでも月が逃げる時間を稼ぐために、そしてその道中を少しでも安全にするために、虎牢関での決戦をして武威を天下に知らしめることになったんや。
 その為に賈駆っちは、洛陽での守備部隊一万と北と南の関から二万ずつを後詰として動員させた。

 月は西の関の一万と共に涼州へ逃すことにしたらしい。

 つまりは北と南の防衛の将と兵は捨て駒にする、そう決めた。
 賈駆っちは、そこまで腹を決めて洛陽へと戻っていった。

 相手もおよそ十万。
 後詰の五万はどうやっても数日の遅れが出ると思っとった。
 だが、何故か連合軍は……予想よりも三日遅れて虎牢関へと来た。
 その御蔭で後詰が間に合ったのやが……

 おそらくそれは……

「……霞。だいじょぶ?」
「……ああ。ウチはもう負けられへんねん。盾二にも……自分にもな」
「……?」
「今は正直、悔いとんねん……殴って気絶させてでも華雄を下がらせるべきやったと。それがウチの役目やったんやと、な。けど、華雄は三日もの時間を稼いでくれた……恐らくは命を捨ててな。今では感謝しとる……だからこそ、ウチは自分を許せへんねん。あの時、盾二に恐怖してしまった自分にな」

 そうや……あれは恐怖や。
 盾二の知を知っとったうちが、その武まで知った時、うちの心に芽生えたのはそれに相対する恐怖やった。
 戦う前から負けとった……華雄の言う通りや。

 この張文遠が……神速の張遼が、戦わずにして恐怖したんや。
 それを華雄は見越した上で、ウチを下がらせた……その結果、おそらく華雄は死んだ。

 数日とはいえ、三万で十万もの大軍を、そして盾二を足止めさせたんや。

 それが……それが、ウチには許せへん。
 自分自身が……許せへんのや。

「あいつにはさんざん世話焼かされた……あのバカのせいで黄巾にも負けたこともある。せやけど……それでも奴は戦友やった。なら……仇はとらんとあかんねん」
「………………ん」

 恋はコクン、とだけ頷く。

 ……ありがとな、恋。
 何も言わずに、ただ受け入れてくれるあんさんが、今はとてもありがたい。

「華雄……あの時退いてしまった借りは、今までのお前の失態と帳消しや。けどな……お前のくれた三日間。その命の代償だけは、きっちりととってやるさかい。お前さんの死を賭けた勇気だけ……今はもらうで」

 ウチはもう……盾二に恐怖なんぞせん。
 あいつは敵や。

 ウチの胸に残った……憧れた想いは……ここで捨てたる。

「……恋、どない動く?」
「……ねねにまかせる。ねね……」
「はいですぞー!」

 恋の言葉にすかさず飛んでくるちっこいの。
 てか、よく声が聞こえたな。

「恋殿の言葉でしたら一里や二里離れていても聞こえますぞ!」
「……地獄耳やな」
「ねね……どうしたらいい?」
「まかせるのですぞ! 細作の話では、敵の部隊の先曲は袁術と孫策らしいです!」
「……盾二、いや、劉備やないんやな?」
「はいですぞ! 孫策軍は精強、袁術軍の足並みは乱れている上、実戦経験に乏しいとも聞くのですぞ。であれば、強力な孫策軍は恋殿で抑え、その隙に張遼殿が袁術軍を壊滅させる手でいくのがいいですぞ!」

 袁術……確かに兵力は多いようやが、実践はほとんど孫策に任せとるから、実力はそんなでもないとは思う。
 ウチとウチの子飼いの二万の騎馬兵なら、袁術軍を壊滅させるぐらい楽にできるやろ。

 せやけど……問題は恋が相対する孫策軍。

 ウチは宛でその精強ぶりを実際に目の当たりにしとる。
 いくら飛将軍と言われる恋とはいえ……

「孫策軍は強敵やで? 恋、心して掛かりや」
「うん……まかせる」
「孫策軍は五千程度。危なくなれば、おそらく中曲にいる劉備が駆けつけますぞ」
「! 劉備は中曲……恋、孫策軍も強いやろが、劉備軍は更に強いで。盾二のみならず……関羽、張飛には要注意や。ウチと互角かそれ以上の使い手やで」
「……わかった。気をつける」

