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トワノクウ

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トワノクウ
  第二十二夜 禁断の知恵の実、ひとつ(五)

 
前書き
 人から妖、妖から人 

 
「まあ、正答には至りませんでしたが、物分かりがいい生徒さんにご褒美です。教えてさしあげますよ。妖が生まれる仕組み」

 くうはがばっと身を起こした。その様子を菖蒲はくすくすと笑ってから。

「妖は人の心の闇から生まれる存在です」

 菖蒲はまったく平静に、能面並みに表情一つ変えずに、明日の授業の打ち合わせでもするふうに、言った。

「この(たい)の元の持ち主とこんな話をしたことがあります。何故妖は知恵をつけるほどに人に近くなっていくのか。何故人を忌み嫌う妖が人型を好んでとるのか」

 確かにくうも考えた。薫も潤も、陰陽寮も坂守神社も、何をもって妖を妖と判断するのか(・・・・・・・・・・・・・・・)。梵天や露草のように完璧に人にしか見えない者もいるのに、何故彼らが妖だと分かるのか。見てくれだけなら人と妖に差分などないのに(・・・・・・・・・・・・)

「実はそれ、逆さなんですって」
「逆さといいますと、えっと……なんで人型の妖なのに人が嫌いなのか、なんで人に近い妖ほど知恵があるのか、ってことですか?」
「うーん、少し違いますね。彼らは意図して人型をとっているのではなく、人型をとらざるをえないんです」

 ということは、梵天や露草にも元の異形の姿があるのか。
 見たい。強く想った。

「妖とは本来形をもたないもやのような存在で、もやが核を持つと固まり妖を作ります。長年かけてもやが体にたまった獣や物ほど人型のほうが安定します」
「妖の核って、もともと自然界にいるものなんですか!?」
「ええ。梵天なら鳥、露草なら樹木といった具合にね」

 ならば、妖は生物の進化形ではないのか。現代の生物科学学会で発表したら一大センセーションだ。そんな歴史を変える新種が明治にいたなんて。

「そしてここからが本題。妖を作るもやとは何か。これこそが人の心の闇、人の負の念なんです」
「でもそんなものが形を持って自然界の生物や有機物に影響を与えるものなんですか? 想いや感情は人の内側にしかないもので、外に出ることなんてないと、くうは思うんですけど」
「与えるんですよ。篠ノ女さん、新月の晩に夜が一層暗くなる理由をご存知ですか?」
「月が隠れているから――」
「それだけじゃないんです。その光のない闇の世界こそ人の闇が作り上げるものだからです。私も実際に確かめました。世界の闇にまぎれて人の闇が外へ産み落とされた瞬間を」

 菖蒲は懐かしむ色さえ浮かべた。その色にくうは違和感を生じた。

「怯え。悪意。日々の鬱屈。日ごと抱えた疑問ももやつきも翌日には忘れ果てるからくりは、こんなものだったんですよ。篠ノ女さんにもありません? その日が終わるまでは確かに胸にあった厭な感情が、夜明けとともにどこかに失せてしまったこと」
「あり、ます……」

 自分より成績がいい同級生と自分を比べた時の劣等感。好きな人と楽しげに話す女子への凶暴な衝動。挙げればキリがない。
 ああ、あれからおぞましい生き物が生まれるなら納得もできる。

「でも、菖蒲先生、一つ変だと思うんです」
「何がです?」
「くうもやなこと考えますし、人を恨んだり妬んだりするから、その闇がどんなに汚いか分かります。でも、あんなもの(・・・・・)から妖が生まれたんなら、どうしてあの方達はあんなに奇麗なんですか?」

 人型の妖ほどもやをたくさん持っている。それなのに、梵天はひどく透明だし、露草はなまじの人間より健康的だ。あれが闇を成分にした生き物ならこれほどおかしなこともない。

「人と同じです。どんなに外見が美しくても腹の底ではおぞましいことを考えている人だって大勢いますよ。篠ノ女さんも今認めたでしょう? 貴女のように可愛らしい人でも中には闇を抱えているんです。視覚で捉えられるものがいかにあやふやか分かるでしょう」

