| 携帯サイト  | 感想  | レビュー  | 縦書きで読む [PDF/明朝]版 / [PDF/ゴシック]版 | 全話表示 | 挿絵表示しない | 誤字脱字報告する | 誤字脱字報告一覧 | 

自殺が罪になった日

作者:hiroki08
しおりを利用するにはログインしてください。会員登録がまだの場合はこちらから。 ページ下へ移動
< 前ページ 次ページ > 目次
 

自殺が罪になった日

 二〇一九年三月六日。                 
 国会にて。                        
 胸を撫で下ろす与党議員と憤りの表情を隠せない野党議員――。                            
 以前まで絶大な力を持っていた既成政党が完全に影響力を無くし失脚した。そして、あの新党が台頭し維新を実現させていた。
 その第一党が国会の仕組みをバッサ、バッサと斬るよう に変えていく 中で。
 この日、一昔前では信じられない法律が可決された。   
 その法律は生命放棄阻止法だ。               
それまでの自殺対策基本法での対策は少しづつ自殺件数が減少してきたものの、毎年三万人弱のひとが自ら命を断つ現状は変わらなかった。これでは山本孝史議員が報われないと山本議員をリスペクトする与党の若手議員が端を発し。野党の反発と「極めて。乱暴。あってはならい法律」と 声を上げ抗議活動続けた人権団体の反対を押し切って可決、成立されたものだった。              
 こうして可決、成立された生命放棄阻止法の目的は。       
「過去十年、我が国においての自殺による死亡者が三万人弱で推移している。自殺対策基本法施行後、自殺総合対策大網策定、自殺対策加速化プラン策定、地域自殺対策緊急強化基金の造成などの対策を打ってきたが、この現状を打開するこができなかった。この事を踏めえ、自殺を防止する事は生半可な事では止められないと 国民全体が捉えるようになり。これまでの自殺行為を止めるという考えを捨て生命を放棄する行為ははあってはならないものでそれは罪に値し 刑法によって裁かれなければならない。という方針で取り組むこと によって自殺の概念を崩壊するのが目的である。また、生命放棄に追い込む行為、それを誘発する行為については以前よりも厳しく 処罰する」                    
 これは自殺対策基本法が成立して十年以上、政府が自殺対策をないがしろにしていたこと認め。
 また、その相談電話、その相談窓口、自殺対策強化月間のイメージキャラクターに売れっ子アイドルの起用が無意味であったことを認めた 日でもあった。
 
 そして、同一三日。
 生命放棄阻止法と。 
 刑法第二編罪、第四十一章、生命放棄に関する 罪                    
〈第二百六十五条、生命放棄未遂〉             
〈第二百六十六条、自傷〉                 
〈第二百六十七条、生命放棄文書及び遺品毀棄、偽造〉
が公布された。                
 また、附則として〈第二百二条の総称名を生命放棄関与及び同意殺人に変更する。
及びこの罪の上限の法定刑期を十年に引き上げる 〉 
 これも 同日に公布された。
 同年、九月七日に施行された。                                   
 
 その法律が施行され、一年が過ぎた。二〇二〇年一二月五日。                  
 大雪の北海道霧野市。                   
 北海道霧野地方裁判所。                  
 自傷罪で逮捕された女の裁判が行われていた。       
「判決を言い渡します。被告人、北原舞を懲役一ヶ月に処する。理由は被告人が執行猶予期間中にもかかわらず自分の手首を自分で切る リスト カット を起こしました。被告人は付き合っていた 男性との結婚話の破談による心の傷がまだ癒えてないとはいえ、前回から一ヶ月という早さで再犯をしました。それは家族、友達、職場の心配を無視するもので、このような事を何度も起こしてる現状を打破しないと 被告人の社会的信用、家族との信頼関係が断絶するする可能性が大きく なります。そうなると、あなたはますます自傷、生命放棄の願望が強く なります。あなたの人生は」     
「裁判長」                        
  三〇代ぐらいの若手裁判官は判決を言ってる裁判長が情を入れすぎていると思い指摘した。                    
「うん。被告人の人生はまだまだこれからです。あなたは器量が良いですし、人への思いやりの心が復活すれば良い出会いがまた来るでしょう。そのためにはこの懲役期間でしっかりと反省して下さい。北原さん。期待してます」           
「はい」                          
 彼女は小さく 返事をしてから 軽く 頷いた。         
  その時、年配の女性裁判長は先ほど指摘した若い男性裁判官を睨み付けた。                         
 それは「よく もさっきは私の邪魔をしやがって」と いう 事を意味しているものだ。
 その裁判官は目線を中央に座っている裁判長に向けていたが、その目線を彼女の肉親、数名しかいない傍聴席へと変えた。             
「では。以上が判決理由です。では、これで裁判は終わりますが何かお聞きしたいことはありますか?」             
 人情派の裁判長は目線を彼女に戻した。    
「ありません」                     
「そう ですか。コン。コン。コン」              
 木槌によって閉廷が告げられた。                                          
 
