乱世の確率事象改変
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~幕間~ 世界の歪みは緩やかに
前書き
今回は練習中につき三人称です。
夕暮れ時であるのに他への配慮も考えないその声は、
「ほあーーーーーー!」
怒号、と呼ぶには余りに歓喜に満ちていた。
三人の美女が舞い、踊り、歌うその会場は熱気と異臭で埋め尽くされている。
最前列で一人静かに舞台上を見やる長身の男は、目を細めて思考に潜る。
なるほど、確かにこれらは人の心を救う。舞台とは、料理と同じなのか。
顎に手をあてて考えるその男の名は高順。正史であれば武将だったはずだが、一人の男によってその運命を捻じ曲げられていた。
†
高順はある男と会うまで絶望の世界に立っていた。
都で料理を振る舞っていても、聞こえてくるのは暗く、黒い話題ばかり。
心を込めておいしい、と一言でも言ってくれれば高順は救われたのだ。それがどれだけ醜く太った豚のような権力者のモノであろうと、まだ味の判断が曖昧な童子のモノであろうと。
だが、それに反して聞こえてくるのは己が私腹を肥やすための手段ばかりで、彼の料理などただ舌から吐き出される汚物のような話の引き立て役でしかなかった。
洛陽の都といえば野心渦巻く己の力を試せる最高の場のはずだったのだ。
それが何たること、料理の素晴らしさのかけらも理解できないクズしかいない。
宮廷にでも入り込めていたらよかったのだが、本能的に宦官を毛嫌いしている高順にはその選択肢は浮かばなかった。
いっそ田舎にでも引っ越してひっそりと料理を続けよう。
そう思い立ち、貯まりに貯まった金銭を使って幽州に店を立てた。
しかし高順の料理の腕はひっそり、などという甘い事を許してはくれなかった。
あれよあれよという内に豪族からの支援が増え、店を大きくしろと恐喝までされる始末。
所詮、どの場所でも同じなのか。
もう店を畳んで、戦場という料理の食材にでもなろう。料理人ではなく食材として生を終えよう。洛陽で士官の口をきいてくれるツテがあるしそうしよう。
そんな考えが頭を過ぎった頃、それでも料理人の本質か、新しく出来たという店に自分の知らない料理は無いかと視察に行ってしまった。
なんの変哲もない、自分がよく見知っている料理が並んでいてがっかりしたが、奇跡の出会いがそこであった。
「おい、星。メンマは確かに単体でも美味い。だがな、料理する事でその可能性は無限大になるんだよ。分かる?」
「違うでしょう? メンマはメンマだからこそ至高。他のモノに混ぜ込むなど邪道の極みではありませんか!」
黒と白。男と女。料理と素材。
相反する二つの事柄がいがみ合い、貶めあい、分かり合う事などないと思われた。
醜い、人間とはどれだけ醜いのか。
「言わせておけば……っ! 料理ってのは和だ! 人の関係性と同じなんだよ! 例えばメンマは将、米は兵として表現してみろ!
おい店主、厨房を貸せ。代金は三倍払うから俺に料理させろ」
そんな男の言葉が高順の心を打った。
料理とは和。そんな考え方は初めてだ。
どんなモノを作り出すのかと野次馬に混じって厨房を覗きに立ち上がる。
手早く厨房で料理を行う男は手つきを見るに完全な料理人では無かったが、燃えたぎる情熱を宿した瞳に若い頃の自分を重ねてしまった。
手際は及第点。味付けには……なんと、そこでそんなモノを入れるのですか!?
料理人の高順とこの店の店主だけが異常さに気付いた。驚愕に目を見開く二人は中華鍋を振り回すその男を凝視する。
何一つ見逃すまいとして高順は全ての手順と食材を頭の中に叩き込んで行った。
出来上がったのはメンママシマシのメンマ丼と言っていた。
一口食べた白の美女は目を瞑り、それから一言。
「メンマ単体の方が私には好みかと」
しかし黙々と口に運び続ける。
「うん、それでいい。だがこれも中々イケるだろ?」
してやったり、というようににやりと笑う男は、美女の心の内を読みとったのだろうと予測できる。
「ふふ、武人が武を振るう場が違う、という事にしておきましょう」
お互いの落としどころを見つけての曖昧な決着ではあったが、どちらにも笑顔が宿っていた。
最後に美女は、
「大変おいしかった、秋斗殿。ごちそうさまでした」
料理を作ってくれた者への感謝を、綺麗な笑顔で口にする。
その光景を見た高順の頬には涙が一筋流れていた。
なんて美しいのか。私が求めたモノの一つがここにある。
ああ、そうか。私は大切な事を忘れていた。お客では無い誰かに料理を作るという事を。誰かに食べさせてあげたいという気持ちを。私の料理を食べて笑って欲しいという想いを。
気付けば黒衣の男の手を握っていた。
「この料理の作り方を教えて欲しい。もう一度作って貰えませんか?」
一度目にした料理は忘れない高順は、自分のためにも作って欲しくて嘘をついた。そして腹黒くなってしまった高順は無意識の内に店で出す事まで計算してしまっていたのだ。
