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剣の丘に花は咲く 

作者:5朗
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第九章 双月の舞踏会
  第五話 変わる日常

 
前書き
 う~ん……思うように進まない……十話を越しそうな勢い……   
 
                   何処か削ろうかな(……ぼそ) 

 
 空の上に、まばらに星が灯る―――夜と朝の境目。
 朝靄に薄紫色の輝きが広がる草原を揺らす風は、曇る薄紫色に染まる霧を揺らすだけで、濃密なそれを散らすことは出来ない。
 風に吹き消されることのない、どろりとした濃厚な霧は、時折草原に響き渡るくぐもった音と共に、まるで鼓動するように波立つ。
 何時しか空は黒から青へと変わっていき。
 山合いから差し込む光が、霧が煙る草原をゆっくりと照らし出し。
 白い朝霧の中を駆ける影を形づける。

「遅いッ! それに連携も甘いっ! もっと周りを見ろッ!」
「っく、あ、っくっそおおおぉぉぉぉ!」

 吹き寄せる風でも薄れさせることが出来ない濃密な霧は、山脈から溢れる朝日によりその姿を薄め。
 霧の奥に隠されたそれが露わになる。

「ギーシュッ!! もっと周りを見ろと言っているだろうがっ! 欲張るなっ! ゴーレムは盾に徹しろっ! マリコルヌ! いくら撃ってもお前の魔法では直接狙っても効かんっ! お前は皆の援護に徹しろっ! 風にこだわるなっ! 砂を巻き上げ目潰しをしろ! 頭を使えっ! レイナールっ! ギムリッ! 近接戦はまだ早いッ! お前たち程度の腕では意味がないっ! ゴーレムを盾に動き続けろ魔法を放ち続けろっ!」
「ぎ、ぐほっあ、お、う、がは」
「ぐっひ、ふ、へぃ、ぇぅう、ほ、ふぉおい」
「ぐ、つ、く」
「がはっ!」

 朝日に照らされ溶けるように消えていく霧の中から、白い糸を引きながら四つの塊が飛び出していく。
 それを追うように、右手に木刀を握る士郎がゆっくりと霧を身体に纏わせながら姿を現す。
 
「ギーシュ、マリコルヌ、レイナール、ギムリ……終わりか?」

 ブンッ! と身体にまとわりつく白い霧を振り払うように、士郎が右手に握る木刀を振るう。すると、まるで強風が吹いたかのように周囲に漂っていた霧が一気に一掃された。
 霧が晴れ。
 朝日に照らされた草原が、柔らかな緑の輝きを放つ。
 緑の中に立つ士郎は、振り切った右手に握る木刀を肩に乗せ、視線の先に転がるギーシュたちに肩を竦めてみせる。

「ぐ、あ、く」
「ひっ、ぃ、ひぃ、びゅひぃ」
「も、もう、い、いっぱい、いっぱ……」
「か、からはが、あ、く」

 ガクガクと身体を震わせたまま、ギーシュたちは地面から動かない。
 木刀で肩をとんとんと叩いた士郎は、にやりと口の端を曲げる。

「この様子では、正式な団員になるのは夢のまた夢だな」

 ポツリと士郎が呟くと、それがスイッチだったように、ギーシュたちはガクガクと震える身体をゆっくり立ち上がらせる。
 
「ま、だ、まだ……っ!」
「びゅひゅい~……びゅひゅい~、まひゃまや」
「あ、あと……ひとふんば、り、ぐらい、は」
「まだ、やれ……る」

 立ち上がったはいいが、手に持った杖を向けることも出来ずプルプルと膝を震わせたまま動かないギーシュたちに、士郎は喉の奥で小さく笑うと、肩に乗せた木刀を横に振り切る。

「そうか、ならもうひと踏ん張り……やるとするか」





 日は既に完全に昇りきり。
 夜の面影はすっかり消え失せている。
 青々と広がる草原は風にそよぎ爽やかな香りを漂わせる中、士郎は目の前に転がる四つの塊に声をかけるが、

「今日はここまでにするか」

 返事が戻ってくることはなかった。





「さてと……どうするかな」

 足元に転がる、先程から虫が身体の上を這っているにもかかわらずピクリとも動かないギーシュたちを見下ろす士郎は、やりすぎたかな? と首を捻っていると、

「シロウさ~ん」

 手を振りながら駆け寄ってくる人影があった。

「っふぅ、はぁ、ふぅ……はぁ~」
「だ、大丈夫か?」
「あ、はい。大丈夫です」

 士郎の前で立ち止まった女性は、膝に手をつくと必死に息を整えようとする。士郎が心配気に顔を寄せると、女性は小さく首を横に振り、よいしょっ、と掛け声と同時に背を伸ばす。

