真鉄のその艦、日の本に
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第八話 人でなし
第八話 人でなし
「そして、中央司令部は何と?」
「はい、当初の予定通り呉へ、と。反体制派の武装蜂起には関係なく、です」
通信士の風呂元の報告に、田中はほっと胸を撫で下ろす。反体制派の一斉蜂起を聞いた際には、帰還を許されずに連戦となる事も覚悟した。機動甲冑の部隊を敵が備えていた場合、建御雷搭載の機甲部隊に出撃の要請が出されるとも思ったからだが、今の所、敵はそれほどの戦力は揃えてきてないようである。何もこんな時に、一斉蜂起など起こさなくても、と田中は思う。昨日から、日本が揺れている気がした。尖閣事変以来の日中両軍の本格的武力衝突に、戦後最大規模の叛乱。突然降って湧いたような戦乱の連続に現実感が湧かない。しかし、連戦にならなかったのは幸いだ。二神島海域での戦闘で、建御雷は犠牲者を大勢出した。乗員は自分も含め、疲弊している。燃料、弾薬に余分はあるが、これで連戦などと言われると厳しい。
「中央司令部から、あの特殊火砲の事について何か返答はあったか?」
「いいえ。その事については何も。」
田中はため息をつく。建御雷を叛乱軍鎮圧に充てないのは、これもあるのかもしれない。いきなり作動し、中共艦隊を消し去った、凄まじい威力の火砲。エンジンからエネルギーを直通させて放つ、恐らくあれは荷電粒子砲だった。あんなものが、乗員である自分達にも秘密で搭載され、意図せずに起動して発射されるとは…艦を造った側の神経を疑う。制御できない兵器、それも絶大な威力を持つ兵器などを前線に出す訳にはいかない。
「おう、交代するわ」
「ありがとう」
休憩に出ていた中野が、通信士席に戻ってきた。風呂元は自分のコンソールを適当に処理して、自身の休憩に立ち上がる。
「失礼します」
他の幹部に会釈して、発令所から出て行こうとするちょうどその時、風呂元のコンソールから、ジジジ…と音を立てて、紙がプリントされてきた。
「!!」
風呂元のぱっちりした目が、虚をつかれたように見開かれる。田中はたまたま、風呂元のコンソールの傍に立っていた。そのプリントアウトされた紙を、田中自ら手に取って読む。
それは中央司令部からの入電だった。
「ん……?」
その中身に、田中は違和感を覚えた。
荷電粒子重砲ハ、建御雷本来ノ武装ナリ。設計図ニモ明記サル。確認スベシ。
その文言の下に、縮小された建御雷エンジンの設計図もついていた。これがおかしかった。見覚えがない。田中は出航前に、建御雷のエンジンを何度も何度も見返していたはずだった。荷電粒子重砲の、発射機構の部分が、ごっそり記憶から抜け落ちている。目の前のこの設計図は何だ?いや、自分が見た、荷電粒子重砲の部分が抜けた設計図は何だったんだ?
不意に、背中に冷たく硬い感触があり、田中は我に返った。
「…中野中尉への機能の引継ぎが上手くいってなかったみたいで。不本意です。でも仕方が無いですね。」
いつの間にか、発令所の出口から、自分の背後へと風呂元が移動していた。背中の感触は、銃口だ。田中がそう確信するのとほぼ同時に、頭の中の違和感、もやもやが一気に晴れていくような感覚を覚えた。
「貴様ら……誰だ…?」
問う田中に、妖艶な笑みで応える風呂元。
その笑みは、背後をとられている田中には見えなかった。
――――――――――――――――
東京郊外に出現した勢力は、その殆どが関東近辺の反政府ゲリラの連合軍であった。
即座に帝都守護の近衛師団が迎撃にあたる。
帝都東京に、銃声と爆音、炎が交錯する。80年前の大戦でも、一度しかこの帝都には戦火は及んでいない。しかもその一度は、空母に爆撃機を積んでくるという米軍の奇策による空襲だった。地上部隊同士の激突という事態は、経験がない。想定もされていなかったかもしれない。
東京への侵入を防ごうと、戦闘ヘリや戦車などの重火器も総動員し、近衛師団は迎撃にあたる。帝都が叛乱軍の支配下に収められるという事にもなれば、陸軍の沽券に関わる。内地で収まってる役立たずとの評判もある近衛師団は、死に物狂いで奮戦した。
