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剣の丘に花は咲く 

作者:5朗
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第九章 双月の舞踏会
  第九話 伸ばされる手

 ―――何をしているの。泣いてなどいないで早くとどめを刺しなさい―――

 抱き合う恋人のように……子を守る親鳥のようにタバサを抱きしめる士郎の頭上から、声が落ちてきた。
 頭の中に直接響くようなそんな不思議な声に、士郎は頭上を仰ぎ見る。
 何時の間にか晴れ渡った夜空の上に、月を背に羽ばたく何かが見えた。
 ガーゴイル―――それも三十メイルはあるうかという巨大なものが、月を背に頭上を旋回している。
 
 ―――その男はもう虫の息よ。母親の心を取り戻したければ、その男を殺しなさい―――
 
 何処か笑っているような口調で、巨大なガーゴイルはタバサに命令する。ガーゴイルを睨みつける士郎の目がすうっと細まった。
 ガーゴイルの言葉がスイッチになったかのように、石のように固まっていたタバサの身体が動き出す。身体に回された士郎の腕から抜け出ると、地面を転がりながら立ち上がり杖を向ける―――頭上に。
 数本の氷の矢(ウインディ・アイシクル)がガーゴイル目掛け空へと昇っていく。
 が、その巨大さに反し、ガーゴイルはひらりと器用に巨体を動かして氷の矢を避ける。
 
 ―――へえ……母親を見捨てるってこと―――

 意外そうな声が、ガーゴイルから漏れる。
 タバサは杖を握る手に力を込めるだけで、何も口にしない。ただ、ガーゴイルを見つめる瞳を更に凍えさせるだけ。

「やはりルイズが狙いか」

 立ち上がった士郎が、ガーゴイルを見上げる。氷の矢が突き刺さった背中からは、未だ止まらない血が流れている。しかし、士郎の足元にフラつきはない。しっかりと地面を踏み締め、強い視線で頭上で旋回を続けるガーゴイルを睨みつける。ガーゴイルが氷の矢を避けた瞬間、士郎の目は、その背から覗く月明かりに照らし出された桃色の髪を確かに見た。士郎の問い詰めるような口調に、ガーゴイルは喉の奥で笑うくぐもった笑い声を上げた。
 
 ―――っふふ……ええ、そこの犬があなたに噛み付いている間に攫わせてもらったわ。この子も色々と厄介だから、今は眠ってもらっているけどね―――

「犬……か。貴様の口ぶりからして、タバサに俺を殺すよう命令したのはお前か」

 ―――ええそうよ。この子はわたしたちの忠実な犬。わたしたちの命令ならどんなことだって従う番犬―――北花壇騎士。だった筈なのだけど、飼い主に噛み付くなんて……この代償は高くつくわよ―――

 ガーゴイルの首が動き、タバサを見る。
 タバサの表情が浮かばない顔には変化はないが、杖を握る手が一瞬強ばったのを士郎は見逃さなかった。

「ふん、小物ほどごちゃごちゃと口五月蝿いと言うが本当のようだな。いいから貴様は黙ってルイズを下ろして逃げ帰り、そして貴様の主に伝えろ―――」

 嬲るようなガーゴイルの視線から、タバサの前に立つことで遮った士郎は、地の底から響くような重い声を響かせる。

「―――無能は引っ込んでろ……とな」

 遠慮のない殺気混じりの士郎の声は、ガーゴイルを通してその使い手にまでその脅威を届かせたのか、一瞬ガーゴイルの動きがピタリと止まった。

 ―――……ふふ、死にかけのあなたがそんなことを言っても強がりにしか聞こえないわよ。ここでわたしが止めを刺してあげましょうか、と言いたいところだけど、あなたは未知数にすぎる。ここはこの子だけで我慢しておきましょう―――

 士郎の視線と言葉から逃げるように、ガーゴイルは羽ばたき離れていく。巨大なガーゴイルの羽ばたきは、離れた位置にいた士郎たちにまで感じるほどの強さで動き、どんどんとその巨体を小さくさせていった。

