アンドレア=シェニエ
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第一幕その五
第一幕その五
そうした問題を問題を考える者が現われるようになった。俗に言う啓蒙思想である。それは知識人達の間に急激に広まっていった。
しかしいささか現実と遊離した一面もないわけではなかった。ルターのいう『自然に帰れ』であるが現実には不可能である。その為この時代の啓蒙専制君主と呼ばれる者達、サンスーシーの隠者と呼ばれたプロイセンのフリードリヒ大王やロシアの女帝エカテリーナ、オーストリアの若き君主ヨーゼフ二世等であるがそれを実際に政治にとりいれようと試みたのはまだ若いヨーゼフ二世だけであった。だが彼は聡明であったのでその間違いにも気付いたか軌道修正をしている。他の二人は学問として学んだ程度である。
しかしこの言葉が一人歩きしていく。共産主義にはこの言葉が残っていた。そして二十世紀それに影響された進歩的思想がルターとほぼ同じことを主張する。反文明、反文化である。それは悲劇となった。特にポル=ポトの狂気は人類の歴史に永遠に残るであろう。
だがそうだからといって啓蒙思想が悪いわけではない。実際にその問題を知らしめし人々に見せたのであるから。ジェラールが好んで読んでいるのも彼等の書である。彼はなかなか学識のある男であった。
「あまりお話したくはないのですが」
修道院長はそう言って話すのを拒もうとした。
「それはいけませんわ」
伯爵夫人がそれを拒んだ。
「そうです、皆聞きたがっていますわよ」
マッダレーナも言った。見れば他の客達もである。
ただシェニエだけは違っていた。彼はそれを一人無表情のまま見ていた。
「よろしいですか?」
修道院長は暗い顔のまま一同に問うた。
「是非お願いします」
彼等は口々に言った。彼はそれを見て意を決した。
「後悔しませんね」
彼はそれでもそう前置きした。
「ええ」
一同は答えた。院長はそれを見て決めた。
「ではお話しましょう」
見ればこの部屋にいる者全員集まっている。そして彼の話に耳を傾けている。
「王室の権威は近頃翳りが見られます」
「やはり」
「陛下に良くない忠告をした者がおりまして」
「ネッケルでしょうか?」
誰かが尋ねた。財務長官である。
「それは残念ながら」
院長はそこまでは言おうとしなかった。
「いえ、仰らずとも」
誰かが言った。勘のいい者や宮廷に明るい者ならばすぐにわかることであった。
「私の口からはそれは言えません」
院長はそれでも彼の名は言わなかった。
「そして第三階級ですが」
「彼等が!?」
所謂庶民のことである。といっても議会にいるのは裕福な家の出身や啓蒙思想の影響を受けた者が多かったが。三部会といってもやはり文字の読める程度の知識がなければ出席も発言もままならなかったからである。当時のフランスの識字率は非常に低かった。
こういった話がある。鉄仮面という男が牢獄に捕われていた。
彼の正体についてはいまだに色々と議論されている。ルイ十四世の縁者ではないかという噂があるが定かではない。デュマは小説にもしている。だがこれはという確かなものはない。
その鉄仮面が牢獄から一通の手紙を落とした。誰かに自らの身の上を知ってもらい助けてもらう為だ。その手紙を一人の漁師が拾った。
すぐにその漁師のところに人が来た。何と鉄仮面が捕われている牢獄の監獄長自らやって来たのだ。
「御前は手紙の中身を見たか?」
彼は怖い顔をしてその漁師を問い詰めた。
左右には兵士達が控えている。剣呑な気配だ。
「いえ」
漁師は答えた。
「読むも何も私は字が読めないものでして」
それを聞いた監獄長はこう言って微笑んだ。
「御前は運がいい奴だ」
彼がもし字が読めていたら確実に殺されていただろう。この漁師は思わぬところで命拾いをしたのだ。
「彼等は大変なことをしています」
「何をしているのですか?」
皆院長の言葉から耳を離せない。
「あれは非常に怖ろしいことでした」
彼はそれを話すのを躊躇していた。だが話さないわけにはいかなかった。
「何ですか、教えて下さい!」
皆がそれを許さないのである。彼は止むを得ず話しはじめた。
「アンリ四世陛下の像が汚されました」
「何と怖ろしいことを・・・・・・」
アンリ四世とはこのブルボン朝の創始者である。ヴァロワ家が断絶したのでその縁者である彼があとを継いだのである。この時代彼は神にも等しい存在であった。
「彼等は神をも怖れぬのでしょうか」
「はい、彼等の中には神を否定している者もおります」
「信じられない・・・・・・」
この時代から無神論者もそれを主張するようになった。フリードリヒ大王もそうであったが特にこの時にフランスの啓蒙思想家には多かった。
「では彼等は何を信じているのでしょう」
「理性だと彼等は言います」
「そんなものが何の役に立つと・・・・・・」
それを聞いたシェニエは少し目を向けた。何か言いたげであったが誰も気付かなかったしシェニエ自身も人にまで聞かせるつもりはなかった。
「まあ深刻な話はそれまでにしましょう。折角の宴なのですし」
院長はそこで話を強引に打ち切ってしまった。
「フレヴィルさん、貴方もそう思うでしょう?」
そしてそうした場を盛り上げることに慣れているフレヴィルに話を振った。
「ええ」
彼は微笑んでそれに応えた。そして皆の前に出て来た。
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