「最近はここで早朝訓練をしていると聞いたんですが……どうやらもう終わってしまったみたいですね」

 チラッと草原の上に転がるピクリとも動かない四つの塊を見下ろした女性は、士郎を見上げるとむぅっと口をへの字に曲げてみせた。

「授業にならないから、朝は余り厳しくしないでくださいって言った筈なんですが」
「あ~……すまない。だが、そうは言ってもだな」

 怒りを示す相手に対し、士郎がぽりぽりと頭をかきながら困った様子を見せると、口をへの字に曲げていた女性が不意に口元を柔らかく綻ばせた。

「ふふ……シロウさんの言いたいことはちゃんと分かっています。ただ、歩いて帰れるぐらいの体力ぐらいは残させておいてくださいね」
「うっ、すまない」

 人差し指をピンッと立て、口元に笑みをたたえながら女性がそう言うと、士郎はガクリと落ちるように頷いて見せた。
 下げた頭を上げ、士郎の目が女性の柔らかな曲線を描く細められた目と合うと、どちらともなく口から小さな笑い声が漏れ出す。
 互いに小さく顔を逸らした姿で、二人が小さな笑い声を上げていると、

「あれ? もしかして今日の訓練終わった?」

 木の皮で編まれた籠を肩に担ぐようにして歩いてくるメイドから声をかけられた。

「ん? ああ。さっき終わったばかりだが、どうかしたか?」
「ん~、特に用があったわけじゃないわよ。今日は朝の仕事がないっていうのにちょっと早く起きてね。二度寝するのもなんだし、暇つぶしに噂に聞く地獄の訓練っていうやつを見に来たんだけど……どうやら間に合わなかったようね。で、どう? ま、この四人の様子を見れば何となく予想はつくけど、結局シロウに一?でも当てられた?」
「いや、まだまだ当分先になりそうだな」
「そっか。じゃ、まだまだシロウが率いる近衛隊は当分シロウだけってことか。って、あ、おはようございます」

 親しげに話しかけながら近づいてくるメイドは、士郎の傍に女性がいることに気付くと、肩に担ぐようにして持っていた籠を下ろし深々と頭を下げた。

「おはよう。わたしもシロウさんの訓練を見に来たんだけど見逃してしまったの。授業に差し障りがありそうだったら止めようと思ったんだけど、来た時には手遅れだったわ」
「え~と……あはは、そ、そうみたいですね」

 挨拶をされた女性は、口元に微笑みを浮かべ小さく挨拶を返すと、そのまま誘導するように未だ動く様子を見せない四つの塊に視線を向ける。女性の視線に導かれるように、メイドが視線を地面の上から先程からピクリとも動かないギーシュたちに向けるとコクコクと首を縦に振る。
 メイドは女性の視線から逃げるように、士郎に顔を向けると苦笑を浮かべた。

「噂には聞いてたけど、かなり厳しいみたいね」
「命に関わることだからな、厳しくもなるさ。っと、それよりさっきから気になっているんだが、その手に持っている籠には何が入っているんだ?」
「ん? んふふ、それはねぇ。はいお水」

 士郎が上げた疑問の声を聞くと、瞳の中に怪しく光らせたメイドは、にやにやと笑いながら籠の中から水が入った皮袋を取り出した。

「あ、ああ、ありがとう」

 差し出された皮袋を受け取った士郎が、にやにやと笑うメイドを警戒しながらも、折角用意してくれたんだしとそれに口を付ける。皮袋から水を飲み始める士郎を見たメイドは、素早く籠の中から一枚のタオルを取り出すと、獲物が隙を見せた際に猟師が浮かべるような笑みを浮かべた。

「んでんで、はいふきふきっと」
「っぐ、ちょ、それはいいって」

 皮袋から水を飲む士郎にててっと近寄ったメイドは、手に持ったタオルで姿がない汗を拭き始める。
 キスするかのように顔を近づけるメイドを、士郎は口の中にある水を吹き出しながら慌てて引き離す。