自身の汚れきった心にまた絶望がのしかかり、こんな自分にはおいしいと言ってくれる人などいないかもしれないと落ち込む。
「構わないが……店主、どうせなら違う料理も作ってみたいんだがいいか? 代金は払うぞ」
きらきらと光る眼差しは子供のようで、高順は直視していられなくて目を伏せる。
「え、ええ。あっしは構いやせんが……そうっすね、メンマ丼の作り方で手を打つってので」
その店主は高順を知っていた。密かにライバル視もしていて、メンマ丼の作り方を強奪する事にしたと思われる。
悔しくて歯軋りをする高順に、男はポンと一つ肩を叩き、
「あんた料理人だろ。それもとびきり腕のいい奴だ。後でメンマ丼より遥かにおもしろい料理を教えるから悔しがるな」
小さく内緒の話を告げ、厨房に向かう。
彼は、先ほどの美女とのやり取りを見ていた高順の本心を見抜いていた。
簡易の料理会が終わり、夜遅くに先程の店を出てから自身の店に白の美女と黒の男を招く。店の看板を見て唖然としていたが中に入り、手ごろな席に二人は座る。
「名ばかりで心の籠っていないくだらない店ですよ」
高順が自嘲気味に一つ言うと男は真剣な顔をして語り始める。
「料理ってのは人の心を救う一番の方法なんだ。腹が減る、飯を食う、幸せになる。おいしい料理ならどれだけでも幸せが大きくなる」
男の放つ言葉に、また一つ高順の心が晴れて行く。
「なに、簡単な事だ。あんたは答えを知ってるだろう? どれだけ腐った客でも心から美味いと言わせる料理を作ればいい。黒い話題なんか出来ないほど夢中にさせればいい」
彼には、道すがらに自身の本心をぽつりぽつりと漏らしていたからこその発言。心を揺さぶられる彼なりの答えは、高順には輝かしくて、しかし踏ん切りがつかない。
「俺は美味いもんが好きだ。店長、あんたの最高の料理を食べさせて俺が納得できたら、誰もが夢中になる料理を教えてやる。大陸に居ただけでは到底知りえない未知の品だ。……料理人なら、作ってみたくはないか?」
傲慢に過ぎるその男の言は高順への挑戦とも取れた。
「ふむ、これは男同士の決闘。ならば私が立ち会い人になってしんぜよう」
美女の言葉に高順の心は轟々と燃え上がり、すっと睨みつけてから立ち上がる。
「いいでしょう。ただし、私の料理があなたの予想を超えていたなら、知っている全てのモノを教えて頂きます」
久方ぶりに闘争心というモノを持った彼は、厨房にてこれまでの全てを結集して芸術とも呼べる一品を作り出した。
コトリ、と男の目の前に置いて反応を確認すると、
「いい匂いだ。食欲をそそられるな。彩りもいい。見ているだけで飽きない」
一つ一つ料理に対して褒めていく。言葉が紡がれる度に高順は心が満たされていった。
黒衣の男はハシで一口分を切り取り、ゆっくりと口に運び、目を瞑って咀嚼、嚥下した。
「うん、おいしい。店長、あんたの料理は最高に美味いな!」
高順を見る笑顔は宝物を見つけた子供のようで、すっと心が晴れ渡るのを感じた。
誰かにそう言って貰いたくて、誰かに認めて貰いたくて作った一品。それは心の籠った確かな料理だった。
「小皿ある?」
ふいに男は小さな皿を求めた。その意図が分からずに何故ですか、と聞き返す。
「皆で食ったらもっと美味いだろ? 店長も一緒に食おう。星がどうせ酒持ってるだろうから酒も飲もう」
ギクリと肩を竦める美女ににやりと笑って言い切り、そこからその場は酒宴となった。
高順はその日どれだけ笑ったか分からない。
その時の料理は、自身で作ったというのに、今まで食べた何よりもおいしかった。
人と食事をする楽しさすら、彼は忘れてしまっていたのだ。
もう彼の心に絶望は無かった。
酒宴も終わり、男は書簡に数々の料理の作り方を書いて渡す。男が『れしぴ』と名づけたそれを高順は今も宝としている。
記された料理の数々はどれも異質で未完成なモノが多い。記憶が曖昧で、しっかりとした材料が分からないモノもあった。
しかし高順の料理に掛ける情熱は誰よりも熱く、大きい。だからこそ全てを再現し、あまつさえ自身で改良さえ行っている。
その日から高級料理飯店『娘々』は劇的に変わることになった。
それは彼の野望が再燃した日だった。
†
時は戻り、現在。
高順は役満姉妹と呼ばれる少女たちの舞台を見に来ていた。
男の残した『れしぴ』に乗っている、絶対に作れないだろうと言われている幾つかのモノを作る技術を知る事が目的である。
『役満姉妹の舞台では冬が来る』
との噂を聞いて。
そんな世迷い事のようなモノは半信半疑だったが事実、冬は来た。
全くと言っていいほど胸に起伏の無い少女が手を上げると、どこからともなく白い煙が舞台前の地を這い、驚くほど冷え込んだのだ。
高順は驚愕に目を見開き、身体が歓喜に震える。
この技術さえ手に入れば私はまた大陸制覇に近づける。