しかし、この時既に帝都東京に浸透している連中が居た。どうやって忍び込んだのかは定かではない。それを悟られないようにやるのが彼らだからである。戒厳令が出されてから、東京に入り込んだのでは無いのかもしれない。ずっと前から、ここに居て時を待っていたかもしれない。
中共国家公安部特務機関敵偵処の要撃部隊、飛虎隊。これもまた、"人でなし"の部隊である。そして、大国中国のその部隊は、数も多い。数千人。しかもその数千人が、今この瞬間まで息を潜めて待っていた。
彼らがまず行ったのは、殺戮。殺戮である。ひっそりと忍び寄って、政府中枢を奪る、などという事はしなかった。普通に敵部隊との鍔迫り合いでは、強固に張られた防衛戦を揺らがせるには足りない。混乱が必要だ。阿鼻叫喚の大混乱が。少しでも相手が嫌がる事をやるのが、飛虎隊の手管であった。
彼らは、日本陸軍の制服を着用していた。その格好で、まずは東京の、貧民街を襲う。人口が密集した地域、そして規範意識が希薄な人々ばかりの地域を、混乱の「着火点」に選んだ。
プレハブの家の扉を蹴破り、ラジオの前で毛布にくるまり震えている親子を、問答無用で撃ち殺した。廃ビルを住処にしているホームレスに、火炎放射器で火を見舞った。逃げ惑う人々の真ん中に手榴弾を放り投げ、手を上げて投降し薄ら笑いで機嫌をとろうとしてくるような連中の喉に笑顔を返しながらナイフを突き立てた。泣いて命乞いをする妊婦も、恐怖に声が出ず失禁している少年も関係ない。撃って撃って撃ちまくり、殺して殺して殺しまくった。
混乱が起きる。大混乱が。
逃げ惑う人の波が、スラム街から溢れていく。その混乱はどんどん波及し、普通階級の人々は「暴徒が来る」「陸軍が民間人を襲ってきた」との情報を基にまた移動、いや、逃避を始める。外出制限下の東京を、東京からの脱出を図る人々が駆け巡る。
それを収めようとする近衛師団には、民衆の憎悪のこもった視線と暴力が降り注ぐ。検問は内側から突破され、各地で暴徒と化した民衆と近衛師団の衝突が起きる。
近衛師団としては、守るべき国民に、唐突に牙を剥かれるのだ。強固に作った「防壁」の中での予想外の出来事に、そもそも実践経験の少ない近衛師団は対応できない。そしてその混乱に乗じて、飛虎隊は襲いかかる。
帝都が、死都へと姿を変える。日本一の街が血に汚れ、悲鳴と怒号が溢れ、憎悪と怒りに覆われる。不信と恐怖が、渦を巻く。
――――――――――――――
ガクッと、艦が傾いたのをまどろみの中で長岡は感じ、目を覚ました。心なしか、エンジンの音が力を失っているような気がする。
底が抜けるような感覚。高度を急に下げているらしい。
もう呉に着いたのか?
考えてみるが、そんな事はない。巡行速度と時間との計算が合わない。
どういうことだ、と思った時に、警報が鳴り出した。けたたましく、不快な音に、眠っていた遠沢と津村も目を覚ます。
<艦長より達する、現在、建御雷のエンジンに異常が発生した。15分後に墜落が予想される。総員退艦せよ。繰り返す、総員退艦せよ。>
長岡の顔から血の気が引いた。
津村は口をあんぐり開け、遠沢は険しい顔をつくる。
「なんてこった…!」
―――――――――――――――――――
突然の報せに、艦内は蜂の巣をつついた騒ぎになる。医務室から負傷者を優先的に運び出し、乗れる人間から次々に押し込まれるように乗り込んで脱出する。何せ15分しかない。退艦訓練は一度したが、その時のタイムでギリギリ間に合うかどうかの時間だった。
有田も、6分隊の面々と共に、脱出艇のプラットフォームまで来ていた。廊下を走りながら、人数を数えた。一人足りない。誰だ、と考えるまでもなかった。自分の相棒だ、最も信頼を寄せている部下だ。
「遠沢はまだ営倉か!」
走って来た道を引き返そうとするが、通路は、脱出を求める曹士でごった返し、逆走できそうにもない。一瞬怯んだ有田の首根っこを、ベテランの海曹が掴む。
「来てない者は置いといて、来た者だけで先に乗れ!」
