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木ノ葉の里の大食い少女

作者:わたあめ
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第一部
第一章 純粋すぎるのもまた罪。
  1-4


「……あうあうあー」

 目を覚ませばそこは見慣れたアパートの一室だ。昨日の三十個もの連続任務のお陰で筋肉痛である。いずれも簡単なものではあったが、初日で三十個も任務を仕入れてくるハッカはどうかしているとしか思えない。まあ四分の三くらいはハッカがせかせか働いて片付けていたのだが。

「わんっ」

 駆け寄ってくる紅丸は殆どマナの頭の上で昼寝をしていたので特に疲れた様子はない。そんな紅丸を恨めしく思いながらも、マナはベッドから転がり降りて、シノから貰ったお握りを一個、一口で丸呑みした。ドッグフードを紅丸の皿に入れて、自分の皿にも入れ、一緒にぱくぱくと食べ始める。

「さて、いくぞー苺大福」

 ジャージを羽織り、紅丸を抱き上げる。そしてマナは、電気も水も止められた家を後にした。

 +

「おっはよーございまっす」

 遠くに見える三つの影に気の抜けた声で挨拶し、手を振れば「遅いぞマナ!」とハッカが両手を腰にあてる。「そんなこと言ってセンセーどうせ一時間前からここにいたんでしょ……」、とユヅルが溜息をつく。甘いな、とハッカが不敵な笑みを見せた。

「五十三分と29秒前だ!」

 秒単位で細かく時間を数えるのがシソ・ハッカだ。これには呆れるしかない。もしかして時空間忍術が得意だから時間に敏感なのかも? と思ったけれど、別にそうでもないようだ。
 今日も任務を受けに火影のところへと赴かねばならない。とりあえずついたら火影さまからなんか食べれるもの貰おうかな、と考えながらマナは屋根の上に駆け上がった。
 前方をはじめが駆け、その後にユヅル、マナと続く。ハッカの姿はない。手加減の三文字を知らないあの上忍は音も立てずに生徒を置き去りにして駆け去っていった。普通ちょっとスピードを落としてくれたって損にはならないと思うのだが。

「貴様ら、遅いぞ!」
「……センセー、竜とトカゲを比べるのはやめてください」

 ユヅルの溜息混じりの突っ込みに、「む! 竜か、それもいいな!」とハッカの顔が子供のように明るく輝きだす。まさに火影室に入ろうとしたその瞬間、中から声が聞こえた。

「大変です、火影さま! ……狐者異一族に伝わる大切な巻き物が盗まれました」
「……なんじゃと!?」
 
 マナが息を呑んだ。マナは狐者異のことについては余り知らされずに育ってきていた――狐者異の様々なことについては、知らない方がいいという火影の判断ゆえだが……。
 また火影も、マナが他の子供たちと馴染めるように、アカデミーの図書館などで公開している、狐者異に関する書物は最重要な秘密には触れぬ程度のものとし、他のものは蔵に封印した。それが盗まれたりしたら――
 
「……狐者異の巻き物奪還任務を命じる! ゲンマ、お前が――」
「ちょおおおっとまったああ!」

 がちゃっとドアを開け放ち、ずかずかとマナが中に入っていった。ハッカたちも慌てて後に続く。唖然とした表情の火影に向かって、マナは大声で言い放った。

「その任務、アタシが受けさせてもらうぞ!」
「……なっ、」
「よくよく考えて見りゃあアタシは狐者異のこと何も知らねえし、狐者異がアタシ一人になった今、狐者異のことが知られて一番危ないのはアタシだ。自分の身に降りかかるキノコは自分で食べる、それがアタシの忍道! ――アタシが自分でなんとかする!」

 暫しの静寂。そしてはじめの一言と、ユヅルの突っ込みが入った。

「自分の身に降りかかるキノコは自分で食べる――自分のことには自分で責任を持つということか」
「マナ。それを言うなら、自分の身に降りかかる火の粉は自分で振り払う、なんだけど。つーかはじめも納得しないで」
「……じゃが、マナよ――」

 思わぬ助け舟は、火影室の外からやってきた。

「火影様! その任務、我らと彼ら九班で受けましょう!!」

 振り返るとそこには真緑の全身タイツの男が立っていた。その後ろにはいつぞや無銭飲食した時に投げ飛ばした体育会系先輩と、苦労性な暗器使いの先輩と、八卦六十四掌でズタズタにしてきた体術系先輩もいる。
 おお、とハッカが目を見開いた。ガイも目を瞠る。

「ハッカ! 我が青春の盟友よ!」
「おお、ガイよ!」

 たたたっと走りあった二人がぎゅっと抱擁しあうさまは正直暑苦しくむさ苦しい。激太の眉の黒髪おかっぱ真緑全身タイツと、背高黒髪長髪赤いシャツの二人が抱き合っているのだ。テンテン及びユヅルの顔が青くなり、「うおーっ! これぞ青春!」とリーは感極まり、ネジはまるで「俺はこいつらの知り合いじゃありません」とでもいうかのように目を逸らし、それを見たはじめがそれを真似て目を逸らす。紅丸は怯えて縮こまり、マナはぽかんとそれを見上げる。
 ガイはガタイがよく筋肉もたくさんついているいかにも暑苦しそうな外見で、ハッカは痩せていながら肩幅は広く背はずばぬけて高い。そんな男二人の抱擁は、さぞかし年頃の少年少女に強烈なインパクトを与えたことだろう。

「話は聞いたぞ!! 自分の身に降りかかるキノコは自分で食べる、か! 素晴らしい! 素晴らしき忍道だ!!」
「ええ! なんかちょっと違うような気がしますが、素晴らしい忍道です!」
「……だから自分の身に降りかかる火の粉は自分で振り払うって、あっちの子もいってたでしょ……」

 感動しているらしいガイに突っ込むテンテン。こんな先生だけどよろしくね、とこちらに向き直って笑う。

「…………」

 尚も唖然としている火影に、笑いながらガイが宣言した。

「ということで火影様、この任務は我ら三班及び九班が受けましたぞ! いやーはっはっは、ゲンマよ、出番を奪ってしまって悪いなあー!」
「……いや、別にいいんだが……」

 呆れた声で答えるゲンマ。
 かくして三班と九班は火影室を離れた。

 +

「さて、これからどこ行くんだ?」

 マナの尤もな質問に、ユヅル、テンテンが「全く考えてなかった」という顔をする。リーが期待に満ちた顔でガイを見た。はじめがぎぎぎぎぎと首を動かしてハッカを見る。

「ネジ」
「――わかっている。白眼!」

 かっと見開かれた大きな白目の近くに浮んでいるのは血管か神経か筋肉か。ネジの視界が一瞬で白へと変じた。すうっと遠くへ目を走らせる。任務中の木の葉の忍、修行中の下忍か中忍、そして――

「終末の谷に他国の忍がいる。何かしらの封印がつけられた巻き物を持っているようだから、あいつで間違いないだろう」
「外見の特徴は?」
「……スリーマンセルだ。ウエーブした髪の男と、ツインテールの女、それからセミロングの男。額当ては……音符か。どうやら最近田の国に出来た音隠れとかいうマイナーな隠れ里だったな」
「あれ、そう言えばなんか人減ったような……」
「むっ、我が青春の盟友ハッカはどこに――?」
「どうせ“ふはははははは! この私に追いつけれるものなら追いついてみるがいい!”みたいなノリで高笑いしつつ全力疾走しちゃったんだろ?」

 呆れたように溜息をついてから、マナは完璧にハッカの口調を真似てみせる。ハッカはつい昨日そういいつつ目にも留まらぬスピードでゴミ拾いを完成させ、“私の勝ちだな”、ニタリと笑っていたのだ。あまりにその声真似が似ていたのでユヅルは思わず吹き出し、樹上から落下しかけたのをリーに捉えられた。テンテンが顔を紅潮させて笑っている。ネジはくだらない、というような表情で、はじめは相変らず無感動だ。

「おお! ハッカは昔からかけっこが得意だったからな!」

 とガイは思い出に耽り始める始末だ。
 ……というか、担当上忍が下忍に成り立ての生徒と駆け比べするもんなのか? という突っ込みは心の内にとどめておくことにした。

「……どうやら追いついたようだぞ」

 ネジがぽつっと呟いた。ハッカが奴らに追いついた、ということらしい。ガイは流石ハッカだ! と目を輝かせ、リー諸共恐ろしくスピードアップしった。ネジもすぐさまそれに追いつき、はじめもそれを追おうとスピードアップする。ユヅルとテンテン、マナは後ろで追うしかない。

「マナ!」

 はじめの声に頭を上げると、はじめの手の中に干し肉があった。きらーんとマナの目が輝き、ユヅルとテンテンの腕を掴むないなやその肉を追って全力疾走を始めた。チャクラが活性化している。紅丸が心地悪そうにマナの頭にしがみついていた。
 あっという間に追いつかれたはじめはそれをガイの方へと投げ、すささささとマナはあっという間にはじめ、ネジ、リー、を追い越しガイへと飛びついた。ガイは干し肉を持った手を振り回しながら全力疾走する。
 そうこうすること約五分、終末の谷にたどり着いたガイは干し肉を思い切り投げた。投げられた魚を飛び上がって受け取るアザラシさながらにジャンピングし、がぶっと干し肉にかぶりつき――そして戦いのど真ん中に墜落した。

「な、オイどうする!」

 三人の、自分たちと同じくらいの年の少年少女だった。ハッカ相手になんとか戦ってきたのが、一気に七人も加勢してきたのだ。取り乱したねこっ毛セミロングの少年を片手で制し、ウエーブした髪の少年は軽く首を傾げた。

「――どうする……か。心配……するな」

 その少年が目を瞑る。リーダー格らしい彼に襲い掛かろうとするハッカを、「させない!」とくすんだ紅い髪の少女がクナイで応戦する。そのクナイを持つ手を掴んで少女を投げ飛ばすのとほぼ同時に、しゅっと岩壁から五つの影が現れた。

