銀河英雄伝説~生まれ変わりのアレス~
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デートの誘い
靴箱を開ければ、靴の前にゴミを処理する。
それがライナの日課だった。
靴の上に山と積まれた紙を無表情に手にする。
今日は十二通。まだ少ない方だろうと判断し、封筒を見る。
人類が宇宙に出て既に数百年。
それでも古風に紙を送るのは、メッセージの送信ログに残ることを気にしているのか。開けて、名前が書いていないものは即座に破り捨てた。
名前が書いていたとしても同様であるが。
そもそも名前が書いていたとしても、知らない名前が多い。
そんな彼らはライナの何を知っているというのだろう。
もっともたまにライナの知る名前があったが、これは少し面倒くさい。
付箋にお断りしますと記載して、当人の靴箱の中に入れることになるのだから。
そんなより分け作業は、既に日課の光景となっている。
最初は騒いでいた同級生たちも、時間が経つにつれて、大変だとは思えど、声をかける事はなくなっていた。
それは実に事務的により分ける作業の様子からだ。
少なくとも学年が開始されて、この時期に至るまでライナが誘いに乗ったことは一度もない。中には士官学校でも有名な人間もあったが、全て同様に拒否されている。
本日も同様により分けられる手紙の最後の一通。
真白な紙を取り上げて、ライナは作業を止めた。
浮かぶ名前を見て、思案。
「どうしたの?」
「何でもございません」
背後からかかったフレデリカの声に、ライナは手紙をしまう。
残った破り捨てた紙をゴミ箱に入れて、そのまま立ち去った。
少し焦っている。
そんな珍しい友人の姿に、フレデリカは首を傾げた。
+ + +
学校の周回を回るランニングコース。
木々が生い茂るそこから一歩先にはいれば、学校と外部の境界を隔てるフェンスがある。
夜も八時を回れば、走る人の姿は少なく、ましてや木々の中に入れば、誰もいない静けさがある。
木々がぽっかりと開いた、小さな空間で、ライナ・フェアラートは手紙を握りしめて、静かに立っていた。
ランニングコースの街路灯の明りもここまでは届かない。
僅かな遠くの光と月明かりだけが、ライナを照らしていた。
戦術シュミレート大会も終了し、冬が近くになれば、この時間は少し寒くなる。
微かに聞こえる虫の音を聞きながら、ライナは肩をさすった。
腕時計を確認する。
まだ、八時を三分ほどしか過ぎていなかった。
先ほど見たのが八時ちょうどであったから、まだ三分しか経っていない。
自分らしくもない。
そう考えながらも、どこかそわそわとライナは周囲を見渡した。
「お待たせ」
そんな声とともに、背後から草をかき分ける音がした。
ライナは手にした手紙を握り潰す。
「あなたを待っているつもりはございません。ケビン・ウィリアム候補生」
冷ややかなライナの声が、静かな木々の隙間に漏れた。
+ + +
冷たい言葉に対して、ケビン・ウィリアムは仰々しく肩をすくめて見せた。
「酷いな、手紙を見て来てくれたんだろう?」
「そうですね。嘘の手紙で騙されたという事です」
「その割には驚いていないみたいだけれど?」
「マクワイルド先輩が私に恋文を送るなど、考えられませんでしたから」
手紙に記載された差出者の名前。
そこに書かれたアレス・マクワイルドの名前。
冷静に考えなくても、あり得るわけがない。
手紙の主が本人である可能性など、十パーセントもないだろう。
そう理解していても、ライナは浮かぶ不愉快な気持ちに、胸を掴まれた。
わかっていたことだから、落ち込む必要などない。
冷静な頭がライナを落ち着かせるが、落ち込んだ心は晴れそうもない。
だから、単純な怒りの視線をウィリアムに向けながら、足を進めた。
「おいおい。帰るつもりかよ。せっかく来てくれたんだから、話をしてくれてもいいんじゃないか」
「あなたと話す言葉を持ちません」
「アレス・マクワイルドと付き合うよりは楽しいと思うけれど?」
「お断りします。あなたとお付き合いをしても、私には何の利点もないでしょう」
「それが先輩に対する言葉か、フェアラート候補生」
「先輩と思われたいのでしたら、偽の恋文など使わぬことです」
冷静な言葉に対して、ウィリアムは唾を吐き捨てた。
その表情に浮かぶのは、爽やかな青年ではない。
