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銀河英雄伝説~生まれ変わりのアレス~

作者:鳥永隆史
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閑話 アレスとの出会い2



 その一件は、アレス・マクワイルドの名前を学校に知らしめた出来事でもあっただろう。
それでも上にはあがらずに、大きな問題にならなかった事はサハロフ学生教官のおかげだろう。
 アレスが退室した後で、この一件は私が預かると周囲に口止めを行った。
 元より鬼軍曹の言葉が絶対であるため、さしものフォークもそれ以上問題を大きくすることはなかった。

 いや、正確に言えば問題にしたところで勝てる見込みがないと理解したのかもしれない。
 それほどまでにアレスの言葉は衝撃的であって、戦場を経験しているはずのサハロフ学生教官が圧倒されるほどだったのだ。
 だから変わりに。
 アレスへの攻撃は、口撃から、文字どおりに攻撃へと変わった。
 もちろん士官学校での事。

 表だって喧嘩をしたりはできない。
 しかし、陸戦実技という名の白兵戦を訓練する授業でアレスは標的になった。
 防具をつけての防具試合に次々に試合を挑まれ、殴られ、投げられる。
 もともと強くなかった彼は、酷く痛めつけられていたし、それをサハロフ学生教官が止めることもなかった。
 その日も、大柄な同級生に刃引きのトマホークで殴りつけられ、脳震盪を起こした。
 慌てて周囲の――スーンがアレスを引きずって、室内の角に運ぶ。

 防具のフェイスガードを外せば、アレスが気づいたのはすぐだった。
 激しい攻撃を受けた彼の顔は、防具の上からでも痣が出来ており、唇からは小さく血が流れている。
 身体を起こして、小さく頭を振る。
「いつやられた?」

「さっきだよ」
「……ああ。そうか」
 そう言って、アレスは時計を確認した。
 授業の終わりまで、三十分ほど残っている。

 アレスは頭を押さえながら、小さく首を振る。
「そうか。あと、二戦はできそうだな」
「今日はもうやめときなよ!」
 慌てていった言葉に、アレスは小さく苦笑した。
「ああ。ありがとう――でも、まだやれるさ」

「何を言ってるの。休んでたらいいよね」
「休んでいたら、強くなれるのかい?」
 フェイスガードを抱えて立ち上がったアレスは、スーンを見下ろした。
 それでも一度倒されて、立ち上がるのはあまりにも無茶苦茶であろう。
 本来なら加減をしてくれるかもしれない。

 だが、試合場で手ぐすねを引いて待っているのは、フォークの取り巻きの一人だ。
 フェーガンという化け物を覗けば、クラスでも一番強い人間である。
 そのフェーガンは、クラスの人間では相手がいないため教官と試合している。
 きっと怪我をしたからといって、加減をしてくれる相手でもないだろう。

 むしろもっと傷めつけろと言われているのかもしれない。
 いや、きっと言われている。
 フェイスガードを開き始めたアレスに、スーンは言葉を考えた。
 やめておけと。

 こんなことをして何になると。
 そもそも、君は戦略課程を目指していて、陸戦など必要ないだろうと。
 きっとどの言葉も否定されるだろう。
 結局彼は再び戦う事になる。
 それであるのならば。

「なんでさ。何で、アレスは妥協しないのさ」
 聞きたかった言葉が口をついて出ていた。
 そう彼は妥協しない。
 本来ならば、フォークの言葉に従っていたら良かった。

 黙ってはいはいと聞いていたら、それで終わったはずだ。
 サハロフが来た時もそう――そして、今日も。
 彼は妥協をしない。
 士官学校の優秀さに、そして何よりも自分の変な名字に――そういうものなのだと、妥協をし続けてきた自分とは大きく違う。

 どうせ戦う事になるならば、それを聞いておきたかった。
 その言葉に、アレスは動きを止めた。
「妥協か。そうだな、今まで妥協をし続けてきて、いつも思うわけだ」
 スーンに浮かんだ疑問が言葉に出る前に、アレスは小さく笑う。

