ソードアート・オンライン 穹色の風
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アインクラッド 後編
In the dream, for the dream
マサキが目を開けると、そこはただ白いだけの空間だった。何処まで続くかも分からない壁に、存在するかも分からない床と天井。そんな、何もかもが朧気な空間を、濁った霧が満たす。
……ここ数日間の徹夜で疲弊した脳にボス戦に耐えられるだけの養分を与えるため、数時間仮眠を取ろうとしただけなのだが、どうやらかなり深く眠ってしまったらしい。自分が今この場にいることがその証左だ。
マサキは空中であぐらをかくと、やがて現れるであろう声を待った。
「……お待たせしました、マサキさん」
「……ああ」
先の見えない霧の中に、どこからともなく響いてきた優しげな女性、いや、少女の声。それはじんわりとマサキに染み込み、胸の奥深くを振動させる。
(あの雪の粒を融かした温度は、ひょっとしたら、ここから来たものなのかもな……)
不意に去来した温かさに微苦笑を織り交ぜつつ、マサキは答えた。自分のものが反射したのか、それともあの声の主のものなのか、遮られた霧の向こう側からも同じような苦笑を漏らす気配が伝わる。
「……もうすぐ、答えが出るんですね……」
「ああ。……だから――」
「承知しています。マサキさんがセットしたアラームの時間には間に合うように調整していますので、ご心配なく」
「……なら、いい」
マサキの意図を先読みした少女の声に、マサキはゆっくりと頷いた。今度は微笑むような気配。
「ありがとうございます。……どうしても、あなたがこの戦いに行ってしまう前にお話がしたかったから……」
聞くものを癒すような響きの中に、悲しさと寂しさが混じった。マサキは何も喋らず、無言で続きを聞いた。
「……私がこうしてあなたと話していられる時間は、そう長くはありません。もう、いつ私が消えたとしてもおかしくはない。……だから、もう一度伝えておきたいのです。あなたは誰よりも強く、そして優しいと」
「……それはどうかな。もし俺が本当に強く優しいのであれば……、今こうはなってない」
何処にあるのか分からないこの部屋の端の向こう側。一万人の牢獄である浮遊城の縁から遥か遠くに臨む雲海の、さらに遠くを見つめながら、マサキは苦笑した。頭の中を色あせない記憶がぐるぐると巡り、思わず奥歯に力が入る。
「……いいえ。それは違います」
しばしの沈黙を破り、穏やかな声が響いた。その旋律にマサキの視界は引き戻され、ぼやける霧にピントが合わせられる。
そして再び、優しげな微笑を漏らす気配。
「――“優しさ”とは、突き詰めて言えばただの結果論です。人が誰かのためを想い、その想いを行動に移し、さらにその想いが相手に伝わったその結果、人は優しさを感じるのですから。例え人が誰かのためを想っても、その想いを行動に移さなければ、相手に想いが伝わらなければ、それは優しさにはなりえません。偽善や、もっと酷い場合には悪と呼ばれてしまうでしょう。逆に、自分が伝えようとしていなくても、相手が想いを感じた時点で、その行動は優しさを持つことになります」
「……どこかで聞いたような台詞だな」
「そうでしょうか?」
脳裏に彼が浮かんだことを知ってか知らずか、彼女は含むように笑った。マサキはレンズの奥で切れ長の瞳を睨むように細めるが、霧の向こうから伝わってくる声に変化は見られない。マサキは一度、吸い込んだ霧を溜息に換えて吐き出し、首を振る。
「……まあいい。尤も、その行動の想いが伝わったのか、今となっては知る由もないがな」
「いいえ。それも違います。……彼にその想いがしっかりと伝わっていることを、私は知っていますから」
「それは一体どういう――」
理屈だ、と問おうとしたその時、マサキの視界それ自体がぐらりと揺れた。揺れ動く霧に乗って、相変わらず穏やかな声がたなびく。
「申し訳ございません。もうお時間のようです。……最後に一つだけ。今言った通り、マサキさんの優しさは、彼も、私も、よく知っています。そんな風に他人を想うことの出来る人は、本当に強いということも。……それを是非、きちんと認めてあげてください。あなたのその優しさが、孤独を感じないためにも。……では、御武運を祈ります」
