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季節の変わり目

作者:naya
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塔矢門下の研究会

 
 「アーキーラっ」

廊下を歩いていたところ、いきなり視界を遮られて不意を突かれる。背中越しの人物が誰かは最初から分かっていた。

「芦原さん、やめてくださいよ」

顔を覆っていた手を解いて犯人と向き合った。拍子抜けした感じで僕を見る芦原さんはがっかりしてこう呟く。

「お前、最近可愛げなくなったなあ」

僕はそれを「もう子供じゃないですから」と軽く受け流し、みんなが集う座敷へと再び歩を進める。芦原さんは何やらぶつぶつ愚痴をこぼしながら後についてきた。部屋の前まで来て、音をたてないように障子をゆっくり開けると、塔矢門下のみんなが碁盤を囲んで談笑している。

「芦原。お前にしては遅いな」

お父さんと喋っていた緒方さんが芦原さんに気づいて声をかける。芦原さんは笑ってスルーし、部屋に足を踏み入れた。もうすぐ研究会が始まる時間になる。緒方さんの隣に座ると芦原さんも僕の隣に正座した。

「な、アキラ。藤原佐為さんに会ったよ」

芦原さんはいたずらっ子のような微笑みを掲げて僕を覗きこんだ。その名前を聞いてすぐにあの美しい人が思い浮かぶ。

「え、なんで芦原さんが会ってるんです?紹介でもされたんですか」

芦原さんが藤原さんと関わり合いになるなんて、進藤たちに紹介されたとしか思えない。ある程度確信をもって尋ねると、僕の予想に反した答えが返ってきた。

「違う、違う。棋院の指導碁に彼が来たの。そしたら俺ぼろ負けしちゃって」

「ぼろ負け?芦原、お前一体何子置いたんだ」

こっちの会話を聞いていたらしい緒方さんが間髪入れずに口をはさんできた。他の人たちもそれを聞いて、僕たちの会話に参加してくる。

「四子ですよ」

みんなの視線が集まる中、芦原さんは得意げに告げた。いや、得意げに話されても困るのだが、そのくらい芦原さんは嬉しそうに喋っていたから。しかし、置き碁で負けるのは仕方ないだろうと僕はひとりで納得する。藤原さんは限りなくプロに近い実力なのだから。

「それで、49目差です」

「49目差!?」

その言葉にはさすがにみんなが吃驚した。緒方さんは今にも芦原さんに襲い掛かりそうな勢いだった。二人に挟まれている僕は一歩分座布団を後ろにずらしたい気分だ。しかし、49目差・・・。それは芦原さんと同等の実力を持っているということか? でも棋院の指導碁なら多面碁で打つはずだから、芦原さんは本気を出せなかったはず・・・。

「芦原君。それを並べてみてくれないか」

今まで沈黙を決め込んでいたお父さんが、みんなの動揺を落ち着かせるように静かに告げる。芦原さんは碁盤に置かれた二つの碁笥を手元に移動して、まず黒石を、星に打ち込んでいった。

夏ももう終わりで、この庭に棲みついていたセミの声も同じことだった。廃れたセミに代わるように新しい生き物が台頭してくる。都会だからキリギリスの声は小さいが、今、この静かな空間では、おのずと聞こえてきた。



 
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