銀河英雄伝説~美しい夢~
しおりを利用するにはログインしてください。会員登録がまだの場合はこちらから。
ページ下へ移動
第三十五話 反撃
帝国暦487年 8月 25日 オーディン 新無憂宮 フレーゲル内務尚書
蹲るカストロプ公をブラウンシュバイク公とリヒテンラーデ侯が見降ろしている。二人が顔を見合わせリヒテンラーデ侯が首を横に振るとブラウンシュバイク公が苦笑を浮かべた。衛兵が呼ばれカストロプ公が引き立てられる。カストロプ公は抵抗したが衛兵は情け容赦なく連れ去った。ちょっと前なら有り得ない光景だ、この場の全員がカストロプ公爵家は廃絶したのだと改めて認識しただろう。
「ゲルラッハ子爵」
「はっ」
「カストロプ公爵家の私財の接収に取り掛かってくれ。軍には話しを付けてある、艦隊を動かしてくれるはずだ」
「承知しました」
リヒテンラーデ侯とゲルラッハ子爵が話している。新財務尚書の最初の仕事は前任者の私財の接収か……。ゲルラッハ子爵もこれでは汚職に手を出す事など出来ないだろう。誘惑にかられる度にカストロプ公の惨めな姿を思い出すに違いない。
平民達はカストロプ公爵家の廃絶に喜び、税の軽減に喜ぶだろうな。今回の改革を諸手を上げて歓迎するに違いない。そして税収の不足分はカストロプ公の私財で埋め合わせをする、何とも辛辣な……。最後までカストロプ公を利用し尽くした。
「クレメンツ提督、ワーレン提督」
「はっ」
ブラウンシュバイク公の呼びかけに二人の軍人が応えた。
「聞いての通りです、軍は財務省の接収作業に協力する事になります。直ちに艦隊の出撃準備を整えてください」
「はっ」
「カストロプ公爵家は私設の軍を保持しています。当然ですが抵抗してくるでしょう。軍の役目はそれを鎮圧する事になります」
ブラウンシュバイク公の言葉に二人の軍人が顔を見合わせた。ややあって年長の士官が口を開いた。
「承知しました。他に留意すべき点は有りますでしょうか」
ブラウンシュバイク公がほんの少し考えるそぶりを見せた。
「……カストロプ公爵家の跡取り、マクシミリアン・フォン・カストロプは平均以上の軍事能力を持っていると聞いた事が有ります。油断しないように、二個艦隊を動かすのもその為です」
「はっ、では我らは準備に取り掛かります」
軍人二人が陛下に敬礼をすると足早に黒真珠の間を去ってゆく。なるほど、今の宇宙艦隊は下級貴族と平民達が指揮官だ。カストロプ公爵家に遠慮などはするまい。マクシミリアンが抵抗すれば容赦なく叩き潰されるだろう。二人が立去るのを見送ったブラウンシュバイク公が貴族達に視線を向けた。
皆が居心地の悪そうな表情をしている。無理もない、今カストロプ公が破滅したところを見たばかりなのだ。そんな彼らを見てブラウンシュバイク公が微かに笑みを浮かべた。
「税に制限を加える事を不満に思う方もいるかもしれません。しかしこれは卿らを守るためなのです」
不思議な事を言う、皆が訝しげな表情をした。
「政府が決めた範囲内での徴収であれば例え領内で暴動が起きても卿らは帝国が保障した権利を行使しただけの事。基本的にその事で咎められることは有りません。帝国貴族としての存続を帝国が保障します」
公の言葉に彼方此方で頷く姿が見えた。
「しかし政府の命に背いて制限を超えた税を徴収した場合は保障しません。場合によってはカストロプ公同様廃絶という事も有ります」
「……」
「この制限が気に入らぬと言うなら反乱を起こしても構いません。宇宙艦隊は何時でも鎮圧する用意が有る」
皆顔を見合わせている。顔色を窺い他人がどう考えているかを確認しようとしている。反乱に利が有れば反乱を起こそう、そう考えているだろう。税の制限など嬉しい事ではないのだ。その様子を見てブラウンシュバイク公が軽やかに笑い声を上げた。貴族達がギョッとしたような表情をする。愚かな……、どうしてそうも読まれ易いのか……。
「或いはフェザーンが反乱の援助を申し出てくるかもしれません。しかし……、気を付けるのですね」
「……」
公が意味有りげに笑みを浮かべている。
