渦巻く滄海 紅き空 【上】
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五十八 予感
行けども行けども、闇だった。
目の前に広がる一筋の道。その先に、見たくもない光景が待っている事を彼は知っていた。
そしてまた、これが現実ではない事も理解していた。
(―――いやだ)
意識に反して勝手に動く足。走る速度を増すほどに大きくなってゆく心臓の音。
やがて闇を抜けた彼の瞳に、一つの扉が飛び込んできた。
(―――いやだ)
満ち満ちた静寂の中、軋む音が轟く。
開け放たれた扉の奥。そこで彼は立ち竦んだ。
(――いやだいやだいやだいやだ)
窓の隙間から吹き込む生温かい風。障子に飛び散った血。
月明かりが父と母の骸を鮮やかに浮かび上げ、そして……。
(いやだ!)
屍を築き、手を血で染めて。
憧れと誇りと若干の嫉妬を一身に浴びる。己の目標であり、目指す目的。
満月を背に佇むその存在。
(いやだ、見たくない!!)
人影。血溜まりの中、振り返ったその顔は逆光で真っ黒に塗り潰されていた。
(見たくないんだ!!)
「……ほんとうに?」
気づけば彼の前には、幼き自分が立っていた。あの頃の自分自身。
「…ほんとうにみたくないの?」
拙い言葉で問い質してくる己自身へ、言い返す。
(アイツの顔なんて見たくない…っ)
「みようとしないだけなんじゃないの?」
激昂する彼に反し、幼き彼自身は穏やかに答える。闇の中、忘れようにも忘れられない紅き瞳がぼんやりと、だが明確に浮かび上がった。
「真実を」
そこで闇は晴れた。
独りきりの家で、うちはサスケは目を覚ました。窓の隙間から風に乗って鳥の囀りが聞こえてくる。
(………またあの夢か…)
サスケはぼんやりと外を覗いた。空は明るく、雲の切れ目から射し込む光は月明かりではなかった。早朝に立ち込める霧は深く、彼をより一層物悲しくさせる。
「……知るものか」
ぽつり、とサスケは呟いた。夢の中の幼き自分に答えを返す。
「一族を皆殺しにした罪人……それが真実だ」
自分自身に言い聞かせる。
夢に何かの予兆を覚え、サスケは汗でぐっしょりと濡れた前髪を掻き上げた。周囲を見渡す。
夢と同じ場所なのに、より広く覚える家。台所から、ぴちゃん…という水音が寝室のほうにまで聞こえてきて、サスケは眉を顰めた。込み上げてくるものをぐっと堪え、起き上がる。
独りで身支度を始めた彼は知る由もなかった。今感じた予感が決して気のせいなどではなかったなどと。
朝霧の彼方。何処かで鈴の音が聞こえた気がした。
「率直に言おう。次の五代目火影になれ……自来也」
御意見番の二人――水戸門ホムラとうたたねコハルにいきなり火影就任の要請を受けた自来也は顔を顰めた。取材と称する覗き用の望遠鏡を申し訳程度に隠す。
半壊した街並み。それにちらりと視線をやってから、彼は内心嘆息した。
『木ノ葉崩し』。
音と砂―両里が仕掛けてきた戦争は木ノ葉に多大な被害を及ぼした。
しかし最終的には、大蛇丸が成り済ましていた四代目風影本人が発見された為、利用されていたのだと悟った砂隠れの里の全面降伏で収まった。
監禁されていたのか、実の風影は意識不明の重体で病院に運ばれた。今も生死を彷徨っている故、彼に指示を仰ぐ事も叶わない。
従って降伏宣言をする以外、砂隠れに道は無かった。木ノ葉としても里の復興の為、その提案を受け入れざるを得ない。
互いに甚大な被害を受けた双方の里は同盟を結ぶ事で矛を納めた。
しかし和睦したとは言え、里の力が衰えているに変わりはない。そこで木ノ葉の上層部は更なる危機の対抗策として緊急執行委員会を開いたのだ。