 そして、翌朝。                   
 彼女は母親の運転する車に同乗して刑務所まで来た。         
 その車は敷地に入るため門の前で止まった。      
 その門には〈灯野生命放棄阻止女子刑務支所〉と書かれた看板が掲げられていた。                   
 また、この刑務所は他の刑務所と 違って塀が無い。日本男性の平均身長ぐらいの人であれば簡単に進入できる高さのフェンスで敷地の周りを囲っている 。                  
 政府はこの刑務所を他の刑務所と一線を画したものにしたいという意向でこのような塀が無い刑務所を作ったが、国民の大半は「それなら罪にしないで、そのような施設を作り、そこで更生させた方が社会的信用を失わないで社会復帰できるのではないか」という ある コメンテーターの発言に賛同していた。    
 ごもっともな意見だが、一度やると決めた事を国民の意見などでふいにはできない政府はこの世論を無視した。       
 いくら自政党のメンツを守るためであっても「国民の意見は絶対に国会に反映させる」とマニュフェスト 書いた政党のやること ではない。  政府の体質は以前と変わっていなかった。          
 その車は男性の警備員に通行許可を得て、ベージュ色の門扉を開けてもらいそこを通過した。
  車を面会者専用駐車場に停め車から降りた彼女らは着替え類が入っているバックを手に持ち、その施設の玄関に向かった。       
 そして、彼女らは玄関口で待っていた若い女性刑務官に案内され施設内に入り、入り口からすぐの部屋に入っていった。                           
「こちらに目を通して、署名をお願いします」 
 席に着いた彼女は刑務官に言われたとおりに机に置かれた紙に目を通し、サインをした。                           
  その口調は世間がイメージする刑務官とは思えないほど優しいものだった。                       
 それも そのはず、この刑務所はPFI 刑務所[ 民間の経営能力や技術を活用し、 公共施設を建設したり運営したりする。プライベート・ファイナンス・イニシアチブ方式 の刑務所。
]でこの女性は大手警備会社の社員である。この刑務所で働く 刑務官四人は支所長、次長以外は国家公務員ではない、この刑務官、もう一人の刑務官は同じ会社の社員である。政府からのお達しで生命放棄阻止刑務支所の民間刑務官には精神保健福祉士の資格を有するものでないと 刑務官として働けないので、全国のPFI 刑務所に多く の民間刑務官を派遣するこの大手警備会社ではこのお達しを受けその資格を有するものを採用を急務で行い。なんとか、前の年のこの施設の開所時に全国に一二箇所あるうち、ノルマである六箇所に民間刑務官を派遣した。                        
  その後、刑務官は北原に対して入所時オリエンテーションを行った。                          
 その内容は、一日の流れ、心構え、禁則事項、禁則事項を破ったときのペナルティー、労働報奨金などについてだった。   
「以上です。質問はありませんか?」           
「ありません」                     
「では、受刑者と 刑務官を紹介するので食堂に行きましょう 」 
「はい」                        
「私は行ってもいいのですか?」               
 立ち上がりドアに向かって歩き出した刑務官に彼女の母親が尋ねた。                        
「はい。もちろんです」                   
 刑務官が先導し、その後に二人がついていく かたちで食堂に向かった。                          
 刑務官が食堂の扉を ガラ、ガラッという 音をたてて開けた。 
 そして、刑務官のあとにそこに入った彼女らにはテーブルの席に座っている受刑者たちの鋭い眼光が向けられた。           
 その眼光が放たれるテーブルを通り抜けて彼女と 母親はテレビの前まで誘導された。                  
  その前には他の刑務官たちが横一列に整列していた。     
 その刑務官たち が彼女と母親をその真ん中へ招きいれた。   
「はじめましょか?」                   
「はい。それでは始めます。まず、最初は北原さんに刑務官の紹介をします」                       
 この刑務所では受刑者を番号で呼ばない。
 彼女から見て右端の女性が左端のその刑務官に北原のための顔合わせ進行をするように促した。            
 「パチ、パチ、パチ、パチ」                 
 刑務官からの拍手の促しはなかったが受刑者から拍手がおくられた。これは慣わしであろうか?               
「では、最初は所長[ 実際の役職名は支所長なのだが、こ この受刑者、刑務官は所長と呼ぶ。
]お願いします」               
 その刑務官が右端の女性に顔を向けて自己紹介の依頼をした。
「私は支所長の長内です。ここは警備員さん以外は全員女性なのでわからないことがあったらみんな親切に教えてくれるので何でも 聞いてくださいね」 
 支所長は彼女に顔を向け話した。             
  「同性だからといってなんでも 聞けるとは大間違いだ」あの一件以降、擦れてしまった彼女はそう思った。
 ちなみに外にいた警備員も大手警備会社の社員だ。      
 この会社はこのような半官半民体制での矯正施設の運営が進んでいる中で当初は社員の派遣を独占していたが、年々ライバル会社にその権利を奪われているのであのような無理難題を押し付けられても二つ返事をしないと旨みのある官の仕事のシェアをライバル会社に譲ってしまう 事になる。                        
「はい。ありがとうございました。次は次長お願いします」   
 次長は支所長の隣に立っている。支所長と同じ四〇代前半の女性だ。                         
  その支所長、次長共に右胸に同じバッジをしていた。    
  このバッジは看守長のバッジだ。              
 女性刑務官は人数が少ない上に早期退職者が多いため看守長に昇進すれば即、女子刑務支所の支所長か次長のポスト につけてしまう。
「はい。次長の神埼です。先ほど説明を受けた通り、なれない酪農作業になりますが牛達にたくさんの愛情をもらって刑期を終えれるように頑張ってくださいね」            
 この刑務所ではこの建物に裏にある牧場で刑務作業を行う。 
 生命放棄刑阻止刑務支所の刑務作業は農作業または酪農作業をする事と法律で定めている。                   
 これは自然を感じて青空の下で作業することで心を開放し自殺願望の抑制をねらいとしてる。
 夏時期は厩舎作業に加えてデント コーン[ 繊維質の少ないとうもろこし]の栽培などを全員が外に出て作業をする。しかし、この時期のこの地方は外が雪で包まれてしまうので、厩舎作業組と 乳製品加工組に分かれて作業をしている。              
「ありがとうございました。次は滝井刑務官お願いします」   
 滝井は彼女の左隣にいるの女性だ。          
「はじめまして。滝井です。刑期を有意義な時間にできるよう頑張ってください。私も出来る限りの事はさせてもらいます。一緒に頑張りましょう」                 
「ありがとうございました。恐縮ですが次は私が自己紹介します。先ほども名乗りましたが、水本といいます。北原さんとは同じの三〇歳なので分かりあえる部分が多々あると思うので一緒に頑張りましょう」                           
 ちなみに 滝井も彼女らと同じ年齢だ。          
 同世代だからといって多くを分かりあえる。そんな正常な思考を持っていたら彼女はここに来てない。           
「じゃあ。北原さん。みんなに自分の紹介をおねがいします。差し支えなければここに来た経緯もお願いします」         
「はい。北原舞です。私はリストカットを繰り返しここに来ました。酪農作業は大変だと聞いていますが、精一杯がんばって罪を償いここを出て行きたいと思うのでみなさんよろしくお願いします」                         
 依然として、彼女らに向けられてる眼光にも臆せずに受刑者達に語りかけた。                        
  そして、彼女のほかに九名いる受刑者達も それを語った。            
「はい。では、これで終わります」              
 三〇分を超える顔合わせは終わった。           
 「お母さんではこ こでしばしのお別れという事で」       
 所長が母親に近づき帰るようにを促す。         
「舞。がんばりなよ。じゃあね。また来るから」       
「うん」                          
 彼女は無表情なまま頷いた。              
  母親が帰り、食堂では食事の準備が進んでいた。       
 そして、彼女は昼食を終え、説明を受けた部屋に置いた二つのボストンバックを水本に片方のバックを持ってもらい自身の寝起きをする部屋に運んだ。               
「北原さん。あとは前野さんに聞いてね」         
「前野さん。よろしくね」                
「はい」                          
 この刑務所は十二人が収容でき、二人部屋が六部屋ある。
 水本が部屋から 出て行き。彼女は入り口から見て左側に設置されているスチール製のロフトベットの下の空いてる スペースに荷物をおいた。              
 すると。                       
 「ねぇ。カレンダーめく って」                
 彼女の反対側のベットに横たわる前野はその部屋のドアの内側に貼っているカレンダーを指差した。                   
「はい」                          
 彼女はその日めく りカレンダーに歩み寄った。        
 そこには。                      
 〈「重い」っていう言葉を誠意を持って叱ってくれる人や献身的に人に接する人に対して言われるようになったけど、人を支える力が無いやつの負け惜にしかに聞こえないし、そんなことを言う奴は人を持ち上げる力の無い奴だ。そんなお前には人間の器をでかくするキントレが必要だよ〉           
と書かれていた。                      
 彼女はそれを頷きながら見て含み笑いをした。前の男を思い出したのだ。                       
 これを書いているのはという書家詩人である。近年ポジティブなポエムが人気を博する中、自分の想念の力を信じて岐路灯イズムを貫く。その言葉達に魅了されるものは少なく ない。刑務所までにそのカレンダーを持ち込んだ。前野もその一人だ。                        
 彼女はそれを慎重にはがした。                
 次に現れれた文字は。           
 〈立ち止まんな。そこ には何もないから鮭みたいに死ぬまで動き続けるしかない。足を止めてしまったら後悔と嫉妬しか生まれないよ 〉  
 彼女はそれを時間をかけて目を通した。           
「これ。どうするんですか?」               
その後、彼女はどう みても年下の前野に敬語で語りかけ、手に持ったさっきのカレンダーを前野のに見えるように上にあげた。           
「こっち」                          
 依然としてベットに横たわり彼女に顔を隠すように両手でマンガを持っていた前野はマンガの位置を変えないでマンガを片手で持ち、空いた右手を伸ばした。                     
「はい」                          
 身長一六三センチの彼女はそのベッドに近づき、爪先立ちでベッド柵の上からその手にカレンダー渡した。       
「このカレンダーいいでしょ?」              
「そう ですね。なんか自分の気持ちを代弁してくれてるみたいでいいですね」                     
「あんた。鮭なの?」                    
 前野はマンガから目を出していた。             
「そっちじゃな く て。重い方」   
 彼女は印字されてる方を上に向けて枕元に置いてある二〇センチぐらい四方のそのカレンダーを指差した。                           
「冗談だよ。なんか気が強そうな顔立ちしてたからあんまりかかわりたく ないと思ってたけど。なんか気に入ったから色々教えてあげる」                        
「うんありがとう」                  
 「ところで、あんたいく つ?」           
 「三〇」                         
「そうなんだ。結構おばさんだね。私ははたちなんだけど。敬語使わなく ていいでしょ?」               
 「まあいいよ。呼び方はなんて呼べばいい?」 
「雫だからしずく でいいよ」                
「しずく って言うんだ。私もまいでいいよ」         
「うん」                          
 友達が出来たところで一二時四五分までの昼休憩が終わった。                          
 昼休憩が終わり、厩舎作業をするため支給されたつなぎを着用し、同じく支給品の酪農作業用のゴム手袋をはめて厩舎へと 水本の付き添いで除雪された道を通り厩舎へ向かった。   この刑務所では作業のときは支給品を着用するが、作業以外では私服を着て良いことになっている。           
「く さ っ」                         
 彼女は小さな声で呟いた。                    
 厩舎内に入り。厩舎独特の臭い、牛糞の臭いが彼女を襲った  そこには受刑者四人とさっきはいなかった年配の男性がいた。 
「この方は北海道知事認定就農ヘルパーの大和さんです。大和さんは自らも牧場を経営していて、こ この新人指導の講師をやってくれています」                      
 彼女にその男性の紹介が始まった。しかし、彼女は水本の説明より牛たちに興味が沸き、水本に気付かれないように目を牛のほうに動かした。            
「はじめまして、大和です。厩舎作業は肉体的にきつい仕事ですが、まずはこの臭いのきつさに慣れる事です。一周間位でみんな慣れるんでそれまで我慢してください。まあ。私のような生まれてから六〇年この臭いをかいでいれば芳香剤のようにしか感じませんけどね」                    
 彼女は次に牛の数を数えた。                
 自分の年と 同じ三〇だった。                 
 それをおかしく 感じて彼女は含み笑いをした。     
 彼女の職は小学校の教諭なのだが、これでは生徒と 同等の聞く 態度である。                     
「北原さんが笑ってくれたところで。でははじめましょう」  
 彼女のその笑いに感付いた大和は手ごたえを感じ てしまった。
「おねがいします」                     
 彼女は糞の臭いに顔を歪めながら、必死に大和の指示通り、 糞と汚れた藁を溝に落とし、新しい藁をひいた。      
「やるじゃない。はじめてでここまでやれたら立派だよ」  
「はい」                        
「搾乳まで時間があるから、施設に戻って休憩していいよ」  
「はい」                         
 彼女は先に作業を終え、前を行く 受刑者たちの背中をみながら 刑務所に戻った。                  
 食堂で休憩を取る彼女たち――。             
  彼女は他の受刑者達の輪に入れず、別のテーブルでポツンと座っていた。                           
 友達の前野は地元農協の乳製品加工センターに働き に行ったのでこ こにはいない。  
 洗礼を受けた彼女はすること が無いのでその輪のリーダー格の女がつけたテレビを見ていた。               
 テレビのワイド ショー番組では生命放棄阻止法、関連の事が取り上げられていた。                      
「生命放棄阻止法ができて一年が過ぎて世間の生命放棄への考え方が大きく変わりましたが、杉田さんはどのよう に思われますかか?」                    
 その番組の司会、薄野は生命放棄阻止法の問題点について専門に研究をしている杉田に意見を求めた。                
「そうですね。確かに罪になったこと で生命放棄は絶対に許さないという 風潮が出来たというのは今まで世間が自殺を黙認していたことに比べれば この法はいい方向に進んでいると 思います。しかし、生命放棄阻止刑務所の定義のあいまいさや路上生活者の生命放棄阻止刑務所に入りたいがための生命放棄未遂、自傷の多発。生命放棄防止報奨金欲しさの警察への虚偽通報及び同じ く その報奨金欲しさの医師による過剰申告が問題になっているのでそこを見直さなければならないピッ」            
 彼女がごもっとも だと頷きながら見ていたのを気に食わなかったのか? そのリーダー格はテレビを消した。         
 政府のお達しでテレビ局各社は自殺と いう 表現を使わなく なった。
 しばらくして、休憩が終わり。その集団にきづかれないように彼女はその後ろを歩き厩舎に向かった。          
  厩舎には先ほどまで刑務官の制服を着て北原の作業を監視していた水本が受刑者と同じ青色のつなぎを着て受刑者達を待っていた。                          
「さぁ。はじめましょうか」                 
 水本はみなの顔をみて厩舎組全員を確認してから手を叩いた。            
 大和はの自分の牧場の搾乳があるので帰った。         
「北原さんはこっち」                   
「はい」                          
 みながおのおの持ち場に向かい作業に取り掛かる中、不安な表情を浮かべている彼女に水本は微笑みを浮かべながら声を掛けた。                         
「じゃあ。搾乳作業を教えるね。まずは牛さんたちに餌を与えます」                          
 水本は手本を見せたあと、彼女にそれをやらせた。    
 「次は搾乳機つけるからね」                 
 タンクへと繋がってるパイプラインの先には搾乳機がついてる。それを牛の乳につける。水本はいとも簡単にそれをと り つけるのだが、彼女は勝手がわからないのと搾乳機の重さに四苦八苦した。                   
「おつかれさま。最初なのにすごいよ」                        
「いえ。腕がパンパンですんなりはまらなくて」       
「そうか。そうだよね。でも慣れだよ。それに刑期終わる頃には筋肉がついて二の腕ひきしまるよ」           
「はい」                         
「じゃあ。戸締りして帰ろうか」              
「はい」                          
 北原は水本から戸締りのレクチャーを受けた。       
「明日からは私は付き添わないから。でも心配しないで笹川さんがいるから」                     
 「はい」                         
  その笹川のことが一番の心配事であった。          
 彼女は刑務所に戻り、自分の部屋に着替えを取りに行ってから浴室に向かった。                   
  浴室に着き。
「遅いよ。はやく つなぎ入れなさいよ」          
「すみません」                       
 ゆっく り来た訳ではないが彼女はリーダー格の笹川につなぎを洗濯機にいれるようせかされた。             
「笹川さん。戸締り教えたからちょっと遅く なっちゃったの。 そんなにおこんないで」                  
「そうなの。まあ。最初だから、これ以上はいわない」      
 水本は彼女をフォローし、手に持っていたつなぎを洗濯機に入れて脱衣場を出ていった。                        
 その集団が脱衣を済ませ、浴室に向かった。        
  それを見た彼女はほっとした表情を浮かべ脱衣を続けた。  
  彼女はその臭いのつなぎを洗濯機に入れ、脇に置いてあった洗剤を手にして、その中に入っていた。洗剤スプーンに洗剤をすり切り一杯入れて、洗濯槽に溢れているつなぎを手で押し込めそこに洗剤を投入した。                  
  その蓋を閉め、ボタンを操作して洗濯機を回した。
   彼女はエラー音が鳴らなかった事に胸を撫で下ろして浴室へ向かった。                        
  その洗濯機の蓋にはマジックでデカデカと〈つなぎ〉と書かれていた。彼女はあの女の筆跡などわからなかったがせっかちなあの女仕業ではないかと思った。           
 「何してたの? ご飯の時間決まってるんだからね」      
 浴室に入り。早々、始まった。              
「すみません」                     
 「私はロスが嫌いなのよ。お願いだから私の嫌な事しないで」 
「ごめんなさい。気をつけます」               
 彼女は笹川の説教を真摯な態度で聞いているふりをして「お前ががここ に来てる事はお前の人生のロスじゃないのか?」と笹川を心の中で卑下していたら笑いたいという感情が沸き起こり噴き出しそうだったがなんとかポーカーフェイスを維持した。                            
 この後、ロスが嫌いで人をせかす事が大好きな笹川の餌食にこれ以上ならないように急いで全身を洗い浴槽には浸からず浴室を出た。                         
 この甲斐あって濡れ髪の彼女は集団とほぼ同じ時刻に食堂に入った。                         
「いただきます」                      
 そこには加工組と水本以外の刑務官で作ったと見られる夕食が用意されていた。                                 
 上座から、刑務官、加工組、厩舎組という席割りで三つのテーブルにそれぞれ座ったので彼女は気詰まりな感も否めないまま食事をした。
 しかし、その食事はおいしかった。彼女は久しぶりに体を動かした事で素人が調理をしたハンバーグを高級店のステーキハウスで食べたハンバーグの味と同等に感じた。           
 「ごちそうさまでした」    
 食事が終わり後方付けは厩舎組がすることになっていた。 
 「北原はテーブル拭いて」                  
 笹川が彼女に指示を出した。                
 笹川は後方付けをせずに北原の監視をしていた。 
「うん。可も無く 不可も無くだから。この調子であしたもやってね」                           
 そうじを終え、北原に評価が与えられた。         
「はい」                          
 彼女は食堂をあと にし自室へと向かった。         
「あーあ。疲れた」                    
「おつかれ」                        
 その途中に彼女の耳元に会話が聞こえてきた。       
「北原は結構使えるよ」                  
 会話を無視して部屋を素通りしようと思ったが彼女の名前が出てきたので、ド アのスモークガラスから気配を察知されないよにド アから少し離れた場所に立ち止まり、その会話を聞く ことにした。                       
「そうなんだ。じゃあ。高山みたいに泣き言は言わないね」  
「でも、早速おやびんに怒られてたよ」          
「何。おやびんって。もしかしてあのうるさいおばさんの事?」 
「そうだよ。いいあだなでしょ?」             
「うん。でも必要以上にいじめてたらちゃんと止めなよ。この前は所長が揉み消したから本社に連絡されないで済んだけど」 
「うん。高山のときはおやびんのベルトコンベアいじめがおもしろかったから見てみぬふりしちゃったんだ」       
「もう。さきはいじわるなんだから」            
「だって。塀はないけどこんな牛しかいないところで働かされたら、何かおもしろいことでもないとやってられないって」  
「うん。そうだね。ねえ。北原って男に捨てられてリストカッターになったんでしょ」                  
「そうだよ。小学校の教師やってたのにさ。バカみたいだよね。男の免疫がなさすぎたんじゃない。ああいう頭よさ げな子によく あるパターンだよね」                  
「どう でもいいけどあんた髪臭いよ」            
「う そっ。こられから自衛官と合コンなのに。まあいっか。家帰ってシャワー浴びてからいこ 」                   
「また?」                     
「あんたみたいにイケメン警察官つかまえてないから。早く 新しいの見つけないと。夜がさびし く てしょうがない」    
「さきはレベル高すぎるんだよ。私ぐらいのイケメンでがまんしないと」                       
「みえの彼氏ぐらいだったら ストライクだよ。でも、これだけ合コンやってもじゃがいもみたいなやつしかいないんだよ 」                   
「じゃがいもはカレーとポテサラ で充分ってか」       
「イエス。さあ。シャバにでるか」              
 水本と滝井がその部屋から出ようとしたので彼女は慌てて自室へ向かった。                        
 部屋に入り。彼女は気持ちを落ち着かせてから、義務である日記を書こうとベットの下にある机のイスに腰掛けた。          
「まい」                          
 しばらく して、前野が部屋に入ってきた。         
「なに?」                         
 前野の呼びかけにペンを置き、後ろを振り返った。    
「洗濯したの?」                      
 空の洗濯籠のなかにお風呂道具を入れた濡れ髪の前野が立っていた。                          
「してない」                      
「してきな。消灯まで終わらせないと警備員に怒られるよ」  
「どこ?」                        
「食堂の手前を左に曲がったと こ ろ」          
「お風呂の反対だ」                    
「うん」                         
「いってきます」                     
「今。一台あいてたから。直ぐにまわせるよ」        
「うん」                          
 前野のアドバイスで洗濯物を入れた紙袋を右手に提げて洗濯場に向かった。                       
 食堂に差し掛かったところでその中から島田紳助の声が聞こえた。
 それが気になりその扉の窓から中の様子をうかがうとあの女がテレビの前にイスを移動させ、そこに腰掛けテレビを見ていた。手下達三人もその女の後ろを陣取っていた。       
 彼女は気配を気付かれたらめんどくさい事になりそうだったので足音を立てないようにその場から立ち去った。       
 そして、洗濯場に着いた。
 そこには洗濯機四台が並べられている。その上には乾燥機四台が設置されている――。                   
 そこに着いた彼女は空いていた一番手前の洗濯機に洗濯物をその袋から取り出し、洗濯槽に入れてからその脇にあった洗剤を入れ洗濯機をまわした。                 
「ねえ」                          
 彼女は正常に動いたのを確認してその場から離れようと思ったら、食堂の方から彼女に近づいてくる水色のセーターとフリルのついたカーキー色のロングスカートを着てる女性が話し掛けてきた。
「何ですか?」                      
「作業きついでしょ?」                  
「そう ですね。あのう。名前忘れちゃったんですけど」   
 彼女は受刑者の自己紹介のとき鋭い眼光で彼女を見てくる 受刑者が依然多かったので目線を下に落として他の事を考えていた。よって受刑者の話を聞いていなかった。                 
「高山です」                       
「あっ。よろしくお願いします」                      
 彼女は刑務官の会話を盗み聞きした時に出てきたあの高山だと 思って動揺した。                      
「こちらこそよろしくお願いします」            
「ところで高山さんはいくつですか?」            
 彼女は会話が終わってしまいそう だったのでとりあえず年齢を聞く ことで会話をついないだ。                  
「三五です。北原さんは?」                
 彼女は同じぐらいかそれより下だと勝手に予想していたがロングヘアで落ち着いた雰囲気の童顔、高山は結構、年を食っていた。                        
「私、三〇です」                     
「そうなの? ごめん同じぐらいだと思っていた」      
「そんなにふけています?」                
「そうじゃなくて。見た目では二十後半ぐらいだと思ったんだけど。食事のとき、あのメンバーと座ってるのに普通にしてるからすごいなと思って、勝手に同い年だと思ったんだ」  
「そう ですか。洗濯見に来たんですか?」
「それもあるけど私、友達いないから作業終わったら、すごく暇なんだよね。お願い。友達になって」                            
 高山は深く 頭を下げた。                 
「なりますから。頭上げてく ださいよ。」          
「ありがとう」                      
「みんなにこんな頼み方してるんですか?」         
「いや。北原さん。優しい目してたから」          
「そんな。優しいだなんて。私優しく なんかありませんよ」  
「絶対優しいよ」                     
「おーい。何やってんの? さとみちゃん」          
 食堂の扉から顔を出して彼女達の方を見る奴がいた。    
 笹川だ。                        
「話してるだけです」                   
「そうなの。さとみちゃん。あなたはジャージかスウェット しか着たら駄目だって言ったでしょ」              
 そういえば、高山は食事のときジャージを着用してた。   
「すみませんでした」                   
「うん。わかってるならいいよ。今度そんな可愛い服きてたら、またストリップさせちゃうぞ」
  笹川が高山を脅した。
「はい。気をつけます」                  
「宇美子さん。CM終わりましたよ」            
 食堂の中から手下の声が聞こえた。その声で笹川は頭を引っ込め、扉を閉めた。                 
「えっ。何。スト リップって?」
 彼女は扉が閉まり、すぐ 高山を問い詰めた 。             
「スト リップはスト リップだよ」            
「それ。いじめじゃん。刑務官にいったの?」        
「言ったけど。あの人たちが口あわせしたから、私が嘘ついたことになったんだよね」                  
「あのバカ刑務官なら そうなっちゃうよね。でも騒ぎになったんじゃないの?」                     
「何で知っるの?」                    
「ちょっとね」                      
「それはストリップじゃなく て厩舎の時のやつ。私が搾乳おそいから糞落とすみぞに落とされたんだ。あの下ベルトコンベアになってるの知ってる?」                 
「そうなんだ。知らなかった」                      
「行き先は肥料にするため糞の堆積場。そこ に乗せられて笹川さんがそのスイッチ押して私が運ばれてるのを突然入って来た大和さんが助けてくれたの」                
「あいつ最低」                      
「でも笹川さんも堆積場には入れる気はなかったと思うんだ」 
「そういう問題じゃないの」                
「刑務官は見てみぬふりしたんでしょ?」           
「あのときは別のところにいたって言ってたんだよね」    
「それを見てみぬふりっていうの」             
「そうなんだ」                       
 高山は落胆した。                    
「そうなんだじゃなくて。このままじゃだめだよ。よし。作戦立てよ。私の部屋に来て。作戦会議だ」           
 彼女は笹川をこらしめ作戦を考えるべく、自室へと戻った。   
 彼女らがその途中に食堂の前を通ると。          
「お二人さん」                       
 奴がまたそこから顔を出した。              
「はい」                          
 気詰まりした表情の高山が答えた。            
「おやすみ」                       
「おやすみなさい」                     
 彼女は首を下に動かしただけだった。           
「北原先生。朝六時だから遅れないでね」           
 あの刑務官達が洩らしたのであろう。           
「はい」                         
「宇美子さん」                      
「はーい」                         
 笹川は地声のハスキーボイスよりも低くした声で返事をして、顔を引っ込めた。                     
「いこ」                          
 彼女は笹川の顔がその中に入った後も そこから動かない高山に声を掛けた。                      
「着替えてく るね」                    
「うん」                          
 彼女の自室の前に着く と高山がそう言って、その場から離れた。                           
「まい。何してた? 遅いじゃん」                     
 彼女が部屋に入ると前野がベットの上から話しかけた。   
「高山さんと話してた」               
「えっ。あいつ。舞に話しかけてきたの!  止めな。あいつと付き合うのは」                       
「なんで? いじめられてるから」             
「そうに決まってんじゃん。まいはここじゃ先生じゃないんだから。変に正義感見せるとまいもいじめられるよ」      
「みんな知ってんだね。言ってないのに」          
「水本が秘密ねっと か いいながら笹川に言ってんの聞いちゃった」                           
「そうなの。でも正義感とかじゃなく てだめなことはだめじゃん」                           
「それが正義感っていうの。こういうとこは正義なんてないの。ルールに従わないと地獄みるだけ。優等生のまいには理解できないかもしれないけど これが現実なの」
「じゃあ。私がルール作る」                
「もう いい」                        
 前野は枕元にあったマンガを手に取り顔を隠した。      
 それから数分が経過し、彼女は机に向かい日記をつけていた。
「コン、コン」                      
「はい」                          
 彼女がノックに声を返した。               
「高山です」                       
「入って」                         
 高山がおもむろに入って来た。              
「早く 閉めて」                       
 彼女は笹川を警戒してドアを直ぐに閉めさせた。    
「上がろうか」                       
 彼女は自分のベットの上で作戦会議すること に決めた。     
 ベットの上で会議を始めた二人は中々いい案を出せなかった。
「ねえ。つなぎのポケットにレコーダー仕込んでいじめの現場押さえたら」                        
 彼女を見捨てたはずの前野が隣のベットから助言をした。  
「ナイスしずく。でもレコーダーないよ」          
「私の貸してあげるわよ」                  
 この刑務所の入所時に持ち物検査はあるが、持ち込みが禁止 されてるのは刃物類と携帯電話だけだ。            
 それと無駄毛処理用剃刀のI 字型は禁止されている。   
「何で持ってんの?」                   
「弁護士に禁止されて無いなら身を守るために持っていった方がいいよ。っていわれた」                  
「確かに。何されるかわかんないからね」           
「そっち行っていい?」                  
「寂しかったんだろ。いいよ」               
「うん」                   
 前野は二人のいるベットにあがり二人の間に割って入ってそこに座った。                       
「狭いね」                        
「好きであがったきたんだからそういう事いわない」     
「すいません。先生」                   
「ばかにしてんな」
「やめなって」                       
二人のいざこざを高山がとめた。            
「それでどうする?」                    
 彼女のことばで本題に入った。              
「笹川さんは朝はいそがしいからそういう事しないけど。午後の厩舎そうじのときにやるんだよね」       
「そう。そう」                      
「しずくもやられたの?」                 
「ちょっとね。でも、手下になるふりをしたらやらなくなった」
「私も手下になったんだけど酷くなる一方だった」      
「高山さんはト ロいから」                 
「コラッ」                        
「先生。ごめん」                     
「じゃあ。明日の午後のそうじで決行するわ」        
「どうやって?」                      
「わざと遅くやって。笹川を怒らせて高山さんのストリップの事を自白させる。どう? 完璧でしょ?」         
「うん。完璧だけど気をつけなよ。味方はいないんだから」  
「頑張りますよ。先生は」                 
「じゃあ。レコーダー渡しとくね」              
 作戦会議ぎが終った。                   
 この後、彼女はI Cレコーダーのレクチャーを前野から受けた。                           
「これでバッチリだな」                  
「まい。乾燥にいれてきてないでしょ。早く 入れないと十時になるよ」                          
 前野に言われ、急いで洗濯場に向かった。          
 これを見た高山も部屋に戻った。              
 洗濯場から戻り、さっきから二度の中断をしている日記に取り掛かった。                       
「これが成功したら住み心地が良くなるね」          
 彼女のイスの後ろに自分のイスを持ってきてマンガを読んでいる前野が話かけてきた。                   
 すると。                        
「コン。コン」                      
「さとみちゃん?」                     
 彼女がそのノックの主に質問した。            
「違う。大島だ。開けろ」                 
「はい」                          
 彼女がそこに駆け寄りドアを開けた。           
「これ」                          
 大島は彼女のつなぎを差し出してきた。         
「はい」                          
 彼女はそれを受け取った。                
「明日からあんたが乾燥やりなよ」              
 大島は無愛想な話し方をしてその場から去っていった。   
「何。あいつ。パシリのく せに人に命令して」        
「うん。でも、大島だってかわいそうだよね。好きであんな奴の手下になってるわけじゃないんだから」          
  彼女は前野のと会話しながらも奴がいるのではないかと思い、廊下のようすをうかがい異常がなかったのでドアを閉めた。     
「先生は優しすぎるの。いじめは周りにいるやつらも同罪んだから。あいつらも潰すつもりでやらなきゃ。先生がやられるよ」
「だから先生はやめろって」                
「はい。先生」                      
「あんたいいかげんにしないとおこるよ」           
 じゃれあい後、彼女はやっと日記を書き上げ、乾燥後の洗濯物を畳み、明日の支度をして消灯し就寝した。         
 時刻は九時五〇分だった。                 
 この刑務所は通常、朝九時から夜六時までしか刑務官がいない。                            
 その他の時間は警備員一名が巡視をおこなう。       
 職員がいなくなることは責任問題の面ではあってはならないが、国家公務員の刑務官が国家公務員の大幅削減により減少し、刑務所の維持費の予算も減らされるている状態なので。近隣住民に害を及ぼすことがないであろうこの刑務所の人間配置はこんなに手薄なのである。
                                                
