タンホイザー
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第三幕その五
第三幕その五
「私はもう。この世にはいられなくなった」
「言った筈。あの神は貴方を救いはしないと」
「そうだった。愛欲の女神を」
ヴェーヌスを見て言う。
「愛欲の女神よ。貴女の世界に再び」
「いかん、このままでは」
「タンホイザー」
騎士達は必死に彼を呼び止める。
「駄目だ、ここに留まるのだ」
「何としても」
「永遠に喜びの泉に満たされるように」
騎士達が呼び止めるその間にもヴェーヌスはタンホイザーを誘う。
「さあ今度こそ永遠に」
「我が救済は貴女の下にこそ」
「そう。だから」
「だから駄目だと言っている」
「思い出すのだ、苦難を」
騎士達はもうタンホイザーとヴェーヌスの間に立っていた。そのうえで彼を止めていた。
「敬虔を思い出すのだ」
「行ってはならない」
「快楽だ」
それでもタンホイザーの虚ろな言葉が出される。
「私にはそれこそが」
「さあ、ここへ」
またヴェーヌスが誘う。
「ここに来るのです。さあ」
「いけない、行ってはならない」
ヴォルフラムはとりわけ強くタンホイザーを止める。
「君は。何があっても」
「私を捨ててくれ!」
「駄目だ!」
「誰が捨てるものか!」
騎士達は自分達を振り捨てようとするタンホイザーをなおも止める。
「君の様な罪を犯した者も」
「恩恵は与えられるべきなのだ」
「救いが」
「救いなぞもう」
タンホイザーは騎士達の言葉を拒み続ける。そのうえで差し出されたヴェーヌスの手に向かおうとする。しかしここでヴォルフラムが言った。
「天使が君の為に地上にいるのだ」
「天使!?」
「そう、天使だ」
彼はタンホイザーに言う。
「天使が祝福を君に与えるのだ」
「そうだ、天使が」
「タンホイザー、君を」
他の騎士達もタンホイザーに告げる。するとタンホイザーは自然にこの名を口にするのであった。
「エリザベート」
「そう、姫だ」
「姫が君の為に祈っているのだ」
「全てを捧げて」
「私の為に」
それを聞いたタンホイザーの動きは完全に止まった。最早一歩も動かない。
「姫が。エリザベートが」
薔薇色の霧が次第に晴れていく。それのかわりに明るい光が見えて来る。それは無数の松明の光であった。タンホイザーも騎士達もその光が何なのかすぐにわかった。
「敬虔なる受難の娘より魂の救済が与えられた」
「タンホイザー」
ヴォルフラムがその光から放たれる無数の声を後ろにまたタンホイザーの名を呼んだ。
「天使は君の為に神の玉座に訴え出た」
「そして」
「タンホイザーよ」
「それは聞き届けられた」
「君は救われたのだ」
ビテロルフもヴァルターもラインマルもハインリヒもヴォルフラムに続く。今彼はここに救われたのだった。一人の天使によって。
「エリザベート、貴女は」
「もう一人の私が私を消した」
ヴェーヌスの姿が消えていく。その中で彼女の声だけが聞こえる。
「これでもう」
「天使は彼女の聖なる報い」
また声が聴こえてくる。先頭にはヘルマンがおり棺が運ばれている。そこに彼女がいた。
「天なる喜びの勝利」
「聴こえるな」
「あの声が」
騎士達がここでもまたタンホイザーに問う。
「聖なる声が」
「君の耳にも」
「聴こえる」
タンホイザーは今はっきりと言った。
「声が。天使を祝福する声が」
「清き人は聖なるかな。聖なる群れに加わりて永遠なる神の前に立てリ」
「彼女は罪人の為に泣き天の救済を請い願い」
「その罪人は救われる」
「聖なるエリザベートよ」
タンホイザーは静かに言った。
「我が為に祈ってくれ」
最後まで言うと膝をつき前から倒れた。そのまま動かなくなった。その彼を多くの者達が囲んでいく。そこにはヘルマンと騎士達もいた。
一人の巡礼がそこにいた。彼はその手に杖を持っていた。タンホイザーが先程まで持っていたあの杖だ。見れば今それに新緑の葉が生え茂っていた。
「救済は世に下された。それは夜の聖なる時に起こり主は奇蹟により自らを示し給うた」
「騎士が持っていた枯れたる杖は主が新緑で飾られた」
タンホイザーを囲む全ての者達が主と彼の救済を讃えていく。
「地獄の烙印を持つ罪人はこうして救済を新たに受ける」
「この奇蹟を通して恩恵を見出せし者の名を呼び伝えよ」
そして言われる。
「神は全ての世の上にありその憐れみは嘲りではない」
「恩寵の救済は懺悔者に与えられた。今より彼は天の平和に入る!」
ヘルマンと騎士達が跪き祈る。タンホイザーはその中央で祝福を受けている。救済を与えられた彼は今エリザベートのいる天へと向かっていたのだった。祝福を受けた世界に。
タンホイザー 完
2008・9・8
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