そうして、脱出艇にぐいっと押し込まれ、外からハッチを閉められる。すぐに発進する脱出艇の中で、有田は、無駄だと知りながらハッチをどん、どん、と叩く。
「待ってくれ!あいつは俺の大事な部下なんだ!放っておけるか!おい!」
―――――――――――――――――
「だいたい、脱出できそうじゃの」
発令所の小型モニター群には、急いで脱出を図る曹士たちの姿が映し出されていた。負傷者を力を合わせて運び、混乱しながらも列を作って、整然と艦を離れていく。日本人らしい。一度の訓練だけでここまで迅速に動けるものではない。やはり、勤勉で規則に従順な所が大きいのではないか、と本木は思う。
そう思いながらモニターを見ている本木を始め、幹部達は全員が"席についたままだった"。
―――――――――――――――
「くそっ、開けよ!おい、誰か!何で誰も来てくれんのや!おい!」
津村が、鉄格子に何度も何度も体当たりを試みるが、それで牢が破れる訳もなく、そして誰も来てくれなかった。長岡は早くも諦めている。
ヤキが回ったんだな、こういう時に限って、営倉にぶちこまれてて、誰からも見捨てられるなんて。
ちら、と遠沢の様子を見た。遠沢は最初から何もしなかった。諦めたのか…こいつも。長岡は思う。くそっ、こんな事なら。
もっと早く死んでおくんだった。
不意に、プシューという音が、営倉の天井の換気扇からした。白い煙が、そこから漏れ出している。
何だ、ありゃあ。
そう長岡が思った時に、遠沢が大声で叫んだ。
「二人とも伏せて下さい!!!」
何故だか分からないが、その時の遠沢の声には、長岡の体は即座に反応し、頭を抱えて床にうずくまった。途端に、大きな音。ドカンという音が響いて、破片と塵が舞い上がり、長岡はむせこんだ。
刹那、細い手に体を引っ張られる。衝撃に平衡感覚を揺さぶられ、ふらつきながら、長岡は遠沢に導かれるままに営倉の外へと這い出た。
「ごぼっ……げぇほっ……がっ…」
薄暗い営倉から白色灯が灯っている通路に出て、まだ幾分か新鮮な空気を吸いながら、長岡は自分を引っ張る遠沢を見やる。遠沢は険しい顔のまま、前だけを見ていた。小柄なその肩には、気を失っている津村を抱えている。津村もけして大柄ではないが、しかし男一人を抱えながら、地を這う長岡を引っ張る目の前のこの小娘は、存外に強靭であった。
「…少し移動します。」
遠沢の姿に釘付けになっていた長岡は、自分を更に引っ張る力に我に返る。ふらつく足下にぐっと力を入れて何とか立ち上がり、遠沢についていった。
――――――――――――
「営倉が爆破された。恐らく、中の三人は脱出したろうな。」
名越船務長の言葉に、発令所には僅かに動揺が走る。
「…ま、さすがに元東機関の工作員ね、一筋縄ではいかないわ。」
風呂元は、予想通りといった風情である。
にや、と口元を歪めている。
「退艦状況はどうなっとる?」
「ほぼ退艦は完了したよ。後は我々だけだな。」
本木の質問に辻掌帆長が答える。本木はふん、と鼻を鳴らし、そして操舵の佐竹に命じた。
「降下やめ。高度500に戻し、東に針路を変更」
「了解した。」
佐竹が、操縦桿を手前にグッと引く。手元の計器を操作すると、エンジンの息吹が戻る。力強く、艦体が持ち上げられていくのを感じる。
「目的地は、東京上空じゃ」
そう命じる本木に、何の迷いや躊躇も感じられない。ふと思い出したように、本木が辻に命じた。
「あぁ、そうじゃ。すまんが、辻、艦長にお休み頂いてくれ。」
「分かったよ。」
面倒臭そうに、辻が床に転がっていた物体を抱えて発令所を出て行く。
田中は既に、体の数箇所から血を流して冷たくなっていた。
――――――――――――――――
「津村中尉、しっかり」
「~~~~……」
脱出艇のプラットフォームの一つで、遠沢は救急セットの酸素マスクを津村にあてがいながら声をかける。津村は、時折うめき声を上げるだけで、体に力が戻らない。
長岡は、艦首が俯角から仰角に戻り、エンジンが息を吹き返していくのを感じ取っていた。意味が分からない。墜落するから総員退艦の令が出たのでは無いのか?しかし、墜落しないではないか。そもそも、総員退艦のはずなのに、この建御雷を誰が動かしているんだ?