「あんっもう。あはは、テレちゃって可愛いっ」

 一旦離れたメイドだったが、スッと目を細めにんまりと笑い猫のように尻をフリフリと揺らすと一瞬で士郎の腰に抱きついた。

「ちょ、おい。抱きつくな、って、頬を寄せるなっ」
「ん~……ちゅっ」
「―――キスするなっ!」

 腰に抱きついたメイドを士郎は振り払おうとする。しかしメイドは慣れているのか、士郎の手を掻い潜りながら身体を上り詰めるとその頬にキスをした。
 
「あ、ずるいです。わたしも、えいっと」
「お、おい待て、ちょっ」

 身体に抱きついて離れようとしないメイドを、士郎は必死に引き剥がそうとするのだが、まるで猫のように引き離そうとする手を避けられてしまう。そんな風に士郎が四苦八苦している隣で、メイドとのやり取りの一部始終をニコニコと笑って眺めていた女性は、その笑顔を悪戯っぽいものに変えると、突然「えいやっ」と、掛け声を上げると勢いよく抱きついてきた。

「うふふ……ん~ちゅ」
「あ~っ、よしならもう一回もう一回っ! ちゅ~!」
「っおいっ!」

 まるで幼い子供のように、両脇から抱きつかれる士郎。抱きついてくるのがただの子供だったら問題ではないのだが、実際に抱きついているのは妙齢の女性二人だ。実際問題色々とやばい。具体的にどうヤバイのかと言うと、世間体もそうだが、それ以上にこういう時に限って会いたくない人が来ることを、士郎は経験的に分かっていた。もはやそれは未来予知に近いかもしれない。厄介なのは、二人が悪意を持って抱きついているわけでもないため、無理矢理引き離すことが出来ないというところだ。どんどんと高まる嫌な予感に、出来るだけ早急に二人から逃げなければと、士郎が内心頭を抱えていると、

「ふ~ん、随分と楽しそうね」
「あらあら、本当に楽しそう」

 背後から聞こえる寒々とした声により、時間切れを悟った。

「……あ~……その」

 七万の軍勢にさえ怯まず立ち向かった士郎が、全力でこの場から逃げたいと、振り返りたくないと心の中で悲鳴を上げながらも、ゆっくりと後ろに顔を向けると、そこには、

「お、おはよう」

 何の表情も見えない顔で見つめてくるルイズとシエスタが立っていた。

「いや、これは、だな……」

 両脇に二人の女性を抱きつかせた姿という言い訳のしようもない格好のまま、士郎はこの場から生き残れる方法を必死に考え始める。蓄積された数多の経験は、「これは完全な詰みだ。諦めろ」と無情にも言い放っているが、諦めては全てが終わりだと、まだ希望はある筈だと有りもしない可能性に縋りつきながら思考を巡らしている最中、ルイズとシエスタが口を開いた。

「と言うか、何やっているんですかちいねえさま(・・・・・・)
「もうっ、部屋にいないからもしかしてって思ったらやっぱりっ……もう、ずるいですよジェシカ(・・・・)ッ!」

 悲壮な覚悟と共に士郎は息を飲むが、ルイズたちの視線と言葉は、両脇にいる二人の女性―――カトレアとジェシカに向けられた。
 
「あら? ふふふ……恥ずかしいところ見られちゃったわね。どうする、ルイズも一緒に抱きつく?」
「ん? シエスタ遅かったわね、どう? 一緒に抱きつく? なかなかいい抱き心地よ?」
「なっ! ななな何を言ってるのよちいねえさまっ!」
「ジェシカっ! もう何言ってるのっ! もう直ぐ朝食の準備を始めないといけないのよ」

 ルイズとシエスタは顔を赤くして声を荒げたが、

「「でも少しぐらい」」
 
 こほんと、一つ咳払いをすると、てくてくと士郎に近づきえいやっと抱きついた。

「はぁ、もう勘弁してくれ」

 前後左右をルイズたちに抱きつかれ、身動きがとれなくなった士郎が手で顔を隠して天を仰ぎ見る。
 空には細々とした雲がゆらゆらと風に揺られて漂い、とても気持ちよさそうだ。
 