「忍法・音寄せの術」

 リーダー格の少年がうっすらと笑った。子供が三人と、大人が二人というのはこちらにあわせているつもりなのだろうか。投げ飛ばされた少女が背の高い女に受け止められる。

「大丈夫、サンカ?」
「レミ先生! 巻き物を先に持って帰ってください!」
「そうはさせないわよ!」

 テンテンが叫ぶのと同時にクナイを放った。恐ろしく的確な狙いでサンカの手の甲を打つ。その手から巻き物が落ちた。しかしそれを今度はセミロングの少年が拾い、そして彼はそのまま踵を翻そうとする。

「――逃がして、たまるかっ!」

 巻き物が相手の手の内にある間はこの繰り返しだ。指先から放出したチャクラ糸を網のように交差させ、ドーム状に谷を覆う。 
 そして戦闘が始まった。狐者異の巻き物を巡って。

 +

「このアマぁ……よくも私の右手を! 覚悟なさいッ」

 サンカが傷を受けていない左手一本で手近な大岩を掴み、そしてそれを高々と天に掲げた。チャクラコントロールの上手い人間はチャクラを手に集めることで怪力を発揮することが出来ると言うらしいが、これはチャクラを使ってはいなかった。くすんだ紅毛が陽光に照らされぎらぎら光る。

「――まさか」

 サンカが岩を投げた。恐ろしいスピードを持ってして飛んでくる大岩から、相当力を込めて投げられたのだろうと想像がつく。逃げなきゃ、とテンテンは自分に言い聞かせた。しかし体は中々思うように動いてはくれない。
 ――動いてよ!
 心の中で悲痛な叫びをあげるも、足が動かない。いや、動いてはいる。しかしその動作はひどく緩慢だ。――テンテンの動作が緩慢過ぎるのか、岩が速すぎるのか? それすらもわからないままに逃げ出そうとする――

「のろのろしてんじゃねえぞテンテン先輩!」

 マナの捨て身の体当たりを受けて、テンテンは地面に転がった。その体が二メートルほど地面を削る。体当たりしてきたマナを抱きしめながら、テンテンは呻き声を上げた。ちりちりと焼かれるような痛みに擦りむいた肌が悲鳴をあげる。左の米神から汗が流れたかと思ったら、血だった。

「のろのろ、してなんか……っぐ!」

 それでも先輩としての意地を張って言いかえそうとするテンテンだが、額を襲う痛みに顔を顰めてしまう。ったく、と悪態をついてホルスターから水を取り出し、テンテンの傷口に注いだ。サンカの二発目の攻撃をすんでのところで避け、テンテンに包帯を投げてよこすと、彼女はさっさとそれを巻いた。振り返ると、サンカが投げた二つの岩は地面に大きな亀裂を残して砕け散っている。

「なんて馬鹿力なの……」
「改めて紹介をさせてもらおうか。私の名前はサンカ――赤頭のサンカよ!」

 赤頭のサンカ。なるほど通りでぎらぎら輝く赤毛なわけだ。
 赤頭(あかあたま)というのは怪力をもう妖の一種だ。五寸釘を素手で、そして指一本で抜いたりさしたりすることが出来ると言われている子供の(あやかし)。もしサンカがその赤頭の末裔ならば、岩を軽々と持ち上げ投げ飛ばすことが出来るのにも説明がつく。

「赤頭――だと」
「……わたしは、青行燈のミソラ」

 青行燈(あおあんどん)のミソラと名乗る少女が、サンカの傍に立った。長い黒髪で、頭の両側からは黒い角が生えている。にこりと笑った時に見えた歯も真っ黒だった。白い着物を纏った鬼女――伝承にある青行燈と同じ姿だ。
 ――なるほど、赤頭と青行燈が私とマナの相手ってわけ? 受けてやろうじゃない。
 クナイを軽く回転させる。赤でも青でもどうでもいい。わかっているのは負けられないということだ。

「いきますよーテンテン先輩っ!」

 +

「用はお前のチャクラ網を解けばいいってことだろっ!?」

 藍色の髪をポニーテールにした少年の踵落としに一瞬怯むユヅルだが、しかしそのかかと落としはクロスさせられたリーの両腕によってせき止められる。チッ、と舌打ちを零して少年は一歩後ろに飛びのいた。その傍に明るい茶髪の少年が立つ。

「ユヅルくんには指一本触れさせませんよっ!」
「ほー。そりゃー大した自信だなっ!」

 地面を蹴り飛ばして、回転蹴り。しかしそれを受け止めたリーは、その足を突き放すのと同時に彼の上体めがけて強烈な蹴りを放った。それに反応して体を屈めるポニーテールの少年にすかさず下から蹴りを飛ばす。“木の葉旋風”――一発目の蹴りをフェイクとし二つ目を当てる木の葉の体術だ。
 吹き飛ばされた彼を追って跳ね上がり、彼の上を取る。ハッと彼が目を見開くが時既に遅し、拳をぶつけてリーはその体を叩き落す。

「うあああッ!」

 茶髪の少年が振り下ろしてきた手刀を弾き飛ばし、僅かに距離を取ってから飛び蹴りを放つ。その少年はもう一人のポニーテールの少年を巻き込んで地面を削った。

「成る程? ――俺にこれを使わせるってか。いくぞクゥ」
「わかってるってば、カイ。雨降り流・雨乞い!」

 クゥ、と呼ばれた少年が印を組むのと同時に、雲ひとつない青空からぽつぽつと水滴が落ち始めた。いや、違う。ユヅルのチャクラ網によって囲われた部分にのみ雨が降っているのだ。黒雲がドームの内部のみに現れ、笑いながらカイがその上に飛び乗る。ぴかっと雷が迸った。

「俺達は雨降り小僧のクゥと、火の車のカイ――以後お見知りおきを!」

 雨を呼ぶ童――雨降り小僧と、雷雲を引きつれ死肉をあさる化け物、火の車。成る程二人はタッグを組むのには適している。

「……一つ聞いていいですか、ユヅルくん」
「……はい」
「どうしてあの、あそこのセミロングの子をチャクラ糸で操らなかったのですか」

 彼をチャクラ糸で操れば巻き物を奪うことは容易かったはずなのに、彼は敢えてチャクラ網でドーム状に谷を覆った。そうなることが彼を無防備にさせてしまうとしても。
 ユヅルは目を伏せてから、言った。

「俺の中のモノが、だめだって言ってるから」

 +

「さーて、俺様の名前はカイナで、こっちがケイなわけだけどさーあ」

 カイナ、というらしいセミロングの少年が首を傾げた。外ハネした茶髪のセミロング。きらきらと輝く目が、虚ろな目のケイと妙に対照的だ。

「大丈夫なの、そこの白目っ子少年。知ってるよ、君、白眼使いなんでしょ? かわいそーにねえ、体術って俺には通用しないんだよなあー」

 カイナが右腕を差し出す。その肌には茶色のまだら模様が浮いていた。

「俺ね、人を病気にさせちゃう化け物なんだ。疫鬼っつうんだけど。病田カイナ、よろしくねえ」
「俺……は。桂男のケイ……だ」

 虚無的な瞳をした少年はそう呟くように言って、にこりと笑った。弱弱しく漂うような笑顔だ。でもその虚無の奥に何か果てしないものを見つけた気がして、はじめは意図せずネジとの距離を縮めた。

 +

「二対二ずつになってるのね。丁度いいわ」
「――ふふ、マイト・ガイにシソ・ハッカ、だったか? 俺の名前は蓮助。こちらのは我が恋人、レミだ」

 鎖骨までの朽葉色の髪をかきあげてレミが笑い、胸骨までの朽葉色の髪を揺らして蓮助も笑った。ゴーグルのようなものをつけているためか、その目があまりよく見えない。

「さて――さっさとここから出してもらおうか」
「残念ながらそれは出来ないぞッ」

 居丈高に言い放った蓮助に拳を叩き込まんとするガイだが、蓮助はそれを軽く避ける。しかしガイとて避けられることを考えていなかったわけではない。地面に激突した拳を軸に体を折り曲げ、ばっと素早く蹴り飛ばす。腕でガードしたものの僅かに靴底で地面に痕を残した蓮助は小さく呻き声を上げた後、ガイを睨んだ。隣では蓮助を気にかける暇もなく、レミがハッカの素早い攻撃に対応している。

「ふん。いいだろう、相手になってやる」

 そして終末の谷にて、戦いが始まった。

 +

「テンテン先輩って何が得意でしたっけ」
「忍具よ。そっちは?」
「えーとまあ、食遁とトラップ系ですね」

 ならいいわとテンテンは表情を引き締めた。マナの耳元に作戦を囁くと、マナも顔を引き締めて頷いた。二人してサンカとミソラから間合いを取る。マナが懐からワイヤーを取り出すと、テンテンも巻き物を取り出した。

「先ずは――これからいくぜっ!」

 煙り球をサンカとミソラの間に向かって投げる。両人の間で爆ぜた煙り球から紫の煙りがあふれ出た。これではマナもテンテンもサンカとミソラを見ることが出来ないが――見なくとも二人を攻撃する術はある。

「いけっ、苺大福!」

 マナの頭の上から飛び出した紅丸が一直線に煙りの中に突っ込んだ。サンカの悲鳴が上がり、戸惑ったミソラの声が聞える。煙りかゆっくりと消えていったその瞬間を狙って、テンテンがクナイを投じた。咄嗟に反応できないミソラの右肩にクナイが突き刺さり、ミソラは痛みに歯を食いしばりながら左手でそれを引き抜く。一方サンカが必死に引き剥がそうとしているのは右手の甲に噛み付いた紅丸だ。傷ついている場所をつくとは卑怯だが、しかし汚い手を使ってでも敵を倒し任務を完成させるのが忍びというものだ。

「っこのミジンコがぁ……! ミジンコの癖に生意気よ!」

 紅丸を引き剥がすのは諦める代わりに、残虐な笑みを浮かべながらサンカは石を持ち上げた。紅丸を石で潰すつもりだと、紅丸も悟ったのだろう。サンカの右手を離そうとするが、逆にサンカの手が紅丸の顎を掴み逃させない。