「彼らは卿らの勝利を望んでいるのでは有りません。帝国の混乱を望んでいるだけです。卿らが敗勢になれば用済みとして平然と切り捨てられますよ。何処かの誰かのように……」
ブラウンシュバイク公の言葉にリヒテンラーデ侯が低く笑い声を上げた。この二人、人を脅すために生まれてきたような男達だ。貴族達が顔を蒼白にしている。
「脅すのはその辺りにしてはどうかな、ブラウンシュバイク公。皆蒼褪めている」
リヒテンラーデ侯が含み笑いをしながら公を宥めると公は肩を竦めた。
「脅しじゃありません、忠告しているのです。フェザーンは他人を利用するのが上手ですからね、ついでに切り捨てるのも」
「なるほど、まあそうだの」
二人が声を上げて笑う、他人の事は言えんだろう、この二人も相当なものだ。しかしフェザーンか……。さてどうする、どうやら身辺がキナ臭くなってきたかもしれない。私だけではあるまい、この場に居る貴族の少なからぬ人間がフェザーンとは表に出せない関係を持っているはずだ。ここは思案のしどころだな……。
「改革はこれで終わりでは無い、これからも続く。だが無理はせぬ、卿らにも受け入れられるよう緩やかに進めるつもりだ。それ故卿らも愚かな事を考えぬ事だ。平民達の不満が爆発して革命が起きれば我らは全てを失う、改革に不満を持ち反乱をおこしても同様だ、分かるな」
リヒテンラーデ侯が諭す様な口調で皆に話しかけた。しかし蒼白になりながらも不満そうな表情、納得がいかないといった表情をしている人間が居る。果たしてどうなるか……。
帝国暦487年 8月 25日 オーディン ブラウンシュバイク公爵邸 フレーゲル内務尚書
黒真珠の間で改革の発表が終わった後、私とルンプ司法尚書はブラウンシュバイク公爵邸に寄って欲しいと公から頼まれた。他の貴族達が見ている前でだ。協力に感謝している、ついては今後の事もあるので屋敷に寄って欲しいと……。断ることは出来ない、ルンプも私も有難く招待を受けた。
ブラウンシュバイク公爵邸の応接室には私達の他にも人が居た。リッテンハイム侯、リヒテンラーデ侯、ゲルラッハ子爵、エーレンベルク元帥、シュタインホフ元帥、そしてブラウンシュバイク大公、公の親子。どうやら私達は帝国のもう一つの政府に入る事を許されたらしい。
「それにしても随分と脅したな、皆顔を蒼白にさせていたが」
リッテンハイム侯がコーヒーを口に運びながら言うと皆が頷いた。
「ブラウンシュバイク公は中々過激でな。リッテンハイム侯には覚えが有るのではないかな」
「それを言うな、リヒテンラーデ侯」
リッテンハイム侯が顔を顰めると彼方此方でさざ波の様に苦笑が湧いた。
「連中、どう出るかな」
大公が皆に問いかけた、視線がブラウンシュバイク公に集中する。やはりブラウンシュバイク公の存在感は当初私が思っていたより大きいようだ。ルンプに視線を向けると彼も興味深げに座を見守っている。
「率先して反乱を起こす馬鹿はいないでしょう」
公の言葉に皆が失笑した。“酷い事を言う奴だな”と大公も笑う。
「しかし唆されれば話は別です。警告はしましたが何処まで理解したか……」
失笑が止んだ、皆苦い表情をしている。
「フェザーンか」
エーレンベルク元帥が低く問いかけると公が頷いた。
「フェザーンは不満を持つ貴族達の連携を図ろうとすると思います。連携する事で政府に圧力をかけ政策を変更させる。具体的には国務尚書、帝国軍三長官の交代を目指す、そんな説得をするでしょうね。そしていざとなれば何らかの工作をして暴発させる……」
「暗殺という事も有り得るの。成功すれば良し、失敗すればそれを契機に反乱を起こさせる」
「当然だがフェザーンは反乱軍も利用するだろう、……厄介だな」
リヒテンラーデ侯の言葉にシュタインホフ元帥が続く。応接室に沈黙が落ちた、皆が沈痛な表情をしている。
「フレーゲル内務尚書に動いてもらわねばなるまい。フェザーンの動き、貴族達の動きを調べて貰う必要があるだろう」
リヒテンラーデ侯の言葉に皆の視線が私に向けられた。拙い事になった、どうやら腹を括らねばならんか。果たして受け入れられるか、それとも……。
