渦巻く滄海 紅き空 【上】
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五十三 一尾VS九尾
何の為に存在し、生きているのか。
「オレはオレの存在を認めさせる為に生きている」と狐の子は言った。
「俺は俺以外の存在を全て殺す為に存在している」と狸の子が言った。
同じようで違う。異なるようで似ている二人は同時に叫んだ。
「「だから俺は―――――」」
「こいつらは…お前にとって何だ?」
唐突な問い掛け。我愛羅の質問にナルはきっぱりと断言した。
「な、仲間だってばよ!これ以上傷つけてみろ、オレが許さねえってばよ!!」
ナルの答えが気に入らなかったのか、我愛羅は顔を顰めた。大きく息を吸う。
途端、身体を覆う砂上に口が大量に出現した。ぱかりと開く。
「【風遁・無限砂塵大突破】!!」
顔だけではなく身体中の口から吐き出された砂の爆風。草木を薙ぎ倒すほどの強烈な砂塵は、ナルの身体を簡単に吹き飛ばす。
木の幹に叩きつけられたナルが大きく呻く。苦悶の呻き声を我愛羅は鼻で笑った。
「仲間の為に闘うだと?笑わせるな。俺は俺の為だけに闘う。他人など知ったことか!」
身体の大部分が完全体に近づいている。耳元まで裂けた口がにたりと嘲笑った。
「自分だけを愛してやればいい。勝ち残った者のみが己の存在を実感出来る。他人の存在を消す事で自分は生きていると認識出来るのだ。だから俺は、」
そこで言葉を切って、我愛羅はナルを見据えた。ゾクリと寒気を覚える彼女へ歪んだ笑みを送る。
「お前を殺す……ッ!!」
死の宣告。
頭の中で鳴り響く警報が逃げろと喚いている。
身体が竦む。足が動かない。震える我が身を抑え、ナルはなんとかその場に踏み留まっていた。
後ろを振り返る。ようやく追いついたサスケはなぜか気絶していた。すぐさま我愛羅の砂によって木に張り付けられた彼はまだ目覚める気配がない。サスケを助けようと飛び出したサクラもまた、我愛羅の異形の手で遠くに弾かれ、意識を失ってしまった。
同班の二人を背後にして立ち竦むナル。いや動く事すら出来なかった。
衝撃的な我愛羅の言葉に、彼女は呆然としていたのだ。
逃げる事も闘う事もせず、ただ立っているナルに我愛羅は舌打ちした。容赦なく腕を振り被る。
乱れ飛ぶ、無数の手裏剣。
【砂手裏剣】がナルを襲う。突然の攻撃に彼女は反応出来なかった。
傍にあった木の幹が抉られた音で我に返る。慌てて身構えたが、もう遅い。
頭の警報が一際大きく叫んだ。思わず眼を瞑る。耳元で風が鳴いた。
「……ッ、」
衝撃に備える。だが何も起こらない不可解さに、ナルはおそるおそる薄目を開けた。視界に誰かの背中が入った。
風で砂の手裏剣を吹き飛ばす。我愛羅の【砂手裏剣】がナルに突き刺さる寸前、扇で風を巻き起こした彼女は声を張り上げた。
「止めろ、我愛羅!この子だけは…っ」
「……テ、テマリ姉ちゃん…?」
我愛羅を戦々恐々と見ていたテマリ。だが木ノ葉の中で唯一気に入っているナルだけは見殺しにする事が出来なかった。故に思わず飛び出してしまったのだ。
ナルを庇った姉の姿に、我愛羅の機嫌が益々悪くなった。必死で宥めようとするテマリ目掛け、尻尾を振り上げる。
「邪魔するなあアァッ!!」
「…がっ!」
弟からの一撃をテマリは防げなかった。吹き飛ばされた彼女が木に衝突する直前、今度はナルがテマリを受け止めた。気を失ったテマリをそっと幹に寄り掛からせて、キッと我愛羅を睨みつける。
「な、なんてことするんだってば!姉ちゃんなんだろ!?」
ナルの怒声にも我愛羅は表情一つ変えなかった。気絶したテマリに冷たい視線を浴びせる。
「姉?俺にとってそんなものは意味が無い。家族などというのは憎しみと殺意で繋がる…ただの肉塊だ」
淡々と告げられた一言に、ナルは愕然と我愛羅を見た。彼女の驚きに満ちた表情を冷やかに見下しながら、我愛羅は言葉を続ける。
「…俺は母と呼ぶべき女の命を奪い、この世に生まれ落ちた。父親である風影によって一尾をこの身に宿し、里の最高傑作としてな…。だが結局、危険物と判断された俺はその父親に幾度も暗殺されかけ、世話役にも殺され掛けた」
そこで彼は双眸を閉じた。無表情だが、凄まじい過去の回想に耐えているようだとナルは思った。
「俺は生まれながらの化け物だ」
ぽつりと独り言のように呟かれた一言が、ナルの全身を一気に貫いた。
(………わかるってばよ)
ナルは我愛羅の眼を覗き込んだ。人の姿からかけ離れた彼の瞳は憎悪に満ちている一方、その実とても寂しそうだった。
怯えた猫が毛を逆立てているような。そんな表現が当てはまった。
(……お前の気持ちは痛いほど、わかるってばよ)
心中呟く。噛み締めるように呟いた言葉は我愛羅に届かない。そう理解してはいてもナルは彼に伝えたかった。それでもきっと今の我愛羅では伝えるどころか聞こえもしないだろう。
なぜなら彼は未だに孤独という地獄に囚われているのだから。