 翌朝。                         
 彼女が目を覚ました。                  
 ドアの上の壁に掛けられている刑務所備品の時計はまだ、五時半だった。              
「ああ。痛い」                       
 もう少し寝たいと こ ろだが、前日の筋肉疲労で腰から背中にかけての筋肉、両腕の筋肉が悲鳴をあげ、彼女の睡眠を妨げる。
「起きるか」                       
 彼女はしばらく、ボーっとしたあと動き出した。                 
 ベットから降り、身支度を整え、トイレで洗顔してから厩舎に向かった。                       
「おはようございます」                  
 時刻は五時五〇分ぐらいだが、そこにはもう奴らがいた。  
「えさやり始めて」                     
 大島が前日と同じ態度で彼女に接した。         
「はい」                          
 彼女はえさやりを始めた。                 
 一人六頭の牛を担当する。                  
 しかも毎日同じ牛を。こうしたほうがいいらしい。       
「搾乳機つけようか」                    
 一番作業の遅い彼女に気をつかうようなタイミングで笹川がみなに声を掛けた。                     
 意地悪い奴だが仕事との線引きはできている。        
 その後、搾乳が終わり。朝の仕事が終わった。        
 彼女は刑務所に帰り、つなぎを脱ぎ、手洗いを済ますと、食堂に急いだ。それは奴の餌食にならないことだけではなく 空腹を抑えきれなかったから でもある。                
「いただきます」                      
 直後に彼女はごはんをかきこんで食べた。          
 こんなのは大学のテニスサークルの合宿以来であった。   
「ごちそうさまでした」                   
 後方付けはまた厩舎組みだった。              
 この日は笹川の監視も無く、伸び伸びとテーブルを拭いた。  
 笹川はせっせとテーブルの下をほうきで掃いていた。     
 方付けが終了すると一時間の休憩だ。             
 この休憩は定時に来る集乳車の時間まで搾乳を終わらせないといけないため搾乳組は六時の起床を義務付けられている。それに対して加工組は七時起床で朝食作りをするのでその差を埋める為の時間である。                          
 彼女は部屋に戻った。話し相手は仕事にいって、する事がないので寝る事にした。                      
 そして。                       
 「北原さん。もうみんな行ってるわよ」            
 彼女は水本の声で目を覚ました。              
 そして、彼女は水本と共に厩舎に駆け寄った。      
 厩舎に入り、彼女は笹川に罵声を浴びせられるのではないかと思ったが笹川は何も言わなかった。              
 この時間は牛の体調を調べる時間だ。            
彼女は水本にチェックする点を教えてもらいながら自分の班の牛達を見て回った。                   
チェックは一〇分ほどで終わり、異常が無かったので刑務所に戻った。      
刑務所に戻り。お次は昼食作りだ。             
昼食作りのまえに牛臭く なった手を入念に洗うよう水本に言われた。                     
彼女はその際に食堂の掛け時計が目についた。        
一〇時半だった。                     
次に彼女はエプロンをし、まず、炊飯を任された。                  
 彼女はここに入る前、同棲をしていたので米を研ぐことなどお安い御用だと思っていたが、さすがに一升の米を研ぐのは容易いものではない。中々水が透明にならない。         
研ぐ事十分水が透明になってきた。             
 その後は釜に水をいれ、炊飯なのだが、家庭用と違ってI H炊飯器ではなく ガス釜なので勝手が分からない。                 
 炊飯を任されたときあんなに自信満々な顔で取り掛かったのに彼女は申し訳なさそうに水本にそのやり方を聞いた。    
水本の指示で彼女は釜をガス部分に設置し、蓋をして、ガスのスイッチを押した。                   
 それを押し続けるとチッチッチッチッという音が鳴り次にボッというガスの大きい音が聞こえ、ガス部分の隙間から青い炎が見えた。         
彼女はそれらが怖かったので後ろに仰け反った。        
 その後彼女は炊飯で戦力外だと判断されたので調理はさせてもらえず、野菜を切ったり。食器を出すなどの簡単な事しかやらせてもらえなかった。                  
 一方笹川はこの日のメニュー親子丼の親子の部分を慣れた手つきで調理をした。                    
  彼女はそれに嫉妬した。               
「北原。チーズ班呼んできて」                
 彼女はちょっと前に帰ってきた加工組の班員を各部屋から呼んでくるように笹川に言われた。             
  前まで彼女は生徒達に指示を出す立場の人間だった。しかし、ここに来て人に指示を受けてばかりなのでどこか腑に落ちなかった。                            
 彼女は食堂を出たあとに不満な表情を浮かべ、その指示通り加工組を呼びに行った。                   
 その後、彼女は笑顔を装い各々に声を掛けた。        
 そして、食堂に戻り、エプロンを外してその席に座った。  
「いただきます」                      
 彼女は「笹川が作ったものがどんなもんじゃい」と 思いそれを睨みながら食べた。                     
 それはおいしかった。                   
 それを空腹のせいにしようとしたが肉体労働をしたわけではないので残念ながらそのせいにはならなかった。                  
 厳しいジャッジをしてみたがおいしいという評価になってしまった。                          
 彼女は「くやしいです」という心境であった。       
「ごちそうさまでした」                   
 彼女は食器をキッチンに運んだ後、後肩付けは加工組がやる番なので部屋に戻った。                   
  その後、彼女は食後の歯磨きをし、再び部屋に戻りイスに腰掛けた。                         
「おっつー」                        
 前野が帰ってきた。                   
「なに?」                        
「疲れてますね」                      
 前野はドアを閉めた。                  
「ちょっと静かにしてよね。イメトレ中なんだから」    
「イメトレって例のやつのイメトレ」            
「そうに決まってるでしょ」                
「がんばってね。先生。私達弱者のために」         
「任しとけ」                        
 前野はいつの間にかはしごを上ってベットの上にいた。    その後、彼女は目をつぶりイメトレをしたが、眠気に負けてその体勢で寝てしまった。                  
「先生。先生」                       
「うっ」
 彼女は前野に肩を三回叩かれ、目を覚ました。      
「何寝ぼけてんの。かわいいけど」             
「ごめん」                        
「ごめんじゃなく てさ。これ。ちゃんと持ってきなよ」     
 前野は彼女の机に置いてあったI Cレコーダーを手に取り、彼女に渡した。                      
「私もう 行くから。健闘祈ります」             
「はい」                          
 彼女は前野に向けて右手で敬礼をした。          
「カレンダーめく っておいて」                
 前野は部屋を飛び出した。                
  彼女は岐路灯のカレンダーに近づきそれをめくった。      
 この日の岐路灯の言葉は。                 
〈長いものにぐるぐる巻き。っていう生き方は今の時代、欠かす事ができなくなったけど。自分が必死で守ってる気持ちだけは窒息死させんじゃねえぞ〉                
  果たして、笹川にぐるぐる巻きの大島らはそれを守りきれているのか?                         
 彼女はカレンダーを前野のベットの枕元に置き、決闘場へと向かった。                            
 そして、厩舎に着くと、開き扉を開けようとしたが重く て開かない。                            
 その扉はトラックも入れるようにと高さは三メートルぐらいあった。                          
 彼女は自身の腕力では両扉はいっぺんには開かないと確信したので。彼女はターゲットを右の扉に絞りその扉の取っ手を両手でつかみ全体重をうしろにかけた。         
 すると、扉は開いた。
 彼女は扉のスライドのスピードについていけず、尻餅をついた。
 そして、彼女は立ち上がってその中に目を向けた。                   
 当然、奴らはいななかった。                
 彼女は扉を閉めると奴らが来たらまた重い扉を開けないといけないと思ったので扉を閉めずに寒気の当たらない厩舎の奥に入っていった。                    
「寒い。寒い」                       
 といいながら。しばらくして、奴らがやってきた。            
 笹川は開いてる扉を見て彼女が厩舎内にいることに気付いた。   
「あいつどこだよ?」                   
 厩舎内奥にいる彼女に笹川の声が届いた。                                   
「おーい。北原」                     
「はい」                          
 真っ暗な厩舎の奥から彼女が出てきた。           
「お前。何してんだよ」                  
「ちょっと寒かったんで」                 
「ちょっと寒かったとかじゃなくて。電気ぐらいつけろよ」  
「場所わかんないです」                   
 照明がついた。                      
 その天井に吊るされている照明はパッとつくのではなく除々 に明るくなった。                      
 彼女は笹川の鋭い視線を避けるため入り口の方に目に向けた。 
 入り口付近には大島の姿があった。             
 大島の直ぐ横には照明のスイッチが見えた。       
 「場所わかんないって。あそこにあるでしょ」         
 笹川は彼女が見てる目線の先を指差した。         
「はい。すいません」                    
 彼女は「もうわかったんだから指差さなく てもいいんだよ」と思いながら謝った。                   
「さあ。はじめましょうか」                 
 入って来たばかりの水本が作業をするように促す。      
 彼女は作業が始まり。開始十分ぐらいは水本の監視があり、 真面目にやっていたが、水本の監視が外れるとわざとダラダラと作業していた。                      
 その後、奴らが次々作業を終える中、彼女はまだ終わっていなかった。                        
「おい。北原。手が痛いのか?」               
 笹川近づいてきた。                    
 彼女はその問いかけを無視した。              
 その時、彼女は心の中で「よしっ」と呟いてから笹川に背を向けて。つなぎのポケットの中にはいっているI Cレコーダーをその中で指の感覚を頼りにレコーダーの録音ボタン押した。
 「何で後ろ向いたの?」                  
「とく に意味はないですけど」               
「あんた。どこか悪いんでしょ? 朝と動きが全然違うじゃない?」                           
「別に」                         
「あっ。生理痛?」                    
「違います。笹川さん達と作業したくないだけです」     
彼女は強引なケンカの売り方をした。
「なにそれ。けんか売ってんの?」             
「売ってますね」                     
「なにしんてんの?」                    
 どこかに行って戻ってきた水本が駆け寄ってきた。     
「笹川さん。高山さんにストリップさせたでしょ。その事ちゃんと高山さんに謝ってくださいよ」             
「そんなことしてないわよ」                
「そうですか。でも、証拠残ってるんですよね」        
「証拠ってなに?」                     
 この言い争いを止めないといけない立場の水本は完全に聴衆となってしまった。                    
「あの時、高山さんはトレーナーのポケットにレコーダー仕込んでいたんです。それにバッチリ笹川さんの声入っていましたよ」                          
「まじで! でもあいつがへまばっかするから」        
「そんな言い訳。警察に通用しないですよ」         
「警察っておおげさだよ」                 
「大げさじゃないですよ。ここだと揉み消される習性があるらしいから」                        
「北原さん。そういうことはまず、私達に言わないと駄目なんだよ」                           
 透かさず、水本が彼女達の間に入って来た。       
「だめ? 駄目なわけないでしょ? バカにしないでよね。あんたは男の事しか頭にないけど。こっちの頭には法律が頭に入ってるんだから。何でも刑務官に言わなきゃいけない法律は日本国にはありません」                      
「……」                          
 水本はゆっく りと後退した。               
「わかったよ。謝るよ」                   
 笹川は負けを認め仲間を引き連れて刑務所に向かって歩き出した。                          
「手伝おうか?」                      
 彼女はその後、すぐに残ってる仕事に取り掛かり、傍にいた水本は彼女の機嫌を取っていた。            
 「結構です」                        
 彼女は先ほどとは違いテキパキ仕事をこなした。       
 その後、彼女は刑務所に戻ったが、食堂には行かず自分の部屋に戻り I C レコーダーを衣類の入ってるボストンバックに入れた。
 そして、イスに腰掛け目をつぶると眠ってしまった。      
 二〇分後、彼女はパッと 目を覚まして。部屋の時計を見て慌てて、厩舎に向かった。                   
 厩舎に着き、やつらは作業し、水本は入り口付近に立ちやつらの監視をしていた。                      
 やつらと水本は彼女の気配に気付いたのに遅刻を咎めず、何も話しかけなかった。                     
 彼女はその様子を見て「ざまあみろ」と 思ってやつらをあざ笑い作業をした。              
  要領のいい彼女は三回目の作業で、やつらとかわらないぐらいの作業時間で搾乳作業を終えた。                 
 刑務所に戻り。                      
 脱衣場にて。                     
「大島さん。つなぎ乾燥したら。みんなの部屋に配ればいいんですよね?」                         
 彼女を避けていたやつらの一員、大島に嫌みったらしく 話しかけた。                          
「いいよ。慣れない作業で疲れてると思うから私がやってあげる」    
「あらそう ですか。でも、下っ端がやることだから」     
 彼女の嫌みったらしさに磨きがかかった。         
「下っ端って。みんな同じ受刑者なんだから気付いた人がやってるだけだよ」
 笹川が言った。
「笹川さん。でもね。昨日大島さんが私の部屋に来て明日から私にやれってはっきりと言いましたよ 」 
「さゆり。そんな事言ったの?」
「やれとかはいってないよ。こういうふうにみんなやってるんだよって教えただけだよ」
「お前。うそつくなよ」            
 怒り心頭に発した彼女は大島の丸襟Tシャツの襟元を両手でつかんだ。
「やめなよ」
 透かさず、笹川が止めに入った。
「ごめん。うそついてました。お願いだからはなして」
 大島はなみだ目になって彼女に訴えた。
「うそなんてつくなよ」
 彼女はそこから手をはなした。
 彼女は刑期二日目にして怖いものがなくなった。       
 そして、入浴を済ませ食堂に向かった。奴らは先にその席に腰掛けていた。彼女もそこに腰掛けて食事の号令を待っていた。また、彼女が前日感じた気詰まりな感じはこの日は微塵も感じていない。
  食事が始まり、彼女はやつらにわざと視線を合わせようと、順番に奴らの顔をのぞき込んだが、やつらは目線を合わせようとはしなかった。                   
 食事が終了し、彼女は片づけを済ませて部屋に戻った。
「おかえり」                       
「ただいま」                       
「で。どうだった?」                   
「成功。成功。大成功」                  
「よくやった」                      
「まあ。私が本気出したらこんなもんよ」          
「さすが先生」                      
「先生なめんなよ」                    
「でも、高山。大丈夫かな?」               
「そうだね。私洗濯がてらに寄ってくるわ」          
 彼女は洗濯機をまわし、また自室に戻ってきた。      
「あれ。さとみちゃん来てたの? 私今部屋に行こうと思ってたんだけど、さとみちゃんの部屋わからないのに気付いて、しずく に聞こうと思って戻ってきたんだよね」        
「そうなんだ」                      
「さとみちゃん。それでさあ。あいつなんか言ってきた?」  
「謝ってきたよ。それから、レコーダー下さいっていってきたけど。私は持ってないって言ったら、あの人たちかえっていったよ。それと所長も同じ事言いに来た。私が持ってる事にしたの?」                          
「まあ。まあ。上でゆっく り 私の勇姿を聞いてからにしよう」 
「うん」                         
「私も聞かせて」                      
 前野が下りてきた。                
「どうしようかな? しずく。先生っていうからな」     
「私のレコーダーだよ」                  
「冗談じゃん。少しからかっただけでしょ」          
 彼女はそのバックからI Cレコーダーを取り出し、二人の後を追ってベットに上った。                 
「ねえ。臭いよ」                      
 彼女は前野の前にレコーダーを置いた。          
「うそでしょ? さっきの腹癒せで言ってるんでしょ」   
  彼女は自分腕の臭いを交互に嗅いだ。           
「まい。髪が臭い」                        
 今度は自分の前髪を鼻に持っていき、臭いを嗅いだ。     
 少し臭かった。                     
「えっ。なんで? 今日はちゃんとトリートメントもしたのに。それにちゃんと帽子も被ったのに」             
「市販のシャンプーじゃあの臭いに勝てないの。みんな。あきらめてるんだから。そんなに気にしない方がいいよ」     
「あんたね。あんたが気にさせたんでしょ」         
「ごめんなさい。さあ。聞こう」              
「聞けないよ」                      
「まいちゃん。テレビでお相撲さんが食器洗剤のジョイで洗ったら汚れがすごい落ちるって言ってたよ」                
 奥にいた高山が口を開いた。               
「それはちょっと。ママになんかいいシャンプー持ってきてもらうよ」                          
 彼女は高山がどういった内容の番組でその情報を仕入れたか気になった。                        
「では、えい」                       
 そのレコーダーの所有者がボタン押した。          
 二人は彼女の勇姿を食い入るように聞いた。        
「私がレコーダー仕込んだ事になってるんですね」      
「ごめんね」                      
 「いいですよ。これであの人たちが怯んだから」         
「まい。極道の妻みたいだね」               
「そんな。迫力のある言い方はしてないよ」              
「まあ。これであいつらも手出せないし。刑務官も高山さんと極妻さんにビビって多少の事なら何にも言わないね」     
「極妻さんはないでしょ」                 
「冗談だって。でも、おもしろいでしょ?」          
「自分がそう呼ばれると面白くないよね」          
「極妻さん」                       
「さとみちゃんまで」                   
「高山さん。調子に乗りすぎ」               
「そうだよ。そんな悪乗りする人だと思わなかった。もう助けないから」                        
「まいちゃん。ごめん。そういう空気だったから」      
「高山さん。まいは天然だけどそれをいじられるのすごいきらいだからそう言う事言っちゃ駄目なの。気をつけてね」   
「しずくが一番気をつけろ」                 
 この後も、年齢のばらばらな三人がまるで同級生のように語り合った。                                                     
  そして、三日後の夕食終了時。               
 一ヶ月に二回行われる生命放棄防止ディスカッションが行われた。                           
 食堂にて。                       
 テーブルと 使ってないイスを隅に寄せ、受刑者一〇人とサービス残業の民間刑務官二人は円を描くようにイスを並べ彼女達はそれに腰掛けた。                      
「では議長の笹川さん議題をお願いします」          
 滝井が進行を議長である笹川に任せた。       
「それでは、はじめます。今日の議題なんですが、毎回、なんか議論が進まないんで今日は実際にどのようにしてここに来たかなり具体的に一人の人に話してもらいます。今日は北原さんにお願いします」                                             
 彼女は「はめられたな」と 思い笹川を睨みつけた。
「ちょっと待ってよ」
すると、前野は手をあげ、笹川に発言を求めた。
「何ですか前野さん」                 
「何で。まいなんですか?」               
「それは一番最近、はいったので記憶が鮮明だからです。この事は刑務官の二人に同意を得てあるので」          
 自殺を繰り返すものにとって自殺に至る経緯の記憶は色あせるものではない。
 「それはこの前の腹癒せではないのですか?」        
  この前のことを知らない数名の受刑者は首を傾げた。                      
「前野さん。関係ないことを言うと退場させますよ」     
水本が前野に警告を与えた。
「もう いいよ。しずく。私話すから」                     
 彼女がそれを話すことを決めた。
 心の傷が癒えてない彼女には自殺の詳しい理由を話すのはつらいこと だが今の彼女は「売られたけんかは買ってやろう ではないか」という 心境で興奮していたので話す事は苦ではなかった。     
「では。北原さん。お願いします」           
 「私の自傷の原因は結婚する予定だった彼氏の裏切りです。私の彼だった人はプロの総合格闘技の選手です。その人との出会いは彼の所属するジムに私が通ったところから始まりました。 最初、私はそのジムに仕事の同僚の強引な誘いで行きました。仕事はみなさんご存知の公立小学校の教諭です」                 
 彼女は「仕事は~です」のところを水本を睨みながら言った。  
「私は格闘技が嫌いでそのジムに行く 事は一回きりと決めていました。しかし、インストラクターでもある彼の指導を受け、彼の優しさを感じて外見も好みだったので一目惚れしました。それから、彼がインストラクターをやる週三回の曜日は欠かさず行きました。通い始めて一ヶ月ぐらいで私から食事に誘いました」                     
 「よく ある。使い捨て女だったって事でしょ」        
  笹川がしゃしゃり出てきた。             
「まあ、間違ってませんね。そこからはエッチして、その流れで彼が私の部屋に住み着いたんです」               
「ふっ」                         
 大島が笑いをこらえきれずふいた。            
「彼が住み着いてからは試合の遠征費や試合の手売りチケットノルマの不達成の罰則金を工面するようになりました」   
「もういいよ」                       
 議長が言った。                    
「最後まで聞いてください。これに味をしめた彼は私の給料日になると私の給料が振り込まれる銀行のカードを持ち出し、勝手にお金を下ろす様になりなした。この彼の異常な行為をその同僚に相談すると 別れをすすめられ、私も彼と別れるのは辛いけどこのままでは生活ができなくなるので別れを切り出す事にしました」                     
「まい。もういいって」                  
味方の前野も彼女を気遣い話し止めさせようとした。
「もお 少しさせて。私は別れを切り出しました。しかし、彼はもう 少し待ってくれ、二ヵ月後にアメリカのメジャー団体のトライアウトがあってそれに合格すれば、契約金もかなりの額もらえるし、ファイトマネーも今の十倍なんだ。それと まいに一緒にアメリカに来て欲しい。ゆく ゆく はまいと結婚する。だからもう 少しまってく れと言われ。私はそれを信じました」            
「北原さん話すのが辛かったらやめていいのよ」       
「辛いですよ。でもこの事を許可したのあなた ですよ」    
 彼女は水本に大声で言った。               
「ごめんなさい。配慮が足りませんでした」         
 大人は何かと配慮が足りないという言葉で逃げようとする。  配慮とは言い訳で使用して良い言葉ではない。        
 いつしか、配る心も無い奴らが都合よく 使う 言葉になってしまった。                        
 話はかわってるよう で変わりませんが。この前々日の岐路灯カレンダーにはこのような言葉があった。
〈「心配してたよ」今の人はこの言葉を伝えるとき。心を相手に配れているのでしょうか?〉
「ここまで話してやめれるわけないでしょ。最後まで聞きなよ。それで合コンのネタにでもすれば。その後、彼はトライアウトに合格し、私は学校を辞める手続きを取ろうとしていました。しかし、彼は手切れ金と今までの借金として現金三〇〇万円の入ってる封筒を私の前に差し出しました。受け取らない私を見て彼は私のTシャツの襟から体の中にお金を入れ。助かったよ。と吐き捨てさっていきました。その夜、一回目の自傷をしました。その数一〇分後、彼が私を捨てるという事が目に見えていて私のことを心配してた 同僚が彼の知人から彼が私を捨てたことを聞きだし、慌てて駆けつけ私の出血に腰を抜かしながらも救急車を呼んでくれました。そして、医者に申告され逮捕されました。このあと 、立ち直れなかった私は二回目、三回目と 罪を繰り返し、逮捕せれ四回目で到頭ここに来ました」 
 彼女は一、二回目は逮捕されたものの起訴はされず、三回目で執行猶予、四回目で実刑になった 。
「今日はちょっと 早いけど。ここで終わりましょう」      
 水本はこの前彼女に面目を潰されたので笹川の彼女を困らせるための提案に手を貸し、困り果てる彼女の顔を拝んだところで、いつもの実のないディスカッションに戻そうとしたがそうは彼女の問屋が卸さなかった。彼女の生々しい話に罪悪感を抱き、それに耐えられなく なったのでディスカッションを開始四分で強制終了させようとした。                       
 ちなみにこのディスカッションは法務省の通達で所要時間を一時間と定められている。                 
「じゃあ。最後に私は牛の世話と笹川さんのつまらないいじめを消滅されるために労力を費やしていたら死にたい事を少し忘れました。だから、私は次、彼に会ったら彼に教えてもらった。腰の回転を利用した右ストレートで顎をぶち抜きたいと思います」                            
 彼女は立ち上がり。パンチを打つ足のスタンスに足を開き、その構えをして本格的な右ストレートを放った。  
「おお。すげえ」                      
 前野が彼女のパンチに興奮して声を出したあとに笹川とその片割たちと刑務官たち以外は彼女に盛大な拍手を送った。    
 そして、ディスカッションは終わった。                                       
 この翌日。                        
 彼女は午後の厩舎そうじを終え刑務所に戻ろうとしていた。                       
「あー。この扉おもい」                  
「北原」                          
 厩舎脇から刑務所に戻ったはずの笹川が出てきた。     
「何ですか? また腹癒せするんですか?」
「違うよ。あんたも男に人生狂わされて大変だったね」    
「どうせざまあみろとか思ってるんでしょ?」        
「おもってないよ。あんなに酷いことされてたとは思っていなかったんだ。水本が男に免疫がなく てふられたからいつまでも未練たらたらでリストカッターになった言ってたから。すこしからかってやろうと思ってやっちゃったんだよね」      
「もし そう だとしても、そんなことからかう のは最低だよ。あんたも同じ様な事してここに入ってきたんだから自分がどれだけ残酷な事してるかわからないのいい年して」         
「ごめん。でも私自殺未遂なんてしてないの」        
「じゃあ。なんでここにいるの?」             
「私、さあ。作家志望の男と同棲してたんだ」        
「それで?」                    
「その男がパチンコ代欲しさに自殺なんてしてない私を警察に突き出したんだ。それを四回繰り返してここにいます」           
「そうなんだ。だからといって。こんなところでいじめはだめでしょ」                         
「そうだよね。もうしない」                
「頼むよ」                        
「ねえ」                         
「なに?」                        
「私と友達になって」                   
「やだ」                         
「そんなこといわないで」                 
「だってもういるから」                  
「どうしてもやだ?」                   
「うん。……わかったよ」                
「よかった。じゃあ。テレビ見に行こうか。まいちゃん」   
「まいちゃんって呼ばないで気持悪いから」         
「まいでいい?」                     
「そのほうがいい」                     
 彼女はあまり気乗りしなかったが彼女の自傷話に自分をだぶらせ彼女に好感を持った笹川と友達になった。                                      
 そして、翌日の昼休み。                  
 母親と共に同僚の後輩教師が面会に来た。       
「まい。どう? 一週間経ったけど」           
「どうって。おかげさまで髪の一本一本に牛糞の臭いがしみこんでおります」                       
「ふっ」                         
「おい。あゆみわらうんじゃねーよ」             
 彼女は面会室の自分が座っている席のテーブルをた叩いた。  
 この刑務所の面会室には仕切りが無い。更に監視する刑務官もいない。
「ごめんなさい」                     
「つうか。お前。何で来てんの?」             
「先輩を心配してるからに決まってるじゃないですか」
「そうよ。それにあゆみちゃんが駆けつけてく れなかったら……」
「お母さん。今生きてるんでからそんなこと言わないで。いちおう、命の恩人だからまあいっか。同席を許す」       
「囚人が偉そうに」
「やっぱ。帰れ」
「刑務所ジョークですよ」
「調子にのんな。お前があんなところ連れてくからあんなことになったんだからね」                   
「それはそう ですけど。それより。清盛さん。打ち切られたって新聞に書いてありましたよ」               
「えっ。そうなの?」                   
「何心配してるんですか。ここから出ても絶対に会わせませんからね」
彼女とプライベートも一緒に過ごしていた 里咲は彼女の動揺を見抜いた。
「そう だよ」                       
「二人で言わなく てもわかってるよ」            
「あゆみ。それより、うちのクラスどうよ?」        
「とく に変わった事はないですけど。やっぱり心配してますよ先輩の事」                         
 里咲は彼女が担任している六年二組の副担任で彼女が服役中なのでこのクラスの担任を任されている。         
「そうか。でも、病気という事になってるからちょっと複雑だよね」                          
  この刑務所の入所に当たり、雇い主側は雇用契約を打ち切ってはならないと生命放棄阻止法に定められている。         
 彼女の場合は学校側の配慮で生徒、保護者には女性特有の病気で入院している事になっている。             
「さっき。廊下で他の受刑者さんとすれ違って少し会話したけど。なんか自殺未遂したって感じじゃないぐらいにさわやかだったよ」                         
 彼女の母親がさらっと話題を変えた。               
「それって。もしかして、左のこめかみ辺りにいぼがある人でしょ?」                         
「そうだね。あったかもしれない」             
「あの人は……わからない」                 
 彼女は沈黙したあと首を傾げて答えた。           
 その受刑者は笹川だったが笹川が自殺未遂してないとは笹川のプライバシーを守るため言えなかった。          
「先輩。面会時間何分まででしたっけ?」          
「あと二〇分ぐらいあるけど。もう 帰って。昼寝したいから」 
「そんな」                        
「あゆみちゃんもう 帰りましょ。まいは朝から働いて疲れてるから休ませてあげようよ」         
「そうですね。お母さん。先輩。これケーキです。食べてください」                          
里咲はケーキの箱を彼女に差し出した。
「何個入ってる?」                   
 彼女はそれを受け取った。
「三つです」                       
「三つか? まあいいやあいつらは半分でいいから」      
 一日ですっかり仲良く なった他の厩舎組の面々と分け合って食べようと考えていた。                 
「他の人にもあげるんですか?」              
「それはそうでしょ」                    
「やさしいですね。私以外の人には」
「あゆみはすぐに調子に乗るから厳しくしないと」                  
「私、教師なのに子ども扱いしないでくださいよ」      
「そうか。先生だったもんね。それと戻るまでクラスよろしくね」                          
「はい。今日は来て良かったです。もとの元気な先輩に戻ったみたいで」                       
「そうだね。この一週間いろいろあったから自殺の事考える暇なかったんだよ。夜は疲れて爆睡だし」         
「まい。そうか。お母さんここ に入ったらまたあれをするんじゃないかと思ったけど。そういってく れて安心したよ」      
「じゃあ。先輩御勤頑張って下さい」       
 里咲は笑みを 浮かべながら言った。
「あんたバカにしてるんでしょ」
「あゆみちゃん」
 更に余計な事いおうとした里咲を彼女の母親が止めた。
「すいません。お母さん。つい癖で」
「私が出るまでにその癖直せよ」
「じゃあ。行きましょうか。お母さん」
「おい」
里咲は彼女の言葉に耳を貸さず、彼女の母親を連れて帰ってしまった。
 母親達が帰ったあと、彼女は十分程自室で仮眠を取り厩舎へ向かった。       
 そして、作業に入った。
 笹川の呪縛から昨日、開放された大島らは彼女に見せたことのないこの上ないすがすがしい表情で作業していた。
 作業が終わり。厩舎組は皆で刑務所に移動し、彼女は食堂でさっきのケーキを皆と分け合い食べた。 
 休憩後は本日最後の搾乳作業だ。
「まい。ミルカー(搾乳機)つけるの上手く なったね」
 一足早く 作業を終えた笹川が話しかけた。
「これでここにいたことが保護者にばれて辞める事になっても食い口に心配ないわ」
彼女は作業の手を休ませず笑いながら言った。
「そうだね。あれっ。もう 、来ちゃった」
 笹川は開いてる扉から集乳車がこちらに向かってく るのを見た。
 いつもはもう 少し遅い時間に来る集乳車が来た。
「まい。急げ」
「うん」
「私ちょっと 文句言って来る」
 笹川はその集乳車に駆け寄っていった。
 しばらくして、彼女は作業を終え、けんかぱやい笹川を心配し牛乳貯蔵タンクのそばに停めているその集乳車に駆け寄った。
 彼女がそこに着く と笹川は貯蔵タンクから集乳車のタンクに牛乳を吸引するためホースを接続するその車のドライバーを見守っていた。
「あの子イケメンじゃない? 文句言おうと思ったんだけどイケメンだからやめた」
「そうだけど。あのこ一〇代じゃない?」
「そうだとしてもいいじゃん。社会人なんだから」
「まあ。そうだね」      
「すいません」
 その男性ドライバーが二人の下に歩み寄ってきた。
「はい」
 笹川が返事をした。
「あの。刑務官さんはどちらですか?」
「あっちにいるよ。今呼ぶね。水本さーん」
 笹川が扉の戸締りをしていた水本を指さしてから水本を大声で呼んだ。
「はーい」
 水本は返事をして走って彼女達の下に向かって来た。
「今日は水戸さんじゃないんだ」  
 そこに駆けつけた水本はその男性ドライバーに話しかけた。
「あっ。はじめまして澤野です。水戸さんはアイスホッケーやって腕を骨折したんで自分が代わりに来ました」
「そうなんだ」
「はい。もうすこしで吸引終わるんで待って下さいね」
「そうなの。私ちょっと戻らないと駄目なんでこの人たちにサインしてもらってください」
「はい」
「じゃあ。どっちかみずもとって書いてねもとは木に横線一本だからね」
 水本は刑務所に向かって走っていった。
「あいつ。馬鹿にしすぎだよね」
「そうだね」
 彼女と笹川はお互い向かい合った。
 その時そのドライバーは彼女の顔を凝視していた。
「あのう。北原先生?」
「えっ」
 彼女は目線を笹川から そのドライバーに変えた。
「えっ、はないでしょ。時男だよ」
「時男君?」
「もう。何で憶えてないの?」
「ごめん」
「私、お風呂行ってく る」
 笹川は彼女に気を使ったのか気まずい雰囲気から逃げたかったのかわからないが刑務所に向かって走っていった。
「俺の組の副担任だったんだから普通憶えてるだろ?」
「ほんと、ごめん」
 澤野は彼女が教師一年目に副担任をした六年一組の生徒だったが彼女は澤野のことを思い出せなかった。
「ねえ。澤野君。ここに入ってる事は内密にしてね」
 澤野のことを憶えてない彼女は思い出話ができないので自己防衛に走った。
「言わないよ。会社から、受刑者さんに知り合いがいたとしても絶対に他言するなっていわれてるから」
「受刑者さんか。澤野君。私の事軽蔑してるでしょ?」
「してないよ。先生。なんかあのころと感じがちがうよね?」
「いろいろあったのよ」
「それはそうだけど。あの時と 別人みたいだよ」
「確かに別人だね」
「ねえ。先生。その傷」
 彼女の左手首のリストカットの傷に澤野は気付いた。
 普段リストバンドで隠してるその傷は厩舎作業でそのリストバンドが下にずれてしまい傷が見えた。
「見ないでよ」
彼女はずれたリストバンドを直した。
「ごめん」
「あっ。澤野君って。甲斐堀さんのお母さんの事で私に怒られた子だよね」
「そうだよ」