「ちっ、挑発に乗らんか。どうする、一か八かやるしかないか」

 どんどんと小さくなっていく影に対し、士郎が不快気に顔を顰める。
 氷の矢からタバサを守るため、自分自身を盾としたが、全魔力を振り絞って最大に強化した肉体でも、重力で加速した氷の矢を防ぐことは出来ず、深々と肉に突き刺さってしまい、流れる血でどんどん体力が削られていく。幸いぎりぎり致命傷ではないが、動きはかなり制限されていた。魔力もまた、効率も何も考えず全力を振り絞った結果、宝具は愚か、ただの魔力を帯びた剣でさえ、あと十本投影出来るか出来ないか……。
 だが、それでも、追いかける方法が無い自分に出来るのは、宝具を矢とした長距離射撃しか方法しかない。
 決意した士郎が、残った魔力を振り絞ろうとした時―――口笛が響いた。
 ガーゴイルが飛んでいった方向とは逆の方向から、タバサの使い魔―――シルフィードが飛んできて、士郎たちの前に降り立つ。

「乗って」

 ばさりばさりと土煙を舞上げながら降り立つシルフィードに向かって、タバサが駆け寄る。
 慣れた様子でシルフィードに跨ったタバサが、顔を振り士郎に乗るよう無言で促す。

「すまない」

 礼を言いながら、士郎もシルフィードの背にのぼる。
 
「追って」
 
 士郎がシルフィードの背に乗ったことをチラリと後ろを見て確認したタバサは、軽く首筋を叩き命令を口にする。
 タバサの命令に応えるように、シルフィードは一つ嘶くと、もう豆粒ぐらいの大きさとなったガーゴイル目掛け飛び出した。
 ガーゴイルを追い、士郎たちを乗せたシルフィードは雲を抜ける。
 雲海を下に、遮るものがない月の光は眩いほどであった。
 
「やはり、奴はいないか」
「……あ……て……う!」

 未だガーゴイルの姿が豆粒ほどの大きさにしか見えないが、士郎の目にはその姿をハッキリと映していた。ガーゴイルの背には、ルイズの桃色の髪しか見えず、他に人影は見えない。

「……っ……て……あ……!」
「タバサ、奴らとの関係を聞いてもいいか」
「……あとで……話す」

 士郎は前に座るタバサに声をかける。しかし、タバサは振り返ることなく短く返すだけ。

「……ッ! ……っ……よッ!」
「ああ、わかった」

 士郎はそんなタバサの態度に小さな苦笑を浮かべると、顔を動かし。

「……ッ! ……ッ!?」
「と言うかさっきから五月蝿いぞ」

 シルフィードの胴体に括りつけられたデルフリンガーを殴りつけた。

「……っ! な、何するんでぇい相棒っ!」
「少しは静かにしていろ」

 士郎が殴ったせいか、デルフリンガーを括りつけていた紐が緩み、声が漏れ始めた。

「なっ! せ、折角の感動の再会なのに随分な言いようじゃねえか!」
「だから今は黙っていろ。これ以上しゃべるとこのまま下に放り捨てるぞ」
「なっ! わ、わかったからお、落ち着け相ぼって?! なっ、何なんだよその背中っ!? 氷を背中に突き刺すなんて、何時の間にそんなとんでもなファッションセンスを持つようになったぶッ?!」
「いいから黙れ」

 再度騒ぎ出したデルフリンガーに拳を振り下ろして強制的に黙らせると、黙々とシルフィードの背中に縛り付けていた紐を外した。叩き潰された虫のように、小さくぴくぴくと刀身を震わせるデルフリンガーを、士郎は自分の腰に差す。 

「部屋にデルフがいないから何処いったかと思っていたが、まさか、タバサが持っていたとは」
「……あまり意味はなかった」
「そう言ってやるな。デルフが落ち込むぞ」
 
 同意するように、鞘がガチャりと鳴る。
 どうやらタバサは士郎の戦闘力を下げるため、武器であるデルフリンガーをシルフィードの背に隠していたようだが、あまり意味はなかったと感じているようだ。
 タバサの言葉に、士郎は苦笑いを浮かべる。
 部屋に置いていた筈のデルフリンガーの姿がないことに気付いていたが、まさかタバサが持っていっていたとは、士郎は思いもしなかった……と言うかぶっちゃけ気にしてはいなかったからだ。
 士郎は怒りを示すかのようにカタカタと震えるデルフリンガーを無視し、段々と近づく巨大なガーゴイルの姿に集中する。
 高まる緊張。
 張り詰める空気。
 そんな時、くぅ~と言う音が士郎の耳に入り込む。

