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乱世の確率事象改変

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黒麒麟動く

 大きな黒馬に跨り戦場にて攻城戦を見やるその男は考察を繰り返す。
 気付けたのは偶然で、それは一人の少女が戦っていたからだった。
 ゆるいウェーブのかかった赤い髪を揺らしながら兵に指揮する彼女のシ水関での言葉が、男の甘えた思考に一つの波紋をもたらした。
 その波紋を観察し、行く先と起こった地点を見つめ……己が考えを投げ込んで新たな波紋を作る。
 自分の軍の掲げるモノと今回行うべき事を秤に乗せて最良の選択肢を考え、一人納得する。
 男は他の者に思考の全てを語らない。
 信頼されていない故に……ではなく信頼されているからこそ。
 自分から動くのは事が起きてからではあまりに遅いと気付いてしまった。
 故に彼は決意する。
 自分を仲間と呼んでくれる者達の想いを確かめる事を。
 そして彼が今回張るのは予防線と責任の糸。彼女が耐えられるように、と。
 先を知るその男は真実を語らない。
 世の全てを騙すペテン師はただ一人きりでその罪を背負い続ける。


 †


 董卓軍が決戦の初めの相手に選んだのは袁紹軍みたいだ。
 私は開幕で曹操軍と当たるかと予想していたが違ったらしい。
「袁紹軍の時に出るのか……俺達の軍か連続で出ている孫策軍かとも思っていたんだが」
 隣で呟く彼の声も驚き。私は少し戦に思考がとらわれ過ぎている秋斗さんの隊と共にいることになった。朱里ちゃん曰く、秋斗さんは私といる時が一番落ち着いているように見えるかららしい。
「意外ですね。私はてっきり精強な曹操軍を挫きにくるか、私達の時に来るかと思ったのですが……」
 総大将の軍を攻撃して士気を挫きたい、と言う事だろうか。総大将自体が最後方にいるためそれでは甘い。
 今日の劉備軍の配置は中軍後方。追撃の為に左右を馬超軍、公孫賛軍と固められている。
 最後方は袁術軍と袁紹軍本陣。私達の前方左右には真ん中に間を開けて曹操軍と孫策軍。
 連合は決戦が近いとあって昨日から軍の全てを洛陽前に配置していた。相手への威圧による攻城戦での士気低下も考えて。
 これだけの軍が連合にはいると見せつければ、きつい攻城戦はまだまだ続くんだという思考に陥らせ相手の軍の心を焦燥に駆る事が出来るとの予想だった。
「相手の士気の問題だろうな。曹操軍は士気高く軍全体の対応が上手いし虎牢関での被害も少なかったから出鼻では狙えない。俺達を狙わなかったのは不確定要素が多いからか。華雄を討ち取られ、三体一だとしても呂布が止められた。それによって兵にも軍師にも不安が出てるんだろう」
 秋斗さんから語られたモノは的確な意見だが綺麗すぎると思う。
「董卓軍は苦肉の判断で勝つ為に出てきたのですから無理をしてでも曹操軍を挫くか私達の軍を攻略する事で士気を上げておくべきでした。私が董卓軍の軍師ならそうしてましたよ。それくらいできなければこの厳しい状況は覆せません」
 勝利のみに意識を向けていればそうできたはずなのに。向こうの軍師は敗北に思考が向き始めているから安全策に走っている。それではいくら飛将軍がいても勝てないと言っているようなものだ。
「……雛里はやはりすごいな。さすがは大陸一の軍略家だ。味方で良かった」
「そ、そそそこまでしゅごくないでし、あわわ……」
 秋斗さんに大陸一とまで褒められて照れてしまい噛み噛みになってしまった。
 肝心な時にこれでは締まらないのに。後ろに構える副長さん達以下徐晃隊の面々からも笑いが漏れている。
「クク、俺は本当にそう思っているよ。雛里と一緒なら徐晃隊はどんな軍にも負ける気はしない! お前達もそう思うだろう!?」
 後ろの徐晃隊は秋斗さんのその問いかけに強く「応」と返してくれた。いきなりの大きな声に前にいる愛紗さんの隊の兵も鈴々ちゃんの隊の兵も何事かと驚いてこちらを伺っている。
 私は真っ直ぐに徐晃隊の人たちと目を合わせてみる。彼らの瞳は秋斗さんと私に対する信頼が見て取れた。
 自分達の命を預ける、という強い想いが伝わってくる。
 私はその想いに応えたくなって口を開いた。
「わた、わたしゅは……あわわ」
 多くの人の目が集まりすぎてまた噛んでしまった。恥ずかしくて赤くなったであろう顔を隠すために帽子を下げて俯く。
 しかしまた笑われるかと思ったが不思議と一つも笑い声はなかった。
「大丈夫だ雛里。落ち着いて、ゆっくりと自分の言葉を紡げばいい。あいつらはお前の言葉を待っているぞ」
 そう言われ顔を上げると徐晃隊の兵達が暖かく微笑みながら頷いているのが見えた。
「わ、私はあなた達のために大陸一となりましょう。あなた達全ての想いを繋ぐために。平穏な世を作るために」
 自分の想いを言い切ると彼らからわっと声が上がる。秋斗さんはいつも口上をするとこんな気持ちだったのか。胸に灯った火が大きく燃え上がり力が湧いてくる。
 気持ちが高揚してきて意識を前に向けようとしたら隣で突然秋斗さんがすっと剣を上げ、それを見た徐晃隊からは全ての声が消えた。
「今、我ら徐晃隊には鳳凰が付いている! どんな事が起ころうとも全てを読みきり、躱し、防ぎきる大陸一の最強の羽だ! ならば俺達黒麒麟は鳳凰に従い、畏れず前を見、その角で迫る敵の全てを切り裂くのみよ! 謳え! 我らの想いを紡ぐために! 乱世に華を! 世に平穏を!」
「「「「「乱世に華を! 世に平穏を!」」」」」
 重なる声は全てを呑みこむかのようだった。紡がれた言葉は彼らのみに伝わる合言葉なのだろうか。
 徐晃隊の結束力は劉備軍で一番。いや、他の軍でもこれほどのものは無いだろう。
 想いの共有と意識の統一。死の恐怖も戦場の狂気も跳ね除けるほどの力強い信念が感じられる。
「頼りにしている、雛里」
 こちらを向いて笑みとともに語られ、秋斗さんと徐晃隊に見惚れてしまっていた私は慌ててすぐに頷く。
 なんて頼もしい人達なんだろう。
 士気は秋斗さんが怪我をしているのも有ってか凄く高い。それにしっかりと冷静さも持っている。
 私はこの全てを操りきろう。一人でも犠牲を減らす為に。
「後な雛里、もしもの話だが――――」
 続けて秋斗さんが話し出した事に私は驚愕し、反対したが彼の想いを汲む事しかできなかった。
 この人が壊れないために……私はそれくらいしかできなかった。