最優先させるべきは信頼のおける指導者――次なる火影・五代目火影の就任。
生きているとは言え、世間一般では死んだとされる三代目火影・猿飛ヒルゼン。その後を継ぐ者が木ノ葉には必要不可欠。
そこで火の国の大名を始め里の各部隊のトップを召集して開いた緊急会議にて、候補に挙がったのは三忍の一人である自来也と『根』の創始者たる志村ダンゾウの二名。
だが、常に不穏な噂が付き纏い、冷酷非道な野心家とされるダンゾウは、木ノ葉でも危険視されている為、自来也に軍配が上がる。
しかしながら、以上の説明を受けた当の本人は火影就任を軽く一蹴した。
「お生憎様、わしはそんな柄じゃないのう。それに適任者ならいるだろ」
「誰だ?」
顔を見合わせる御意見番の前で、自来也はにやりと口許に弧を描いた。
「綱手だよ」
一瞬当惑顔を浮かべた御意見番の二人は、直後大きく頷いた。
「……確かにあの子ならその器かもしれん。しかし行方が皆目見当もつかぬ者をどうやって捜し出す?」
「わしが見つけてくる。そうすりゃ問題無いだろう」
決然たる態度の自来也を見て、彼らは諦めたように肩を落とした。「わかった」と了承の言葉を返す。
「だが早急に連れ戻せ。さもなくば――――」
御意見番の次の言葉を察して、自来也は神妙な顔で頷いた。
「早くせんと火影の権限で旅のお伴を連れて行けなくなるかもしれんしのお…」
現在は信任投票が終えていない為、正式な五代目火影として誰も認められていないが、それも時間の問題だ。いつダンゾウが圧力を掛けてくるかもわからない。
以前から人柱力である波風ナルが里外の任務に就く事に対し、不満を抱いているのだ。五代目火影に就けば、彼女を里に軟禁する可能性が高い。
「……そうと決まれば、話をつけておかんとな」
御意見番が去った後も一人で思案に暮れていた自来也は、カカシを呼び出す為の伝書鳥を空に放つ。
鳥は大きく旋回し、朝霧の彼方へ消えて行った。
「お?」
「あら」
団子屋。店先でばったり出くわした双方はお互いに目を瞬かせた。
「珍しいわね。こんな所で会うなんて…」
「なぁに。ちょっと見舞いの品をな…」
猿飛アスマの答えに夕日紅は僅かに顔を曇らせた。彼女もまた、三代目火影の生存を知る一部の者。未だ目覚めてはいない父を毎日のように見舞うアスマの心情を察し、彼女は口を噤んだ。
紅の心意を推し量り、「そういうお前は?」とアスマがわざと明るい声を上げる。
「私はアンコに団子を頼まれたのよ」
「そういやお前、甘いもの苦手だったよな」
無類の団子好きの同僚を思い浮かべ、アスマは苦笑した。直後、顔を顰める。店内から感じた異様な気配に、紅もまた眉を顰めた。
ことり、と湯呑みを置く音が鳴り響く。それが合図となって、その場にいた四人の姿は掻き消えた。
「なんですか?話というのは…」
己を呼び付けた本人は先ほどから無言を貫いている。珍しく真剣な顔つきに彼はなかなか話を切り出せなかった。だが流石に痺れを切らして話の口火を切ったカカシに、自来也がようやく口を開く。
「カカシ…。ナルはわしが預かる」
しかしながらその発言は、あまりにも唐突すぎた。
「…――わしは大蛇丸をずっと監視してきた。その際、奴が一時期ある組織に入っていてな」
眼を見開くカカシを尻目に、自来也は言葉を続ける。
「詳しい事はわからんが、その面子の大半が揃いも揃ってビンゴブックに載っているようなS級犯罪者ばかりでのお…」
カカシの眼が鋭くなる。真剣な表情へ変わった彼を視界の端に捉えつつ、自来也は猶も話し続けた。
「肝心の大蛇丸が抜けた後、組織に動きがあってな。二人組で術やらなにやらを各地で集めておる」
「……その一つが九尾だという確証は?」
