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港町の闇

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第三章


第三章

「以後宜しくお願いします」
「はい」
 そういった話をしているうちに署長室に着いた。大森巡査が扉を開け二人は部屋の中に入った。部屋には二人の男が立っていた。
「京都からの探偵の方々をお連れ致しました」
 大森巡査はそう述べた。二人の前にいる男がそれに頷く。
「うむ、御苦労」
 見ればまだ三十代の制服を着た男がそれに応えた。髪を後ろに撫でつけ黒縁眼鏡をかけている。何か警官というよりは銀行員といった趣の男であった。
「はじめまして」
 彼は二人に顔を向けて挨拶をした。
「署長の上枝です。宜しく」
「はい」
 本郷と役は挨拶を返した。
「こちらこそ宜しくお願いします」
「はい」
 上枝署長はまた頷いた。そして二人に対してまた言った。
「ようこそ来られました。お待ちしておりました」
「いえいえ」
 本郷はそれに対して手を横に振って応えた。
「電車ですぐですから。そんなに気を使って頂くことはありませんよ」
「そうですか」
「それに仕事ですしね。何でも出たそうですね」
「はい」
 彼はそれに頷いて答えた。
「それで御二人に来て頂いたわけです」
 署長はそう述べた。
「ふむ。それで何が出たのでしょうか」
「それについては私が」 
 署長の側に立っていた私服の男がそれに答えた。厳しい顔立ちの中年の男であった。背もずんぐりとしている。目が鋭く一目では警官かそちらの道の者かわからないような外見であった。
「刑事課の七尾と申します」
 彼はまず名乗った。
「我が署の誇る敏腕刑事です」
 署長はにこりと笑ってそう言った。
「敏腕かどうかはわかりませんがこの署にはおります」
 彼はそう返した後でまた二人に顔を向けた。
「御二人は吸血鬼と会ったことはありますか」
「吸血鬼ですか」
「はい」
 七尾刑事は役の言葉に対して頷いた。
「人の血を吸う魔物です。御会いしたことはあるでしょうか」
「ええ、まあ」
 本郷がそれに答えた。
「何度か」
「ロシアでもありましたし日本でも」
「日本でも」
「ええ」
 二人はそれに答えた。
「日本にも吸血鬼はおりますよ。御存知ありませんか」
「残念ながら」
 七尾刑事はそれを聞いて目をパチクリさせた。
「それは初耳です」
「ろくろ首ですね」
 だがここで署長がそう二人に答えた。
「はい」
 それに役が答えた。
「そうです。ろくろ首がそうなのです。日本ではろくろ首が人の血を吸うのです」
「ちょっと待って下さい」
 七尾刑事はろくろ首が人の血を吸うと聞いてかなり驚いていた。
「ろくろ首は人を襲うのですか?」
「そうですよ」
 本郷が彼にそう答えた。
「ろくろ首にも色々ありますから」
「首が伸びるのだけがろくろ首ではないのです」
「ううむ」
 それを聞いてさらにわからないといった顔になった。刑事には理解出来ない話であったようだ。だがここで署長が刑事に対して言った。
「小泉八雲の小説は読んだことがあるかな」
「小泉八雲ですか」
「うん。それに出ているんだ。首が飛ぶろくろ首がな」
「はあ」
 それを聞いてもまだ信じられないようであった。
「何分小泉八雲は好きではないので」
「そうか。なら仕方がないか。それ出ているんだ」
 署長はそう説明をした。
「夜中に飛んで人の血を吸う。そうした妖怪なんだ」
「そんなのもろくろ首なのですか」
「はい」
 役が頷いた。
「元々は中国の妖怪でして。首が飛ぶという話もそこから来ているのです」
「中国の妖怪だったのですか、そもそもは」
「はい」
「あれ、おかしいですね」
 それを聞いて大森巡査が声をあげた。
「中国には吸血鬼はいないんじゃなかったんですか?」
「いえ」
 だが役はそれをすぐに首を横に振って否定した。
「いますよ、ちゃんと」
「ほら、キョンシーっていますよね。映画になった」
「はい」
 これは彼も良く知っていた。何処かコミカルな生ける死者の妖怪である。そうした筋ではアンデットとも呼ばれる。
「あれがそうなのですよ。キョンシーも人の血を吸います」
「そうだったのですか」
「ええ。他にもいますよ。まあ半ば人を食らうのと同じですが」
「吸血鬼というのは実際はそうしたところが曖昧で。人を食ったりもします」
「人をですか」
「はい」
 今度は署長にも答えた。
「ここの吸血鬼もそうなのでしょうか」
「いえ、それはないです」
 彼はそれは否定した。
「どうやらそれを考えるとそうした種類のものではないようです」
「そうでしたか」
