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港町の闇

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第十一章


第十一章

 翌日本郷と役は朝早く署にやって来た。そして捜査室に入った。その看板は一応は連続殺人事件と書かれてはいた。だが関係者でそれが本当のことだと知っている者はいなかった。真相というのは時として決して表には出せない場合があるのである。今がそうであった。
「何かよくある看板ですけれど」
 本郷は部屋に入る時その看板を横目で見て言った。太い筆でしっかりと書かれていた。
「看板ってのは本当に看板でしかないんですね」
「それはどういう意味だ」
 役がその言葉に問うた。
「あ、いや」
 本郷はその問いに一呼吸置いてから答えた。
「そのままの意味ですけれどね。看板は看板しかないんだなって」
「中身は違うということか」
「そういうことになりますね」
 本郷はそう答えた。
「表と裏は違う。よく考えれば常識ですね」
「特に我々の世界ではな」
 役は思わせぶりにそう答えた。それも世の中であった。表と裏は違うし真相も公と実際では違うものなのである。それは彼等自身が最もよくわかっていることであった。
「真相は一つではないのだ」
「はい」
 本郷はそれに頷いた。それから二人は部屋に入った。既に何人かの警官達がそこにいた。その中には昨日中華街で一緒だった者もいる。この場につめているのだ。
「どうも。お早うございます」
「はい」
 役の挨拶に応える。それから席を勧めた。
「どうぞ。こちらへ」
「はい」
 役と本郷はそれを受けて席に着く。すぐに茶が出される。
「あ、これはどうも」
 二人はそれに頷いた。それから茶を手にし飲む。
「おや」
 まずは役が気付いた。
「宇治茶ですね」
「ええ」
 警官の一人がそれに答えた。
「御二人が京都から来られたので。それでお出ししました」
「これはどうも」
「どうでしょうか、このお茶は」
「そうですね」
 役は一口飲んでからそれに答える。
「いいですね。かなり美味しいですよ」
「それはよかった」
 出した警官はそれを聞いて顔を綻ばせた。
「そう言ってもらえると嬉しいですね。これかなり高かったんですよ」
「そうでしょうね」
 役はその茶を味わいながら答える。
「この味は。ちょっとやそっとじゃ出せませんよ」
「はい」
「そして入れ方もいい。お見事です」
「あ、これはどうも」
「味を上手く引き出しています。よくぞここまで」
「まあそれは経験というやつでして」
 その警官は笑いながらそれに応えた。
「ずっとお茶汲みばかりやらされていましたからね。それで覚えたんです」
「ほう」
「どうでしょうか。これも経験だと言われましたけれど」
「その通りですね」
 役はそれに同意した。
「私もそうだと思いますよ。何事もそれは同じです」
「はい」
「そしてそれは妖怪退治も同じなわけです」
 本郷もその茶を飲みながらここでこう述べた。
「それもですか」
「ええ」
 本郷は答えた。
「俺もね、最初は苦労したものですよ」
「そうか。それ程苦労していたようには見えなかったが」
 役がそれを聞いて言う。
「君はあの頃からかなりのものだったが」
「いえそうじゃなかったですよ」
 笑いながらそう返す。
「鬼とか天狗とか。あんなのはじめて見ましたし」
「鬼や天狗とも戦ったことがあるんですか」
 警官の一人がそれを聞いてそう声をあげた。
「はい。最初は鬼と戦いました」
 本郷はそう答えた。
「京都でね。あそこはそうした話が多いんですよ」
「橋の下にいる鬼でした」
 役が答えた。
「一条戻橋の鬼みたいな奴ですか」
「簡単に言うとそうですね」
「橋の下にいてね。そっからでっかい手を伸ばして襲い掛かるんですよ」
「はあ。手で」
「そうです。こんな感じでね」
 身振り手振りを交えながら説明をはじめた。
「下から。こう橋の上にいる人めがけて伸ばしてきて」
「そして捕まえて食べてしまうと」
「その通りです」
 役が言った。
「本郷君の初仕事でしたけれどね。彼は上手くやりましたよ」
「どうしたんですか?」
「まずはその手をばっさり」
 彼は刀を横に一閃させる身振りをしながら言う。
「ばっさりと」
「はい。手首をね。一気に切ってやりましたよ。そうしたら三本指の巨大な手首が橋に落ちて来ましてね」
 鬼の指は三本となっている。これは鬼の持つ三つの不徳を表していると言われている。人間は五本指であるがこれは二つの徳でその三つの不徳を抑えている為だと言われている。
「そうしたら橋の下から物凄い叫び声が聞こえてきました」
「鬼のやつですね」
「はい」
「そしてどうなりました」
「そこからがね。さらに凄かったんですよ」
 役が言った。
「橋の下からその手首の主が出て来ましてね。本郷君に襲い掛かってきたのですよ。巨大な赤鬼が」
「赤鬼が」
「ええ。角を生やしていて。それで残ったもう一方の手で俺に襲い掛かってきたんですよ」
「それで」
 話を急かす。
「勝ったんですよね」
「ええ、まあ」
 本郷は答えた。
「そうじゃなきゃこの仕事今も続けていませんから」
「そこで死んでいたでしょうね、負けていると」
 役はきっぱりと言った。
「死んでいたんですか」
「ええ」
「この仕事は負けたら終わりなんですよ。負けたらそれで怪物の餌です」
「厳しいですね」
「いえ、それがリスクってやつですから」
 本郷はあっさりと笑いながらそう応えた。
「どの仕事にもリスクはありますから。たまたまきついリスクなだけです」
「そうですかね。何か私等よりきついですけれど」
「ああ」
 他の警官達もそれに頷く。
「そのかわり報酬はいいですからね。だからやっていけますよ」
「はあ」
「それで話の続きですけれど」
 本郷は話を再開した。
「まるで丸太みたいな腕でしたよ。いや、電車位はあったかな」
「電車ですか」
「ええ。それが俺目掛けて来まして。完全に殴り潰すつもりでしたね」
「けれどそれを紙一重でかわした」
「そう。そして俺は逆に鬼の身体を駆け登った」
 まるで講釈師のようになってきた。本郷も乗ってきた。
「そしてね。鬼の頭のところに来たんですよ。それでどうなったと思います?」
「どうなりました?」
 警官達が身を乗り出して尋ねる。
「鬼はまた手を伸ばして俺を捕まえようとした。ギラギラとした目が俺を睨みつける」
「そして」
「俺はそれより早く跳んだ。そして鬼の脳天に上がり刀を突き刺しました」
「鬼の脳天にですね」
「そう。そしてそれが留めになりました。鬼は一気に倒れました」
 彼は上機嫌で言った。
「それで鬼はやっつけました。これが俺の初仕事でした」
「凄かったんですね」
「いやいや」
 胸を誇って謙遜するふりをする。
「まあ最初でしたから。戸惑いましたけれど」
「しかし見事にやり遂げてくれた」
 役が言う。
「あの鬼はね。私でも苦戦していたでしょうから」
「はあ」
「それをよくやってくれました。まああれは彼の入社テストでもあったのですが」
「入社テストですか」
「はい」
 役は答えた。
 
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