「クソッ、やめやがれ!」

 思わず駆け寄るマナの前にミソラが立ち塞がる。彼女が印を組んだ。

「青行燈流・百物語」

 ミソラの足元から何か巨大な腕のような脚のようなものが伸びてきた。黒い毛が生えたそれをクナイできりつけるも、それは次から次へと現れてくる。よく見ていてそれが巨大な蜘蛛の足だと、そう気付いた。視界の隅に石を振り上げるサンカが目に入る。
 ――苺大福が、しんじゃう
 その恐怖に目が潤んだ。
 キバから貰った子犬が。
 アタシの苺大福が。
 死んじゃう。殺されちゃう。壊されちゃう。

「――嫌だあああああッ!」

 テンテンが手裏剣を投げてサンカの左手やわき腹へと突き刺すが、しかしそれでも彼女は石を持つ手の力を緩めない。いっそ胸や首を打って殺してしまえとも思うが急所は守られておりどうにも出来ない。サンカの残虐な笑みが広がり、石が思い切り振り下ろされた――

「……っう、ええ……苺大福ゥ……」

 蜘蛛の足がマナの体に触れた。そして包み込むようにそれらが一気に距離を狭めてくる。ぐいと、それらがマナに抱きつく。気味の悪い感触に震える暇も無かった。マナを掴んだそれは、マナを地中へ引きずり込もうとする――

「マナッ、しっかりしなさい!」

 手裏剣が飛んで、蜘蛛の足を切りとばす。涙で霞んだ視界のまま見上げると、背中からダラダラと血を流すテンテンが目に入った。その手に握ったクナイはサンカの首に当てられている。
 どうやらテンテンはサンカと紅丸の間に割って入って紅丸への攻撃を食い止めたのだと、そうとわかってマナは呆然と立ちすくんだ。足はもう踝のあたりまで沈んでいる。

「――テンテン先輩っ」

 叫んで手を伸ばして必死に彼女に近づこうとするのに、足はずぶずぶと沈んでゆく。届かない。どうしよう。届かない。サンカがテンテンを蹴り飛ばす。血の跡をずるっと残して、テンテンは地面に転がった。それきりピクリとも動かない。

「――うわああああああ!!」

 情けない悲鳴をあげて、マナは狂ったかのようにもがきだすも、足は膝まで沈んでいく。

「ワンッ」

 紅丸が飛んできた。手を噛み付かれる。
 ああそうだよ自分は最低な主人だ。
 自分の忍犬が殺されそうになっているのに蜘蛛の足に囚われて泣くことしか出来なくて、今度は自分の忍犬を守ってくれた先輩を呆然と見ることしか出来なくて?
 最低だ。
 そんな自分の情けなさに、涙が溢れて止まらない。

「ごめんなさいぃ……っ」

 太腿まで沈んでいく。いっそこのまま沈んでしまえ。生き埋めになってしまえ。

「ワンッ! ワン、ワンッ」

 紅丸が叫ぶ。
 その体を左手で撫でた。その瞬間、キバの声が脳裏で響く。

 ――獣人分身ってのは、忍犬に自分のチャクラを与えて――

 最後の望みだ、と、そう思って。
 紅丸を撫でる左手に、チャクラを集める。

「ワンッ」

 腰まで沈んだ。目の前に現れたもう一人のマナが微笑む。地面を蹴って飛び上がったマナの姿をした紅丸がいたところにサンカの拳が命中する。倒れたテンテンを抱え上げて、そのマナが唸る。

「――苺大福」

 腹まで沈む。このまま沈んでいるわけにはいかない、と思い至ってマナは笑った。

「うおおおおおおッ!」

 蜘蛛の足を素手でもぎ取り、無理矢理体を引っこ抜く。それを構えてサンカとミソラに向き直った、その瞬間――

〈落ちぶれたな、妖ども。こんな人間なぞにおされているとは〉

 聞いたことのない声に振り返る。見るとユヅルの左胸から、獣の形をした実体を持たぬものが吹き出ていた。
 まさかあれが――あれが彼の呪いの力なのだろうか。

 +

「じゃー行かせてもらうよっ」

 カイナの右腕が伸びる。標的ははじめだ。はじめは咄嗟に傍で咳き込むネジを引き寄せ盾にした。カイナの腕はネジの頬に触れ、ネジの咳きがさらに激しくなる。熱も出たのだろうか、触れている肌が熱い。

「おまっ、ごほっ、え、わざとげほっ、か!? げほっ、ごほっ」
「……は、反射で……」

 駄目だ、眩暈がしてきた。ふらふらと覚束ない足取りで、とりあえず流れる川の水を汲み取って飲みたいという気持ちを押さえ込む。今川なんかに近づいたら百パーセントの確率で流されてしまう。

「……も、申し訳ない……水遁・水車輪!」

 半ば誤魔化すかのように術を発動する。水を纏った手裏剣がしゅうしゅうとカイナとケイに向かってとんだ。ケイはただぼんやりと空を見上げている。
 カイナがケイを抱え上げて手裏剣を交わした。ケイの虚ろな瞳は空を見つめたままだ。あいつは戦わないのかとも思ったが、逆に都合がいい。
 
「あ、一個教えてあげよーか? 白目っ子くん、キミの白眼は俺には通用しないよ。何故って、キミの手の纏ったチャクラが俺に触れただけでも、症状は悪化するもの」

 ぴたりと伸ばした掌が止まる。何故俺にそんな情報を教えた? 罠か? それとも……?

「ま、信じなくたっていーけど?」

 カイナの拳が飛ぶ。触れただけでも病気にかかる――これは体術使いのネジには不利だ。
 ケイがネジに向き直って、妖しく笑う。虚ろな瞳にネジの姿は映らずとも、空っぽの視線とネジのまっさらな視線は確かにぶつかりあう。彼になら柔拳を使っても構わないはずだと判断して、構えを取る。と、ケイが手招きした。スローモーションでその手の動きが残像を残してぐらぐら上下に揺れ、ぐわんとネジの視界が歪む。幻術だと思った時にはもう遅かった。体が熱い。肺の中で雑音がこだまする。幻術返し。どうやるんだったっけ。頭が動きを止めて、何かを考えるのが億劫になる。
 
「水遁・水球!」

 水の塊を二連射。手招きしていたケイに内一発がぶち当たり、ケイは悲鳴の一つすらあげずに、そそり立つ二つの像のうち、うちはマダラの像へと吹っ飛び、マダラの足に直撃した。ずるずるとそのまま地面に倒れこんでぴくりとも動かない。

「病遁・腐敗水!」

 チャクラを練って出来た水は一瞬にして汚染され、ばちゃりと地面に飛び散るなりじわじわと地面を浸食し始める。病遁とは大した血継限界だ、とはじめは心中悪態をついた。

「水遁・水車輪!」
「おおっとそれが通用するとでも! 病遁・破銅爛鉄(はどうらんてつ)!」

 水を纏った手裏剣を容易く交わし、カイナが手裏剣とクナイを投擲する。じわじわと腐ったクナイが一本地面に突き刺さると、そこから浸食が広がっていった。幻術をかけられたのか、ぼうっと一点を見つめたまま動けないネジへと手裏剣が襲い掛かる。

「――っせんぱい!」

 咄嗟に体当たり。元々覚束ない足取りだったネジは容易く宙を飛び、その拍子に幻術が解けたのか、はっと目を見開き、そして――
 ぼちゃん、と盛大な音を立てて川の中に落ちた。

 ――かわいい子ですね、父上――
 ――ネジを預かるぞ――
 ――ネジ、お前は生きろ――
 ――彼は正に、日向始まって以来の天才――
 ――お前は誰よりも日向の才に愛された男――

 ――第三班、ロック・リー、テンテン、日向ネジ――
 ――夢は、体術だけでも立派になれることを証明すること――
 ――お前、忍術が使えない時点で忍者じゃないだろう――
 ――ネジはリーと違って、天才なんだから――
 ――天才がなんなんですか!――
 ――これは運命なんだ――

 ――何してんのよ早く逃げなさい!――
 ――リー! 大丈夫か、リー!――
 ――僕は一体何を……?――
 ――ネジ先輩! アタシにぼったくられてください!――
 ――八卦六十四掌!!――

 ――あ
 走馬灯を見ている場合じゃなかった。そう思って目を開けた瞬間、水が目に入ってつうっと刺されたような痛みが走る。途端に呼吸困難に陥り、水面に顔を出したくとも流れが速い為に泳ぐこともままならない。水が冷たくて寒いやら体が熱で焼けるように熱いやら、気持ちの悪い感覚に吐きそうになる。
 ――もし宗家を潰せる日が来たら、とりあえずその次にはマナとはじめをぶちのめしてやる
 川の中からなんとか脱出し、濡れ鼠になって咳きだけでなくくしゃみもしはじめながら、よろよろといまだ交戦中のはじめとカイナの元へよる。マダラの足元でケイが体を起こした。寒さに震えながら地面を蹴って飛び、柔拳を喰らわせる。それを受けて再び地面に転がるケイだが、彼はおもむろに立ち上がるなり、再び手招きをした。
 ケイの姿がブれ、そして亡き父ヒザシの姿と重なる。
 その顔の目があるべきところに、ネジと同じ白い目があるべきところに、ぽっかりと黒い空洞が二つ、開いていた。

「ッ――!」

 また、ヒザシの姿がケイの姿へと戻った。虚ろな瞳でケイがこちらを見つめる。
 桂男。月に住まう妖。
 月とは元々、人の生死に密接に関係しているものだと聞く。そしてケイのような少年が手招くのを余りにも長い時間見ていると、月へと招かれてしまうことも。
 だからケイの動作はいつも緩慢なのだ。月の時はここに比べてはるかに長い。反応も何もかも遅いけれど、相手に自分を長い間見させるだけで、月を見せてやれるのだ。月の向こうにある死を。
 不意にぐいと、引っ張られた。何があったんだと思った瞬間、胸元あたりに誰かの腕が触れる。カイナだ。ということは――