 気をつけるて……大丈夫かいな。
 いや……こう見えて恋は、ウチよりはるかに強い。

 恋ならあるいは……愛紗や鈴々、あの盾二すらも超えるかもしれん。

「気をつける、か。まあええわ。お互い、何としても時間を稼がなあかん。派手に暴れる……張文遠、最後の大舞台や。派手に死に花咲かせたるわ」

 華雄、向こうで酒でも用意して待っといてくれ。
 ウチラもすぐに逝くからな。

「(ふるふる)……霞、死ぬの、よくない」
「? 恋……?」
「戦って、生きる。それがいい」
「せやかて……戦力差は同数とはいえ、向こうは精強。こっちは背水とはいえ、将の数も限られる烏合の衆やで? その上、賈駆っちの命令は事実上の死守命令や。生き残るほうが難しいで」
「(ふるふる)死に花咲いても、誰も喜ばない……けど、生きていれば、誰かは喜ぶ」
「……誰がや」
「……恋が」

 は?

 ……
 …………
 ………………くくっ!

「あっはっはっはっは! そか! 恋はウチが生き残ったら嬉しいんか!」
「(こくん)……そう。恋、嬉しい。けど、多分月も喜ぶ」
「あはははは……そか。せやな……ウチら死んだら、月が泣くな。そらあかんわ」
「……ん」

 せや……せやな。
 泣いてくれる誰かが居るうちは、死ぬ覚悟で戦うのはアカンな。

 なら……精一杯生き抜いて、それから華雄に会いに行くか!

「ふふっ……恋は、ほんまかわいいわ。お互い、生きて月に逢おうな」
「うん……簡単。恋強い、霞も強い。たくさん倒す……だから、大丈夫」
「……ありがとな、ほんまに。なら、そろそろいこか」
「……(コクッ)」

 


 ―― 袁術 side ――




「む~なんで妾達が先陣なのじゃ? そんな面倒なことは孫策にまかせておけばよいじゃろうに」
「も~美羽様ったら、いつまでもぐじぐじと、このわがままぶりっこさんめっ♪ かわいくて大好きですよ♪」

 え? かわいい?
 当然じゃ! けど……ぐじぐじってなんじゃ?

「うわははは。そうじゃろそうじゃろ。妾はかわいいのじゃ! それで、『ぐじぐじ』てなんなのじゃ?」
「偉いって意味です。でも美羽様、今回先陣を引受けないと、いいところ全部袁紹さんに持ってかれますよ? 周囲は美羽様を影うすーいって思うちゃうかもしれません」
「なぬっ!? そ、それは嫌なのじゃ! あの妾の子の麗羽より目立たないなんて、許せないのじゃ!」
「だったらがんばりましょーねぇ? 大丈夫ですよ、孫策さんが頑張って虎牢関を落としてくれますし、いざとなったら後ろの曹操さんや劉備って人に任せちゃえばいいんですから」」
「うむむ……し、仕方ないのじゃ! ならさっさと虎牢関など落としてしまうのじゃ」

 麗羽にだけは負けたくないのじゃ!

「そう簡単には行かないと思いますけど……あ、細作が戻ってきましたね。どうでしたか、虎牢関は」

 む?
 その細作、随分と慌てておるな。

「はっ……は。こ、虎牢関は……開門しています」
「え?」
「そして虎牢関の前面には……董卓軍、およそ十万の軍勢が野戦の体にて、待ち構えています」
「……え?」
「七乃?」

 どういうことじゃ?
 やせんのてい、ってなんのことじゃ?
 門が開門しておるなら、さっさと洛陽に向かってしまえばよいではないか。

「……美羽様。どうしましょう」
「なにがじゃ? 門が開いておるなら通ればよかろ?」
「……その前に董卓軍が一杯いるそうですよ」
「なら孫策に倒させればよかろ? そのつもりだったのじゃろ?」
「ええと……て、適当に虎牢関攻めたら難癖つけて、さっさと後ろに下がるつもりだったのですけど……」
「なら、そうすればいいじゃろ……それより妾ははちみつ水が飲みたいのじゃ。だれか、はちみつ水を持ってくるのじゃ!」
「え、ええぇ……」

 はちみつ水を早く飲みたいのじゃ!




