椿姫
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第四幕その三
第四幕その三
「済まない、僕は馬鹿だった!」
アルフレードはまずこう言ってヴィオレッタに謝罪した。
「何も知らずに。とんでもないことをしてしまった」
「宜しいのです」
彼女は泣きながら、だが笑みを以ってこれを許した。
「全ては。許されたのですから」
「全てが」
「はい。だからこそ貴方はここに来られたのです」
ヴィオレッタはアルフレードの顔を上から優しい笑みで以って見ながらこう言った。
「私の下に。これこそが貴方が神に許された証し」
「貴女には許されているだろうか」
「私がどうして貴方を許さないことがありましょう」
そして優しい声でこう言った。
「貴方は私の全て。他の何にも替えられないものだというのに」
「僕が替えられないものだと」
「はい」
彼女はこう答えて頷いた。
「その貴方がここに来られた。私の側に帰って来られた。それだけで充分なのです」
「貴女にあのような仕打ちをした僕に・・・・・・」
アルフレードは今彼女の温かさと心の広さに感激していた。そして見れば彼も泣いていた。
「有り難う。貴女は何と素晴らしい方なんだ」
「私は素晴らしくなんかありません」
だがヴィオレッタはこう言ってそれを否定した。
「私は。夜の世界を彷徨った女です。ですがそれは貴方によって救われました」
「僕に」
「あの時貴方が私に愛を告げてくれたから。私は夜の世界を出ることができたのです」
「そして僕の側に」
「はい」
彼女はまた頷いた。
「そして今ここに。それまでのことはもう消え去りました」
「それじゃあ今から」
「はい、またはじまるのです」
彼女は告げた。
「私達の新しい暮らしが。それは永遠に続くでしょう」
「僕達の暮らしが」
見れば部屋からフローラも召使も姿を消していた。気を利かして姿を消したのであろうか。だが二人はそれには気付いてはいなかった。ただ二人だけの、愛の世界にいた。
「悲しみも罪も。何もかも消え去って」
「そして僕は貴女の側にいる」
「はい。私もまた貴方の側にいる」
二人は互いに言い合った。
「何時までも」
「そう、何時までも」
二人は互いの心が触れ合うのを感じていた。だがそれだけではなかった。彼等はまた互いに言った。
「天使だろうが悪魔だろうが」
まずヴィオレッタが言った。
「誰にも私達を離すことはできはしないわ」
「ああ」
アルフレードはそれに頷いた。そして彼も言った。
「ヴィオレッタ」
「何?」
「パリを離れないか?」
「パリを」
「そうさ。そして静かな場所で暮らそう」
「二人で」
「勿論さ。それで君はきっとよくなる」
アルフレードもまたヴィオレッタの病は知っていた。だからこそ言った言葉であった。
「この街は君の胸にとってよくない。退廃的なこの街は」
「けれど私は」
だがヴィオレッタはここで眉を顰めさせた。
「この街から離れて生きていくことは」
「できる」
だがアルフレードはこう言い返した。
「できるんだ」
「できるかしら」
「僕がいるから」
「貴方が」
「そう。だからこそできるんだ。二人なら何でも」
「貴方がいれば」
「そして僕には貴女がいれば。他には何もいらない」
「私はそして、昼の世界に生きるのね」
「そう。未来も何もかも私達の上に微笑む」
「何もかもが」
「神が祝福される。もう君は夜の世界にはいない」
「ええ」
「この世界にいるんだ。僕と同じ世界に」
「貴女と同じ世界に」
「だから。行こう」
「はい」
「二人で」
「アルフレード」
彼女はまたアルフレードの名を呼んだ。
「何だい?」
「まずは教会に行きましょう」
「教会に」
「そうよ。貴方が来られたことを神に感謝する為に」
「神に」
「この奇跡を。何時までも忘れない為に」
そう言いながら起き上がろうとする。だがそれは適わなかった。
やはり病のせいであった。それはもう誰の目にも明らかであった。そして彼女の命の蝋燭のことも。アルフレードにもそれはわかった。わかりたくはなかったが。
ヴィオレッタは鈴を鳴らした。それで召使を呼ぶ。
召使がやって来た。ヴィオレッタは彼女に対して言った。
「外に出たいのだけれど」
「えっ」
召使はそれを聞いて驚きの声をあげた。
「あの、今何と」
「聴こえなかったの?外に出たいのだけれど」
ヴィオレッタはまた言った。だが召使はそれを聞いても動こうとはしない。かわりにこう言った。
「あの」
「何かしら」
「今は旦那様と一緒におられる方がいいと思いますが」
「私達はもう何時でも一緒よ」
「しかし」
「ヴィオレッタ」
それを横で聞いていたアルフレードが召使に助け舟を出すようにして言った。
「今はここにいよう」
「けれど」
だがヴィオレッタはそれにあがらおうとした。まるで自分の運命にあがらおうとするかのように。
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