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とあるβテスター、奮闘する

作者:らん
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投刃と少女
  とあるβテスター、赤面する

「今日もいっぱい戦ったねー。ユノくん、お疲れさま!」
「あ、うん、お疲れさま」
ここ何日かの日課となっている迷宮区での狩りを終え、ダンジョン周辺に広がる鬱蒼とした森を抜けて帰路に就く。
木々が生い茂っているせいで視界が悪いこの森を歩くのも、毎日迷宮区まで通っているうちにすっかり慣れたものだ。

「ねぇねぇユノくん。ベータの時も第1層でこんなに時間かかってたの?」
「んー、そうだなぁ……」
帰り際、シェイリが何気なしに口に出した質問に、僕はすぐに答えることができなかった。
このゲームが始まっておよそ一ヵ月が経った今でも、プレイヤー達は第1層攻略の真っ最中だ。
βテストの時では二ヵ月で第10層まで進んでいたのに対し、これはかなりのローペースであると言えるだろう。

───だけど、無理もないよね……。

βテスト当時はHPがゼロになって死んだとしても、『はじまりの街』にある『黒鉄宮』という宮殿の、『蘇生者の間』と呼ばれる復帰ポイントまで飛ばされるだけで済んだ。
いくら死んでも復帰できるのだから、ボスに挑むのだって『当たって砕ければいい』程度の感覚でしかない。というか通常、MMORPGなんていうのはそんなものだろう。
でも。茅場曰く、僕たちが当たり前のように思っていたそれは、SAOの“本来の仕様”ではなかったらしい。

SAOが“本来の仕様”となった現在、『蘇生者の間』には巨大な碑が設置されており、そこにはSAOにログインしている全プレイヤーの名前が刻まれている。
そしてプレイヤーのHPが全損した際には名前に横線が引かれ、ご丁寧なことに死亡理由まで表示されるという仕組みになっていた。

そもそもにおいて、攻略に意欲を見せているプレイヤー自体、βテストの時に比べて随分と減っている気がした。
本来の仕様───HPがゼロになった瞬間、ナーヴギアに脳を破壊されてしまうという現状では、迂闊にボスに手を出して初見殺しに引っ掛かるということは、イコール現実世界の死でもあるのだから、当然といえば当然かもしれない。
あの時、僕がシェイリに提案した、もう一つの選択肢。危険を冒してまで攻略に行くくらいなら『はじまりの街』にいたほうがマシだ……と考えているプレイヤーも、決して少なくない。
そういったこともあって、本来であれば第5層までは攻略できていたであろう月日が流れても、僕たちは第1層から上に行くことができずにいる。

「みんな怖いんだと思うよ。負けたら死ぬんだから、当たり前ではあるけど……」
「そっかぁ」
もしもβの時のように、HPがゼロになっても復帰できるという仕様だったら。
10000人もの人数がログインしているこの状況なら、遅く見積もっても一ヵ月もあれば、βテストの最終層だった第10層までは行けていたと思う。
当時のプレイヤー───βテストの当選者は、たった1000人しかいなかったのだから。
その10倍もの人数がいれば、以前の半分の時間もかけずに追い付けていたはずだ。

だけど、それはあくまで仮定の話だ。
現にSAOがこうしてデスゲームと化してしまった以上、全プレイヤーに攻略参加を無理強いするわけにはいかない。
元々MMOなんてものは遊び方も人それぞれであり、仲間内でのんびりとSAOを楽しむつもりの人だっていただろう。
鍛冶や料理などの非戦闘系スキルを上げて楽しむプレイスタイルの人は、そもそも攻略向けのステータスじゃない。
そんな人達に対して『命を懸けて前線に出ろ』と要求するのは、あまりにも酷というものだ。

「じゃあユノくんとわたしでボス倒すしかないね。がんばろー!」
「……ん、そうだね。そんなに簡単な話じゃないけど、意気込みとしてはそのくらいあったほうがいいかな」
いとも簡単そうに言い、日常的に命を危険に晒しているにも関わらず、シェイリは相変わらずの間延びした口調でにへらと笑う。
傍から見れば緊張感に欠けていると思うかもしれないが、この状況に至って尚笑顔を絶やさない彼女のことが、正直言って羨ましかったりする。
この一ヵ月彼女と行動を共にして、彼女のこういう面に支えられたことは、一度や二度の話じゃない。

