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戯画(カリカチュア)

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後編
  戯画(カリカチュア)

「お帰りなさいませ、旦那様」
オーベルシュタイン家の執事ラーベナルトが、玄関先で主人とその連れを出迎えた。オーベルシュタインの私邸はどう贔屓目に見ても古そうだった。だが、手入れは良く行き届いており、持ち主の潔癖な性格とも符合した。
「ラーベナルト、彼は私の部下のフェルナー准将だ」
当主が連れを紹介すると、ラーベナルトは改めて深く礼をした。フェルナーは敬礼で返すと、玄関付近を無遠慮に見回した。彼の探すものはすぐに現れた。クーンと鼻を鳴らしながら、ダルマチアン種の老犬が、ゆっくりと尻尾を振って彼の主人を出迎えたのだ。主人は老犬の頭を軽くなでると、「お前に土産だぞ」と、鶏肉の入った袋を差し出した。
「ラーベナルト、マルガレーテは台所か?」
マルガレーテとは執事の細君であり、オーベルシュタイン家の台所を預かる老夫人である。オーベルシュタイン邸にはこの執事夫妻以外の使用人はおらず、老夫妻に困難な広い庭の手入れなどは、専門業者を入れている。
「はい、左様でございます。呼んでまいりますか」
執事が動きかけたのを制して、オーベルシュタインは自ら家の奥へと進んで行った。執事はその様子を眺めてから、客人であるフェルナーを居間へ案内した。フェルナーが居間のソファに身を委ねたのを確認してから、執事は一礼して部屋を辞した。
「まあ!!」
フェルナーが一人になると、奥から女性の驚いたような声が聞こえた。おそらく、マルガレーテなる人物だろう。代々貴族の家柄なのだから当然ではあるが、当主とはおよそイメージのかけ離れている貴族趣味のリビングから、先ほどラーベナルトが出て行ったドアへと、フェルナーは音を立てずに動いた。
「こんな高級な鶏肉をたくさん!坊ちゃまがお買いになられたのですか?」
「ああ。むね肉は犬に、もも肉は私とラーベナルトたちに、と思ったのだ」
オーベルシュタインの声が珍しく言い訳がましい。
「お心遣いはうれしゅうございますわ。ですが、人間用に2kgものお肉は多すぎでございます。慣れない買い物などなさるからですわ、パウル坊ちゃま」
パ、パウル坊ちゃま!?フェルナーは吹き出しそうになるのを何とか堪えた。そういえばあの老夫妻は、年齢から考えてもオーベルシュタインの生まれる前からの使用人と思われる。なるほど……。
「せっかくですから、今晩にでも美味しい鶏肉料理にいたしましょうね。今夜は何時頃お帰りですか?」
「分からん」
「坊ちゃまの大好きな鶏肉ロールのクリームソースにいたしますよ」
「絶対に遅くならないようにする」
「ふふふ。お待ち申し上げておりますわ」
一連のやり取りが終わると、オーベルシュタインが居間に現れた。フェルナーは慌てて窓の外を眺めるふりをした。しかしそれは成功しなかった。小刻みな腹筋と肺の運動が止まらなかったのである。鶏肉を執事の細君に預けた二人は、オーベルシュタイン邸を出て再び地上車に乗った。
「何がおかしい」
相変わらず肩を震わせている部下に向かって、オーベルシュタインは訝しげに問い質した。
「いえ……失礼しました。ただ、閣下にも子ども時代があったのですね」
「……聞いていたのか」
冷徹と称される軍務尚書は、助手席から手を伸ばして地上車に行き先を入力すると、簡素なつくりのシートにもたれた。彼の部下の笑いの元凶となった会話には一切触れず、やや機嫌を損ねたかのように、黙り込んだまま地上車のわずかな揺れに身を任せた。