「げほっ、はじめ、くしゅんっ、お前はげほがふっ、俺にぐしゅんっ、恨みでもあるのがほっ、かげほっ!?」

 咳きとくしゃみを交えた声で怒鳴ると、はじめは数秒おろおろしてから、

「……せ、先輩には免疫が……」
「あるわけないだろっ!」

 ネジの渾身の柔拳を受けたはじめの体が宙を飛び、地面に這い蹲ってネジが咳き込みだす。
 その瞬間、誰かの声が聞えた。

〈落ちぶれたな、妖ども。こんな人間なぞにおされているとは〉

 振り返ると、そこにはユヅルが立っている。
 左胸から獣のような何かが吹き出ている。咳き込みながらネジはそれを見つめた。
 
 あれは。あの獣は。
 まさか――
 
 +

「あの妖――お前の召喚したものか?」
「ああ。子供とは言えそれなりに力はある」

 いや、大人より子供のほうが手懐けやすいんだろう。そんな言葉を飲み込んで、ガイは蓮助にアッパーを食らわす。それを左手で食い止め、蓮助が右手で殴りかかってきた。腕を軽く動かして蓮助の腕を掴み、一本背負いで投げ飛ばす。蓮助は投げ飛ばされた空中で体勢を整え、右足で着地すると同時に左足でガイを蹴っ飛ばした。蹴り飛ばされたガイも直ぐに体勢を整え、木の葉旋風を放つ。一段目こそ避けられたものの、二段目で蓮助は見事に吹っ飛ばされた。吹っ飛ぶ蓮助にすかさずダイナミック・エントリーで真正面からのとび蹴りを放つが、蓮助が咄嗟に印を結ぶ。一本の丸太がばっ、と地面にぶつかった。

「変わり身の術、か」
「おや。そう言えば五大国では変わり身だったな。俺たちの国では空蝉と呼ぶ」
「お前たちの国――?」
「かつて滅びし鬼の国。鬼影が統べる、妖隠れの里」
 
 聞いたことがあるな、と呟いてガイは手刀を叩き込んだ。ぐは、と呻き声をもらして蓮助がよろめいたかと思いきや、左足を軸にして思い切り右足を回転させてガイを蹴ろうとする。その右足を掴み、蓮助を投げ飛ばすが、彼は岩壁を蹴って方向転換し、構えたクナイを一斉に投げてくる。一瞬、彼と目があった、瞬間。

「――!?」

 短髪の女の子がぴょんぴょん飛び跳ねていた。黒い髪をポニーテールにした少年が静かに読書し、緑の全身タイツを着たリーによく似た――いや、リーのよく似た――少年が真っ白い歯をきらきらさせて笑っている。長い黒髪を中わけにした童顔の女の人がこちらを見ていた。
 幻術だ、そう思った瞬間場面が切り替わる。
 ――先生! 先生!!――
 拷問されて死んだ女の死体。ガイの担当上忍だった女性が、御座敷童子(みざしきわらべこ)が、そこで息絶えている。その傍で椅子に縛り付けられ、涙の筋を頬に浮かべながら気絶している少年がいた。――若き日のハッカだ。呆然と立ちすくむガイが背負うのは、だらだら血を流して失神しているチームメイトの少女、ユナトだ。
 ――痛いから触んないで! お願い、触んないで!――
 また場面が切り替わる。大きな傷痕をつけた右腕を庇いながらユナトが泣いている。傷口から病が伝染したとその医療忍者は言った。ユナトの右腕を、切り落とさなければならないと。
 そしてそこに移植されたのは。御座敷童子の右腕だった。
 ――先生の手――
 また場面が切り替わって、ユナトは椅子に座っていた。左手でハッカの黒い髪を撫でている。ハッカはユナトの右腕を掻き抱き、撫ぜ、じっと熱っぽい視線をユナトの右腕に、御座敷童子のだった右腕に注ぐ。
 ――ハッカ――
 ――僕は目の前にいたんだ。いたのに、先生が拷問されてるの見てることしか出来なかった。先生、すっごい苦しそうだった。すっごい痛そうだった。なのに僕何も出来なかったんだ――
 ハッカがユナトの右腕を抱きしめなくなるまで、半年くらいした。
 いや、もしかしたらもっと長くかかったのかもしれない。何故なら半年後に、ユナトはハッカの記憶を消してしまったのだから。
 御座敷童子の右腕で、ハッカに術をかけて。その記憶を消したのだ。
 だから今は、ガイたちの当時の担当上忍は男性だったということになっている。そして任務で殉職したと、そう記憶を書き換えた。日焼けしたユナトの左腕と、真っ白い童子の右腕のコントラストが鮮明だったのを憶えている。

「狂ったまでに愛していたようだな、御座敷童子のことを。あいつの名前はシソ・ハッカだったか? 知っているか、彼女もも妖隠れの里の生まれなんだ」

 座敷わらしなんだよ。と蓮助は笑う。
 ああ、だから童顔だったのか。赤い羽織の彼女を思い出し、ガイは目を閉じる。そして目を見開くのと同時に、蓮助に思いきり殴りかかった。

 +

「――初代火影千手柱間……私も聞いたことはありますわ。私は鬼の国妖隠れの里の生まれなのですけれど、木の葉にはずっと憧れておりました」

 長い髪を垂らした初代火影の像の上で、レミとハッカは対峙していた。

「水遁・水牙弾!」
「火遁・豪火球の術!」

 圧縮回転がかけられた水の塊が一斉にレミを襲う。豪火球の術でいくつかを蒸発させるレミだが、しかし内いくつかに撃たれてしまうのを避け切れなかった。水牙弾は殺傷力が高い。衣服がざっくりと裂け、ぼたぼたと柱間の左肩に血が滴る。レミの傷口が一瞬ぶれる。

「水遁・水龍弾の術!」

 大量の水が持ち上がり、龍を象ってレミを柱間の肩から叩き落し、地面にぶつける。ばしゃばしゃとふりかかる水は傷口にはかなり痛いはずで、呻き声を上げるレミを追ってハッカも飛び降りる。一瞬レミの姿が消えたような気がした。

「水凶刃の術!」

 はじめがよく使う水遁・水車輪に似た術だ。水車輪が手裏剣であるのに対し、こちらはクナイや刀などに用いられる。
 左腕を刀で押さえつけた。このレミとか言う女、妙に弱い。弱いというか――なんというのだろう。誰かのコントロールを受けている……?
 しかし傀儡というわけでもない。なら、彼女は――

「火遁・鳳仙火の術!」

 びゅびゅびゅ、とレミの口から吐かれた火の玉が飛んでくる。水凶刃がいくつか相殺され、また残りのいくつかがハッカの服を焦がす。
 彼女は妖隠れ(あやかしがくれ)の生まれだと言っていた。恐らく蓮助もそうなのだろう、とハッカは判断をつける。髪色が似ているから、同じ一族だったりするのかもしれない。
 妖隠れにはたくさんの妖がいたと聞く。口寄せで有名な里だ。二代目鬼影が手下に殺された後に滅ぼされ、今では土の国に属している。

「考え事をしている暇はありませんよっ! 火遁・絵筆菊!」

 ぼっとレミの右手が燃え上がる。燃え上がった手刀を振り下ろしてくるレミ。右に飛んで裂けると、初代火影の足元に亀裂が走る。どうか初代さまの像が傷つきませんようにと心中祈りつつ、ハッカは出来るだけ初代火影の像から離れ、水際によった。水遁が得意であるハッカには水辺にいるほうが有利だ。

「水遁・水波刀!」

 チャクラを水練りこみ、水の刀へと変換させる。ハッカがつくったオリジナルの術だ。まだ実際の戦闘に用いたことはないが、やってみよう。

「たあっ!」

 レミの手刀が降ってきた。水の刀を一閃させる。あ、とでも言うようにレミの目が見開かれるのと同時に、レミの右手と手首が分離した。

「――な」

 こんなに威力が高い技だったのかと驚く暇もなく、切り落とされたレミの右手が宙に浮く。血は一切流れていない。それどころかこれを形成しているのは肉ではなく、
 右手と右手首が抱きつくように接着する。傷痕のかけらもなくそれは再生された。にっこりとレミが笑う。

「蓮助さんによるとこれは私たちの一族の血継限界だそうなんです」

 鬼火で形成された体がか。
 何故「蓮助さんによると」とか、「血継限界だそう」という表現をとったのだろう。二人とも同じ一族のはずならレミが自分の血継限界に知らないはずはない。何故レミは知らなかった?
 後ろで何かの声が聞えた。そして微かではあるが何かのまがまがしい気配も。

「――貴方達のところに私たちの仲間がいるとは驚きです」
 
 レミの声に振り返る。
 白い長髪の少年が立っていた。両手の先からはチャクラ網が迸り、傷をいくつか受けている。見開かれた赤い目が燃え、その左胸から何かが吹き出ている。
 獣のような形状のもの。
 ――レミたちの仲間――即ち、妖。
 
 +

「雨降り流・槍ノ雨!」

 クゥが印を組むと、リーとユヅルに向かってふってきている雨粒が一瞬にして無数のクナイや手裏剣へと姿を変える。素早く身構え、危ないものだけを見切り、錘をつけた足を振るい、腕で払って弾き飛ばす。当然、ユヅルの援護も忘れない。

「この術にどれだけ耐えられるかなぁー?」
「キミこそ、どれだけこの術を使っていられるのでしょうね?」

 無邪気を装った笑顔でクゥが笑う。見下したような青い瞳は氷のように冷たい。
 クナイも手裏剣も弾き飛ばしながら、リーは冷静に切り返した。この中にはクゥとカイの持っているクナイや手裏剣も含まれているが、多くがチャクラを練りこまれて変換された雨粒だ。それは弾いた途端はじけて消えることからもわかるし、一度に多くを払うと水しぶきが散ることからもわかる。これだけの雨粒を全てクナイや手裏剣に変換するにはかなりのチャクラが必要なはずであり、クゥがこれを持続できる時間はそう長くないはずだ。

「――ふうん、言ってくれるねッ」

 痛いところをつかれたのか顔色を換えて雨粒の量を増やすクゥに、オイ馬鹿やめろとカイがストップをかける。上手く挑発に乗ってくれたと知り、リーは僅かに微笑んだ。風を呼び雲を作り雨を召喚する能力を持つ雨降り小僧と言えども、子供は子供だ。きっとそれは他の五人にも当てはまることなのだろう。どんな妖と言えども、子供は子供なのだ。
 ただクゥが量を増やしスピードを上げたことで、リーの方もスピードを上げねばいけなくなった。見切るのが難しくなり、とりあえずユヅルと自分のもとに降りかかるのは片っ端から跳ね飛ばすことにする。内一枚の手裏剣がユヅルの肩に突き刺さってしまったが、リーはそれを引き抜く暇も、守りきれなかったことを謝罪する間もない。