 †

 予想通り門が開き現れたのは真紅の呂旗率いる最強の軍。
「夕の言った通り私達が攻めてる時に来たかー」
「ちょ、ちょこちゃん! 呑気に言ってる場合じゃないよぉ! 速く逃げないと」
 私の言葉にわたわたと焦りながら顔良が必死で懇願する。
「分かってるって。さあ、董卓軍を伸ばして叩いてすり潰すよ! 張コウ隊、顔良隊は対応しつつ後退開始! 他は城壁に沿って左右に開け! 後方弓隊、最前の兵が開き次第山なりに城門前に向けて一斉射撃! 敵の足を少しでも止めろ!」
 自分の掛け声に瞬時に反応し全ての兵が行動し始める。
 同時に城門側最後方に悲鳴が上がる。少し遅れたみたいだけど化け物も出てきたか。
「りょ、呂布が来たよちょこちゃん!」
 立ちふさがる兵などいないかのような飛将軍の進撃に顔良は焦りと恐怖を隠せず真っ青になってあたしに言う。
「大丈夫! 二手に分かれて動き始めた後方両軍の真横を掠めて行くよ!」
 中軍では二つの軍がこれから溢れてくるであろう董卓軍を包めるように陣形を広げていた。連合軍全体が自然と作るのは包囲網。殲滅する事よりも洛陽の確保に意識を置いたモノであり全ての軍がそれを分かっているから勝手にこの形になるだろうとは思っていた。肝心なのは殲滅ではなく戦の勝利にあるのだからある程度抜かせても問題はない。
「うん! 顔良隊、最速で孫策軍の横を駆け抜けろっ!」
 怯える心に気合を入れて彼女は自分の隊を率いて行った。
「さあ、あたしたちもだ張コウ隊! 曹操軍の横を駆けろ!」
 董卓軍を洛陽から連れ出して縦横無尽に連合包囲網内で駆けまわる事が自分達の仕事。
 かき回し、兵の損害だけをただ増やすように動く。
 劉備軍の前まで呂布を連れて行ければいいんだが。
「とりあえずは急がないとね」
 他の軍が思うように動いてくれればいいんだけどな。
 時間をできる限り引き伸ばして洛陽内から全ての兵を引きださないと。