舞台が終わり、出待ちと呼ばれ押し寄せる多数の男から彼女達を守る女性に、その場が落ち着きだした頃に話しかける。
店の名を言うと仰天して目を見開き、固まってしまった。
「どうしてあの店の店主が……」
「ティンと来たんです。彼女達と交渉をお願いしたいのですがよろしいでしょうか?」
「よ、要件は?」
「私の店に小さな冬が欲しい、そう言ってください。教えて下さるなら新作の甘味を出す度に最初にタダで食べる権利を。美容に効く料理も知っておりますのでお力になれるかも、とも」
ただし猫耳軍師だけには最初に食べさせる密約を交わしている、とは言えない。
美容に効く料理は自身がこれまで学び、覚えてきたものだ。
女性は頷いてから楽屋に消えて行き、しばらく待つと先ほどの三人の内眼鏡の少女が現れた。
「追加で条件があります。この街に帰ってきたら打ち上げをあなたの店で、無料で開いてくれるなら構いません」
目の前に立つなりさくっと条件を増やしてきた。
強気な姿勢からはこのような交渉事を多くこなしてきたのが分かる。
「ふふ、歌姫の三人だけならば構いません。ただし人目もあるでしょうから時間指定をさせて頂きます」
高順は間違わない。少女が明確な人数を言わなかったのは上手い、無料でも大喰らいがいれば店にとっては大打撃になるだろう。
二つとも抑えたのは長年店主として経営に携わってきた経験からの判断であった。
たった一人の例外であるあの男の来訪を除けば、それでもこの条件は破格に過ぎる。
じっと冷やかな眼差しで高順を見る少女は、ふっと息を漏らして少し笑う。
「分かりました。その条件でお願いします」
ほっと一息ついて少女と握手をし、楽屋に招かれて進んで行く。
どのような技術なのか。冬を、大自然を操るなど妖の所業ではないのか。
緊張と期待から心の臓が跳ねるが、高順はそれらを抑え付けて扉を開け、一つの部屋に進み入る。
そこには先ほどの胸の無い少女が立っていた。
「ふーん。あんたがあの店の店主なのね。……さっそく冬を起こす方法を説明するわ」
†
高順は少しだけ気分が沈んでいた。
冬を起こす素養が無い。それがただ一つの事実だったのだ。
聞くところによれば、彼女の冬を呼ぶ技術は特殊な書物により得たモノで、だれかれ構わず使えるモノでは無いらしい。
現に彼女の姉妹で冬を呼べるのは次女である胸無しの少女のみ。
交渉の条件は教える、だったので無料での打ち上げについても確定させられた。
つまりあの眼鏡の少女はこれを見越していたのだ。
ただ……彼には一人天使が現れた。
桃色の髪のほわほわとした雰囲気を纏った女性が、
「ねぇ、ちーちゃんの力があったらおいしいモノたくさん作れるんですよね? じゃあ暇な時に手伝ってあげるっていうのはどうかな~?」
願っても無い事を言い出したのだ。
嫁入り修行として料理の数々を、そして店の呼子にも使えば宣伝にも抜群、として三人とは大きな契約が成立した。
対価として一つの簡易料理を大量生産する事になったが。
それは小麦粉等と乾燥果実の欠片を混ぜて固めた日持ちのする食べ物、『かろりーめいと』という料理であった。差し入れとして持って行くと大層気に入ってくれたようで、持ち運びにも便利なため移動の多い彼女達には助かるとのこと。
ただ、猫耳軍師が仕事の合間に大量に食べて少しふくよかになった事を伝えると身震いしていた。
対価は相応だったがこれで封印された料理、『あいす』を限定生産だが作れる。他にも冷却しなければいけないモノはある程度作れる。
その事が頭に浮かび高順の表情は自然と綻んだ。
軽い足取りで帰路につき、支店である「娘娘 二号店」に着いた高順は不可思議なモノを見つけた。
店の、今日は取材の為に閉店しているはずのその扉の前に小奇麗で小さな服を纏った少女が蹲っていたのだ。
確かにこの街は覇王の恩恵によって暴漢も不埒な輩も少ないが、さすがに少女がこのような逢魔が刻に一人でいるのはおかしい事である。
「あの、大丈夫ですか? 私の店は今日は閉店なので開けられないのですが」
高順の言葉にばっと顔を上げた少女であったが、彼はその人物を見たことがあった。
一度だけ自身の店に家族と共に食べに来たことがあるその少女の名は――――
「司馬……仲達様、何か私に御用ですか?」
「……ここで、働かせてください。覇王の、勧誘から逃れる為に」
一人の男が狂わせた世界の流れは、一人の少女の人生をも大きく変える事になった。
後書き
読んで頂きありがとうございます。
今回は店長のお話。
新たなオリキャラ司馬懿ちゃんです。
三国志には必須といってもいい人物ですので出ました。
そしてこの出会いが後々、本編にも大変な影響を……与えるかもしれません。
次は他国の動きを少々
ではまた
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