「……すごい」
「お褒めに預かりありがとうねっ! ほら、キミへのスペシャルだ! 雨降り流・集中雨槍(あまやり)!」

 呟いたユヅルににっこりとクゥが爛漫な笑顔を見せた。雨粒がリーのそばを離れ、ユヅルへと集中砲火――ではなく、クナイや手裏剣に変じた雨粒によって構成された集中雨槍で襲い掛かった。なんとかそれを弾こうと躍起になるリーだが、ネジのように白眼を持って後ろすら見ることが出来るわけでもないので難易度は上がる。標的を一つに絞れる為か威力もスピードも増していた。

「ったく、クゥ、お前って野郎は……」

 カイが溜息をついてから、嬉しそうに笑った。

「加勢させてもらうぜ! 雷遁・雷槍(らいそう)!」

 雷の槍がカイの十本の指先から迸る。手近にあった石ころを投げると、石ころは黒こげになって地面に転がった。それと同時に雷の槍も消える。そこまで威力が強いものではないらしい。腕で雨槍を弾き、足で蹴飛ばした石ころで雷槍を相殺するが、相殺し切れなかったものがユヅルの右手に命中し、大きな火傷の跡が出来た。一瞬チャクラ網が歪む。

「ッう――」
「ユヅルくんッ!」

 一度ならず二度までも。内心歯軋りしながら、リーはそれを弾き続けるも、その動きに当初の切れやスピードはない。ただ雨槍に込められたチャクラもそこまでではないというのが救いだった。しかし今ではカイの援護射撃も入ってきている。
 辛くなってきたなと思わず弱気になってしまった自分を励ますも、左肩に衝撃が走った。敬愛するガイより譲り受けたタイツが焦げている。ぢりぢりとした痛みに顔を顰めて、次なるクナイを払う――

「っ、ユヅルくん、危ない!」

 ユヅルの心臓を狙ってとんだクナイを弾き飛ばすのと同時に、背中に何かが突き刺さった。ばっと稲妻のように痛みが走り、一瞬何がなんだかわからなくなる。

「ッう、あ……っ」
「リー……さん?」

 呻くリーの首筋に叩き込まれたカイの手刀。ゆっくりと崩れ落ちるリーを支えることすら出来ずに、十本の指からチャクラの網を放出しながら呆然とその様子を眺めるユヅル。
 さらに雷の槍が一本、リーの足に突き刺さる。混濁させられた意識は一瞬で回復し、痛みを堪えながらリーは木の葉旋風を放つ。敬愛する師に詫びながら、リーは腕に巻きつけた包帯を解いた。
 大切な人を守る時にだけしか使ってはいけないと言われた術。ユヅルとは会って一日も経たないけれど、でも彼は大切な木の葉の仲間だから。
 ――仕方ないですよね、ガイ先生。

「――表蓮華ッ!」

 木の葉旋風で二人を空へと巻き上げ、その背後を取って飛ぶ。包帯で二人を縛りつけた後、頭から地面へと突っ込んだ。

「――なっ」

 ずがん、という音と共に地面に亀裂が走り、傷ついた二人が地面に転がる。左腕と右足とをふるふるさせながら、リーは立ち上がろうとする――

「雷遁・剣雷!」

 咄嗟に急所から外すも、鋭い雷撃に打たれたリーは呻き声を上げて地面に崩れ落ちる。その姿を見ていたユヅルは、どうしようもない吐き気に襲われた。知っている。こんな感覚に襲われる時は決まって――
 
〈落ちぶれたな、妖ども。こんな人間なぞにおされているとは〉
 
 ユヅルの口からではなく、ユヅルの中にいるそれから発せられた呪いの言葉。
 ユヅルの体から吹き出るように何かが溢れてきた。けだものの姿をした実体を持たぬ何かにカイが唸ってあとじさった。クゥが目を見開いてそれを見つめる。気付けば全ての者が動きを止めて自分を見つめていた。
 激しく咳き込むネジ、唇を半開きにしたはじめ。だらんと両腕を下げたケイ、右腕を伸ばしたカイナ。戦うガイと蓮助、水際に立つレミとハッカ。倒れたテンテンを抱き上げるマナに変化した紅丸、蜘蛛の足を握ったマナ。黒い歯を覗かせるミソラ、驚いた顔のサンカ。

 ユヅルの中にいるもの――犬神が、ユヅルの胸から吹き出ていた。 

 +

「あれは――犬神」

 蓮助が呟く。犬神だと、とガイが聞き返した。

「ああ。――憑くやつだよ。あいつはお前の生徒か?」
「いや、違うが……」
「ならよかったな。あいつに羨まれるとひどいことになるぞ」

 犬神。憑いた人間――犬神持ちの望むものを持ってきたり、犬神持ちが羨んだり妬んだりした者や犬神持ちを傷付けたものに病や災いを齎すという妖怪の一種だ。その元は食べ物を目の前にして餓死した犬の霊からなるという。
 また、他人ばかりを襲うのではなく、犬神持ちが犬神に敬意を払わなかったり蔑ろにしたりするとやはり災いがふりかかり、噛み殺される場合もあるのだという。また、犬神持ちはどんな死に方をしても死ぬと体に犬の歯型がつき、そして犬神に憑かれると以前よりもずっと嫉妬深くなるそうだ。

「幸い大して欲深そうではないが、ただそれでも憑かれると嫉妬深くなるからな。俺もよく見て来たよ、犬神を払おうとして逆に噛み殺される哀れな犬神持ちをな」
 
 +

「あれが……ユヅルの呪いの力……?」
「わうーん……」

 紅丸が体を窄めた。獣人分身がとける。そうだ。今のマナや紅丸にとって、ユヅルも犬神も脅威でしかない。

〈こんなに大量の妖と会うとはな、久しぶりだ〉

「っ笑尾喇(えびら)!」

 ユヅルが叫ぶ。笑尾喇と呼ばれたその犬神は、にたりと笑って見せた。そしてするっと体をうねらせたかと思うと、目にも留まらぬ速度でリー、カイとクゥの間に突っ込んでゆく。ユヅルの左胸から吹き出た笑尾喇は白装束を纏った二足歩行の犬へと変じ、持った扇子を構えた。

〈いざ〉

「雨降り流・集中雨槍!」
「雷遁・剣雷!」

 クゥが叫んで雨槍を一斉に飛ばす。カイの手からも雷の剣が飛んだ。カイの剣雷を飛び上がってさけ、クゥの雨槍を扇子で弾くその姿はまるで踊るかのように美しい。笑尾喇は妖しい笑みを浮かべたまま、つぎつぎと二人の間への距離をつめていく。
 マナたちの側には思わぬ助っ人が現れた、というところだろう。鮮やかな戦い方だった。
 
〈邪魔だ、小僧どもめ〉

 チャクラ切れを起こして倒れたクゥと、そんなクゥを介抱するカイの前に、カイナ、ケイ、ミソラとサンカがやってきた。それぞれがそれぞれの印を組み、術を発動する。

「青行燈流・百物語!」
「病遁・破銅爛鉄!」

 蜘蛛の足が地中からごごごと湧き出るのを飛び上がってさけ、そしてまたその中心に着地すると、持った扇子を広げて一回転。すっと蜘蛛の足に込められたチャクラが散り散りになり、蜘蛛の足が霧散する。次いで襲ってきた腐ったクナイや手裏剣を折りたたんだ扇子で弾き飛ばし、一歩二歩と能楽者のような足つきで華麗に前に歩みを進めた後に空へと飛び上がり、ぱしっと扇子でカイナを弾き飛ばした。そして足でミソラとを弾き、サンカの投げた石の前に扇子を構えて念じるだけで石を空中停止させる。さらに扇子を振り下ろすと、石ころは地面に落ちた。
 ケイが手招きをする。馬鹿の一つ憶えか、と笑尾喇は呟いた。

〈桂男のケイ、貴様は何もかわっとらんな。お前はわれが生まれて間もないころから月に泳がず地を這い手招きばかりして、一体誰を招く気だ?〉

「……おぼえていた……のか、笑尾喇」
「何よアンタ、この犬と知り合いなの!?」
「……少し前に、友達に……なった」

〈お前は月より墜ちたのだ〉

 ゆったりとした口調で喋るケイに、サンカが食ってかかる。月より墜ちた、と笑尾喇は繰り返す。月より墜ちて、そして二度と月へ舞い戻ろうとはしなかったのだ。兎が餅をつき、嫦蛾やかぐや姫や天女たちが舞う月の世を。手招くだけで人の寿命を奪う力を失い、幻しか見せられないようになっても。
 それでもケイが選んだのは月でなく地だ。

「……ここが……好きなんだ。……月より、きれい」

 ケイが微笑む。弱弱しく漂うような笑みではない。にっこりと微笑んでいる。虚ろな瞳にきらきらと明るい光が生まれる。

「……もう一度……戦おう、笑尾喇」
〈受けて立とう〉

 笑尾喇が優美な仕草で扇子を振るう。ケイはクナイを握った手を緩やかに振った。
 
 そして途端二人が加速した。扇子とクナイがぶつかりあい、ケイの片手が笑尾喇の鳩尾をつく。それを扇子で掬い上げるように跳ね上げ、一歩進んでケイの懐に踏み込む。
 激しい咳きをしながら、ネジはそんな二人の戦いに見入るカイナを見た。やるなら今の内だ、と自分に言い聞かせる。そしてこれが出来るのはもう彼の手に“罹った”自分だけだ。白眼でカイナの懐に入った巻き物に見つけるなり、チャクラを纏わせた掌を喰らわせた。うわっ、と驚いた声をあげてカイナが地面に転がる。それを追って飛び上がり、すかさずクナイでその衣服を裂くと、巻き物が出てきた。それを手にして、叫ぶ。