「…神経性のガスを吸ってしまったようです。わずかな量だったので命に別状はありませんが、動けないですね…」
「ガスゥ!?何でそんなもん吸うんだ!?」
頓狂な声を上げた長岡に、遠沢は顔色一つ変えずに説明する。
「営倉から出て行く直前、換気扇から毒ガスを流されました。少し、脱出が遅かったみたいです」
「な………おい!毒ガスって何だ!?何でそげなもんが換気扇から流れてくんだ!?わけがわからん!」
長岡には状況がさっぱり掴めなかった。そして、何かを知っている風な遠沢に、苛立ちも募る。
「総員退艦じゃなかったんか!?何でこの建御雷はまた高度を上げとるんだ?俺にはさっぱり分からん!発令所に連絡を…」
「ダメです!」
近くにあった艦内回線電話を手にとろうとした長岡に遠沢は怒鳴った。冷たく尖った視線が、長岡を捉える。長岡は怯んだ。
「敵に居場所を教えるようなものです。艦内回線をかけたら」
「敵?敵がこの建御雷を占拠したんか、どこのどいつだそらぁ?」
遠沢は長岡の目を見て言った。
「幹部達です。この艦の幹部達は日本を裏切りました。恐らく、この艦は東京上空に向かっています。反乱軍と連携して、東京を、日本を占拠するつもりです。」
長岡は、言葉が出なかった。何度か口をパクパクさせる。幹部が?反乱?裏切りだと?
一年間一緒に研修を受けてきたあいつらが?
二神島では命を賭けて戦っていたあいつらが?
何を言ってんだ、この小娘は。
「何を…言っとんだ。そんなの、お前から言われたって信じられる訳ないだろうが。」
「目の前の津村中尉のこの状態を見ても、信じられませんか?総員退艦令で曹士以下を欺いて排除して、幹部だけで動かしているこの艦の姿を見ても?」
遠沢の言う通り、艦内には誰も居なかった。恐らく、発令所だけで艦を運用するモードに切り替わっているだろう。そして、そのモードで艦を動かせるのは、幹部だけだ。しかも飛空戦艦だ。素人が動かせるモノでは無い。
「この艦の幹部達はずっとこの日の為に行動してきたんです。二神島海域で、中共艦隊と遭遇し、それを殲滅するのも、彼らの計画通りなんです。恐らくあれをきっかけに、中共の戦力が反政府ゲリラの蜂起を後押しする形で動いてる。仕組まれていたんですよ、全て。」
「あぁ?中共艦隊を殲滅したのは、この艦の暴走だろ?そんな突発的な事まで想定に入れていたってのか?」
「中共艦隊を消し去ったのは、荷電粒子重砲という兵器です。暴走なんかじゃありません。その存在を知らないのは、艦長と副長だけなんです。実際には、記憶を操作されたんですけど。」
長岡はますます訳が分からなくなる。荷電粒子重砲?建御雷の運用マニュアルは相当な時間をかけて読み込んだが、そんな単語見た事も聞いた事もない。記憶をいくら遡っても、全く心当たりがない。記憶を操作?バカか、できる訳ないだろうがや、そんな便利な事。そんな事ができるようになっとったら、世の中めちゃくちゃになっとる。
「幹部達の中に、記憶操作の能力を持った者が居ます。そもそも、彼らは海軍軍人ですらありません。記憶操作と、コンピュータハッキングによる身分偽造、それによってこの建御雷に幹部として侵入したんです。それも、一年以上前の研修の段階から。」
長岡は背筋がゾッとする。遠沢の話の内容に、ではない。こんな荒唐無稽な話を、表情一つ変えず、大真面目に語ってくる遠沢にゾッとする。そして、その話を信じかかっている自分にもゾッとした。自分の記憶を信じきれなくなってる自分に。
そこで、長岡はハッと気づいた。
「じゃっ、じゃあ本木はどうなるんだ!?俺はあいつと防大の同期だっ同じ野球部だったんだぞっ!同じ砲雷科だっ!それも全部嘘だってお前は言えるんかや!」
これまで淡々とした口ぶりで語ってきた遠沢の表情に、僅かに躊躇いの色が浮かんだ。長岡はそれを、反論できずに言葉に詰まったと捉えた。ほれ見た事か、やっぱりお前が言ってる事はでたらめだ。長岡はそう思うが、そう思いたがっている自分自身には気づいていない。