 (回想)
 七年前の駒田小学校六年一組の教室内。
 放課後、教室の前扉の付近で澤野に彼女が説教を始める。
「ねえ。甲斐堀さんのお母さんの手話を馬鹿にして怒られるの何回目?」
「わからん」
「わからんって。悪い事してる意識なし?」
「そうだね。悪い事じゃなくて江頭風手話をやるとみんな笑うんだよ。みんなの笑顔のためにやってるんだ。それなのに。怒るなんていみわかんねえよ」
「そうか。じゃあ。自分の両方の人差し指を両耳に突っ込んで」
「なんで」
「いいから」
 わけもわからず、彼女にせかされ澤野は言われた通りにした。
「ねえ。どうよ?」
「どうよって。あんまりきこえないよ」
「はずして。聴覚障害の人はこれよりもっと聞こえないんだよ」
「そうなの。あー。耳って臭い。先生俺わかったよ。耳の中ってうんこに近い臭いすんだな。だから耳糞か」
 澤野はその指の先端のにおいをかいだ。
「おい。時男君そっちにいかないでよ」
「ごめん」
「こっからは真面目に聞いてよね」
「うん」
「聴覚障害はただ単に耳が聞こえないっていうだけじゃなくて、雑音が混じって聞こえずらかったりする人もいるんだよ。だから補聴器をつけても聞き取れない音がでてくるんだよね。ここまでわかった?」
「うん」
「そこで、聞き取れなかった部分を手話で補うんだよ」
「そうなのか。手話は耳ってことか」
「そう。そう。耳なのよ。それをさあ。澤野君みたいにお笑いの道具みたいにして遊んでるのを見て甲斐堀さんはいい気持ちしないよね?」
「うん」
「だから。今度やったら。私澤野君の事絶対に許さないから」
「わかったよ。封印する」
「澤野君ってただのバカだと思ってたけど実は純粋でいい子なんだね。先生。好きだぞ。そういう男は」
 (回想終わり)
「あの時さあ。他のやつは悪いことは悪いことなのって一点張りでこっちも悪い事してる認識はあったんだけど。あれじゃあなんか反省する気にはなんなかった。でも、あの時の先生の叱り方はスーッと伝わってきたんだよな。だから、俺は人の気持ちを踏みつけることは絶対にしないと決めたんだ」
彼女にしてみれば、子供達に一体どういう叱り方をすれば自分のやった悪い事に気が付いてくれるんだろうと悩んでいた時期の叱り方が伝わっているとは思っていなかった。  
 目頭が熱くなっていた。
「先生泣いてる?」
「ちょっとね」
「先生。これ」
 澤野はジャンパーの右ポケットから自分の会社名が書かれているポケットティシューを取り出し彼女に差し出した。
「ありがとう」
 彼女はそれを手に取り、そのティシューの開け口を左手でパンチして開けて、おもむろにティシューを取り出した。
「早く ふいて。先生の涙は見てられないから」
「うん。ごめん」
 澤野は彼女が涙をふく 仕草に見惚れていた。
「俺もういかないと」
「そっか」  
 澤野はその彼女をもうしばらく 見ていたかったが集乳に追われている現実を無視する事ができなかったので彼女に別れを告げた。
彼女は車に歩み寄っていく澤野のうしろを追っていた。
「先生。じゃあ。明日も朝夕来るから」
「うん」
 澤野は車に乗り込みドアの隙間から彼女に声をかけ、彼女の返事を聞いたあと、ドアを閉め車を出発させた。
彼女はその車のあとを歩いて追っていった。車が敷地内に出ると、その車を追うことを止め、刑務所に戻った。
「まい。遅いぞ」
脱衣場に入って来た彼女を茶化す声が笹川中心にかかった。
「ごめん」
「遅れた事は許すけど。キスした事は許さないぞ」
笹川の冗談に大島たちが更に茶化す。
「やめてよ。そんな事してない」
「あれっ。まぶた腫れてない」
笹川が先ほどの涙が原因で腫れた彼女のたまぶたを指差した。
「ちょっと、ごみが」
「う そつけ」
「後で聞くから早く入りなさい。ほら、つなぎ脱いで洗っとくから」
 笹川にせかされながらつなぎを脱いだ。
 その後、なんとか食事の時間に間に合い、食事をした。
 食事後、食堂で九人にせがまれ涙の真相を語った。
そして、この後、各々の恋バナを語り合い一同もりあがったが、高山だけはもの思いにふけた様子で元気がなかった。

