とあるβテスター、奮闘する
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裏通りの鍛冶師
とあるβテスター、祈る
宿泊中の部屋に戻るなり、備え付けのベッドへと思いっ切りダイブした。
こんな風にダイブするといつも邪魔になる腰のナイフは、今日に限っては在庫切れだ。
よって、僕は部屋着に着替えることもせず、硬くもなく柔らかくもなくといった、微妙な柔らかさ加減の枕に顔を埋めた。
「───はああぁぁ……」
マントの下に装備している胸当てが邪魔だけど、ボタン操作一つで済むというのに、部屋着に着替える気力は湧いてこない。
暫くそうした後、うつ伏せの体勢のまま頭だけを起こし、部屋に僕一人しかいないことを確認。
再び枕に顔を押し付け、ここ数ヵ月で一番大きな溜息をついた。
「……、わっかんない、なぁ……」
枕の感触を頬に感じながら、シェイリの言っていた言葉を反芻する。
あれから。
彼女が一瞬だけ見せたと思われる表情を僕が見ることは、終ぞ叶わなかった。
───結局、僕は何もわからないままだ。
彼女がどういう心境で、クラインが僕に関わるように仕向けたのか。
彼女がどういう心境で、僕に怖がるなと言ったのか。
彼女がどういう心境で───ひとりは寂しいと、言ったのか。
僕には、わからない。
わからない、けれど───
───いなくなったりは、しない、よね?
手を繋いで。
僕は少し照れくさくて。
彼女が笑って。
そんな、いつも通りの───当たり前のような日常、当たり前のような姿が。
いつの日か、僕の前から忽然と消えてしまいそうな。
そんな───気がした。
そんなものは、僕の気のせいであってほしい。
そんなものは、僕の気のせいでなければならないはずだ。
だって。
もし、そんなものが、僕の気のせいではなかったとしたら。
その時、僕は文字通り───ひとりだ。
近付いてくる全ての人間と距離を置いて。
彼女以外の全ての人間を遠ざけて。
その彼女がいなくなった時、僕の元に残るものは───何も、ない。
何も、残らない。
本当の意味での───孤独。
考えられない。
考えたくない。
もし、そんなことが現実になってしまったら。
その時、僕は───
「……くっそ。最近ますますネガティブになってないか、僕。ここまで酷いネガティブキャラじゃないっつーの」
負の連鎖に陥りそうになった思考を、半ば強制的にシャットダウン。
リリアを真似て軽口を叩いてみたけれど、気分はそこまですっきりしなかった。
まあ、あれはリリアがやるから意味があるんであって、軽口で気を紛らわせるなんてそれこそ僕のキャラじゃないだろう。
「………、うーーーあーーーー!」
もやもやとした気分をエネルギーに変えるように、がばっと顔を起こし、勢いに任せて寝返りひとつ。
手頃な大きさだった枕を抱きかかえ、ベッドの上を左右にごろごろ転がってみる。
なんだかキャラが崩壊している気がするけれど、リリアはまだ裏通りで自分の世界に浸っているだろうし、シェイリは例の如く買い出し中だ。
いつもならそろそろ戻ってくる頃合だけど、今日の狩りでの消耗具合を考えれば、あともう少しくらいは時間的猶予があるだろう。
誰も見ていないんだから、誰の目を気にする必要もない。
存分にキャラ崩壊してやろうじゃないか。
「もーーー!もおおおおーーー!」
ごろごろごろごろ。
ごろごろごろごろ。
難しいことを考える余裕をわざとなくすように、奇声を発しながらベッドをごろごろ。
「わっかんねぇーーー!うあーーーーー!」
そうしているうちに。
ベッドをごろごろしているうちに。
頭の中のもやもやは相変わらず存在しているけれど、大声を出したことで、少しだけ気分がすっきりしたような気が───
「……何してるんダ、ユー助?」
「は?」
───してきたと思った、その時。
部屋には僕一人しかいないはずなのに、何故か入口のほうから声をかけられた。
「………」
動作停止。
思考も停止。
瞬間冷凍よろしく硬直する僕。
「イヤ……、ユー助も色々大変だもんナ、ウン」
「………」
……おかしい。