「……では、思い出せますか?本木砲雷長との思い出を」
「当たり前だ。防大入学当初から仲が良くての…」
「具体的に、です」
今度は長岡が言葉に詰まる。それがどうしてなのか、長岡自身には理解できない。ぼんやりと、本木との思い出の"存在"は知覚できる。しかし、全く具体的な言葉に出てこない。表す事ができない。どうしてだ、どうしてだよ、何で思い出せねぇんだ。そう思って記憶の河を遡り、必死になってその底を漁っても、出てこない。何も具体的な事は思い出せない。冷や汗が止まらない。動いても無いのに、息が切れる。
遠沢が立ち上がった。目をきょろきょろさせ、汗だくになっている長岡に歩み寄る。
「余計に傷つけるような事はしたくなかったけど、すいません。目を覚ましてください。」
おもむろに、遠沢は長岡の首筋に手を伸ばす。そして、長岡自身は知覚できない「それ」を掴んで、力いっぱい引き抜いた。
「痛ぁぁああああ」
首筋を抑えて、長岡は痛みに叫ぶ。足から力が抜け、床に倒れ伏す。視界がぐにゃりと歪んで、長岡の世界の底が抜ける。目眩がする。脳髄が熱に沸騰したように思える。神経が悲鳴を上げている。
そして
自分の世界が戻ってきた。
遠沢の手には、長い待ち針のようなものが握られていた。
―――――――――――――――――――
民衆の波に翻弄される、近衛師団。
石を投げつけ、どこで手に入れたのか分からないような凶器を振り回し、押し寄せてくる人の群れ。しかもそれは、本来自分達が守るべきはずの日本国民である。敵ではない。しかし今現在においては、郊外に展開するゲリラ部隊よりも厄介だ。何より、その人の群れを焚き付け扇動し、武器を与えて、自らは人の群れに紛れて突然牙を剥いたりするような連中が居る。
飛虎隊である。陸軍の制服で騒ぎを起こした後は服を替え、民衆の大移動に紛れて今度は暴徒を焚き付け、暴徒を盾にして隙を突き、近衛師団に襲いかかる。陸軍の制服で近衛師団を惑わし、襲いかかって撹乱する者も居た。こういう原始的な手段も、この混乱の中では大いに有効であった。飛虎隊自身も、一騎当千の特殊部隊であるが、その単純な戦闘能力以上に戦略が厄介である。
駆逐されていく近衛師団。中央省庁と、帝国軍中央司令部がある霞が関、そして皇居のある千代田は厳重に守られていたが、その防衛線すらも徐々に破られつつあった。
「やあ、手こずってるようだねぇ、君達ィ」
その防衛線の最前線の陣地に、ふらっとやってきた者達が居た。耳が完全に隠れるほどの薄く染まった長髪、レンズの大きな黒縁眼鏡に、飄々とした笑みをたたえた頬のこけた顔で、ネクタイの無いスーツをだらしなく着崩していて、容姿は恐らくそれなりの美男子なのだろうが、しかしそれを素直に美男子と思わせないような雰囲気を見せている、胡散臭い男。
その後ろに着いてきているのは、黒髪のセミロングの髪に、丸くて幼い顔をした、中背の女だった。こちらはキッチリとスーツを着込んでいるが、そのキッチリと着ているというのも、また初心に見えるような風情である。
しかし、とりあえず言える事は、この緊迫した状況の最前線に似合うような者たちではない。
「誰だ貴様らは!何勝手に指揮所に入ってきてんだ!」
こんな来訪者、前線指揮官が怒鳴る。同じ陸軍の制服を着た連中に襲われたとか、そういう状況も伝えられてるのに、どうしてこんな連中が前線指揮所のテントの中にまで入ってこられるのか。見張りの奴を殴り倒してやりたい。
「あ、俺?俺ね、古本。よろしく~」
そんな前線指揮官の剣幕もどこ吹く風で、胡散臭い男が名を名乗る。後ろに着いてきた女が苦笑いした。
「古本さん、この人別に固有名詞が聞きたい訳じゃないと思いますよ~」
この2人には、すぐそこまで、敵兵も混ざった暴徒の群れが接近しているという状況の緊張感がカケラもない。