「ん~、やっぱりなかなかいいわね。この硬さが丁度いいというか」
「そうね、あの子達のふかふかでやわやわなところもいいけど、シロウさんのこの硬さも何だかホッとして良いわね」
「あ、それで思い出しましたがミス・フォンティーヌ。午後にお部屋の掃除をしますので、ペットを外に出しておいてくださいませんか」
「あ、はい分かりました」
「それとお部屋のペットですが、何時の間にか増えていませんか? 昨日何かでかいモグラのようなものを見たような」
「あ、それあたしも見たわ、っていうかアレ確かギーシュっていう貴族の使い魔じゃない? えっとヴぇ、ヴぇ……何だっけ?」
「ヴェルダンデよ。最近ギーシュがいないいないって探してたけど、ちいねえさまの部屋に入り浸っていたのね」
「あの宝石が大好きな子はヴェルダンデって言う名前なのね。そう、ギーシュくんの使い魔なのね。そう言えば最近見かけない子が増えてて、もしかしてその子達も生徒の使い魔なのかしら?」
「十中八九そうです。部屋もそんなに大きなところじゃないんですから、追い出したりしないんですか? 屋敷から連れてきた動物たちと喧嘩とかも?」
「大丈夫よ。わたしが喧嘩はダメよって言ったら、みんなちゃんと聞いてくれるから。それに狭くなったら自分から出ていきますからね」
「流石ですちいねえさま」
「……俺は井土じゃないぞ。井戸端会議は別の場所でやってくれ」

 自分の身体に抱きついた姿勢で普通に世間話を始めるルイズたちに、士郎は早朝訓練の十倍以上の疲労を感じ、疲れた溜め息を吐く。
 
「あ~ちょっとそれは勿体無いかな?」
「そうですね。学院に戻ったらそうそう近づけないですし」
「そうね。今はいいけどここにロングビルとかキュルケが参入してきたら……」
「あっ! わたしいいこと思いついちゃった。ねぇねぇこんなのどうかしら?」

 士郎の注意にルイズたちは名残惜しげにぶつぶつと文句を呟いていると、カトレアが唐突にぱあっ! と顔を輝かせた。
 カトレアは意味ありげに士郎をチラリと見上げた後、ルイズたちに顔を寄せるとこしょこしょと小さな声で話し出す。

「へ~……なかなかいいわね。いいわよ、あたしは乗った」
「うん。時間はまだあるし。わたしもいいですよ」 
「わたしも賛成。ゆっくり行きましょうちいねえさま」
「はい。それじゃあいいですか。それぞれの歩幅に合わせますよ。はい一二、一二」

 当事者たる士郎を抜かし、何やら決めたルイズたちは、互いに頷き合うと掛け声と共に一斉に足を動かし始めた。
 全員が歩幅などを合わせ学院を目指し歩き出す。
 ルイズたちに囲まれた士郎も、立ち止まることも出来ず流されるように共に歩き始めた。
 四方からルイズたちに抱きつかれた姿のまま学院に向かう士郎は、助けを求めて周りを見渡すが、青々とした草原が広がるだけで誰もいない―――わけでもない。
 草原の中に転がる四つの塊があった。
 先程までピクリとも動かなかったそれは、何やら細かくピクピクと震えている。
 耳をそば立てると微かに湿った音と共に怨嗟の声も聞こえてきた。
 
「あっ、早い早いルイズもう少しペース落として!」
「ルイズ、今度は遅いわよ。もう少し早く」
「あ~もうっ! ジェシカもシエスタもちょっと黙ってっ! 集中できない!」
「ふふふ。こらもう、喧嘩はダメよ。ちゃんと落ち着いてほら一二、一二」

 声と共に押し付けられる柔らかな感触から気を逸らすように、士郎は再度空を見上げる。
 そこには無限に広がる蒼穹の中を、気持ちよさそうに鳴きながら翔ける鳥の姿があった。

「……いい……天気だな」

 拘束するように四方を固められた士郎は、自分を拘束する四人の内二人―――カトレアとジェシカをチラリと見下ろすと、現実逃避するかのように、二人と再会した日のことを思い出し始めた。





