戦国御伽草子
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参ノ巻
陸の魚
2
桜がはらはらと乱れ、狂い、舞う。
中庭の池には儚い薄紅が、群れを成して漂っている。
・・・桜吹雪。
今年の桜はかなり早咲きで、例年にも増して圧倒されるほど・・・美しい。
瑠螺蔚さんは桜が好きだから、これを見たら喜ぶだろう。
一度そう考えると、僕は居ても立ってもいられなく、逸る気を追うように腰を上げた。
頬の横に息を白く棚引かせ、小走りになりながら、曲がり角で義兄上とぶつからんがばかりに擦れ違った。しかも悪いことに、常日頃から僕のことを良く思っていない義兄だった。いつもの僕ならしまったと内心舌打ちでもしそうなところだけれども、高まった気持ちにはそれすら些事でしか無かったようで、「失礼致しました」とこれまた反感を買いそうな浮かれた声で一言謝るのみだった。僕らしくもない。これはあとでちくちくと裏で嫌味を言われることは覚悟しなければいけない。しかし、起きてしまったことは仕方ないし、瑠螺蔚さんと一緒に桜でも眺めればそんな憂慮もすぐにどこかへ行くだろうと考え直した。
隣の前田家が焼け、瑠螺蔚さんがひとり佐々家に居候し始めたのは半年も前。その経緯を考えれば喜んでばかりも居られないが、いつでも会いたいと思った時に会える、この環境は素直に嬉しい。
一言謝ったし義理は果たしたと、足早にそこを通り過ぎたが、ふといつものような嫌味が追いかけてこないのを怪訝に思ってちらと振り返った。義兄上はその場に立ち止まったまま肩越しに僕を見ていた。その目。まるで、陸で喘ぐ魚を見ているかのような、苦虫を噛み潰した顔をしていた。
「・・・?あに」
いつものように見下されるならいざ知らず、そのように哀れまれるような謂われはない。不思議に思って声をかけようとしたが、僕が声を発した瞬間にもう義兄上はくるりと振り返り、僕を無視して歩き始めた。こう拒絶されれば例え追いかけ捕まえたとしても、今更何を聞いたところで答えてはくれないだろう。僕もそれについては諦め、気持ちを切り替えることにした。
何を差し置いても、今は桜だ。
瑠螺蔚さんの室につき、明障子に手をかけながら、僕は言った。
「瑠螺蔚さん、入るよ。桜がー・・・」
綺麗だよ、とは言えなかった。
「・・・」
ひらりと桜の花が舞う。僕の鼻先をかすめて落ちる。
・・・いや。
開ける前に気づくようになっただけ、進歩と言えようか。
引手にかけた手、一旦は力が抜けてしまった手にぐっと力を籠めて、僕は障子を押し開いた。
そこは、ただ、ただ見慣れた客間だった。
がらんとしていて、冷たさを感じさせるほどに暗い。
隅に灯台はあったが、明かりは点されていなかった。
鏡台はない。文机もない。櫃も、長持も、紅も衣も、なにもない。
なくて当たり前なのだ。
客間には、無くて当たり前のものなのだ。
僕は仄暗い中に入り、後ろ手にそっと障子を閉めた。そのまま数歩足を進めて、ゆっくり腰を下ろす。
瑠螺蔚さんは、いつもここに座っていた。
そっと畳に手を着いた時、明障子に人影が差し、楽しそうな声が聞こえてきた。
「瑠螺蔚さま!由良でございます。入っても宜しいですか?」
中からの返事を待たずに由良は続ける。
「瑠螺蔚さま、お外をご覧下さいませ。見事な桜吹雪ですわ。今日は晴れていますし、野洲川のあたりへでも参りませんか?ご一緒させて下さい」
うきうきと話を続けるその声に、僕はただ立ち上がり、障子を少しだけ押し開いた。
「・・・兄上様?」
障子はがたりと音を立てて開き、由良は初め笑顔で僕を振り仰いだ。しかしそこに僕を見留めるとその表情は一瞬で驚きにかわった。訳がわからないと言った体でぽかんと僕の顔を見、それから僕の肩越しに真暗な部屋を見た。それからまた僕を見る。由良の瞳に光が灯る。そこへみるみるうちに雫が溜まっていった。
「・・・ふふ、ふ。私、わかっているのに・・・わかっているのに、やはりここへ来てしまうのですわ」
由良はいきなり密やかに笑い出した。涙を流しながら悔いるように笑う。由良・・・。
「兄上様。私、やはり忘れられませんわ。どうやって忘れろと言うのでしょう。優しくして頂いたのですもの。瑠螺蔚さまは、私に、いつだって、とても、とても優しかったのですもの。私が泣いていれば、慰めて下さいました。間違っていることをしたら、諫めて下さいました。お慕いする方ができた時には、そっと背中を押して下さいました。嬉しい時には、一緒に喜んで下さいました。ねぇ、兄上様。どうやったら忘れることができるというのでしょうか?それでも毎日、ここへ来てしまうのに」
僕も由良も、陸で喘ぐ魚だ。流れゆく日々に、呼吸の仕方すら知らない。
義兄上もそれはあのような顔をする。毎日毎日、懲りもせずに誰も居ない客間へと向かう僕と由良を見ていれば。
こんなことを繰り返していても、瑠螺蔚さんが喜ぶ筈無いってことは、わかって、いるのに・・・。
でも、じゃあ、どうすればいいのだ。
ゆっくり、ゆっくり、瑠螺蔚さんを忘れていく?忘れる?瑠螺蔚さんを?そうして忠宗殿の言うように妻を娶り、生きるのか。僕が?