───まあ戦闘になるとちょっと人が変わるというか、ぶっちゃけ怖いけど。

最初の日、レイピア片手に青イノシシ相手に逃げ惑っていた彼女は何処やら。
今や両手斧を使ってバッサバッサと敵を斬り倒していく彼女の姿は、思わず『あなたの前世は剣闘士か何かですか?』と聞きたくなってしまう程だ。
もちろん、面と向かってそんなことを聞けば自慢の斧で真っ二つにされかねないため、実際に口に出したことはないけれど。

───両手斧って扱いが難しい武器のはずだったんだけどなぁ……。

SAOにおいて極めて初心者向けである片手剣や細剣を差し置いて、両手斧が一番しっくりくる女子高生というのは如何なものか。
この幼い少女(実際は同い年もしくは年上の可能性あり)が戦闘狂へ変貌するきっかけを作ってしまったことに何ともいえない責任を感じつつ、僕たちは迷宮区から程近い街『トールバーナ』の北門をくぐるのだった。

2022年12月2日。
本日夕方よりこの『トールバーナ』において、正式サービス開始後初の『ボス攻略会議』が開かれるらしい。


────────────


「みんな!今日はオレの呼びかけに応じてくれてありがとう!」
第1層迷宮区より徒歩十数分に位置する谷間の街『トールバーナ』。その中央広場に、よく通る男の声が響き渡った。
声の主───広場の中央に設置された噴水の縁に立つ青髪の剣士は、まるでユーザー主催イベントの司会者でもあるかのように、場違いに爽やかな笑みを浮かべている。

「オレはディアベル。職業は気持ち的にナイトやってまーす!」
その一言で周囲のプレイヤー達がどっと沸き、『職業システムなんてねーだろー!』『ほんとは勇者って言いたいんだろー!』などという声が投げかけられた。
さっきまで初のボス攻略会議ということで、この中央広場にはどこかピリピリとした空気が漂っていたのだけれど、その空気をあっという間に180度変えて場を和ませてしまうあたり、どうやらこのディアベルという剣士、こういったイベントごとを仕切るのには慣れてるらしい。
殺伐とした雰囲気を和らげるという意味では、こういうノリの人が一人くらいいたほうが、下手に緊張しなくて済むので助かる。
シェイリと並んで広場の隅に座った僕はそんなことを考えながら、ディアベルが本題を切り出すのを待った。

「……今日、オレたちのパーティが、あの塔の最上階に続く階段を発見した。つまり明日か、遅くても明後日には、ついに辿り着くってことだ。第1層のボス部屋に!」

───おお……。

ディアベルの言葉に周囲のプレイヤー達がどよめく中、僕は感嘆の思いを抱く。
第1層の迷宮区である塔は全20階建てで、僕とシェイリがさっきまで狩りをしていた場所が17階だ。
シェイリが両手斧使いとして覚醒してからは、ペア狩りにしてはだいぶ早いペースで進んできたつもりだったのだけれど、どうやら彼らのパーティはその何歩も先を行っていたらしい。

「オレたちは、示さなきゃならない。ボスを倒し、第2層に到達して、このデスゲームそのものもいつかきっとクリアできるんだってことを、『はじまりの街』で待ってるみんなに伝えなきゃならない」
ディアベルの熱弁に、周りのプレイヤー達が息を呑んだのが気配でわかる。

そして、

「それが、今この場所にいるオレたちトッププレイヤーの義務なんだ!そうだろ、みんな!!」
最後に一際大きい声でディアベルが叫ぶと、噴水広場がプレイヤー達の大喝采で包み込まれた。
明日か明後日にはボスと戦って死ぬかもしれないというのに、周りにそんな不安を微塵も感じさせない。
個人がバラバラに動きがちなMMORPGという環境であるにも関わらず、巧みな話術であっという間に士気を高揚させてしまった。
自ら騎士を名乗るだけあって、リーダーシップにはかなり長けているものがあるらしい。