  ―― 孫策 side ――




「ざまあみなさい」
「? 雪蓮、なんのことだ」

 私の言葉に首を傾げる冥琳。

「袁術と張勲よ。どうせ虎牢関を攻め始めたら、すぐに私達に任せて後ろに下がるつもりだったんでしょ。けれど、相手が野戦する気まんまんだから下がるに下がれないだろうなーて思ってね」
「ああ……なるほど、確かに。だが、我々にとっても危機ではあるのだぞ」
「わかってるわよ、そんなの」

 左翼側を引き受けると袁術には言ったけど、こちらは五千しかいない。
 袁術軍の一万五千は張勲が率いるとしているから……こちらには兵を貸さないつもりのようね。

 参ったわね……さすがに十万全部が来るわけじゃないとはいえ、数万はこちらに向かってくるでしょうし……

「……やむをえんな。すぐに中曲にいる劉備に援軍を。こちらと共同で動いてもらわねば」
「あら。もう盾二に助けを求めるの?」
「戦力差は絶望的だ。我らだけでどうこうできる数ではない。向こうが動き始める前に敵の当たりを受け止めるだけの人数がいなければ包囲殲滅されるだけだ」

 冥琳の言うとおりね。
 攻城戦ならともかく、虎牢関前の荒野は十万以上がぶつかりあっても余裕があるほどに広い。
 そんな状況では、普通に人数に劣るほうが脆くなる。

 向こうがこちらに来るとしたら少なくとも三万は固い。
 となれば後方の盾二達に頼る他は、わたしたちが生き残るすべはない。

「北郷たちが合流するまではこちらで耐えるしかないが……祭殿!」
「うむ……わしの弓隊を交差陣形で遅滞行動させる。槍隊は思春と穏に任せて押し返そう。よいな、思春、穏!」
「御意!」
「え~私がですかぁ~?」

 祭の傍にいた甘寧と陸遜が異口同音で声を上げる。

「なんじゃ、穏。お主は不満なのか?」
「ふ、不満じゃないですけどぉ……甘寧さんの副将って疲れるんですよぅ。黄蓋様の副将なら本を読んでいても務まるぐらいなんですけどぉ……」
「………………」
「お主に本を読まれるぐらいならば、儂は一人でええわい」

 ……まったく。

「二人共、遊びで蓮華の元からこっちにきたわけじゃないんでしょ? ちゃんと実戦経験積まなきゃダメじゃない」
「………………」
「………………」

 な、なによ、興覇に伯言。
 二人してなんでわたしをまじまじと見るのよ。

「……すみません。その、意外でして」
「私もです~まさか伯符様にそんな真面目な事言われるとは~」
「あ、あんたたちね……言ってくれるじゃない」

 あんたたちがわたしを普段どう見ているか、よぉ~くわかったわ!
 
「……普段の行いが行いだからの」
「……否定はできませぬな」
「二人共、聞こえているわよ!」

 祭に冥琳まで……い~わよ、い~わよ!
 そんなこと言うなら……

「あ~そうですか! そんなに言うなら私が出てやろうじゃない。なによ、たまにはちゃんと王らしきことしようとすればこんなんなら、わたしが全部やってくる……」
「幼平、止めよ」
「はっ! 伯符様! すいません、落ち着いて下さい!」

 いきなり後ろに現れて私を羽交い締めにする周泰。

「ちょっと幼平! あなたどこにいたのよ、離しなさい!」
「ごめんなさい! 黄蓋様と周喩様から無茶して出ようとしたら気絶させてでも止めろと言われています」
「あなた、王の命令と祭や冥琳の命令とどっちを優先する気!?」
「そ、そう言われたら孫権様からも許可出ていると言えと言われています~」
「う、うらぎりものぉ~!」

