SAO--鼠と鴉と撫子と
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32,いつか、また……
前書き
序盤で迷い、中盤で迷い、終盤で迷ったので亀更新。本当にごめんなさいです。
包まれていた光から解き放たれた時、目の前にあったのはオレンジ色の陽光だった。
陽の光は傾いているものの、沈んではいない。この街を見たのがもう何日も前の事のように思えるのはここを出てからあまりに色々なことが起こったからだ。
茅場晶彦がこの世界にいること
突然の菊岡との会話と彼の真意
その前の部屋にいた謎の少女
そして、その転移前では――
「――そうだ、サチ!!?」
そうだ。こんな所でぼさっとしている場合じゃないだろ。
昼からの行動を終えて帰ってきたプレイヤー達を押しのけて、ギルドホームへと戻る。
走って数分もした所で、ギルドホームが見えてきた。
蹴破るようにドアを開く。先程まで俺が居眠りをしていた筈の大広間にはその温かみのある雰囲気はない。
三人のメンバーがそれぞれの表情で俺を見ていた。
「――あ、クロウ」
ドアに一番近い所で安堵を浮かべるサチ。
ドア遠く、暖炉の前で悔しさを悲しそうに俯いているキリト。
そして、その目の前で怒りを爆発させてこちらをギロリとひと睨みした、ケイタ。
その目は、すぐに目の前の小さなウィンドウへと戻っていった。
表示されたウィンドウはケイタのものにしては僅かに遠い。
つまり、もう一人のプレイヤーのものだ。
キリトのやつ、自分のウィンドウをレベルを見せたってことか。
「レベル48……なんだよ。キリト、ビーターなのか」
ケイタは突然、腹を抱えて笑い出した。膝から崩れ落ちるように、四つん這いになり、右腕で強く強く床を叩いている。
笑い声が耳に痛い。今までの太陽みたいな暖かみはどこにもなく、乾いて冷たい北風のような笑い声。
気が遠くなるような時間の後、顔を上げずにケイタは呟いた。
「キリト、面白かっただろう?僕たちみたいな中層プレイヤーとの仲間ごっこは。愉快だったかい?滑稽だったのか?心の中で嘲笑っていたのか?」
「ケイタ、俺は――」
「――馬鹿にしやがって。僕たちは本気で攻略組になろうとしてたんだ。お前が、ビーターのお前が僕たちと関わるべきじゃなかったんだ」
顔を上げたケイタの恫喝にキリトは唇をギュッと噛み締めた。
出てけよ。ケイタはそう言って、扉の外を指さした。その目にはもう何の感情も帯びてやいない。本当に俺たちが写っているのかも怪しいほど、虚ろだった。
キリトはのろのろとその方向に足を向ける。
ゆっくりと、ゆっくりと――
「――キリト?」
黙りこんで行く末を見守っていたサチが呆然と名前を呼び、その声でキリトの肩が強張った。だけど、振り返ることはなく、キリトはゆっくりと進んでいく。
視線の先で、小さくパリンという音が聞こえた。キリトの頭上にあったはずの見慣れたシンボルマークが一つなくなっている。
ついで登場する無感情なシステムアナウンスにはキリトが強制退会されたことをご丁寧に教えてくれた。
「嫌だよ、キリト。ねぇ、戻ってきてよ。やだよ、ケイタ……キリト!!!!」
サチが子供のようにイヤイヤと首を振る。涙混じりの叫び声にキリトはそれでも足を止めないし、ケイタは壊れた表情で空を見つめたままだ。
キリトがとうとう俺の横をすり抜けて、扉の前までやってきた。
その扉を出れば、もう和解の機会はないだろう。
もう一度この部屋に入るには、ギルドの一員であるかギルドリーダーからの許可が必要だ。そんな物はおそらく二度と得られないだろう。
キリトはゆっくりと扉に手をかけ、振り返らずに言った。
「――サチ、ケイタ。今まで、楽しかった。ごめんな」
ガタンという音とともに、一陣の風が吹き込んできた。
サチは一瞬だけ凍り付き、そして俺の横を走り去った。だけど、本気のキリトが相手じゃ追いつけるわけがない。
ケイタは、その声に一度だけ苦しそうに顔を歪めた。そして、そのまま目の前のウィンドウを操作する。
二度目の破砕音が俺の頭上で響く。当然の流れだ――俺だって、れっきとしたビーターなんだから。
「お前もだよ、旋風。ふざけんな。本当は僕なんかよりずっと強いなんて……ふざけんなよ……」
その後の言葉は聞き取れなかった。
床に手を付いたまま、獣のようにケイタが吠える。
俺には今のケイタを救える言葉なんて無い。
俺が最初っから戦えれば、違う結末があったはずだ。
俺が買い物をしにいかなければ、もっと救えたはずだ。
俺がしっかりとレベルを上げていれば、みんな生きていたはずなんだ。
――俺が、月夜の黒猫団に関わらなければ、皆は生きていたのかもしれない。
それは、終わることのない過去の可能性探し。
未来がどうなるかなんて誰にもわからないからこそ、俺達は頭のなかで必死に都合のいい未来を作ってしまう。
だけど、そんなifは絶対にやっては来ない。
俺は、静かにドアへと向かって歩き出した。
ケイタは未だに動く気配を見せない。
俺が動き出せたからといって、ケイタが絶望しすぎなわけでも、俺が薄情ってワケじゃない。
この動き出しの違いは単純に回数の違いだ。
