フィガロの結婚
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40部分:第四幕その四
第四幕その四
「そう。経験も理性も乏しい若い頃はですね」
「うむ」
「私も恋に燃えましたし今では考えられないような馬鹿なことをしました」
「君にもそんな時があったのか」
「そうです」
畏まってバルトロに答える。
「ですが経験を積み重ね歳を経てわかったのです。冷静な女を」
「冷静な女をか」
「彼女は気紛れや片意地といったものを私から取り除いてくれました。彼女と一夜をあばら家で過ごしたことがあります」
「それはいいことじゃないのかい?」
「話は最後まで」
やはり畏まった態度でバルトロに述べる。
「彼女はその静かなあばら家を先に出る時に私に一枚のロバの皮を手渡してくれました」
「ロバの?」
「そう、ロバのです」
こう語るのだった。
「贈り物にしては妙だな」
「ですがその後の帰り道で出逢った雹混じりの豪雨も嵐もそれを覆って寒さを凌ぎましたしその後の餓えた獣達も皮の嫌な匂いの前に立ち去りました」
「二回助けられたのか」
「そうです。確かにロバの皮は匂いがきつく嫌なものでした」
その時のことを思い出して顔に嫌悪なものを宿らせていた。
「しかしその皮が私を助けてくれました」
「そうだな」
バルトロはここまで聞いたうえで頷いた。
「確かにな」
「その女の人、いや運命は私に教えてくれたのです」
そしてまた言うバジーリオだった。
「恥や危険、不名誉な死はロバの皮のようなもので助かると」
「ではフィガロは」
「何度も申し上げますがよくあることです」
ここで達観に戻るのだった。
「ですから。我慢を」
「辛い話だな」
「浮気なぞ。それこそ何処にでもあることですから」
こんな話をしてから二人も夜の茂みの中に消えた。また何かが動こうとしていた。
そしてフィガロは。フードに身体を包んでそれで闇夜の中に姿を消していた。そのうえで周囲を見回し警戒し続けていたのである。
「用意は出来た」
彼は周囲を見ながら呟いた。
「時は近付いてきている。そらっ」
ここで人影を認めたのだった。
「来たか?いや、違った」
人影ではなかった。気のせいだった。
だが気のせいでも周囲に気を払い続ける。そのうえでまた見回すのだった。
「わしがよりによってこの役回りとはな。結婚式の最中に申しかけていたなんてな」
このことが悔しくてならないのだった。
「おのれ、わしのこの辛さときたら」
呟きは歯噛みと共だった。
「スザンナ、まさかとは思ったが。全く女を信用するとこんなことになる」
こんなことを言いながら。遂にはもう一人のフィガロが出て来て悩めるフィガロに対して言ってきた。最早苦悩は二人のフィガロを生み出すまでになってしまっていた。
「目を大きく見開くのだ」
「わしがか」
「そうだ。わしだ」
二人で言い合いだしていた。
「節穴のその目をな」
「そうだな。見よう」
フィガロはもう一人の自分に対して頷いた。
「女共を見よう」
「そうだ。何者であるかを見よう」
「ここで言われる女神とは裏切ることを何とも思わない」
「うん、その通りだ」
自分の言葉にまた頷く。
「か弱い理性の持ち主は彼女に貢ぎへつらう」
「女とは何か」
もう一人に応えて彼も言う。
「女とは男を苦しめる為に誘惑する魔女であり」
「そう。わし等を溺れさせる為に歌を歌う海の精だ」
「羽毛を引き抜く為にそそのかす梟であり」
「光を遮る為に人目を射とおす悪い星だ」
自分同士で言い合い続ける。完全に調和してしまっている。
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