世紀末を越えて
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プロローグ
不意の別れ
後日。僕は直接彼女の家を訪ねる事は躊躇われた為、学校にてその彼女の物であるというこの鍵を渡す事にしたのであった。果たしてどう渡したものか考えるうちに、時間だけが徒に過ぎて行く。無論彼女は学校に来ているのであろう。普段通り屋上で横になり寝ている事であろう。さてどう渡したものか。と。結局僕は授業を抜け出し、屋上の彼女の元へ行く事にしたああのであった。固く重く、外界から遮断される質感の壁に四方囲まれたこの折り返し階段。その先に屋上へとつながるドアを開ける。その過程上、そこから垣間見えるその日の空は一段と青く澄み渡り、快い風が僕の澱みを祓い突き抜ける。そして驚く事に、僕の視線上には彼女が、屋上の中央に、僕に背を向ける形でそこに立っていたのだ。僕の存在に気づいたのか、彼女はこちらに向き直り、そこで、今日の私はもう満足、ええ、きっとそう。ねえ樂間君?今の私がここに居る事に、本来の私としての理由は特にないわ。だからあなたがここに来たという事。もうそれだけで私は十分よ。きっとここにくると思った。
或は彼女は解っているようであった。今僕が彼女にその鍵を渡しに来た事を。僕はポケットの中に手を入れ、彼女に鍵を差し出す。
「そう、これ。」
僕の憶測に過ぎない事だが、彼女は、この鍵を受け取る事を何処か恐れているようだった。しかし彼女はその右手を鍵を握る僕の手に延ばす。彼女の指先が僕の指に触れ、僕は彼女が鍵を掴める様にそっとその右手を開いて行く。鍵を握る僕の手が緩んでいく程に彼女の指先は僕の手をなぞり、そこで漸く鍵を取るに至った。
当然、他人に物を私という行為の過程に於いて、どれほど意識しているかは定かではないが、少なからず相手の、渡すべき対象である手を見ているものだが、僕が彼女に鍵を渡し、彼女は手を下ろす。そしてどういう訳か僕が一度瞬きし、再び目を開く、その時点でも彼女の手は僕の視界の中には入っている。しかし一つだけ、その一瞬の中では到底無くなる筈の無い、在るべきの物の存在が、僕の視界から消え失せていた。彼女の手の内にある筈の、鍵が消えていたのだ。
唖然とする僕を他所に、彼女は何の釈明もせず。ただ、ありがとう。と一言言い残し、その場を去ろうとした。二、三歩歩み、どういう訳か、最後に。また、会えると良いですね。と。
次の日から、彼女の姿を見た者はいなかったという
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