銀河英雄伝説~生まれ変わりのアレス~
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戦いの前に
「ローバイク先輩。作戦は中止だ、テイスティアが見破った。右翼は固められる」
『了解』
短い言葉に、コンソールを激しく叩く。
右翼の奇襲を狙っていた部隊を下げる。
さすがに右翼の奇襲に相手は備えていたため、本隊への攻撃は薄い。
それでも奇襲に対処する左翼が本隊に戻るのと、奇襲部隊がこちらに合流するのでは、圧倒的にあちらが早いだろう。
さらに言えば、向こうはミシェル・コーネリアがいる。
自分の腕のように艦隊を引き寄せる姿に、アレスは敵の攻撃までの時間を五分から三分へと短く修正した。
三分後までに出来るこちらの艦隊行動を予測し、最適となる行動を予測する。
三分間で出来る行動は二十種類、しかし迷い二分になれば五種類程度しか出来なくなるだろう。
「奇襲部隊は速力八十パーセントで後退しつつ、二分三十秒後に再度前進できるか」
『了解』
短い言葉が帰ってきて、その間にこちらの部隊を固める。
コンソールへの入力だけで、艦隊が中央へと集まる様子を見つめて、アレスは眉をしかめた。
間に合うか。
時間との勝負であるが、こういう勝負になればやはり戦術シミュレーターは機能しないと思う。
こちらは入力すれば終わるが、実際の艦隊運動では命令伝達までのロス時間があるだろう。ローバイクのように、説明も求めず素直に従ってくれるならば良いが、下手をすれば説明に時間をとられ、最悪間に合わない可能性もある。
そう考えると、こちらとしては最適な作戦よりも時間に余裕のある策をとった方がいいだろう。
時間が経つにつれて手ごわくなっているのは確かだが、テイスティアはワイドボーンの頭突きによって、当たり所が良かったようだ。あれ以来、随分と手ごわくなっている。最初のころは、何もなくても慌てたように逃げていたが、少しずつこちらの狙いを正確に読み取るようになってきている。
見せすぎたか。
それなら、ちょっと趣向を変えよう。
「ローバイク先輩。作戦を変更します、敵左翼に攻勢をかけます」
『勝てないかもしれないが』
短い言葉に、アレスはゆっくりと首肯した。
コンソールを叩く指は、それまでの作戦から大きくかえたものだった。
敵本隊の殲滅ではなく……。
「時には戦闘では勝つよりも、必要なことがあると思います。第二次ティアマト会戦のように」
『……。了解』
短く呟かれた言葉に、それだけでローバイクは理解してくれたようだ。
例え、大勝したとしても一個人の死が戦況全体に及ぼす可能性がある。
もし、第二次ティアマト会戦で、ブルース・アッシュビーが生きていたらその後の同盟軍の戦況は大きく変わっていたかもしれない。一戦では勝ったが、それが戦争に勝つわけではない。
もしテイスティアが敵であり、一戦ごとに成長するのならば、この戦いは負ける覚悟をしても、彼を始末しなければならない。
そう思い、アレスはコンソールのボタンを叩いた。
+ + +
全体的な戦況が優位に進む中で、ワイドボーンは被害艦艇の情報に目を走らせた。
あの悪辣な後輩が、何かを狙わないわけがない。
だが、それが掴めない。
敵の奇襲を看破し、浮いた奇襲部隊はこちらの背後を突くわけでもなく、遠巻きから攻撃をするに留まっていた。だからこそ、こちらが数で優位に立ち、敵本隊を攻撃しているのだが。
「おい、テイスティア。相手は他に奇襲部隊を残していないのだろうな」
『たぶん。大丈夫だとおもい……ます』
『大丈夫なの、テイスティア』
『ええ。ちょっと攻撃が厳しくて、すみません』
『そう。こちらから少しだけだけど応援を向かわせるわ、耐えられる?』
『すみません、コーネリア先輩』
通信される言葉を聞いて、ワイドボーンは唇を噛んだ。
目を走らせる戦場の様子から、間違いないことを確信して、叫ぶ。
「あの野郎――鬼か」
気づいた事実は、数値から間違いない。
『どうしました、ワイドボーン先輩』
「どうしましたかじゃない。コーネリア、貴様は全力を持ってテイスティアを守れ」
『え、あ。はい』
「狙いは、テイスティアだ。奴はテイスティアを狙ってきている」