眉間にしわを寄せて、ライナを見つめる。
「――後悔するぞ」
「随分な三下な言葉ですね、先輩」
冷ややかな言葉に、ウィリアムは笑った。
「騙されるのがわかっていて、一人で来たのか。自信過剰だな……なぜこの場所を指定したと思う」
「先輩が振られる無様な格好を、見られたくないためでしょう」
「出てきていいぞ」
ライナの言葉に対して、声を立てれば、草が揺れる音がした。
月明かりの中に次々に浮かぶのは、制服姿ではない――年齢層も違う男達だった。
ピアスをつけている者。
ドクロのロゴが入ったジャケットを着ている者。
少なくともそれらの姿をするものに、学生はいない。
「君は知らなかったみたいだね。ここの後ろのフェンスに付いている警報装置は随分と前から壊れていてね。脱走の穴場になっているんだよ――だから」
そこでウィリアムは下卑た笑いを浮かべた。
「俺の友達も自由に入ってこれるのさ」
男達の周囲をライナが取り囲めば、ライナは表情を変えずに、なるほどと頷いた。
「端的に申し上げましょう。下種どもと」
+ + +
ライナの言葉に、怒りを向けた男が手を伸ばした。
それに対して、ライナの行動は速い。
肩に伸ばされた手を掴めば、一気に引っ張り、足をかけた。
態勢を崩した男の後頭部に向けて、肘を入れる。
「ぐぎゃっ」
男はカエルのような悲鳴をあげて、地面に倒れ込んだ。
「人数をそろえれば、勝てるとでも思いましたか。端的に――甘いと思慮いたします」
士官学校で習う陸戦技術。
ライナもまた高いレベルで収めている。
例え何人が襲ってきても、それが一般人であれば幾らでも対処ができる。
一瞬で制圧された仲間に、周囲の男達も戸惑っているようだ。
構えを解かずに、周囲を睥睨するライナの姿に、笑っていた男達も戸惑いを浮かべる。
「姿勢だけは立派だな、フェアラート。その顔が崩れるところをみたいものだ」
「馬鹿なことを」
「馬鹿は君だ」
呟かれた台詞とともに、一条の光が駆け巡る。
「っ――」
受けた衝撃に小さく悲鳴をあげて、ライナは吹き飛ばされる。
強い痛みと痺れが全身を襲い、上手く顔をあげることもできない。
地面を転がって、ようやく止まった視界で、ライナは光の方へと目を向けた。
「随分と用意周到なことですね」
途切れがちになりながら、ウィリアムが銃を向ける姿に、ライナは息を吐いた。
+ + +
ウィリアムが手にしているのは、訓練でも使われる銃だ。
出力をあげれば人を容易に貫通するし、逆に出力を押さえれば、このように人を殺さずに鎮圧することも可能である。
それがなぜ彼の手にと疑問は思うが、どうにかしたのだろう。
あるいは別に調達しておいたのかもしれないが。
無抵抗となったライナの様子に、男達が再び勢いを取り戻す。
先ほどの衝撃で服が破け、地肌を見せたライナの姿も原因かもしれない。
今にも襲いかかろうとしながら、それができないのは、ウィリアムが止めているからだろう。逆に言えば、ウィリアムがやれと言えば、男達は何のためらいもなくライナに襲いかかるに違いなかった。
「もう一度聞こう。ライナ・フェアラート、よく考えて発言をした方がいいぞ」
「下種の言葉は私には届きません」
再び一条の光が走った。
受ける衝撃に、ライナが短く息を吐く。
それでも意識を手放さなかったのは、本人の意地でもあるだろう。
この場合は意識を手放した方が良かったのかもしれなかったが。
「アレス・マクワイルドは今日は巡回責任者だそうじゃないか。助けを呼んでみたらどうだ」
ウィリアムの唇が楽しげにあがった。
睨むフェアラートに、男達が殺到する。
男の一人が、ライナの制服を力任せに引っ張った。
声などあげるものか。
ライナが唇を噛み締め、身をよじった。
瞬間。ライナを掴んだ男が、弾け飛んだ。
+ + +
いきなり吹き飛んだ男に、何が起こったか振り返る。
直後に顎に一撃を受けて、沈み込む。
別の男は足を払われ、腕をとられて、引き込まれる。
関節を逆に押さえられれば、骨の軋む音がした。
「あっ――あああっ!」
腕を押さえて悲鳴をあげる男。
その腕をさらに踏みつけて、男の悲鳴を増加させる。
その大きな悲鳴に、思わず周囲の男達は手を止めて、突然の乱入者を見た。
ライナが小さく目を開く。
変わらず目つきの悪い――金髪の男が、つまらなそうに立っている。
「アレス……アレス・マクワイルド!」
