誰が為に球は飛ぶ
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青い春
四 意地っ張り
第四話
隠された才能ってあるのかな。
私は、隠された才能なんて信じてなかった。
「やればできる」は「できない」という事。
ずっとそう思ってた。だって、「やれば…」なんて言ってるコが、本当にやった所も、できた所も、見た事ないんだもの。
「やらない」も「できない」も、どちらも「結局できてない」という点で一緒じゃない。
だから私、いつも手を抜かないように頑張ってきたつもりよ。勉強も、部活も。
何でも物事はキッチリこなす。そうでないと、自分がダメになりそうで…。
高校に行って、あのバカと同じ部活に入ってからは、野球のルールもスコアブックの書き方も、ドリンクの作り方もケガの手当ての仕方も夏休みまでには一通り覚えたわ。マネージャーでも、力いっぱい「部活」しないとね。
そんな私なんだけど、「あの一球」、あれには「隠された才能」を感じずにはいられなかったわ。学校さえもサボりがちな彼が、曲がりなりにも毎日練習している鈴原よりも、よほど良い球投げたんだもの。
立ち姿、動きのしなやかさ、どれもこれも、綺麗。そう思っちゃった。
それと同時に、私自身もちょっとぐらついちゃったのよね。
こんなにあっさりと素質が努力を上回る事があるのなら
いつもいつも努力して、人並み以上に自分を見せてる私って
一体何なんだろう?
ーーーーーーーーーーーーーー
「また来たよ。」
「うん…」
薫が耳打ちすると、真司は途端に表情が曇る。
そして何を思ったか、即座に机に突っ伏して狸寝入りを始める。何と分かりやすく、そして露骨なんだろうか。
1-Cの教室に入ってきたのは、日向だった。
これでもう一週間は通い詰めである。
「…起きてるんだろ。俺が見えた途端に寝たふり始めたの見えたぞ。」
真司の前までやってきて、日向は真剣な顔でその机に突っ伏した頭を睨む。
そして頭を下げた。
「頼む。野球部に入ってくれ。君の力が必要なんだ。」
もうずっと、毎日同じような言葉を続けて、日向は真司に頭を下げ続けている。真司はピク、と反応したが、頑なに狸寝入りを続ける。
頭を上げない日向に、顔を上げない真司。
2人の我慢比べのようになっていた。
「キ〜ンコ〜ンカ〜ン」
チャイムが鳴ると、日向は仕方なく教室から出て行く。恨めしそうに真司を見ながら。
ーーーーーーーーーーーーーー
「どうして」
「え?」
放課後、月に一度のクラブハウスの掃除をしながら薫が真司に話しかけた。
「どうして日向さんからの誘いを断り続けるんだい?彼は真司君を必要としているのに。」
「なんだ、薫君までその話か」
箒で床を掃きながら真司は答える。
「必要って、何の為に必要なのかな?」
「え?」
薫はそこに疑問を持った事は無かった。
真司がどうやら腕の良い野球選手だから、野球部としては真司が居ると助かるのだろう。
それくらいの認識だった。
「あの程度の球は、鈴原もすぐに投げれるようになるよ。僕が言った通りに練習し続ければね。日向さんが欲しいのは、あの球だ。決して僕じゃないさ。あの球が手に入れば、それを投げてるのは別に僕じゃなくたって構わない。多分そうなんだ。」
真司は手際良くモノをどかせたりして、部屋の隅々の誇りも一箇所に集めていく。
「まぁ、戦力として考えれば、ピッチャーは多い方が良いよね。でも、ピッチャーを揃えて、少しだけチームが強くなったとして、その先に何があるのか…一つも勝てなかった所を、一つ、二つと勝ち進んでいけるようになったとして、その結果の先に何があるのか…僕にはよく分からないんだ。その二つの間の違いの価値が、よく分からないんだよ。そんなよく分からないモノの為に、僕みたいな奴をチームに入れるというのは、安直じゃないかって考えちゃうんだよ。」