 †

 決戦ともなれば私達騎馬主体の軍も楽に動くことが出来る。
「星、牡丹、私達のこの戦での動きだが諸葛亮からの伝令が言った通りで行こうと思うがいいか?」
 陣形の変化を続ける他の軍から目線を外さずに、その忙しない動きを見つめている二人に確認を取る。
「私は愛紗と鈴々と共に呂布隊に当たりに行き、牡丹は離脱しようとする兵の追撃、白蓮殿率いる白馬部隊は馬超殿と共に張遼を抑えに行く、でしたな?」
「白蓮様の判断に従うだけですからご随意に。ああ、白蓮様の活躍がこの目で直に見れないのが悔しいです本当なら共に戦ってすぐそばでその勲功を上げる手助けをしたいというより美しい白蓮様のお傍にずっと付き従っていたいというのにあの子供の策が邪魔ですこれは一種の試練なのかもしれません私と白蓮様の密な時間を引き裂くための「少し、頭を、冷やせ」ふわ、ごめんなさい!」
 戦場だと言うのにこいつはいつも通り暴走しだしたが、星が耳元で何やら囁いてそれを止めてくれた。そのいつも通りの光景が私に安心感を与えてくれる。
「よし、じゃあそれで行こう。牡丹、お前の事は信頼しているんだ。だから後ろは全て任せたぞ。星もいつもありがとう。呂布の強さは異常だから気をつけろよ?秋斗が倒れた事を気負いすぎず絶対に無茶するな。早く戦を終わらせて私達の家に帰って店長の店で酒でも飲もう」
 私がそう言うと牡丹は顔を赤らめ目に涙を滲ませて蕩けきった顔をし、星は少し照れくさそうに苦笑した。
「……クク、気にかけて頂き感謝致しまする。しかし私も武人であり、あなたの軍の将。戦場では主の為に我が槍を振るうのみです。必ず生きて戻ります故、安心してくだされ」
 語りながら合わされるその眼に昏い色は無く私への信頼が見て取れた。しっかりと自分を理解し個人の感情を割り切って行動できる星は本当に頼りになる。私にはもったいないくらいの将だ。
「ふふ、頼りにしているぞ、二人とも」
「伝令! 城門より紺碧の張の旗が出て参りました!」
 張遼も出て来たか。今回は牡丹と一緒じゃないがシ水関での用兵対決の決着を付けたい所だ。
 浮かんだ気持ちに私は一介の武人でもあるんだなと少しの驚きを感じる。
「白蓮殿こそ、燃えたぎるその瞳を隠せておりませんな。あまり無茶をせずちゃんと我らの元に無事帰って来てくだされ」
 にやりと笑い、先ほどの私への意趣返しとばかりに言ってくる星に苦笑が漏れる。
「ありがとう。お互い約束だぞ。私達の願いのために」
 そう言って振り返り後ろに構える自分の兵達に向けて剣を上げ叫ぶ。
「聞け! 幽州を守りし勇者達よ! 長きに渡ったこの戦もあと少し! 終われば我らが家での安息の日々が帰ってくる! 大陸の平和は幽州の平和なり! 友のために、家族のために、全てを賭して敵を屠れ!」
 口上を述べると兵達から雄叫びが上がる。彼らもこの長い戦によく従ってくれる。
「各隊、出撃!」
さあ、私達の仕事を始めよう。