 騎士となった日から一週間が過ぎ、士郎の周りでは様々なことが起きた。
 騎士になったからと言って、士郎自身は特に何も変わりはしないが、その分周囲の環境はガラリと変わったのだ。
 そう、特に士郎が驚いたのはあの日、王宮から魔法学院に戻って来て時のこと……。
  あの日、王宮で叙勲式を受けた後、疲れを癒すため一日ぐらい泊まってとのアンリエッタの誘いを丁寧に断ると、士郎たちは直ぐに学院に戻ることにした。
 もちろんこれ以上学院に先に帰らせたロングビルたちの機嫌を損ねないためだ。
 これ以上キュルケたちの機嫌を損ねる前に帰ろうといそいそと学院行きの龍籠に士郎たちが乗り込み、士郎たちは一路魔法学院へ。
 途中送迎役として龍籠の同乗したアニエスより、『シュヴァリエ』の称号である銀色の五芒星が刻まれた真っ赤なマントを受け取った士郎は、一時間ほどの飛行でトリステイン魔法学院に辿り着いた。
 龍籠はアウストリの広場に降り立ち、士郎たちは龍籠から下りた。すると、それを待ち受けていたかのように、キュルケとロングビルを筆頭に何十人もの生徒たちが駆け寄ってきた。
 集まった生徒たちは、見覚えのない者たちが多く、何時の間にか隣にいたギーシュに事情を聞いてみると、どうやら事前にアンリエッタから撤退戦の事実を聞かされていたアルビオン戦役に参加していた生徒たちが、御礼を言いたいと集まったとのことであった。


 
「いや~やっぱりシロウは生きてたね。ま、死んだなんて話し最初からぼくは信じていなかったけどね」
「へぇ~、じゃあこの前部屋に込もって何してたのよ」

 ギーシュやモンモランシーたちが無事を祝いながら何時ものやり取りをするのを見た士郎は、何となく自分を囲む者たちをぐるりと見回す。

「コルベール先生の姿が見えないが、研究室にいるのか?」

 自分を取り囲む人の中にコルベールの姿がないことに気付いた士郎が、先程から右腕に身体を巻き付かせるように抱きつくキュルケに尋ねる。士郎の視線を受けたキュルケは一瞬不機嫌な色を顔に浮かばせると、集まった生徒たちをチラリと見回した。

「コルベール先生なら今頃わたしの実家で研究の続きでもしているんじゃないの?」
「キュルケの実家? どういうことだ?」

 予想外の答えに、士郎が首を傾げると、キュルケはふんっ、と鼻を鳴らすとジロリと強い視線を生徒たちに向けた。

「ちょっと先生の過去のことで生徒の親が騒ぎ立てたのよ。それで冷却期間としてオールド・オスマンが休みを取らせたってわけ。で、身寄りのない先生が行くところがないって困ってたから……それで、今まで失礼な態度を取ってたってことでお詫びにわたしの実家に招待したのよ。ああ、そうそう。この間手紙が来たんだけど、わたしの父と仲良くなって研究の後援を受けることになったって書いてあったから、結構楽しんでるんじゃないかしら」
「そうか……ん、ありがとうなキュルケ」
「な、べ、別にシロウからお礼を言われるようなことじゃ……」

 士郎がキュルケの目をまっすぐ見ながらお礼を口にする。
 キュルケは赤く染まった頬を隠すように、士郎の腕に顔を押し付けると小さく声を上げた。

「しかし、先生の過去か……」

 戦争の最中、魔法学院がアルビオンからの襲撃を受けたことを、士郎は事前にロングビルから聞いていた。そしてその際コルベールの過去が、魔法学院に残っていた生徒と教師全員にバレてしまったことも。
 コルベールの過去は知れば知るほど多くの人から非難を受けるようなものであり、そのことで問題が起こるのではと士郎は恐れていた。だが、それもそこまで心配しなくてもいいかもしれないなと、士郎は周囲を見渡して思う。
 キュルケの非難がこもった視線を受けた生徒たちの中に、悲しそうに目を伏せる生徒を多く見かけたからだ。
 少なくとも、生徒たち全員がコルベールを嫌悪していないということが分かり、士郎は小さく安堵の息を吐いた。

 コルベール先生のことは今度でいいか、それよりも今はコレ(・・)をどうするか……。
 
 今のところコルベールのことで、そこまで気を付けるようなところはないなと判断した士郎が、至急解決しなければいけない問題として次に上げたのは、

「ミス・ヴァリエール。さっきからシロウさんの腕を掴んでいますけど、そろそろ手を離したらどうですか? シロウさんも疲れているみたいですし、わたしが部屋まで送りますので、あなたは生徒たちの相手でもしてはどうですか?」
「あら、ミス・ロングビル。ご心配には及びませんわ。わたしもシロウも疲れていませんので、ミス・ロングビルこそオールド・オスマンを放ったらかしにしてよろしいんですか?」
「シロウさんお腹は空いていませんか? マルコーさんが料理を作って待っているので一緒に行きましょう」
「あらあらメイド如きが横から入ってこないでくれないかしら?」
「……ミス・ツェルプストー。そろそろ手を離されてはどうですか? シロウさんも困っているようですし」
「あ~ら、シロウの何処が困っているように見えるのかしら?」