「……あ~……と、その……タバ―――」
「―――違う」

 士郎の言葉が終える前に、タバサがそれを否定する。士郎の首が、疑問を表すように傾く。

「じゃあ―――」
「―――この子」

 またも士郎の言葉が途中で遮られる。士郎の言葉を遮ったタバサは、手に持った長い杖で前にある自分の使い魔―――シルフィードの頭をどつく。
 
「きゃわんっ?!」
「……きゃわん?」
「……気のせい」

 タバサの指導にシルフィードが奇妙な悲鳴を上げたことに、士郎が訝しげな顔を浮かべ。タバサは背後の士郎を振りかえることなく短く答える。

「いや、確かに『きゃわん』と聞こえたんだが」
「気のせい」
「い―――」
「―――気のせい」
「……」
「……」

 淡々とした、しかし有無を言わさないタバサの声に、士郎は頬を引くつかせて黙り込む。
 ばっさばっさとシルフィードの羽ばたく音だけが聞こえる中、士郎がぽつりと声を漏らす。

「……そう言えば、まだ食事を取っていなかったな」
「……」
「タバサはどうだ? 今晩は何か食べたのか?」
「…………まだ」
「そうか、まだ……か」

 自分もと言うように、シルフィードが「きゅいっ!」と鳴く。
 士郎はタバサの小さな背中とシルフィードの背中を交互に見ながら、「くくっ」と押し殺した笑い声を上げると。

「それじゃあ、このゴタゴタが終わったら一緒にメシでも食うか」
「―――っ」

 士郎の笑い声混じりの提案に、シルフィードは直ぐに「きゅいっ!!」と賛成とでも言うように鳴き声を上げた。

「ふむ。シルフィードは賛成のようだが、タバサはどうだ?」

 振り返ることも言葉を返すことなく背中を向けたままのタバサに、士郎が尋ねる。
 士郎の問いに、タバサは暫らくの間黙り込んでいたが、やがてぽつりと短く返事を返す。

「……別に構わない」
「そっか。なら、さっさと終わらせて食事にしよう。そうだ、ルイズたちもまだ食べていないだろうし、みんなで食べないか?」
「……好きにしたらいい」
「ああ。了解だ、好きにする。みんな(・・・)で食事にしような」

 何時ものそっけないタバサの返事に、士郎は笑い声を混じらせながら頷く。
 笑うたびに身体が揺れ、背中の傷がひどく痛むが、士郎の顔に欠片も苦痛の色が浮かぶことは無い。 そんなことよりも、もっと気になることがあったからだ。
 食事に誘った返事に、タバサは普段通りの無味乾燥的な言葉と声で返したが、その返事が、何時もよりも早口であったことに。
 そう、それはまるで、恥ずかしがっているようで……何処か所在無さ気に身体を揺らすタバサの背中を見て、士郎はふっと、微笑ましげに口元を緩めた。
 
  
 

 
 ガーゴイルの飛行速度はシルフィードのそれよりも遅いため、一秒ごとに近づきその姿を大きくしていく。
 月明かりに照らし出されたその姿は、陰影が強調され随分と迫力があった。
 月を背に巨大な翼を羽ばたかせるその姿に、士郎はレイナールが口にしていた噂を思い出す。

 あの噂はこれのことを言っていたのかもな。

 大きさは随分と違うが、突然こんなものが視界に入ればパニックにもなっただろうしと、士郎は常人でもルイズの姿を視認できる距離まで近づいたガーゴイルを睨みつけた。

「もう少し近づいてくれ。あと三十、いや二十メイルも近づけば、飛び移れる」
「近づいて」

 士郎の言葉に、タバサはシルフィードに命ずることで応える。
 タバサの命令に、シルフィードが一声鳴いて近づこうとした時、

「相棒ッ!」
「わかっている」

 デルフリンガーの警告の声が響く。
 応える士郎の声には、焦りが混じる。
 雲海の上、月の光を遮るものなどないそこに、ない筈の影の姿が。常人には黒い点にしか見えないそれは、士郎の目にはハッキリとその姿が映っている。
 黒い点……それはガーゴイル。
 今追いかけている三十メイルはあろう巨大なものではないが、成人男性程の大きさはある。
 それが、視界一杯に広がっていた。
 軽く五十はいるだろうそれが、士郎たちに向かってきている。
 常ならば、ガーゴイルの五十や百、士郎の敵ではないが、今は魔力も体力も殆んどなく。
 遠距離武器である弓を投影することは出来るだろうが、矢を引く体力はあれど、肝心の矢を五十も投影する魔力は残っていない。
 あと五分もしないうちにガーゴイルの群れと接触してしまう。巨大ガーゴイルに飛び移るには、最速でもあと十分は必要。
 一人では対処は不可能だと士郎は冷静に結論を下す。
 苦しげに歯を噛み締めた士郎の眉間に皺が寄った時、