 †

 張遼が来た。
 呂布隊が開いた隙間を突貫し、鋭く、そして速く。
 その速さはまさに神速。先頭を駆ける張遼によって兵の壁など草原にたゆたう草の如くなぎ倒されていく。
 董卓軍との決戦にて最初の囮の役割を果たしてくれた袁紹軍には感謝しましょう。
 乱戦に持ち込まれてもこちらに分があるがそれでは被害が増えるしおもしろくない。
「春蘭、秋蘭」
「「はっ!」」
「我が軍の精強さを見せる時は今、ここよ。季衣と流琉を連れて董卓軍を蹂躙してきなさい。戦場での判断は二人に任せる。できるわね?」
「華琳様の望み、必ずや果たしてみせましょう」
「「「御意に」」」
 四人が一様に決意の籠った眼を携えて頷き、それぞれの隊を率いて進撃し始めた。
「桂花、あなたは凪を連れて左翼の軍に当たりなさい」
「御意」
 張遼さえ捕えればこちらの勝ち。今回は時間との勝負ではない。じっくりと確実に仕留める事が大事だ。
 問題は呂布だが、秋蘭の判断に任せる事にした。
 決戦の戦場は広く、大きい。飛将軍の対応に伝令を使っていては間に合わない。
 あの子ならば冷静に対処できるでしょう。
 春蘭には後々張遼と当たるように事前に指示してあるのだから問題ない。
 彼女の愚直とも言える忠誠心が役に立つ。戦場での嗅覚は人一倍強く、私のためになる事をしっかりとやりきってくれるのだから。
 季衣と流琉は保険。春蘭と秋蘭が呂布に遭遇してしまう可能性を考えて。
 四人がある程度の間隔で戦っていればその対応に概ね問題はない。
 桂花には多くの兵を持たせてあるが凪の経験も積ませたいから二人で。
「ふふ……」
 笑いが抑えきれなくて漏れてしまった。
 楽しいという自分の感情が素直に顔に零れ出ている。
 例え勝ちの目が大きかろうと全力を尽くして戦うことが楽しい。
 自分が立ち向かう敵がいるという事が楽しい。
 自分の願いのために皆が死力を尽くして戦ってくれるのが楽しい。
 度し難い欲望だと思う。不謹慎だとも思う。それでもこの乱世が愛おしい。
 私の存在は戦うためにあるのではないか。
 全ての理不尽を打ち砕き、支配し、その先に立つために。
 戦によって飢えた心が満たされていく。
 しかしもっと大きく。もっと強大に。もっと、もっと……と望んでしまう。
 なるほど、私は確かに乱世の奸雄だ。
 ならば混沌たる外の乱世も、安寧なる内の平穏も、全てを愛し、手に入れましょう。

 †

「策殿、呂布が来たぞ。顔良め、厄介なものを連れて来おって」
 戦場で共に戦っていた祭が憤りながらこちらに言う。
 あれは本当に厄介だ。しかも虎牢関の時よりも研ぎ澄まされているのが嫌でも分かる。
 あの時は何故か不安定に見えていたが今回は比べものにならないほど力強い。
 本拠地という事でこれほどまでに違うのか。
「わかってるわ。全軍広がれ! 間隔を広く取り敵に当たれ!」
 纏まれば多くがあの化け物の餌食となってしまう。
 今回は決戦なのだから広く、大きく戦うべきだ。
「祭、呂布隊にも気を付けましょう。あの隊も異常よ。下手すれば取り返しがつかなくなるわ」
「む、確かにそうじゃな」
 陳宮が後陣で指揮しているこの隊は恐ろしいほどの突撃力を持っている。
 虎牢関では曹操軍が手を焼いたらしいから気を引き締めなければ呑まれるだろう。
「呂布はどうする?」
「まだ近づいてはダメよ。曹操軍と公孫賛軍と劉備軍の将を待ちましょう。卑怯だけどあれだけは数がいないとどうしようもないわ」
 あの夜に四対一でも防戦のみだったのだから無茶させられるわけが無い。将の死亡は軍の多大なる損害になるのだから。
「御意」
 祭も兵の被害が増える事に少し苦い顔をしているがそのくらいの事はわかっているので何も言わず従ってくれる。
 しかし董卓軍は素直に決戦をしてきたが何も策がないのだろうか。
 力押しだけではもはやどうしようもないはずなのに。
 死兵となって戦った所で、本当に甘く見積もっても、五分五分と言える。
 陳宮の恐ろしい火計がまだ記憶に新しいからか少し警戒してしまう。
 早計な判断は軍を滅ぼすが……
「祭、左右に分かれて呂布隊と戦いましょう。他の将が来る前に呂布が来たら逃げてね」
「なんじゃ、結局わしらも動くのか?」
「ええ、今の内に呂布隊の数を少しでも減らしたい。もう少し広がりつつ戦って敵をおびき出しましょう」
 何か洛陽で起きそうな気がする。
 城門までの道を作っておいたほうがいい。
 勘に丸投げするわけではないが軽くでも手は打っておくべきだろう。


 †


 城門が開いてから各軍の迅速な対応によって連合の董卓軍包囲網は広大になり、今は内側にてそこかしこで衝突がある。
 飛将軍は包囲網を抜ける事もせず何かを守るようにただ内側に攻めて来る兵を蹂躙している。
 余りに簡単すぎないか。それほどまでに彼らの思考は固まってしまっているのか。
 愛紗さんと鈴々ちゃんには星さんが到着次第、呂布隊への攻撃をお願いした。
 総大将に対しての飛将軍部隊による劉備軍突破を警戒していたがそれも無いのだからここは包囲網を狭める事が定石。
「朱里」
「ひゃい!」
 いきなり後ろから声を掛けられて変な声が出てしまった。
 振り向くと秋斗さんが苦笑を噛みしめてこちらを見ていた。隣には雛里ちゃんもいたが何故か暗い表情で俯いている。
「……朱里に聞きたい。もし董卓が逃げるとしたらどうやって逃げる?」
 尋ねられた質問はこの戦の戦況が確定してからの事。董卓軍の戦況は覆しようがないとは言えないがそれでも現状のままでは時間と共に勝ちの目が全て無くなるのが目に見えている。