 自分を囲んで目から火花を散らしている四人の女性をどうするかという問題であった。
 全員顔は笑っているが、目は全く笑っておらず、先程まで押し寄せるように近くにいた生徒たちも、今は遠巻きに見守っているだけ。
 下手に声をかければそれが切っ掛けとなって爆発する恐れがあるため、士郎は先程からじっと黙り込んだままだ。
 ここから無事に脱出するためには、特A級の複雑さを持つ爆弾を解体する際の慎重さと、バーサーカーの剣戟の中に飛び込む度胸が必要だと確信する士郎。
 時間が経過する毎にルイズたちの会話の内容は殺伐となり始め。
 士郎の焦りはそれに比例して急激な右肩上がりを続ける。
 何度も深呼吸を繰り返した士郎は、最後に大きく息を吸いぐっと腹に力を込めると覚悟を決めた。
 まずは自分に意識を向けさせようと口を開く士郎。
 だがその時、士郎の脳裏にあの聖杯戦争で、セイバーとバーサーカーの剣戟の中に飛び込んだ際の光景が過ぎった。

 あ、やばい。

 幾千もの戦場を駆け抜けた士郎の勘が、これは駄目だと甲高い警鐘を響かせる。
 しかし、士郎の口は止まらない。
 士郎が口を開く気配を察したのか、ルイズたち四人の視線が一斉に向けられる。
 必死に口を閉じようとする士郎だったが、意思に反し口は閉じない。

 もう駄目だ。

 そう士郎が絶望した時、

「あ、シロウさんやっと帰ってきた」
「遅いわよシロウ。全くどれだけ人を心配させれば気が済むのよ」
 
 現れた救いの手ならぬ救いの声の持ち主は、この学院にいるはずのない人たちのものであった。



「なっ!? カトレアにジェシカ……どうしてここに?」
「え、うそっ! どうしてちいねえさまがここにいるのよ!?」

 士郎とルイズが驚愕の声を上げると、カトレアとジェシカは人ごみの中からその姿を現した。

「お久しぶりですシロウさん。びっくりしましたか? 実はわたし教師になったんです」
「あたしは見ての通りメイドよメイド。どう? 似合う?」

 士郎の目の前まで来たカトレアは、小首を傾げながらにっこりと微笑み。
 その隣に立つジェシカは、メイド服の裾を掴むと、その場でくるりと回って見せた後、頬を微かに赤く染めた照れ笑いを士郎に向けた。

「いや、教師って? それにメイドって? いいのか? ヴァリエール公爵は何も言わなかったのか? スカロンは?」

 士郎はカトレアとジェシカの顔を代わる代わる見ながら問い詰める。
 カトレアとジェシカの二人は互いに顔を見合わせると、そんな士郎に対し含みを持たせた笑みを返した。

「わたしは名目上とはいえ、ラ・フォンティーヌ家の当主ですので、例えお父さまが駄目だと言っても聞く必要はありませんから」
「あたしは特に反対はされなかったわね。それどころかシロウのところに行きたいって言ったら、色々と準備を手伝ってくれたぐらいよ」

 うふふ、あははと朗らかに笑う二人の姿に、士郎は顔を手で覆うと苦い顔を浮かべた。
 特にヴァリエール公爵のことを考えると、頭がぎりぎりと万力で挟まれるような痛みが走った気がする。
 だが、まあしかし、まず確認を取らなければいけないことがあると士郎は直ぐに思い直す。

「はぁ、まあいい。それよりもカトレア。身体の方は大丈夫なのか?」

 そう、言葉通りの箱入り娘であるカトレアが、何故ヴァリエール公爵領から一歩も外に出たことがないのかは理由がある。それは原因不明の奇病を患っており、身体が弱く何時倒れるか分からないからだ。
 一応それに対するお守り(・・・)は渡しているのだが、あれが効果を発揮しているのかは分からない。
 そんな心配を含んだ士郎の声に、カトレアは満面の笑みで返した。

