椿姫
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第一幕その五
第一幕その五
「笑われるのですか」
「はい」
ヴィオレッタは答えた。
「おかしいですから」
「馬鹿な。何故このようなことを聞いてお笑いになられるのか。貴女は心を持ってはおられないのですか?」
「心ならありますわよ、多分」
彼女は言った。
「けれどどうしてその様なことをお尋ねになられるのでしょうか」
「持っていらっしゃるなら・・・・・・」
アルフレードは沈痛な声で言った。
「その様な言葉は」
「本気で仰られているのですか?」
「僕は嘘なぞ言いません」
アルフレードは眉を顰めてそう言い返した。
「そんなこと。どうして言えましょうか」
「では御聞きしたいですわ」
「何でしょうか」
「私を想って下さっているのは以前からでしょうか」
「はい」
彼はまた頷いて答えた。
「一年も前から。あの公園でのことです」
彼の目の前にその時のことが想い浮かぶ。
「パリのあの公園で。朝におられましたね」
「そうだったでしょうか」
「その朝日の中に貴女を見た時に僕の心は奪われました。そしてそれが何なのかを知るまでに多くの時がかかりました」
「何だったのでしょうか」
「恋です」
彼は熱い声でそう述べた。
「それが恋だと知った時僕は決意しました。貴女を私の永遠の恋の相手としたいと」
「そのようなこと」
しかしヴィオレッタはそれを拒んだ。目を閉じ顔を伏せて首を横に振った。
「私は愛を知らない女」
「まさか」
「夜の世界に愛なぞございません。あるのはただ虚飾のみ」
「いえ、それは違います」
だがアルフレードはそれを否定した。
「人ならば。愛があります」
「それは朝の世界にだけ」
「僕は朝の世界で貴女を見たのです。貴女は夜の世界にだけいるのではありません」
「けれど」
「私の様な者は。貴方には」
「いえ、僕には貴女しかいません」
アルフレードも引き下がろうとはしなかった。
「ですから是非」
「私は」
それでもヴィオレッタは拒もうとする。だがアルフレードは引き下がろうとせずその手を掴もうとした。だがここで誰かが部屋に入って来た。
「マダム」
「!?」
それはガストーネであった。舞踏の場にヴィオレッタを呼びに来たのだ。
「どうされたのですか。アルフレード君も」
「いえ、ちょっと」
アルフレードはその場を慌てて取り繕うとする。だが慣れていないせいか不自然であった。しかしヴィオレッタのそれはごく自然なものであった。
「少しお話を」
「何のことで」
「この前のオペラ座のことで。確かワーグナーという若い作曲家の作品でしたね」
「タンホイザーでしょうか」
「はい」
ヴィオレッタはガストーネの言葉に頷いた。
「あれはよかったですな。かなり斬新で」
「けれど不評だったそうですが」
「芸術がわからない輩も多いのです。気にしてはいられません」
「そうだったのですか」
「あの作品は歴史に残るかも知れませんぞ。あの若い作曲家も」
「ワーグナーも」
「ええ。どうやらかなり女癖が悪く浪費家でしかも尊大な人物らしいですが。それでも作品は大したものです」
実際にワーグナーの人間性はお世辞にも褒められたものではなかた。よく反ユダヤ主義を批判されるがそれ以外にも非常に問題の多い人物であったのだ。
「面白そうな方ですね」
「身近にいて欲しいタイプではないですが。まあそうかも知れませんね」
「一度見てみたいですわね」
「ワーグナーの方をですか?それとも彼のタンホイザーを」
「両方を」
彼女はにこやかに笑ってそう言った。
「その時は何方かと」
「エスコートさせて頂きますが」
「喜んで」
「有り難うございます。ではその時に」
「はい」
ガストーネは一礼した。そしてまたヴィオレッタに対して言った。
「マダム、ダンスはどうされますか」
「今日は少し」
青い顔で言った。
「申し訳ありませんが」
「仕方ありませんね。それでは」
「はい」
こうしてガストーネは部屋から去った。そしてまたヴィオレッタとアルフレードだけになった。
「御覧になされましたか」
今の自分とガストーネのやりとりをアルフレードに見せたうえで声をかけてきた。
「今のが私なのです」
そしてこう言った。
「おわかりになられましたでしょうか」
「しかし」
「とりあえず恋のお話はこれで。宜しいでしょうか」
「ですが」
「ですがもなく。私にはそうしたものは縁がありませんから」
「それでも」
「仕方のない方ですね」
根負けしたのか薄い苦笑の後少し溜息を漏らしてこう言った。
「わかりました。ではまた御会いしましょう」
「それは何時でしょうか」
「はい」
ヴィオレッタはそれに応えるかのように自分の胸に手をやった。そしてその椿を取った。それをアルフレードに対して手渡した。
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