 彼女は連日、彼が来るのをまちこがれた。
 一日二回。搾乳した貯蔵タンクの牛乳が集乳車のタンクにホースによって全て吸い上げられる間彼らは語り合った。彼の話題は小学校から今に至るまでの話中心。彼女の話題は上司や部下の愚痴、元彼の愚痴だった。
こうした彼女にとって幸せなひと時は一週間を経過した。
そして、この日の午後の搾乳作業を終えて、タンクに寄りかかりを作業手袋外した手を後ろに組んで、彼を待っていた。
 しばらくして、その車と共に彼がやってきた。
 彼女はタンクに寄りかかるのをやめ、その手を解いた。その手は真っ赤だった。
 寒く て赤く なったわけじゃない。
「ときお。早く来い」と強く願い、その想いは握力となり手を強く 握り 彼女の両手を真っ赤にした。
 彼は車から降りて、「先生」と彼女に手を振りホースの接続を始めた。
 彼女はこの呼びかけに小さく 手を振った。
 彼は車のタンクのホース接続を済ませ、彼女のいる貯蔵タンクの前にそのホースを持ってやって来た。
 接続作業を開始する彼を見て彼女は作業の邪魔になるのではないかと思い。「よいしょ」と可愛い声を出し、自ら一歩後ろに下がった。
 彼はその声につられて一瞬、彼女に目線を配り、すぐホースに戻した。
 作業を見守っている彼女は早く会話したい気持を、手を後ろに組むことで抑えた。
 彼は接続を終え。「ちょっと、待ってね」と言いその車のタンクの後ろについてる吸い上げ開始のスイッチを押しに行った。彼女はその言葉を受け軽く頭を下げた。
 そして、彼が戻ってきた。
 彼女はそれを見て手とその気持ちを開放した。
 再び、その手は赤く なっていた。
「遅い」
「ごめん。先生」
「先生ってだれ?」
「なに? 北原さんの方がいいの?」
「まいがいい」
「まいって。ほんとにいいの?」
「うん。私はときおっていってるんだから」
「じゃあ。まい」
「あー。呼び捨てした」
「まいがしろっていったんだろ」
「顔あかいぞ」
「まいがからかうからだろ」
「ごめん。ゆるして」
「かわいいからゆるす」
「かわいいって。私みそじだよ」
「そんなのかんけえねえよ。あっ。まいもあかく なった」
「ときおがからかうから。照れちゃった」
「おれはからかってない」
「ねえ。もしかして、年上好きなの?」
「そうじゃない。ただまいが好きなだけだ」
「私も好き」
「ああ。よかった」
「でも、びっくりしちゃった」
「そう だよね。でも、今日がここに来るの最後だから、どうしてもいいたかったんだ」
「何で? あの人、一ヶ月休むんじゃないの?」
「この事。社長にばれて霧野の営業所に帰れって言われた」
「いつ、言われたの?」
「おととい」
「何で。言ってく れなかったの?」
「まいが責任感じて会ってくれなくなると思って」
「責任感じるも何も。責任は私にしかないでしょ。会社に帰ったらちゃんと言うんだよ。女受刑者に脅迫されてしょうがなく話し相手になったって」
「言えねえよ。そんな事。それにそんな事いったらまいの刑期延びるじゃん」
「私の事より。ときおに対する会社の信用の方が百倍大事だよ」
「そんなことない。まいがここから早く出てあの時の俺のようなガキに本当に大事なことを教える方が大事なんだよ」
「ごめん。これじゃあ、どっちが年上かわかんないね」
「あやまんなよ。でもさあ。なんで、いつもちょっと離れてんの?」
「臭いから」
「俺が?」
「私が」
「臭い? まいは臭く ないよ」
 彼は右足を一歩前に出し、彼女の手を引っ張り抱き寄せた。
「やめて。おこるよ」
「うるさいな」
 彼は彼女の唇を自身の唇で塞いだ。
「はぁー。死にそうだった」
彼女が言った。
 彼は彼女の唇を三十秒ほど拉致監禁した。
「この下手く そ」
「ごめん。初めてだから」
「キスもした事なかったの。そのルックスで?」
「こういうことは。まいみたいな尊敬できる人としたいと思ってとっておいた」
「何時代の人? 儒教でもやってんの?」
「なんでそんなにバカにすんだよ」
「ごめん。ときお」
「ピー」
「やっべ」
 とっく に吸引が終わり車から異常をしらせる警告音が鳴った。
彼は一目散に車に走り、それを止めた。
 そして、戻ってきた。
「あー。あせった」
「あんなことするから」
「そんなこというなよ。そうだ。いつでるの?」
「あと一六日」                                       
「そうか。したら、その日俺、仕事休んで迎えに行くわ」
「その日はお母さんも来るから。できたら、違う日にしてほしいんだけど」
「あっそか。つい自分の事ばっかり考えて」
「それってセックスの事?」
「ちがうよ」
「ほんと?」
 彼女は目を細くして彼を凝視した。
「ちょっとだけ」
「それでいいんだよ。十九なんだから。お姉さんがすっごい気持ちよくさせてあげるかその日まで待ってなさい。それまでオナニー禁止」
「はい」
「じゃあ。行くわ」
「うん」
「そうだ。サイン」
「余計な事して。仕事忘れたら駄目だろ。はい書いたよ。今日は水本休みだから滝井ね」
 彼女はその紙のサイン欄に〈滝井〉と書き渡した。
「あと。これ。俺の携帯とアドレス」
 彼は自分の携帯番号とアドレスを書き加えておいた名刺を彼女に渡した。
「ありがと。出たら。連絡するわ」
「おう」
「じゃあね」
「したらね」
 彼は車に乗りんでからも彼女の方に目を配った。
 車が動き出した。
 彼女はいつものようにその車の後を追って歩き出した。
 車は公道へと出てしまった。
 そして、彼女の恋愛はお預けになってしまった。
この後、刑務所に帰ると、滝井と鉢合わせした。
彼女は滝井にその臭いがついたを帽子を投げ捨て。
「死ね」
 と言ってやりたかったが彼の気遣いが無駄になってしまうので水本と共謀して支所長にちく ったであろう滝井を鋭い眼光で睨む事しかできなかった。
そして、風呂に入り、食事をした後に九人の仲間たちの前で涙ながらに恋に水
をさされた事を語った。

