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魔狼の咆哮

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第二章その四


第二章その四

 ごくありふれた黒っぽい普通の石である。その真ん中にルーン文字が書かれている。
「犯人、いえ人狼の指紋等はありませんでしたか?」
 白手袋をはめ石を念入りに見る。
「はい。どうやら拭き取ったものと思われます」
「用心深い奴ですね、あの人狼は」
 丹念に小さい石の隅から隅まで見る。まるで宝玉の傷を確かめるかのように。
「・・・・・・・・・」
 十分程見ていたであろうか。役は石から目を離した。
「有り難う御座います。大体のことはわかりました」
「?どの様なことですか?」
 警部達は不思議に思った。
「こちらの、魔術の話です。ちょっと警部さん達には役立たない話です」
「そうですか、それでは」
 石は警官に返された。本郷と役は不浄に行くと言って部屋を離れた。
「で役さん、何かわかりましたか?」
 現場の家から少し離れた場所で本郷は役に尋ねた。
「やはり石にはかなりの魔力が残っていたよ」
 木にもたれかかりつつ役が答えた。
「やっぱりね」
「それだけじゃない。石に残された気、やはりあのカレーとほとんど同じ質の気だった」
「・・・やはり」
 本郷の顔が少し俯いた。その顔に朱が差し込む。怒気だった。
「どうします?今夜にでも奴の屋敷へ忍び込みますか?」
「そうしたいが屋敷さえまだ見ていない。時期尚早だろう」
 役が頭を振った。
「けどこうしている間にも奴は次の獲物を探し回っていますよ」
「今行ってもわざわざ死にに行くだけだ。とりあえず待とう」
「・・・性に合いませんね」
 苦虫を噛み潰した様な顔で吐き出す様に言った。
「気持ちはわかる。だが今動いても奴の思う壺だ。それはわかるだろう」
「・・・・・・はい」
 憮然とした態度で答えた。二人はその場を後にし現場へ戻った。
 それから数日何事もなく事件の捜査もこれといって進展は無かった。しかし市民達は見えぬ野獣の陰に怯え続け恐怖はこの地を支配し続けていた。
 本郷達も警官達と共に捜査を続けていた。だが目新たしい発見は無く一見無為と思える時間を浪費していった。
 だが彼等は無為に時を過ごしてはいなかった。時が来るのを待っていたのだ。
 その時は来た。思わぬ形で。
 新たな惨劇が起こった。それは村ではなかった。
 カレー家の屋敷で惨劇は起こった。メイドの一人が餌食となったのだ。
「嘘だろう?」
 最初その話を聞いた時誰もが耳を疑った。要塞にも例えられるカレー家に侵入出来るとは誰もが思わなかったからだ。
 だがそれは事実だった。捜査の為警察が屋敷に招かれた。
 本郷と役も一緒だった。署長と共に城門の様に巨大で頑強な造りの門をくぐる。
 左右対称のオーソドックスなフランスロココ調の庭園が広がる。緑は丁寧に刈り込まれ色とりどりの花々が咲いている。
 その庭園のあちこちに黒いスーツを着たガードマンが立っている。銃で武装しており見るからに獰猛そうなドーベルマンを連れている。
「まるで南米の麻薬王みたいな警備だな」
 彼等に聴こえぬように小声で本郷が呟いた。
「聴こえるぞ、滅多なことは言うものじゃない」
 役がたしなめる。
 屋敷はまるで宮殿のようだった。白く荘重な建物が目の前にそびえ立っていた。
「事件はこの中で起こったのか」
「よくもまあ忍び込めたものですね」
 話しつつ歩いていくと門の前に一人の小柄な壮年の男性が立っていた。銀の髪と髭を持つタキシード姿の男である。
「ようこそいらっしゃいました。この家の執事のダングラールです」