SAOの宿屋は基本的に施錠可能で、パーティメンバー以外の人間が誰かの部屋に入るには、その部屋に宿泊しているプレイヤーの許可が必要なはずだ。
だというのに、どこぞの情報屋特有の、コケティッシュな鼻音混じりの声が聞こえてきたのは何故なんだろうか。
キャラ崩壊上等で枕と一緒にローリングしていた僕としては、こんな姿を進んで誰かに見せたいと思うわけがない。
つまり、僕は許可を出していない。
イコール、今この部屋には誰も入ってこれない……はずだ。
僕以外は誰もいないはずの部屋。
何故か聞こえてきた声。
僕は誰にも入室許可を出した覚えはない。
よって、結論。これは幻聴だ。
「……一日に二回も幻聴を聞くなんて、疲れてるのかなあ」
「ユー助の境遇には同情するガ、現実逃避はお勧めできないナ」
幻聴に哀れまれてしまった。
「まア、オレっちも仕事を手伝わせた身だからナ。今のは見なかったことにしておいてあげるヨ」
「……、それはどうも……」
幻聴───もとい。
何故か僕の部屋にいたアルゴは、恩着せがましく言う。
その可哀想なものを見るような目をやめてほしいところだけど、口止め料をサービスしてくれるのはありがたい。
どうしてアルゴが僕の部屋にいるのかはわからないけれど、こんな姿を見られた以上、何としてでも口止めする必要があると思っていたからだ。
着替えもせずに奇声を発しながらベッドでごろごろしている姿なんて、シェイリに見せるわけにはいかない。
守ると言った手前、情けない姿なんて見せたくないからね。
僕にだって、譲れないものくらいある。
「それじゃ、お邪魔するヨ?」
「はーい」
「………」
一緒にいたのかよ。
一緒にいたのかよ!
────────────
「いやア。なかなか連絡がこないかラ、様子を見に行くところだったんだヨ。そしたらシーちゃんが買い物してるのを見かけてナー」
「るーちゃんがお買いもの手伝ってくれたんだよー」
「……そうですか」
楽しそうに笑うシェイリとは対照的に、僕の気分はどんよりとしていた。
どうやら買い物途中にアルゴと遭遇し、二人で買い出しを済ませてきたらしい。
僕とシェイリは同室に泊まっているため、一緒に戻ってきた彼女が入室許可を出してしまったんだろう。
思ったより早く戻ってきたことといい、アルゴが部屋に入ってきたことといい、運が悪かったとしか言いようがない。
「にしてもユー助、いつもこうやって年端もいかない女の子をパシってるのカ?オネーサン、ヒモはどうかと思うヨ」
「突っ込みどころが多すぎてあれなんだけど、とりあえずヒモじゃないから。あとその子僕と同い年だから」
自称だけど。
僕ですら未だに年齢詐称を疑っているけど。
ちなみに誤解されないよう弁明しておくと、毎回シェイリが買い出しに行くのは決して僕がパシってるからというわけではない。
SAOのストレージ容量は筋力値の影響を受けるため、彼女のほうがアイテムを多く持てるということで、いつの間にか買い出しはシェイリの役目になっていた。
……というか、交代制を申し出たら断られた。ユノくん力仕事は頼りないからだーめっ☆とか可愛く言われた。
そりゃあ敏捷値ばかり強化している僕と筋力値特化のシェイリとでは、持てるアイテムの量にもかなりの差が出てしまうけれど。
容量オーバーで二回に分けて買い出しするくらいなら、いちいち店と宿屋を往復する必要がないシェイリが行ったほうが効率的なんだけれど。
実は気にしていることをストレートに言われ、僕が密かにショックを受けたのは言うまでもない。
「にゃハハ、冗談冗談。大体想像ついてるヨ。ユー助が貧弱なのは今に始まったことじゃないからナ」
「そうなんだー?」
「ンー、ユー助にまつわるとっておきのエピソードがあるんだガ、1000コルでどうダ?」
「おい」
それβの頃の話だよね。βの情報は売らないとか言ってたよね、君。
「だから冗談だっテ。ユーモアのない男は嫌われるヨ」
「君の場合は本当に売り兼ねないから怖いんだよ」
「だいじょうぶだよ、ユノくん。るーちゃんは嘘つかないよ」
「ウンウン。るーちゃん嘘つかないヨ」