───この人がリーダーなら、協力してボスに立ち向かうことも……

できるかもしれない、と思った矢先。

「ちょお待ってんか!」

やたら耳障りなダミ声による関西弁が、歓声を遮った。その一言によって歓声がぴたりと止み、広場が再び沈黙に包まれる。
みんなの士気がいい具合に上がったのに、わざわざこのタイミングで水を差す必要があるのだろうか、と思っていると。
やがてディアベルの立つ噴水の前に、一人の男が歩み出てきた。

「ワイはキバオウってもんや。あんたらと仲間ごっこする前に、こいつだけは言わしてもらおか」
小柄ながらがっちりとした体格に、かなり独特的な髪型をした茶髪の男だった。
キバオウという名前といいサボテンみたいな髪型といい、『この人だけまだアバター姿のままなんじゃ?』と思えて仕方ない。
というか、現実世界でこんな髪型の人に遭遇したら絶対笑ってしまいそうだ。

「こん中に、このゲームの全プレイヤーに対してワビ入れなあかん奴らがおるはずや。ベータテスト上がりの連中がな!」

───へ?

キバオウの特徴的な髪型にばかり気を取られていたせいで、一瞬彼が何を言っているのか理解が追い付かなかった。
その時の僕は周りから見て、かなり間の抜けた顔をしていたに違いない。

───謝罪?ベータテスターが?何に対して?

僕が頭の中で疑問符を浮かべていると、それに応えるかのようにキバオウは続けた。

曰く、あの“はじまりの日”、元ベータテスター達は右も左も分からない初心者達を見捨て、自らの保身に走った。
曰く、元ベータテスター達は効率のいい狩場やクエスト情報を独占し、他のプレイヤー達のことを一切省みることがなかった。
曰く、彼らのせいでたった一ヶ月で2000人ものプレイヤーが死んだ───

周りがシンと静まり返った中で、キバオウは『元ベータテスターがいかに汚いか』『彼らがいかに自分達だけおいしい思いをしているか』を熱弁していく。

「こん中にもおるはずやで、ベータテスト上がりの奴が!そいつらに土下座さして、貯め込んだ金やアイテムを吐き出してもらわな、パーティメンバーとして命は預けられん!」
「──ッ!!」
最後の言葉を聞いて、僕はキバオウという男の真意を感じ取った。
結局のところ、キバオウはこれを言いたいだけだったのだろう。
『ベータテストの知識を持ったプレイヤー達からお金やアイテムを吐き出させ、取り分を自分達に回せ』、と。
口では死んだ人達のことを考えているような言い方をしているけど、死んだプレイヤー達に詫びを入れろだとか、命を預ける預けないだとか、そんなものは全部建前で。
要するにこいつは、自分がおいしい思いをできなければ、何でも気に食わないタイプの人間なんだ。

元々MMORPGなんていうのは不特定多数のプレイヤーが存在する以上、多かれ少なかれ、ある程度の格差が生まれるのは仕方がない。
だけど。どのMMORPGにも必ずキバオウのようなタイプの人間がいて、そういった人達はそれをよしとしない。
人より少し強かったり、貴重なアイテムを持っているという理由だけで、相手を匿名掲示板で執拗に叩くことだってある。
『ネットゲーマーは嫉妬深い』なんて言われるように、そういった光景はMMORPGの風物詩とも言ってもいい。
彼らは叩ける要素があれば何でもよくて、叩く対象の心情や都合なんてものを考えることはないんだ。

僕もいくつか他のMMORPGをやってきたから、世の中にはそういった人達がいるっていうのも身に染みている。
でも、それはあくまで“遊び”としてのゲームの世界の話であって。
実際に命が懸かってるこの期に及んでまで、こんな、こんな下らないことを───

「おるんやろ、ベータ上がりの卑怯もんが!はよう金とアイテムを並べて、地べたに頭ついて土下座しいや!」

───せっかく、せっかく場がまとまりかけてたのに……!

このままでは、まずい。
討伐部隊を組んでボスと戦うどころか、プレイヤー同士で協力するという体制そのものが崩壊してしまう。
最悪の場合、これを口実にベータテスター達に対する“処刑”が始まってしまうかもしれない。

「あくまで名乗り出ないつもりか、そんならそれまでや。こんな卑怯もんが潜んどるかもしれんパーティに命なんか預けられへん。パーティ組むっちゅう話はなかったことに───」

───どうする……?