 ちょっ、この……さすが明命ね、本当に動けないわ。

「はあ……よくやった幼平。では――」
「で、伝令! て、敵が動き始めました!」
「くっ……敵もどうして打つ手が早い! 祭殿!」
「わかっておる。敵の先端に弓で斉射! しかるのちに思春の槍隊で押し返せ! ゆくぞ!」
「御意!」

 二人がそれぞれの部隊を率いるため駆け出してゆく。

「しかたない。穏は本陣で待機。雪蓮、興覇が足止めしているうちに……」
「わかっているわ。横槍入れるのね。幼平もついてらっしゃい」
「え? あれ?」

 私は瞬時に明命の腕から抜け出すと兵を纏める。

「い、いつの間に……」
「本気の雪蓮なら貴女でも取り押さえるのは無理よ。それより、貴女も雪蓮の補佐に付きなさい、幼平」
「周喩様……ぎょ、御意!」

 くす……よくわかっているじゃない、冥琳。
 まだまだわたしだって次の世代に負けるわけにはいかないんだからね。

 というか、わたしだって十分若いんだけど。

「孫呉の兵よ! ここが我らの名を示す場だ! 汝らの武威、天下に見せつけようぞ!」
「「「 オオオオオオッ!! 」」

 さあ、かかっていらっしゃい!




  ―― 陳宮 side ――




「敵は驚き疑念を抱いておりますぞ! このまま先曲を大軍で押し込み、張遼殿の騎馬隊で撹乱! そのまま敵本陣の袁紹を討つのですぞ!」

 ねねの読んだ通り、敵は様子見で陣容も横陣のまま。
 出方を伺っているなら、こちらから先手を取って勢いをつけるのですぞ!

「……わかった。恋は孫策を叩く。霞は……」
「任せえ。袁術なんぞすぐ蹴散らしてやるわ!」

 恋殿の力なら、五千程度の孫策軍などすぐに倒せるのですぞ。
 問題はその後ろにいる劉備軍三万ですが……

 孫策軍が敗走して中曲になだれ込めば、如何に強力な軍とて脆いものですぞ!

「恋、がんばる。みんなも頑張る。そうすれば……勝てる」
「はいですぞ! 張遼隊は機動力が売りであるなら、足止めにだけは気をつけるのですぞ!」
「わかっとるわ。袁術なんぞさっさと倒して、すぐ援軍にいったるさかい、待っといてや!」

 ふふん。
 恋殿ならばそんな暇など与えないのですぞ。

 孫策軍も劉備軍も、ぜ~んぶ恋殿が倒すのですぞ。
 例え、関の扉すら壊したという男だとしても、恋殿にかかれば……

「ちんきゅー……いく」
「はいですぞ! でも、ねねの事はねねと呼んでくださいですぞ!」
「……ちんきゅーいく」
「れんどのぉ~……」

 あうあう……

「ちんきゅー……」
「わ、わかりましたぞ! 皆の者、このまま突撃ですぞー!」
「応っ! 皆気合いれぃ! 全軍、抜刀せいやー!」

 張遼殿の怒号に剣を抜く兵たち。

「よっしゃあ! 全軍突撃! ボケども、全員いてこましたれー!」

「「「 オオオオオオオッ! 」」」

 ……野蛮ですぞ。
 掛声はもっと恋殿のように穏やかに……

 あ、あれ、恋殿?
 いつの間にか恋殿は先陣切って、敵の方へ……

「ま、待ってください、恋殿! 置いて行かないで欲しいのですぞー!」




  ―― other side ――




「敵の先鋒、こちらの孫策軍、袁術軍とぶつかりました!」
「はじまった……?」

 孔明の言葉に、劉備が思わず息を呑む。

 虎牢関前の荒野は、汜水関のような切り立った崖の間に設置されたような狭い場所ではない。
 大軍を擁しても十分に動き回れるような谷間であり、大軍を持ってしてぶつかることが出来る広さを持っていた。