「わたしが囮になる」

 小さな声でポツリとタバサが呟いた。
 シルフィードの身体に手を付き、タバサが立ち上がる。士郎の目の前で、タバサの小さな身体が揺れている。吹きつける風によるものではなく、体力と魔力が既に限界に達しているためであった。
 身の丈ほどある杖に縋り付くようにして立つタバサが、シルフィードから飛び立とうとする。
 ―――が。

「駄目だ」

 伸ばされた士郎の手がタバサの肩を掴み引き止めた。

「今のお前の体では、囮にならないことは自分でも分かっている筈だろ。そんな状態で二手に分かれても各個撃破されるだけだ」
「……このままでも同じ」

 肩を掴む手を振りほどこうとタバサが身体を振る。しかし、士郎の手は離れない。逆にがっしりとタバサの肩を掴んだ手を自分の元に引き寄せる。タバサの小さな身体が士郎の胸元にポスンとおさまった。

「っ、ぁ」

 一瞬の間を置き、タバサの身体が固まる。

「いや、同じじゃない」

 自分の胸元におさまったタバサを逃さないように士郎の両手が両肩を掴む。びくりと震えるタバサの耳元に士郎は口を寄せる。

「二人なら出来る」

 タバサの肩を掴んだ手にギュッと力を込める。
 
「だからタバサ。俺に力を貸してくれ」

 ゴウゴウと風が鳴る音だけが響く。近付くガーゴイルの群れは、もうその姿が常人の目であっても判別出来る程の距離まで近づいていた。

「―――……何をすればいい」 

 近付いてくるガーゴイルの群れに視線を向けたまま、タバサが短く問いかける。
 少し掠れた声は、何時もよりも何処か小さく、そして少しだけ震えていた。

「氷の矢を作ってくれ。出来るだけ頑丈な氷の矢を五十四本」
「わかった」
 
 疑問も何も口にすることなく、タバサは士郎の頼みに頷く。
 タバサの魔力も限界に近かったが、ただ氷の矢を作るだけならば、まだ不可能ではなかった。
 その矢を狙い飛ばすことは不可能だが、その前、氷の矢を作るだけならば、まだ可能であった。

「出来る度に渡してくれ」

 シルフィードの背に手を置き、士郎はゆっくりと立ち上がる。冷たく激しい風が全身に当たり、更にシルフィードの揺れる身体にバランスが崩れるが、立ち上がった士郎はゆっくりと息を吐きだし目を閉じた。意識を内に、足の裏に感じるシルフィードと一体になるイメージを浮かべる。
 ゆらゆらと揺れ動く士郎の足元が、まるで吸い付くようにシルフィードの背中に張り付く。
 シルフィードの身体の動きと士郎の身体の動きががピタリと一致する。

投影開始(トレース・オン)

 左手に黒弓が生まれる。
 迫るガーゴイルの群れは、今はもう拳大ほどの大きさになっていた。
 接触まで後一分弱。
 だが、士郎の顔に焦りは―――ない。
 左で弓を構え、右の手を前に出す。
 右手に、冷たく硬い感触が触れ―――。



 氷の矢を放つ。



 一、二、三、四、五、六、七、八、九…………。
 風車のように士郎の左手が回り、一秒毎に一回転し、その度にガーゴイルの頭部が砕け地に落ちていく。五十を超えるガーゴイルが目前に迫っているにも関わらず、士郎の顔に焦りはなく、矢を射る姿に力みも緊張も何も見えない。無造作に氷の矢を射る。放たれた氷の矢は、一つとして外れない。それはまるで、既に決まっている事象のようであった。
 
 そんな、まるで既に結果が決まっているかのような士郎の射を見るただ一人の観客―――タバサはただただ見蕩れていた。
 目の前の男―――衛宮士郎に。
 その姿に。
 その射に―――見惚れていた。
 矢をつがえ、弦を引き、放つ。
 ばらばらの筈の動作が、まるで一つの動きのように完全に一致している。
 矢を放つ。
 矢を射るだけの姿に目を奪われるのは……二度目であった。
 『矢を射る』ただそれだけ それだけの動きが、姿が、まるで一つの完成された芸術品。
 今までに何十と矢を射る者を見てきたタバサだったが、『矢を放つ』一連の動作を美しいと感じたのは、『タバサ』になる前に見た、一人の狩人が見せた矢を放つ姿以来であった。