せっかくディアベルが一纏めにした場の空気が、キバオウの登場によってバラバラになろうとしている。
ここは無理矢理にでも割り込んで、この男を黙らせるべきなのかもしれない。
今、僕が何かを言えば。それこそ『おまえがベータテスターか』と、キバオウの主張を正当化させる口実になってしまうかもしれない。
だけど、これからの攻略のことを考えるなら……

───いくしかない、かな……

このまま黙って言わせておけば、事態は悪化する一方だ。会議を円滑に進めたいなら、キバオウを黙らせる必要が出てくる。
今後、プレイヤー同士で協力してボス攻略に臨むなら。ベータテスターだとかそうじゃないとか、そんなことで確執を生んでる場合じゃないんだ。

そう思い、フードを目深に被り直し、キバオウの言葉を遮るべく立ち上が───

「発言、いいか」
「なんや!」
ろうとして、それは失敗に終わった。
僕が立ち上がろうとしたのと同時、どこからか聞こえた野太いバリトンボイスが、先にその場に割り込んだからだ。
今まさに立ち上がろうとしていた僕は、中途半端に腰を浮かせた状態になり、何とも格好のつかないまま再び座り込むのであった……。
そんな様子に気付いていたのか、隣に座るシェイリのクスクスという笑い声が耳に入り───ちょっと笑いすぎだって!鬱になるだろ!

シェイリに羞恥心をちくちくと刺激されながらも顔を上げれば、人垣を掻き分けてキバオウの前へと歩み出るプレイヤーの姿があった。

───お、おう……?

そのプレイヤーを視界に捉えた瞬間、僕はシェイリからの精神攻撃のことも忘れ、思わず呆気に取られてしまった。
なぜなら、さっきのバリトンボイスの主は、身長2メートルに届くかどうかという程の巨漢で。
彫りの深い顔立ちに、髪型は完全なスキンヘッド。チョコレート色の肌に、身体のほとんどは筋肉で出来ているんじゃないかと思ってしまう程のガタイのよさ。
背中にはシェイリが使うものによく似た、武骨な両手斧を背負っている。だけど、武器に背負われてる感じのするシェイリとは違い、この人の場合は巨大な両手斧すらも小さく見えてしまう。

「………」
「どうしたの、ユノくん?」
「いや、何でも……」
両手斧というのはああいう人が使う武器なんだよ、と言いたくなるのを何とか堪え、視線を広場中央に戻す。
彼女は新調した武器をいたく気に入っている様子だし、ここでケチをつけようものなら『えー?だってこれ使いやすいよ?なんならデュエルしてみる?』とか笑顔で言われかねない。
死ぬ危険性のないデュエルとはいえ、あんなゴツい斧で真っ二つにされるのはごめんだ。自分から地雷を踏みに行く趣味は僕にはない。

───いや、待てよ?接近戦に持ち込まれる前に投剣でちくちくやれば、勝てる可能性も…………無理か。

投剣スキルは射程が長い分、威力は近接武器より劣る。
頑張って一発や二発ソードスキルを命中させたところで、硬直中に接近されて真っ二つにされるのがオチだ。
ましてや、短剣で鍔迫り合いなんて論外だ。受け止めようとした腕ごと持っていかれかねないだろう……あれ?ひょっとして彼女のほうが強いんじゃ……?

「オレの名前はエギルだ。キバオウさん、あんたの言いたいことはつまり、元ベータテスターが面倒を見ないかったからビギナーがたくさん死んだ、その責任を取って謝罪・賠償しろ、ということだな?」
「そ……そうや」
守ると言ったはずの相手にいつの間にか追い抜かれていた、という事実に僕が軽くショックを受けていると。
さっきまで散々言いたい放題だったキバオウは、エギルと名乗ったプレイヤーの風貌に圧倒され、怯んだように片足を引きかけていた。
キバオウは男にしては小柄なほうだし、エギルは日本人離れした(もしかすると本当に外国人かも)体格をしているため、その反応は無理もないだろう。

「ベータ上がりの全員が全員、おいしい思いをしてると言うが、その根拠はどこにあるんだ?」
「根拠やと?んなもん、こんクソゲームの現状見ればわかるやろが!右も左もわからん奴が2000人も死んどるんやで!しかもそのほとんど全部が、他のMMOじゃトップ張ってたベテランやったんやぞ!」