「……飛将軍か張遼隊による強行突破かと」
 逃げるなら望みの薄いモノだがそれしかない。軍として抜けて再起を計りたいならばそうするべきだ。飛将軍もそのために今は内側で戦っているのかもしれないという考えに納得が行った。
 一瞬もう一つの考えが頭を過ぎったがそれはないと心が拒絶する。たまに現れる黒い獣は倫理を無視した策を私に甘く囁く。
「董卓が悪なんだろう? ならば他には何がある?」
 彼の放った言葉に思考が凍り、吸い込まれそうな黒い瞳に私は釘付けになってしまった。他にある事柄を確信して私に尋ねているんだ。
 この人はやっぱり恐ろしい。まるで自分の心の全てを見透かされているような気持ちにさせられる。一体何を見て、何を予想して、どんな思考を行って黒い獣の方の私と同じ考えに至ったのか。
 そこで私は気が付く。全ての事象を抑えてこそ軍師ではないのか。何故私は今まで全てを人に話さなかったのか。これでは軍師とは言えない。既に人を殺しているくせに何を甘えた思考をしていたのか、と。
「……洛陽に……火を放つことも考えられます。そのごたごたを利用して内密に戦場を離脱。それぞれの隊が抜けた先で合流し再起を計るかと」
 私が言葉を紡ぐと彼は一つ頷き続ける。
「雛里に戦況を見させ、もし煙が上がったら徐晃隊の三割の兵による突撃で手薄な所を突破し俺達が洛陽に入る。いいか?」
「ダ、ダメに決まってましゅ! 体調を考えて後陣に下がって貰ったのにそれでは意味がありません!」
 彼から話された事は自分がこの前止められたばかりという事を無視した発言だった。あまりの身勝手さに怒りが湧きすぐさま否定する。
 本当に無茶ばかりしようとする人だ。もし秋斗さんに何かあったらどうなるのか考えてもくれないのだろうか。
「……無茶は承知だ。戦で兵が死ぬのは……不本意だがまだ許せる。しかし民に被害が与えられるなら俺は動く。いや、動かせてくれ」
 私に懇願する秋斗さんの泣きそうな表情は子供のようだった。
 自分が無理を言っているという事を噛みしめて、それでも自分が何かを助けたいという純粋な想い。
 雛里ちゃんも泣きそうになりながらも秋斗さんの横で耐えている。雛里ちゃんは渋々だが認めたという事か。
 きっとその状況になれば桃香様も同じことを言うだろう。劉備軍大将の突出などさせられるわけが無いので却下だ。愛紗さんと鈴々ちゃんは飛将軍防御に必須なので呼び戻せない。敵の主力の将が全て城壁外に出ている今、私達の軍で一番対応に向いているのは徐晃隊で間違いない。
 今この時に話しに来たのは愛紗さんと鈴々ちゃんが反対するのを分かっていたからなのか。それとも戦況を見ての判断なのか。
「他の軍に任せるならこの軍の存在意義が無くなるだろう?民のために立ったなら、命を賭けて為すべきことだ。違うか?」
 強く明るい光を携えた瞳は覚悟の色。
 私の心はその言葉と瞳に吸い込まれて行く。
 ああ、これか。これが本当の……。
 覚悟の大きさが違う。違い過ぎた。
 彼の瞳から目が離せず、自分の心臓が大きく高く鳴っているのが聴こえる。
 この人が言っているのは私達の言葉の責任を取ると言う事。
 命を預かる立場の私達が口にし、表明した参加理由は行動で示さなければいけないモノ。
 私はどうしてそれを放棄しようとしていたのか。
 彼が……彼だけが私達の想いを貫いていた。返す言葉はもうここで決められていた。
「ま、まだ起こると決まったわけではありません。しかし事が起きた場合は……慎重に時機を見て行ってください。それと洛陽内でも絶対に無理はしないでください」
 洛陽が火に沈む事は起こる可能性としては一番高い。今まで姿を現さなかった董卓は逃げる時も姿を見られる事を恐れるはずだから。
 じわじわと不安と心配の気持ちが心に広がり、それでもこの人を止められるわけ無かった。思考の中では、それはいけない事だと分かっている。本当なら他の軍に任せて耐えているべきだ。でも私達の理想がそれをさせてくれない。
「二人ともありがとう。それと、無理を言ってすまないな。……その時は俺達の本陣は任せた」
 言葉と共に頭を優しく撫でてくれる。
 この人はズルい。覚悟の大きさと優しさでどうしようもなく人を惹きつけてしまうから。
 誰かの心配も分かっているくせに、向けられた想いを振り切る事に心を痛めながらも進んでしまうから。
「曹操さんと孫策さんに伝令を。愛紗さんにもです」
 せめて万が一が起こらないように万全を期すのが私に出来る事だ。
「じゃあ俺は桃香を説得してくるよ」
「いえ、私が説得します。させてください。だから秋斗さんは雛里ちゃんと戦場を見続けてください」
 この人の強い思いに応えたい。私は今になって初めてこの人の事が少し理解出来た気がした。