「そして、君もそんな『よく分からないモノ』の為に努力はできないし、したくない」
真司はふふっと笑った。
「そういう事になっちゃうよね。野球は中学までやってたんだけど、何というか…もう気持ちが奮わなくなっちゃって…」
薫は真司がゴミを集めるのに合わせて、塵取りを用具箱から持ってくる。薫が構えた塵取りに、丁寧に真司がゴミを収めていく。
「……僕が一番気になるのはね」
「?」
ふと、しゃがんでいる薫が真司の方を見上げた。特徴的な赤い瞳が真司の黒い瞳を捉える。
「…君は色々言いながら、そして拒絶した風でありながら、どこか今の状況を喜んでる。自分の中の何かが変わる事を期待してる。そういう風に、僕には見えるという事なんだ」
真司の眉がピク、と動いた。
薫は、微かに戸惑いの色が見える真司にニッコリと微笑んで、塵取りを持って部屋を出て行った。
ーーーーーーーーーーーーーーー
「洗剤に、タワシに重曹、洗顔料に、新しい歯ブラシ、お米にこの先一週間のおかずの食材か。…ちょっと買い物貯めすぎちゃったな」
クラブハウスから帰宅する途中、真司はショッピングモールに寄った。真司は現在、一人暮らしである。こうなってしまったのには色々事情はあるが、だがしかし、とりあえずお金に苦労はしていないだけでも真司には十分な事に思えた。仕送りは十分過ぎるくらいで、毎月余らなかった事がない。1人が寂しいと言って泣くような可愛らしさは、残念ながら真司にはもう残っていない。
両手を袋で一杯にして、さあ帰ろうという途中、真司は見慣れた顔に出くわした。
「あっ」
「…委員長…」
おさげの髪にそばかす、それは洞木光である。
「重そう。一つ持ってあげる」
「え?いいよ、それは」
「良いから」
光が真司の持っている大きな袋を奪う。
そうして、このまま途中まで、一緒に帰る事になった。
ーーーーーーーーーーーーーー
「1人暮らしなんだ」
「うん。春からずっとね」
「自炊?ちゃんと食べてるの?」
「え?ああ、まあ適当に、かな」
第三新東京市を走るモノレールの隣に座る光と真司。季節は秋で、部活から帰ると、もう日はすっかり暮れている。
「……」
「……」
沈黙が続く。そもそも真司に、女の子とペラペラ何かを話し続けるようなスキルは無いし、そのモチベーションもない。光も同様だ。しっかり者で、男子特有のアホさを叱る事は出来ても、それ以外の関わり方をそうそう知らない。その原因は多分、藤次と過ごした時間と、その時間の中で固定化されてきた関係なのだろうが。
「…私、次の駅だ」
「そう」
光の方が、学校から家が近い。
別れが近くなって、不意に光が話し始める。
「碇君、野球はもう、嫌いなの?」
「ん…」
唐突な質問に、真司は困ってしまった。
「…嫌いじゃないけど…もう一度やる自信はないかな」
「そうなんだ」
光が真司の目を見た。ショッピングモールで出くわしてから、目を見たのはこれが初めてかもしれない。
「あの時見た、碇君のストレート、速かったわ。少し羨ましかった。」
「ええっ…とぉ…そんな事無いよ…」
いきなり褒められて、少し真司はまごついた。
真顔で褒められるなんて照れくさい。
そんなに親しくない女子相手ならなおさら。
「羨ましいって言うのはね、球の速さとかじゃない。私たちがすごいすごいって思っても、そう思われてる事を何とも思わない、碇君が羨ましかった。私たちよりずっと高い所に居るのかなぁ、とか思ったり…」
モノレールが停車する。光が席を立つと同時に、ドアが開いた。
「変な事言っちゃってごめんね。気にしないで。」
「ああ、うん。さようなら。」
光は真司に背を向けて、車内から、涼しい風の吹く外へと出て行った。
冬が近づいてきていた。
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