 納得はいくが、くうはよけいに混乱した。欲しいのは抽象的な答でも比喩でもない。アルゴリズムから導かれる確かなアンサーだ。

「菖蒲先生! 妖って何なんですか!? いいんですか? 悪いんですかっ?」

 菖蒲は目を瞠るも、しばらく考えるようにしてからにこやかに答えた。

「分かりません」

 肩透かしを食らったくうはつい苦し紛れに。

「ず、ずるいですぅ!」
「はいはい。でも、その答を考えもせずに私に訊く篠ノ女さんは、ずるくないんですか?」

 くうは反論に困る。菖蒲はにこにこと笑っている。

「………………ずるいです」

 くうは帽子を下げて顔を隠した。

 悩んだり戸惑ったりしていると己がちゃんと物事を考えている気になりがちだ。くうはいつの間にかその穴にはまっていた。それらは思考ではない。

「ねえ篠ノ女さん、人間とは何だ? と問われて正しく答えられますか?」

 突然の質問にくうは答になりそうなものを探して口にする。

「か、からだの作り?」
「妖は高位のものほど人に近い。梵天や露草を見ても瞭然でしょう」
「し、神水やお経とか人は効きません」
「酸や菌では違いますよね。妖にとっての毒が人間にとってたまたま無害であるだけですよ」
「体力っ」
「陰陽寮の方々は妖並みの運動神経の持ち主ばかりですよ」
「寿命っ」
「全ての生物が定められた時間は違います。六十年生きる犬猫とか知らないでしょう? セミなんかは一週間ですし、逆に亀は百年単位で長生きします」
「食べ……るものは好みと体質の問題ですよね分かってますぅ~~!」

 くうはついに卓上に突っ伏した。

「分かってるんです。何もかもそれだけのこと(・・・・・・・)なんだって、分かってるんです……」

 くうは再び帽子を引っ張って顔を隠す。菖蒲に論破される程度のものを人間の証明だと信じていた自分が情けなく、縮こまるしかなかった。

「まあ私に言わせればもちろん差もあります」
「どんな、ですか?」
「ろくでもないのがどっちかなら、断然人間のほうです」
「――、ふぇ」

 表情と言葉にギャップがありすぎて理解が遅れた。

「人は殺すし盗むし騙すし犯す。妖は殺ししかしない。ね、人間のほうがろくでもないでしょう?」

 やっぱりとてもイイ笑顔のままだ。くうは急に目の前の男が恐ろしくなった。おかしな見解だが、元人間の菖蒲が同じ人間を「ろくでもない」と見限ることはあってはならない気がするのだ。

「そんな人ばかりじゃない、と言いたそうな顔、してますよ」
「え、と……はい。悪人よりうんと少なくても、善人もいるんじゃない、でしょうか。一般論として」
「そのご意見には私も賛成ですよ。でもね」

 くうはひく、と。喉元に刃物を押し当てられたように萎縮する。

「善人の顔をした者が次の日には悪人になって匿った人間を突き出したり、居場所を密告したり。人は簡単に反転する生き物です。しかも善人面の者達も、明日に自分が悪人になる予定なんてないから質が悪い」
「それは、一体どういう」
「最初はね、誰もが己の義に従いたくて救いの手を伸ばします。ですがそれは瞬く間に消える格好つけのやせ我慢。伸ばした手に責任を持てなくなった人々は、代わりにどうにかしてくれる地元の有力者や寺社仏閣に、重荷となった憑き物筋を引き渡します」

 菖蒲は教師をしているだけあって穏やかな諭し方をする。穏やかならないのは内容だけだ。

「さぞ気持ちよかったでしょうねえ。自分達は身軽になってその上金銭まで貰って」
「ひ、人を傷つけて貰ったお金で、気持ちいいなんて」

 正義感ではない。合法でない他社の蹂躙で利を得ればしっぺ返しが来るという、東雲(とううん)のビジネス方針の一つがくうにも染みついていたから出た台詞だ。

「変ですか? 篠ノ女さんも自分が嫌いなものを他人が嫌いだと言えば嬉しくなりません?」

 反論できない。少し前に見たマスコットキャラクターを「気持ち悪い」と言ったとき、潤が同意したのを大いに喜んだ覚えがある。

「責任は向こうが替わってくれる。自分達はただ妖に関わる者を押し付ければいいんです」
「大きな権力がするなら低い身分は自分の生活だけ考えよう、ってことですか?」
「よく分かっていらっしゃる」

 菖蒲は教え子が算数の正答を見つけたかのように嬉しげだ。

「だから私は人間が嫌いです。良心を貫けない人間達、上位に許されて善悪を問うことをやめた人間達に、私の妻は奪われたんですから」

 ――〝あいつは人間に自分の女房を殺されたんだ〟

(あれはこういうことだったんですか、露草さん――)

 にこやかに人間の善性を否定する菖蒲。くうは、そんな彼に言い返すだけのものを持たないうすっぺらな己を、悔しく思った。


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