───またそれか。

明確な根拠も出さず、この期に及んで死んだ人達をダシにするキバオウのやり方に、内心で嫌気が差してくる。
確かに、彼が並べている言葉をそのまま鵜呑みにするのであれば、βテスターに全く非がないとは言い切れない。
元βテスターが1000人もいれば、中には自分がおいしい思いをすることだけを考えている人も、少なからずいるはずだ。

でも。キバオウの言い分は正論に見える一方、その裏にはかなりの私情が含まれている。
彼は『全プレイヤーは平等であるべき』と口では言ってる一方、その根底にあるものは、自分の一歩先を行くベータテスター達への嫉妬心だ。
そして。今まで経験してきたMMOにおいて、そういった人ほど、自分が利益や権力を得た途端、それに溺れるものだと相場が決まっている。もしも逆の立場なら、キバオウのようなタイプは真っ先に、彼の言うところである『卑怯もん』と同じ行動をしていたことだろう。

「その2000人は全員が全員、あんたの言う元ベータテスターのせいで死んだと?」
「そうやろが!ベータ上がりのアホテスターどもは、わいらに何の情報も渡さんで───」
「いいや。金やアイテムはともかく、情報ならあったと思うぞ」
そう言ってエギルが取り出したのは、羊皮紙を綴じた本の形をしたアイテム。
表紙には、丸い耳と左右三本ずつの髭を図案化した『鼠マーク』が。それは、このアイテムを製作したのがかの情報屋であることを示している。

βテスト時代、金銭と引き換えにありとあらゆる情報を売って歩いていたプレイヤー、通称『鼠のアルゴ』。
『奴は金さえ積めば自分のステータスだって売る』という噂通り、ボスのデータからプレイヤー個人の情報まで、対価さえ払えば何でも教えてくれる情報屋。
いつの間にチェックされているのかわからない上に、その情報《売り物》は下手な情報サイトより信憑性がある───と、客として接するならば頼もしい反面、敵に回すと厄介なことこの上ないプレイヤーだ。

そんな情報屋こと『鼠のアルゴ』が、どういう風の吹き回しなのか、βテスト時代のエリアマップやモンスター情報、クエストデータなどを記載したガイドブックを各地の道具屋に委託販売している。しかも無償で。
あのアルゴがタダで情報を提供していたというのには驚きだった。僕とシェイリが最初に到達した村で、二人分のアイテム補給を買って出たシェイリがこれを持ってきた時、何かの冗談じゃないかと思った程だ。
半分訝しげながらも中身を読んでみると、そこには確かにβテスト当時のデータが詳しく記載されていた。どうやら本当にアルゴが書いたものらしい。

……もっとも。表紙下部に書かれている『大丈夫。アルゴの攻略本だよ。』という宣伝文句には、そこはかとなく不安を感じられずにはいられなかった。
何か重大な誤植がありそうな気がしてならない。いや、そう思った理由はわからないんだけど。

「いいか、情報はあったんだ。なのに、たくさんのプレイヤーが死んだ。その理由は、彼らがベテランのMMOプレイヤーだったからだとオレは考えている」
彼らはSAOを他のMMOと同じ物差しで計り、引き際を見誤った───と、エギルは続けた。その意見は至極もっともだ。
ベテランMMOプレイヤーだったからといって、同様にSAOで戦っていけるかどうかと問われれば。答えは否だろう。

そもそも、マウスとキーボードで全ての操作ができる今までのMMOと、自分の身体を動かして戦うSAOを比べること自体、無理があるといってもいい。
MMO経験者であるシェイリがそうだったように、中にはベテランでも『画面の向こう』と『目の前の光景』のギャップについていけない、という人だっていたはずだ。
このSAOにおいて、他のMMOと同じ感覚で狩りをしようとすれば───集中力を切らし、ほんの少しの油断が生まれた瞬間、待っているのは“現実世界での死”だ。
いやまあ、ついさっきコボルドに真っ二つにされかけたおまえが言うなって思うかもしれないけど。