「小学校もそうだったし、中学校もそうだった。高校だって、大学だって――社会人になっても何で勉強してこなかったのだろうと思うわけだ。それでいて、社会人でもあの時ももっと粘っていたらとか、後悔だけが残る。いつも思っていた、もう一度最初から人生をやり直せたらなって」
 何を言っているのか理解できない。

 ただ、アレスは嘘を言っているように思えなかった。
 だから、スーンは黙って彼の言葉を聞き続けた。
「どういうわけか、そんなチャンスがあった。先に言っておくが、妥協をしてもいいこと何て何も起こらないぞ。結局死ぬまで後悔している、俺が一番よく知っている」
「ちょ――」

 話は終わりとばかりに、フェイスガードをかぶりなおして――アレスは再び試合場に戻った。
 再び殴られる姿を見て、スーンは思う。
 ほとんど意味がわからなかった。
 でも、妥協をしていて――スーンは後悔してこなかっただろうか。
 それならば、何故、問いかけたのか。

 殴られる中で、アレスの繰り出した一撃が対戦相手の胴体に叩きつけられていた。
 ああ、なりたいと思う。
 妥協をしなければ、なれるだろうか。
 
 + + +

 結局、アレスは六カ月の間で大きく成長した。
 クラスでもトップクラスの実力を身につけ、学校で行われた学年別の白兵戦大会でもベスト8に入賞するほどだ。ベスト8でぶつかったのが、フェーガンであったため、もしかすると更に上を目指せたかもしれない。

 ちなみに優勝はフェーガンで、ぶっちぎりだった。
 フォーク達は満足に痛めつけることも出来ず、逆に戦いを挑めば痛い思いをする。
 遠巻きないじめを見事に解消してみせたわけだが、その結果がフェーガンの対戦相手になるのは可哀そうなことだった。

 嬉しそうにフェーガンが近づいてくるのを、アレスが首を振って、何とか断ろうとしている。
「アレス」
「嫌だ」

「まだ何も言ってないが」
「フェイスガードとトマホークを二つ持ってきて、それ以上の言葉はいらないだろう?」
「……試合をしよう」
「人の話を聞けよ、おい!」

「いいんじゃない。ほら、妥協はしないんでしょう?」
「ばか。妥協はしないが、出来る事と出来ない事ってのは人間決まっているんだ」
「ほらほら」
 スーンはくすくす笑いながら、アレスを押しだした。
 首根っこを掴まれたアレスが抵抗するが、フェーガンは一向に解さない。
 そのまま悲鳴とともに離れていくアレスに、スーンは手を振って見送った。

 笑いながら、スーンも六カ月で変わることが出来たと思う。
 ただ諦めることではなく、自分の出来ることを精一杯やろうと思う事が出来た。
 アレスのように大きな結果が出る事は少ないが、それでも精一杯やったと思う事が出来る。
 そう思えれば、それまで悩んでいたことが詰まらない事であったと思うことができた。
 自分の変な名字も好きになった。

 例え、まともに呼ばれる事がなくても、自分はスールズカリッターなのだと胸を張ることができたのだ。
 アレスのおかげかなと、小さく笑いながら試合場を見る。
 人が飛ぶところ初めて見たなぁ。
 アレスがフェーガンの蹴りをまともに受けて、試合場を水平に飛んでいった。
 おそらくめちゃくちゃ痛い。

 そのまま試合場の端にぶつかって、止まった。
「御愁傷さま」
「いいかな」
 小さく呟いたスーンの後ろから、声がかかった。
 振り向いて、それがサハロフであることに気づき、慌てて敬礼をする。

 そのままでと、サハロフが小さく手で押さえながら、スーンの隣に並んだ。
「マクワイルド候補生も随分と強くなったようだな」
「ええ。まぁ、多少は可哀そうになりましたが」
「フェーガン候補生は別格だからな。学生どころか、ローゼンリッターでも手を焼くだろう。それでいて、本人は艦隊運用科を志望しているのだから。陸戦指揮科の教官が嘆いていたよ」