 どうして―――と、タバサは思う。
 何故、矢を放つという姿にこうまで見蕩れてしまうのだろうか―――と。
 竜の背に立ち。
 月光の下、氷の矢を放つその姿は、まるで完成された絵画のようで。

「―――きれい」

 士郎が放った矢は、まるで何かに導かれるかのようにガーゴイルに向かい、その頭部を砕く。
 一秒毎に一体ガーゴイルは地に落ち。
 そして今、ガーゴイルの群れが接敵する筈の時間。
 空を飛ぶガーゴイルは……。

「……しんじられない」
 
 ルイズを背に載せた巨大なガーゴイルだけであった。
 零れ落ちたように、タバサの口から言葉が漏れる。
 五十四の氷の矢を放ち終えた士郎が弓を下ろした瞬間、タバサの口からポツリと溢れた言葉は、誰の耳に入ることなく風の音に混じって消えていった。
 
「随分と距離を稼がれてしまったな」 
 
 ガーゴイルの群れを落としたきったが、その間に巨大なガーゴイルは距離を稼ぎ、士郎の言葉通り追跡を始めた頃と同じ、その姿は豆粒大の大きさになっている。
 超人的な技量を示したと言うにも関わらず、士郎はそれに対し何ら述べることなく、ただルイズを背負うガーゴイルの姿を注視していた。
 
「……間に合うか」

 士郎の中に焦りが募る。
 今はまだ、ルイズは速度の遅いガーゴイルの背にいるが、もし何か別の、シルフィードよりも速度の早い何かに乗せられれでもしたら、追いつくことは不可能になってしまう。
 まだガーゴイルでいる間に、どうしても追いつかなければならない。
 それに、体力の関係もある。 
 背に負った傷によるダメージは深く、士郎であってもそろそろ限界が近かった。
 迫るタイムミリットに、士郎の顔が険しくなった時、

「なっ!?」

 驚愕の声が漏れた。
 遥か遠く、ガーゴイルの進路を防ぐかのように、その進路方向に雲海からまるで潜水艦のように現れたそれは、目測で百五十メイルはあるだろう。何とか進路を防ぐそれをかわそうとするガーゴイルの動きから、どうやら敵ではないようだが、では一体何なのだと士郎の思考が目まぐるしく回る中、シルフィードは距離を詰める。
 そして、士郎の耳はその声を捕らえた。

「シロウくんっ! 私が足止めしているうちに早くミス・ヴァリエールをっ!」

 懐かしいその声に、士郎は思わずその名を叫ぶ。

「コルベール先生ッ!?」

 ゲルマニアにいる筈のコルベールの声。
 ガーゴイルと、謎の巨大な影とシルフィードの距離が詰まり、士郎の視界にその詳細が映る。
 まず始めに、音が聞こえた。夜空に巨大な何かが動く音と共に、蒸気が発する音も同時に響く。
 次に、その姿。差し渡し百五十メイルはあるだろう巨大な翼の後ろに、巨大なプロペラが回るそれは、超がつくほどの巨大な船であった。
 
「は……はは……何ていうものを作ったんですかあなたは……」

 乾いた笑いが漏らす士郎に向かって、船からコルベールの声が響く。

「すまないが、早く何とかしてくれないかね! 事情は分からないが、どうやらミス・ヴァリエールが攫われたと思ってこのガーゴイルの足止めをしているのだが、それももう限界に近ってああっ! そ、そこはっ?! ちょっ、どれぐらいそこを作るのに苦労したと思っているのだねってアアッ!!? いや、だめだめ、そこ壊したらちょ、アッ―――」

 段々と洒落にならない程の悲痛な声を上げ始めるコルベールに、何処か楽しげな笑みを浮かべていた口元を引きつらせた士郎は、焦ったように早口でタバサに声をかけた。
 
「ちょ、あ、た、タバサっ上昇してくれ」
「……上がって」

 士郎の指示をタバサは直ぐにシルフィードに伝える。
 タバサの命令を受けたシルフィードが、急上昇を始めた。
 夜空へ向かって駆け上るシルフィードの速度が限界を迎えた瞬間、