砂に捕まっているサスケと倒れ伏しているサクラ。それに自分を庇って気を失ったテマリ。三人を背にしているナルは逃げられない。
だがそれ以上に、目の前の我愛羅を置いてゆく事など彼女には出来なかった。此処で逃げたりしたら、彼の言い分を肯定してしまう事になってしまう。
間違った思考で生き続ける我愛羅は一生孤独から脱け出せないだろう。
先ほどからずっとナルは怯えていた。目の前に立ち塞がる少年に対してではなく、在り得たかもしれぬ自分の可能性に。かつての自分を見ているようで居た堪れなかったのだ。
ふっと頭の中で過った人影がナルの心に語り掛けた。
『本当の強さというのは、大切な何かを守ろうとする、その一瞬だけ発揮されるものなのだから』
「…なんだ。答えはすぐ傍にあったんだってばよ…」
ナルに口寄せの術を教えてくれた、うずまきナルト。彼のなにげない一言が彼女の震えを止めた。
同時に、波の国で出会った白の言葉が後押しするように聞こえてきた。拳を握り締める。
「孤独な中で自分の為だけに闘い続けてきたお前は、確かにすっげーと思う。でも自分だけの為に闘ったって、本当に強くなんかなれねえんだ」
「…なんだと?」
聞き捨てならないとばかりに我愛羅の眼が鋭く光る。彼の殺気を直に浴びながらも、ナルは微笑んでみせた。
「本当の強さってのはさ。仲間を、友達を、自分にとって大切な人を守りたいと思った瞬間……そんな時に強くなれんだ―――――だからオレは、」
そこで言葉を切って、ナルは我愛羅を見据えた。なぜかたじろいだ彼へ真っ直ぐに言い放つ。
「お前に勝つ……ッ!!」
我愛羅(もう一人の自分)に負けられない。
「……う…」
「気がついたか」
ナルと我愛羅の戦闘を死角からひっそり覗き見ていた彼女は、サクラの呻き声に逸早く気づいた。呆れたように溜息を零す。
「こんな事言いたくねーけどよ。お前、何の為に此処まで来たんだよ?」
我愛羅の攻撃でナルとサスケから遠く離れた場所。そこで気絶していたサクラは、未だ覚束ない動きでのろのろと顔を上げた。聞き慣れぬ声の主に眉を顰める。
「……誰…?」
「ご挨拶だな。一応戦闘に巻き込まれないように安全な所まで運んでやったのによ」
ぼんやりとする頭で彼女の話を聞いていたサクラは、戦闘という単語にハッと我に返った。「サスケくんっ!ナルっ!」と今にも飛び出そうとする。
だが彼女の腕は、その声の主―――香燐にすぐさま掴まれた。
「…ッ、離してよ!!」
「お前が行ったってどうしようもねえだろ。ちっとは考えろよ」
「し、失礼ね!私だって…ッ」
「お前、何か特技でも持ってんのか?」
眼鏡の奥から覗き見える瞳がサクラを探るように見つめてくる。相手のもっともな言い分にサクラは俯いた。
同時に、先ほど別れたシカマルの発した一言が、彼女の脳裏に蘇る。
『大した取り得のないくノ一』
確かにそうだ。自分には何もない。写輪眼を所持しているサスケや、今現在多重影分身を駆使しているナル。
それに比べて自分は何なのだろう。何が出来るのだろう。
サクラは遠目に交戦中のナルを見た。アカデミー時代、成績優秀だった彼女はナルをどこかしら見下していた。ドジばかりして先生に怒られて。いつもドベだったナルを内心馬鹿にしていたのだ。
その彼女が今、あの砂瀑の我愛羅と渡り合っている。なぜか小さい蛙を抱えながら、それでも負けじと闘っているのだ。失敗したようだが、何時の間にか【口寄せの術】まで憶えているナルにサクラは戦慄した。
同じ女でありながら急成長したナルに嫉妬と羨望、そして劣等感を抱く。
そして感じた。自分は無力だと。
項垂れるサクラを複雑な表情で香燐は見下ろした。彼女はナルトから頼まれ、君麻呂と共に我愛羅を尾行していたのである。
もっとも君麻呂は我愛羅を追うサスケが目的だったので、香燐の役目は以前特定した我愛羅のチャクラを感知する事であった。
君麻呂がナルトに頼まれていた事柄は『波風ナルが来るまでの、うちはサスケの生存及び呪印の抑制。そして大蛇丸に対し、危機感を抱かせる事』。
すぐ暴走するサスケの呪印をナルトに教わった術で抑える。サスケを気絶させ、首筋を押さえたあの瞬間である。
一方香燐の役割は波風ナルと我愛羅の戦闘に、うちはサスケと春野サクラを介入させない事。サスケを気絶させるのは君麻呂が既にしたので、サクラが彼女の担当であったのだ。
(…でもまあこの女の力じゃあ、逆に波風ナルの足を引っ張る羽目になるだろーな)
己の無力さを痛感しているサクラをちらりと見遣る。香燐自身も感知能力が無ければ、君麻呂や多由也といった忍びに劣る為、サクラの気持ちがよく解った。あ~…と眼を泳がせながら口を開く。
「…何か自分の特技や取り得を見つけろよ。そうじゃねえと、お前ずっと足手纏いのままだぜ」
香燐の助言にサクラはそろりと顔を上げた。「先生とか担当上忍とか、何か褒められた事ねえのかよ」と何の気も無しに告げられた一言に、瞳を瞬かせる。
サスケを追うように命じたカカシの言葉が頭に過った。
『お前にはやはり幻術の才能がある』
(……幻術が得意なのって紅先生だったわよね…?)
