魔狼の咆哮
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第一章その四
第一章その四
「あの野獣が甦った。それだけでこのジェヴォダンは恐慌状態に陥ります。今ですらその一歩手前なのですから。平和に暮らす市民達を守る為に一刻も早くあの野獣を倒さなくてはいけません」
署長が強い口調で言った。彼もこのジェヴォダンの生まれなのだ。野獣の怖ろしさは幼な子の頃より聞かされている。相手は人ではない。人を陵辱し貪り喰らう人に非ざる異形の者なのだ。だからこそ倒さなくてはならないのだ。
「署長、今更何言ってるんですか」
本郷が言った。口元に微笑みを浮かべている。それは相手を宥めるような優しい微笑みだった。
「その為に俺達を呼んだんでしょう。昨日約束したじゃないですか。喜んでやらせてもらいますよ」
「そうです。それが私達の仕事なのですから」
役も本郷に続いて言葉を出した。
「まだこの世の楽しみも充分に知らぬ娘を殺しこの平和な村を恐怖の奥底に陥れた人狼、必ずや我々が倒して御覧にいれます」
「二人共・・・・・・」
「見てて下さい、野獣の胸に銀の裁きを与えてやりますよ」
そう言うと二人は旅館へと向かった。邪なる人狼を冥府へと送り込む武器を手にする為に。
「よし、日本からわざわざ持って来た介があったな」
本郷が背に鞘に入れられた刀を背負う。その婉曲から日本刀であると判る。
「いつも税関を通すのに苦労するけどな。やっぱり日本人には日本刀だぜ」
「暫く見ていなかったが手入れはやっていたか?君はそういうことには全く頭が回らないからな」
役が懐の拳銃を取り出しそこへ弾を装填する。鉛の弾とは輝きが異なる。白銀の弾だ。
「後は・・・ライフルも持っていくか」
ライフルを取り出し弾を装填すると背中に背負った。コートやスーツのポケットのも白銀の銃弾を入れる。
「いつもながら随分持って行きますね」
「多いにこしたことはない。君も短刀のストックは問題ないか?」
「御安心を。たっぷりと持ってますよ」
ジャケットを捲る。肩に掛けた帯に梵字が書かれた短刀がずらりと並んでいる。
「それにもしもの時にはとっておきの切り札もありますしね」
そう言うとにいっと笑った。
「あれか」
「はい。化け物にはあれが一番ですしね」
「だがあれは最後まで取っておいたほうがいい。あくまで切り札なのだからな」
満面の笑みを浮かべる本郷にたしなめる様に言った。
「わかってますよ。俺もそうやすやすと使うつもりはありませんしね」
「だといいがな。君は何かと無茶をし過ぎる」
「大丈夫ですよ、大丈夫」
「だといいけどね」
得意そうに笑う本郷に対して役はいささか不安気であった。
装備を整え部屋を出ようとしたその時だった。扉をノックする音が聞こえてきた。
「はい」
身構えつつ答える。扉には鍵を掛けている。
「私です」
中年の男の声だった。デッセイ警部のものである。
「どうぞ」
鍵を開け部屋の中へ案内する。コートとスーツに身を包んだデッセイ警部が入ってきた。アラーニャ巡査長も一緒である。
「警部、どうしたのです?巡査長まで」
「先程署長から指示がありまして」
「何でしょうか?」
「御二人にではありません。私共にありまして。今回の事件の捜査において私とアラーニャ巡査長は貴方方と行動を共にすることとなりました」
「どうぞよろしく御願いします」
すっと手を出してきた。
「いえ、こちらこそ」
「改めてよろしく御願いします」
四人は手を握り合った。野獣を倒さんとする戦士達の固い握手だった。
四人はテーブルに着くと今後の行動について話し合った。警部の話によると独自の行動及び捜査を与えられているらしい。
「また随分と大胆ですね」
「うちの署長は度量が広い方でしてね。現場に任せてくれるのです」
「それに責任は自分が取るって言ってくれますしね。下の人間にとっては有難い上司ですよ」
「成程、それはいいですね」
「全く。その逆の人間はちらほら見かけますけどね」
役と本郷が頷きつつ言った。
「では本題に入りましょうか。まず野獣の行動ですがこれを御覧下さい」