「実は私は内務尚書を辞任しようと思うのですが」
皆が私を見た、ルンプは驚いた表情を、他は皆厳しい表情をしている。ブラウンシュバイク大公が低い声で問い掛けてきた。
「改革に不満かな、フレーゲル内務尚書」
「そうでは有りませぬ。私も内務尚書を務めている身です、平民達の不満が高まっているのは分かっています」
皆が訝しげな表情で視線を交わしている。ややあって大公が問いかけてきた。
「では何が問題なのだ」
「お恥ずかしい話ですがフェザーンと聊か不適切な関係が有りまして……」
「……本当か?」
「直接では無いのですが……」
私の答えに大公が腕を組んで唸った。合点がいかぬ、そんな表情だ。
「今少し詳しく話してくれぬか、どういう事かな、直接では無いとは」
「三年前に起きたトラウンシュタイン産のバッファローの毛皮の件ですが、あれに絡んでいるのですよ、リヒテンラーデ侯」
皆が驚いた表情をしている。誰かが“あの件か”と呟いた、エーレンベルク元帥だろう。
「実は或る人物に頼まれて警察の臨検を緩めるように指示したのです」
「なるほど、警察は大した事が無かった、あれですか」
ブラウンシュバイク公が二度、三度と頷いている。当事者だ、直ぐに分かったらしい。そしてこちらに視線を向けた。
「或る人物とはどなたです。おそらくは宮内省の高官ではありませんか」
皆の視線がまた厳しくなった。
「直接頼んできたのは宮内省侍従次長カルテナー子爵です。しかしノイケルン宮内尚書も絡んでいるのは分かっています。彼らはフェザーンと組んでバッファローの毛皮を密かに売買していたのです」
誰かが溜息を吐いた。よりにもよって宮内省の尚書が陛下の財産を盗もうとしたのだ。溜息も出るだろう。
「卿はバッファローの毛皮を運んでいると知っていたのか?」
リッテンハイム侯が躊躇いがちに問いかけてきた。
「知りませんでしたよ、今思えば間抜けな話ですがフェザーンからの戻りの船だと聞いていたので反乱軍の物を取り寄せたのかと思っていました」
私の言葉にブラウンシュバイク公を除く皆が顔を見合わせた。皆バツが悪そうな表情をしている。それを見てブラウンシュバイク公が訝しげな表情をした。
「義父上?」
「あ、うん」
問いかけられた大公が困った様な表情をしていたが仕方が無いと言った表情で話し始めた。
「まあ大っぴらには出来んが反乱軍から絵画や彫刻等の芸術品を取り寄せる事は珍しく無いのでな」
「芸術品? 民生品は向こうの方が質が良いと聞いていますが芸術品もですか……」
思いがけない事を聞いたと言った表情を公がすると大公が益々困った様な表情をした。
「それも有る、それと質が良いと言うよりも変わった物が有ると言う事かな。帝国では創られんような物、つまり取締りの対象になるような物が向こうには有るのだ。それだけに珍重されている」
「はあ、取り締まり……」
「まあルドルフ大帝が頽廃していると禁止した様なものだな」
大公の説明に公が呆然としている。
「ではこの屋敷にも?」
「幾つかある。買った物も有るし貰った物も有るな。お前はそちらの方には関心が無いから分からんだろうが」
「申し訳ありません」
ブラウンシュバイク公が頭を下げたが、どうも今一つ腑に落ちないといった表情だ。ちょっと可笑しくなった。この切れ者の青年が先程から困惑している。
「こちらに手心を加えてくれと言ってきたので余程に奇抜なものか、或いは向こうでも著名な芸術家の作品かと思ったのですが……」
「違ったという事ですか」
「はい」
私の答えにブラウンシュバイク公が考え込んでいる。さて、そろそろあれを言わないと……。
「ビーレフェルト伯爵ですが、彼は自殺ではありません。私が社会秩序維持局に命じ始末しました」
一気に応接室の空気が重くなった。皆の視線が痛い。しかし、あれは已むをえなかった……。
「彼は内務省がバッファローの密猟に加担し毛皮を得ていると思い込んでいたのです。私が内務省はそれには関係していないと言っても信じなかった。或いはそう思い込まされていたのかもしれませんが……」