最後の言葉の余韻が消滅した瞬間、加速度的な意識の剥離が始まった。一気に感覚が薄らぎ、視界を霧の代わりに弱く白い光が覆う。
やがて、訪れたその白い光さえも薄らぎ、完全に消え去ろうかという希薄な意識の中。昏睡へと移行する最後の過程で、ぼやける世界に黒い髪を肩まで伸ばした幼女のシルエットが浮かんでいたのだった――。
「……ん、んん……」
重い瞼を持ち上げると、見慣れた――とは言っても数ヶ月程度ではあるが――天井が現れた。ぼやけた思考ながらに目覚めを理解したマサキは、鉛のようにどんよりと沈もうとする瞼を強引に瞬かせ、更なる休養を要求する身体を起こす。すると、突如眼前にウインドウが開かれ、アラームが忘れていたかのように機械質な音をがなり立てた。どうやら、寝過ごすという最悪の事態は避けられたらしい。
マサキは重たい足取りでベッドを抜け出すと、寝室とリビングダイニングキッチンとを隔てるドアを押し、キッチン部分に置かれたポットからタイマーでセットしておいたブラックコーヒーをコップに注ぐ。
爽やかな苦味で頭のギアを無理矢理押し込み、ようやく軽くなってきた瞼でもう一度大きく瞬きをすると、ウインドウを開いて装備を変更。程なくしてマサキの身体の三ヶ所にライトブルーのポリゴン片が集まり、目元には理知的なハーフリムの眼鏡が、腰元にはシャツとスラックスという服装には些か不似合いな日本刀が現れると、数瞬遅れて残りの一ヶ所、薄青いYシャツの外側を、透明の衣が覆った。
――《ブラストウイングコート》。マサキが十五層ボス戦のLAボーナスで獲得したコートであり、今マサキが着けている唯一の《防具》カテゴリの装備である。
“敏捷値1.5倍ボーナス”と“《隠蔽》スキル値ボーナス”の二つの常時発動効果に加え、一日に一度だけ使える特殊効果を持つが、その代償として防御力は全くのゼロであり、なおかつ別の防具カテゴリの装備を一切身につけることが出来なくなる。つまり、防御力を上げることが不可能になるということだ(実際には《防具》カテゴリに属さない装備、即ち防御力アップ効果を持つ《装飾品》カテゴリの装備を用いれば不可能ではないが、それで付与できる防御力などたかが知れている)。
マサキはちらりと時計に目をやって時刻を確かめると、棚の上に置かれた写真を吸い込まれるように見つめた。夜の闇と沈黙だけが空間を包み、支配する。
「……それじゃ、行って来る。そこで待ってろ」
時の流れすら闇に呑まれてしまったのではないかと思うような空間で、マサキは写真の中の少年に短く言うと、雪舞うクリスマスの夜へと歩き出した。
「ありがとうございました。おかげさまで、レベリングが捗りました」
「攻略組なのにこんな中層プレイヤーに付き合わせてしまって……」
「いいよいいよ。ちょうどわたしもこのエリアのドロップアイテムが欲しかったところだし。それに、皆で狩れた分、わたしも経験値で得したしね。……あ、そうだ」
何度も頭を下げるプレイヤーを前にして、エミは照れたように笑いながら胸の前で両手を振ると、思いついたようにポーチへと手を入れ、数秒ほど漁った後にピンク色の結晶を取り出した。
「皆はこの後もレベリングしていくんでしょ? だったら、これ、使って?」
「ええ!? で、でもこれって、回復結晶じゃないですか! こんな高価なもの、受け取れませんよ!」
「いいのいいの。皆のおかげでアイテムも早く集まったから、そのお礼。それに、今の時間からレベリングするなら備えはいくらあっても足りないだろうしね」
エミは優しく笑いながらパーティーリーダーである片手剣士の両手に結晶を握らせると、恐縮する面々にもう一度微笑みかけた。
「じゃあ、わたしはもう行くね。レベリング、頑張って!」
「は、はいっ! ありがとうございました!」
こちらを振り返り、何度も頭を下げながら去っていく一団を見送ると、エミはふうと息を吐きながら振っていた右手を下ろした。既にどっぷりと夜の蚊帳が降りている一帯に深々と雪が舞い、静寂がそっと包み込む。
「……また、中層プレイヤーの援護ですか」
背筋から忍び寄るゾクリとした悪寒を振り払うと、エミは背後からの声に振り返った。
この世界で最強と謳われるギルド《血盟騎士団》。その白を基調に赤の十字架があしらわれたユニフォームの上を、栗色の髪が舞う。
《血盟騎士団》副団長にして攻略組トッププレイヤーの一人《閃光のアスナ》は、大きなはしばみ色の瞳を睨むように細めた。
