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エルザの不安

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第一章

                    エルザの不安
 エディタ=ポップはオペラ歌手だ。東欧のチェコに生まれ幼い頃から歌が上手く歌手の道を選んだのは自然のことだった。
 その声域はソプラノでありヒロインを多く演じてきた、その中で。
 ある日マネージャーからこの役を持って来られた。
「ワーグナー?」
「そう、ローエングリンのヒロインだよ」
「エルザね」
 ポップはローエングリンのヒロインと聞いてすぐに言った。
「それね」
「そう、それだよ」
「凄い役が来たわね」
 エルザと聞いてまずはこう言ったのだった。
「また随分と」
「お姫様だからね」
「ヒロイン中のヒロインね」
「そう、まさにね」
 マネージャーも笑顔で応える。
「エリザベートと同じくね」
「それもワーグナーだけれどね」
 タンホイザーのヒロインだ、歌劇も多くの作品があるがワーグナー程所謂ファンタジー的な姫を出した音楽家はいないだろう。
「とにかくこの仕事だけれど」
「待っていたのよ」
 ポップはその少しふっくらとした童顔を微笑まさせて言った。綺麗な金髪は少し癖があり後ろでおさげにしている。 
 青い目は湖の様で小柄な方だ、その彼女が言うのだ。
「こうした役ね」
「これまでスザンナとかね」
「ええ、モーツァルトにリヒャルト=シュトラウスにね」
 こうした作曲家の作品のヒロインを務めてきたのだ。
「ヴェルディも多かったけれど」
「お姫様役は少なかったね」
「女の子なら誰でもね」
 ポップは微笑みながら話すのだった。
「お姫様になりたいからね」
「憧れだね」
「ええ、そうよ」
 まさにそれだというのだ。
「それで男の子はね」
「そうそう、王子様よ」
「ローエングリンがそれだからね」
「そうしたことを考えると」
 それならというのだ、マネージャーもまた。
「ローエングリンは誰にとっても憧れ作品だね」
「そうなのよ、だからこのオファーはね」
「最高の作品だね」
「そう、だからね」
 オファーを受ける、このことを決めてだった。
 その舞台の準備に入った、ポップはワーグナー自身が書いた脚本も読んだ、その時にだった。
 演出と指揮を務めるヘルバルト=ベルンシュタットにこう言われた、銀髪を綺麗に後ろに撫でつけた初老の男だ。
 背は高くギリシア彫刻を思わせる顔立ちだ、その彼が言うのだ。
「この作品の軸は二人」
「ローエングリンとですね」
 タイトルロールのヴォルフガング=イエルザレムが応じる。ワーグナー作品にお主役を務めるに相応しく長身で引き締まった身体だ。
 髪は波立つ金髪で目は青い、そして彫の深い顔立ちだ。
 その如何にもワーグナー調の顔立ちの彼が言ったのである。
「ヒロインの」
「そう、エルザだよ」
 この二人こそが軸だというのだ。
「タイトルロールが最も重要だけれど」
「エルザですね」
 ここでポップが言った。
「そうですね」
「そう、ヒロインもまた大事な作品なんだよ」
「ヒロインの不安こそが」
「最初は希望」
 夢に出て来た自分を助けてくれる騎士が来ることへの期待、そして希望である。 
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