呼ばれた名前に、アレス・マクワイルドは周囲を見渡しながら、息を吐いた。
「俺が巡回責任者の時間に何やってんだ、おたくらは?」
+ + +
アレスは苛立ちを隠せない。
少しでも苛立ちを解消しようと腕を踏みつけている足にさらに力を込めた。男の悲鳴がさらに高まっていく。
周囲にいる男達は、少なくとも多くは学生ではない。
学生は隣に座るライナ・フェアラートとケビン・ウィリアムという男だ。
その手には御丁寧に銃が握られており、何をしようとしていたか明白だ。
「あ、足を離しやがれ」
「なら、お前がかわってやれよ」
一人の男が拳を握りしめて殴りかかる。
男の手を払い、即座に腕を極める。
関節を曲げられた男が小さな悲鳴をあげる間もなく、アレスと視線があった。
「お、おい。おまっ」
言葉が終わる前に、アレスが稼働領域を更に更新させた。
肩がはずれ、腕を一周させた男が悲鳴をあげた。
その情け容赦のない攻撃に、男達が後ろに下がる。
そんな男達に向けて、アレスは唇をあげた。
「おいおい。軍の施設に攻撃を仕掛けてきて、何もされないと思ったのか。お前らの相手をするのは軍人だぞ? 誰か代わりたい奴はいるか?」
脱臼させた腕を更にひねりながら、問いかければ、答えるものはいない。
静かな言葉であったが、それは男達にとっては死の宣告といってもいい。
それは殴る蹴るといった、男達の知っている暴力ではない。
向けられる視線が告げている。
お前らは命をかけるつもりはあるのかと。
助けを求める視線が、一斉にウィリアムに向いた。
視線の先で、ウィリアムが小さく舌を打つ。
「何をしにきたんですか、先輩」
「それはこちらの台詞だ。ウィリアム候補生――学外の人間を連れて、何をしている?」
「デートですよ。先輩――お邪魔です」
「一人の少女を取り囲むのは、デートとは言わんな」
「それは人それぞれですね。それよりも良いんですか、一般人に怪我をさせて。問題ですよ?」
「別に問題はないな。こちらは抵抗しただけだ。そちらの方が人数が多いし、武器までもっている。どんな言いわけをするつもりだ」
「それを……何と説明するのです。学年主席のライナ・フェアラートが男達に襲われたのを助けたと。美談ですけど、素敵な噂が流れそうですね」
噂というのは実に勝手に、楽しく作られるものだ。
例えそういう事実がなくても、ライナが男達に襲われたということは、尾ひれがついて流れるだろう。
言外に口にするなという言葉に、ライナはウィリアムを睨んだ。
「別にどんな噂が流れようが、私には関係のないことです」
「そう言っていますが、先輩はどう思います? 軍人としてそんな噂が流れた人間がどうなるか」
問いかける言葉に対して、アレスは息を吐いた。
「そもそも噂とか誰を殴ったとか、そんな事はどうでもいいことだ」
捻る腕にさらに力を込めながら、アレスは口にする。
前に進めば、痛いと叫びながら、男が一緒についてくる。
「ただ問題なのは、抵抗も出来ない人間に、襲いかかる屑が士官学校にいるという事実だ。いや、正確にはいたということか」
「何をおっしゃってるかわかりませんが」
「お前が理解する必要はない」
歩き始めるアレスに、ウィリアムは苦い表情を浮かべる。
想像とは違う展開を苦々しげに思い、銃を向けた。
「それ以上近寄らないでください」
「近寄らなけりゃ、殴れないだろう?」
「くっ!」
一条の閃光は、しかし、アレスが盾にした男によって遮られた。
潰れたような悲鳴で泡を吐く男を盾にしながら、アレスは一気に走りだす。
乱発する光によって、男の身体が何度も震えるが、アレスには届かない。
既に男は意識を失っているが、それでもなおアレスは男を持ちあげて走る。
「おいおい。あんまり打ち過ぎると幾ら非殺傷でも、この名前の知らない仲間思いの男が死んじまうぞ?」
盾にしながら平然と口にして、アレスは男を投げた。
男の身体をまともに受けて、ウィリアムが後ろに下がる。
慌てて銃を構えなおそうとした、その手がアレスの手に握られた。
「一般人じゃなけりゃ、加減しなくてもいいな。大丈夫だ、俺はフェーガンの半分くらいは優しい」
呟かれた言葉共に、繰り出された拳はウィリアムの奥歯と鼻骨をへし折った。
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