それから二日後。
朝の搾乳に向かった彼女。
「いやー」
 厩舎の前にいる笹川たちが厩舎の雪が積もった屋根の方に目線を向けて絶叫する。
「……」
 その声に反応した彼女もそこに目を向けた。しかし声が出てこない。
 その視線の先には厩舎裏に建てられている携帯電話の電波塔があり、その塔の上部から一本の紐がのびていている。その先には高山がだらんとぶら下がっていた。
「なにしてんのよ」
 彼女が呆然と立ち尽くす笹川たちを一喝した。
「私。警備員呼んでくるからあんたたちもなんかしなさい」
彼女は無理な注文を吐き捨て警備員のいる刑務官室に向かった。
 そして、そこに着きその扉をガラッと開けると。
 そこには誰もいなかった。
 彼女はその部屋の奥の壁に設置されているホワイトボードが目に付き、そのボードのもとに歩み寄った。
 そのボードをじっくりとみると。そのボードの右隅の上には〈緊急連絡先〉と書かれた用紙が貼っていた。
彼女はその用紙に目を通し、支所長の長内の携帯番号をみつけた途端にその用紙をマグネットから 外し、それを手に取り一番近くの電話がおいてる机まで歩み寄った。
 そして、彼女はその電話からその用紙を見ながら長内に電話を掛けた。
「もし、もし。北原です」
「どうしたの? なぜあなたがそこの電話からかけてるの?」
「所長。落ち着いてください。これはいたずらなんかではありません。緊急事態なんです。まず、警備員さんがいません。それと高山さんが厩舎裏の電波塔に首を吊って自殺しました」
 彼女は興奮状態にあったが、長内にしっかりと情報を伝えるために一つ、一つ丁寧に伝えた。
「えっ。……わかった。すぐ、駆けつける。それと消防に電話しなさい。いいですか? 警察ではなく 消防ですよ」
 長内は戸惑いながらも彼女にそのように指示した。
 彼女はその指示を受けすぐに消防に連絡した。
その後、彼女は長内が消防に電話しろと釘を刺したのは早めにその隊員に駆けつけてもらえば、高山の命が助かると思ったのか、それとも警察に電話すると何かまずい事があるのかという追想をした。しかし、その追想が終わり我に返ると。今はこんな事を考えている場合ではないと、頭を横に振って厩舎前に急いだ。
 そこには彼女の言葉では何をしていいかわからず、依然として立ち尽くす笹川達の姿があった。
「ごめん」
 彼女が近づくと笹川が彼女に何も出来なかった事を謝った。
「いいよ。今所長と消防が来るから」
 すると、一台の乗用車が厩舎に向かってきた。
 その運転席には長内の姿があった。
「あらー」
 長内が車から降り、すぐさまその電波塔に目を向けた。
 長内は携帯を取り出しどこかに電話し始めた。
 しばらくして、「ウー、ウー」とサイレンが聞こえてきた。 
 そして、梯子のついた消防車がやってきた。
 その車は彼女たちのもとを通りすぎ、厩舎脇を通ってその電波塔に近づき、車を停めた。
 また、そのサイレンで異変に気付いた加工組の連中も目を覚まし、そこに駆けつけた。
 その車から降りた隊員たちはすぐさま、救出作業に入った。
その消防車についた梯子がどんどん伸びていく。そして高山がぶら下がってる地点まで伸びたら、その梯子が止まり。その先端のバスケット部分に乗る隊員が高山を抱え、もう一名の隊員がその紐をナイフで切った。
そして、その三名がゆっくりと降り来た。
 そのバスケットから隊員によって降ろされた高山は全身を毛布に包まれていた。
 その後、高山は消防車が到着してから数分後に駆けつけた救急車に運ばれた。
 高山が救急車に乗り敷地を出たあと、彼女達は所長に指示され食堂へ向かった。
 それから、彼女達は食堂に入り、それぞれの席についた。次の指示を待っていたが所長は来なかった。
 刑務所の玄関からは次々と人が入ってくるがそれを気にするものはいなかった。
 彼女は高山が人形のようになってしまった。現実を受けいれられず顔が青白くなり、体をブルブル震わせていた。
 それから三十分ほど経ち、一人の受刑者が沈黙を破った。
「あのう。高山さんのことなんですけど」
 高山と同部屋の水野だった。
「高山さん。警備員に何度もレイプされてたんです」
「……」
 他の受刑者たちは水野のカミングアウトに驚き、誰も言葉を発っしなかった。
 それを気にせず、水野は話を続ける。
「私。刑務官に言おうとしたんですけど。高山さんがその警備員にもし刑務官にばれたら、ハメ撮りしたビデオを実家に送りつけるぞ。っていわれたから言わないで。って言われたんです」
「ねえ。そんなのただの脅しじゃん。あんたほんとにさとみを助ける気持ちあったの?」
彼女は水野の発言に怒りを覚え、罵声浴びせた。
「私が悪いの? 北原さんだって、ここ最近男にかまけてぜんぜん高山さんの話きいてあげなかったんじゃないの?」
「それはそうだけど。その事実しってたら。他のなんらかの行動は取れたでしょ?」
「二人とも止めな。もう、戻ってこないんだから」
 前野の言葉で再び食堂は静かになった。
 こうして彼女たちは食堂に来て一時間が経過した。
 しばらくして、食堂の扉が開いた。
 そこに入ってきたのは年配の男性と二〇代ぐらいの男性で共にスーツとネクタイを着用していた。その男性たちは両手に沢山の紙袋をさげていた。
 二人は刑務官が食事をするテーブルの上にその紙袋を置いた。
「おはようございます。はじめまして、わたくしはSKセキュリティーの霧野支店支店長小林と申します」
「はじめまして、同じく SKセキュリティーの清水と申します」
 支店長の小林、若手社員の清水の順で自己紹介をした。
「えー。この度、高山さんが亡くなった際に私共の警備員が席を外していて迅速な対応
をとれなかったことをお詫びします。誠に申し訳ありませんでした」
「申し訳ありませんでした」
 小林がその不手際について謝罪した。また、清水も謝罪した。
「すいません。お手洗いに行きたいんですけど」  
「はいどうぞ」
 前野がトイレいった。
「では続けます。つきましては、お詫びの気持ちをお渡しします」
「ちょっと待った」
 彼女が警備員のことに深く 触れない小林の説明に不満を持ち、手を上げた。
「あのう。質問はこれを配った後お答えします」
 彼女はその指示に従い。不満を一時閉まった。
「では、名前を呼ぶので返事をしてください。水野さん」
「はい」
「清水、水野さんは手前のやつ」
 この調子で小林が受刑者を呼び、清水が小林に指示された紙袋をその受刑者のもとに届けた。
「これで最後ですね。はい。北原さん」
 最後は小林が彼女のもとに紙袋を届けた。
 小林が彼女に紙袋を渡し、その場に立ち止まった。
「質問はなんですか」
「警備員は今どこにいるんですか?」 
「私共の灯野支店の事務所にいます」
「では、どうしてあの時その警備員は席を外したんですか」
「お手洗いにいってたそうです」
「そうですか。白を切りますか」
「何のことですか?」
「レイプの事ですよ」
「すいません」
 緊迫のした空気の中トイレから帰ってきた前野が扉を静かに開けて入室した。
 前野の座っていた席のテーブルの前にはあの紙袋が置かれていた。
「北原さん。そんな事実ありませんよ」
「ちょっとまってください」
水野が手を上げた。
「はい。どうぞ」
「私、証拠と高山さんの遺書もってるんです」
「証拠というのは高山さんのデジカメの動画の事ですか?」
「何で知ってるんですか?」
「先ほど。高山さんのお部屋の遺品整理をしたときに発見しました」
「粗捜しをしたんですか?」
「違いますよ。人聞きの悪い事言わないで下さい。遺品整理って言ってるじゃないですか。それでですね。作業中に清水がカメラを高いところから落としてカメラもメモリも使い物にならなくしてしまったのです。それから、遺書の方はわからないですけど、清水がその部屋でたばこを吸って灰皿がなかったのでその辺にあった封筒を灰皿代わりにしたらその封筒が燃えちゃたんだよな? 清水」
「あぁ。はい。中には紙のようなものが入ってましたが燃えてしまったので何の紙かはわかりません」
 もちろん施設内は禁煙だ。
 小林はいとも簡単にうそをつく が、対照的に清水の方は罪悪感があるのだろう強張った表情でうそをついていた。
「ひどい」
 水野は落胆した。
「ねえ。私のレコーダーも壊したの?」
 前野が小林を疑った。
「それは知りませんね。でも水本が前野さんたちの部屋を気を利かせて先程、お掃除したとき、何かを誤って壊したと言ってましたね」
「なんだよそれ」
 前野は意気消沈した。
「そうだ。さっきは遺書はないといいましたが、そういえばあったんだろ? 清水?」
「はい。ボストンバックの中に入ってました」
「なんて書いてあったんだ?」
「もう人生に疲れた。私はアスペルガー症候群に悩まされるのはもう嫌です。死にます。と書いていました」     
 高山がアスペルガー症候群だったのは本当だ。
「そうか。かわいそうだな」
 清水の不自然な演技を除くとSK劇場は見事なものだった。
 これの台本は会社マニュアルにのっとってのものなのか。小林が考えたものなのかはわからないがすばらしい台本だった。
「あんたら生命放棄文書及び遺品毀棄、偽造で訴えてやる」
 生命放棄文書及び遺品毀棄、偽造罪は。
〈自殺者の文書及び遺品にはの最後のメッセージがこめられている。それを毀棄、偽造することは遺族その死亡者と親交があったものに対して大変許しがたい思いをさせる事になる行為であるので、この行為をしたものにたいしては毀棄、偽造に関する罪より、更に重いものとし、六年以下の懲役に処する〉
「北原さん。あなたは評判どおり頭の切れる方だ。しかし、そんなには人生上手く 行きませんよ。あなた。うちの刑務官に歯向かったりしてるらしいじゃないですか。所長は素行不良で刑期を延ばす方向で話を進めているらしいですよ。ここで大人しく すれば私が口添えしてそれを阻止しますよ。その方がいいと思いますよ。肩を持ってく れた恋人のためにも」
 通常、警備会社支店長に口添えなどできないが、小林はここの支所長レベルの刑務官には簡単に口が出せる力がある。
「彼の気持を裏切るのは辛いけど。私は自分の義を貫きます」
「ほう。まるでジャンヌダルクですな。では、あなたのお仲間を処分しましょうか」
「仲間なんていません」
「笹川さん」
「はい」
「あな高山さんに随分酷いいじめをしましたね。私が知ってる分だけでもストリップにベルト コンベア。浴室での自慰行為の強要。同じく浴室で高山さんに対して集団で尿をかける。これだけでも、高山さんの生命放棄に繋がる行為としてみなされ、笹川さんと それに加わった人たちは今の法律だと一発でほんまもんの刑務所行きですね。生命放棄に関わると怖いですな。笹川さん。しかし、せっかく あなたもいじめと決別したのだから、チャンスをあげましょう。でも そのチャンスはジャンヌダルク さんが私共の会社を訴えないという 条件で。まあ。北原さんがもし訴えたとたとしてもどもには全く 非がありませんから問題ないですけど。さあ義は貫けるかな?」       
 SK劇場は終わったが小林義之のワンマンショーは終わりをみせないでいる。
いじめ行為を暴露された笹川だが、逆にいえば自分のところの刑務官がこれらの行為を黙認していたという事。それにレイプした警備員の事もまだ終わったわけではない。小林は自分の部下の事を棚に上げるにも程がある。
「まい。いいわよ。私のした事だから。大島。佐々木。村井。ごめんね。でも、起訴されて刑務所に入るの私だけだから。それは心配しないで」
 笹川も義を見せる。
「そんな」
 大島らは責任を一人で取る覚悟の笹川を心配する。
「小林さん。私は貫く ほどの義はありませんでした。そういうことにしてください」
「そう ですね。まあこれで一件落着ですな。おい。清水。書類持って来い」 
「まい。ほんと にごめん」
小林は訴えを起こす可能性の多い彼女をやっと攻略した。
「はい」
 その書類が受刑者全員に配られた。
 その書類は主に。
〈高山聡美はアスペルガー症候群を苦にし自殺したと私は思います〉と書かれていた。
「はい。みなさん。読まなく ていいんでサインと 拇印押してく ださいね。おい清水。ぼさっとしないで。書いた人から集めて来い」
「はい」
 清水はぼさっとしていたわけではない。自分の会社を守るためになぜここまでしないといけないんだと自分と葛藤していたから そう 見えただけだ。
 清水はあと何回の会社が行う 理不尽行為で自尊心を失く すのだろうか? それとも自尊心のために会社の利益を犠牲にするのだろうか?
「はーい。ありがと う ございました」
「では。これで失礼いたします」
「失礼します」
 会社に魂を売った男と魂を取り出しているがそれをまだ渡してない男が帰っていった。
 このあと、彼女たちは小林から渡された紙袋をこぞって食堂のゴミ箱に捨てにいった。
 その袋の中にはお菓子の箱が入っていた。
 その中にはお菓子と一〇〇万円札の束が入っていた。
 その束は水野には三本。前野には二本。彼女も二本。他は一本だった。
 その袋は彼女たちが食堂から出たあと。食堂の扉の窓からその様子を覗いていた水本が小林のご機嫌をとるためにそれをそこから拾い上げ小林に差し出した。
 水本は入社二年目だが魂をもうそろそろ売るだろう。
 