 男は会釈をして名乗った。自然でそれでいて優雅な物腰である。
 執事がドアをノックすると黒く分厚い門が鈍い音を立てて開かれる。彼に案内され署長を先頭にして一同は中に入っていく。
 屋敷の中は重々しい造りだった。壁は灰に近い白であり絨毯はくすんだ赤であった。何処か血を思わせる。全体的に薄暗いが壁に掛けられている燭台には火は点けられていない。
 前と左右に廊下がある。前には上へと続く木で造られた螺旋階段がある。執事は螺旋階段の方へ案内した。
 階段を昇り二階へとあがっていく。左右に廊下がのびている。
 執事は右の方へ案内した。一堂それに従い右へ向かう。
 廊下の左右には均等な間隔で向かい合わせに扉が連なっている。まるでホテルの様だった。
 奥に近い一室の扉が開いていた。執事はそこに導び入れた。
 部屋の中は個室だった。どうやらメイドの個室らしい。右手には洗面所とトイレ、左手に風呂場がある。ユニットバスではなかった。
「風呂とトイレが別々の個室か。かなり待遇がいいんだな」
 それを見て本郷が言った。
「それに設備もいいな。建物は古そうなのに」
「我が家は使用人に対して高待遇を約束していますので」
 執事は表情を変えることなく言った。
 中央にはテレビが置かれていた。本棚やテーブルもある。
 その右手にはベッドがある。白いシーツの大きなベッドだった。
 床は絨毯が敷かれている。屋敷の中とは異なり青っぽい絨毯である。
 部屋の中は別段変わったところはなかった。ただしその奥のベランダは違った。
 ガラスは鮮血で染まっていた。血飛沫が透明は筈の窓を真っ赤にしていた。
 右手の窓が開いていた。そこから血溜まりと血で濡れた女の白い手が覗いていた。
 ベランダに少女の遺体はあった。黒いメイドの服を着ている。
 ベランダから見えていたのは右の手首だった。左の手首は喰われ骨だけになっている。服ごと背が食われ血塗れの背骨が見えている。やはり陵辱されていた。スカートが捲し上げられ下着が剥ぎ取られていた。
 この遺体で最も陰惨だったのは首が無かった点だった。
「首が無いが・・・何処だ!?」
 ふと見回す。ベランダの手摺りの上に首はあった。白いメイドの帽子を被り赤毛の髪をポニーテールにまとめたそばかすの可愛い少女だった。緑の眼が愛くるしい。生きていたならば。
 その緑には光は無く虚ろに空を見ていた。顔は自身の鮮血に濡れそれが乾いている為グロテスクな模様の様になっている。髪にまで血が付いている。ベランダには血が滴り落ちた後がある。空虚に開いた口は無念そうに最早動かなくなった舌を覗かせている。
「今度は首を切ったのか。相変わらずやり方がえげつない奴だ」
「いや、引き千切ったのかも知れないぞ。この血の飛び散り様は尋常ではない」
 役も入ってきた。その顔は能面の様に白くなっている。
「人の首を引き千切ったのですか。とんでもない怪力ですね」
「そしてその首をわざわざ我々に見せ付ける為にベランダの上に置いた。青髭は首でコンテストをやったそうだがこの人狼は自分が見るのではなく見せ付けるのが好きらしいな」
 青髭とは百年戦争の頃の貴族である。かってはジャンヌ=ダルクと共に戦った優秀な武人であったが錬金術と同性愛に溺れ美しい少年達を捕らえ次々と嬲り殺しにした狂気の人物である。
「だからいつも無残なふうにしてるんですか。下衆が」
 本郷が憤怒の顔で吐き捨てた。
「奴にとってはこれが芸術なのだろう。殺人と食事、陵辱というな」
「しかも俺達を挑発する様に。胸糞悪い奴だ」
 その時部屋の扉が開かれる音がした。
「執事さんですか?」
 しかし執事は部屋の中にいた。署長や警部達もである。急に室温が下がった気がした。
 
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