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アンドレア=シェニエ

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第三幕その八


第三幕その八

「そして革命のことも歌いました。そしてそれに全てを捧げました」
 そこで裁判官達とタンヴィルを見据えた。
「それによって死ぬのなら私は本望です。私は喜んで断頭台に向かいましょう。私はその理念に従い、名誉を守ったまま死ぬことができるのですから」
 裁判官達は沈黙した。何も言うことが出来なかった。
「さあ、是非私を断頭台に送って下さい。私は死なぞ恐れはしない。そして誇りをもって死への道を歩みましょう!」
 高らかにそう宣言した。誰もそれに口を挟むことは出来なかった。
「言いたいことはそれだけか」
 だがタンヴィルが口を開いた。
「では裁判を続けよう。弁護人」
「はい」
 ジェラールが席を立った。
「貴方の意見を聞きたい」
 タンヴィルはジェラールを見た。彼等は同志である。だから安心していた。
 だがそれはすぐに崩れた。
「検事殿、そして裁判官、陪審員の方々に申し上げます」
「はい」
 タンヴィルが頷いた。全ては彼が支配していた。
「彼は無罪であります」
「な・・・・・・」
 タンヴィルはそれを聞いて絶句した。市民達もざわめきだった。
「彼は革命に反することは何一つとして行なっておりません」
「馬鹿な!」
 タンヴィルは最後まで聞くことができなかった。机を叩き激昂した。
「同志ジェラールよ、何を言われるか!この男が革命の敵でなくて何というのか!」
 普段の冷徹さは何処にもなかった。市民も陪審員達もそれを見て驚いていた。
「おい、あれが本当にタンヴィルか!?」
「あの様に興奮する彼ははじめて見た」
 彼等も狼狽していた。タンヴィルはそれに構わず続ける。
「同志ロベスピエールからの告発状があるではないか!」
「確かに」
 ジェラールはそれは認めた。
「私はそれにサインはしていない。それは何故か」
 ジェラールは言葉を続けた。
「私は彼が革命に反しているとは思わないからだ」
「戯れ言を」
 タンヴィルは顔を真っ赤にしていた。そして血走った眼で彼を睨んでいた。
「貴方は何を言っているのか自分でわかっているのか」
「当然だ」
 激昂するタンヴィルに対してジェラールはあくまで冷静であった。
「私は狂ってもいないし酔っているわけでもない。だから言おう」
 タンヴィルを見据えた。
「私は公正な視点に立って言う。アンドレア=シェニエは無実でろうと!」
「そんな筈がない!」
 タンヴィルは叫んだ。
「彼は革命の敵なのだ!革命の敵は一人残らず断頭台に送るべきだ!」
「そしてそれにより多くの者が死んだ」
「当然だ、革命に敵対するのだからな」
「その結果我々は何を得たか」
 ジェラールはここでタンヴィルだけでなく辺りを見回した。裁判官や陪審員、そして市民達も見た。
「同志諸君、よく聞いて欲しい」
 そして再び口を開いた。
「今我がフランスは危機に瀕している」
「革命の危機だ」
「違う」
 タンヴィルの言葉に首を横に振った。
「それは我々の血だ。我々は敵と戦うよりまず先に身内で殺し合っている。同じフランスを愛する者達を」
「ジェラールは何が言いたいんだ」
 市民達はそれを聞き大いに戸惑っていた。
「私の言うことは必ずわかってもらえると信じている」
 彼は言った。
「今はわかってもらえなくともいずれは必ず」
「そんな事は有り得ない!」
 タンヴィルはなおも言った。ジェラールは彼に顔を向けた。
「いや、有り得る。違うな、必ずある」
「クッ」
 彼は歯噛みした。そしてまた沈黙した。
「今彼を断頭台に送ると我々は必ずやそのことで後悔する日が来るだろう。我がフランスの栄光を守る為にも私は断固として彼の命を救うことを望む!」
「裁判官!」
 たまりかねたタンヴィルが叫んだ。
「彼のこれ以上の発言を禁じて下さい!彼は明らかに錯乱しています!」
「わかりました」
 裁判官達は頷いた。そしてジェラールに対して言った。
「弁護人、それ以上の発言を禁止します」
「・・・・・・わかりました」
 不本意ながらそれに従った。彼も決まりを破りたくはない。
「では判決に移ります」
 裁判官の一人が言った。そして陪審員達に顔を向けた。
「お願いします」
「わかりました」
 彼等は答えた。そして彼等は口々に言った。
「有罪」
 と。元々決まっていたことだ。
 全員有罪であった。そもそもこの陪審員も皆ジャコバン党員である。服や外見だけでそれが容易にわかる。
「では判決を下す」 
 裁判官の中央の者が木槌を叩きながら言う。そして判決文を読み上げる。
「詩人アンドレア=シェニエを革命に反する罪で死刑とする」
 誰も驚かなかった。皆それが当然だと思っていた。
 シェニエもである。彼は昂然と胸を張ってそれを聞いていた。
 タンヴィルは誇らしげにその判決文を聞いた。彼のいつもの動作である。
 だが市民達は沈黙していた。誰も一言も発しなかった。
「いつもはあれだけ騒がしいのに」
 陪審員達もそれを見て不思議に思った。
「これは一体どういうことだ」
 彼等もその異変に気付いていた。何かが違った。
「マドモアゼル」 
 ジェラールは傍らにいるマッダレーナに顔を向けた。 
 彼女の顔は蒼白となっていた。だが泣いてもなく、取り乱してもいなかった。
 あくまで毅然として立っていた。表情は険しかったが自らの沸き起こる感情に必死に耐えていた。
 ジェラールはそれを見て安心した。見ればシェニエは今彼の前に来ていた。
「有り難う」 
 そして右手を差し出してきた。
「礼には及ばない。私は彼女に頼まれただけだ」
 彼はシェニエの手を固く握りながらマッダレーナに顔を向けた。
「彼女?」
 シェニエはそれにつられるように顔をそちらに向けた。
「あ・・・・・・」
 そこに彼女がいた。マッダレーナはシェニエに対して頷いて応えた。
「私は彼女に導かれたのだ。正しい道に」
「そうだったのか」
「私に礼は言わなくていい。言うのなら彼女にしてくれ」
「マッダレーナ」
 シェニエはそれを受けてマッダレーナに語りかけた。
「はい」
 マッダレーナもそれに応えた。
「有り難う。今は多くは言えない。けれど有り難う」
「はい」 
 この時彼女の心にある決意が宿った。
「ジェラール、やはり君に感謝する。君がいなくては彼女に今こうして会うことはできなかった」
「そうか」
 ジェラールはその言葉を謹んで受けた。
「この恩は一生忘れない。例え私が死のうとも」
 シェニエは神を信じている。だからこそ言える言葉であった。
「アンドレア=シェニエ」
 そこに兵士達が来た。彼に退場するよう促す。
「わかっている」
 彼は頷いた。そして兵士達に従った。
「ジェラール、マッダレーナ、最後にまた会うだろう。だが忘れないでくれ」
 彼の顔は紅潮していた。死なぞ全く恐れてはいなかった。
「私は貴方達と出会えたことを幸運に思う。貴方達は私の一生の最後の幸運だった」
 そして彼は裁判の場を後にした。昂然と胸を張ってその場から立ち去った。それは勝利者の行進であった。
 
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