 ただ、洛陽に向かう方向にだけ巨大な城壁と、それを遮る関の大門が行く手を遮るように鎮座している。
 その周囲の大地は、この地に関が作られてより数百年、秦の時代より幾多の戦いが繰り広げられてきた場所でもある

 防衛の要所、虎牢関――幾多の血と肉と怨念が渦巻くこの場所は、それゆえに渇いた大地となって草一つ生えることのない不毛の地でもあった。

「……戦闘の状況は?」

 そんな中、自身の服や腰の短刀を確認する確認した男が憂いた顔で劉備の前に立つ。
 その男こそ、劉備軍の要、軍師にして戦士である男――北郷盾二だった。

「ごしゅじん――」

 劉備は彼に振り返った後、思わず口をつぐむ。
 その表情には、いつもの敬愛する優しい男の表情ではなかった。

「……朱里」
「っ! は、はい! 孫策軍は敵の攻撃をいなし、後退しながらも何とか受け止めています! ですが、袁術軍の方は数万の騎馬隊に蹂躙される形で今にも敗走しそうな勢いです!」

 背筋が凍るような声を聞いた孔明が、上擦りながらも状況を報告する。
 普段、自身の仕える主と慕う盾二であるが、先程からの威圧感とも言えるような雰囲気に、思わず脂汗がにじむ。

(はわわ……い、いつもの盾二様じゃない。こ、こんな盾二様を見るのは初めて……)

 汜水関で指揮を執っていた盾二とは、何かが違う。
 少なくとも、これほどの威圧感をもって自分に接する姿は初めてだった。

「ご、ご主人様……ど、どうしたの? なんか、こわいよ……?」
「ん? そうか……? 柄にもなく緊張しているのかな……」

 そう言って精悍な顔が笑う。
 それはいつもの人懐っこい笑顔ではない。

 まるで虎が笑う……獰猛な笑みだった。

「………………」

 本陣に残った劉備と諸葛孔明が、敬愛するその人の豹変に息を呑む。
 まるで別人――そう思わせるような変わり様だった。

「何故だろうな……何故か心が踊るんだ。まるで昔に戻ったような……」
「……昔?」
「ああ。俺が戦場にいた頃……血と、汗と、硝煙の中のいた頃の。『唯一人』で戦っていた、あの頃の――」

 そう呟きながらも獰猛な笑みを浮かべる姿は、すでに天の御遣いとは呼べない姿だった。
 まるで悪鬼――邪気が乗り移ったような姿に、周囲の兵からも悲鳴のような声がする。

「…………ごしゅ、ご主人様?」
「……? いや、一人? ちがう、俺は……一刀が……二人で戦って……」

 不意にその獰猛な笑みと気圧されるような威圧感が薄れる。
 その表情は戸惑いながらも、劉備たちが見知ったものだった。

「……あれ? 俺、何考えて――ああ、そうだった!」

 ガリガリと頭を掻く盾二。
 そして劉備と孔明へと振り返る。

「えっと、雪蓮は五千で耐えているんだよな? 救援要請は?」
「え? あ、は、はい! 先程、伝令で救援要請がきました。左翼に展開している鈴々ちゃんに向かってもらいましたが――」
「ならこちらもすぐに動こう。俺と馬正が前に出る。右翼の愛紗には予定通り曹操軍と連携して、袁術軍を引っ掻き回している騎馬隊――おそらくは霞を止めるように指示してくれ」
「ぎょ、御意です!」

 豹変――まさしくそう呼べる主の言動と雰囲気。
 それに戸惑いつつも、伝令兵を呼びつける孔明。

(い、今のは何だったんだろう……まるで盾二様が何かに乗り移られたような……まるで別人だった)

 自分が敵わないと思わせられるほどの知識と知謀、そして徳を持つと敬愛する主。
 その主が、今まで見たことのないような豹変した感情を覗かせた。

 あの時感じた威圧感、そしてその言動は、孔明にして心胆寒からしめるものだった。

(あれ、あれではまるで……まるで……)