 戯画(カリカチュア)。表通りから一本裏に入ったところに、ひっそりと佇むその店は、そういう名であった。看板は出ていなかったが、店のドアに宇宙海賊を模した戯画が描かれており、その名を連想させるに容易かった。地下へと降りる階段。およそ帝国貴族が足を踏み入れる店とは思えないが、だからこそ独りで呑むことを好む彼、オーベルシュタインには似合いの場所と思えた。
「いらっしゃいませ」
50代くらいと思しき、白髪交じりの丸顔の男が、マスターのようだった。と言っても、この店に他の従業員はいない。
「連絡を頂いて驚きましたよ」
昼少し前のこの時間、このようなバーが開店しているのも妙だと感じたが、メニューには確かに簡単なランチもあり、カフェ・バーといったところなのだろう。マスターは私服姿の彼らを見ても、「休日ですか?」などと問わず、黙って彼らの注文を待った。余計な詮索をされない、そんなところもこの上官の趣向に合致したのだろうと、フェルナーは納得した。オーベルシュタインは地上車(ランドカー)の保冷ボックスから取り出した肉屋の買い物袋をマスターに手渡すと、「いつもの席」なのか、カウンターの隅に腰を下ろした。といっても、カウンターの他にはテーブルが2つほどという、ごく小さな店である。
「これは……立派なアヒルですね」
マスターが袋の中身を確かめて声を漏らす。帝国では貴族が好んでアヒル料理を食し、大抵のレストランのメニューには含まれている。値段も高価だが高カロリーでもあり、腹もちが良いため一般的には夕食にすることが多い。
「調理法は任せる。それと、いつものを。彼にも同じものを」
オーベルシュタインはそこで初めてフェルナーに席を勧めて、マスターに紹介した。
「旦那の部下の方ですか。いつもお疲れ様です」
マスターは人のいい笑顔を浮かべて、そう言った。オーベルシュタインのことを「旦那」と言う。きっとここへは、仕事帰りに寄るのだろう。当然軍服だ。軍服は階級によって違っており、何より今の彼の軍服には元帥の証でもあるマントがついている。このマスターは彼が帝国元帥だということを知っているのだろう。それでいて客へ向けての一般的な態度以上のものを見せる様子もなく、気軽に「旦那」と呼ぶ。それがふさわしいと、知っているのだ。
「どうぞ」
二人の前に、ジントニックとささやかなカナッペが置かれた。貴族らしくない、高級将校らしくもない、安価な酒だった。
「これが、閣下の『いつもの』なんですか」
フェルナーは爽やかな口当たりの酒を一気に半分まで飲むと、控えめに問いかけた。
「ここでは、な。自宅ではワインがほとんどだ」
確かにあの執事の手から、ジントニックが出てくるとは思えない。フェルナーは慣れた調子でカナッペをつまみ、その店の味を確かめた。良いチーズを使っている。カマンベールとパルメザンが使用されていたが、なかなかに味わい深かった。マスターはアヒル料理のために奥へ引っ込んでいたので、フェルナーの感想は誰にも伝えられることはなかった。上官の手元を見ると、ジントニックは既に三分の一ほどに減っていた。何事も語られぬ、沈黙の時間が過ぎた。フェルナーが2杯目を注文しようと厨房の方へ目をやると、マスターが大きな皿を手に戻ってきた。
「良質な素材には単純な調理法で」
そう言って出されたのは、アヒルの丸焼きにジャガイモボール、紫キャベツの煮込みだった。オーベルシュタインはその義眼で色彩的にもバランスの良いその料理を確認すると、うん、と小さく頷いた。実際に口に出したのは、「いつもの2杯目を」であったが。
肉料理をつつきながら飲んだのは、キルシュヴァッサーであった。これはサクランボを種ごと潰して発酵させ、約6週間寝かせた後に蒸留した、無色透明の飲み物である。古来から愛飲されており、カクテルの材料として使われることも多い。
「マルガレーテはな……」
アルコール度数の強い酒用のショットグラスを軽く傾けながら、オーベルシュタインは口を開いた。
「私の母は生まれつき病弱で、マルガレーテは私の乳母のようなものだった」
上官の、いや、「私人」オーベルシュタインの口から紡ぎだされる言葉を、フェルナーはゆっくりと聞き取った。
「父は血統を何より重んじ、遺伝子を崇拝する男だった。ルドルフの作った劣悪遺伝子排除法を盲信する貴族の一人だった」
銀河帝国の始祖ルドルフ大帝は、弱体化し、腐敗した共和政体銀河連邦の、若き有力な政治家として人々の前に現れた。疲れ切った民衆は才能溢れる若き英雄に全てを託し、結果としてルドルフの権力増大と自己神格化が進んだ。その象徴たるものが、劣悪遺伝子排除法である。国家経済に何ら寄与しない障害者や老人を「弱者」とし、弱者が一定数以上存在する国家は、国家そのものが弱体化するという理屈を用いて、不必要な弱者救済を廃止した。そして先天的弱者はその存在を許されず、安楽死させるというのが、その法律の基幹である。無論、この法律は旧体制下においてもほぼ空文化されており、新体制になってようやく破棄されたとは言え、「弱者」=「安楽死」の図式はほとんど見られることがなくなっていた。ただ、上流貴族の間では、やはり血統を重んじる傾向が強く、貴族制度が解体された現体制においても、人々の心に強く残っているものである。
「父はよく、母を罵っていた。貴族令嬢であるにもかかわらず、病弱な遺伝子を持つ母を」
フェルナーはひたすら聞いた。オーベルシュタインは、先天的な盲目であること、そしてその両目は義眼であること。その2点については自ら語ることが多かったが、両親の話を流言の類を含めたとしても聞いたことはなかったからである。
「病弱な母に似て生を受けたこの私を、父はこう罵った。悪しき遺伝子の子、と」
ショットグラスはとおに空になっており、二人の手元には新しいグラスがあった。
「生まれながらに盲目だった私を、安楽死させようという父の意向を、思いとどまらせたのは、ラーベナルトだった、と聞いている。罵る父の手から、私をかばったのは、マルガレーテだった」
オーベルシュタインは表情を変えない。フェルナーもまた、表情を変えなかった。しかし直感的に思った。今の彼からは到底想像しえないが、流してきた涙の量は少なくないだろうと。しかしそんなことを弱みの一つにもしないこの男は、その永遠に消せない烙印を背負ったままでも、充分に強く、刃こぼれのない精神を持っている。オーベルシュタインが彼の満足いくまで話し終えると、フェルナーも話し出した。彼の両親や兄弟、幼いころの失態などを。秘密は共有することによって、より保持力を強めるものである。
「酒の席でのたわごとです。忘れて下さいね、閣下」
「そうしよう」
「私も、閣下の『パウル坊ちゃま』は忘れますので」
「……賢明な判断だ」
ずいぶんと呑んで、もう陽が傾きかけた頃、二人はグラスを置いて店を後にした。軍務尚書行きつけの店は、この後、フェルナー行きつけの店にもなったのである。

(Ende) 
 

 
後書き
ご読了ありがとうございます。
「パウル坊ちゃま」を書きたかっただけという、下らない話でした。 
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