「あなたのやっていることが完全に無駄だとは言いませんが、もっと直接的な攻略の時間を増やすべきです。ただでさえクリスマスボスとやらのせいで前線に出ているプレイヤー数が減少しているというのに、攻略組の、しかもトッププレイヤーの一人であるあなたがそんなことをしている暇なんて、我々には与えられていないんです」
「ご、ごめんなさい。……その、あの人たちにどうしてもって頼まれて……」
「にしては、随分と積極的だったように見えましたが」
「そんなことは……」
徐々に尻すぼみになっていくエミの受け答えを冷眼視しつつ、アスナは溜息をついた。
「ハァ……流石は《モノクロームの天使》、とでも言っておきましょうか」
「…………」
この世界の基本法則はあくまで“リソースの奪い合い”であり、“他人より自分”という考え方だ。もちろんダンジョンなどで誰かが窮地に陥っていた場合、助けられるのであれば助けようとするだろう。しかしそれは、他人のためなどという崇高な理念などでは決してなく、高レベルプレイヤーが減ればそれだけ攻略が難しくなるという単純な損得勘定に基づいた打算でしかない。自らを不利な状況に追いやってまで他人を助けようとするプレイヤーなどは存在しないだろう。……彼女、ただ一人を除いて。
――殆どの、否、彼女を除く全てのプレイヤーが自己の保身と強化に勤しむ中、彼女だけは他人のために動き続けた。誰からであろうと助けを求められれば即座に応じ、頼まれればどんなことでも請け負った。
本来最重視すべきレベリング効率を無視してまで他人のために動くというそのありえないスタイルに、エミ自身が纏う艶やかな黒髪と純白の服、そして愛らしい顔立ちが重ねあわされた結果。それが《モノクロームの天使》という大仰な二つ名なのだ。
怯えるように胸の前で両手を縮こめるエミに、アスナはもう一度溜息をつくと、一枚の封筒を取り出して差し出した。
「団長からの言伝です。何でも、あなたに折り入って依頼があるとか」
「ヒースクリフさんから?」
数多くの頼まれごとの経験があるエミだったが、《血盟騎士団》しかもその団長である《聖騎士》ヒースクリフからの依頼などはもちろん初めてだ。疑問符を頭に浮かべながらおずおずと封筒を受け取る。チラリとアスナを見ると、視線の意図を理解したのか小さく頷く。エミはそれを確認すると、封筒の中から一枚の手紙を取り出して――。
そのたった一枚の手紙が、エミの、そして二人の運命を交わらせる切符になることを誰も想像できなかったとしても、それは至極当然のことだったのかも知れない。
――第三十五層フィールド・ダンジョン、迷いの森。見渡す限りを白銀の雪が覆う零下の森に、マサキが、そしてクリスマスMob撃破による莫大な報酬を狙う全ての者たちが捜し求めている、一本の巨木があった。
クリスマスMobが出現する候補地として挙げられている場所は幾つも存在するが、この場所はその候補に入っていない。にもかかわらずマサキがこの木だと確信するに至ったのは、情報屋たちによって提供されている候補は全てがスギ類のものであり、モミの木はこの一本しか存在しないということを、全フロアを回って確かめたからである。それに至っては、以前、フィンランド出身の植物学者が日本のクリスマスツリーの形状にやたらとケチをつけながら熱心に語っていたモミの木の見分け方が役に立った。聞いた当時は興味がないどころか疎ましくさえ思っていた情報がここまで重要な役割を果たすとは、世の中分からないものである。
マサキは森に入るのに必須の地図を確認すると、目の前のワープポイントへと飛び込んだ。
「お前ェを、こんなとこで死なすわけにはいかねえんだよ、キリト!」
マサキが目標の一つ手前のエリアへと繋がるワープポイントを抜けかかったとき、野太い声が聞こえた。どうやら同じくこの場所を見つけた先客がいたらしい。
マサキは徐々に鮮明になっていく視界の中で、《ブラストウイングコート》に付与されている特殊効果の使用の是非について逡巡し、そして諦めた。ここで効果を使い、彼らに気付かれることなくモミの木に辿り着いたところで、恐らく戦闘中に彼らの、少なくともどちらかが追いかけてくるだろう。ならば、一日に一度しか使えない効果をわざわざ無駄にすることはない。
マサキは溜息をつくと、ゆっくりと歩きながら突然の乱入者に驚く赤バンダナの刀使いと全身黒づくめの片手剣使いに言った。
「……久しぶりだな、キリト、クライン。前のボス戦以来だったか」