「本人は卒業後すぐに結婚したいみたいですから」
「確かに陸戦指揮科は卒業後は各地の陸上警備だからな。少なくともハイネセンは離れる事になるだろう。それでももったいない話だ」
「本人の希望ですからね。学生教官はこの後どちらにいかれるのですか?」
 小さく首を振るサハロフに、スーンが話を振った。

 学生教官がいるのは、四月から九月までの六カ月間だけだ。
 その時には 同盟軍陸戦隊として再び戦場に戻される事が決まっている。
 九月も末日に近づいた現在、サハロフと会えるのは次は戦場になるだろう。
「第七艦隊――元の隊に戻ることが決まっている」

「そうですか」
 第七艦隊と思い浮かべるが、それ以上スーンが第七艦隊を知るわけもない。
 ただ平和な場所であればいいなと思った。
 戦争中で平和も何もないが。

「……なぜ、私がマクワイルド候補生が攻撃されるのを黙って見ていたと思う」
 しばらくの沈黙の後に、開かれた言葉にスーンは驚いた。
 見上げれば、サハロフが強面の顔に小さく笑みを浮かべている。
「普通であれば、あそこまで酷ければ私は止めなくてはならない。大きな怪我をしなかった事が奇跡的だったからな。そうなる前に、私は止める――それも私の仕事だ。だが、私はそれをしなかった」

「理由があったのですか」
 サハロフは、問いかけに頷いた。
 視線は真っ直ぐ、フェーガンに振り回されるアレスの姿を捉えている。
「彼の意見は非常に危険なものだ。もちろん同盟は思想の自由は保障されている。だが、彼の意見は危険すぎる。理解できるな」

「……ええ」
 帝国と違い、同盟では思想は自由である。
 しかし、共和制を批判した彼の姿勢が危険であると捉えられるのも無理はないだろう。
 下手をすれば、帝国のスパイと疑われてしまいかねない。

 もっとも、ああも公言するスパイなどいるわけもないのであるが。
「最初に聞いた時――ただ何も考えていない馬鹿な発言なら、鉄拳を加えて終わりだ。もし、それが彼の本音であるならば、上に報告をしなければならないだろうと考えていた。だが、彼はどちらも違っていた」
「……」

「彼は決して共和制が嫌いなわけではない。ただ、その問題点を指摘したに過ぎないのだ。多少口は悪かったかもしれないが。……我々は口だけで擁護していて、その本質を理解していなかったのかもしれない」
 サハロフが深い息を吐いた。
 それは、おそらく自分に向けての発言であったのだろう。

「それをまさか学生に教えられるとは思わなかったがね。だから、私は彼を見る事にした」
「……見る、ですか」
「彼は間違えたことを言っているわけでもない。だが、共和制という名前の蜜に酔っている人間にとって、彼の存在は不快なものだろう。実際に陸戦実技の授業で結果になって表れているように」
 アレスの考え方は、おそらくは正しいものなのだろう。

 だが、人間は正しい意見を素直に受けいられるほど優しくはない。
 ましてや、まだ十五ほどの学生である。
 自分の反対の意見に対して、さらに口で勝つことも出来なければ、出来る事は暴力でしかない。
自分より弱いくせに何を言っているのだと。

「彼は――彼の意見は正しいが故に、彼には説得する力を求められる。間違えていないと――周囲に理解させるほどの力を。だから、私は見ていた――彼がそれを実戦できるのかどうかを」
「だから、ずっと見逃していたと」
「ああ。そこで逃げるのであれば、彼はそこまでの人間だっただけだ。口では理想を語ったとしても、それを実行する力がなければ意味がない。ましてや、今は彼に襲いかかるのは単純な実力行使だけだが、これからはもっと淀んで汚い攻撃が待っているだろう」

 思い出したのか、サハロフは顔をしかめた。
 おそらくはサハロフ自身も、その汚い攻撃を経験した事があるのだろう。
 それが実感となって、スーンはアレスの背中を見送った。
「彼は強くなった。周囲の攻撃に負けることなく、見事に打ち果たしてみた。見事だよ――願わくば、いずれ彼の下で働きたいものだな」