「受け取れ、マナ!」
「っ!」

 投げ飛ばした巻き物は見事マナの両手の内に収まった。やばい、という顔をしてサンカが石を投げつけるが、それを意識を取り戻したリーが援護する。他の妖からも攻撃が飛んだが、リー、ガイ、はじめ、ハッカの援護も加わり、マナは巻き物の軸を抜き取って投げ捨てた。ぐしゃっと巻き物を握り締め、そして――
 口の中にねじ込んだ。
 くしゃくしゃと音を立てて咀嚼する。ごくん、とマナがそれを飲み込むのを、妖も忍びも驚いた顔で見つめていた。 
 マナの体から炎のようにチャクラのオーラが吹き出た。すっと半開きになった唇に唾液がてかり、ニヤリとマナが笑みを見せる。

「食遁奥義・唾液弾!」
「病遁・破銅爛鉄!」

 咄嗟に反応したカイナのクナイや手裏剣に、マナの唾液弾――悪く言えば唾かけなわけだが――がかかる。どろどろとクナイや手裏剣が溶け出した。浸食されているのではない。“消化”されているのだ。マナの唾液弾も一部は腐敗させられてしまったが、しかしマナのこの新術が齎した衝撃は大きかった。
 安堵したのか驚いたのか、はたまた犬神に体力を奪われたか、チャクラ網が歪んで消えた。どさっとユヅルが地面に崩れ落ちる。ミソラが不満げに唇を尖らして、印を結んだ。

「青行燈流・櫛刺し!」

 ミソラの掌から現れた櫛が背後から笑尾喇を襲い、ぐっさりとその体に突き刺さる。しかし笑尾喇の動きは数分も衰えずなんの狂いもない。一体どういうことだと目を瞠っていると、ユヅルの呻きが聞えた。

「っぐはぁ」

 振り返ればユヅルの両掌と口元が血でべっとりと濡れていた。痛みによる無色の涙と鮮血の赤が交じり合う。白い服の腹のあたりには花のように赤い染みが浮んでいる。最初からこうすればよかった、と呟いてカイが剣雷を笑尾喇に飛ばす。ユヅルが更に血を吐き、胸元にまた赤い染みが浮んだ。

「っユヅル!」
「くっそ、唾液弾!」

 マナの唾液がミソラが更に飛ばした櫛をどろどろに溶かし、紅丸が渾身の力でカイに体当たりをする。戦うのはもう無理であろうというネジ、気絶したテンテンとユヅルはガイによって木陰で休まされていた。

「アタシの先輩やアタシの仲間を傷付けといてこんだけですまされると思うなよッ!」

 マナの瞳が血走り、頬が怒りで朱に染まる。拳は関節が白くなるほど握り締められた。
 笑尾喇を攻撃することで遠まわしにユヅルを攻撃するやり方は卑怯だと思った。時には卑怯な手を使わねばならないのが忍びであるとしても、受けたダメージをすべてユヅルのものへと変換できる笑尾喇に攻撃を浴びさせてユヅルを傷付けるのはひどいと思った。
 いやもしかしたらこれは卑怯でもなんでもないのかもしれない。ひどくないのかもしれない、ただ笑尾喇を攻撃したのが結果的にユヅルを傷付けた、それだけなのだ。カイの剣雷は明らかに故意のものだが敵の隙を突かないでどうする。
 それでも、仲間が傷付けられたのは事実だ。ネジに激しく咳き込ませたのもユヅルが血を吐いたのも、テンテンが頭を打って気絶したのも、事実だ。敵同士だからといって片付けられるほどにマナは大人ではないし、敵同士であるとしても信じあった味方が傷付けられて憤らない人はいないはずだ――とても冷酷な人ではない限り。
 そして敵同士だからといって彼らが仲間を傷付けたことを許すことは出来なかった。
 理不尽かもしれない、こちらだって相手を傷付けた。でもそれが何だというのだろう。それはマナの知ったことではない。自分勝手かもしれない、自分の仲間が傷付けられれば憤り相手を傷付けたのならどうでもいい、というのは。それでも忍びの世界も妖の世界も、正論で組み立てられてはいないのだ。
 笑尾喇がさっさとユヅルの中に戻らないことにも腹が立った。確かに笑尾喇は強いが、その体がユヅルを傷付けていることを知らないのだろうか。それとも笑尾喇にとってユヅルなどとるに足らない存在なのだろうか。
 どうせこの世界は正論では出来ていない。マナは食べることしか知らないような人間だ。はじめがいつか言っていたように、マナは食べることに純粋な人間で、そして食べるためならば無銭飲食だって拾い食いだってなんども出来る。正論なんて通用しない、マナは屁理屈しかいえない。でもそれでいい、サスケが言っていたように、マナはウスラトンカチなのだ。

「テメエら覚悟しやがれ!」

 ワイヤーを結びつけたクナイを握り、マナは地面を蹴って駆け出した。 

 +

「食遁使い、ねぇ……。薬遁に進化してから出直してきたら?」

 そんな風にマナを挑発したのは病遁使いである疫鬼のカイナだった。猫っ毛のセミロングをした彼の挑発にうるせえと返してマナはワイヤーを結びつけたクナイを握り締めてぐぐぐと引っ張る。薬遁と言うのはでっちあげだ。こんなものの使い手がいたとしたらカイナは真っ先にそいつを殺しにいく。薬遁使いなんぞが出てきたら強力な商売敵になる。告げられた相手を病に罹らせるという商売をしているカイナにとってそれはなんとしてでも駆除してしまいたい存在だ。

「食遁!」
「懲りずに食遁? 食中毒にならないように気をつけなね」

 カイナたち妖隠れの生まれのものの中にはもはや妖隠れという認識がないものもいる。今や岩隠れと同化した妖隠れの里が滅びたのはずっと昔だ。カイナは岩隠れの忍として生まれ育ってきた。気付いた時には岩隠れの里の中で、孤児としてたった一人そこにいたのだ。孤児院を抜け出したカイナはことあるごとにこの能力を使用して食べ物などを掻っ攫っていたが、その内商売をするということに思いついた。以来、この能力は概ね商売に用いている。価格によって病の重さを換えるというこの仕事はカイナによく似合っていた。対象にたったの一触れするだけでいいのだ。相手が薬を飲んでよくなると再び頼まれたりするので常連なんぞもいるし、お陰で誰は誰が嫌いとかそうした情報網なら誰にだって負けない。
 ただカイナと違い人の忍びとしての生活になれない妖や、妖であることに誇りを持つものもいる。ケイやサンカ、カイがその例だ。カイの食物は基本的には死肉だし、桂男のケイは時間へ対する感覚が違い、サンカは華奢でありながら怪力だ。ミソラのようなものは人間にも異形な外見の忍びがいるために対して気味悪がられはしないし、雨降り小僧のクゥは体が成長しないという点以外は普通の人間とかわらない。
 そんな時蓮助が田の国音隠れへ一部の妖達を誘った。大蛇丸という男にその力を買われ、カイナ、ミソラやクゥもついていくことになったのだ。

「知るかっ、唾液弾!」

 どうやらマナの食遁での攻撃手段は相当に少ないらしい。そうでなければ今のところこれが最強なのだろう。最強がこれであればカイナとしてもやりやすい。チャクラ量がさほど多いわけではない破銅爛鉄で相殺できるし、カイナの最強もそれというわけではない。

「君もメンドクサイよねえ。巻き物取り戻したら取り戻したでさっさと帰っちゃえばいいのに」
「うるさい! やられたらやりかえすのがアタシの忍道だ! いや違った、“自分に降りかかってくるキノコは自分で食べる”だった!」

 大声で言い放った癖して自分でそれを訂正する。キノコォ? と眉根に皺を寄せて、カイナは両腕を前に突き出した。

「……とりあえず、こういうこと?」

 病遁・紅天狗。
 白いイボの生えた毒々しい赤の、典型的な毒キノコ――ベニテングタケが恐ろしいのスピードで地面から生えてくる。じめじめと空気中に湿気が増えた。

「気ィつけろよ食遁使い」
「っひ!」

 マナの右足に毒々しいベニテングタケが生えていた。マナがそれを見つけたのが合図かのように、急速にベニテングタケがマナの体ににょっきにょっきと生えていく。顔すらも覆っていくそれを恐怖に歪んだ顔で眺めながら、マナはそれが自分の肌から生えているという事実に悲鳴をあげた。

「どーした。自分に生えるキノコは自分で食べるんじゃなかった?」
「違う、“降りかかる”だ!」
「あっそ。ま、俺にはどーでもいいけどね」
「うわああああ! きめぇ離れろぉー!」

 狐者異の一族の例に漏れず胃が丈夫な為に吐いてはいないが、常人なら朝飯も胃液も全部吐き出してしまうレベルだ。見ているだけでも胃が気持ち悪いのに、本人であるマナが吐かないのはかなり凄い。

「つーかベニテングタケってよくわかったなぁ。一般人は大抵毒キノコだぜ」
「アタシの食物に関する知識をなめんじゃねー、うわーなんだこれ毟っても毟っても生えてくるぞニキビみてーに!」

 ベニテングタケを引っこ抜きつつマナが絶叫する。引っこ抜いた傍から生えてくるのでうざいこと極まりない。やっと潰したと思ったニキビがニキビ跡地より再び生まれ出てくるのと似ていないでもない。
 気持ち悪くてしかたないこの技も冷静に見ればギャグでしかないのが悲しいところだ、とカイナは肩を竦める。おどろおどろしさとか、おぞましさとか、そういうのが皆無なのだ。別にそれがなければいけないというわけではないけれど、その方がかっこいいではないか。