「マサキ……チクショウ、何てことだよ。手前ェまで……!」
低く吃った声に、刀使い――クラインは困惑するように逆立った赤髪をガリガリと掻いた。
「分かんねェ……分かんねェよ、お前ら! お前らが死んだ仲間のことを忘れらんねェのは分かる! 特にマサキの場合、最初っからずっっとコンビ組んでた奴だったんだからな! ……けどよ! 死んだ奴が蘇ることなんてないってことくらい、お前らはとっくの昔っから分かってるはずじゃねェか!!」
「……さあ、な……」
頭を掻き毟りながらガラガラと声を張り上げるクラインに、マサキは頭上を仰ぎながら、何よりも近くにあるはずの二枚のレンズを何よりも遠くを見る目で見つめ、呟いた。
「確かに、頭のどこかでは分かっているのかも知れない。あいつが――トウマが生き返ることなんて、あり得ないということを」
「だったら……だったら何で!」
「だがな」
マサキは視線を落とし、必死の形相で叫び続けるクラインを冷めた眼で射抜いた。泣き出す寸前の子供のような声を遮って、しわがれた声で空気を震わせる。
「……もう、見始めてしまったんだよ。確かに、よくよく考えてみれば馬鹿げた話だ。目が覚めたら全てを忘れてしまっている夢のほうが、まだ整合性が取れているくらいに。……だがな。それが例えどんな夢であっても、見始めたら最後、目覚めるまで見続けるしかないんだよ。俺が今立っているこの場所が、あと数時間で消えてしまう夢の中だとしても。俺には、最後まで夢の続きを見ながら道化のようにふるまい続ける選択肢しか、もう残されてはいないんだ……!」
暴走しそうになる感情の渦をどうにか制御しながら最後まで言い切ると、マサキは腰元の蒼風を握り締めた。葛藤が滲み出た表情を浮かべながら、キリトが得物である片手剣に手をかけ、クラインが悲しげな眼で二人を見る。
そして、限界まで張り詰めた緊張の糸を切ったのは、マサキでもキリトでもクラインでもない、第四者だった。
マサキは背後のワープポイントに気配を感じるや否や、即座に前方へ跳んだ。空中で身体を反転させ、ワープポイントを睨みつける。
やがて現れたのは、30人以上の大集団だった。追けられたか――、という疑念が一瞬頭をよぎるが、すぐに否定する。マサキはここに来るのに、念には念を入れてわざわざ最短距離ではなく迂回しながらの道を選んだのだ。そして道中のどの瞬間にも、追けられていた感触は皆無だった。つまりは……。
「お前らも追けられたみたいだな、クライン」
「……ああ、そうみてェだな……」
マサキの背後で、小さな声が交わされた。つまり、彼ら――装備を見る限り、恐らく《聖竜連合》だろう――はマサキではなく、クラインたちを追ってここまで来たのだ。
「くそッ! くそったれがッ!」
再び始まった四勢力による睨み合いで生じた沈黙を、突如クラインが破った。刀使いは腰元の得物を抜き放つと、マサキを押しのけて前に出る。数瞬後、刀使いは二人に背中を向けたまま怒鳴った。
「ここはオレらが何とかしてやる! 手前ェらはサッサとボスを倒せ! いいか、《蘇生アイテム》以外の報酬は、キッチリ山分けにしてやるからなコンチクショウ!」
突然のことに動きを止めていた聖竜連合のプレイヤーたちが、我に帰ったように一斉に武器を抜き放った。続いて《風林火山》の面々も自分の得物を抜く。現れた銀色の金属の塊が、雪の光を反射してギラリと鈍い輝きを放つ。
――誰もが双方入り乱れての乱戦を覚悟した、その瞬間。またもワープポイントから欄入者が現れた。
ここに来て現れた第五の勢力は、風林火山と同じ十ほどの規模だった。そして、先頭の一人ともう一人を除く全員が白地に赤の十字をあしらったユニフォームを着用している。
「それは困るな。我が《血盟騎士団》としても、フラグボスがもたらす莫大な利益が目の前で攫われていくのを、指を咥えて見ているわけにはいかない」
一人だけ赤と白の配色が他と逆転した鎧を着込んだ人物――この世界で最強と謳われる《聖騎士》ヒースクリフは、鋼のように無機質な声を響かせた。全員の視線が彼に集まり、張り詰めていた緊張の糸が一瞬緩みかける。
フロアボス攻略の時以外は滅多に人前に姿を現すことがないこの男が、一体何故――。そんな疑問を抱く隙すら与えずに、ヒースクリフは一歩前に出ると、感情の起伏が一切感じられない声色で話し始める。