「そうだ!貴様らの名前なんぞどうでもいい!報道記者か!?野次馬か!?とにかく関係者以外はとっととここから出て行け!」
「うっせぇな~関係あるからあんたみたいなムサいオッサンしか居ねぇこんな所まで出張ってきてんだろうがよ~」
面倒臭そうな顔をした古本は場から立ち去る気配も無く、「徳冨ィ、あれ見せてやりな」と言いながら、ポケットから煙草を取り出して火をつける。徳冨と呼ばれた若い女は古本の煙草の匂いに童顔をしかめながら、肩にかけていたバッグの中を漁る。そして一つの書類を取り出して、前線指揮官の前に広げて見せた。
その書類を見ると、前線指揮官の血相が変わった。
「天皇陛下の勅命書…?」
「そゆ事。俺たち陛下の直々の御命令で来てんの。あそこで暴れてるアレ何とかしろってな。」
古本がアゴでしゃくった先には、テントの窓から見える、押し寄せる群衆。盾を携え、バリケードを作っている近衛師団の兵士と衝突が起きている。酷い臭いが立ち込めているのは、陸軍側が催涙弾や、悪臭兵器による威嚇を行っているからで、群衆の方にも被害は出ているだろうが、しかし陸軍の側にも投石や火炎瓶、そしてどこからか飛んでくる銃弾による傷者死者が出ている。
信用できない前線指揮官は、勅命書を徳冨からひったくって何度も見直すが、偽造したものではなかった。目を丸くして、古本と徳冨を見る。
「何者なんだ君達は…」
「それは秘密~。じゃ、挨拶は済ましたし、仕事に行くか、徳冨」
「はーい」
適当に前線指揮官をあしらい、2人して、前線指揮所のテントを出て行く。前線指揮官は、きつねにつままれたような顔をして、きょとんとするほか無かった。
―――――――――――――――――――
「さて、と」
テントから出た古本は、ここまで乗ってきた車に戻り、荷台から商売道具を持ち出す。
大型の対物ライフル。解体された状態で入っているケースを開き、手際良く組み立てる。
向こうに見えるバリケードでは、群衆の勢いが増してきている。近衛師団の兵士達が押されに押され、防衛線が突破されかけている。
「よっしゃ」
完成した対物ライフルを、古本はひょい、と右手で持ち上げる。普通片手で持てるようなものではない。華奢な男だが、存外に強靭なようである。
「まずは景気付けに一発いくか~」
古本が、右手の人差し指を引き絞り、引き金を引いた。
ダンッッ!!
大きな音を立て、徹甲弾が銃口から飛び立った。その徹甲弾は、近衛師団と群衆の衝突点ではなく、明後日の方向に放たれた。
しかし、その弾頭は、途中で大きくカーブを描いた。カーブを描きながら、弾頭が急降下する。
そして、群衆と近衛師団のちょうど衝突点にあたるポイントを。
横薙ぎに払った。狩りをする猛禽類のように降下し、人の体の高さを、高速で滑空する。
目の前の近衛師団の兵士に牙を剥いていた群衆が、脇から徹甲弾に貫かれた。戦車の装甲用の徹甲弾は、人の肉など紙切れ同然に次々と突き破っていく。彼らは状況を知る事もなく、目の前の兵士に悪態をつき、怒鳴り声をあげるそのままの姿勢で体に大穴を開けられ、首を跳ね飛ばされていく。
古本の放った一発の徹甲弾は、群衆の中を縦横無尽に方向を変えて暴れまわった。ヘルメットを被っていた一人の民衆の頭蓋骨に締めとばかりに突き刺さって、やっとその一発目が止まった。
一瞬、場の時間が止まった。群衆は、あっという間に最前線に居た数十人が血を吹き出してズタズタになり倒れ伏した事に呆気にとられ、近衛師団の兵士達も、その凄惨な光景にしばし固まる。
そして、怒号で満ちていた衝突点に、一転して悲鳴が溢れる。あれほどまでに近衛師団に対して攻め込んでいた群衆が、あっさりと踵を返して逃げ惑い始めた。途中で蹴つまづいたような人間を容赦無く踏みつけながら、群衆は逆方向に走っていく。一気に圧力から解放された近衛師団のバリケード部隊はしかし、事の次第が理解できずに呆然とする他なかった。
弾を放った古本本人は、頭を抱えていた。
