ナブッコ
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6部分:第二幕その一
第二幕その一
第二幕 神を恐れぬ男
バビロンの王宮は巨大かつ壮麗であった。様々な富で飾られそこにないものは何もなかった。まさに栄華を誇る大国バビロニアの首都であった。今そこに王女としてみらびやかな服に身を包んだアビガイッレがいた。
その姿は気品と威厳を兼ね備えており美しい。だがその美しさはやはり王女としての美しさではなかった。凛とした女将軍としての美しさであった。
その長い黒髪をたなびかせ彼女は今武装した将校から一枚の羊皮紙を受け取っていた。そしてそこに書かれていることを読んで顔を曇らせていた。
「これなのだな」
「はい」
その将校はアビガイッレに対して一礼した。
「王室の図書館の奥にありました」
「そうだったのか」
「何度も何度も探した結果」
その将校は言う。
「ようやく見つけ出したものです」
「この文字は間違いない」
アビガイッレは述べた。
「父上の文字だ」
「左様ですか」
「それでだ」
アビガイッレは将校を見据えて問うてきた。
「中は読んだのか」
「はい」
彼はそれに答えた。
「ですが申し上げます」
それでも彼は言った。
「我が主はアビガイッレ様のみ」
「まことだな」
「私とてバビロニアの武人」
自分の言葉を誇りにかけてきた。
「何故偽りなぞ申しましょうか」
「そうか」
「ですからお渡ししたのです」
そこまで言った。
「それで宜しいでしょうか」
「うむ」
そこまで言われてはアビガイッレとて信じた。それに彼は長い間自分に仕えている。信頼に足る人物であることははっきりとわかっていた。そのうえで用心で問うたのであるが。
「ならばよい」
「はい」
将校はその言葉に応えた。
「その心確かに受け取ったぞ」
「有り難き幸せ」
「それではだ」
アビガイッレはあらためて彼に言う。
「おって指示を出す。今は下がっておれ」
「はっ」
彼は一礼してその場から姿を消した。後にはアビガイッレだけが残った。
彼女は険しい顔をしていた。そして身体をわなわなと震わせながら今その羊皮紙を見ていた。
「私が奴隷の娘だったと。王と卑しい女の間に生まれた」
そこには彼女の出生のことが書かれていたのだ。他ならぬナブッコの手で。
「王妃、あの母上の娘ではなかった。それはフェネーナだった」
実は今までは逆に思っていたのだ。だがそれは違っていた。それは彼女の方でありフェネーナこそがナブッコと今は亡き王妃の間に産まれた正統な娘であったのだ。
つまり彼女はバビロニアの王位にを継ぐことはできないのだ。血筋の故である。それを知り今憤怒に身を焦がしていたのである。
「そんなことはさせない」
彼女の目には権力への野望があった。
「王座は私のもの。そして」
彼女は同時に別のものも見ていた。
「あの人も。全てを手に入れる」
今ここに決意していた。
「今までそれを隠していた父上も、そして私の王座を阻む場所にいるフェネーナも許しはしない。全ては」
復讐と粛清、それもまたその目に宿っていた。
「私自身の為に。今こそ剣を持つ」
全てを決意した。そしてその羊皮紙を破り捨てるとその場を後にした。そのまま彼女はバビロニアの神々を祭っている祭壇に向かった。
そこではイシュタルが祭られている。バビロニアの愛と戦いの女神である。美しく、そして同時に凄惨な性格をしている。愛を持つと同時に血をも欲する神であった。
「王女様」
その祭壇の前でイシュタルの巫女の一人に声をかけられた。若い美しい巫女であった。
「どうされたのですか、今は」
「巫女長はいるか」
アビガイッレは彼女に問うた。
「巫女長ですか」
「そうだ、話したいことがある」
彼女はそう述べた。
「どうなのだ」
「ええ、こちらに」
彼女はアビガイッレの剣幕に怖れを抱きながらも答えた。
「おられますが」
「そうか。では中に入らせてもらう」
彼女は言った。
「よいな」
「あの」
巫女はおずおずとした様子でアビガイッレに問うた。
「一体どの様な御用件でしょうか」
「少しな」
アビガイッレはここで微かに笑ってみせたがそれは酷薄な色があった。
「悩みがあってだ」
「悩み、ですか」
「どうしてもそれを聞いて頂きたいのだ。それでよいかな」
「はあ」
彼女はそれに答えた。
「それでしたら」
「うむ」
アビガイッレは重厚な青銅の扉を開けて祭壇の中に入った。そこの奥には美しくも猛々しいイシュタルの巨大な像が置かれていた。剣と鎧で武装したその姿は何処か戦場にいるアビガイッレを思わせるものであった。
「おお、これは」
彼女が祭壇の中に入ると声がかけられてきた。アビガイッレがそちらに顔を向けるとそこには三十代前半の着飾った妖艶ささえ漂う女性がいた。その厳かな服装から彼女が巫女長であるとわかる。
「王女様、ようこそ」
「巫女長、お元気そうですね」
アビガイッレはまずは彼女に顔を向けて微笑んだ。
「暫くぶりです」
「左様で。どうしてこちらに」
「はい」
アビガイッレの顔から映見が消えた。
「実はですね」
「ええ」
言葉まで深刻なものになってきているのがわかる。巫女長はそんな彼女に正対していた。
「まずは御聞きしたいのですが」
「何でしょうか」
「貴女は私の味方であられますね」
「無論です」
巫女長はむべもなくそう答えた。
「貴女こそが次のバビロニアの主。そうイシュタルも申し上げております」
「そう、イシュタルが」
彼女はここでイシュタルの巨大な像を見上げた。それは何処かアビガイッレに似ている感じがした。武装している女だからであろうか。何か漂わせるものまで同じであった。
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