「え?」
 驚いたようにスーンが見上げる姿に、サハロフはゆっくりと笑った。
「学生教官がそう思うのは不思議か?」
「いえ。私も――。アレスの下で働きたいとそう思いますから」
「そうか。それはライバルが増えた。ああ、この話はマクワイルド候補生には秘密にしておいてくれ」

「ええ。ありがとうございました、教官」
 サハロフは小さく手を振ると、試合場に向かった。
「さて、最後だ。たまにはフェーガン候補生も鍛えてやろう」
 そう言って、フェイスガードをかぶる。

 実技を初めて見せた陸戦隊の学生教官の実力は――フェーガンに初めての黒星をつけたのだった。

 + + +

 一学年最後の三月に、同盟軍と帝国軍の遭遇戦が起こった。
 僅か一日ばかりの攻防は、帝国軍の撤退により小さな記事となる。
 歴史書に一行ばかり書き加えられる、小さな戦闘。
 しかし――その日は士官学校においては大きな一日となった。

「この戦いで、残念ながらサハロフ大尉は名誉ある戦死を遂げられた。いや、いまはサハロフ中佐だったな」
 教官の事務的な連絡は、あまりにも慣れを感じさせる。
 ざわめきが波のように収まる中で、スーンは鉛筆を手にしたままで聞いていた。

 ニコライ・サハロフの戦死。
 軍人であるから、死は等しく訪れる。
 自分のみならず身内や同僚もだ。
 それでも、つい先日まで学生教官として働いていた姿は今でもはっきりと思い出せる。

 厳しくも優しい学生教官の死に、誰しもがショックを隠せなかった。
 フェーガンも再戦の機会を永久に奪われたのだろう。
 不快さを隠さずに、この驚くべき事実を伝えた教官を見ている。
 その視線にすら慣れているのだろう、教官は静かに手にしていた紙を折り畳むと、フォークへと渡した。

「遭遇戦の戦闘結果だ。要旨だけだが、君らも見ておいた方がいいだろう。終わったら回収する、以上だ」
 終わりを告げて、今日の授業が終了した事を告げる。
 だが、誰もその場から動く事はできないでいた。
 一人。アレスが席を立ち、フォークに近づいた。

 見守る中で、手を差し出すと、さすがのフォークも紙を渡していた。
 スーンとフェーガンが同時に席を立つ。
 互いに小さく苦笑を送りながら、アレスに近づいていた。
 後ろから紙を覗く。

 そこには新聞の記事を少し細かくした内容が残っていた。
 それでも紙が一枚ほどだ。
 たった一枚――それだけで、サハロフを含む数百人の命を奪った結果となっている。
 そんな現状に、スーンは唇をかみしめた。

『第七艦隊本隊を哨戒ため出発した巡航艦が、敵偵察隊を発見――戦闘を行ったものの、巡航艦は撃破された。偵察隊はそのまま撤退、被害は巡航艦一隻に留まった』
 要約すれば、二行ほどですむ結果であろう。
 そこに巡航艦が配属されていた隊や指揮官の名前――敵艦隊の数や時系列などが細かく載って、一ページに増えている。

「アレ……」
 声をかけようとして、スーンは声をかけられなかった。
 紙を見ていた、アレスが笑っていたからだ。
 その笑みは、この一年間で何度か目にする事になった。

 相手を敵と認めた時に、笑う――悪魔の笑みだ。
 しかし、それも一瞬で、アレスが紙を返せば、フォークが戸惑いながら受け取った。
 静かに席に戻る。
 何事もなかったような動作は、周囲の人間は誰も気づいていないだろう。
 おそらく気づいたのは、スーンとフェーガンだけだ。

 席に戻るアレスを追いかければ、アレスは鞄を手にしていた。
 スーンも追いかけるのを途中でやめ、自分の席に戻る。
 鞄を手にする。
 すでにアレスは扉を開けていた。

 不思議に思う中で、スーンは紙を手にする。
 そこには戦闘の詳細とともに――巡航艦を送った、分艦隊の名前が書かれていた。

 即ち――分艦隊司令、サンドル・アラルコン大佐と。
 
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