サクラの顔が変わる。何かを決意したかのような彼女に、香燐は内心ほっと安堵した。
しかしながら、このちょっとした忠告が春野サクラに大きな変化を齎す。
それが良い事か悪い事か、今の彼女達には知るすべが無かった。
「…―――【口寄せの術】!!」
間違えて呼んでしまったガマ竜を安全な場所へ避難させる。今一度結んだ術でガマブン太の口寄せに成功したナルは、同じく完全体となった我愛羅と対峙していた。
巨大な狸の姿に、彼女の中に潜む存在が秘かに蠢く。
「なんじゃ、またお前か」
自らの頭の上に乗るナルをガマブン太は鬱陶しそうに見た。視線を前方に戻すと、これまた厄介な存在が眼前にいる。更にうんざりした心持ちでガマブン太は煙管を吸った。
「オレと一緒に闘ってくれってばよ!」
「嫌じゃ」
ナルの張り切った声を一蹴する。「ええ――――ッ!!」と叫んだ彼女の抗議を無視して、ガマブン太は悠々と煙を吐き出した。
「なんでワシがわざわざあんな奴と…」
「この間口寄せした時、オレの事認めてくれたじゃねえかってばよ!」
「ありゃ、頭の前だったからじゃ。お前なんてせいぜい子分じゃい」
「じゃ、じゃあ、頼むってばよ!ガマ親分!!」
「じゃが、断る」
口寄せした蛙と何故か言い争いを始めたナルを、我愛羅は面白そうに見ていた。笑い声を上げる。
「面白い…。ここまで楽しませてくれた礼だ。波風ナル、お前に砂の化身の本当の力を見せてやる…」
完全憑依体となった狸の額。そこから半身だけを出現させた我愛羅はにたりと笑みを浮かべた。印を結ぶ。
一尾――守鶴を宿す者は満足に眠る事が出来ない。なぜならば己の中に潜む存在にじわじわと人格を喰われ、自分が自分ではなくなってしまうからである。故に眠る事すら儘ならない我愛羅は人格を保っていられない。だが霊媒である我愛羅自身が起きている間は、守鶴は自らの人格及び本来の力を抑えつけられている。
しかしながら霊媒が自ら眠りに入った場合、身体の主導権は全て守鶴に委ねられるのだ。
「証明してみせろ!『本当の強さ』というヤツを――――【狸寝入りの術】!!」
ガクリと項垂れる。意識を失った我愛羅がぶらんと腕を落とした。瞬間、彼の体の奥から別人格が現れる。
「ひゃっはあああああ―――!やっと出てこれたぜええええ―――!!」
我愛羅とは真逆の口調で叫び出した砂の化身―――守鶴。彼はすぐさま目前の蛙…ではなく、蛙の上にいる存在に気づいた。懐かしい気配に眼を細める。
「ひゃっはあ!いきなりブチ殺したい奴、発け――――ん!!」
高いテンションのまま、腹に力を込める。攻撃態勢を取った守鶴に、ガマブン太は慌てて回避しようと身を屈めた。途端、腹を叩く音が鳴り響く。
「【風遁・練空弾】!!」
物凄いチャクラを練り込んだ空気砲弾。森の一部を刈り取るほどの威力のある突風がガマブン太と、ガマブン太の上にいるナルを襲う。
ガマブン太が跳躍した事で辛うじて直撃は避けれたが、その凄まじい気弾でナルの髪留めが吹き飛んだ。バサリと長い金の髪が靡く。
「チイッ!おい、無事か!?ガキ!?」
口論の時はぎゃあぎゃあと喧しかったのに、今はやけに静かだ。流石に心配になったガマブン太が頭上へ呼び掛ける。
「………」
突然無口になったナルに、ガマブン太は今一度「おい?」と声を掛けた。
刹那、一尾以上の威圧感がズシンとその場に落ちる。
忘れようにも忘れられぬその気配に、ガマブン太の顔が強張った。
風に靡く金。何時もより落ち着いた風情でナルは妖艶な微笑を浮かべた。紅き双眸がギロリと守鶴を睨み据える。
《……―――相変わらず、喧しい奴だ》
それは絶対的王者の笑みであった。
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