「……お二人さん、随分と仲良くなっていませんか?何かあったの?」
それにしても。
少し目を離した隙に、二人が妙に意気投合している気がする。
気が付いたら二人とも渾名で呼び合ってるし。
なんか妙な連帯感みたいなものを醸し出してるし。
買い物しながら雑談でもしていたんだろうか。
どうでもいいけど、アルゴなのに『るーちゃん』というのはこれ如何に。
アスナと被るからなのかとも思ったけど、それを言ったらリリアと妹さんも被ってるしなあ。
結構な時間を一緒にいるけれど、シェイリのネーミングの法則は未だによくわからない。
男の人を渾名で呼ぶところは見たことがないし、女性限定なんだろうか。
いやでも、そうなるとリリアをちゃん付けで呼ぶのは───あ、単に面白がってるだけか。
「えへ、ユノくんには内緒ー」
……そういえば僕、初めて会った時からずっとこう呼ばれてるなあ。
まあ、最初にそう呼んでくれって頼んだのは僕だし、そのほうが何かと都合がいいんだけど。
「まア、同じ乙女同士ってことで色々とナー」
「いろいろお話したもんねー」
「ネー」
「………」
なんだろう、何か無性に怖い。
僕のいない間に、あることないこと言われてたらどうしよう。
そのうち二人だけでこれ見よがしに内緒話とか始めちゃって、僕のほうをチラ見しながらクスクス笑ったりするようになるんだろうか。
もしそんなことになったら───あ、やばい、想像したら泣きそうになってきた。
あとアルゴ、乙女は人の弱みに漬け込んで金銭を巻き上げたりはしないと思う。
「とまア、そろそろ本題に入ろうカ。例の鍛冶師の件だヨ」
「あー……」
そういえば。
色々なことがあって忘れていたけれど、そもそもの目的はアルゴの助手(という名のパシリ)として、裏通りの鍛冶師の正体を探ることだった。
うーん、どう説明したものかなあ。
「……、結果だけ言うと、アルゴが嫌ってた男がリリアだった」
「ハ?」
少し迷った末、単刀直入に言ってみた。
やはりというかなんというか、アルゴは呆けた声を発しながら僕のことを二度見してくる。
「だから、アルゴにセクハラした店番の男がリリア本人だったんだよ。裏通りの鍛冶師リリア」
「……ユー助はあの男が女に見えるのカ?SAOに眼科ってあったっけナ……?」
「君の心中は察するけど、現実逃避はお勧めできないよ」
「………」
絶句、といった様子で硬直するアルゴ。
そりゃあ、まあ、当たり前の反応だろう。
名前だけ聞けば、誰もが女性プレイヤーだと思ってしまうに違いない。
まさか自分にセクハラしてきた目付きの悪い男が、巷で噂の女性鍛冶師の正体だとは思ってもみなかっただろうし。
「──そんなわけで、ソロから鍛冶師に転向したらしいよ───って、アルゴ?」
「………」
「……あの、アルゴさん?」
と、忠実に職務を全うした僕は。
目の前の小柄な情報屋が、プルプルと小刻みに震えていることに気が付いた。
SAOではありえないことのはずなのに、心なしか、アルゴの周りにどす黒いオーラが見えるような気が───
「……じゃあなんダ?オイラはそんな奴に胸を揉まれた挙句、『あー、論外』とか鼻で笑われたってのカ……?あの野郎、自分はネカマの癖しやがっテ……!」
あ、やばい。
これはやばい流れだ。
「……ねぇ、シェイリ。止めるべきだと思う?」
「んー、これはりっちゃんが悪いんじゃないかなー?」
シェイリに相談してみたものの、さすがの彼女もセクハラは看過できないらしい。
そうこうしている間にも、アルゴは何やらぶつぶつと呟きながら歯軋りしている。
まあ、僕も被害に遭ったし。
挙句に小僧だの何だのと色々言われたし。
こればっかりは仕方ないかな、うん。
「あのネカマ野郎ッ!一発殴ってくル!」
「いってらっしゃーい」
「……一応、死なない程度にお願いね?」
怒り心頭といった様子で部屋を後にするアルゴに、さらりとリリアを見捨てるシェイリ。
そんな二人に軽く恐怖を覚えながら、僕は心の中でシスコン鍛冶師の無事を祈った。
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