「はい。もちろん大丈夫です。シロウさんのおかげで、ね」

 そう言うと、カトレアはチラリと士郎にだけ見えるように、刀の柄を服の中から取り出してみせた。
 
「そうか。問題がないならいいんだが、しかし何故教師に? ジェシカもどうしてメイドになっているんだ?」
「魔法学院の教師の人数が足りないと言う話を小耳に挟んだので、丁度いいと思って面接を受けに行ったら直ぐに採用されたんです」
「あたしも似たようなものね。学院のメイドの募集を客から聞いて、で、丁度いいなと思って面接を受けたら直ぐに採用されたのよ」

 事前に話を通さずに、殆んど押しかけるような形で面接を受けたというのにも関わらず、直ぐに採用されたことに二人が不思議そうに首を傾げる。その話を聞いてある確信を得た士郎が、カトレアたちにそれが間違いではないか確かめるために口を開いた。

「面接した相手って、もしかして―――」
「「オールド・オスマンです」よ」
「あ~……やっぱり」

 二人は文句なしの美人である。
 柔らかな印象を受けるカトレアは、包み込むような包容力を感じさせる暖かな魅力に溢れる妙齢の美女であり。
 また、何時も笑顔を絶やさないジェシカも、人気のお店の看板娘の言葉に偽りがないメリハリの効いた体つきに猫のようなしなやかさと奔放さを感じさせる性格の美少女である。
 女好きのオスマン氏が二人を不合格にするなど考えられない。
 これからのことを思い、士郎は痛む頭を両手で抑え溜め息を吐く。すると、カトレアとジェシカはそんな士郎に向けて本当に嬉しそうな顔で笑いかけると、ぺこりと頭を下げた。

「これからよろしくお願いしますねシロウさん」
色々(・・)とお世話してあげるわよ。楽しみにしててねシロウ」

 その挨拶を切っ掛けに、士郎を囲んでいたルイズという爆弾は爆発することになった。憧れている姉が士郎を巡る恋の戦いに本格参戦したことにより爆発したルイズの驚愕というか怒りというか……そういったもろもろの感情は凄まじく。何とかその時は無事に広場から逃げ出せた士郎だったが、カトレアの参戦による危機感からか? その後のルイズの様々(・・)な行動は日々過激さを増すことになっていった。



「そう言えば、『丁度いいと思った』とか言っていたが、何が丁度よかったんだ?」
「うふふ、それはですね」
「んふふ、 ああ、それはね」

 ルイズたちのお仕置きと言う名の処刑から何とか逃げ出した士郎は、何故か一緒についてきたカトレアとジェシカに先程から疑問に思ったことを問いかけると、

「「もちろんシロウ」さんに会うのに、ですよ」
 
 二人はにっこりと悪戯っぽい笑みを浮かべた。



 カトレアとジェシカが魔法学院に来たおかげで、今でも結構ぎりぎりだったりする士郎に対するお仕置が一つずつステージが上がってしまった。
 どうステージが上がったのかと具体的に言えば、今までは最低でも魔法か鞭のどちらか一つだったのが、問答無用で魔法と鞭によるフルコースへと変化することに……。
 とは言え、士郎にとってそれはそこまで大きな問題ではなかった。
 何故ならば……文字通り地獄と紙一重の拷問じみたお仕置きの経験のある士郎にとって、今更魔法と鞭なんて……だから本当に問題はないのだ。
 では何が問題だったのかというと、それは士郎たちが学院に帰ってくる少し前に広まりだした噂が問題だった。
 七万の軍を打倒したという話と共に広まったのは、アンリエッタが新たに設立した騎士隊の隊長に士郎が任命されたというもので、それが学院内を駆け巡ったのだ。
 問題というのが、その噂を耳にした生徒たちが入団を申し込みに殺到しにきたことだった。
 確かにアンリエッタから受け取った任命状には似たようなことは書かれてはいたが、士郎自身はそんな騎士隊の隊長になった覚えなど全くなく。押し寄せる入団希望者の全てを士郎は断ったのだが、七万の軍勢を破った男が隊長で、しかも女王陛下が直々に新たに設立したと言われる近衛隊である。そう簡単に諦める生徒は全くと言っていいほどいなかった。おかげで学院を歩く毎に生徒たちが背中に張り付き大名行列が出来る始末。
 そんなことが続けば学院から文句が出るのも仕方がないことで、そうこうしているうちに士郎はオスマン氏から呼び出され「どうにかしろ」と言われてしまう。
 と言うわけで、言っても聞かない相手には身体で分からせるしかないと考え、士郎は一人につき一回だけ受けられる試験を入団希望者に受けさせることにした。もちろん試験は一度落ちたら二度と受けられないといものであり、試験内容は生徒たちが抵抗感を感じさせないように十分間自分と戦って気絶しなかったなら合格といっものだったのだが……。
 十分と言うのは、生徒たちがの実力を考えた結果、確実に問題がないという時間だったのだが……どうやら神様は士郎のことが嫌いらしく、予想外に合格者を出してしまった。
 数は四人。