警部は懐から何やら紙を取り出した。それはジェヴォダンの地図だった。地図のあちこちに黒いばつの字が書かれている。
「野獣が事件を起こしたのはこの印がある場所です」
一つ一つ指差していく。見るとわりかし広い範囲に渡っている。
「かなり行動範囲が広いですね」
左手の指を口に当てつつ役が言った。
「はい。特徴として一つの村で事件を起こすと別の村で事件を起こします。まるで犬がマーキングをする様に」
「マーキングですか、確かに」
「事件の間の日数はどんな感じですか?」
「それはまちまちです。三日続けて事件を起こす場合もあれば十日程開ける場合もあります。間隔はさ程問題ないかと」
「結局殺したい時に殺すのか。どうやら普段そんなに貧窮している訳でもありませんね」
「おそらく。食べるのに困る程の家なら生活保護を受けています。そういった家なら行動も掴み易いのですが」
「不審な者はいなかったのですね」
「はい。野獣は普段は我々の中に潜み生活しているのでしょう。そして人の肉を喰らいたくなった時に」
「動くのですか」
本郷は地図に書かれている事件が起こった時刻を見ていた。
「犯行時刻もまちまちですね。昼に行われたり夜に行われたりしていますよ」
それを聞いて役の表情が変わった。いぶかし気なものになった。
「昼、ですか?」
「はい」
「昼、ねえ・・・・・・」
「おっしゃりたいことは解ります。人狼の習性ですね」
警部が言った。
「はい。人狼は普通夜に行動するのですが。満月の夜に変身する種もありますし」
「ですがあの野獣の昼にも動いてますよ」
「はい、それは知っています。しかし昼間も行動する人狼とはかなり力の強い奴の様ですね」
「しかも人に見つからず。かなり手強い奴の様ですね」
本郷も言った。そして再び地図に目をやる。
「ん?」
地図に描かれた事件現場を見てある事に気が付いた。
「何です、この家は」
事件現場を周りに散りばめる様に一つの大きな家があった。
「見たことろかなり大きな家ですけど」
「その家ですか」
警部の顔が暗くなった。
「カレー家の邸宅です」
「カレー家?」
「はい。代々この地方を治めていた公爵家でしてね。今でもジェヴォダンの有力者です」
「フランスは色々と政変がありましたがそれを全て乗り切ったのですか?」
「はい。大きな声では言えませんがカレー家は欧州において重要な仕事を担っていましてね」
警部の声が急に小さくなる。まるで何者かに聴こえないようにする為に。
「その仕事とは」
「表向きは葡萄酒の製造ですが本当の仕事は・・・。これです」
左手の親指で首を掻き切る動作をした。
「カペー朝の頃尊厳王フィリップ二世に刺客として召抱えられたのが始まりらしいです。その功でこの地に領土を与えられてからジェヴォダンの領主となりました」
「随分と大きな仕事をしたらしいですね」
「あの頃はイングランドと抗争状態にありjましたし王権の強化に反発する貴族もおりましたし」
フィリップ二世は『獅子心王』と称されたイングランド王リチャード一世と戦いかつ王権を強化した名君として知られている。
「イングランドの騎士や大貴族を次々と消していったらしいですね」
「はい。歴史の表舞台には決して出てきませんがね」
警部が答えた。
「それから歴史の闇で刺客として動いていたわけですね」
「そうです。王朝が変わろうとも我がフランスはイギリスやドイツ、スペイン等と常に緊張した関係にありました。そういった状況では腕利きの刺客の存在が不可欠だったのです。それは革命政府でも帝政でも変わりませんでした」
「そして今現在においても」
役の言葉に二人の警官は表情を暗くした。
「・・・・・・仰る通りです」
「二度の世界大戦の時も冷戦の時もこの家は暗躍しました。ドゴールの懐刀としてナチスやソ連の要人達を闇の中に葬ってきたのです。今も国際舞台の陰で暗躍しているようです」
「成程、それにしても御二人共よくそこまで御存知ですね」
「職業柄そんな噂話も耳に入るのです。根拠の無い風聞ですが」
そう言って警部はにやっと笑った。
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