おいでませ魍魎盒飯店
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Episode 4 根菜戦争
最悪のモーニングコール
その日、五日ぶりの休日であったアトリエ・ガストロノミーの朝は、激しい揺れで始まった。
「何ニャ!? 地震か!!」
荷物の検品をしていたマルが、崩れた荷物の下敷きにならないように素早く机の下に潜り込む。
同じ倉庫の中で毛布を敷いて寝ていたポメやテリアも、この騒ぎの精でとっくに起き出して、安全なスペースへとその身を寄せていた。
だが、この地震、何かおかしい?
そもそも、いつになったらこの揺れは収まるのだ?
「この揺れ方、地震じゃねぇぞ!」
別の部屋では、クリストハルトもまたこの揺れの質が異常であることに気づき、冷たい汗をかきながら低く唸っていた。
そう、この何度も断続的に発生する大きな揺れは、むしろ巨大な何かか近づいてくるような……
そんな事を考えながら、クリストハルトは寝ぼけ眼のカリーナを抱きかかえて、お互い素っ裸のままベッドの下に転がり込む――昨夜何をしていたかは想像にお任せしよう。
そしてこの屋敷の主であるキシリアはというと――
「あー 久しぶりに来たか」
嵐の海に浮かぶ小船のように揺れ動く家の中で大きく伸びをすると、その理力を大きく開放した。
その瞬間、あれだけ激しかった揺れがピタリと止まる。
つづいて、部屋の窓を大きく開け放つと、力いっぱい大声で叫んだ。
「おい、サクラ! いきなり来るなって言っただろ! 自分の図体考えろ!!」
その罵声の先にあた存在――それは……
「……木?」
「なんだ、このでかい木は!?」
揺れが収まった事を確認し、屋敷の住人たちが次々にキシリアの部屋を訪れる。
何かあった際、一番安全なのはやはりこの屋敷の守護妖精であるキシリアの近くであるからだ。
「あ、あああ、あれはエルケーニッヒだニャ!」
外の景色を見た、マルの声が恐怖に震える。
――エルケーニッヒ。
直訳すれば"榛の王"と呼ばれる魔王である。
地球ではドイツの"黒の森"と呼ばれる広大な森林地帯を統べる魔王として讃えられ、ゲーテの詩、もしくはその詩に触発されたシューベルトの名曲"魔王"にも登場する恐るべき存在だ。
「なんで森の君主がここにいるニャ!!」
「逃げるニャー! 勝てる相手じゃないニャ!!」
ケットシーたちがすさまじい勢いで家の中から飛び出してゆく。
その反対側に聳え立つのは、およそ1万年たってもここまでは育たないであろう巨大な樹木。
あまりにも巨大すぎて、むしろ樹木というよりは巨大な壁のように見えた。
そして、その樹木の壁がビリビリと震え、声となってキシリアの呼びかけに答えを返す。
「だぁってぇー 急用だったから仕方が無いじゃない! そんな怒らないでよ、桐生さん」
字面だけを見るなら、まるで女性のような甘ったるい口調に見えるかも知れないが、実際にはかなり野太い声である。
しかも、キシリアを"桐生さん"と呼ぶあたり、ただの魔族であるはずがない。
その名は、当然ながら今のキシリアの名前ではなく、彼女の前世の名前だからだ。
少なくとも、キシリアが"この世界"の存在にその名を明かすことはないし、当然ながらキシリアが名乗らない限りはこの世界の住人がその名を知るはずも無い。
「とりあえず人化だ、人化! その図体でウチにこられても入る場所なんかねぇぞ!!」
「えー だって、私一人じゃ人化できないしぃ」
そんな台詞と共に、エルケーニッヒの巨体がギシギシと不気味な軋み音を立てる。
実際には、まるでドラゴンが歯軋りでもしているような轟音であり、キシリアの後ろに控えているクリストハルトとカリーナは恐怖のあまり顔が真っ青になっていた。
いきなりこんなものが現れれば、彼等の反応も無理は無いだろう。
すでにカリーナの目には山をも焼き尽くす神火の輝きがチラチラと揺れている。
「キモいわボケ! 元がJKだからって可愛いフリをしても、男なんだよ! 今のお前は!!」
「ひどーい! 私は今でも乙女のつもりなのにぃっ!!」
「ナメたこと抜かすと、カリーナに命じてお前の体半分焼くぞ!」
その言葉に、さしものエルケーニッヒもたじろいだ。
いくら"榛の魔王"といえども、カリーナの持つ火神"太陽の嗣子"の炎に灼かれれば命を失いかねない。
