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売られた花嫁

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第一幕その一


第一幕その一

                  第一幕 結婚仲介人
 十九世紀中頃のボヘミア。時代は刻一刻と変わり世界は次第に忙しくなろうとしていた。当時ここを勢力圏に置いていたオーストリアも例外ではなく民族運動を受けてオーストリア=ハンガリー帝国という二重国家となった。ハプスブルク家を頂点としながらもそれぞれの民族意識の高まりを抑え切れなくなりつつあった。そうした国家であった。
 その中でボヘミアは特別な位置にあった。欧州の丁度中央に位置するこの地域は古来より重要な場所とされてきたのである。
 ドイツの宰相ビスマルクはこう言った。
「ボヘミアを制する者が欧州を制する」
 と。彼は一代の戦略家であり、それだけにその言葉は重みがあった。
 ここはチェコの中心地域であった。美しき都プラハもあり農村はのどかで整っていた。人々はそこでゆったりとした、それでいて素朴な生活を送っていたのである。
 その中のある村での話である。今日は教会の聖別式である。春の訪れも同時に祝う目出度い日である。
 人々は質素な造りの教会から出ると右手にある酒屋に入っていった。そこでは恰幅のいい旦那とおかみがもう笑顔で待っていた。
「いらっしゃい」
「飲んでくんだろ」
「勿論だよ」
 村人達は二人に笑顔でそう答えた。
「親父、席用意してくれ」
「おかみさん、ビールある?」
「ここにたんまりと」
「ソーセージは?」
「今茹で終わったよ」
「チーズは?」
「切って置いてあるよ。安くしとくからね」
 こうして人々は酒屋の外と中で次々に卓を囲んだ。そして乾杯をはじめた。
「よし、飲むぞ!」
「おう!」
 老いも若きも男も女も口々に酒を讃えながら飲む。皆笑顔に包まれていた。
 しかしその中で一人浮かない顔をして入口のすぐ側にあるテーブルで座っている少女がいた。金髪で小柄な少女である。
 青い瞳が非常に美しかった。そして少し太めながらそれがかえって健康的な可愛さとなってあらわれていた。
 ボヘミアの民族衣装に身を包んでいる。彼の前には同じくボヘミアの服を着た若者がいた。豊かな金色の髪に小粋な表情をした若者である。目は緑で少女の目が湖の様であるのに対して彼のそれはまるで森の様であった。帽子には洒落た白い羽根が付けられている。
「マジェンカ、どうしたんだい」
 彼はその少女に対して問うた。
「随分浮かない顔をして」
「うん」
 マジェンカと呼ばれた少女はそれを受けて顔をあげた。あどけない顔が何やら憂いで沈んでいた。
「ねえイェニーク」
「何だい」
 若者は名を呼ばれて応えた。
「私もそろそろ結婚していい年頃よね」
「うん」
 この時代結婚する年齢は低かった。マジェンカ程の年齢になるともう結婚するのが普通であった。
「それでね。母さんに言われたの」
「誰かと結婚しろって?」
「ええ。それでもうすぐ家に結婚の仲介人さんがやって来るの」
 この時代この地域にはそうした職業もあったのだ。結婚の仲介を生業とする人達である。
「ふん、それで」
「どうしたらいいの!?私知らない人や嫌いな人と結婚なんかしたくないわ」
「安心して、マジェンカ」
 イェニークはにこりと笑ってマジェンカに対してそう言った。
「何で」
「よお」
 ここで周りの村人達が二人に声をかけてきた。
「美味い酒も飲んだし踊らないか?」
「一緒にな」
「私はいいわ」
 マジェンカは暗い顔のままそれを断った。
「今は気持ちが晴れないから」
「そうなの」
「そんなの踊ればすぐにさっぱりするのに」
「まあいいじゃないか。俺達だけでも踊ろう」
「そうだな」
 人々は教会の前の広場で輪になって踊りはじめた。二人はテーブルに向かい合って座ったまま踊りを見ながら話を再開した。
「それでね」
「うん」
 イェニークはマジェンカの言葉に頷いた。
「私本当に困ってるのよ。一体どうなるか」
「本当に心配なんだね」
「当然よ」
 その何気ない言葉にさえ頬を膨らませた。
「相手は噂によるとミーハさんとこの息子さんらしいけれど」
「ミーハさんの」
 イェニークはそれを聞いてその緑の目に奇妙な光を宿らせた。ミーハはこの村で一番の長者である。
「まだよくわからないけれどそう聞いたわ」
「そうなんだ」
 イェニークはそれを聞きあらためて頷いた。
「どうしたらいいかしら」
「そうだなあ」
「ねえイェニーク」
 マジェンカはまた彼に問うた。
「これを聞いても何とも思わないの?」
「何を?」
「私がお嫁さんに行くことよ。何か全然驚いても心配してもいないようだけれど」
「それは誤解だよ」
 イェニークはまずはそれを否定した。
「当然心配しているさ。他ならない君のことだから」
「そうかしら」
 だがマジェンカはそれを聞いてもまだ懐疑的であった。
「私にはそうは見えないのだけれど」
「それは気のせいだって」
 彼はまた否定してみせた。
「本当かしら」
「僕を信じれないっていうの?」
「そうじゃないけれど」
 マジェンカは逆に言葉を曇らせた。
「けれど貴方ってもてるから」
「まさか」
 彼はそれを笑って否定した。
「それは買い被りだよ。僕はそんなにもてないよ」
「嘘よ」
「嘘なもんか。それにもてたってね」
「ええ」
「僕は君にしか興味がないんだから。それは信じて欲しいな」
「どうかしら」
 マジェンカはすねてそう言葉を返した。
「今だって何か他人事だし。信じれないわ」
「おやおや」
 お手上げといったジェスチャーをしておどける。
「どうしてもかい?」
「じゃあ誓えるかしら」
「勿論。君だけを見るってね」
「それならいいけれど」
 だがまだ不安は消えなかった。
「本当に他の女の人に興味はないのね」
「だから何度も言う通り」
 それでもマジェンカは不安なようであった。
「けれど一言言いたいの」
「何だい?」
「浮気したら酷いんだから」
「おいおい」
 イェニークはむくれるマジェンカを宥めにかかった。
「本当に焼餅なんだから」
「パンを焼くのは得意よ」
 そう返す。
「私は嫉妬深い女ですからね」
「確かに君の焼くパンは美味い」
 イェニークは冗談交じりにそう言う。
「けれど僕はそのパンに惚れたんだ。だからこの村にいる」
「イェニーク」
「僕はね、ある豊かなお百姓さんの家の子だったんだ」
 そして今度は自分の身の上を語りはじめた。
 
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