 †

 劉備軍からの伝令が私の軍に予測を伝える。
『董卓が逃げる為に洛陽に火を放つ可能性あり。もし煙が上がったなら機を見て徐晃隊が城門に突撃をかけるためそれに続いて頂きたい』
 董卓は確かに傀儡だが逃げるにしても民に被害を与えるような落ちぶれた事をするわけが無い。そのような主に張遼が仕えるとは思えない。
 しかしそこである思考に至る。
 董卓が悪でないならば悪に仕立て上げる。それを平気で行ったのが連合ではなかったか。
 総大将の後ろの者達はより確実な勝利をもぎ取るために手段を選ばない。
 その考えが抜けていた事に気付き、ギリと歯を噛みしめ、振り返って袁紹軍を睨む。
 お前達は民を苦しめ、私の戦を最後に穢していくのか。
 麗羽も田豊も関係ないのは分かっているがそれでも睨みつけてやらねば気が済まない。
 臆病な麗羽が自分の危険も顧みずにそのような策に走る事は無い。
 田豊はそれが行われる事を知っていただろうが桂花の言葉を信じるなら止める事が出来ない。
 命を散らせる覚悟を持たないモノを蹂躙しようとする者達に怒りが湧く。
 愛しい戦が穢されようとしている事を理解し憎しみが心を燃やす。
 だがまだ起こるとは決まっていない。
 心を鎮める為に言葉を反芻し、次なる思考を開始する。
 そのような事態が起こったならこの戦はどう動く。どう動かす。
 瞬く間に積み立てられる思考の中で自分が望む結果に持って行くための解を一つ得た。
「誰かある!」
「はっ」
「荀彧に隊の半数を率いて夏候惇と合流させよ!」
 あちらはこれでいい。もう一つの方は私が行きたい所だが……
「沙和」
「はっ!」
「凪と合流し桂花の抜ける穴を埋めなさい。それと徐晃が城門に向かったなら二人でその後を追うように。中での判断は民の救出優先。規律の厳しいあなたの隊なら出来るわね?」
「御意なの!」
 これでしばらく様子を見ながら、かつ迅速な対応もできるように変化させられた。
 沙和も凪も黄巾の時にそのような場合の対応に慣れているので一番的確な判断が出来るだろう。
 考えているとふと一つの疑問が起こった。
 一体劉備軍の誰がこの可能性に気が付いたのか。同時に一人の飄々とした男が思い浮かぶ。
 そうね、あれでなければ考えつかないか。
 あの軍は甘い思考に縛られている。悪の思考は本能的に拒否してしまうだろう。
 本来ならば軍師達はそんな狭い籠に捉われたりはしないが、理想という甘い罠にかかってしまえば話が違う。
 せめて狂信者になれば良かったのに妄信者になってしまった者達の哀れな軍。
 たった一つ、内にある解毒薬があの男。今回の徐晃の突撃は仲間の心配を無視したモノ。しかしその行動の真意が伝われば全てが大きく成長できる。
 これでこの戦が終わるとあの軍は大きくなると確信できた。
 その考えに至り先ほどの昏い感情など嘘のように晴れやかな気分になった。
「あの男がそこまでできるほど劉備が成長したという事か」