『え、えええっ! な、何で!』
「なんでじゃない。貴様が敵だった場合を、奴は考えたんだろう。これからの戦いでさらに成長されたくないから、貴様を先に始末することを考えたんだ」
『お、鬼ですか!』
「だから、そう言っているだろう。コーネリア、さっさとしろっ!」
『しかし、ここを開けると、敵奇襲部隊によって攻め込まれますが』
「そちらはこちらで何とかする。テイスティアを死なすな!」
『りょ、了解しました』
『ああっ、アレス先輩がよく攻勢に使う陣形を取ってます!』
「知ってる。援軍が駆け付けるまで耐えて見せろ!」
本隊が損害を恐れずに左翼に攻勢をかけ始めた。
防戦を行おうとしても、数的優位な上にアレスの繰り返される攻勢に、テイスティアがどれだけ奮闘しても耐えられるはずもない。
次第に削られる部隊に、コーネリアの援軍が到着した。
同時に、コーネリアのあいた場所に奇襲部隊が突入――ワイドボーンが少ない部隊ながらも陣形を広げて、大きな出血を防いだ。
それでも。
『な、何て攻勢なのよっ。あいつ、本当にあんたを殺しに来てるわね!』
『ぼ、僕が何をしたっていうんですかっ!』
テイスティアが絶望の叫びをあげた。
+ + +
「この戦いは何なのよ」
疲れたようにヘッドフォンを外したコーネリアが愚痴交じりに呟いた。
結局、アレスの攻勢の前にテイスティアの旗艦は敗北した。
それでもワイドボーンがローバイクの艦隊をほぼ全滅まで追いこんでいる。
結果としては4対6でアレスの勝ちであった。
相変わらず、彼の無敗記録を更新したわけであるが、一歩間違えればそれも途絶えていただろう。コーネリアが、あるいはテイスティアがもう少しアレスに打撃を加えていれば、逆転していたかもしれない。
しかし、まったく嬉しくもなんともない戦いであった。
「……うぷっ」
テイスティアが筺体の中で吐きそうになっている。
それも理解できる。
あのアレスの攻勢は鬼といってもいい。間隙なく続けられる攻撃に、休まる時間はない。コーネリア自身もコンソールを三十分以上の長きに渡って叩き続ける羽目になった。
これほどの攻勢は、ワイドボーンが敗北した一戦以来だろうか。
その当の本人は、先に筺体から抜け出してアイスコーヒーを飲んでいるのだから。
にがっと小さく嬉しそうに飲んでいる様子に、思わず恨み事をぶつけたくなる。
戦術シミュレーターで、敵将を狙うなど初めて聞いた。
「アレス! この戦いは俺の勝ちだ」
「何いってんですか、先輩。結果では俺の勝ちだったでしょう」
「だが、こちらはテイスティア、そっちはローバイクを失った。今後はともかく、現時点ではそちらの方がダメージは大きいだろう」
「現時点ではですけど、次はそちらはコーネリア先輩とワイドボーン先輩しかいませんよ?」
「くっ」
ワイドボーンは歯ぎしりをした。
再び同数で、アレスと戦う。
それを想像したのだろう。コーネリア自身もごめんであった。
今回もテイスティアがいなければ、ローバイクの奇襲艦隊に右翼が蹂躙されていただろう。それを敵の数と動きにいち早く気づいたテイスティアはお手柄と言ってもいいかもしれない。
けれど。
「うぷ」
テイスティアは吐き気を誤魔化すので精一杯の様である。
戦術シミュレーターとはいえ、正面から命を狙われたのだ。
ご愁傷様と言いたくなるが、可哀そうなのはローバイクもだろう。
もっとも、当の本人は四時間もの戦いを終えたというのに、元気であるのだが。
「結局、貴様には一回も勝てないままか」
「いや、今回はぎりぎりでした。テイスティアを狙わなくても、勝てるかどうかは五分でしたからね。次はどうなるか……まあ、その次はテイスティアはいませんけど」
「大丈夫だ。奴ならヴァルハラだろうが、天国だろうが、呼べば来る!」
「無理でしょ、それは」
アレスが即答して、周囲に笑いが起きた。
テイスティアも、そして普段はあまり笑わないローバイクも笑っている。
狭い筺体から抜け出して、再び小会議室に戻る。
それぞれコーヒーやアイスティを手にして、扉を開けば、いつもの部屋があった。
たった一カ月ほどの時間であったが、まるでそこは懐かしい家のようだった。