誰かに死なれて絶望したって、世界が何もしてくれないのを俺はイヤというほどよくわかってる。
生者を救うのは、祈りでも、懺悔でも、ましてや絶望でもない。
「ケイタ、悪い。それと――皆と一緒にいれて本当に楽しかったぜ」
――救えるのは、生者だけだ。
探し人は、すぐに見つかった。数ヵ月前に泣いていた橋の下で、たった独りで壁にもたれ掛かって待っていた。
俺が、近づくとサチはこちらに気がついて顔をあげ、そしてその顔に影を落とした。
俺の頭上には今まであったギルドメンバーを示すマークはもうない。
小さな変化かもしれないけど、何が起こったのかを示すには十分すぎた。
「サチ、最後だから挨拶を言いに来た」
「そっか……」
そう言ったきり、サチはまた黙りこんでしまった。
二人の間に、夕暮れ時特有のしんみりとした空気が流れ込む。
だけど、どれだけこの時間が続いても、キリトが迎えに来ることはもう無い。
二人して、ゆっくりと時間が経つのをただ呆然と過ごしていく。
「ねぇ、クロウ。生きていることっていいことあるのかな?」
「突然だな」
お互いに向かい合いながらも、目を見ることのない会話。
聞こえる声は湿り気を帯びているけど、それでもどこか芯がある。
「みんなバラバラになってく。ダッカー達は死んで、キリトとクロウはいなくなって……けどね、きっと大丈夫だよ。ケイタと二人で、頑張って生きてみる」
サチは笑っていた。
ケイタみたいに心が壊れたわけじゃなく、零れ落ちそうな涙を必死に堪えて、ムリヤリ笑っていた。
無理するな、と口から出かかった言葉を必死に飲み込んだ。
俺はギルドを追放されて、サチを支えることは叶わない俺がそんな安い言葉を吐いて何になる。
ケイタと俺とキリトがバラバラになった以上、サチは誰かを選ばなきゃいけない。
そして、サチは一番苦しんでいるケイタを支えると決めた。
ケイタを救えるのはこの世界でサチ一人。悲しみを全部理解して、一緒に泣いて、また一緒に立ち上がれるのはサチしかいない。
そんな重大な役目があると分かっているのに、出て行く俺たちにすら心配をかけまいと、躊躇なく別れられるようにと笑顔を作っている。
これが無理でなくて何なんだ。
無理するななんて、無理しなきゃどうにもならないのに、どうしてそんな事を言える?
こんな優しい少女ひとり救う術を、今の俺は知らない。
だったら、その心意気だけでも無駄にしないようにと、俺も必死に笑顔を偽造した。
「ねぇ、クロウ。いつか、みんなで前みたいに笑いあえる日がくるかな?」
「……ああ、来るさ。きっといつか!!」
安い言葉だ。
未来のことなんて、誰にも分からない。
だからこそ、叶えるんだ。
今の俺に救えなくても、未来の俺はきっとこの子を救えるから。
心のなかで、静かにそう決意した。
そのとき、俺の後ろから人影が差し込んだ。
サチの顔が期待に膨らんで、萎み、そしてまた少し膨らんだ。
キリトが来てくれたと思い、人違いで落胆したところまでは分かる。
だが、最後の反応はなんだ?
そう思って、俺も後ろを振り返ると俺はそのまま固まってしまった。
キリトが迎えにきた場所にいたのはサチの迎えではなく、俺の迎え。
フードを被った華奢な姿、そしてそれ以上に印象的なお髭付きの顔は間違えようがない。
俺を助けようとして死にかけた――俺の相棒、鼠のアルゴその人だ。
「クロウ、あの人って前に言っていた人?」
「ああ、そうだな」
ふうん、とサチがアルゴを上から下まで眺めて意味ありげな微笑を浮かべた。
それはさっきまでの痛々しいほど引きつった笑みではなく、とても穏やかで自然な笑顔。
「じゃあ、またな。キリトは任せろ」
「うん、また今度。ケイタと私のことは心配しないで」
二人同時に背中合わせに歩きだした。
振り返ることはしない。
橋の下から出て浴びる夕日は赤々と輝いていて、妙に目頭に染みた。
ゆっくりとアルゴの方へと歩いて行く。
会うのは、いや話をするのもきっと25層での一件以来か。
逃げるように最前線からいなくなって、その後はメッセージでも直接会いに来ても全て躱し続けた。
キリトがここに来たのだから、俺の情報はきっと聞いている筈だけど、自分の口からキチンと説明したい。
「――待たせたな。相棒」
「待たせすぎダヨ。オイラがどれだけ待ったと思ってるんダ」
――のだけど、どうやらまともに謝らせてもくれないらしい。
数秒、金魚みたいに口をパクパクと動かしてから、意を決して口を開いた。
「悪かったよ」
「いいヨ」
予想に反した言葉に、俺は続けて用意していた言葉を飲み込んだ。
目の前の鼠は小さくトレードマークの髭を擦ってから、再度口を開く。
「だから、許すって言ったんダ」
「許すって、お前…」
「キー坊からある程度のことは聞いてるシな。言いたいことはあるけど、オイラはクロちゃんが戻ってくるならそれでいーヨ」
そう言ってアルゴは手を後ろで組み、真面目な顔で平然と言った。
「だって、これからは強くなって守ってくれるんだロ?相棒」
「当たり前だろ――相棒」
ここまで、無条件に信じてもらって、期待なんて裏切れるか。
俺達は、一度だけ笑って肩を並べて歩き出した。
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