 †

「雪蓮、劉備軍から伝令だ」
 戦場の空気に当てられてか妖艶な笑みを携えて戻ってきた自分の主に報告を行う。
「どんな内容?」
「董卓が洛陽を戦火に沈める可能性あり、もし煙が上がったなら徐晃が道を切り拓くので続いて欲しい、らしいわ」
 あり得る事だと思う。確かに連合の発端と袁家のやり口と照らし合わせれば董卓が行わなくても起こりうる。
「そう、やっぱり敵を広げて呂布隊の被害を増やしておいてよかったわね」
「……また勘か?」
 頭に手を当て苦い顔で片目を瞑り、開いている目で私を見やりながら尋ねてくる。
「どっちにしろ洛陽内部に進行するには手薄にしておくべきだったしね」
 じとっとこちらを睨み、しかしそれでも責めているわけではないのが分かる。
「……まあいい。とりあえず誰を送るかだが……」
「私が直接行くわ。反論は受け付けないわよ?今後の為に必要な事だもの」
 民の噂は権力者にとって一番の力にも毒にもなるのだから。
「……いいだろう。しかし思春を護衛につけて貰う。それと事が起こったなら黄巾の時の劉備軍への貸しは無しだな」
 思春の護衛は構わない。むしろ願ったり叶ったりだと言える。
 貸しはこっちが押し付けたのだからあちらも押し付けて終わり、という事か。
 できればこの後に生かしたかったのだが仕方ない。
「了解。まあ起これば、だけどね」
「お前が言うとどこか確実に起こるように聞こえてくるから困るな」
 苦笑しながらの言葉に私は舌を出して返し、少しだけ休息を取る事にした。

 †

 圧倒的な武力は虎牢関の時よりも尚、研ぎ澄まされていた。
 公孫賛の所の趙雲と曹操軍の夏侯淵と許緒、孫策軍の黄蓋と劉備軍の張飛。そしてあたし。
 六人でやっと抑えている。
 夏侯淵と黄蓋の鋭い矢は的確に時機を見て撃ち込まれるも躱され、趙雲の鋭く速い槍撃は一筋も掠らず、張飛と許緒の重い攻撃を難なく受け止め、あたしの不規則な連撃を見事にいなしきる。
「ちびっこ! ちゃんと力込めてるの!?」
「うるさいのだ春巻き! お前の方こそ攻撃が軽いのだ!」
 言い合いしながらも何故か息の合った連係を取って呂布に攻撃を仕掛ける二人。
 ただ張飛は気合の入り方が許緒とは違う。きっと秋兄が一番傷ついていた事が影響してるんだろう。
「張コウ殿、某に合わせられますかな?」
 息を少しだけ弾ませながらの趙雲の言葉に頷き答える。
「いいねぇ。やってみよっか。もう我慢しなくていいって夕に言われたしねー」
 それでも倒すには足りなさそうだけど、とはさすがに言わない
「黄蓋殿」
「うむ。わしらが援護する。お主らは好きなようにやれい」
 弓が主体の二人はあたし達の援護をしてくれるようだ。
 付かず離れず放たれる矢の連携には、先ほどから危ない所を幾度となく助けられていた。
 呂布は虎牢関の時とは違い本気なのか真剣そのモノ。
 こちらは足止めが目的なので攻めているのも牽制の度合いが強い。それでも本気で殺しに行っているのだが。
 方天画戟の寒気のするような攻撃は二人で防ぎ耐える。
 動きが止まった瞬間に左右から放たれる矢に敵はうっとおしそうに飛びのいて躱し、その先に重い二つの攻撃が待つ。
 受け止めた所にあたし達が攻撃を放ちまた飛びのく。
「……めんどくさい」
 心底苛立たしげに呟かれた一言は本心からだろう。あたしだってこんな攻撃続けられたら心が折れる。
 呂布を見つめ次の攻撃に警戒していたら戦場の空気が変わった。

 †

 張遼の用兵はやはりというべきか凄まじかった。
「くっ、さすがだ。幽州の白馬部隊がこうも翻弄されるとは」
 牡丹がいればもう少し違ったんだがいない者を求めても仕方がない。
 今は馬超が張遼と争っているがその実力は均衡しているように見えた。
 人馬一体とはあれの事を言うのだろう。
 用兵ならば馬超よりも上だと胸を張って言えるが個人の武では敵いそうもない。
「シ水関では関羽、虎牢関では夏候惇、洛陽では錦馬超かい。うち、もてもてやなホンマ」
 冗談めかして言っているがその表情は真剣そのもの。
 一騎打ちに割って入るほど私は落ちぶれていないので邪魔しないが羨ましく思う。
「あたしの馬術に付いてこれる奴が西涼以外でいるなんてな」
 馬超は楽しそうに笑いながら言い放つ。
 その時視界の端に黒いモノが掠め城壁の上を見上げる。
 あれは……煙か?
 城壁の上から煙が立ち上っている。洛陽に火が上がっているという事か。しかも一つじゃない。
「おい! 洛陽から煙が上がってるぞ!?」
 私の他に気付いた兵達が口々に騒ぎ出す。
 大きな金属音を響かせ互いに武器を弾いて張遼は馬超の横を抜け、振り向いて城壁の上を少し見た。
 その表情は驚愕、そして次に困惑、最後に膨大な、はち切れんばかりの憤怒に変わった。
「なんでや……まだわからへんだやないか。それにあれはちゃう。あの場所は屋敷の場所ちゃうやん。……そうか……これがお前らのやり方かい!」
 全てを呑みこむこのような怒号と共に馬超に突撃する。
「ぐっ!」
 馬超はなんとか耐えたようだったが鬼気迫るその殺意に圧されてしまっていた。
「張遼隊! 右翼突撃! 喰らい尽くせぇ!」
 それは張遼が行うとは思えない愚かしい号令。だが兵達の瞳も怒りに染まり、応とそれに従い、私達を無視して袁紹軍に向かい突撃し始めた。
「逃げるのか!?」
 思わず反射的に上げた馬超の一言にも振り向かず彼女は進んで行く。
 何が起こったのか分からないまま、張遼の気迫にそれを追う気にもなれず、私達は他の軍との戦いに向かおうとして……
 すぐ目の前を黒い麒麟の部隊が横切って行った。

