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シモン=ボッカネグラ

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第二幕その二


第二幕その二

 だがそれは顔だけであった。その目は憎悪と怨みで燃え盛っていた。
「その目でか」
 フィエスコはその目を見て言った。
「その禍々しい目で」
「フン、まあ落ち着け」
 彼は水を勧める。だがフィエスコはそれを受け取らなかった。
「あんた達が俺を嫌っていようがこの際どうでもいい。まあ俺の話を聞いてくれ」
「何が望みだ?」
 フィエスコは彼を睨み付けて言った。
「そう怒るな。俺はあんたに復讐の機会を与えようというのだ」
「あの男を殺せというのか?」
「そうだ。他ならぬあんたの手でな。どうだ、悪い話ではないだろう?」
「・・・・・・・・・」
 フィエスコはその話を聞き沈黙した。パオロはそれを見て内心ほくそ笑んだ。話を続ける。
「思い出せばいい。あの男があんたに何をしてきたかを。そう思うと自然に怒りが込み上げて来るだろう?」
「・・・・・・確かに」
「ならばわかっている筈だ。あの男が眠っている時にこれでひと思いにやればいい」
 そう言うと懐から一本の短刀を取り出した。
「刃に毒を染み込ませた特別製だ。これならかすっただけでも命を奪えるだろう」
「・・・・・・・・・」
 フィエスコはその短刀を黙して見下ろした。
「さあ受け取るがいい。そしてあの憎っくき男をその手で殺すんだ」
 パオロは言葉巧みにフィエスコを仲間に誘おうとする。だが彼はそれに乗らなかった。
「・・・・・・断る」
 彼は毅然として言った。
「何故だ?折角憎い奴をその手で殺せる絶好の機会だというのに」
「確かにわしはあの男が憎い。だが暗殺しようとは思わぬ」
 彼は言った。
「いずれあの男をこの手で倒す時が来る。それは神の御導きによってな。わしはあの男を正面から向かって倒すのだ」
「では暗殺しようとは思わないのだな?」
「当然だ。わしは刺客などというものは嫌いだ」
 彼はそう言うと短刀から目を逸らした。
「早くその醜いものをしまうがいい。見るだけで汚らわしい」
「・・・・・・そうか、ならば仕方がないな」
 パオロはそれを見て舌打ちして言った。
「とっとと牢屋へ戻れ」
「言われなくとも自分で戻る。わしは貴様を見るよりあそこにいた方が心地良い」
 そう言うと自分で去って行った。
 ガブリエレもそれに従おうとする。だがパオロがその前に立ち塞がった。
「まあ待て」
「暗殺なら僕もお断りだ」
 ガブリエレは顔を顰めて言った。
「フン、お貴族様というのはどいつもこいつも気位が高いな」
 彼は皮肉を言った。
「誇りと言ってもらおうか。少なくとも御前のような卑劣で身勝手な男ではないつもりだ」
「そうか。それは結構。だがいささか鈍感なようだな」
「侮辱か!?生憎貴様の様な男が何を言おうと獣の吠え声として受け取らせてもらう」
「獣か、これはいい」
 パオロはその言葉にクックック、と笑った。
「何がおかしい」
「いや、獣は鼻が利くからな」
 彼は自分の鼻を指差して言った。
「それがどうした?御前が普通の人間より鼻が利こうが僕には関係無い」
「そうだな。ここにアメーリアがいる事を嗅ぎ付けるだけだからな」
 彼はそう言うとガブリエレを見て卑しい笑みを浮かべた。
「それはどういう意味だ!?」
 ガブリエレはその言葉にくってかかった。
「いや何、総督の寝室にいると言ったのだ」
「それは本当か!?」
 彼はその話を聞いて顔を蒼白にさせた。
「俺はもうすぐこの街から高飛びする男だ。今更嘘など言うものか」
 彼はその卑しい笑みをたたえたまま言った。 
 この時フィエスコがいたならば彼の言葉が嘘であると見破っただろう。だがガブリエレはそれを見破るにはあまりにも若かった。そして純真であった。
「そんな、では彼女は・・・・・・」
 彼は声を震わせた。
「そうさ、毎夜総督の快楽の慰み者になっている」
 彼はガブリエレを煽り立てる様に言った。
(上手く毒が回ってきたな。馬鹿な奴だ)
 彼はガブリエレを煽り立てながら見ている。そしてその様子を楽しんでいた。
「おのれ・・・・・・」
 ガブリエレは顔を上げた。その顔は怒りと憎しみで上気し真っ赤になっていた。
「それでどうするつもりだ?」
 パオロはそんな彼に対して問うた。彼は即答した。
「決まっている、あの老いぼれに神の裁きを与えてやる!」
 彼は激昂して言った。
「どうやってだ?」
 パオロはそんな彼を嘲笑する様に言った。
「この官邸の中でか?それこそここが御前の墓場になってしまうぞ。よく落ち着いてからものを言うのだな」
「クッ・・・・・・」
 あからさまな嘲笑であった。だがガブリエレは言い返せない。その通りだからだ。
「まあ誇りは死なぞ怖れないというがな。それでもいいというのなら俺は止めはしないがな」
 それとなく彼を煽動する。
「しかし武器も無いのだぞ。よく考えてから何事も為すのだな」
 そう言うと先程の短刀をさりげなくテーブルの上に置いた。
「だが俺はこれ以上は言わん。もうこの街から逃げ去らわなくてはならんからな」
 彼はガブリエレに背を向けた。
「好きにするがいい。その誇りに忠実にな」
 彼はそう言い残すと姿を消した。その顔は邪悪な笑みで満ちていた。しかしそれはガブリエレには見えなかった。
 テラスにはガブリエレ一人だけが残った。彼は怒りと屈辱に身体を震わせながら立っていた。
「あの男がアメーリアを自分のものにしているというのか」
 彼は声を震わせて呟いた。
 
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