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銀河英雄伝説~その海賊は銀河を駆け抜ける

作者:azuraiiru
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第五十三話 エル・ファシル公爵



宇宙暦 799年 8月 3日   ハイネセン   ユリアン・ミンツ



帝国軍が一昨日、声明を出した。自由惑星同盟が完全に滅亡した事、今後は銀河唯一の統治国家は銀河帝国である事、そしてこれまで反乱軍の名称で呼ばれていた自由惑星同盟の存在は正式にこれを認める事……。つまり過去の同盟は認めるけれど今後はその存在を認めないって事だ。ローエングラム公って結構皮肉がきついよ。

それと帝国は同盟市民が保有していた財産は保障するという事も発表した。国債や年金も保障される、ヤン提督も有難い事だと言ってる。でも一番驚いたのはエル・ファシル公爵の事だった。エル・ファシル星域を公爵領としてそこでは民主共和政を認めるだなんて。

それにエル・ファシル公爵は世襲じゃなくて公爵領の人間が選ぶ事を認められてるし帝国第一位の貴族、無任所の国務尚書として帝国の統治に参加する事になっている。ローエングラム公って民主共和政に好意的なのかな。ちょっと不思議な感じがした。

ヤン提督にその事を言ったら苦笑していた。
“上手いやり方だね、否定するのではなく取り込んでしまう。これでは誰もローエングラム公が民主共和政の弾圧者とは非難できなくなる。実際には同盟を滅ぼしたのはローエングラム公なのにね”

“エル・ファシル公爵は帝国の統治にも関与する。帝国が悪政を行えばその責任の一端はエル・ファシル公爵にも有るという事になる。旧同盟領の人間が帝国の悪政を機にエル・ファシル公爵の元に集合する事はないだろうね”
そういう事なんだ、って思った。

エル・ファシルで民主共和政が存続するという事でエル・ファシルへの移住を希望する人が現れている。でもエル・ファシルは移住を認められるのは二百万人までだって声明を出した。それ以上は社会資本が整備されていないから受け入れられないらしい。次に受け入れが出来るのは社会資本が整備された時、二年か三年後になるだろうって発表している。

この事については同盟市民は皆エル・ファシルを酷く非難している。でも現実に受け入れられないからどうしようもない。マスコミもこの件については諦めモードだ。それよりマスコミが非難しているのは受け入れの二百万人についてだ。

受け入れの二百万はエル・ファシル政府が移住希望者の中から選抜するらしい。マスコミは移住希望者を差別していると非難しているけどエル・ファシル政府はエル・ファシルを効率良く発展させられる人材を受け入れないと二年後、三年後の受け入れがスムーズにいかないと反論している。

でもこれって結構厳しい。移住希望を出して受け入れられなかったらお前はエル・ファシルの発展には必要ない人間だって言われてるようなものだ。絶対不満が出るよ。ヤン提督はその事もエル・ファシルで民主共和政を許しても帝国の不安定要因にならない理由の一つだって言っている。そして帝国は非常に強かだとも。

この移住問題、実は僕達にも関係している。レベロ議長からヤン提督にエル・ファシルへの移住希望を出すようにって要請が有ったんだ。エル・ファシル政府にはレベロ議長から受け入れるように頼んでおくからって。議長はヤン提督の戦略家としての識見がエル・ファシルの安全保障には必要だと考えているらしい。

もっとも議長がエル・ファシル政府に頼まなくてもヤン提督なら受け入れてもらえると僕は思う。何と言っても提督はエル・ファシルの英雄なんだから。エル・ファシル政府が断る事は無いはずだ。ただヤン提督はあまりその気じゃないみたいだ。どうするんだろう? エル・ファシルのキャゼルヌさんからもこっちに来いって誘われたんだけど提督ははっきりとは返事しなかった。ハイネセンに残るのかな。