あの当時内務省は不祥事続きだった。サイオキシン麻薬の捜査には携われず警察総局次長ハルテンベルク伯爵は故意にサイオキシン麻薬の密売組織を見逃した件で自殺していた。その上さらにトラウンシュタイン産のバッファローの密猟に絡んでいるとなったらとても持たない。一つ間違えば内務省は解体されていただろう、それでなくても内務省の権限が大きすぎる事には批判の目が有るのだ。
「何人か宮内省の職員が行方不明になっていますが……」
ゲルラッハ財務尚書がこちらを見ながら問いかけてきた。
「それは私ではない。おそらくはノイケルン宮内尚書達か、フェザーンが手を打ったのだと思う」
皆が顔を見合わせている。リヒテンラーデ侯が視線を向けてきた。
「卿が辞任したいと言うのはこのままではフェザーンに利用される、そう思っているのだな」
「ええ、彼らは私がビーレフェルト伯爵を始末した事を知っています。必ず接触してくるでしょう」
彼方此方で溜息を吐く音が聞こえた。或る者は天を、或る者は床を、そして目を閉じている者もいる。少しの間沈黙が落ちた。重苦しい、息苦しい雰囲気が身を包む。判決を待つ被告人のような気持ちになった。
「面白くないな、今卿に辞められては改革に反対しての事と勘違いする者が出るだろう」
「それも有る、それも有るがフェザーン、ノイケルン達がフレーゲル内務尚書を殺すという事は有り得んかな、リヒテンラーデ侯。内務尚書だから利用価値が有ると見て今は生かしておいている、そうでなければ厄介な秘密を知っている邪魔者でしかあるまい」
リッテンハイム侯が渋い表情をしている。そうなのだ、どちらにしても内務尚書を辞める事は極めて危険だ。しかしこの男達に隠し事をしたまま内務尚書を務めるのはもっと危険だろう。全てを打ち明ける、その上でこの男達がどう判断するか、それを見極めなければならない。私は今極めて難しい立場に居るのだ、間違いは許されない。
「口封じに動く、その罪を我らに擦り付けるか……、確かにリッテンハイム侯の言う通りかもしれん……。となると辞めさせることは得策とは言えんの?」
リヒテンラーデ侯が皆に問いかけると皆が頷いた。どうやら私の首は繋がったようだ。内心ホッとすると同時に判断は間違っていなかったという安堵も有る。ここで私をクビにするようではこの先期待できない。
「ではノイケルン、カルテナー達を始末するか。フェザーンに対する警告にもなるが」
「こちらに取り込むという手も有りましょう。向こうの手の内を読めますぞ」
ブラウンシュバイク大公、エーレンベルク元帥が提案した。
「ふむ、どうするかな。……ブラウンシュバイク公、卿はどう思う」
リヒテンラーデ侯の問い掛けにブラウンシュバイク公が笑みを浮かべた。どうする? 私なら取り込むが……。
「処断しましょう。その上でフェザーンに対する監視を強める、公然とです。貴族達もそれを見ればフェザーンと接触するのが危険だと理解するはずです。それでも接触する貴族は……、容赦なく潰す」
応接室がしんとなった。なるほど、敵対する者に容赦はしないか。内面にはかなり激しいものが有る。皆が押し黙る中リヒテンラーデ侯が低く笑い声を上げた。
「反撃に出るか」
「ええ、この際断固たる姿勢を見せるべきです。場合によってはフェザーンも攻撃の対象とする」
皆が驚きの表情を浮かべてブラウンシュバイク公を見ている。フェザーンを攻撃する? 本気なのか……。
「フェザーンには財力は有りますが軍事力は無い。正面から潰すと軍事力で脅した方がフェザーンを抑える効果が有るかもしれません。煽るものが居なければ貴族達も騒がないはずです」
なるほど、脅しか……。皆が納得したようだ、頷いている。
「もし、フェザーンが蠢動を止めなければ何とします」
私が問いかけると公が冷たい笑みを浮かべた。
「その時は本気でフェザーンを攻めます。おそらくフェザーンは反乱軍に救援を求めるでしょうからフェザーンでの決戦という事になる。改革の成否はその決戦の結果次第という事になります」
彼方此方で頷く姿が有った。
ページ上へ戻る