 そして二日後。この日二人が刑期を終える。
 昼休憩時間。
 彼女はその二人と刑務所では最後の井戸端会議を彼女の部屋で行った。
「宇美子出たらどうすんのよ?」
「仕事クビになったから。なんか探すわ」
 現実は法律通りにはなってない。
「しずく は?」
「実は私黙ってたけど。ここ来る前ほんものの刑務所行ってたんだわ」
 生命放棄阻止法には。
〈生命放棄の罪と その他犯罪で刑務所に入る場合はその他の犯罪で犯した罪を償ってから生命放棄阻止刑務所に入所する〉と定められている。
「えっ」
「ふたりには言いたかったんだ。私さあ。男に騙されて詐欺の手伝いさせられてたんだ。バカでしょ?」
「しずく はバカじゃないよ」
「そうだよ。ねえ。連絡先交換しない?」
 笹川はこのままでは前野が暗い気持ちで出所することになると思い、話題を変えた。
「いいよ」
「私は務所暮らしが続いたから、解約したんだよね」
「じゃあ。契約したら教えてね」
「う ん」 
 こうして井戸端会議は終わった。
「二人とも準備できたの?」
 支所長が二人を呼んだ。
 二人はバックを手に持ち、その部屋を出た。そのあとを彼女がついていった。
 彼女が出て行って誰もいない部屋――。
 この日の岐路灯のカレンダー。
〈犯罪は刑法によって裁かれるという が俺はそう ではないと 思う 。刑期を終えた人を迎え入れる世間の見る 目や扱い方の方がよ っぽど ムゴい裁き方をする。これって間違ってないか? 一時間 う ん 百万もらってるキャスター様には言えないから 俺が 書いてみたよ 〉