低い声音で訊ねたカカシの問いに、「可能性…という話だ」と自来也は咎めるように返した。
「ありゃあ最強のチャクラを持つ尾獣だからのお…」
そこで一度、自来也は言葉を切った。目線を火影岩に向ける。
やがてカカシと顔を合わせた彼の眼には、ナルの行く末を案じているかのような深い憐れみが秘められていた。
「…――カカシ。お前はサスケを見てやれ。『写輪眼』の使い方を教える必要もあるだろう」
カカシが頷いたのを確認し、自来也は再び視線を眼下の里に戻した。
「そういう訳で、暫くの間ナルはわしが預かる。見張り役として三代目がお前を指名したのは納得のいく判断だが、これから先、手が回らなくなるかもしれんからのお…」
そこで自来也は目線だけをカカシに鋭く投げた。そのあまりにも強い眼光に、カカシは思わず息を呑む。
同時刻、アスマと紅がその組織の人間と対峙している事など知らずに。
「あの『暁』にはな…」
「お前ら、里のもんじゃねえな」
揺れる人影。水面には四人の人物がゆらゆらと浮かび上がっていた。深い霧に沈む橋。
「…久しぶりだな」
ちりん…と鈴の音が響く。笠を押し上げ、僅かに覗かせた顔を見て、アスマと紅の顔色が変わった。
「お、お前は…っ」
「うちはイタチ!!」
アスマが名を告げる前に、高らかに叫ばれる。背後から聞こえた声に、アスマと紅だけではなく、名を呼ばれた本人も反応した。笠にかけた指がぴくりと動く。
「おやおや。貴方によく似て…それも写輪眼―――お知り合いですか?」
「俺の……、」
「サスケ、逃げろ!!」
会話の最中、アスマが叫ぶ。しかし彼の声が届いてないのか、乱入者――うちはサスケの瞳にはただ一人しか映っていなかった。殺気を放つ。
「…――弟だ」
白日の下、素顔を晒した彼はその紅き双眸を細めた。
先ほどの一言もアスマ達ではなくサスケに告げたのだろう。片割れの男に一言声を掛けてから、彼―――うちはイタチは突如乱入した相手に足を向けた。霧がより一層深まった。
「……鬼鮫。お前はお二方の相手をして差し上げろ」
橋の向こう側。アスマと紅の後方で仁王立ちする、弟の許へと。
「やれやれ。イタチさんも人使いが悪い…」
鬼鮫と呼ばれた男が肩を竦めた。同時に背負っていた刀を眼前の両者目掛けて振り払う。
背後に気を取られていた為、吹き飛ばされるアスマと紅。
「…くッ」
完全に隙を衝かれた二人は川に墜ちた。すぐさま水上で体勢を整える。
急ぎ、サスケを助け出そうと構えた紅の背後で声が掛かった。
「聞いたでしょう?貴方達二人の相手は私ですよ」
「紅…っ!!」
紅の危機にアスマが飛び出す。だが如何せん、両者の間には距離があった。
鬼鮫が再び振り翳す。未だ構えていない彼女の眼に巨大な刀が迫り来る。
水飛沫が上がった。
「よお…久しぶりだな」
何処からともなく声がした。
刹那、大きく横へ跳ぶ鬼鮫。寸前までいた水面がパッと割れた。
突然の襲撃にも拘らず、ザザザッ、と水上を滑った鬼鮫はそのままにやりと笑った。瞬時に太刀を構える。
「おやおやおや…。今日は懐かしい顔によく出会うものですねぇ」
視線の先。深い霧の中、ぼうっと人影が浮かび上がる。
驚愕で動けぬアスマと紅同様、イタチもまた微かに目を見張った。吹き荒れる突風に髪を掻き上げる。
鬼鮫が愉快げに瞳を細めた。
「大きくなりましたねぇ…―――――再不斬」
「あんたとは一度、闘りたかったんだ…―――干柿鬼鮫」
逆巻く波が押し寄せては、両者の足下で砕け散る。元、同じ『霧の忍刀七人衆』の二人が今此処に対峙した。
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