このままなら、そうせざるを得なくなるのは間違いない。父上は僕か惟伎高義兄上に家督を譲るお考えであるようだ。もし僕が佐々家の跡を継いでしまえば子を残さねばならない。今となっては母上の持ってくる縁談を断る理由ももう無い。そうして、いつか、瑠螺蔚さんを忘れて、幸せ、に・・・。
目の前で由良は泣き伏していた。その背を包むように柔い桃色は降る。
・・・もしも。瑠螺蔚さんを忘れてしまったのなら。
その僕は、もう、僕ではない気がする。
由良は良い。今は辛くとも、きっと恋が由良を生かしてくれる。女は強いものだ。僕のようにいつまでも立ち止まっては居ないだろう。
けれどきっと僕は探す。探してしまう、いつまでも。この暗い客間の中、転げ回った土手の道、野洲の川、互いに花輪を作った草原や、舞い落ちる桜の花、ひとつひとつにさえ。
・・・瑠螺蔚さん。
泣き声が聞こえなくなっていた。見れば、由良は瞳を閉じていた。
その由良を、速穂が抱え上げようとしていた。速穂が下に控えて居たのは気がついていたから、僕は別段驚かなかった。
由良はいつも、この部屋まで辿りついては我に返り泣く。泣き疲れるのか暫くするとふっと気を失う。それを誰かが由良の部屋まで連れ戻す。毎日毎日、その繰り返し。
速穂がふと桜に目を移し、ひとつ、瞬きをして、僕を見た。
僕は悟り、目で客間の中に促す。速穂は由良を抱えて、中に入るとぴたりと戸を閉めた。別段聞かれて困るような話でもないが、どんな報告があるかわからない。忍と話すのに、念をいれるに越したことはない。
「見つかったか」
「・・・いない。奇妙なまでに、どこにも」
そうかと僕は頷く。半ば予想はしていた。
雪と名乗った侍女、あの日尉高義兄上からと言って毒湯を持ってきたあの侍女は、見事に行方を眩ませていた。当然、尉高義兄上からというのも嘘八百であって、佐々家にそんな侍女などどこにも居なかった。ずっと探させては居るが、梨の礫だ。
一体、誰が、何の目的でこんなことを・・・。
そう考えると僕の中にゆっくりとほの暗い炎が燃え立つ。
見つけたら、決して八つ裂きでは済まさない。
その時、誰かの足音が耳を打ち、すっと速穂の腰が浮いた。僕はやり過ごすように目で言い、由良の様子を伺った。起きそうな様子はない。
足音は・・・二人だ。僕らの気配に気づくことなく、ゆっくりと近づいてくる。
「・・・はまだ知らんのか」
「そのよ・・・」
「しかしそ・・・いい女だったかねぇ、あれが。俺には全く・・・きん」
「ふん。目も悪いんだろうよ。あのザマを見ても父上は考えを変えないのか?」
「見る目がないところは似たんじゃないのか?」
「全くだ。笑えもせん。ところで死体はどこにいったんだ?」
「まだ見つかってないらしいぞ」
「見つかってないって・・・運んでいる途中に消えたんだろ?そんなことあるか?」
「あるもないもあったんだから仕方ないだろう」
「それにしても前田もよくここまで隠し通したものだよなぁ。こんなこと高彬が知ったら」
止める速穂よりも僕の方が一瞬速かった。僕は障子を手加減なく叩き開くと、驚きで声も出ない義兄上達の前でゆっくりと笑った。
「その話、詳しくお聞かせ願いたい」
後書き
前回高彬が主人公の回は題名を和歌からとってくる!としましたが早速撤回致します。
小題変更致しました。
こちらの方がしっくりくる気がしたので。
以下ネタバレになるかもしれませんのでご注意を。
それにしても、戦伽の頂いたメッセージを見ていたら「もう誰も殺さないで!」というものがありまして笑ってしまいました。もっと先の話まで公開していた頃の話です。現状三冊目までネット上では公開しているのですが、ええと、戦国時代だからと言い訳もさせて欲しいのですが、結構な数お亡くなりになります。銀金のあとがきで、氷室冴子さんも読者に「キャラ皆殺し作家」「センセから佐保彦だけは守りたい」とか言われてたということを書かれていたことを思い出しました。同じようと言うには恐れ多すぎますが、ミナゴロシ作家と言う点では引けをとっていないです。多分。話は戻りますが、メッセージには特に佐々家だけは殺したらアカンと書いてありました。さ、佐々家の誰でしょう・・・?もしや全員・・・?
でもよく考えてみると、佐々ってわらわら登場している割には一番誰も死んでいないかも・・・?前田なんてもう現時点で主人公含め四人死んでますからね。あいや待てよ・・・よく考えると・・・前田が本家分家含めダントツで驚異的な致死率を叩きだしてますね。主人公が前田の姫だから、前田の話が多くなるとは言え・・・いやー今気づきました。佐々徳川織田・・・は、ひとり、多くてふたりぐらいなのに前田は・・・☓人!?多すぎ!
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