アンドレア=シェニエ
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第三幕その六
第三幕その六
「父は玄関のところで殺されました。私と母を守る為に。そして」
マッダレーナは一瞬唇を噛んだ。だが苦しい心を抑えてまた言った。
「母は私の部屋の戸口で死にました。私を逃がす為に楯となって」
「あの人が。そうだったのか」
ジェラールは今までマッダレーナの両親を憎みこそすれ認めることはなかった。人間とすら思っていなかった。それは何故か。貴族だからである。だが今の話を聞いてそれが変わった。
(あの人達も人間だったのだ)
それがわかるとは思わなかった。何故それがわからなかったのか。
「私はベルシと共に逃げました。暗い夜道をただひたすら進みました。そして後ろから青白い鈍い閃光が起こりました」
「雷ですか」
「いえ」
彼女はそれに対し首を横に振った。
「私の家が、屋敷が焼け落ちていたのです。今まで住んでいた美しい我が家が」
「あの家がですか」
「はい」
ジェラールはそれを聞いて感慨を感じずにはおられなかった。ただひたすら憎い筈の屋敷だったのに。
「私は一人になりました。けれどそれをベルシが救ってくれたのです」
「彼女が」
「はい。私の為に身を売って。そうして私を救ってくれたのです」
「そうだったのですか」
革命は多くの人の運命を狂わせる。望んでもいない道に追いやってしまう。美名の陰にはそうした残酷な牙が潜んでいるのだ。
「誰もが私の為に不幸になってしまった。私は誰も幸福にすることができなかった」
それは違う、ジェラールはそう言いたかったがとても言えなかった。
「けれどそんな私が愛を知りました。そして私を愛してくれるという方が現われたのです」
「それが彼なのですか」
「はい」
マッダレーナは頷いた。
「あの方の為なら私は喜んで犠牲になりましょう。例えどの様なことであっても」
「そうですか」
ジェラールは最早彼女に指一本も触れる気にはなれなかった。彼の正義を愛する心と誇りがそれを許さなかったのだ。
「マドモアゼル」
ジェラールは彼女に顔を向けた。
「貴女の心はしかと受け取りました。私は貴女に手を触れることはありません」
「え・・・・・・」
「そして今誓いましょう。貴女が想う人を、アンドレア=シェニエを必ず救い出して差し上げましょう」
「本当ですか!?」
マッダレーナは我が耳を疑った。つい先程自分を求めていた者の言葉とは思えなかった。
「私は嘘は言いません、この誇りにかけて」
彼は他の者にも誇りを忘れるな、と言う。誇りなくして人間ではない、と。だからこそ自らもそれに誓うことができるのだ。
「できるのですか」
「出来なければ私が断頭台に行きましょう」
本心からの言葉だった。命は最初から惜しくはなかった。それよりも誇りを失う方を恐れていた。
「ここに私のサインがあります」
そして告発状を手に取りそれをマッダレーナに見せた。
「しかし今それを消しましょう」
そう言うと自分の名に線を引いた。
「これが証拠です。私は今からアンドレア=シェニエを救うことに全てを捧げます」
「わかりました」
マッダレーナもそれを見て頷いた。ジェラールの心をようやく全て知ったのだ。
「その御心喜んで受けさせて頂きます」
「かたじけない」
ジェラールは頭を垂れた。
「では外に行きましょう、革命裁判所へ」
「はい」
先にジェラールが演説をした場所である。裁判もそこで行われるのだ。
二人はクラブを出た。そして裁判所に向かって進む。
「御覧なさい、あれを」
ジェラールはここで側を通る憲兵達を指差した。
「あの銃やサーベルを。彼等もまた裁判所に向かっているのです」
「彼等も」
「そうです。そしてそこに彼もいます」
「お願いです、あの人を」
マッダレーナは彼等の銃やサーベルを見て不安を覚えた。そしてジェラールに頼んだ。
「わかっています」
ジェラールはそれに対して頷いた。
「誓ったことは必ず守ります」
彼は言った。
「革命は自分達の子供を喰らい尽くす。誰が言った言葉か」
裁判所に来た。既に何人かの『革命の敵』がそこにいた。
「彼等もまた死んでいく。同じ人間だというのに」
彼は今は苦渋と共にその言葉を呟いていた。かっては革命の理念だと思っていたが。
「さあ、いい席を取ったよ!」
「おい、そこは俺の席だよ!」
見れば市民達が席を争っている。この血生臭い裁判も彼等にとっては娯楽なのだ。
「こうしたことも終わらせたかったのだが」
ジェラールは悲しげな顔で俯いた。
かっての王政下では死刑の執行は一大イベントであった。人々はそれを見る為に集まった。そして出店で物を買い酒や菓子に興じながらそれを見て喝采を叫んでいたのだ。
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