 ギーシュ。
 マリコルヌ。
 レイナール。
 ギムリ。
 
 いくら手加減したとはいえ、確実に気絶させられる程度のダメージを受けながらも何度も立ち上がり十分間を耐え切ったこの四人を合格させない訳もなく。
 結果、ないはずの騎士隊に四人の生徒たちを入隊させてしまった士郎は頭を抱えてしまった。
 まあ入隊させてしまったものは仕方ないと、一応形だけでもと士郎はアンリエッタに事情を説明して騎士隊を作ってもらったのだが、悪いことは続くというか、これまた問題が起きてしまうことに。
 その次なる問題というのは、士郎の願いを受けたアンリエッタが新たに作った騎士隊の名前であった。
 その名は水精霊騎士隊(オンディーヌ)
 数百年前に廃止されたが、千年以上前に創設されたトリステイン王家と縁の深い水の精霊の名を冠した伝説の騎士隊であり。予想以上にとんでもない名前を受け継いだ騎士隊を渡された士郎は、その名前の影響力を考えまたも頭を抱える羽目になってしまう。
 新しい問題と共に生まれ騎士隊なのたが、その隊長たる士郎はさらさら合格した四人を率いるつもりはなかった。
 とは言えそんなことをギーシュたちが認めることは絶対にない。ぼろぼろになってまでようやく入隊した騎士隊だ。何らかの戦果を上げたいと思っているはずである。
 しかし、もう入隊は許してしまった。
 そこで士郎が考えたのが、もう一つの試験である。
 入隊は許したが、栄光ある精霊騎士隊《オンディーヌ》として杖を振るうには、それに相応しい実力が必要だと士郎は主張したのだ。正式な隊員として活躍するには、もう一つの試験に合格しろと。
 そこで出した試験の内容とは、訓練の際、士郎に一撃でも当てられれば合格というものであった。
 訓練は授業が始まる前の早朝と授業が終わった後の夕方の二回。
 ギーシュたち四人が精霊騎士隊(オンディーヌ)に入隊してから二週間近くたったが、その間行われた訓練ではかすりもしなかった。
 このまま問題が起きなければ良いのだが、そうも言っていられないだろうと士郎はなんとなく思う今日この頃。



 何故ならば、



「ぜ、絶対に殺してやるぅぅ~ッッ!!」
「く、くくく……は、這い蹲らせて豚のように鳴かせてやるッ!!」
「ふ、ふふ……う、羨ましくなんかな……いッ!!」
「くく……ふふ……あっ……はは…………ふ、コロス」



 今日もまた、背中に四人の怨嗟の声が聞こえる。
 最近は声に混じる殺気が士郎でも警戒するレベルになってきている程だ。
 ここまで恨まれるとは、しかし、前途ある生徒たちを危険に晒したくはない。
 恨まれるのは覚悟で、心を鬼にしてギーシュたちの正式な入隊を阻まなければ。
 

「シロウさん。いいお茶の葉が手に入ったんですけど、食後に一緒にお茶をしませんか?」
「ち、ちいねえさまっ、わ、わたしも」
「ふふふ、もちろんルイズも一緒よ」
「お茶をするのなら、お手伝いにメイドは一人如何ですか?」
「そうね、じゃあお願いしようかしら」
「わっ、わわわ、わたしもよ、よろしいでしょうか」
「ふふっ、そうですね。お茶は大勢でやるほうが楽しいですしね」


 楽しげに今日の予定を(勝手に)決めるルイズたちに、朝から気力が削られていく気がしながらも、士郎は周りを囲む少女たちと共に学院に向け歩いていく。
 


「「「「ぐ、ぐぞぉ~~~」」」」



 背後から聞こえる怨嗟の声が強くなった気がしたが……気のせいだろう。


 

 
 

 
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