「さて、今も言った通り、フラグボスが誰かに討伐され、莫大な報酬の全てを持っていかれるのをみすみす見逃すなど、我々にはできない。……が、今ここで諸君らとことを構える気も、こちらにはない。どうだろう? ここは公平に交渉するというのは?」
「交渉だとォ?」
突如交渉による解決を提案したヒースクリフに、クラインが噛み付いた。聖竜連合のプレイヤーたちも、言葉は発さないが苦い視線を向けている。しかし、その状況に惑うことなく、ヒースクリフは口を動かし続ける。
「うむ。具体的には、そこの二人――キリト君とマサキ君にフラグボス討伐をしてもらい、我々はこの場所で新たに来るかもしれないパーティーと“交渉”してお帰りいただく。分け前は我々、聖竜連合、風林火山、そしてキリト君とマサキ君で五等分する。討伐隊である二人には、見返りとして望むアイテムを一つ、優先的に選ぶ権利を与える。……どうだね? なかなか良い案だと自負しているのだが」
「ちょいと待ちやがれ! だったらわざわざ二人だけで向かわせなくても、俺たち全員でボス討伐に向かやいいじゃねェか! 何も二人だけに任さなくてもいいだろうが!」
「……これはあまり言いたくはないのだがね、クライン君。我々とて、たかだかフラグボス一体のためにそこまでの戦力を組むことはできないのだよ。しかも、今回は敵の情報が何もない。これからの攻略で必要な精鋭たちをここで失うわけにはいかない。彼ら二人が討伐を請け負ってくれるというのであれば、我々にとってこれ以上の条件はない」
「何ィ……!?」
クラインの頬が、耐えかねた怒りによって痙攣した。刀を持つ右手をブルブルと震わせながら、薄い笑みを浮かべるヒースクリフに怒鳴り散らす。
「手前ェ、自分が何言ってンのか分かってんのか! この二人を捨て駒扱いする気かよ!!」
「止せ、クライン。……いいだろう、その条件、呑んでやる」
マサキがクラインの肩に手をかけて言うと、刀使いの顔が驚愕に染まった。
「なっ……!? オイ止めろ、今すぐ取り消せ!!」
「……俺も、それでいい」
「!? キリト、お前ェ……ッ!!」
「どうやら、討伐隊二人の承諾は取れたようだな。……君たちはどうする?」
満足げに頷くと、ヒースクリフは脇の聖竜連合へ目線を振った。彼らはしばし無言を貫いていたが、この人数を相手取ることは不可能だと考えたのだろう、やがてリーダーらしき男が「分かった」とだけ短く言った。
「いいだろう。……さて、残るは君たちだけだが……どうする?」
このマップに集った50名ほどの視線が、クライン一人に注がれた。奥歯を噛み締めるギリギリという音が冬の凍てつく空気を伝わって鼓膜を振動させる。刀使いはしばし葛藤を続けていたが、やがて刀を鈍い音と共に地面に突き立てると、ドカッという効果音を上げてその場に座り込んだ。
「ああもう知らねェ! 手前ェらのことなんか知ったことか! ボスでも何でも勝手に倒しに行って、勝手に死にやがれコンチクショウが!!」
一際大きく怒鳴ったかと思うと、クラインは一転して俯き、黙り込んだ。怒りを制御し切れていないのだろう、サムライの計鎧に似た防具の下に覗く腕が震えている。
「これで全員の承諾が得られたな。……では、今回のことは彼女に証人となってもらうものとする」
ヒースクリフは一度全体を見渡すと、脇へと退いた。すると、その影から血盟騎士団のユニフォームではなく純白の装備を着込んだ少女が姿を現す。
彼女、エミは怯えたような表情で一歩前に出ると、ぎこちない動作で頭を下げた。
「では、二人とも。よろしく頼む」
相変わらず無機質なその声に二人ははっと我に帰ると、目的地へと続くワープポイントへと飛び込んだ。転移時のエフェクトによって漂白されていく感覚の中で、「死ぬなよ」という短い声が聞こえた気がした。
ワープポイントを抜けると、中心にそびえる一本の巨樹の周りを雪に覆われた平原が包んだ、白銀の世界が姿を現した。周囲を白く覆われた中で堂々とそびえるモミの姿は、ある種の孤高さすら醸し出している。
しかし、マサキはその光景を美しいとは感じなかった。この世界に綺麗なものなど何一つ存在しない。あるのは、真っ黒に汚れているか、真っ白に穢れているか。その違いだけなのだから。
マサキは蒼風を握りなおすと、何かを言いかけた怪物に向かって全力で雪を蹴った。
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