黒姫の頭領がミュラー提督と共に訪ねてきたのは午後三時を回ったころだった。最初訪ねてきたのが頭領だと知ったヤン提督はちょっと顔を強張らせていた。苦手意識が有るみたいだけど拒絶する事は無かった。今はリビングで四人で紅茶を飲んでいる。僕は遠慮しようと思ったんだけど黒姫の頭領が一緒にって誘ってくれた。ちょっと嬉しかった。ヤン提督も頭領もミュラー提督も穏やかな雰囲気を醸し出している。この三人がガンダルヴァで戦争したなんて信じられない。

「ローエングラム公がヤン提督に仕官を求めたそうですが断られたとか」
黒姫の頭領が問い掛けるとヤン提督は少し困ったような表情をした。
「ええ、どうも私は宮仕えが苦手で」
頭領はヤン提督の返答に二度、三度と頷いた。

「残念ですね、ローエングラム公は本気で貴方を旗下にと思ったのですが……。まあ確かに帝国は同盟に比べれば多少権威に煩い所もあるかもしれません。ヤン提督は窮屈に感じるかもしれませんね」
「窮屈に感じているのは卿も同様だろう」
「否定はしないよ」
頭領とミュラー提督が笑い声を上げた。なんか良い感じだ。

先日ヤン提督にローエングラム公から帝国軍に出仕しないかって打診が有ったんだけどヤン提督は軍の仕事には就きたくないって断った。本心だと思うけど専制君主に仕えたくないっていう思いもあるんじゃないかと僕は思っている。でも頭領の言う通り、煩わしいっていうのも有るかもしれない。

「エル・ファシルに移住されるのですか?」
「……迷っています、御迷惑ではありませんか?」
「ハイネセンに残られるよりは良いと思いますよ」
「……」
そうか、ヤン提督が迷っていたのって帝国がどう思うかを考えての事だったんだ。

「エル・ファシルは今非常に好景気です。あそこの住人は現在の好景気が続く事を願っている。ヤン提督を担いで馬鹿げた事を考える人間は居ないでしょう。居たとしても少数です、他の多数に押し潰されてしまう。それに貴方もエル・ファシルの民主共和政を潰そうとはしないはずだ。そうでは有りませんか?」
「……」
頭領って穏やかな表情で怖い事を言うな。ヤン提督が苦手なのってそういう所かもしれない。

「それに比べるとハイネセンは危険です。此処には不満を持つ人間が多い、そして貴方は悲運の名将、悲劇の英雄です。担がれやすいでしょうね」
「悲運の名将、悲劇の英雄? 敗軍の将ですよ、私は」
ヤン提督が苦笑を洩らした。いや、表情が渋いから自嘲かな。それを見て頭領がクスッと笑った。

「ハイネセンでは結構な評判ですよ。貴方は海賊に騙された悲劇の英雄だと。あのロクデナシさえいなければ同盟を守る事が出来たのだと」
他人事みたいな頭領の言葉にミュラー提督が呆れた様な表情を浮かべた。ヤン提督は益々渋い表情をしている。ニコニコしているのは頭領だけだ。

でも頭領の言った事は事実だ。マスコミはヤン提督を悲運の名将、悲劇の英雄と呼んでいる。もっともヤン提督はそれを喜んではいない。そしてマスコミは頭領の事をロクデナシ、ペテン師と呼んで非難している。僕もちょっと狡いと思うけどその事を口に出したことは無い。ヤン提督が不愉快になるのが分かっているから。

それに作戦としては完璧だってヤン提督が言っていた。僕もそう思う。同盟軍が戦場に現れた時点で敗北が決まったなんてちょっと信じられない。それにブリュンヒルトをわざと撃破させたことも。同盟軍は頭領にあしらわれた、全く勝負にならなかった。その事が皆に不満を抱かせているんだと思う。

不思議なのは黒姫の頭領はマスコミの言う様なロクデナシには見えない事だ。ごく普通の若い男性に見えるしどちらかと言えば好青年に見える。穏やかでローエングラム公の持つ覇気の様なものは全然見えない。本当にこの人が戦場で帝国軍を指揮したのかって思ってしまう。

「私は貴方に負けたんです、戦略レベルでも戦術レベルでも。私を悲運の名将とか英雄と呼んでいるのはそれが分からない素人だけですよ」
ちょっと拗ねた様な怒ってる事が分かる口調だった。頭領が苦笑を浮かべた。もしかすると子供っぽいとでも思ったかな。