「もー わかったから力貸してよ。 本気で一人じゃ人の姿とれないんだから」
「この、未熟者め」
「ひどーい! これでも、この世界では私のほうが先輩なんですからねっ!!」
「寝言は寝てから言え。 ……カリーナ、クリストハルト、まぶしいから少し目を閉じていろ」
巨大な樹木からその枝先がおそるおそる差し伸べられ、まだ若葉が生い茂るその枝にキシリアが触れた瞬間、サッと周囲に銀色の光が放たれ、一瞬だけその場にいた者の全ての視界を奪う。
「あー 体が軽いわぁ」
そんな間延びした声にカリーナとクリストハルトが薄目を開けば、キシリアの隣にいつのまにか銀色の髪をした美丈夫が立っていた。
髪も銀色ならば、肌も白く、その衣装も霧を紡いで作られたような銀と薄灰色のローブ。
貴公子然とした涼しげな目鼻立ちではあるが、その背丈は大柄なクリストハルトと並んでも遜色が無く、肩幅の広さや胸板の厚さが男性らしさを否応にも主張している。
何も言われなければ、どこかの騎士か貴族がお忍びでやってきたのだと誰もが思うだろう。
ただ……その言葉遣いだけは、まるで街娘のようであった。
「で? 朝っぱらから何の用だ? まさか俺の顔を見に来たなんていわんだろうな?」
「もちろん、久しぶりに顔を見に……」
「……死にたいようだな、"妖樹王"ユストゥス・エルケーニッヒ・シュヴァルツマイヤー閣下」
キシリアの声が地獄の床を踏み抜かんばかりに低く流れる。
――あれ? その名前、どこかで聞いたような?
まだ魔界に来て日の浅いカリーナたちはなじみの無いことだが、その呟かれた名は隣国の王の名前だった。
「やだー サクラって呼んでよぉ。 いつもみたいにぃ。 数少ない同郷なんだから!」
キシリアを桐生と呼び、そして自らを同郷の出身と告げるこの美丈夫のかつての名前は、御木本 桜。
そう、キシリアと同じく数少ない日本からの転生者であった。
「あーもぉ、睨まないでよ。 だってぇー 桐生さん、めったに顔見せてくれないしぃ」
「俺がよほどのことが無い限り国境を越えられんのは知っているだろう? 主にウチの国の魔王のせいで」
実はキシリアの店は国境まで歩いて3分と言う恐ろしい立地条件であり、店の背後にある鬱蒼たる森は全て隣の国に属している。
そして、その緑の王国を統べる魔王こそが、今目の前にいる美丈夫その人であった。
「だったら、この場所も森に飲み込んでアタシの国に組み込んであげるわよ。 これでいつでも会えるようになるしぃ」
「……戦争でも起こす気か?」
"妖樹王"ユストゥスの目に剣呑な輝きを見て取ったキシリアがピンと片方の眉をあげる。
「ひょっとしなくてもなるでしょうね。 あれだけ舐めた真似されたらさすがに黙っちゃいられないわよ」
微笑むユストゥスだが、その目は全く笑っていない。
「茶でも入れよう。 何がいい?」
「焙じ茶。 ウチの国でつくっても日本の味にならないのよね。 やっぱり桐生さんの淹れてくれたのじゃないと」
「……キシリアと呼べ。 あと、相変わらず贅沢な舌だな」
「そりゃもぅ、王様ですから」
キシリアが先導して部屋を出てゆくと、その後ろをユストゥスが自宅でもあるがごとくヒョイヒョイと付いてゆく。
「なぁ、俺たちってものすごーくヤバい場面に遭遇してないか?」
「……たぶんそうだと思う」
軽口を叩き合いながらリビングに消えてゆく二人を見送り、クリストハルトとカリーナはウンザリしたようにため息を吐き出した。
魔王に匹敵する理力を持つキシリアと、隣の国の魔王が顔を付き合わせて何か相談をしているのだ。
いったいどんな恐ろしいことが起きているのやら……
――その数分後、アトリエ・ガストロノミーの店舗全体を震わすように、キシリアの怒りの声が響き渡った。
ドライアドがキシリアの店を訪ねる。
目的はレンズ豆が出来たことの報告と、オーク対策の相談。
原因は、キシリアが始めた料理と言う文化により、食生活の美食化が発生。
オーク達が草の根っこを食べ始めたこと。
すでに多数のマンドラゴラが被害にあっている。
もしくは焼畑農業を始めた。
レンズ豆でさっそくメルジメッキ・キヨフティを作るキシリア。
自らの始めた美食によって発生した問題だけに、キシリアはこの事件の解決に乗り出すことに。
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