 そして翌日。
 新入りが入って来た。
「ちぃーす。斉藤さ く ら です」
「斉藤さん。差し支えなかったらここに入って来た経緯を教えてく ださい」
「差し支えなければってなんですか?」
「そのことを言うのが辛く ないならという 意味ですよ」
 司会の水本が説明した。
「ていう かいう やついんの? いたら ばか でしょ」
「そう ですかでは、次は北原さん」
彼女はイライラしながらもちゃんとその理由も話した。
 その後、他の受刑者たちも斉藤にイライラしていたが彼女同様名前と ここに来た経緯などを話した。
 そして、顔合わせが終わり。昼食を食べ。彼女は部屋に戻った。
 彼女は仮眠をと るためベット に入っていた。
 すると。
「北原さん。斉藤さんこの部屋だからよろしく ね」
「えっ。なんで私のところなの? 他もあいてんじゃん。嫌がらせ?」
「違います。斉藤さんは一七歳だから。北原さんみたいなしっかりとした人が一緒の方が心強いでしょ」
 生命放棄阻止刑務所では少年院、少女院がないため未成年も成人と 同じ場所に入る。
「水本さん。いいですよ。私別のと ころ行きますから。三十路おばさんとか無理なんで」
「三十路はおばさんじゃない」
 仲の良く ない二人が声を揃えた。
「斉藤さん。あなたは絶対ここ。あなた勉強もしないといけないんだから。北原さん先生だから教えてく れるよ」
「ねえ。人のプライバシー言わないでよね。それとあんたが壊したレコーダーあれ訴えれるんだよ。だってあんた個人に訴え起こせばいいんだから。しずく に言っちゃおうかな。今度会うし」
「そんな。小林支店長みたいなきつい事いわないで。じゃあね」
 水本が逃げていった。
「ねえ。おばさん」
「おなえさん。まちがった。おねえさん」
「おなえさんいいね。おなえさん。わたし帰りたい」
「じゃあ。帰れば」
「帰っていいの?」 
「刑務官に聞いて」
「なんだ。そう いう権限持ってないんだ。先生だから特別扱いだと思ったのに」
「それじゃあ。差別になるでしょ?」
「世の中は差別でできてるんじゃないの?」
 随分すれてる一七歳だ。
「あんた。それ誰に教えてもらったの?」
「あんたって言わないで。さ く らっていって」
「さ く ら。だれからおしえてもらったの?」
「パパ。弁護士やってんだ」
「そう いう ことを言うべき人ではないよね」
「なんで? 弁護士が正義感だけで仕事してるとおもってんの?」
「思ってないけど。でもさあお父さん弁護士なら こんなとこに入らなく てすんだんじゃないの?」
「それはパパにでも無理な事あるの。おなえさん。やっぱうざいな。だから男に捨てられるんだぞ」
「う っしー」
 彼女の高校の時の同級生、下野勝の造語でう るさいという意味だ。
「ふっ。う し。何それ。う ける。わたしにおばさん用語つかわないでわからないから。あと、さあ今日。イブじゃん。マジ今日だけ帰りたい。ライアンハウスでステーキだったのにマジ最悪」
 ライアンハウスは霧野市内の高級ステーキハウスだ。彼女はそこでハンバーグを食べた事がある。
「ライアンハウスはガキの行く 場所じゃない」
「ねえ。あのカレンダーなに? きもいこと書いてる」
「無視かよ」
 前野とさほど年のかわらないさ く ら が岐路灯をバカにした。やはり、岐路灯はさ く ら のような人生をなめているやつにはその良さはわからない。
 この日の岐路灯ワードは
〈「あいつはイジリ がいがある」とか 言ってんじゃねーぞ お前がみんなの一瞬の笑いをとるためにいじってんのは人のキモチだぞ〉
「人いじるのなんて普通じゃん。おなえさんはこんなの見て喜んでるの? きもい」
「喜んでるわけじゃないよ。しみじみ感じてんの」
「もっときもい」
「う るさい。もう行くから着替えろ」
「わたし。加工がいい。だっておなえさんみたいにうんちのにおいつけたく ないもん」
 彼女は自分の生徒より手の焼く 少女がルームメイトになると は思ってなかった。
 こうしてあと一〇日程、世間知らずのお嬢様の面倒を見る事になった。
 さ く らは期待を裏切らない行動を見せては彼女の逆鱗に何度も触れてそのつど、彼女に罵声を浴びせられた。
 しかし。
 数日が経ち、相変わらず寝坊はするは仕事はさぼるはのわがままし放題だが、さ く ら は彼女にこころを見せるよになった。
「ねえ。おなえさん。そっち行っていい? 吹雪で外がうるさく て寝れない」
「いいよ」
 さ く らは自分のベット から枕を持ってきて彼女の隣で眠った。
 それから、毎晩彼女と一緒に眠った。
 さ く らはその効果かはわからないが徐々にわがままはいわなく なり、仕事も 彼女のよう にはできないがさ く らの精一杯の一生懸命で頑張っていた。一方勉強の方はあまりにも学力が低いためと作業の疲れで睡魔が邪魔し、頭に入っていかなかった。その状況を打破しようと彼女は自分の生徒にはふるうことが許されない愛の鉄拳をふるい。さ く らに付きまとう 睡魔を追い払い。さ く らの頭の中に知識いれる隙間をつく った。
「痛い。また殴った、パパに言ってほんとの刑務所にいれてもらう よ 」
「水本に一日最低三ページは進まないと刑期一日伸ばすって言われてるんだからちゃんとやってよね」
「ねえ。今日もおなえさんがやってよ」
「だめだって。私いなく なったらどう するの? 一人でやるんだよ」
「水野さんにお金はらってやってもらう」
「やってく れるわけないでしょ?」
「一日一〇〇〇円でやってく れるっていってたよ」
「あいつ。あとで説教だ」
「そなこと ばっかりっかするから笹川二世とかいわれてるんだよ」
 彼女は意気消沈した。
「ほんと にそういわれてんの?」
「うん」
 この瞬間。笹川はく しゃみしたと考えられる。
「でも、笹川って言う のはこんなもんじゃないよ」
「どんなひと?」
「いんけんのいんけんでいんけんののいんけんだよ」
「で?」
「それはもう。あんなことからそんなことまで、やらせる。まるで鬼でした。いや鬼だった」
「あんなそんなじゃわかんないけど。こわいね」
「勉強やらないと笹川呼ぶぞ」
「はい。やります」
 愛の鉄拳よりも笹川の方がさ く らには効く 。笹川効果は計り知れない。
「あっ。もう 八時五〇分じゃん。綾野剛のド ラマ始まっちゃうじゃん。さ く 。遅いからもう いいよ」
「なんで? せっかく 勉強してんのに」
「いいから」
こんな感じで勉強はちゃんとやってること になってる。
                                
 十二月三一日。
「三、二、一あけましておめでとう」
 二〇二一年一月一日。
「おなえさん。あけましておめでとう。今週だけよろしくおねがいします」
「何だよそれ」
「だって。今週だけじゃん」
「そっか」
「そっかって。そんなさびしいこといわないでよ」
さ く らの目が涙で潤んでいた。
「なに? 泣いてんの? さく らしく ない」
「うしー」

そして。
 別れの前日の夜。この日も二人並んで同じベットに入ってた。
「あしたで一時おわかれだね」
「一時ってなに?」
「だって。わたしも総合ならうから」
「えっ。ほんと に行く の? あいつがアメリカから帰ってきてるかもしれないから私はいかないわ」
「じゃあ。さ く ら もいかない。じゃあさ。おなえさんのうちでお勉強する」
「ほんとか?」
「ほんと。わたし。教師になる。そして、北原先生と働くんだ」
「やっと。変な名前から開放された」
「なんで。そっちにく いつく の?」
「わたし。真剣なのに」
「わかってるよ。そのぐらい顔見れば」
二人はお互いを見つめ合った。
「人生で真剣になるの始めて。今までなにしてたんだろ」
「遅くないよ。今から頑張れば大丈夫だよ」
「うん。頑張る。そうだ。自殺の理由いわなきゃね」
「言わなく てもいい。辛く なるだけだから」 
 さ く らは自分の頭を彼女の胸に押し付けた。
 しばらく し て、彼女はさ く らの寝息を聞く と、目を閉じた。

 そして、刑期最終日。
 昼食を終え、彼女は荷物をまと めていた。
「おなえさん。そのカレンダーもっていくんだ」
 前野がいなくなったあと。彼女はそこからはめく ったカレンダーを持ち帰るために一まとめにしていしていた。
「う ん」
「じゃあ。今日のも持っていけば」
「そうだね」
 さ く らは彼女に気を使い、この日のカレンダーをめく りにそこに歩み寄った。
 この日言葉は。
〈「人生に絶望したので死にます」って「腹減ったから、コンビニで弁当買ってきます」みたいな感覚で自殺するんですね。 そう いう人たちに聞きます。あなたがしているものが絶望ではないとしたら死なないのですか?  「はい」と言う人がひと り でもいるのなら。俺は言います。それは絶望ではありません〉
「今日もすごいやつだね。はい」
 さく らはめくったカレンダーを彼女に渡した。
「北原さん。もう 出る時間だよ」
「はい」
 彼女はバックを持ち玄関に向かった。
 そこには彼女の母親が来ていた。
 玄関扉のわずかな隙間から真冬の風が彼女の体をゾクッとさせた。
「お母さん。元気だった?」
「う ん。まいはどう ? 」
「こいつが世話を焼かすからリストカットする暇もなかったよ」
彼女はうしろをチラッと 見た。
「北原さん」
「水本さん。生放ジョークじゃないですか。お母さん。妹できたから紹介するね。これが妹のさ く ら」
 彼女のうしろにく っついていたさ く らを手で引っ張り自分の横に出した。
「あら。かわいい。妹さん」
「どう も」
 さ く らは照れながら彼女の母親に挨拶した。
 そして。
「北原さん。頑張ってね」
 所長が声を掛けた。
「はい」
 彼女の刑期一ヶ月の服役は終了した。

 刑務所を出てから、彼女の自殺願望がなく なったわけではない。職場関係、恋愛関係のトラブルがある度に「死にたい」と思ってしまう のであった。
 

















一度、死ぬこと に逃げ道を求めた も の はまたそこに逃げてしまう。
 そう、逃げ道の選択肢に死があるから人は
自ら、命を絶つ。
 この選択肢に死というものがある限り
自殺する行為を罪としてもそれは制止力持たず。
志願者たちはそこに向かう 。
 自殺というものをなく すのに方法は無い訳ではない。
 それは自殺の存在を抹消することである。
しかし、根付いたものは深く。
取り除く ことは困難なことだし
「かわいそう です」なんて自殺者を増殖させる腐った社会の認識も厄介だ。
 だが、「原発は安全です」という プロパガンダで国民をマインド コント ロールした実績を持つ。
日本政府が本気出したら 不可能ではない
 本当に自殺者を〇にしたいと いう のならそうするべきです。
 
そうすることが出来たら。
 人間は
 どんなに悲しみに打ちひし がれよう が
 借金がどれだけ膨らもうが
 人はそこで
 もがき苦しみ
 人に助けを求め
 善意か悪意が沁み見込んだ 手を 差し伸べられて
 生きていく
 心の臓が止まるまで
 これが本来の人間の姿だと
 俺は思う 。
 こころから
 
                                        岐路灯 吾さ雄

 

 


                                                         

 







 
 
 
< 前ページ 次ページ > 目次
ページ上へ戻る
ツイートする
 

全て感想を見る:感想一覧