「そう怒る事は無いでしょう。人間は素直に敗北を認められない生き物なんです。運が悪かったからだと主張するのはおかしくありません。提督の様に負けを認める人間の方が希少ですよ。それに運が無かったのも事実です。あの場にローエングラム公が居ればヤン提督が勝てた可能性は十分にあった」
「……」

ヤン提督が黙っているとまた頭領が“本当にそう思っていますよ”と言った。でも良いのかな、そんなこと言っちゃって。それじゃあヤン提督の方がローエングラム公よりも上だって言ってるように聞こえるけど……。でもミュラー提督も否定しない。良いのかな? 僕は嬉しいけど……。

「それだけにここに残るのは危険です。担ぐ方も担がれる方も不幸になる。エル・ファシルに移住した方が良いでしょうね」
「……」
うーん、そうだよな、僕も危険だと思う。ヤン提督も分かっているはずだけど……。はっきりしないのはハイネセンに居る人を見捨てるのが嫌なのかな。一緒に戦った人も居るだろうし……。

「それに、エル・ファシルでは貴方にやってもらいたい事が有ります」
え、やってもらいたい事? ヤン提督だけじゃない、ミュラー提督も訝しげな表情をしている。

「現時点ではレベロ議長が暫定的にエル・ファシル公爵になっています。しかしレベロ議長がエル・ファシルへ移住した後、エル・ファシルの現政府と調整が済んだら議長はエル・ファシル公爵を辞任する事になっています」
その事はレベロ議長自身が公式に声明を出している。大方の人間は当然だと思っているようだ。

「新たにエル・ファシル公爵を選ぶ選挙が行われますがレベロ議長もそれに立候補します」
え、そうなの? 選挙に出るの? ちょっと驚いてヤン提督を見た。ヤン提督も驚いている。

「しかし、勝つのは難しいでしょう。何と言っても同盟は滅んだのです。それなのにレベロ議長がそのままエル・ファシル公爵になるのは……」
そうだよ、皆も暫定だから今は認めているけど正式にとなったら反対する人が多いに決まっている。

「そうかもしれません。そこでヤン提督にレベロ議長を応援して欲しいのですよ。貴方はエル・ファシルの住民にとっては恩人です。その影響力でレベロ議長を公爵にして欲しいのです」
「それは……」
ヤン提督が口籠った。多分不本意なんだろう、ちょっと顔を顰め気味だ。
「もちろんレベロ議長以上に適任者が居れば別です。そちらを応援してもらって結構ですよ」
「……」

「ヤン提督、エル・ファシル公爵を考えたのは私です。民主共和政については多少疑問もあるが統治される側の意見を政治に取り入れるという考えは必要だと思う、だから民主共和政を残す方法を考えました。帝国の統治に利益をもたらす装置としてです。それが民主共和政を存続させる保証になると思いました」

うわ、凄い事を聞いちゃった、皆驚いてる。エル・ファシル公爵って黒姫の頭領が考えたんだ。この人、どういう人なんだろう、戦争も出来るけど政治にも凄い見識を持ってる。ヤン提督以外にもこんな人が居るんだ。いやそういう人がローエングラム公に協力している。帝国って軍事力だけで同盟を圧倒した訳じゃないんだ……。

「ローエングラム公は有能で節義のある人物を好みます。逆に嫌うのは無能で貪欲な人物です。だからエル・ファシル公爵には有能で節義のある人物に就任してもらわなければなりません。訳の分からない人物になって貰っては困るのです」
つまりレベロ議長は有能で節義のある人物だって頭領は見てるんだ。まあそうかな、トリューニヒト前議長なんかよりはずっとましだと思う。ヤン提督もレベロ議長が映ってもTVのチャンネルを変えようとしないし。

「そうなればエル・ファシル公爵が侮られるだけではありません。民主共和政そのものがローエングラム公に、いや帝国の文武の重臣達に侮られるのです。民主共和政等何の価値も無い代物だと。平民の意見等政治に取り入れる必要など無いと。それがどれだけ危険な事か……。ヤン提督、貴方になら分かるはずだ」
「それは分かりますが……」