「ッオオオオオオオォォォォッ!!」

 雄叫びと共に士郎は飛び出した。
 カタパルトに乗った戦闘機のようにシルフィードの背から飛び出した士郎は、一時の上昇の後、急降下を始める。
 落ちる先には、ルイズを載せたガーゴイルの姿が。

「―――オオオオオオ―――」

 引き抜いたデルフリンガーを両手で握り締め大上段に構える。
 デルフリンガーを握る左手に刻まれたルーンが、夜空に輝く星もかくやという程に輝く。
 そして、

「オおぁッ!!」

 ―――一閃―――

 巨大な船で進路を防がれ立ち往生していた巨大なガーゴイルを、頭頂から股下まで真っ二つに切り開く。
 二つに割れたガーゴイルから、ルイズの小さな体が滑り落ちる。
 士郎は残った最後の魔力で空中に剣を投影すると、それを蹴りつけルイズの元まで飛ぶ。
 巨大な二つの瓦礫の後を追うように落ちてきたルイズの身体を無事に抱きとめるが、士郎の身体はそのまま重力に引かれ落ちていく。
 この高度で落ちれば命はない。
 魔力も体力ももう欠片も残っていなかったが、不安も同じく欠片もなかった。
 ガーゴイルが何かの魔法をかけていたのか、ルイズの瞼が動き、目を覚ます兆候を見せる。
 閉じられた瞼が開き、ルイズの鳶色の瞳が姿を現す。

「……シロ、オ?」
「ああ、おはようルイズ。とは言えまだ夜だがな」

 寝起きのぼおっとした顔で士郎を見上げるルイズ。

「あ、れ? わたし……何で―――ぷぁ」
「今はまだ寝てろ」

 段々と目が覚めてきたのか、目の焦点が合い始めたルイズを見て、パニックを起こされてはと士郎はその身体を抱きすくめる。
 一瞬びくりと身体を震わせたルイズだったが、安心したのか、それともかけられていた魔法の効果がまだ残っていたのか、士郎の胸元で寝息を立て始めた。

「……本当にお前は大物だな」

 雲海に落ち、視界が白に染まる中、遥か上空高くから落ちているにも関わらず、二度寝するルイズの姿に呆れた声を漏らした士郎が、やれやれと肩を竦めた。
 耳に届く風を切る音に、近付く別の音が混じる。顔を上げ、士郎は落ちていくガーゴイルの成れの果てに視線を向けた。
 脳裏に浮かぶのは、ガーゴイル―――ミョズニルトンとタバサとの会話。
 その中で、ミョズニルトンがタバサに向かって口にした「母」という言葉。

 話しの流れからして、母親を人質に取られているようだが……聞いてもあのタバサが素直に話すとは思えないし。
 あとで話すと言っていたが……そんな約束も、守るつもりはないだろうな……。
 ……まったく、何でこうも何もかも自分一人で背負ってしまうんだか……まあ、俺も人のことを言えないか…………。
 
 自分もそう言うところがあるから、わかってしまう。
 助けを求めれば、手を差し出す者は何人もいるのにも関わらず、タバサは手を伸ばすことはない。
 何もかも、全部自分一人で背負ってしまう。
 出来れば逃げられる前に何とか事情を聞き出したかったが、流石に色々ともう限界のようで……視界が段々と暗くなる。
 未だに背中には氷の矢が突き刺さったままであるのにも関わらず、ズキズキとした痛みが遠のいていく。
 魔力も体力も既に限界を通り越し、欠片も残ってはいない。
 これまでの経験からこのまま意識を失えば、明日の朝まで意識は戻らないことが分かる。
 意識を失っている間を、あのタバサが見逃す筈がないだろうし。
 目を覚ました時には、ほぼ確実に学院から姿を消しているだろう。

 だから、まあ、そうなったら仕方がない……か。

「はぁ……今からルイズたちを説得する方法でも考えるか」

 腕の中で幸せそうな寝息を立てるルイズを見下ろし、これからのことを思い士郎は溜め息をつく。と、同時に身体が雲海を突き抜けた。上空を覆う分厚い雲が月の光を遮り、周囲は闇に満ちている。
 疲労により鉛のように重くなった瞼が落ち始め、視界が狭まっていく。
 瞼が閉じきる刹那、視界に映ったのは、


「……そっちは簡単に出来るんだな」


 落ちていく士郎たちに向け必死に手を伸ばす、


「同じことの筈なのに……な……」


 タバサの姿だった。 
 



 
 

 
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