「じゃー君に質問。食中毒と白目っ子と同じ熱と、どっちがいーい?」
「食中毒に決まってんだろうがボケェ! 食べながら死ねるんだぞ! それ以上の幸せがあるか!!」

 見当違いな答えを出して手裏剣を二枚投擲する。更に二枚。走りながら、カイナを囲うように手裏剣を投擲する。これでよし、と心中呟いて、マナはニヤリと笑った。

「さあ、これくらいでいくか!」

 右手に握ったクナイに結わえ付けられたワイヤーを二本、軽く弾いた。
 頑丈なワイヤーとは言え、結び付けられたのはクナイでなく手裏剣だ。手裏剣は四方が刃となっている為に、必然的にワイヤーはマナの投擲の仕草だけでも損傷していくことになる。それら全てのワイヤーを結びつけたもう一本のワイヤー――マナの右手に握られたクナイに結び付けられたワイヤーにチャクラを流し込んでそれがギリギリ切れないように維持していたのだ。
 だからクナイのワイヤーを軽くはじくのと同時に、いとも簡単に四枚の手裏剣についたワイヤーの内二本がぷつんと切れた。燃え上がった起爆札が二枚爆発。それを目くらましにカイナの懐にもぐりこむ。紅丸が気付くといいのだけれどと願いながらまた二本弾くと、臭い球と煙り球がそれぞれ爆発する。臭い球というのは忍犬でないと嗅ぎ分けられないという、追跡ようのものだ。例えば戦闘が起こって味方側が倒れたり相手が逃げようとした時に相手に投げつけるとそれは音を立てずに爆発して臭いをつける。持続性が高いので一週間ほどたってから追跡するのでも余裕だ。

「わんっ」

 何かの気配が弾丸のように自分の傍を通り抜けていく。その弾丸――赤丸の胴に結わえ付けられたワイヤーを結びつけた左手のクナイを握り締めて、紅丸の後を追った。紅丸が方向転換したその時にカイナの左腕にクナイをつきたてる。ぐるぐると紅丸がまるで尻尾を追うかのようにカイナの周りで回り始めたことがわかった。煙りが晴れ、左腕から血を流すカイナが見つかる。

「食中毒にならねーで残念だったなァ病気男!」
「……熱出させたほうが早かったかな」

 溜息をついて、カイナが反撃に出た。全身でマナにぶつかると、地面に這い蹲ったマナがそこに蹲る。しかし聞えるべき咳きの声は一切聞えてこない。気絶したのだろうか。思いながらその姿を見つめていると――
 咳き一つないままに彼女が立ち上がって、にやりと笑って見せた。

「どうした、ネジ先輩に使いすぎてチャクラ切れか? アタシにテメエの術は通用しねえみてーだなあ」
「……な、なんで」

 チャクラ切れなんてことがあったら自分が真っ先にしっているはずだ。
 カイナは疫鬼。そして疫鬼は病によって死んだ人間の怨霊からなる――食べ物を目前にして死んだ犬神のように。ただそれにチャクラで形成された器が与えられただけで、疫鬼はそのチャクラの器で人型をとっていたのだ。その内疫鬼と人が子を為した。人の血が交わった今、人に近い存在となったのは事実だが病気を感染させる能力は衰えてはいない。
 ならどうしてこの女は。

「ネタばらしをしようか。彼女達狐者異一族は言ってみれば貴様ら疫鬼――病田(やみだ)一族に近い存在さ」

 レミを片足で捻じ伏せながらハッカが静かに言う。病田というとっくに捨てた姓を口にされて、カイナは思わずうろたえた。病が病を得るわけはない。
 疫鬼は病によって死んだ人間の、「どうして自分が」という思いから生まれた怨霊。
 犬神は食べ物を目の前にして死んでしまった犬の無念から生まれた怨霊。
 そして狐者異は、貪欲な人間の霊にチャクラの器が与えられたものだ。疫鬼と同じように人との間に子を儲け、人に近い存在となった一族が狐者異だ。
 かつて狐者異は貪欲と恐怖の象徴だった。死して尚この世に留まり食物をあさる。その中には犬神や疫鬼の怨念はない、ただ貪欲であったと、それだけだ。しかしそれが却って人々を慄かせた。
 貪欲さの余りに。病に伏した人の怨念や、食べ物を目前に餓死した犬の無念などとは程遠い。

「病気にはかかるだろうが、ちょっとやそっとのことじゃかからない。貴様が彼女を病気にさせるには少なくとも両手で印を結んで強力な術をかけないことは無理だ。体当たり如きでは無理だよ」

 マナは純粋だ。
 食べることに純粋なのだ。狐者異となった人間は、概ねが戦乱の時代、食糧が少ない時に生まれ育っていた。だからこそたくさんの食べ物を求めたのだろう。故にこのような存在となって現れた。そして彼らが病にかからないのは、それが欲の塊だからだ。彼らの体は丈夫でなければいかなかったからだ。その欲を満たすために。
 人はいつしか、その名を恐怖の代名詞として使うようになった。狐者異(こわい)と。
 だから狐者異は――こわい。 

 +

「うるぁあああ!」

 飛んできた拳を間一髪交わすと、地面にぴしりと皹が入った。赤頭なら地面を軽くぶち割りそうだが、怪我している右手だからしょうがないだろう。――怪我している右手? 何故彼女は怪我した手で、
 それがフェイクだと気付くのに大した時間はいらない。距離をとろうとする間もなく、サンカは右手で地面を弾いて空に跳ね上がる。空中で体を捩り、左足で延髄蹴りを放った。地面に墜落しかけるリーだが、しかし彼も伊達に体術の訓練をしていたわけではない。右手で着地し、素早く木の葉旋風を放つ。空中にいたサンカは上段の蹴りにも見事はまってくれた。吹っ飛んだサンカは悔しそうに歯噛みしつつ印を結んで、髪を解く。
 途端にその髪が赤みを増してぎらぎらと輝く。

「……どこからでもかかってきてくださいっ!」
「いったね!」

 構えをとったリーに向かってにやりと笑顔を見せると、サンカは右腕を時計回りに回した。その顔はいままでの好戦的な表情とは違い、穏やかで、けれど勝ち誇っているようにも見える顔だ。
 ふんわりと、赤い霞が周りに蔓延り始めた。

「私にこれを使わせたのはあんたが始めてよ……光栄に思うことね。秘術・紅霞(べにかすみ)の術」

 霧隠れの術の色違いバージョンか? とも思ったが、違う。この霞は彼女のチャクラなのだ。霞のように形を換えたチャクラ。
 そしてリーは突如その危険さをしった。

「なっ、」
紅炎圧掌(こうえんあっしょう)!」

 サンカの声が聞えたかと思いきや、チャクラの霞がぐうっとリーを地面に押し付けた。紅色の霞が掌のような形になっている。
 術者たるサンカのチャクラを外に向かって放出し、相手を取り囲む。そして自らのチャクラを操作して相手を攻撃する――なるほど秘術といわれるだけのことはある。なんとも恐ろしい技だ。

「っぐ……!」

 そのあまりの圧力に捻り潰されそうになる。体を捩って必死に抵抗するリーだが、真っ赤な掌は力を緩めようとはしない。
 ただその威力はまだサンカが素手で殴りかかってきたほどのものではない。もしサンカのチャクラコントロールが完璧なものならこれはかなりの脅威だろうが、サンカはチャクラコントロールを余り得意としていないようだ。素手の彼女の方がまだこれより強いのがその証拠だし、それにこの術には致命的な欠点がある。
 それはチャクラを霞に変換して随時外に放出しているということだ。サンカの疲れも並みではないし、これはクゥの槍ノ雨よりも更に体力を消耗する技だろう。

「っまけま……っせんよ、!」
「強がってんじゃねーよオカッパ!」

 クゥもサンカも、スタミナやチャクラ量などには構わず力ゴリ押しするタイプらしい。相手を倒す為ならチャクラの節約も技の出し惜しみもせずに、破壊力と威力を重視してつっかかってくる。

赤丹縄(あかになわ)!」
 
 チャクラの霞が縄のようにリーの手足を掴んだ。成る程こういうやりかたもあったか。がつんと腹にサンカの拳をもろに喰らって血を吐き出す。
 そうもたないはずだ。チャクラ量がさして多いわけでもないし、このような使い方は消耗がかなり激しいはずだから。


〈何の用だ、小娘。――いや、小僧、か?〉

 ケイを相手に扇子を振るいつつ問いかけてきたのは犬神笑尾喇だった。笑尾喇の後ろに立ち、はじめはクゥとカイに向かって印を結んだ。

「お前が傷付けられた所為でユヅルが傷付けられないないようにだ。――水遁・水車輪!」

 幸いクゥの方はかなり消耗しているようだ。カイも全く消耗していないというわけではないだろう。なら、ほぼ(情けないことだが)ネジを盾代わりにしていた為に攻撃を受けていないはじめの方が優勢とも言えるかもしれない。いや、盾代わりにした為に柔拳を一発受けていたのだが。

「雷槍!」

 水車輪を相殺され、手裏剣が地面に落下する。更に数本がはじめを襲ったが、はじめはそれを体を捻って交わすなり、起爆札を貼り付けた手裏剣を投擲する。普通はクナイを使用するのが相場だが、あえて手裏剣にしたのはなんとなくクナイがいやだったからだ。そしてそれがいやだったのは多分――姉に、一文字初に焼いたクナイを押し付けられたからだろう。思い出すだけで背がちりっと痛んだ。

「なんだよカイナとケイはちゃんとやってたの!? コイツ体力満タンじゃん!」
「……先輩のお陰でな」

 喚くクゥに向かって小声で呟きつつ、水球をぶっ放した。集中雨槍の所為で相殺されかけるが、チャクラを更に行使して雨槍を乗り込み、クゥのチャクラを取り込んで更に巨大化した水球をぶつける。な、と驚きの声をあげるクゥに向かって思い切り水球をぶつけ、そしてカイの目の前に回りこんだ。くるか、とカイが構え、クゥが援護の槍ノ雨を使用するも――

「一文字流・声東撃西(せいとうげきせい)――口寄せ・似之真絵!」

 親指の皮膚を噛み切って地面に当てる。途端に地面から現れた一本の刀――「似之真絵(にのまえ)」を振り回して、そしてそれをサンカの左腕めがけて振り下ろした。

「っ、うわああああああ!」

 紅色の霞が霧散し、リーが地面に着地する。泣き叫びながら地面に蹲るサンカとあくまで無表情なはじめを驚いた顔で見比べながら、「はじめくん……?」と恐る恐る問いかけた。
 視線の先に、地面に落ちたサンカの左腕。血がぼたぼたと流れ、サンカの顔は汗と涙でぐちゃぐちゃになっていた。

「っ、サンカぁ!」

 クゥがサンカに飛びつき、その体をゆすった。はあはあと喘ぎながら、サンカは立ち上がった。ぼたぼたと血が垂れる。足がガクガクと震え、そしてサンカはクゥによりかかった。