 役はそれを聞いて頷いた。
「それではキョンシーやそういった類のものではないようですね」
「はい。実は中華街の方でも事件がありまして」
「あちらでも」
「ええ。その写真がこれです」
 彼はそう言いながら自分の机の上に置いてある写真を役と本郷に見せた。そこには青ざめた顔でアスファルトに転がる少女が映っていた。見ればまだ高校生程であった。赤い中華風の服を着ているところを見ると華僑の女の子であろうか。その綺麗な顔に死相が浮かんでいた。
「昨日のことでした」
 署長は語りはじめた。
「中華街の方でまた原因不明の殺人事件があったと聞きまして。七尾刑事達に行ってもらったのですが」
「結果がこれです。既に全身の血を抜かれて息絶えておりました」
「・・・・・・・・・」
 二人はそれを聞いても何も語らない。ただ少女のその写真を見ていた。
「犯行時間は大体夜の九時頃、目撃者はおりませんでした」
「誰も犯人の姿は見なかったということですか」
「ええ」
 刑事が答えた。
「ここは人通りが多いので目撃者の一人や二人いそうなものですが」
「一人もいなかったのですか。そうでしょうね」
 役にとってそれは当然のことであった。
「吸血鬼は種類にもよりますが霧や蝙蝠に姿を変えることができます」
「映画のドラキュラ伯爵ですね」
「はい」
 署長の質問に答える。どうもこの署長はそうしたことに関して造詣が深いようだ。
「映画のドラキュラ伯爵は実際の吸血鬼をモデルにしていまして」
「それに実在の人物を合わせたのでしたね」
「そう、ドラキュラ公を」
 かってルーマニアにいた領主ブラド四世のことである。この時ルーマニアやハンガリーはオスマン=トルコの侵攻を受けておりキリスト教国である神聖ローマ帝国との間で彼等は苦境に立たされていた。その中で領主となった彼は山に篭りその中でオスマン軍に奇襲を仕掛け続け勝利を収めた。それだけならば彼は単なる英雄でありこうした話に残るような人物ではなかった。
 彼の特異性はその性質にあった。異様なまでに残忍であり血を好んだ。今の観点から言うと精神の何処かに異常をきたしていたのであろう。彼は敵や自分に逆らう者達を次々と殺戮していった。
 とりわけ彼の悪名を高めたのが串刺しであった。彼はまたの名を『串刺し公』といった。これは彼がオスマン軍との戦争において捕虜を次々と捕らえ串刺しにしていったからであった。一説によると何万もの捕虜がそうして殺されたという。ルーマニアの道にはそうした捕虜達の無残な屍が林立し、そこに烏が止まり腐った死肉やまだ生きている者の目や肉をついばんだという。これが彼の名を後世に残す最大の『業績』であった。
 その他にも彼の血生臭い行動は実に多かった。貴族達を串刺しにしたり浮浪者達を閉じ込め、焼き殺したこともあった。戦乱の時代であり逆らう者、弱者はそれだけで罪であった。だが彼の残忍さはそれを考慮に入れても特筆に値すべきことであったのだ。
「あくまであれはブラム=ストーカーの小説の中においての話ですが」
 役は説明を続けた。
「ですがそうした吸血鬼は実際にあの辺りにいたのです。そして今もいるのです」
「今も、ですか」
「そしてここにも」
 本郷がここでこう言った。
「ここにいるのがそうした奴かどうかまではまだわかりませんが」
「しかし吸血鬼が実際にいて、そして人を狩っているのは事実です。それは貴方達が最もよくおわかりでしょう」
「はい」
 署長達はその言葉に頷いた。
「だからこそ私達も来させてもらいましたし」
「ではお願いできますか」
「勿論です」
 本郷がこれに答えた。
「喜んで引き受けさせて頂きます」
「有り難い。それでは」
 署長はそれを受けて言葉を続けた。
「今回の捜査をスタッフを紹介させて頂きます。まずは七尾警部と」
「どうも」
「おや」
 二人は七尾刑事が頷いたのを見て反応した。
「大森巡査です。他にも数名程」
「どうも」
 大森巡査も挨拶した。そして二人は本郷と役のところに来て握手をした。
「宜しくお願いします」
「はじめまして」
 こうして彼等の捜査がはじまった。まず彼等は四人で神戸の中華街に向かった。
 昨日の犯行現場である。それもあったが彼等がここに来た理由はもう一つあった。
「さっき中国にも吸血鬼がいるとお話しましたね」
 四人は中華料理店にいた。そして食事を採りながら話していた。まずはラーメンを食べている。
「ええ」
 大森巡査は私服になっていた。ラーメンをすすりながらそれに応える。見ればこのラーメンはかなり変わっている。上に豚足が乗っているのだ。それがかなり目立っていた。
 
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