 †

 予想していた通りの事が起こった。
 洛陽でのこの展開は分かっていた。
 どうせあのクズが中に送り込んでいたんだろう。
 董卓は悪でなければいけない。そんな押し付けを行うためにあのクズは無駄に民を殺す。あれはそんな策を平気で出す。
 洛陽内部に紛れ込ませた細作を使い火を放ち董卓の責とすること。
 今頃生贄のために董卓や賈駆を探しているのだろう事も予想に難くない。
「麗羽。これがあいつらのやり方。そしてあなたと私の敵のやり方」
 横で怒りと恐怖に震える彼女を責める事はできない。
「す、すぐに猪々子さんを救援に向かわせますわ!」
「それはダメ。怒った敵がこっちに来る可能性が高いから」
 戦場を見やれば張遼の旗が大きく動いていた。
「ではどうすればいいんですの!?」
「文醜に伝令。張遼隊に一当てしてすぐ下がるか開くように。私達は下がる。夏候惇が近くにいるから心配しないでいい」
 焦ってこちらに聞き返す麗羽にすべきことを伝えると彼女は静かに頷いた。
 右には夏候の旗が近づいてくるのが見える。そしてあの子も。
 桂花との久しぶりの共同作業とは……私にとっては嬉しい事だ。
 未だに震えている麗羽の背中を少しさすり低く優しく言葉をかける。
「大丈夫。私が全部守ってあげる」
 さて、桂花は今まで一度も私に戦術で勝てなかったけど今回はどうだろうか。
 あの子の才能は政治向きだから仕方ないか。
 戦場で違う軍に所属しながらも頑張っている彼女を想い、私は全てを操るために行動を開始した。


 †


 胸の内にある感情は怒り。そして責任感。
 あの人は力の無い私の代わりに行ってしまった。
 朱里ちゃんからの話で彼の行動の意味を知った。
 命を賭けているのは兵も将も同じ。それをどうして止められようか。
 決断したのは私で、命令を出したのも私なんだ。
 自分の言葉一つに責任が伴う事はもう分かっている。
 でも無理しないでと止めたのは誰だったか。
 大きな胸の痛みを感じて、それでも歯を食いしばり耐える。
 王とは決断を下す者。
 それが例え近しい命を危険に晒す事柄だとしても必要とあらばしなければいけない。
 自分が何を目指しているか。
 自分が何をしたかったのか。
 そのために必要な犠牲を分かっているか。
 その責任を背負うならば自分を使え。
 彼が言いたいのはそういう事。
 朱里ちゃんからの説明の最中にも私は何も言わなかった。言えなかった。
 私が選んだ事は自分の周りを犠牲にして他者を助ける事。
 大きく言うならば、自分の国の民を犠牲にして他の国の民を助ける事。
 兵と民は違う、と誰もが言うだろう。
 死の覚悟を持ち、戦う事を選んだ者が兵。生きる事を願い、平穏を望む者が民だ。
 そこにある命に違いは無いはずなのに誰もが違うと言う。
 既に決断を下した私に出来る事は無事を祈り、民が少しでも救われるよう願い、そしてこの戦が速く終わるように命を下す事だけ。
「朱里ちゃん、他に私が出来る事ってあるかな?」
 自分の信頼する軍師に尋ねる。何か他にもないか、何か一つだけでも私が出来る事は無いのだろうか。
「桃香様……。この戦が終わり次第、洛陽内部の民の救援活動を優先します。今は耐えましょう」

 私はやはり待つ事しか出来なかった。

 
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