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季節の変わり目

作者:naya
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一昨日

 
 まだ朝日も昇っていない夜中の4時にヒカルは目覚めた。ここ最近気がかりなことが多くてなかなか寝られないし、そのせいで身体の疲れが取れない。大事な棋聖戦予選の最中だというのに、ヒカルは自分自身にイライラしていた。そしてその悩みの種は、全て佐為に関することだった。
 
 一昨日、部屋で碁の勉強をしていたら、急に電話がかかってきた。鞄から携帯を取り出し画面を見ると、こんな時間に珍しく和谷からだった。すぐに通話ボタンを押すと、和谷の興奮した声が電話越しからでも大きく耳に入ってきた。

「おい、進藤!今、塔矢先生と佐為がネット碁で対局してるぜ!」

まさか、と思い和谷に確かなのか確認すると、「本当だって」と声を荒げて言ってくる。家にパソコンと言えば父さんのものしかないから、下におりて父さんの自室に勝手に入る。まだ仕事で帰ってきていないのをいいことに、俺はパソコンの電源を入れた。トップの画面が出てくるまで台所に行ってお茶を汲む。まさか塔矢先生と佐為が対局するなんて、夢にも思わなかった。

 確かに、画面上には佐為と塔矢先生の盤面が映し出されていた。画面の右横を見てみると、それぞれの持ち時間は2時間だった。それを見た瞬間、正直驚いた。塔矢先生が2時間も取るなんて、と。100手ほど進んでいるが、もう佐為の投了は時間の問題で、あと数手で終わるだろう。中央の黒石が容赦なく殺されていた。塔矢先生が本気だというのは、一目瞭然だった。

「塔矢先生がネット碁をまた始めたなんて・・・。しかも、佐為と」

一年前の佐為と塔矢先生の対局が思い出される。佐為の気迫を後ろに感じながら示された場所へ打っていく。あの時は自分が対局の中心にいるようで、両者の気迫がとめどなく感じられた。今、画面を見てみると、佐為の一手が盤上に置かれたところだった。勝手に進んでいく対局にひどく疎外感を感じる。こんなに素晴らしい局面が映し出されているというのに。

「いつまで昔の佐為と比べてみてるんだよ」

自分に嫌気がさして、目を瞑っていると、投了の音が聞こえてきた。佐為が投了したのだ。俺は机に身を乗り出して画面を注視した。改めて見てみると、佐為はもう前より数段上の力を身につけていた。プロの三段、四段と例えてもそん色ない。初めて会った頃と比べてみると、ありえないほどに成長している。

「佐為・・・」

最初の頃と今の佐為を直接比べるとおかしいくらいに差があった。佐為と出会って3ヶ月とちょっと。これは少し異常なのではないか?いや、佐為の潜在能力が高かっただけの話だ。そう自分に言い聞かせる。そして最近打った佐為との対局を思い出してみた。いつの間にか、俺は少し本気を出して打つようになった気がする。それでも佐為はまだまだ俺には勝てないが。そういえば和谷がこの前こう言ってた気がする。「佐為の成長度ってちょっと異常じゃねーか?俺この前負けたぜ」もう佐為も受験の年だ。佐為は勉強より碁が好きだと言って相変わらず俺のところに打ちにくるが、和谷は気を遣って9月になってから週に一回くらいしか佐為と打たない。和谷は俺より佐為と打つ回数が少ないから、打つたびにひどく成長している佐為に疑問を持ったのかもしれない。このまま佐為がもっともっと強くなっていったら・・・。首を左右にぶんぶん振って、頭をからっぽにしようとした。

「塔矢先生もどういうつもりだよ・・・。偶然なのか?」

でも、これだけは安心できる。佐為はプロにならない。受験して、囲碁とは関係ない道に進むんだ。この現状に幾らか自分は安心していた。佐為がプロになることなんて考えられない。よく分からないけれど、佐為を囲碁界に通じさせたくはなかった。
 
 俺の安心とは反対に佐為と塔矢先生の対局は数日で囲碁界全体に知れ渡った。
 
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