ここで多くの事を語った。
多くの事を教えた。
多くの事を学んで、何より多くの笑いがあった。
懐かしい思いとともに、明日で終わるのかと思えば寂しさがコーネリアに到来した。
明日――戦術シュミレート大会が開催される。
一週間ばかりの時間は、あっという間に終わるだろう。
そして、それが終われば……。
誰もが静かに座り、熱いコーヒーをワイドボーンは一口飲んだ。
「さて、Eグループの戦いは明日になるが。皆は各グループの優勝は知っているか?」
言葉に、誰もが頷いた。
戦術シミュレーターの予選大会はグループごとに開始されており、残すグループはEグループだけとなっていた。
Aグループは予想通りヤン・ウェンリーが勝利した。
Bグループは各学年の次席が三人も揃ったグループであり、Cグループはラップとアッテンボローのグループだ。
Dグループも優勝がでそろった。聞いたことがない名前であったが。
残念ながらフェーガンはBグループの二回戦で敗退している。
「データでしか見ていないが、みんな良い用兵をする。なかなか手ごわいな」
しみじみと呟いたワイドボーンの言葉に、周囲が驚いたように顔をあげた。
それまで学年主席以外は歯牙にもかけなかったのを知っているからだ。
その表情に、ワイドボーンは何だと不満げではあったが。
「さて、諸君はこの大会の前予想は知ってるか?」
「それなりには」
「うむ。端的に言えば、二学年を除いて、私達のチームは、トップグループの中でも下の方だ」
少しの怒りもなく、ワイドボーンは告げた。
確かにコーネリアの学年でも、学年主席とは言えワイドボーンは勝てないだろうという意見で占められている。
それは本人の人望によるところなのか。
「二学年だけは、貴様がなぜか勝てるという予想なのだが。どう思う、アレス候補生」
「フォークに勝ったからじゃないですか」
「それだけではないと思うが、まあいい。そんな予想なのだが……」
ワイドボーンが机の上に、紙をおいた。
それは手書きで書かれた汚い文字――文字にあるのは、戦術シュミカルチョという文字とともに、100ディナールの文字だった。
「私は自分のチームに賭けた。勝ったら7倍の700ディナールだ」
思わぬ大金に、周囲が大きな目を開いた。
「そして、私はこの700ディナールで、街で祝勝会を開く私達の姿が見える。随分と豪華になる」
周囲の視線が集中する中で、笑っていたワイドボーンが表情を消した。
真剣に、周囲をゆっくりと見ながら呟く。
「冗談はさておき。私はこの大会には何の意味もないと思っていた。しかし、何だ……随分とこの一カ月は楽しい大会だ。これを企画した人間に感謝してもいい。明日も決勝大会も、非常に厳しい物かもしれないな」
言葉は、本音のようであり、誰もが納得したように頷いていた。
わずか一カ月で多くのことがあった。
先ほど寂しさを感じたのは、きっとコーネリアだけではないのだろう。
テイスティアも何度も頷いている。
普通の士官学校では上級生と交流することはあまりない。
それが上級生の話を聞け、学び、そして共に闘う。
ワイドボーンの言葉通り、これを企画した人には感謝してもし足りない思いがある。
アレス・マクワイルドだけが小さく苦笑していたが。
「私は今まで天才だと言われてきた。そうだろう、私は天才なのだから」
自信を持った断定で、ワイドボーンは小さく笑う。
「その天才が断言する。君たちが負けることはない――負けるところなど考えられないと。異論はあるか?」
「ありませんよ、先輩」
アレスの言葉を筆頭に、誰もが異論がないと告げる。
ワイドボーンは目の前でにっと笑みを浮かべた。
「そうか。では、諸君――明日は大会の本番だ。何、気にする事はない。私達はただ、勝つだけだ」
「はっ」
呟いた言葉に、周囲が一斉に敬礼を行った。
ワイドボーンが答礼で返し、ゆっくりと腕を下げ、小さく呟いた。
「ありがとう……」
その言葉は、誰も聞こえなかったであろう。
しかし、誰もがゆっくりと頷いて、同じ言葉を呟いたのだった。
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