「あちゃ~。最後メットなんかに当てなきゃあ、あと10人は殺れたんだけどなぁ~。」
「相変わらず、人の血を見るのがお好きですねぇ。」
悔しがっている古本を、徳冨は白い目で見ていた。
「な、な、何をしたんだ君はァ!?」
前線指揮所のテントから、指揮官が声を上ずらせながら出てくる。この人物だけは、今の所業が古本の仕業だと言う事に気づいたようである。
「あ?興味ある?ちょっとね、弾にかかる重力の向きと強さを変えてやってさ。そしたら、上手い具合に弾が曲がるのよ。ある程度弾の勢いも長続きさせられるしね。ま、結構練習したよ?思い通りに操るにはねぇ。重力を操る能力ってのも中々難しくてさ。あの群衆共にかかる重力を10倍にして一気に潰しちまえれば楽なんだけどさァ、中々そうはいかないのよね」
大仰に肩をすくめながら話す古本の発言に、前線指揮官は呆気にとられる。
古本はそれを鼻で笑った。
「あ、信じてないな~?ま、信じなくても良いんだけどね。自分で勝手に、弾の軌道が曲がる適当な理由を考えてくださ~い」
前線指揮官の顔が引きつる。「あ、悪魔か貴様…」と声が漏れた。
「君も一応公僕なのだろう…?彼らは混乱して向かってきているが、日本の国民だぞ…彼らもいわば状況の被害者だ…どうしてそんなに笑いながら殺せるんだ……日本軍が日本人を撃ってどうするんだ…」
古本は、わざとらしく大きなため息をついた。
「あんたほんっと失礼な事ばっか言ってくれるね。陸軍の連中も同じ人間で、同じ国民な訳。それに牙を剥いて暴力振りかざした時点で、理由はどうあれ彼らは罪を犯してるでしょうが。何の罪もない国民、て訳じゃないの。被害者面は~、できないの~」
「し、しかしここまでやるのはやりすぎだ!こんなに殺さなくとも…」
「はいはい、分かった分かった。あんたが正しい、俺が間違い。あんたは俺を悪者にしとけ、俺のおかげで助かった身分でな。あんたはできるだけ連中に優しくお帰り頂こうとしてな、それで連中を止められたのか?止められてないだろ。そこで大悪党の俺登場よ。俺が連中をぶっ殺してやったおかげで、あんたは部下共々救われる。ほんであんたらは俺に罪を全ておっかぶせる事ができる。あんたらの命と良心、両方助けてやった俺はマジ大悪党だねぇ~」
前線指揮官は、その顔を青ざめさせる。口がパクパク動くが、言葉は何も出てこない。
その様を見て、古本は滑稽だな、と感じた。
状況と、感情が噛み合わない時にどちらを優先させるべきかも分からない軟弱者だ。
そのような者に何も守れはしない。
理屈も思想も、現実的な危機に対処する力を持たない。そんなものは平時でこそ問題にされるものだ。
そこまで考えて、おっと、と古本は思う。
すぐにこういう人間を見下してしまうから自分はいけない。やはり自分達、東機関は人でなしなのだ。世の中自分達のような者ばかりなら、世は更に荒廃する。人でなしの論理を常人にまで押し付けてはいけない。こういった普通の人間らしさを持った人々を守る為にこそ、自分のような人でなしは存在を許されるのだ。自分達は、汚れ役、世の必要悪。
第一、荒廃した世の中では、自分だって自由に銀座で美人の姉ちゃん達と遊べなくなってしまうではないか。それは困る。大いに困る。
しかし、たまには人でなし扱いに対して、こんな風に突っぱねてみたくもなるものだ。
「さぁ~て」
古本は、逃げて行った群衆の方に向き直る。ほぼ全員が背を向けて逃げ惑う中で、近衛師団の陣地に背を向けず、その場に残っている者たちがちらほら居た。彼らが持っているのは、粗末な猟銃や火炎瓶、石などではない。歩兵用の自動小銃であり、彼らの表情は殺気に満ちていた。
「邪魔者が居なくなったなァ。勝負しよっか、飛虎隊の皆さ~ん」
古本の顔は、飛虎隊の面々とは対称に、愉悦に歪んだ。
第九話に続く。
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