「だが今は、その責任を追及してる場合じゃないだろ。オレたち自身がそうなるかどうか、それがこの会議で左右されると、オレは思っているんだがな」
それはさておき。
僕が言いたかったことは、代わりにエギルが全て言ってくれたようだった。
キバオウはまだ何か言いたさそうにしているけれど、真正面から真っ当な意見をぶつけられ、おまけに相手は自分より数段体格のいい巨漢……と、彼が反論する余地はなさそうだ。
更にディアベルが仲裁に入ったことにより、キバオウは負け惜しみじみた一言を残し、一度だけエギルを睨んでから集団へと戻っていった。

───うん、行かなくてよかったかも。

キバオウが黙ったのは、相手の風貌に気圧されたというのも大きいだろう。
高校生の平均身長しかない僕が同じことを言ったところで、足元を見て難癖つけられていたに違いない。
エギルのお陰で議論の方向も元に戻ったようだし、キバオウを止めてくれた彼には感謝しないと、と思った瞬間。

───え?

不意に、こちらを振り向いたエギルと目が合った。
それだけならよかった。こちらを向いたのも偶然だったかもしれないし、目が合ったのもたまたまだと思えれば。
だけど。エギルはなにやら『言ってやったぜ?』といった感じのドヤ顔をすると、こちらへ向けてサムズアップしてきたではないか……!

───ま、まさか、

見られていたというのか……!?
キバオウを止めようと中途半端に立ち上がり、タイミングを逃してすごすごと座り込むという、あの情けない姿を……!

───う、う、うわああぁぁぁぁ………!


「……?ユノくんどうしたの?顔赤いよ?」
「……、ほっといて……」
羞恥で頬が紅潮するのを感じながら、シェイリには見えないよう俯いたままサムズアップを返す。
そんな僕の様子を見て、エギルはハリウッドスターよろしくニカッと笑い、元いた列へと戻っていった。
エギルさんありがとう。でも、できることなら気付かない振りをしていて欲しかったです……。


────────────


「───それじゃ、早速だけど、これから実際の攻略作戦会議を始めたいと思う!」
翌日。
前の日と同じように中央広場に集まった僕たちは、またしても噴水の縁に立つディアベルの声に耳を傾けていた。

あの後は特にこれといった問題も起こらず、12日2日の初会議は円満に終了、解散となった。
もっとも。円満に、とはいったものの、これといって現状に進展があったわけでもない。
最上階への階段が発見されたとはいえ、まだボス部屋も見つかっておらず、結局のところは対策の立てようがなかったからだ。

……だけど、翌日───今日、12月3日の午後。
ディアベル率いるパーティが、フロア最奥にある二枚扉を発見。中にいたボスの姿を拝んできたのだという。
彼の話によれば、第1層のボスは『イルファング・ザ・コボルドロード』という、身の丈2メートルはあるほどの亜人型モンスター。周囲には鎧を着込んだ同じく亜人型のモンスター、『ルインコボルド・センチネル』を三体従えていたそうだ。

更に、ボス部屋発見の報告を受け、開かれていた二回目の攻略会議の最中。
広場の隅で店を広げていたNPC露天商に、『アルゴの攻略本・第1層ボス編』がいつの間にか委託販売されており───

ディアベル達が見たというボスの特徴と、ガイドブックに記載されていた情報に差異が見当たらなかったため、この情報を本物と断定し、急遽としてボス討伐作戦を練ることとなった。
現在、その会議の真っ最中というわけだ。

「うー……」
「えへ、なんかどきどきするねー!」
β期間中もボス攻略には何度か参加していたものの、正式サービスになってから初めてのボス戦ということで、どうしても緊張を隠せなくなってしまう僕。
一方、隣に座るシェイリはというと、遠足前日の小学生のような浮かれ顔をしていた。
『緊張してないの?』という僕の問いに対し、『緊張はするけど、ボスって斬り応えがありそう』と笑顔で答えるあたり、もはや相当なバトルジャンキーの領域に片足を踏み込んでしまっているかもしれない。

───お父さんお母さんごめんなさい。おたくの娘さんは遠いところへ行ってしまったようです。

明日のボス戦をイメージしているのか、にっこにっこと笑みを浮かべているシェイリの姿を見て、僕は顔も知らない彼女の両親に心の中で詫び続けた。
すみません、僕が両手斧なんて持たせたばかりに……そしてもしSAOがクリアされても、決して娘さんに斧を与えないでください。危険です。 
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