「……あたし、やっぱ、向いてなかった、の、かなあ……っぐ……!」

 だめよ忍者なんて。
 音隠れ? そんなのやめなさい。
 そんな両親の反対を押し切って音隠れに赴いたのは他でもないサンカだった。最初は「サンカちゃんは凄いね」くらいで済まされていた怪力が、「バケモノ」にかわったのはいつのことだろう。
 岩隠れを出たことについては後悔していない。何故ならその後間もなくサンカの住んでいた地帯で爆発が起こったからだ。両親と離れたことについての後悔はしたけれど、サンカは音に逃れたお陰で死なずにすんだのだ。
 だから大蛇丸に従うと決めたけれど、所詮自分は呪印すら与えてもらえない下っ端だ。いつだって捨てられる、だからこそ頑張ってきた、つもりだったのに。

「先生!」
「っくそ!」

 ガイの攻撃を振り切って、蓮助が走ってきた。蓮助を追おうとするガイを、ミソラが相手する。ばっと掌をサンカに押し付ける。ぼん、と音がして煙りが立ち、サンカの姿が消えた。お前は帰ってサンカの傍にいろ、とついでにクゥにも掌をあてる。どうやらサンカとクゥは恋人か、もしくはそれに近い関係であるらしい。

「――っ木の葉旋風!」

 呆然としていたカイに攻撃を放つ。しかし木の葉旋風を既に数回目撃していたカイはその手にははまらなかった。上段をしゃがんでかわし、そして素早く右手だけで逆立ちの状態になる。下段の蹴りが迫ったその瞬間に右手を離し、左手を地につける。そして間髪いれず、回し蹴り。
 両腕でそれを受け止めながら、リーの足が僅かに地面を抉った。しかしそんなカイの背後に、はじめの助走をつけたドロップキックがクリーンヒットする。思い切り吹き飛ばされたカイはカイナに激突し、カイにカイナと同じく「カイ」も二文字を持つ者同士、仲良く地面に倒れこんだ。

「げほっ、がほっ!」

 カイが咳きこみ始め、カイナは元々腕に刺さっていたクナイが更に食い込んだのだろうか、痛そうに顔をゆがめていた。その二人に向かって手を伸ばす蓮助に、ハッカが追撃をかける。

「巻き物はマナの腹の中だ。もう消化されているかもしれん。さっさと撤収しろ――この、“死んでいる”恋人を連れてな」
「……ハッカよ、彼女はまだ生きているぞ?」

 ハッカに片足で捻じ伏せられているレミがもがくのを見ながらガイが言うが、違う、とハッカは静かに首を振る。

「術で縛った鬼火を死んだ人間の意識の容器とする、鬼の国における穢土転生モドキさ。ただこちらは死ぬ前の能力の半分しか再生できない。その上、記憶の再生も不可能だ。本人には死んでいるという意識すらない」

 書物で読んだことがある、穢土転生という術を模倣したものだ。その威力は穢土転生ほどに強くはないが、穢土転生のように白目の部分が黒くなるということもなく、術を使っての蘇生であるということが露見しにくい。

「十数える内に撤収しないと、この女の術を解くぞ」

 懐から取り出した札をちらつかせる。僅かの間躊躇ってから、蓮助はレミの方へと差し伸べた。
 途端、レミが鬼火の塊となって分解し、するすると蓮助の掌へと向かっていく。そしてそれらは蓮助の掌に吸い込まれて消えた。
 蓮助がケイとカイに触れると、二人も一陣の煙りとなって消えうせた。ミソラもまた、蓮助の掌で煙りとなって空を漂う。撤収しよう、と静かにいってから蓮助もまた撤収する。
 あっけないほどに彼らは去っていった。最後の一抹の煙りが宙にとけて消えると、リーが膝から崩れ落ちた。

「ユヅルっ! テンテン先輩にネジ先輩!」

 慌てて駆け寄った先で、意識を取り戻していたらしいテンテンがユヅルを抱きかかえながら「重傷よ」と静かに言った。
 ユヅルの赤い目は既に焦点が合っていない。口元は赤く汚れ、白い衣服にも真っ赤な花が二輪も咲いている。本当に息をしているのか疑って耳を寄せてみたら、ごく小さく息が聞えた。胸も僅かにだが上下している。虫の息というのはこういうことなのだろうと思って、不覚にも泣きそうになった。

「……おと……さ、……」

 こんな時にもなって呼んでいるのは自分を疫病神と詰った父なのかと、無性に悲しくなる。虫の息にもなって思い浮かぶのはどこで死んでいようと構わないと吐き捨てた父親なのか。
 もし自分が死にそうになったら何を思い浮かべるのだろうか。いもしない家族ではあるまい。ならばこの仲間たちか。それとも、それとも自分は死ぬ前でもずっと食べ物のことを考えているのだろうか? ――それでもいいのかもしれない、自分は狐者異なのだから。

「おいユヅル、しっかりしろよ……っお前まで死んじゃったらヤバネはどーすんだよっ!」

 疫病神と詰られても構わないなんて思わないでほしい。
 どこで死んでてもいいって言われても、泣くのを堪えて頷いたりしないでほしい。
 
「起きろユヅル! おい!」
「っ、落ち着けマナ!」

 マナの腕を掴んだのははじめだった。

「今すべきことは早くユヅルを病院へ連れて行くことであって、ユヅルを揺さぶって泣き叫ぶことではない」

 冷静なはじめの言っていることは正論だ。けれど心の揺れは中々収まらない。ぺろりと膝小僧を紅丸に撫でられて、マナは紅丸の白い毛に顔を埋めた。ハッカがユヅルを抱え上げる。ガイが足を負傷したリーを担ぎ上げた。ハッカは咳きこむネジを担ごうとしたが、彼が全力で拒否した為にそれはやめてユヅルを抱えて光のようなスピードで森を駆け抜けていった。

「ネジ、あまり無理はするなよ」

 そう言い置いてガイも駆け去ってゆく。はじめ、マナにネジ及びテンテンと紅丸の四人と一匹は顔を見合わせ、終末の谷を後にした。

 +

「……ネジ先輩、すみませんでした」

 はじめが僅かに頭を下げると、当たり前だ、とネジは顔を顰めた。マナもテンテンに詫びると、いいのよあんなこと、と苦笑気味に彼女が言う。
 暫くの間、沈黙が続いた。地に落ちた木の葉を踏みしめる音とネジの咳きだけが森の中でやけに大きく響く。

「俺の父がな、」

 不意に発された、喉に絡まる痰で濁ったネジの声に思わずぎょっとした。時折咳きを交えながら、彼は語りだす。紫がかった白い瞳はどこか遠くを――いや、何か見えないモノを見ているように見えた。

「げほ、……家族に、ごほっ、礼を言いたいという、げほっ、温い情でもゆ、げほっごほ、うれいになることが、ある、と」

 食べ物を前にして餓死した無念から生まれた犬神。
 何故自分がという理不尽を抱えながら病死した人の思いから生まれた疫鬼。
 そして貪欲な思いから霊となった狐者異。
 犬神と疫鬼はいいとして(ユヅルにはよくないのかもしれないが)、貪欲さのあまりに生まれた妖の血を継ぐというのはあまり気持ちのいいことではなかった。そんなマナの心の内を見透かしたかのようなネジの言葉に一瞬びくりとする。

「それ、から、げほっ、一週間で、げほっ、父は、」

 ――死んだ。
 父はもしかしたら、近い内に宗家によって殺され、宗主ヒアシの影武者として雲へ差し出されることを悟っていたのではあるまいか。だからこそあのようなことを言ったのではないのだろうか。
 今となってはそれを知る術は何もないし、そうという根拠もない。ただ偶々言ってみただけなのかもしれない。それを言って自分に何を伝えたかったのかはわからない。自分が霊となって化けてきても恨むなとでも言いたかったのだろうか。
 それでもいいと思った。霊としてでも出てきてくれるなら。
 もう一度会えるなら、それでもいいと。
 咳きこみつつも物思いに耽り始めたネジに、他の数人もまた各自の思いに耽り始め、再び森は沈黙に沈む。

 +

「経絡系……ですか?」
「ええ。内臓に損傷は見えませんが、経絡系がズタズタなんです。通常、内臓に絡んでいる経絡系を傷付けられることは内臓も共に傷付けられていることを意味しています、点穴をつかれたわけじゃないならね。それがこの子は経絡系“のみ”を傷付けられている。しかし点穴がつかれた様子はない。……一体どんな特殊な術を使われたんですか、そしてもし彼に特殊な体質があるのなら教えてもらいたいもんですね」

 日向の出身であろう、真白い目の医療忍者がじろりとこちらを睨んできた。
 ユヅルのことを思って犬神持ちのことは話していなかったが、こうなると否が応でも話さなければならないだろう。溜息をついて事情を説明しようと口を開くと、「彼は犬神持ちなんです」、その一言だけでその医療忍者はなるほどと納得した。
 犬神についての説明が必要ではないかという懸念は吹っ飛び、困りましたねと日向の医療忍者は呟く。

「犬神と犬神持ちは経絡系を共有しているんですよ。犬神が出てきて戦闘すると、実体のない犬神は経絡系を骨とし幻を皮としたようなもの……つまり犬神が負傷しても傷つくのは経絡系だけです。ならば納得がいきますね、この子の犬神はこの子のかわりに戦闘したんでしょう? ――なんということだ、こういうのは一番危険なんですよ。経絡系に受けた傷がそのまま本人に還元されますからね。影分身のように消えておわりということもない」

 長広舌を振るいつつ、彼が溜息をつく。長い茶髪が僅かに揺れた。

「まあ、もう少しこちらで様子を見させておきます。彼のチャクラが経絡系を復元させる、ということもありますし。ただ、あまり期待しないほうがいいですね。経絡系の傷から漏れたチャクラが内臓に害を及ぼす場合がある。ちょっとの間、状況を見た方がいいでしょう。――ああ、紹介が遅れましたね、わたくしは日向ヒルマと申します」

 ――もし何かあったらどうぞこのわたくしにご一報ください。
 そう言って、彼――ヒルマはにこりと笑った。 
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