「幸いですがローエングラム公はレベロ議長に好意を持ったようです。それにレベロ議長はエル・ファシル公爵の役割を十二分に理解している。現時点でレベロ議長以上にエル・ファシル公爵に相応しい人が居るとは思えません」
「……」
ヤン提督は無言だ。嫌なんだろうなあ、選挙を手伝うとかって。

「民主共和政が無くなった時、ヤン提督は耐えられますか? 無くなってから悔やんでも遅いですよ」
「……」
「民主共和政は今弱い立場にあるんです。あれが嫌だこれが嫌だ等と言っている場合ではないでしょう。最高のカードを切る必要が有る、そうでは有りませんか?」
「……」


「黒姫の頭領は私に首輪を付けようとしているんだ」
「どういう意味です、首輪って」
「私が反帝国活動をしないように枷を嵌めようというわけさ」
ヤン提督が不愉快そうに言ったのは頭領とミュラー提督が帰ってから三十分程経ってからだった。二人にはエル・ファシルに行くかどうかは答えていない。

「ガンダルヴァ星域の会戦が終わった時から私が反帝国活動をするんじゃないかと危惧していたからね。私をエル・ファシルという檻に入れたいんだろう」
「じゃあ、行かないんですか?」
僕が訊き返すと提督は一瞬黙り込んで僕を睨んだ。
「……いや、行くよ。選挙応援は不本意だが民主共和政が無くなるのはもっと不本意だ。彼の思い通りに動くのは癪だけどね……」



帝国暦 490年  8月 3日   ハイネセン   ナイトハルト・ミュラー



ホテル・ユーフォニアに戻る地上車の中エーリッヒは酷く上機嫌だった。
「エーリッヒ、卿はヤン・ウェンリーがエル・ファシルに行くと思うのか? 彼は返事をしなかったが」
「多分行くだろうね、嫌なら嫌だと返事をしているさ。黙っていたのは不本意だったからだろう」

「もし、駄目だったら」
「大丈夫、他にも彼に影響力のある人にエル・ファシルに行くようにと勧めてもらうからね。民主共和政を残す為には君の力が必要だと言えば彼は断れないと思うよ」
自信が有るようだ、微塵も不安を感じさせない。

「レベロ議長がエル・ファシル公爵か……」
「レベロ議長はエル・ファシル公爵にはならない」
「!」
驚いてエーリッヒの顔を見た。エーリッヒは悪戯をした子供のように笑みを浮かべている。

「どういう事だ?」
「レベロ議長では選挙に勝てないよ。彼もそれは分かっている、立候補はしない、彼は別な人間を応援する事になる」
どういう事だ? じゃあヤン提督を説得したのは……。

「エル・ファシル公爵はどうなる? それなりの人物が必要なはずだが……」
俺が問い掛けるとエーリッヒはおかしそうに笑い声を上げた。
「居るじゃないか、適任者が。ローエングラム公が一目置いてエル・ファシル公爵の意味を理解している人間。エル・ファシル住民からの人気も高い、帝国でだって知名度は高い筈だよ」

「それって、まさか……」
エーリッヒがまた笑い声を上げた。
「そう、ヤン・ウェンリー提督だ。彼くらいエル・ファシル公爵に相応しい人間は居ないだろう。レベロ議長も彼が適任だろうと言っているよ、まさに最高のカードだ」
「……」
「まあいきなりエル・ファシル公爵になれと言ったらあの人は逃げ出すからね。とりあえずは選挙応援で誤魔化さないと……」
溜息が出た。

「皆が卿をロクデナシ、根性悪、ペテン師、そう呼ぶ理由が分かったよ」
「私個人の利益のためじゃないよ、皆のためを思ってだ」
「それは分かるさ、宇宙の平和を守るロクデナシ、ペテン師か、冗談みたいな話だな」
エーリッヒが三度笑った。
「正義の味方なんて御伽噺の中だけだ。現実世界では見た事が無いね」
確かにそうかもしれない、でもな、エーリッヒ……、また溜息が出た。



 
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