 その事に首を振りつつ、孔明は首だけ動かして背後で劉備と話す主を見る。
 その表情となくなった威圧感にほっとしつつも、一抹の不安が心に(とげ)を穿つ。

(――き、きのせいだよ、気のせい……そうだよね、雛里ちゃん……)

 今は別の作戦のために離れている鳳統に、まるで祈るように心で問いかけた孔明。

 だが、すでに心に突き刺さった棘は――じわりとその毒を広げていたのだった。




  ―― 劉備 side ――




「ご、ご主人様……本当に、大丈夫?」
「ん? ああ……どうしたんだ、桃香?」

 ご主人様がきょとんとした顔でこちらを覗きこんでくる。
 その眼はいつもの優しいご主人様。

 よかった……でも、さっきのは一体……

「よくわかんないけど、俺はそろそろ前に出ないと。雪蓮が大変だろうしな。本陣の直営部隊は桃香と朱里にまかせたよ」

 そう言って歩み去ろうとするご主人様。
 その姿に思わず――

「ご主人様!」

 ――声をかけてしまった。
 そして振り向くご主人様。

「大丈夫――行ってくるよ」

 その優しい笑顔と共に発せられた言葉に、胸がズキンと痛む。

 ――行かせてはいけないのかもしれない。
 何故か、そんな直感めいた思考が頭によぎる。

 でも、それを口に出すまもなく――

 ご主人様は、前線へと駆け出していった。 

「ご主人、さま……」

 その姿が兵の中に埋もれて見えなくなる。
 そのことに言い知れぬ不安が、私の胸を締め付けた。

「主! 主はおりませぬか!」

 不意に声がする。
 見れば馬に乗った馬正さんが、こちらへと向かってきていた。

「玄徳殿。主はいずこに?」
「あ――い、今、前線に出ると」
「む。いかん、すれ違ったか。すぐに追わねば」

 ご主人様を呼びに来たであろう馬正さんが、馬を翻して前線へと向かおうとする。

「ま、まって! 馬正さん!」
「む? いかがされましたか?」

 訝しげな顔で私を見る馬正さん。

 ――私は、ご主人様と並んで戦えるような武才も将才もない。
 だから――

「ご主人様を………………護って」
「? それはもちろんお守りしますが……いかがされました?」
「あ、ううん……その」

 ――私は、こんなことすら人に頼るの……?

 護るなら……ご主人様を助けるなら、私自身が前に――

「……あまりご心配めされるな」
「……え?」

 不意に顔を上げる。
 そこには穏やかに笑う、壮年の武人がいる。

「我らの主は天下無敵。たとえ呂奉先とておいそれと負けは致しませぬ。だが、それでも何かあるならば……この馬仁義が命を以ってお助け致します」
「……馬正、さん」
「だから……笑っていなされ。あなたの笑顔があれば、たとえ主が道に迷っても進むべき道を思い出させましょうぞ」
「……笑顔」

 私の、笑顔、が……?

「古来より、男が道を誤った時、それを正すのは女性の真心と笑顔なのです。もっとも、今では女性のほうが強くなりすぎましたがな。はっはっはっは!」

 そう言って快活に笑う馬正さん。
 その様子に、少しだけ胸の不安が和らいだ気がした。

「うむ。例え男女の立場がどうなろうと、男を励まし、やる気にさせるのは女子(おなご)にしか出来ませぬ。そして女子(おなご)の想いを背に、路を往くのが男子(おのこ)の定め。天地開闢以来、それが変わったことなのないのですよ」

 そう言って微笑む馬正さん。

 ――私は、この言葉を一生忘れはしないだろう。

「では、これにて御免!」

 そうして馬を走らせる馬正さんの姿に。

 私は深い感謝を込めて、頭を下げた。 
 

 
後書き
旅行行って帰ってきたら、何故かメインPCのキーボードが反応しなくなっていました。
おかげで予備のキーボードを出してきたのですが、コンパクトタイプなので打ち間違いが多くて困ります。
タイプが、かなり難儀しました。

ついでに途中で盾二がおかしなことになっていますが、こちらも仕様です。
さて、問題は次なんですが…… 
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